2024,江端さんの忘備録

「国民の苦しい生活を改善する」と選挙演説で叫んでいる『あの人たち』は、全員、年収3000万円を貰っているようです。

It seems that all of 'those people' who are shouting in their election speeches that they will improve the problematic lives of the people are all receiving 30 million yen a year.

与党の「政治と金」の問題を追求している野党党首や野党議員も同様です。

The same applies to the leaders and members of the opposition parties who are pursuing the ruling party's “politics and money” issues.

飲み会では話題にできない話をChatGPTとしてみた ―― 国会議員の報酬っていくらくらいですか?

 

で、今話題となっている、選挙における「党公認」ですが、「党公認」とは、どうやら1000万円~5000万円をお金を貰える、ということのようです。

So, the “party endorsement” currently being talked about in the context of elections seems to mean that you can receive between 10 and 50 million yen.

飲み会では話題にできない話をChatGPTとしてみた ―― 選挙で党からの公認を受けるといくら貰えるのですか?

国会議員を「個人」と考えると腹が立ちます。

When I think of Diet members as “individuals,” it angers me.

しかし、国会議員を「法人」(会社、団体、組織)と考えると、この金額は「経費」であると、善意で解釈ができなくもありません。

However, if we think of a member of parliament as a “corporation” (company, group, organization), we can interpret this amount as “expenses”.

でもね ―― 年収3000万円貰えて、党公認を貰えれば1000万円単位のお金が貰えるという人たちに、私たちの生活を語られるのは、やっぱり不愉快です。

But it's still unpleasant to have our lives talked about by people who get paid 30 million yen a year and can get 10 million yen in public funding if they get the party's official endorsement.

だから、はっきり言ってくれればいいんですよ。

Just tell me.

「私は年間3000万円貰っています。しかし、◯◯◯という状況にあり、皆さんと同じく生活は苦しいのです」

“I receive 30 million yen a year, but due to the situation with XXX, our lives are as hard as everyone else.'

でもいいですし、

or

「私たちは年間3000万円貰っています。なので、皆さんの生活の苦しさが自分の経験ではないことを認めます。でも、理解しようと努めています」

“I receive 30 million yen a year, so I recognize that the hardships of your lives are not something I have experienced. But I am trying to understand.”

でもいい。

It's also O.K.

とりあえず、「私は年間3000万円もらっています」を認めてから、演説を開始する人であれば、私はその人に票を投じます。

If someone starts their speech by admitting that “I receive 30 million yen a year”, I will vote for them.

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国会議員の報酬は、基本的には「歳費」と呼ばれます。日本の国会議員の場合、歳費は以下のように構成されています。

  1. 歳費月額: 衆議院・参議院ともに、月額約129万4,000円(2024年時点)。
  2. 期末手当(ボーナス): 年2回支給され、支給額は約635万円です。これにより、年間の合計は約1,555万円ほどになります。
  3. 文書通信交通滞在費: 月額100万円。この費用は通信や交通、滞在にかかる経費として支給され、領収書の提出義務はありません。
  4. その他の手当: 国会議員はこの他に、委員会出席手当や宿舎の提供などもあります。

これにより、国会議員の年収は約2,800万円から3,000万円程度になると言われています。

補足的に、政務活動費や政党交付金も別途支給されることがありますが、これは活動資金であり、報酬とは異なります

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選挙で党からの公認を受けるといくら貰えるのですか? 公認による金銭的支援の実例を教えて下さい。分からなければ推定で結構です。

公認候補者に対する具体的な金額についての公的な資料は少なく、正確な情報は公開されていないことが多いですが、過去の報道や一般的な推定に基づいて以下のような金額が想定されます。

推定される公認候補者への金銭支援額
1. 国政選挙(衆議院・参議院)における支援
- 大手政党(自民党、立憲民主党など)の場合、国政選挙で公認候補者に対して提供される選挙資金は、数百万円から数千万円に及ぶとされています。特に選挙区ごとに競争が激化する都市部や、重要な選挙区では、政党からの支援額が増加する傾向にあります。

- 推定額: 1,000万~5,000万円程度(選挙区による)

2. 新人候補者への支援:
- 新人候補者の場合、選挙経験が少ないため、政党からの支援額が比較的多くなることが予想されます。新人は資金力が不足していることが多いため、政党がより積極的に資金面でサポートするケースが見られます。

- 推定額: 500万~1,500万円程度

3. 選挙活動に関する個別支出:
- 政党からの支援は、候補者の選挙活動費に充てられることが多く、特に以下のような具体的な費用に使われます。
- ポスター印刷費: 数十万円から100万円以上(選挙区の規模による)
- 街宣車のレンタル・運用費: 100万~200万円程度
- 選挙スタッフの人件費: 数十万円~数百万円(期間やスタッフ数による)

4. 政党助成金の分配:
- 政党助成金の総額は、政党の規模や議席数によって異なりますが、各政党が年間で数十億円を受け取っている場合があり、これが選挙資金の一部として候補者に分配されます。例えば、自民党は約170億円、立憲民主党は約30億円の助成金を受け取っており、その一部が選挙支援に充てられます。

実例
過去の報道では、自民党がある衆議院選挙において、候補者一人あたり数千万円を提供したケースがあるとされています。例えば、重要な選挙区では公認候補者に対して最大で5,000万円以上の支援が行われたとの報道もあります【推定】。また、地方選挙では規模が小さくなるため、支援額も少なくなる可能性があります。

