命からがら逃げてきて、今日の命を生きているのがやっとの人たちに、
電気があって、御飯が食べられて、ゆっくり寝られる人達が、
よくもまあ、あれほど簡単に、
「がんばれ」
を連発できるものだと思っています。
「かならず復興する。日本人は強い。信じている」
復興する為に、被災地の人は、がんばらなければならないのか?
アンタが信じていたら、それが一体何の役に立つというのか?
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違うだろう。
「がんばる」のは被災地の人ではない。
幸いにして被災地にいなかった人だ。
『いままで本当に大変でしたね。当面、私達にやらせて下さい。今は頑張らなくていいんですよ』
『もう帰ってこない人もいて辛いと思うけど、でも、できるだけ早く、また同じように生活できるように、私達ができることはするから。途中で逃げたりしないから』
と、なぜ言ってあげられない。
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13年前、私が被災地に入って、ほんの少し(3日間)だけボランティアで働かせて貰った時のことです。
被災地のレポートを開示したのですが、その時に貰ったリプライへの「すさまじい違和感」を今でも覚えています。
例えば、――『被災地のハザードマップを組み込んだGPSを開発して、被災地に送ってはどうか』
あるいは、―― 『通信インフラを確保する、自律型の通信中継器を開発して、提供してはどうか』
この意見は、誠に建設的かつ実用的、加えて有用な提言ではありますし、私も、被災地に出かけていかなかったら、間違いなく同じことを言っていたと思うのです。
でも違うんです。
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『違うんだ!今、本当に必要なのは、「水」「食い物」そして「屋根」だ!』
と、叫びそうになって ―― でも、黙っていましたけど。
そんなことを言ったら、誰もが萎縮してしまって、何も言わなくなってしまうと思ってしまったからです。
それは良くないことだと思いました。
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そして、残念ながら、今私が毎日書いている日記が、上記と同じような、的外れなことを言っているのだろうことを――
そして、また、命を守る為の日々を生き、また、命を賭けて闘っている最前線の多くの人を、無造作に傷つけているのだろうことを――
どこに向かって申し上げれば良いのか分からないまま、今、天を仰いで、お詫びしたい、と思っています。