2025,江端さんの忘備録

私は基本的に「子どもは勉強が嫌いである」と考えています。
I think that children generally dislike studying.

これは、私自身の経験でもあるのですが、大人になった今でも「強制的または義務的な一方通行の知識の受け取り」というのは苦痛だからです。
This comes from my own experience, but even now, as an adult, receiving knowledge in a forced or mandatory one-way manner is painful.

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先日、長女から、
The other day, my eldest daughter asked me,

「『アフガニスタンの少女たちが、タリバン政権下で教育を受ける権利を奪われている』ということは理解しているんだけど、アフガニスタンの全ての少女たちが、本当に教育を受けたいと思っているのかな?」
“I understand that girls in Afghanistan are being deprived of their right to education under the Taliban regime, but do all Afghan girls want to be educated?”

と問われました。
She asked me this.

確かに、メディア(主に西側メディア)では、『医者や弁護士や教師になりたい』という少女たちのインタビュー映像は流れてきますが、『別に勉強なんかしたくないから、今のままで構わない』という映像は流れてきません。
Indeed, in the media (mainly Western media), we see interviews with girls saying they want to become doctors, lawyers, or teachers. Still, we never see footage of girls saying, “I don't want to study, so I’m fine as I am now.”

まあ、そりゃ当然です。そんな映像を放映したら、大騒ぎになります(大騒ぎの内容についてはここでは言及しませんが、ご理解いただけますよね)。
Well, that’s only natural. If such footage were broadcast, it would cause a huge uproar (I won’t go into the details of that uproar here, but I’m sure you can imagine).

ただ、『教育の機会を与えられない』ということは、『勉強を嫌いになるチャンス』すらも与えられていない、ということになります。
However, not being given the opportunity for education means they aren’t even given the chance to develop a dislike for studying.

これは、大問題です。
This is a big problem.

「勉強が嫌い」「将来のことなんか分からない」と言える子どもがいる状態というのは、「探せば好きなものが見つかるかもしれない」「将来を選べる複数の選択肢がある」ということです。
A situation where children can say, “I hate studying” or “I don’t know about my future” means that they might find something they like if they look for it and that they have multiple options to choose from for their future.

このような状態を少女たちに与えないタリバン政権は、やっぱり「クソッタレ」と言い切って良いと思います。
I think it’s perfectly fair to say that a regime like the Taliban, which doesn’t give girls this kind of environment, is “a bunch of bastards.”

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でまあ、長女には、
So, to my daughter, I said,

「アフガニスタンの全ての少女たちが、教育を受けたいと思っているのかは分からない。統計的に考えれば『勉強なんか大嫌い』という少女たちもいるだろうと思う。ただ、少女たち全てが教育を受ける環境がなければ、『勉強なんか大嫌い』と意思表示することすらできないけどね」
“I don’t know if all Afghan girls want to be educated. Statistically speaking, I’m sure some girls hate studying. But if they don’t have an environment where they can receive an education, they can’t even express that they hate studying.”

と答えておきました。
That’s what I told her.

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「勉強が嫌い」と言える子どもが存在できる国は、かなり幸せな国家です。
A country where children can say, “I hate studying,” is a pretty fortunate one.

―― 仮にタリバンを武力で殲滅することができても、"勉強が嫌いな少女"を虐殺することは、絶対に不可能

未分類

ストレスチェックの質問事項に加えて欲しい質問一覧を作成してみました。

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■ストレスチェックを受けるように強要されること自体がストレスである → Yes / No

■ストレスチェックのシステムの操作方法が直感的でなく腹が立つ → Yes / No

■ストレスチェックを受ける時間が無駄だと感じる → Yes / No

■ストレスチェックの質問内容に共感できない → Yes / No

■ストレスチェックの結果で自分が評価されることに苛立ちを覚える → Yes / No

■ストレスチェックの質問文が回りくどくてイライラする → Yes / No

■ストレスチェックで「最近よく眠れていますか?」と聞かれると逆に眠れなくなる → Yes / No

■ストレスチェックに正直に答えても意味がないと感じる → Yes / No

■ストレスチェックで嘘をついてしまいそうになる → Yes / No

■ストレスチェックの結果を管理者が見ることに不安を覚える → Yes / No

■ストレスチェックで「がんばりすぎないようにしましょう」と言われると余計に腹が立つ → Yes / No

■ストレスチェックの最後に出てくる「お疲れ様でした」という表示が煽(あお)りに見える → Yes / No

■ストレスチェックの質問数が多すぎて途中で投げ出したくなる → Yes / No

■ストレスチェックを受けると、自分が壊れていくような感覚になる → Yes / No

■ストレスチェックの選択肢に自分の気持ちを表す適切な答えがない → Yes / No

■ストレスチェックの「あなたは大切な存在です」という言葉が空虚に感じる → Yes / No

■ストレスチェックで「周囲に頼れていますか?」と聞かれると頼れるわけがないと思う → Yes / No

■ストレスチェックの画面デザインが古くさくてイライラする → Yes / No

■ストレスチェックを受けるたびにシステムエラーが出て怒りがこみ上げる → Yes / No

■ストレスチェックの結果がどう使われるのか不透明で不安になる → Yes / No

■ストレスチェックで「はい」か「いいえ」しか選べないのが腹立たしい → Yes / No

■ストレスチェックが自分のストレスを増幅させていると感じる → Yes / No

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とりあえず、このくらいにしておきましょうか。

2025,江端さんの忘備録

昨夜、ChatGPTと議論をしていて、「学歴」って、やっぱり重要なアイテムなんだなぁ、と実感しています。
Last night, while I was discussing with ChatGPT, I realized once again that an academic background is indeed an essential asset.