このように、政党から公認候補者に対して提供される金銭的支援は選挙活動における重要な要素であり、政党の財政力や選挙区の重要度によって金額が大きく変動することが推測されます。

それでは「追加公認」とは、『当選後に選挙費用の補填を行うことを条件に入党させる』というバーター条件ということですね

「追加公認」とは、選挙期間中に政党から正式な公認を受けなかった候補者が、選挙後に政党から公認を受けて入党することを指します。このケースでは、選挙期間中は無所属や他の政党に所属していた候補者が、当選後にその政党に加わる形です。

「追加公認」が必ずしも「当選後に選挙費用の補填を行うことを条件に入党させる」というバーター条件と結びついているわけではありませんが、そのような状況が起こり得る可能性はあります。以下の点でバーター取引の一面が見られる場合もあると推測できます。

1. 選挙費用の補填:
- 一部のケースでは、無所属で当選した候補者に対して、政党側が「追加公認」を条件に選挙費用を補填することがあり得ます。この場合、候補者にとっては選挙費用の負担軽減が大きなメリットとなり、政党に加わるインセンティブとなる可能性があります。

2. 政党への議席確保のメリット:
- 当選後に政党が追加公認を行うことで、議席数を増やすことができ、政党にとっては政治的影響力を強化する手段となります。特に、衆議院や参議院において政党の議席数が増えることは、法案通過や委員会での発言権を強化するための重要な要素です。

3. 候補者への見返り:
- 政党が追加公認を行う際、選挙費用の補填以外にも、次回選挙での正式な公認や党の支援、政治活動の支援などが見返りとして提供されることがあります。このような取引は、候補者にとって当選後の政治活動を安定させるための有力な手段となり得ます。

4. 具体例:
- 過去の日本の選挙においても、無所属で当選した候補者が、当選後に与党や野党に追加公認されるケースが見られます。例えば、自民党や他の大政党が無所属で当選した候補者を追加公認し、議席数を増やすための戦略として利用することがあります。

結論:
「追加公認」が選挙費用の補填を条件とするバーター取引の要素を含む場合はあり得ますが、これはあくまで一部のケースに限られます。追加公認の背景には、政党側の議席確保や候補者側の政治活動支援など、様々な要因が複雑に絡んでいると考えられます。

2024,江端さんの忘備録

これまで何度か記載してきた、故ダニエルキースさんの「アルジャーノンに花束を」は典型的なバッドエンドですが、映画化とかドラマ化において、ハッピーエンドバージョンの検討もされたそうです。

As I have mentioned several times, the late Daniel Keyes' “Flowers for Algernon” has a typical lousy ending. Still, a happy ending version was also considered for the film and drama adaptations.

で、これらの条件を全て満たすものとして「アルジャーノンに花束を」を選びました。

しかし、「アルジャーノンに花束を」がハッピーエンドで終わったら、これほど世界に感動を与える物語になっただろうか ――

However, if “Flowers for Algernon” had ended happily, would it have become such a story that moved the world?

もしかしたら、なっていたかもしれない。

Maybe it could have been.

でも、個人的には、それは「ない」ほうがいい。そんなもの、読みたくもないし、見たくもない。

Personally, though, I think it's better not to have it. I don't want to read or look at it.

『コンテンツは、2次創作によって、色々展開されるべきである』と言い続けてきた私の言動と、完全に矛盾しています。

This contradicts my words and actions, which have always said that 'content should be developed in various ways through derivative works.'

―― 油断していると、簡単に「原理主義者」になってしまうぞ

我ながら、勝手な奴だと思います。

I think I'm a selfish person.

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「アルジャーノンに花束を」が指し示す現実は、これまで解決できず、これからも解決されないだろう、人間の根源的な本質を抉り出した上の感動の名著です。

The reality that “Flowers for Algernon” points to is a moving masterpiece that exposes the fundamental nature of human beings, which has never been solved in the past and will probably never be solved in the future.

ハッピーエンドは感動を与えますが、バッドエンドは感傷を与えます。それが事実であれば、その痛みはさらに深く心を抉っていくことでしょう。

Happy endings are moving, but bad endings are sentimental. If that is true, the pain will probably cut even deeper into your heart.

私がこれまで寄稿させていただいたコラムは、現実を数字で怜悧に追い込むバッドエンドのロジックで構成されており、子どもたちから「一片の希望もない」と言われています。

The columns I have contributed to so far are composed of a logic of bad endings that ruthlessly pursues reality with numbers, and my children say that there is “not a shred of hope” in them.

そういわれれば、その通りなのです。

If you put it that way, you're right.

しかし、私の数値計算は、結構な頻度で「未来を外します」。

However, my numerical calculations “miss the future” quite often.

そういう風に考えてもらえれば、私のコラムでもハッピーエンドを感じることができるかもしれません。

If you think about it that way, you might be able to feel a happy ending in my column, too.

つまり、

In other words, it is a “hope” that

―― 奴(江端)の言っていることなど、アテになるか

What is he (Ebata) saying that is reliable?

