先程、昼食を作るためにリビングに降りていったところ、嫁さんが、NetFlixでワールドベースボールクラッシック(WBC)を見ていました。
ベネゼエラ v.s. 日本 で、ちょうど、ベネゼエラの選手が逆転ホームランを打ったところでした。
『ベネゼエラって、あのベネゼエラだよなぁ?』
―― と、思わず口に出してしまいました。
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そういえば、ついこの前までニュースでは、ベネゼエラの大統領が米国の作戦で拘束されたとか、国外に連行されたとかいう話を見ていた気がします。国際政治のニュースでは、かなり物騒な話題として扱われていたはずです。
しかし、テレビの中では、そのベネゼエラの選手が、見事な逆転ホームランを打ってベースを回っています。スタンドは大歓声で、実況も興奮気味です。
政治ニュースで見る国名と、テレビの中でホームランを打っている国名が、頭の中でうまく結びつかないのです。
―― 政教分離ならぬ、政球分離(せいきゅうぶんり)といってもいいのかな
世界情勢とスポーツ中継というのは、どうやら、同じ国名でも、まったく別の世界の話として進行するものらしい、と思いました。
また、WBCとオリンピックやパラリンピックとも、随分な違いがあるのだなぁ、とも。
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オリンピックでは、例えばロシアのように、国家として問題があると判断された場合、国旗や国名での参加が認められなかったり、場合によっては出場自体が制限されたりします。
ところが、WBCでは、国家元首が国外に連行されるような事件があっても、その国の代表チームは普通に試合をしています。
つまり、
オリンピックは政治問題で選手の扱いが変わることがあるが、WBCでは政治問題があっても試合は普通に続く
という違いがあるようですが ―― なんか違和感がありまして。
とはいえ、政球分離(せいきゅうぶんり)は、正しいと思います。
オリンピックにあっても、政競分離(せいきょうぶんり)(政治(政)と競技(競)の分離)であることが、そもそもオリンピックの精神だったと思いますが、政治とオリンピックがベタベタなのは、今に始まったことではありません。
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この「政治とオリンピックがベタベタ」という構図は、実は今に始まった話ではありません。
例えば、日本でも経験があります。1980年のモスクワ五輪では、ソ連のアフガニスタン侵攻に対する抗議として、米国主導のボイコットに日本も参加し、結局、日本選手団は出場できませんでした。
その4年後の1984年ロサンゼルス五輪では、今度はソ連や東欧諸国が「安全上の理由」を名目に大会をボイコットしました。
さらに遡れば、1936年のベルリン五輪はナチス政権の国威発揚の舞台として利用されましたし、1968年メキシコ五輪では、アメリカの黒人選手が表彰台で人種差別への抗議を示すブラックパワー・サリュートを行いました。
1972年ミュンヘン五輪では、イスラエル選手団がパレスチナ武装組織に襲撃されるという事件まで起きています。
最近でも、ロシアの国家ドーピング問題で国旗の使用が制限されたり、ロシアのウクライナ侵攻後には参加資格そのものが議論されたりと、政治問題はオリンピックと常に絡み続けています。
つまり、
「政治とスポーツは分けるべきだ」という理念は昔から存在するものの、現実のオリンピックは、ほぼ常に政治と一緒に動いてきた
と言ってしまっても、あまり間違いではない気がします。
―― そう考えると、
WBCで普通に試合が続いている光景の方が、むしろ「本来の政競分離」に近いのかもしれない、などと、ちょっとだけ思いました。