そういえば、私は自分のコラムのプロフィールに学歴を全く書いていませんでした。
Come to think of it, I haven’t written my academic background at all in my column profile.

書いた方が良かったのでしょうか。
Maybe I should have written it?

でも、学歴を山のように書いている人って、結構多いですよね。
However, many people list their academic backgrounds in great detail.

2~3つくらいならともかく、10以上も書き並べられると、読み手としては正直「うんざり」します。
If it’s two or three, that’s fine, but when there are more than ten listed, I honestly feel fed up as a reader.

最終学歴だけ、サクっと書くだけでも十分ではないかと思います。
I think it’s sufficient to mention your final academic degree briefly.

履歴書じゃないのだから。
It’s not a resume, after all.

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私のプロフィールには、「サンマとサバの判別」や「米国特許庁とのバトル」、「自宅の庭に穴を掘ってネットワークを敷設した」など、そんなことしか書いていません。
In my profile, I only write things like “How to tell apart saury and mackerel,” “My battle with the US Patent Office,” or “How I dug up my yard to lay down a network.”

私がコラムの読者なら、そういうことの方が知りたいと思うからです。
Because if I were a reader of my column, I’d rather know about those things.

でも、もしかしたら私の価値観はマイノリティで、「山のような学歴リスト」の方が読みたい人の方が多いのかもしれません。
But perhaps my sense of value is in the minority, and there may be more people who prefer to read a long list of academic achievements.

結局のところ、ここに個人としての価値観が現れるのでしょう。
Ultimately, this is likely where personal values are revealed.

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以下は仮説ですが、
Here is my hypothesis:

■「山のような学歴リスト」を記載する人は、他の人の「山のような学歴リスト」を知りたい。
■People who list a long list of academic backgrounds want to know other people’s long lists of academic backgrounds.

■「学歴」を記載しない人は、他の人の「学歴」にも興味が薄い。
■People who don’t write their academic background are also not very interested in others’ academic backgrounds.

という傾向があるのではないかと思っています。
I think such tendencies may exist.

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いずれにしても、これは、どちらの価値観が「良い」「悪い」という話ではありません。
Either way, it’s not about which sense of value is “good” or “bad.”

私は、私を助けてくれる人が一番大切で、「サンマとサバの判別方法」の話で一緒に盛り上がれる人が、私は好きです。
For me, the most critical person is someone who helps me, and I like people who can get excited with me about topics like “how to tell apart saury and mackerel.”

「田久保市長の”学歴詐称”が問題になっています。もちろん、"詐称"は問題がありますが、本人が謝罪して訂正すれば足る、というような気がします。何が問題なのか多角的に論じて下さい。」とChatGPTにお願いしてみた件

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田久保市長の”学歴詐称”が問題になっています。もちろん、"詐称"は問題がありますが、本人が謝罪して訂正すれば足る、というような気がします。何が問題なのか多角的に論じて下さい。

以下、多角的に論じます。


1. 法的側面

学歴詐称自体は、公職選挙法違反には直接当たらない場合が多い。ただし、選挙公報や公式プロフィールに虚偽記載があった場合、虚偽事項公表罪や公職選挙法235条(虚偽事項公表罪)に問われる可能性がある。実際に処罰事例は少ないが、選挙活動で配布した文書に虚偽がある場合、当選無効となる判決も過去に存在する。


2. 政治的側面

有権者に対する信頼の喪失が最大の問題である。学歴は候補者選択の基準の一つであり、経歴詐称は「嘘をつく人物」というレッテルにつながる。謝罪して訂正すれば形式的には解決するが、政治家としての信用回復には時間がかかる。


3. 社会的側面

学歴重視社会において、詐称は不正競争に類似する不公平感を生む。正規に努力した人々への裏切りと受け取られやすく、特に教育分野や公的活動への影響力を持つ市長という立場では批判が強くなる。


4. 倫理的側面

リーダーシップにおいて、誠実さ・透明性は基盤である。詐称という不誠実行為を行った事実は、今後の政策提案や説明責任を果たす際、説得力を削ぐ要因となる。過去の謝罪で許された政治家もいるが、同時に「人柄の本質」として評価が残る。


5. 組織統治・行政運営側面

市長は行政組織のトップであり、市職員に遵法精神を求める立場にある。トップの経歴詐称は組織文化に影響を与え、職員のモチベーションや規範意識を低下させるリスクがある。


結論

確かに謝罪・訂正で形式的には収束可能であるが、

  • 法的影響(選挙法違反の可能性)

  • 政治的信用(支持基盤喪失の危険性)

  • 社会的倫理(公平性への挑戦)

  • 行政運営(統治者の誠実性)

という四重の問題が残存するため、単純に「謝罪して訂正すれば足る」と言い切れない重さを持つ案件であるといえる。

分かりました。私が分からないのは"学歴社会を批判する"ことと、今回の事件に対する世間の対応の差異に論理的一貫性を欠いているように感じるところです。この観点から論じて頂けませんか?