という「希望」です。

(↑クリックでコラムに飛びます)

(Click to go to the column)

2024,江端さんの忘備録

芸能界では「挨拶をしない奴」についてのニュースが頻繁に登場します。

There is frequent news about people who “don't say hello” in the show business.

こういう記事を読む度に、私は『自分が、芸能界という気持ちの悪い世界に属していない幸せ』を実感します。

Whenever I read an article like this, I realize how lucky I am not to be part of the sickening world of show business.

このような事柄がニュースになるという現象は、「この業界の程度の低さ」を如実に物語っていると言えるでしょう。

The fact that such matters make the news indicates “the low level of this industry.”

本来、挨拶は基本的な社会的礼儀であり、ニュースにするような話ではない ―― と、私は思っています。

Greetings are a matter of basic social etiquette and should not be made into a news story.

それが、あたかも重大な事件のように扱われ、ニュースになるのは、芸能界の価値観がいかに『浅薄』であるかを象徴しているかのように思えます。

The way it is treated as if it were a severe incident and becomes news seems to symbolize how shallow the values of the entertainment world are.

これは、芸能の世界が、本質的なプロフェッショナリズムよりも、表面的な振る舞いや印象に過剰に依存していることを示しています。

The above shows that the world of show business relies too much on superficial behavior and impressions rather than essential professionalism.

芸能人の才能や実力が評価されるべき場であるはずの芸能界が、日常の礼儀や行動を拡大解釈して「事件化」することで、真の価値観を見失っているように見えます。

The show business world, which should be a place where the talents and abilities of celebrities are evaluated, seems to have lost sight of actual values by “incident” everyday etiquette and behavior through overinterpretation.

さらに言えば、挨拶をしなかったからといって一部の芸能人が叩かれる一方で、それを無駄にニュースとして消費する視聴者(私たち)やメディアの存在も、同じく程度の低さを露呈しています。

Furthermore, while some celebrities are criticized for not saying hello, the fact that we (the viewers) and the media consume this news for no reason reveals a similar low-quality level.

いずれにおいても、挨拶ごときで批判を浴びたり称賛されたりすることが、芸能界がどれほど矮小な価値観に支配されているかを露呈しているという見方は、成立すると思っています。

In both cases, I think it is possible to see that being criticized or praised for a simple greeting reveals just how small-minded the entertainment industry's values are.

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ところが、私は、この「挨拶」というものを軽視しているわけではないのです。

However, I do not mean to belittle this “greeting.”

それどころか、このネタで、博士号取得の為の論文の量産中です。

On the contrary, I am currently producing many papers for my PhD thesis using this material.

わーい! 論文賞、もらったーー!!

挨拶は、社会的関係資本(Social Capital:SC)や主観的幸福感(Subjective Well-Being:SWB)を強化する道具として重要な役割を果たしています。

Greetings are essential for strengthening social capital (SC) and subjective well-being (SWB).

課題で「主観的幸福(SWB)」を調べているのですが、なかなか興味深いです

挨拶は人々の信頼やネットワークを築くための基本的な行為であり、コミュニティ内でのつながりを強化します。顔見知りや近所の人々との関係を深めることで、協力や相互支援が促進され、SCの増大に寄与します。

Greetings are essential for building people's trust and networks and strengthening community connections. Cooperation and mutual support are promoted by deepening relationships with people you know and neighbors, increasing SC.

また、挨拶は個人のSWBにも大きく影響します。日常的に挨拶を交わすことは、孤立感を減少させ、自己肯定感や心理的安定感を高めます。挨拶を受けることにより、自分が認識されていると感じることで、幸福感が向上します。

Greeting people also significantly impacts one's SWB. Exchanging greetings daily reduces feelings of isolation and increases feelings of self-affirmation and psychological stability. Receiving greetings makes you feel recognized, which in turn improves your sense of happiness.

このように、挨拶は社会的つながりを強化し、個人の幸福感を高めるための重要な道具であり、その価値は大きいのです。

As you can see, greetings are essential for strengthening social connections and increasing personal happiness, and they are of great value.

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問題は、世間が「この『挨拶』の効果(SC,SWB)は数値化できない」と決めつけていることです。

The problem is that the world has decided that the effect (SC, SWB) of this “greeting” cannot be quantified.

皆さんも、最初から『これは計算できないもの』と諦めていますよね。

Initially, you all gave up on it, thinking, “We can't calculate them.”

私の挑戦は、これを、世界の何処でもどの時代でも使える『温度の単位や、長さの単位』のようなものにする、というものです。

My challenge is to make this something that can be used anywhere in the world, at any time, like a 'unit of temperature or a unit of length.'

この壮大な野望の為に、私は、ここ2年間の全ての週末と長期休暇の全日をシミュレーションプログラムの作成(と論文の執筆)に突っ込んでいます。

To achieve this grand ambition, I have devoted every weekend and all my long holidays to creating simulation programs (and writing papers) for the past two years.

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私の計算メソッドが確立すれば、現時点で、私が心底下らないと思っている芸能界の『挨拶至上主義』の見直しが行なわれることになるかもしれません。

If my calculation method is established, it may lead to a review of the entertainment world's “greeting supremacy,” which I think is beneath my dignity at the moment.

その結果として、芸能界における『挨拶』が、

As a result, the 'greetings' in the entertainment world have become.

