私は、農業、漁業、畜産業に憧れがあります。
I have a passion for agriculture, fishing, and livestock.
しかし、これらの仕事が、高度なテクノロジーと膨大なノウハウと、それを取得する膨大な時間と体力と精神力を必要とすることは、十分に分かっています。
But I know full well that these jobs require advanced technology, vast know-how, and much time, energy, and mental strength to acquire.
残念ながら、今の人生においては、この分野への再就職は不可能であろうと、諦めています。
Unfortunately, I have resigned myself to the fact that finding another job in this field would be impossible in this life.
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私は漁師に憧れがあります。
I have a longing to be a fisherman.
毎日、新鮮なお魚を食べられるというのは、素晴しい人生に思うのです。
I think it is a wonderful life to be able to eat fresh fish every day.
私は酪農家にも憧れがあります。
I also have a passion for dairy farming.
毎日、新鮮な牛乳を飲めるというのは、素晴しい人生に思うのです。
I think it is a wonderful life to drink fresh milk every day.
比して、私は、
I, on the other hand,
- うんざりするほどのパソコンとディスプレイがあり、
- I have a disgusting amount of computers and displays,
- 使い途のないメモリや周辺装置が大量にあり、
- I have tons of useless memory and peripherals,
- 高価で高度の計算を行う計算ツールを所有し
- I have expensive and sophisticated computational tools.
ております。
もしかしたら、こういう人生を「素晴しい人生」と思う人もいるかもしれません(私には信じられませんが)。
Perhaps some people consider this kind of life a "wonderful life" (I don't believe it).
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「お魚」と「牛乳」と「パソコン」が同列に論じられるかどうかは、さておき、『持っている人』が、『自分が持っているものに気がつかない』ということは、ありそうなことです。
Aside from whether "fish," "milk," and "computers" can be discussed in the same breath, it is likely that "those who have it" are "unaware of what they have."
つまり、『だれもが自分の持っていなものを羨んで、だれもが不幸になる』 ―― と。
In other words, "Everyone envies what they don't have, and everyone is unhappy.
いいですね、これ。
That's nice.
『みんな違って、みんないい』というのは、よく知られた金子みすゞさんの有名な詩の一節ですが、私は、この改編判をリリースしたいと思います。
I want to release this revised version of Misuzu Kaneko's well-known poem, "Everyone is different, everyone is good.
『みんな不幸で、みんないい』
Everybody's unhappy, everybody's good."
うん、こっちの方が、私にはしっくりくる。
Yeah, this one feels more comfortable to me.
「私と同じ気持ちの人は、少なからずいる」と推定しています。
I presume that "more than a few people feel the same way I do."
『自分のやりたいことが分からない』という方は、多分、ご自分のことを「不幸な人間」と思っているかもしれませんが ―― 『意外に、それは最高の人生なのかもしれないですよ』ということを、お伝えしたくて。