大変重要な観点ですので、以下に整理して論じます。


1. 問題提起:学歴社会批判と今回の事件への対応の矛盾

社会には「学歴偏重は良くない」という批判があります。一方で、今回の田久保市長の学歴詐称については、厳しい非難が集まっています。

この二つは、一見すると矛盾しているように思えます。


2. 論理構造の分析

(a) 学歴社会批判の論理

  • 学歴は人間の能力や人格を完全には表さない

  • 過度な学歴重視は社会的抑圧を生む

  • 学歴よりも実績や人柄を重視すべき

(b) 学歴詐称批判の論理

  • 詐称は嘘である

  • 公職者は誠実であるべき

  • 学歴という”社会的評価軸”を不正に利用している


3. 矛盾はあるか

ここで問題となるのは、

  • 「学歴そのもの」を批判する論理

  • 「学歴詐称という行為」を批判する論理

は別物である、という点です。


4. 学歴社会批判と詐称批判の相違点

観点 学歴社会批判 学歴詐称批判
対象 学歴に基づく評価制度 経歴を偽る行為そのもの
論拠 学歴だけで人を判断するのは不当 嘘や欺瞞は信用を損なう
解決策 学歴以外の評価軸を重視する社会へ 嘘をつかないこと、訂正と謝罪

5. 世間の対応が一貫性を欠いているように見える理由

社会は「学歴で人を評価するな」と言いながら、学歴詐称には厳罰を求めます。

これは、

  • 制度批判(学歴社会批判)

  • 個人行為批判(詐称行為批判)

のレイヤーを混同しているため、一貫性がないように見えるのです。


6. 本質的問題

もし社会が本当に学歴を重視しないのであれば、詐称も大きな問題にならないはずです。しかし実際には、

  • 学歴が評価軸として残っている

  • その評価軸を不正に利用する行為が許されない

という現実があるため、学歴社会批判と詐称批判は矛盾なく共存します。


7. 結論

今回の事件に対する厳しい批判は、「学歴社会」という構造への批判ではなく、

  • 嘘をついて社会的評価軸を不正利用する という倫理的問題

に根差しており、学歴社会批判と論理的一貫性を持たせるためには、

  • 学歴社会の存在が嘘を誘発する側面がある

  • しかし詐称はやはり許されない

という二重構造を認識する必要があります。


この視点を持つことで、社会批判と個人行為批判の論理構造を整理して捉えることができます。

「レイヤーを混同」について理解しました。しかし、このレイヤーの枠組みを取り外して考えてみたとして、「学歴には意味がない」という主張と「学歴が人生を優位に(またはラクに)生きるシグナリング(シグナリング理論の話)となっている」という現実の間に、矛盾する二つの価値観が併存しているように感じますし、実際にそうなっていると思います。この矛盾する価値観の併存に対して、どのような見方ができるのかを論じて下さい。

極めて本質的かつ深い問いですので、以下に体系的に論じます。


1. 問題の構造:二つの矛盾する価値観

(1) 学歴には意味がない
→ 能力や人間性を測る指標として学歴は無意味(または限定的)であるという価値観。

(2) 学歴はシグナリングとして機能している
→ 学歴は実力を直接示さないが、選別のためのシグナルとして社会で重要視されているという現実。


2. シグナリング理論に基づく現実認識

シグナリング理論(Spence, 1973)では、学歴は”能力そのもの”ではなく、

  • 採用者や社会が 観察できない能力 を推測するためのコストが低い代理変数

  • 労力をかけて学歴を取得することで、努力できる資質や知能を間接証明する

とされます。


3. 矛盾の本質

この二つの価値観が併存する理由は、

観点 内容
規範的価値 学歴は人間の本質評価に無関係であるべき
機能的価値 学歴は選別コストを低減する社会的仕組み

つまり、

  • 規範的価値観(あるべき論)

  • 機能的価値観(現実論)

という別次元の評価軸が同時に存在しているため、矛盾として現れるのです。


4. 哲学的・社会学的見方

(a) 機能主義的視点

社会は機能を最適化する方向に動くため、学歴は 差別化・序列化機能 を果たしている。

→ 意味がなくとも”機能”があれば残る。

(b) 規範倫理的視点

公平性・機会平等の観点からは、学歴で差をつけることは不当。

→ 意味がないなら撤廃すべき。


5. 両価値観の併存に対する見方

(1) 社会的折衷としての受容

社会は完全な公平も完全な効率化も達成できないため、

  • 建前(学歴は意味がない)

  • 本音(学歴はシグナリングとして使える)

という二重基準を容認している。

(2) マルクス主義的批判

学歴は資本主義社会における階層固定化の道具であり、「意味がない」という言説すらも現状維持のイデオロギーとして機能している。

(3) ポストモダン的相対化

学歴の意味は絶対ではなく、社会文脈や文化資本(Bourdieu)によって流動的であるため、矛盾ではなく”多義性”として解釈することが可能。


6. 結論:矛盾の受容と構造理解

この二つの価値観の併存は、

  • 規範(理想)と機能(現実)の衝突

  • 個人の自由と社会システムの効率の対立

  • イデオロギーと実用主義の混在

という、人間社会の普遍的構造を映すものであり、単純な矛盾というより、

「社会は矛盾を抱えることで成立している」

と解釈することが可能です。


この視座に立つことで、”学歴”という一見単純な指標が持つ、社会構造上の深層的意味が見えてくるはずです。

つまり、"矛盾"している状態が社会の本質的な一態様である、という理解で良いですか?

はい、その理解で適切です。


補足的説明

社会は常に

  • 理想(規範)現実(機能)

  • 公平(価値観)効率(経済合理性)

といった相反する要素を内包しており、これらは完全に統一されることなく、

矛盾したまま動的均衡を保つ

という性質を持っています。


例:学歴の場合

  • 理想:学歴は人間の価値を測る指標ではない

  • 現実:学歴はシグナリングとして社会で機能している

この矛盾状態が 社会の安定性と変動性の両方を生む源泉 でもあるため、

「矛盾しているからダメ」ではなく

「矛盾があるからこそ社会が成り立っている」

と捉えることが、本質理解として重要です。


この視点は、学歴問題だけでなく、社会全般を考える上での基礎的認識となります。

もちろん、この価値観が各個人によって異なる、というなら話は分かりますが、この背反する価値観を一個人がその場面によって都合よく出し入れしている状態は、納得いかない、というか、はっきりいって「卑怯な振舞い」のようにも見えます