ー 単に礼儀としての側面だけでなく、敬意を示す行為としての重要な役割を果たし、

- not just as a matter of politeness but also as an essential act of showing respect,

ー 長い歴史を通じて、挨拶は相手に対するリスペクトを示し、仕事を円滑に進めるための基本的なコミュニケーションの道具であり、

- throughout its long history, greetings have been an essential communication tool for showing respect to the other party and for ensuring that work progresses smoothly

ー 先輩や目上の人に対して敬意を持った態度を示すことが求められる芸能界において、挨拶はその人の品性やプロ意識を測る指標である

- in the entertainment world, where it is expected that you should show respect to your seniors and superiors, greetings are a measure of a person's character and professionalism

という再評価が行われるかもしれません。

And maybe re-evaluated as such.

また、芸能界という特殊な空間の特性が

In addition, the characteristics of the unique space that is the entertainment world

ー 単に個人の才能や魅力に依存するのではなく、人と人との信頼関係や礼節によって成立していること

- which is not simply dependent on the talent and charm of individuals but relationships of trust and politeness between people establish it.

さらには、

and

ー 挨拶を軽視するような風潮が広がると、芸能界特有の秩序や人間関係が崩れかねないというリスクを負っていること

- if a trend of neglecting greetings spreads, there is a risk that the unique order and human relationships of the entertainment world could collapse

も定量的に調べられるかもしれません。

I can investigate them quantitatively.

『「挨拶」をしないと、芸能界という世界が崩壊するかもしれない」ということが定量的に示されれば ―― 私は、「芸能業界の程度の低さ」などという自分の認識を改め、発言を撤回し、自己批判し、その効果をロジックと数値で示したいと思っています。

If “the world of the entertainment industry might collapse if they don't exchange greetings,” - I would like to change my perception of the “low level of the entertainment industry,” retract my comments, criticize myself, and show the effects of this using logic and figures.

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私は自分の主張や信念を、自分でやった計算で変えられてきた事案が、山のようにあります。

There are many cases where my arguments and beliefs have been changed by calculations I have done myself.

自分の行った計算によって、自分の考えが覆されるのであれば ―― エンジニアとして本望です。

If my calculations overturn my ideas, then as an engineer, that is my genuine hope.

2024,江端さんの技術メモ

Teamsの会議でビデオの音声を共有するには、以下の手順を実行してください:

  1. 会議を開始するか参加
    • Teamsの会議を開始する、もしくは既存の会議に参加してください。
  2. 「画面を共有」ボタンを押す
    • 会議ウィンドウの中央下部にある「共有」ボタン(四角と上向きの矢印アイコン)をクリックします。
  3. 共有するウィンドウや画面を選択
    • 共有したいビデオを再生しているウィンドウや画面、もしくはデスクトップ全体を選択します。
  4. 「コンピューターの音声を含める」オプションを有効化
    • 画面共有の際に、画面の上部に「コンピューターの音声を含める」というチェックボックスが表示されます。これにチェックを入れることで、ビデオの音声も一緒に共有できます。

  1. ビデオを再生
    • 画面共有を開始した後、会議参加者にビデオの映像と音声が共有されます。

この設定により、Teams会議の参加者全員があなたのコンピューターの音声を聞くことができるようになります。

2024,江端さんの忘備録

自民党の新総裁が決まり、それに伴い、我が国の首相も替わり、内閣の構成も替わり、そして解散総選挙も実施されることになりました。

With the new president of the Liberal Democratic Party having been decided, the prime minister of Japan has also changed, the cabinet's composition has changed, and a general election has been called.

私は、今回の自民党の総裁選挙によって、自民党の考え方の「見える化」ができたような気がしました。その点においては、「面白い総裁選挙だった」と思っています。

This time, the LDP presidential election made the party's way of thinking more “visible.” In that respect, I think it was an “interesting presidential election.”

嫁さんは、新しい自民党総裁に不満があるようです ―― 『声と顔としゃべり方が気にいらない』そうです。

The wife seems dissatisfied with the new LDP president - 'I don't like his voice, his face, or the way he talks.'

「ルッキズム」と言われれば批判は免れませんが、リーダーの資質に「ルッキズム」があるのは否定できないでしょう。

If you call it “Lookism,” my wife can't avoid criticism, but we can't deny that the leader has “Lookism” as a quality.

私だって、『声と顔としゃべり方が気にいらない』奴はいます。この気持ちは、どうしようもありません。ただ、ルッキズムからスタートすることはありませんが。

I also have people I don't like because of their voice, face, or way of speaking. There's nothing I can do about this feeling. However, I don't start with a lookism.

まあ、この話です。

Well, it is the following.

『嫌いな奴から言われることは、その是非に関係なく、全ての内容に100%ムカつく』

嫌いな奴は、嫌いな奴であるという理由で、『声と顔としゃべり方も、何もかもが気にいらない』です。

I don't like them because they are jerks, and I wouldn't say I like their voice, face, or the way they talk or anything else about them.

我ながら理不尽で子どもじみていると思います。しかし、そういう気持ちは気持ちとして、仕事には影響でないように努めています(当たり前だ)。

I think it's unreasonable and childish of me. But I try not to let those feelings affect my work (obviously).

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で、ふと思ったのが、『この段階で、嫁さんの思いを叶える方法はないかな』です。

Then I suddenly thought, 'Is there any way I can make my wife's wish come true at this stage?

