今、大学の先生の勧めで、この本を読んでいます。
I am currently reading this book at the recommendation of my college professor.
この本の中に、「スイッチャー」というものが登場します。
In this book, a "switcher" appears.
いじめとは、ある一人のターゲットに対する不満を"言語化"することによって、それが盛り上って、累積的に、怒りや憎悪に変貌して、さらに"正当化"されて、そして"具現化"する、というプロセスを経るらしいです。
Bullying is said to be a process of "verbalizing" one's dissatisfaction with a target, which builds up and cumulatively transforms into anger and hatred, which are then "justified" and "materialized."
『あいつ、調子に乗ってんじゃん』という発言から、スタートするそうです。
It starts from the opinion that "He/She is getting carried away."
ところが、ここに一人、「空気が読めない奴 = スイッチャー」が「空気の読めない発言をする」ことで、その機能を停止させることができる、らしいのです。
However, one of the "airheads=switchers" here can stop that function by "making an airhead remark."
-----
私、大学時代、友人との会話に上手く入り込めなくて、本当に苦労しました。
In college, I had difficulty getting into good conversations with my friends.
『私の発言で、場が止まる(白ける)』という場面に、何度も立合い、すっかり自信を失くした時もありました。
There were many times when I lost all confidence in myself because I was in situations where 'my comments made the place stop (or go blank).
しかし、私の「白ける発言」が、有効に働いていた場面があったかもしれないと知り、今日はちょっと元気が出ました。
However, I feel a little better today, knowing that there may have been occasions when my "lack of reading the air." was compelling.
少なくとも、自分自身が恐しいリスクを理解していながら、『仲間内でマスクを外して楽しげに会話する』などということを、やらずにすんでいられる ―― という幸せをかみしめています。
-----
でも、まあ、よく考えれば、私、これまで、「空気を読まないコラム」を山ほど量産してきました。
But, if I think about it, I have mass-produced many "columns that don't read the air.
それでも、私は「スイッチャー」とか呼ばれるような、かっこいい何かではない、とは自覚しています。
Still, I know I am not a "switcher" or something cool like they call me.