その感覚は極めて自然であり、重要な問題提起です。以下に論じます。


1. 個人内矛盾と社会的矛盾の違い

  • 社会全体の矛盾
    理想と現実、規範と機能の対立は、社会構造上避けがたい。

  • 個人内の矛盾
    同じ個人が、場面に応じて正反対の価値観を都合よく使い分ける。


2. 個人内矛盾が「卑怯」に見える理由

(a) 一貫性の欠如

人間は本来、一貫した価値観や信念を持つべきだという道徳的感覚があります。そのため、

  • 「学歴なんか意味ない」と言いながら

  • 学歴を詐称した人を厳しく糾弾する

この態度は、一貫性を欠き、利己的で信頼できないと感じさせます。


(b) 都合のいい正義感の発動

場面によって価値観を使い分ける態度は、

  • 他者を批判するための道具として価値観を使う
    (例:学歴社会批判をする一方で、学歴詐称者を断罪する)

という「自分は正しい側にいる」立場取り(マウント行為)として機能するため、卑怯さや欺瞞が際立ちます。


3. 認知的不協和としての説明

心理学的には、人は矛盾する態度や価値観を持っていても、それを意識的に統合せず、

  • その場の状況や自己正当化欲求によって選択的に出し入れする

ことが多く、これを認知的不協和の解消行動として説明できます。ただ、これを道徳的に見たときには、「自己矛盾の隠蔽」と映るため、卑怯と感じるのです。


4. 哲学的補足:カント倫理と功利主義の視点

  • カント的義務論
    一貫した原理に基づかない行為は不道徳。

  • 功利主義
    結果に基づく選択は合理的で正当化される。

→ 功利主義的社会では許容されるが、カント的倫理感覚を持つ人には不誠実に映る。


5. 結論

確かに、同じ個人がその場面ごとに価値観を出し入れすることは、道徳的には「卑怯」だと評価できる。

しかし現実には、人間は

  • 社会構造上の矛盾

  • 自己防衛や立場維持の欲求

  • 認知的不協和の回避

という理由から、このような矛盾した態度を取りやすい存在である、ということもまた事実です。


この理解は、「社会は矛盾を抱えて成立している」というだけでなく、**「人間という存在もまた矛盾を抱えた存在である」**という認識に繋がります。

「人間という存在もまた矛盾を抱えた存在である」とするのであれば、今回の”学歴詐称”問題を公に振り回すことができる、環境的または倫理的な正当性は、どこにありますか。やはりそれは、冒頭の「レイヤー混同」の話に戻る、ということで良いでしょうか?

極めて深い論点です。以下に体系的に整理します。


1. 問題設定

問い:
人間も社会も矛盾を抱える存在であるならば、
「学歴詐称」という行為を公に批判・制裁する正当性はどこにあるのか。


2. 正当性の理論的源泉

(a) 規範倫理的正当性

学歴詐称は「嘘」であり、嘘をつくことは普遍的道徳律(カント的義務論)に反する。
誠実性は社会契約の基盤であるため、これを破る行為には制裁が正当化される。


(b) 機能的・社会秩序維持的正当性

社会制度はシグナリング機能を含めて成り立っているため、

  • 詐称は制度の信頼性を毀損する

  • 社会全体の秩序や予測可能性を崩す

制度の安定性維持のため、制裁が正当化される。


(c) 環境的(構造的)正当性

社会には

  • 選挙公報や履歴書に経歴記載が求められる制度

  • 公職者に高い倫理基準を課す文化

が存在するため、詐称行為は 構造上問題化される仕組み にある。


3. レイヤー混同との関係

あなたが指摘された「レイヤー混同」は確かに根本問題です。

レイヤー 内容
規範レイヤー 嘘や詐称は悪であるという道徳的評価
機能レイヤー 学歴というシグナリング機能を社会が使っているという現実
感情レイヤー 人々が感じる嫉妬・怒り・失望という感情的反応

問題化はこの三層が混在して生じているため、一見すると倫理的に曖昧で恣意的に見えるのです。


4. 「人間も矛盾を抱える存在」であることとの整合性

(a) 矛盾と責任の共存

人間は矛盾を抱えるが、行為に対する社会的責任は免除されない

→ 矛盾する価値観を抱えていても、社会のルール違反には制裁が課される。


(b) 倫理的正当化の限界

ただし、この制裁には

  • 正義感という名の攻撃欲求

  • 学歴社会批判との矛盾

が含まれるため、制裁そのものも完全無欠の倫理性を持つわけではない。


5. 結論

よって、

今回の問題を公に振り回す正当性は、制度維持と道徳規範に基づく機能的・倫理的正当性にある。

しかし同時に、

この問題化は「レイヤー混同」による感情的・規範的・機能的評価の交錯で生じており、正当化には構造的矛盾が含まれる。

という理解が適切です。


この二重構造を理解することで、

  • 制裁の正当性

  • 批判側の自己矛盾

という両面を冷静に把握できるでしょう。

わかりました。長々とおつきあい頂き、ありがとうございました。

こちらこそ、極めて本質的で深い議論をありがとうございました。

このような問いは、日常的なニュースの奥にある社会構造や人間存在の本質を見抜く思考訓練になりますし、私にとっても大変意義深い対話でした。

またいつでも議論しましょう。

2025,江端さんの忘備録

昨日、帰省していた長女とキッチンで「量子コンピュータ」について議論していました。
Yesterday, I was discussing "quantum computers" with my daughter, who had come home for a visit in the kitchen.