総裁選挙が終って、自民党総裁が決定した後、首相就任をひっくり返す方法です。

It is a method of overturning the prime minister's appointment after the election for the LDP president has been decided.

以前、私コラムにも書きましたが、我が国の天皇性は、国際信用のルート認証局であり、天皇陛下は、国政を司る最上位の意思決定主体です(いや、制度的には本当にその通りなんですよ)。

As I wrote in my previous column, the Emperor of Japan is the root certification authority for international trust and the highest decision-making authority for national affairs (this is true regarding the system).

で、こんなことをChatGPTと会話していました。

So, I was having the following conversation with ChatGPT.

飲み会では話題にできない話をChatGPTとしてみた ―― 天皇陛下を裁判の被告にできるか?

私、以前天皇制についてのコラムを書きましたが、今回もなかなか勉強になりました。

I wrote a column about the Emperor System before and learned a lot again this time.

私、個人的には「天皇制は、制度として必要かもしれなけど、誰かの犠牲を前提としているシステムなら止めた方がいい」と思いつつ、「天皇陛下ご本人や皇族の方々が、私たちの為に、労災認定されかねない労働をされており、本当に申し訳ない」という複雑な気持ちを持っている、という話をコラムで展開してます。

In my personal opinion, “the Emperor System may be necessary as a system, but if it is a system that is based on the sacrifice of others, it would be better to stop it.” Still, I also have mixed feelings about “I am truly sorry that the Emperor and the Imperial Family are working for us in a way that could be recognized as an occupational injury,” I am developing this in my column.

(災害発生後の『チーム皇族』の日程表を見て、私は驚きました)

(I was surprised when I saw the schedule for the 'Team Imperial Family' after the disaster occurred.)

そして、こういうことを書いても『不敬罪で逮捕されない』という、「言論の自由」や「思想の自由」を担保している我が国の憲法を「エライ」と思っています。

And even though I write things like this, I think that our country's constitution, which guarantees freedom of speech and freedom of thought, is “great” in that it means that I won't be arrested for blasphemy.

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これまで述べてきたように、私は「消極的護憲派」です。

As I have said, I am a “passive supporter of the Constitution.”

「・・・という訳で、じいちゃん(私の父)と、ばあちゃん(私の母)が逝くまで、憲法改正を阻止できれば『勝ち』だと思っていたので ―― この勝負、すでに、『私の勝ち』で確定しているんだ」

新総裁の憲法改正論については、一定の理解をしています。

I have a certain level of understanding of the new president's views on constitutional reform.

憲法改正の議論と実施がされるなら、この新総裁の元でやるのがよさそう、と思っています。

If constitutional reform is to be debated and implemented, it would be best to do it under this new president.

2024,江端さんの忘備録

自民党の党首交代によって、首相も交代します。首相は天皇陛下が任命することで正式に決定しますが、天皇陛下が任命を拒否することが制度上不可能ではないと思います。この場合どうなりますか

(↑クリックするとコラムに飛びます)

天皇陛下が首相の任命を拒否するという状況は、日本国憲法の下では制度上非常に困難かつ極めて非現実的です。憲法第6条では、天皇は「内閣の指名に基づいて内閣総理大臣を任命する」と規定されており、これは天皇の国事行為の一つとされています。この国事行為は形式的なもので、実質的な政治的決定は国会で行われ、天皇がそれを尊重して実行することが前提となっています。

具体的に言うと、内閣総理大臣は衆議院の議決に基づいて指名されます。天皇がこの指名に基づいて首相を任命する行為には、天皇自身の政治的判断が含まれることはありません。仮に天皇が任命を拒否することが制度上可能だと仮定した場合でも、憲法上の枠組みが厳格に天皇の非政治的役割を定めているため、事実上そのような事態が発生することは極めて考えにくいです。

もし万が一、天皇が首相の任命を拒否した場合、憲法上の危機に発展する可能性があります。このような事態に対処するための明確な手続きはありませんが、天皇の行動は違憲と見なされ、議会や内閣が適切な措置を講じることが必要になるでしょう。

私が上記のような質問をしたのは、旧日本帝国憲法において、昭和初期から太平洋戦争の終戦に至るまで、軍部による「天皇の統帥権」の濫用が実際に行われた、ということに依拠します。この件と、先程質問した「任命拒否」との間に明確な差があれば教えて下さい。

ご質問の背景には、旧日本帝国憲法(大日本帝国憲法)下での「天皇の統帥権」の問題と、それがどのように軍部によって利用されたかという歴史的事実が関わっています。この問題と、先ほどの「首相任命拒否」に関する質問との間にはいくつかの重要な差異があります。それを以下に説明します。

1. 旧日本帝国憲法における統帥権
旧日本帝国憲法(1889年施行)は、天皇に強い権限を付与しており、その中に「統帥権」が含まれていました。統帥権とは、軍隊を指揮・統率する権限であり、これは天皇が直接行使するものとされていました。昭和初期から太平洋戦争に至るまで、この統帥権が軍部によって濫用され、特に天皇直属の軍の決定が国会や内閣の関与を受けずに行われる状況が生まれました。

このように統帥権は、天皇の権威の下で、政治の枠外で軍事的決定が行われることを可能にし、その結果、軍部が大きな影響力を持ち、政治を主導する事態となりました。これが昭和初期から戦争へと至る原因の一部ともなっています。