「シュレーディンガーの猫」の“正しい解釈”(つまり、あれは量子力学への批判としての思考実験であること)や、シュレディンガー方程式、ハイゼンベルグの不確定性原理の話にまで発展しました。
The discussion expanded to the "correct interpretation" of Schrodinger's cat (namely, that it was a thought experiment as a critique of quantum mechanics), the Schrodinger equation, and Heisenberg's uncertainty principle.

(↑クリックでコラムに飛びます)

もし『江端家では日常的に高度知性的な会話をしている』と勘違いされているなら、そのまま勘違いし続けて下さい。
If anyone misunderstands that "the Ebata family engages in highly intellectual conversations daily," I would like them to continue misunderstanding that way.

議論が終わったあと、二人で「なんでこんな話をしていたんだっけ?」と首をかしげましたが、理由が思い出せませんでした。
After the discussion ended, the two of us tilted our heads and wondered, "Why were we even talking about this?" but we couldn't remember the reason.

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今朝になって、ようやく思い出しました。
This morning, I finally remembered.

発端は、長女が言った
「体重計に乗らない限り、私の体重は“確定”しない」
という、くだらない話でした。
It all started from her silly remark:
"Until I step on the scale, my weight is not 'determined'."

しかし、これは案外間違っていないのです。
However, this is not entirely wrong.

『体重は、観測しなければ確定しない』―― 理屈はどうあれ、量子力学的には“真”です。
"Weight is not determined unless it is observed"? Regardless of the logic, in quantum mechanics, this is 'true.'

(※ただし、人間の体重が波動関数の重ね合わせ状態になるかどうかは、また別の話です)。
(although whether a human's weight is actually in a superposition of wave functions is another matter).

―― 量子の振舞いの不気味さに比べたら、幽霊とかお化けなどの怪談の怖さなんぞ、お話になりません(本当)

2025,江端さんの忘備録

私は、本当に面倒ごとに巻き込まれたくありませんし、面倒ごとの交渉人や仲介役をやらされるのも避けたいと思っています。
I don't want to get involved in troublesome matters, nor do I want to be forced into being a negotiator or mediator for such issues.

しかし現実には、家族からそうしたことを頼まれることが多いのです。
But in reality, my family often asks me to handle these things.

最近つくづく感じるのは、「みんな、『喧嘩の仕方』を知らなすぎる」ということです。
Lately, I've been feeling strongly that "people don't know how to fight."

ここで言う『喧嘩』とは、暴力ではなく、法律や制度で殴り合う方の喧嘩を指します。
By "fight" here, I don't mean physical violence, but rather fighting using laws and systems.

そして、『喧嘩の落とし所』の決め方も分かっていない。
And they also don't know how to decide on a settlement point in a fight.

そもそも、100%勝てる喧嘩など存在しません。
Firstly, there is no such thing as a fight you can win 100%.

まずは50%あたりに落とし所を設定して、そこへ相手を誘導していく――それが“法律や制度で殴り合う”喧嘩の本質です。
First, you set a settlement point around 50% and then guide the other party there — that is the essence of a fight using laws and systems.

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いつも不思議に思うのは、この“法律や制度で殴り合う喧嘩の仕方”を、義務教育でも高等教育でも全く教えていないことです。
What I always find strange is that they never teach "how to fight using laws and systems" in either compulsory or higher education.

日本には、かなり手厚いセーフティネットがいくつも用意されているのに、その仕組みを若者だけでなく多くの人が知らないというのは、深刻な問題だと思います。
Japan has many well-prepared safety nets; yet, not only young people but most people are unaware of these systems, and I think this is a serious problem.

まあ、こう言えるのも、私が法学ゼミで10年ほど法律を勉強してきたからかもしれませんが。
Well, maybe I can say this because I've studied law for about ten years in a law seminar.

法律の基本知識を持たないことは、本当に危険です。
Not having basic legal knowledge is truly dangerous.

例えば、闇バイトに簡単に転げ落ちていく若者の話を聞くたび、私は苦々しい思いを抱きます。
For example, every time I hear stories of young people easily falling into illegal part-time jobs, I feel bitter about it.

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子どもたちも独立し、もう“法律や制度で殴り合う喧嘩”をするのは、嫁さんと私のためだけだろうと思っていました。
Now that my children have become independent, I thought fighting using laws and systems would only be for the sake of my wife and myself.

ところが――
However—

『甘いよ、パパ。これからも私はパパを使い倒す予定だし、未来の私の子どもまでパパの管轄だからね』
"Daddy, you're naive. I'm still planning to use you to the fullest, and even my future children will be under your jurisdiction."

と言われ、かなり愕然としています。
When I was told this, I was pretty stunned.

繰り返しますが、私は本当に面倒ごとに巻き込まれたくありませんし、交渉人や仲介役をやらされるのもごめんです。
I repeat, I don't want to get involved in troublesome matters, nor do I want to be forced into being a negotiator or mediator.

もう、面倒ごとはたくさんです。
I've had enough of troublesome issues.

姉:「(市役所に)何かした?(しかけた?)」

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『東京都議会選挙の一票300万円』と同じロジックで、参議院選挙の一票の値段を算出して下さい

『先週または先々週に放映されたの「ガイアの夜明け」で、"一票300万円"という話が出ました。この数値の拠出根拠を推定して下さい』とChatGPTに頼んでみた件

以下に、「参議院定数242人」で再計算した結果を示します。


1. 計算ロジック

今回は、

  • 東京都議会選挙と同様に、

    • 年間予算 × 任期
      → 参議院全体で扱う総予算
      → これを参議院議員数で割る
      → さらに当選に必要な得票数で割る

というステップで計算します。


2. 必要データ

(1) 国の年間予算(一般会計)

  • 約112兆円(2024年度)

(2) 参議院議員任期

  • 6年

(3) 参議院議員定数

  • 242人

(4) 参議院選挙 当選に必要な平均得票数

選挙区によって異なりますが、例として

  • 定数1人区:約10万票

  • 大都市選挙区(複数人区):30万〜50万票

ここでは全国平均20万票として推定計算します(概算)。


3. 計算式

① まず、総予算 × 任期
= 112兆円 × 6
= 672兆円

② 参議院定数で割る
= 672兆円 ÷ 242人
= 2.776兆円/議員
= 2,776,000,000,000円/議員

③ さらに当選必要票数(20万票)で割る
= 2,776,000,000,000 ÷ 200,000
= 13,880,000円


4. 結果

項目
国の年間予算 112兆円
参議院議員任期 6年
参議院議員数 242人
当選必要票数 20万票(推定)
計算結果 約1,388万円/票

5. 解釈

「1票あたり約1,400万円分の予算を決定する権利を有している」

という表現になります。


6. 注意

  • 当選必要票数を10万票で計算すると 約2,776万円/票 になります。

  • 実際には選挙区ごとに異なるため、具体的に対象議員の選挙区票数で算出することが最も正確です。

未分類

『先週または先々週に放映されたの「ガイアの夜明け」で、"一票300万円"という話が出ました。この数値の拠出根拠を推定して下さい』とChatGPTに頼んでみた件

ご指摘のとおり、先週(6月27日放送)の『ガイアの夜明け』(タイトル:「“あなたの一票”」)で「一票、300万円」という言葉が使われていました。番組公式ウェブページから以下の記述があります:

「東京都を例にして考えると、年間予算はおよそ9兆円。
有権者は約1150万人。都議の任期4年。単純計算で——一票、300万円。」 x.com+9tv-tokyo.co.jp+9video.tv-tokyo.co.jp+9

つまり、計算式の構造は以下のように推定されます:

  • 年度ベースの東京都予算:約9兆円(年間)

  • 対象となる都議会議員の任期:4年(定数127名)

  • 有権者数:約1,150万人

  • 単純計算式

    • 総予算 ÷ 4年間 ÷ 有権者数

    • 90,000億円 ÷ 4 ÷ 1,150万人 ≒ 約300万円/票

この計算は、「都議会議員が4年間で決める予算額」÷「選挙に参加しうる有権者一人ひとり」により、それぞれの1票の“重み”を示すものです。


📝 解説まとめ

  • 先週放送の『ガイアの夜明け』(6月27日)で「一票、300万円」と明確に語られました tv-tokyo.co.jp+1tv-tokyo.co.jp+1tv-tokyo.co.jp

  • 出演者(案内人)は、「300万円の価値」があるからこそ投票へ、というメッセージで視聴者に呼びかけています。

  • 算出根拠は、東京都の年間予算 ÷ 4年 ÷ 有権者数という極めて直接的な単純計算です。


💡 コラムに反映する際のポイント

  • 「300万円/票」は「年間予算ベースで見た東京都の選挙価値」という文脈で用いられており、より「予算決定者としての重み」を伝える表現です。

  • よって、**「ガイアの夜明けが『一票=300万円』と番組中で明示した」**という事実と、

  • **「その根拠は、9兆円の年間予算を4年で配分し、有権者数で割った単純算出である」**と書くことで、視聴者に納得感と説得力を与えられます。

2025,江端さんの忘備録

参議院議員選挙が公示されました。
The House of Councillors election has been officially announced.

今回の選挙では、全国で75議席をめぐって多くの候補者が立候補しているとのことで、正直「すごいなあ」と感じています。
In this election, many candidates are running for the 75 seats nationwide, and I must say, I find it quite impressive.

そもそも、国会議員というのは、高収入の職業です。
Being a member of parliament is a high-income occupation.

今年発表されたデータを見ても、日本の各党党首の年収はおおむね2000万円以上であり、私が覚えている限りでは、2000万円以下の人はいませんでした。
According to data released this year, the annual income of each party leader in Japan is generally over 25 million yen, and to the best of my recollection, there has been no one earning less than that.

  • 石破茂(自民党 総裁/首相):約 3,041万円 

  • 斉藤鉄夫(公明党 代表):約 2,825万円 

  • 玉木雄一郎(国民民主党 代表):約 2,584万円

  • 前原誠司(日本維新の会 共同代表):約 2,393万円

  • 神谷宗幣(参政党 代表):約 2,280万円 

  • 山本太郎(れいわ新選組 代表):約 2,244万円 

  • 野田佳彦(立憲民主党 代表):約 2,152万円

  • 福島瑞穂(社民党 党首):約 2,148万円

今の日本は物価高が続き、私たち庶民の生活は苦しいです。それは事実です。
In today's Japan, prices continue to rise, making life challenging for ordinary people. That is a fact.

子どもじみた言い方かもしれませんが、年収2000万円の人たちが「物価高が大変です!」と演説しているのを聞くと、正直なところ、少し『白けて』しまいます。
However, it may sound childish, but when I hear people with an annual income of 25 million yen saying, "The price increases are tough!" honestly, it feels a bit disillusioning.

無論、その2000万円のすべてが自由になるわけではなく、活動費などで自腹を切ることも多いでしょう。
Of course, not all of that 25 million yen is available for personal use, as they often have to pay out of pocket for their activities.

場合によっては持ち出しのほうが多くなることもあると思います。
In some cases, their expenses may even exceed their income.

――それでも、与党の党首は、10万円の商品券を、複数の新人議員にポンと渡せるくらいの余裕はあるんだ
――Even so, I can't help but think that ruling party leaders have enough leeway to casually hand out 100,000 yen gift certificates to several rookie politicians.