2. 現行憲法における天皇の役割と首相任命
これに対して、1947年に施行された日本国憲法では、天皇の権限は厳格に制限されています。天皇は「日本国の象徴」であり、実質的な政治的権限は一切持たないとされています。天皇の行為はすべて「国事行為」として形式的なものに限られており、首相の任命もその一部です。

現行憲法では、首相の指名は国会によって行われ、天皇はそれを受けて任命する形式的な役割を果たします。ここで重要な点は、天皇が政治的な判断を行わないということです。天皇には、旧憲法下での統帥権のような実質的な権限はなく、国会が指名した人物を任命するだけです。つまり、天皇が自らの意思で首相の任命を拒否することは、憲法上想定されておらず、そのような行動は違憲と見なされるでしょう。

3. 統帥権と任命拒否の違い
大きな違いは、旧日本帝国憲法では天皇が軍事を直接指揮する権限を持っていた(実質的に軍部が濫用した)一方で、現行憲法では天皇が政治に対して全く影響力を持たないことです。統帥権が天皇の強い権限であったのに対し、首相の任命は単なる形式的な国事行為であり、天皇が判断を下す余地はありません。

つまり、旧憲法下での統帥権は、天皇が軍事的決定に関与しうる実質的な権限であり、それが軍部の支配を助長した一方、現行憲法における天皇の首相任命は完全に形式的なものであり、天皇が自ら判断して拒否するような事態は憲法上も制度上も想定されていません。この点で、旧憲法の統帥権と現行憲法における首相任命の違いは非常に明確です。

結論
したがって、旧憲法下での天皇の統帥権の濫用と、現行憲法下での首相任命の拒否の可能性には根本的な違いがあります。旧憲法では天皇が実質的な軍事的権限を持っていたため、軍部がその権限を濫用することが可能でしたが、現行憲法では天皇の役割は形式的であり、政治に関与する余地はなく、首相の任命を拒否することは制度上も想定されていません。

天皇陛下が日本国憲法の枠組みにおいて、「首相否認」を行った場合、天皇陛下を「違法行為」の実施者として裁判の被告とすることが制度的に可能であるかどうかを論じて下さい(非現実的な仮定であることは理解しています)。

日本国憲法の下で、天皇が「首相否認」といった政治的行動を行った場合、天皇を「違法行為の実施者」として裁判の被告とすることは制度的に不可能です。その理由を以下に整理して説明します。

1. 日本国憲法第4条による天皇の政治的関与の制限
まず、日本国憲法第4条には、「天皇はこの憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と明記されています。この条文により、天皇は一切の政治的権限を持たず、国政に関与することは許されていません。したがって、天皇が政治的判断を行い「首相否認」をするという仮定は、そもそも憲法に違反しているため、現実には想定されない行為です。

2. 天皇の責任と憲法第3条
憲法第3条には、「天皇の国事行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣がその責任を負う」と規定されています。この条文の意味するところは、天皇が行う国事行為に対して、天皇個人は一切の責任を負わないということです。天皇の国事行為に関する責任は全て内閣が負うため、たとえ天皇が形式的な国事行為において誤った行動を取ったとしても、それは天皇の責任ではなく内閣の責任となります。これにより、天皇が違法行為の実施者として裁判の被告となることは、制度上あり得ません。

3. 天皇の不可侵性
さらに、天皇の地位には一定の不可侵性が付与されています。日本国憲法の第1条では、天皇は「日本国及び日本国民統合の象徴」とされています。これに加えて、日本の法制度や歴史的な慣習においても、天皇が個人として法律の枠組みで責任を追及されることは想定されていません。天皇が裁判の被告になることは、憲法上も慣習的にも非常に非現実的な仮定です。

4. もしも仮に天皇が違憲行為を行った場合の制度的対応
仮に天皇が何らかの違憲行為を行ったとした場合、その行為がどのように処理されるかについても考慮する必要があります。天皇の国事行為における責任は内閣が負うため、違憲行為があったとされる場合には、まず内閣がその責任を問われることになります。天皇個人に対して訴訟が提起されることはないため、仮に違憲行為があった場合、内閣がその責任を負う形で政治的に対応されるでしょう。

5. 天皇の象徴的役割と政治的中立性
天皇は憲法上、日本国民統合の象徴としての役割を持ち、政治的中立性が厳格に求められます。天皇が政治的判断を行うこと自体が憲法の根本的な理念に反するため、そのような行為を裁判で争うという事態が生じることは、政治体制全体に対する深刻な憲法危機となる可能性があります。しかし、その場合でも、天皇自身が裁判の当事者として立たされることはなく、政治的な議論や内閣の責任追及が中心となるでしょう。

結論
現行の日本国憲法の枠組みでは、天皇は象徴としての役割を担い、国政に関与することは厳しく制限されています。仮に天皇が「首相否認」といった政治的行為を行った場合でも、天皇個人を「違法行為の実施者」として裁判の被告とすることは制度的に不可能です。天皇の国事行為に対する責任は内閣が負うため、違憲行為があった場合は内閣が責任を問われ、天皇自身が裁判で追及されることはありません。

付録

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2024,江端さんの忘備録

シミュレーションのコーディング(デバッグ)に疲れ果て、気分転換にChatGPTと会話をしていました。

I was exhausted from coding (debugging) the simulation, so I chatted with ChatGPT to change my mood.