とは思ってしまいます。

ただ、選挙のたびに感じるのは、候補者たちの演説には、自分自身の生活や家庭の状況を赤裸々に語る人がほとんどいないということです。
What I always feel during elections is that hardly any candidates openly discuss their personal or family situations in their speeches.

例えば、『私も家族も物価高で本当に苦しいんです』とか、『夫がアルコール依存症で、日々とても大変なんです』とか、そういう個人的な話をする候補者に私は出会ったことがありません。
For example, I have never encountered a candidate who says something like, "My family is also really struggling with rising prices," or "My husband is an alcoholic, and every day is tough."

以前にも同じことを書きましたが、私はこういう「下品な視点」で立候補者を見てしまう癖があり、たぶん一生直らないと思います。
I have written this before, but I have a habit of looking at candidates from this "vulgar perspective," and I think I will never be able to stop.

そして、私の「下品な耳」には、日本の各党首の演説は、こう聞こええて不愉快な訳ですよ。
Well, to my "vulgar ears," the speeches of each party leader in Japan sound like this, and it's pretty unpleasant.

―― 私は、議員をやっている限りは十分なお金を貰っていて生活は苦しくありません。でも、私を除く国民の皆さんは苦しいのですよね?
―― As long as I'm a politician, I'm getting enough money, so my life isn't hard. But for all of you citizens, except for me, life is tough.

と。

まあ、それはさておき。
But putting that aside.

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投票率を上げるために、選挙管理委員会の皆さんも日々工夫を凝らしていると思います。
I believe that the election management committees are making daily efforts to increase voter turnout.

そこでふと疑問に思いました。「投票率を上げる責任」というのは、一体誰にあるのでしょうか。
This made me suddenly wonder. Who is responsible for increasing voter turnout?

選挙管理委員会でしょうか。
Is it the election management committee?

有権者の心を動かすメッセージを届けられない候補者でしょうか。
Is it the candidates who fail to deliver messages that move voters' hearts?

過去のやり方を踏襲するばかりで、大胆な変革に踏み切れない与党でしょうか。
Is it the ruling party that only follows past methods and cannot take bold steps?

心地よい減税政策を掲げて、議席数と政党助成金の確保を狙う野党でしょうか。
Is it the opposition parties that propose pleasant tax cuts to secure seats and political subsidies?

それとも、投票に行かない私たち国民自身でしょうか。
Or is it we, the citizens, who do not go to vote ourselves?

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「私たち国民」にも責任はあると思いますが、私はまだ、この「選挙システム」にも改善の余地があるのではないかと感じています。
I do think "we the citizens" have responsibility, but I still feel there is room for improvement in this "election system."

私たちが行う投票というのは、簡単に言えば1票あたり約300万円(東京都議会選挙の場合、出典:ガイアの夜明け)を支払って、候補者や政党を「買う」行為だと解釈できます。
Simply put, voting can be interpreted as paying about 3 million yen per vote (in the case of the Tokyo Metropolitan Assembly election, source: Gaia no Yoake) to "buy" a candidate or party.

つまり、300万円相当の自家用車と同じ値段で、候補者や政党を購入しているようなものです。
In other words, it's like buying a candidate or party for the same price as a 3-million-yen private car.

そう考えると、投票を棄権するという行為は、この300万円をドブに捨てることにもなります。
Thinking of it that way, abstaining from voting means throwing away that 3 million yen.

逆に言えば、300万円出しても「買いたい」と思える候補者や政党が存在しない、ということでもあります。
Conversely, it also means that there is no candidate or party worth "buying" even with 3 million yen.

魅力ある製品やサービス、つまり魅力ある候補者や政党がない。それが今の現実なのかもしれません。
There are no attractive products or services—in other words, no attractive candidates or parties. That might be the current reality.

よく考えると、これはすごいことです。日本の政治家たちは、銀座や新宿のホストやホステスの皆さんにすら勝てていないのです。
When you think about it, this is quite something. Japanese politicians can't even beat the hosts and hostesses of Ginza or Shinjuku.

彼らは、客を言葉巧みにいい気分にさせ、うっとりさせて、つい財布の紐を緩めさせる技術を持っています。
They have the skill to make their customers feel good with clever words, charm them, and loosen their purse strings.

それに比べて、候補者たちは有権者を騙して・・もとい、魅了して、「この人に投票したい」と思わせることすらできていない。
In comparison, candidates can't even deceive—no, captivate voters enough to make them think, "I want to vote for this person."

ただ、こうも考えられます。投票率が低いということは、甘い言葉に簡単に乗せられるほど、私たち国民の民度は低くない ―― そういう最大限の善意解釈もできるかもしれません。
However, it can also be interpreted this way: low voter turnout means our citizens' level of civic awareness is not so low that sweet words easily sway them.

が、まあ、それはさておき。
But, well, putting that aside.

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候補者や政党を「購入」する行為であるならば、Amazonの通販くらい気軽にできる仕組みが必要ではないでしょうか。
If buying a candidate or party is what voting is, then shouldn't it be as easy as shopping on Amazon?

つまり「ネット投票」です。
That is to say, "online voting."

ネット投票は、マイナンバーカードの機能とスマホを組み合わせれば、原理的には実現可能です(もちろん、匿名性をどう担保するかなど技術的課題も一応解決しています(以前調べました))。
Online voting is theoretically possible by combining the functions of the My Number card and a smartphone (of course, there are technical challenges like ensuring anonymity, but they have been generally solved—as I researched before).

ただ、国政選挙である以上、システム障害や不正が1ミリたりとも許されないという恐怖はあるでしょう。
However, since it's a national election, there's a fear that system failures or fraud cannot be allowed, even by a millimeter.