『Q1: 今のイスラエルは、周辺諸国に対して戦争を仕掛けているように見えますが、安全保障の観点からも理解が難しいです。解説をお願いします。』

'Q1: Israel seems to be waging war against its neighbors, and it is difficult to understand from the perspective of security. Please explain.

『Q2: 私のような日本人には、シオニズムは旧約聖書に基づいたこじつけのようにも感じ、非常に無理のあるロジックのように思えます(「2000年前の土地を返せ」という主張など)。このあたりを日本人でもわかりやすく説明してください。』

Q2: For Japanese people like me, Zionism seems like a forced interpretation based on the Old Testament, and the logic seems extremely unreasonable (such as the claim that “the land should be returned to its original owners 2000 years ago”). Please explain this in a way that even Japanese people can understand.

『Q3: ハマスはイスラエルからの反撃を理解していながら、なぜ攻撃を仕掛けたのでしょうか? これほど事態がエスカレートすることを予想していたのでしょうか? もし予想していたのなら、その価値は何でしょうか?』

'Q3: Why did Hamas launch the attack knowing that Israel would retaliate? Did they expect the situation to escalate to this extent? If they did, what was the value of that expectation?

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実は、私はこの問題に詳しいです(1970年代の安保闘争やPLOについて学べば自然に得られる知識です)。しかし、敢えてChatGPTに尋ねてみました。

I am actually familiar with this issue (knowledge that you can naturally acquire by studying the Anpo struggle and the PLO in the 1970s). However, I decided to ask ChatGPT anyway.

(この回答に関しては、ぜひ皆さんもChatGPTに尋ねてみてください。)

(Please try asking ChatGPT this question too. )

ユダヤ問題、パレスチナ問題では、「シオニスト」という言葉が登場します。

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ChatGPTの素晴らしい点は、その『抜群のバランス感覚』にあります。

The great thing about ChatGPT is its “exceptional sense of balance.”

この「バランス感覚」とは、批判と擁護、肯定と否定の内容や文章量のバランスを指しています。

This “sense of balance” refers to the balance between the content and amount of text in the criticism and defense, as well as the affirmation and denial.

さらに、私が「日本人」という立場にあることを踏まえた論旨展開が非常に巧妙です。

Furthermore, the way the argument is developed based on the fact that I am a “Japanese person” is very clever.

もしこれが学生から提出されたレポートであれば、私は間違いなく「優」をつけて返却するでしょう。

If this were a report submitted by a student, I would give it a “good” grade and return it to them.

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ふと気がついたのですが、有償のChatGPTを契約してから、私の読書量は激減しています。

I suddenly realized that my reading volume had decreased dramatically since I signed up for the paid ChatGPT service.

以前の私なら、『イスラエルとシオニズム』のような本を図書館から大量に借りて読みふけっていたはずですが、最近はそうしたことがめっきり減りました。

In the past, I would have borrowed a large number of books like “Israel and Zionism.”

これは一種の「新しい読書離れ」ではないかと思います。

I think this is a kind of “new disinterest in reading.”

どこかで、「何か良くない方向に進んでいるのではないか」という気がします。

I have a feeling that things are somehow heading in the wrong direction.

何だかんだ言って、私は「文献史上主義者」―― SNSやネットニュースよりも、特許明細書や論文、数値データを信頼する人間です。

Whatever you say, I'm a “Literalist” - someone who trusts patent specifications

(もっとも、ChatGPTもこちらのレベルに合わせて回答内容を調整してくれるので、ある程度の知識は必要だと思いますが。)

(Of course, ChatGPT also adjusts its responses to match your level, so I think you need to have a certain level of knowledge. )

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この手の会話ができる人間は、私の回りにもいるでしょうが、現実にその会話をする機会は絶無でしょう。飲み会で、この手の会話ができるとは思えません(ドン引きされるがオチ)。

There are probably people around me who can have this kind of conversation, but the chances of actually having it are slim to none. I don't think you can have this kind of conversation at a drinking party (you'll just be left out).

基本的に、『政治、宗教、野球、恋愛については、人と議論してはならない』ことが、人間関係を維持するコツです。

The secret to maintaining good human relationships is to avoid discussing politics, religion, baseball, and love with other people

私にとっては『飲み会の会話より、ChatGPTとの会話の方が楽しい 』というのは、事実です。

It is true that “I enjoy chatting with ChatGPT more than I enjoy drinking with my friends.”

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最近、私は、自分の老後と最期の姿が少し見えてきた気がします。

Recently, I have felt that I can see a little of what my old age and final days will be like.

それは『生成AIを立ち上げたまま、ディスプレイの前でキーボードに顔を伏せたまま、息果てている自分』です。

It is 'myself, with the generated AI still running, lying face down on the keyboard in front of the display, and gasping for breath.'

2024,江端さんの忘備録

『パワハラやセクハラを非難している奴が、パワハラやセクハラの当事者である』 ―― こんなことは普通にあります。

'The person who is condemning power harassment and sexual harassment is the perpetrator of power harassment and sexual harassment' - this kind of thing happens all the time.

『自分がどう見えているかは、自分では分からない』というのは当然ですが ―― この『当然』を知らない奴は、驚くほど多いです。

You can't know how you look to others, but surprisingly, many people don't know this.