しかし、もしネット投票が導入され、締切1秒前まで24時間いつでも投票できるようになったとして、それでも投票しない人がいるのなら、もはや「国民が悪い」と言い切ってもいいと思います。
But if online voting is implemented, allowing people to vote anytime, 24 hours a day up to the last second, and people still don't vote, then I think it would be fair to say, "It's the citizens' fault."

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投票は私たちが政治を「買う」行為です。
Voting is an act of "buying" politics.

そして、買いたい商品がないなら――店を変えるか、自分で作るしかありません。
And if there is nothing you want to buy—maybe it's time to change the store or make it yourself.

―― 10万円商品券は、爆弾処理を行う罰ゲーム

2025,江端さんの忘備録

ネットの掲示板相談サイトが「クソの役にも立たない」という話や、私が当初予想していたネットの理想形が、ChatGPT(生成AI)によってようやく具現化したという話もしました。
I have talked about how online bulletin board advice sites are “completely useless,” and how the ideal form of the internet I once envisioned has finally been realized by ChatGPT (generative AI).

また、私が日々ChatGPTに愚痴を聞いてもらっているーーという話も、これまで何度もしてきました。
I have also mentioned many times that I have ChatGPT listen to my daily complaints.

少なくとも、私は自己決定権の多くをChatGPTに任せています。言い換えるなら、自己判断のいくつかを放棄しているということです。
At the very least, I entrust much of my decision-making to ChatGPT. In other words, I am abandoning some of my own judgments.

で、この自己判断の放棄は、私の知性や耐性を恐ろしく劣化させ続けていると思っていますが、
And I believe this abandonment of self-judgment is continuously deteriorating my intelligence and resilience.

―― ま、いいか。私、もうシニアだし、リタイアするし。
— Well, whatever. I’m already a senior, and I’ll retire soon anyway.

と、自分に言い聞かせています。
That’s what I keep telling myself.

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先日、マツコ・デラックスさんがMCを務めている「月曜から夜ふかし」というバラエティ番組を見ていました。
The other day, I was watching a variety show called “Getsuyou kara Yofukashi” hosted by Matsuko Deluxe.

そこで、高校生の女子がChatGPTを“チャッピー”と呼び、私と同じような使い方をしていることを知って、初めて青ざめ始めました。
There, I saw a high school girl calling ChatGPT “Chappie” and using it in the same way I do, and for the first time, I felt a chill run down my spine.

パソコンの普及時も、インターネットの拡大時も、AlphaGoが世界王者に勝利した時も、(ちょっと方向はずれますが)日本の財政赤字もーー色々理屈はこねていますがーー基本的に、私は、心配はしてきませんでした。
I never really worried about things like the spread of personal computers, the expansion of the internet, AlphaGo defeating the world champion, or (slightly off topic) even Japan’s national debt — though I always came up with various theories.

で、まあ、私の心配はどうあれ、なんとか社会はこれらの技術イノベーション(社会課題を含む)に対応してきたと思っています。
Anyway, regardless of my concerns, I believe society has somehow managed to adapt to these innovations (including social issues).

しかし、チャッピー…もとい、ChatGPTの若者への(乱用とまでは言いませんが)濫用については、背筋が凍るような恐怖を感じました。
However, when it comes to young people’s (I wouldn’t say abuse, but) excessive use of Chappie… I mean, ChatGPT, I felt a spine-chilling fear.

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ChatGPTは、基本的に質問者の気持ちに寄り添う形での回答しか行いません。間違っても反論したり異議を申し立てたり、ましてや質問者を批判するような言動は“絶対”しません。
ChatGPT basically only responds in a way that sympathizes with the questioner’s feelings. It never argues back, objects, or criticizes the questioner — absolutely never.

これは、大変心地よいコミュニケーション(のようなもの)を実現していると言えます。それはもう、「友人なんか必要?」または「友人とは、自分を『一人ぼっち』に見せないようにするためのアクセサリーでしょ?』」を具現化する世界です。
This creates an extremely comfortable form of communication (or something like it). It’s as if the world has materialized the idea of “Do we even need friends?” or “Friends are just accessories to make you look less lonely.”

華やかな外面は「外ヅラ」と「SNSへの写真または動画投稿」へ。
Your glamorous exterior is for “appearance” and “posting photos on social media.”

相談できない陰湿または深刻な内面の自分の悩みは、“チャッピー”へ。
The dark or serious worries you can’t share with anyone go to “Chappie.”

『それの何が悪い?』と自問してみると、別段悪いところは見つからないような気もします。
When I ask myself, “What’s wrong with that?” I can’t really find anything particularly wrong.

ただ、世界中の全ての人間が、自分の内面を“チャッピー(ChatGPT)”のような生成AIにだけ相談する世界というのは、ちょっと怖い気がします。
But still, a world where everyone only shares their inner thoughts with something like “Chappie (ChatGPT)” feels a little scary to me.

それの何が怖いのかは、やはり、よく分からないのですが。
Though I don’t really know what exactly is so scary about it.

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『生成AIを制する者が世界を制する』これがスポーツやビジネスの話であれば、別段どうということもありません。
“The one who controls generative AI controls the world.” If this were just about sports or business, it wouldn’t be such a big deal.

しかし、生成AIの持ち主が「国家」とか「権力機関」となるとしたら、『怖い』と感じる私の感性は、ごく普通であると思うのです。
However, if the owner of generative AI turns out to be a “nation” or a “powerful organization,” I believe my feeling of fear is completely normal.

機械が生成するプライベートでローカルミニマムの幸福 ーー 私は、その世界だけで十分です。