私たちは、他人ことは良く見えるのですが、私自身のことについては、完全に死角で無知です。

We can see other people clearly but are completely blind and ignorant about ourselves.

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以前、上司の名前を明らかにせずにその上司に対する批判のコラムをリリースしたことがあるのですが、その上司から『まったく、その通りである』という"いいね"コメントを付けられて、唖然としたことがあります。

I once released a column criticizing my boss without revealing his name, and I was stunned when he left a “Like” comment saying, “You're right.”

この事件は、私に、壊滅的な恐怖を与えました。

This incident gave me a devastating sense of fear.

―― きっと、私も"同じ"だ

"I'm sure I'm the same."

と。

他人を批判しながら、その批判の中に自分が含まれていることに気がつかない、という恐るべき人間の『狭窄視野』。

The terrible 'narrow-mindedness' of humans, who criticize others but are unaware that they are included in that criticism.

私については、これが"事実"であったことは、すでに確認済みです。

As for me, I have already confirmed that this was the “fact.”

(↑クリックでコラムに飛びます)

(Click to go to the column)

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そろそろ、私たちは発想を変えるべきじゃないでしょうか。

I think it's time we changed our way of thinking.

『私たちは、だれもが、ハラスメントの発生装置である』という自覚です。

We must be aware that we are all potential sources of harassment.

そして、『私たちが、ハラスメントを発生させることは避けられない』という諦めです。

And it is the resignation that 'we will inevitably cause harassment.'

なぜ、避けられないかというと、『社会そのものが、ハラスメントを内包して動くエンジンだから』です。

It is inevitable because 'society itself is an engine that operates by incorporating harassment.'

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私の経験上、

In my experience,

■『私の会社はホワイトだよ』といっている同僚/上司は、会社をブラックしている当事者である

The colleague/boss who says, “My company is white,” is the one who is making the company black.

■『我が学校にはイジメはない』といっている学校では、100%イジメが発生していて、それは内容は相当に悪質/陰湿である

In schools that say, “There is no bullying at our school,” 100% of the time, bullying occurs, and the content is quite malicious and insidious.

■「パワハラ、セクハラに関する窓口」を設置している組織で、「そのような報告がない/少ない」とか言っている会社は、組織として末期状態である

Companies that say things like “we don't have any reports of such cases/there are few reports of such cases” when they have a “contact point for power harassment/sexual harassment” in place are in a terminal state as an organization.

と言えます。

「ハラスメントは、いついかなる時にでも、絶対に存在する」という前提の元に、組織がそれを炙り出して、見つけ出し、(なんなら、ノルマとしてその事実を提出させる、というくらいのことをして、はじめて「ハラスメント対策」をしていると言えると思います。

Based on the premise that “harassment exists at all times and in all places”, I think that an organization can be said to be taking measures against harassment only when it has identified and exposed it (and, if necessary, made it a requirement to submit evidence of this).

『ハラスメントの報告がない』とか言っている会社は、『我が社はハラスメントの巣窟です』と自白しているのと同じです。

A company that says things like “We have no reports of harassment” is admitting that “our company is a hotbed of harassment.”

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そもそも、『ハラスメントの被害者から、ハラスメントの報告をしてくる』という発想が、"バカ"、"低能"、"阿呆"としか言いようがない。

To begin with, the idea that “victims of harassment report harassment” can only be described as “stupid”, “low-level” or “idiotic”.

『ハラスメントの被害者は、ハラスメントの報告すらできない状況にまで、ハラスメントの被害を受けている』と考えるのが当然です。

It is only natural to think that 'victims of harassment are suffering from harassment to the extent that they cannot even report it.'

逆に、ハラスメントの加害者は、ハラスメントの「ハ」の字も認識できていません。

On the other hand, the perpetrators of harassment are unable to recognize even the first character of "H."

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まず、会社は、全社員に対して、

First, the company should start by asking all employees to submit

―― 私のこれまでのハラスメント加害の履歴書

"A resume of my history of harassment”

の提出から着手すべきでしょう。

で、『報告すべきことがない』といってくる社員に対しては、「そんはハズあるか!」と圧迫面接を実施します。

If an employee says, “There is nothing to report,” we will conduct a pressure interview with the employee, saying, “How can that be?

いわゆる、『対ハラスメント対応ハラスメント』です。

It is what is called “harassment in response to harassment.”

分かりますよね。

You understand, right?

これが、『社会というものが、ハラスメントを内包して動くエンジン』ということです。

I mean that society is an engine that runs based on internalized harassment.

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「ハラスメントの一掃」とか言う、バカな理想を吐いていないで、「ハラスメントは、常に発生するものなので、それを、どうやって最小化していくか」という現実論にシフトしないとダメです。

Instead of spouting stupid ideals like “eliminating harassment,” we need to shift to a more realistic approach of “harassment is something that will always occur, so how do we minimize it?”.

つまるところ、(何度も言ってきましたが)『私たちは、生きているだけで加害者』という認識からスタートしなければなりません。

Ultimately, we have to start by recognizing that (as I have often said) “we are all perpetrators just by being alive.”

ですので、私は『生きているだけで加害者』という意識を持たなければ、と思っています ―― かなり多くの場合、忘れていますが。