私の人生で、あれほど怖い4日間はなかった。
- あの恐怖を味わうのは、もうご免だ。
江端智一のホームページ
私の人生で、あれほど怖い4日間はなかった。
人間失格 (まんがで読破) [文庫] 」という、太宰の「人間失格」をコミック化したものがあるようですね。
アマゾンの「なか見!検索」で、ちょっと読んでみたのですが「悪くない」。
著書とはコンテンツを楽しむものであり、その手段は何だって良いのですから。
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先日、NHKの番組で、年配の男性が「本とは、辞書を引きながら読むものだ」というような、言っていました。
私は、『阿呆なことを言っとるなぁ』と思いましたが、まあ、それを他人に押しつけなければ、それは個人の所感として自由です。
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前にも書いたかもしれませんが、「何故、勉強をするのか」という問いに対して、私の答はいつも決まっています。
「世の中の本を、全部『ドラえもんコミック』にする為」だ、と。
図書館にある本(文学、芸術、法律、理学、社会、歴史、その他なんだって)が、や、世界中にある建物、遺跡、人物、その他が、「ドラえもん」や「ワンピース」と同じように楽しめたら ――
どこにいたって、何をしていたって、人生は、どこだって「漫画喫茶」であり、「映画館」であり、「カラオケボックス」であり、そして「ディズニーランド」となるはずです。
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じゃ、お前は、今「ディズニーランド」の中にいるのか、と問われれば、
『通信パケットの挙動を突きとめて、作成した通信ドライバの最初の通信に成功した時』や、『ゼミ試験で良い点数が取れて、帰宅している時』などは、
拳をグルグル回しながら、軽やかなスキップをしてしまう様な「ウキウキ感」はあります。
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しかし『24時間いつでもディズニーランド』とするには、まだまだ勉強が必要そうです。
『「リーダーシップを張れる政治家」が望まれている』と言われ続けていますが、私は、このフレーズ、かなり嫌いです。
65年程前に、
○カリスマとリーダシップを発揮し、
○戦後の復興を見事に成しとげ、
○欧州で突出した経済力を発揮し、
○公共事業を次々と打ち出して、失業率をかつてないレベルにまで低下させ、
○軍事力の増強を図り続け、米国や周辺の大国を威嚇し、国際発言力を爆発的に向上させた、優れた政治家がいました。
アドルフ・ヒトラー
という人物です。
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尖閣諸島問題や、北方領土問題、竹島問題、米軍基地問題で、
『我が国政府が、弱腰外交をしている』
と言われていますが、そんなこと「あったり前」じゃないですか。
馬鹿じゃなかろうか。
我が国は、
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
と、国家の最高規範である憲法で規定しているのです。
ピストル持っている相手に、「俺は正しい」と素手で立ちむかえば、撃ち殺されるに決っています。
『弱腰外交』が嫌なら、憲法第9条を撤廃(×改正)し、軍隊(×自衛隊)を設立し、核武装をするような政策をぶち上げて、世論を、その方向に誘導しなければなりません。
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リーダシップを持つ政治家が、そのまま、再軍備をする政治家になる、というのは短絡すぎており、論理破綻していることは認めます。
しかし、「リーダシップを持つ政治家」というのは、恐しいリスクを持っているということくらいは、当然に認識しておくべきです。
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私は、
○平和憲法を維持し、
○弱腰外交を支持し、
○のらりくらりとその場対応を続ける政治家を支援します。
別に、かっこよくて、マッチョな国家にならなくても、良いと思うし、そういうスマートな政府も期待していません。
我が国は、ドラえもんの「のび太」の生き方に学べば良いのです。
昨年、たまたま「椿山課長の七日間」を地上波で見ました。
先日、図書館に入庫していたので文庫を借りてきて読みました。
「原作も良いなぁ」と思って、嫁さんに勧めたら、いたく感動したらしく、そのまま映画もDVDで借りて見てしまったそうです。
酷く怒ってしまっていました。
『映画が、原作の感動に遠く及ばない!』
『そうかなぁ、あの話を、よく映画として纏めれたなぁと、私は感心したけどね』と、私は応えましたが。
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えっとですね。これは単に順番の問題なのです。
◯「原作」→「映画」の順番で見ると、大抵腹が立つ。
◯「映画」→「原作」の順番でみると、概ね不満はないが、新鮮感がなくなる
これは、著者の原作の持つ力が、凄く大きいからだと思います。
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私が、娘の姿にオーバーラップさせて大号泣してしまった
「日輪の遺産」
が、映画化されており、本日、映画館にいってきました。
いい映画でした。
出演者も演出も最高。
よくここまで、原作を生かし切ってくれた。
心から感謝です。
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でもね。
やっぱり不満が残るんですよ。
『ああ、違う。ダグラス・マッカーサーは、そこは、そういう演技じゃねーんだよー!』
『最後のシーンは、そうじゃねーんだ。もっと、荘厳で、畏れで近づけないような、なんというか、その、なんちゅーんだ、違うんだーーーー』
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難しいですよね。
◯原作読まなければ、映画に行こうと思わないだろうし、
◯原作読むと、演出に不満が残るし、
著作物を愛する気持ちは、愛憎・タイミング、入り乱れて、まあ、なんというか、
そこが、面白い。
私は愛想が悪いですし、仕事をしているとき「黒いオーラ」を出していると、家族全員が証言しています。
確かに、仕事中の私に声をかけるのはリスクがあるかもしれない。
「いらんこといって怒られたら損だ」と思うのは、ある程度やむを得ないと思います。
特に、若手研究員が、古参の主任研究員にプライベートな話をすることに、躊躇があるというのも理解できます。
しかし・・・、しかしだ。
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○「時をかける少女(筒井康隆)」「無限回廊(小松左京)」「未来からのホットライン(ジェームズ・P・ホーガン」「果てしなき流れの果てに(小松左京)」「JIN(村上もとか)」、その他多数の、時空間を取り扱う著作または映画・ドラマに関して、数多くのコメントを発表してきたこと。
○私が前世紀(1999~)から、時空間に関するメッセージ通信の研究を続けてきたこと
○「過去へのメール転送」という概念の特許発明の発明者であるということ
を、知っているハズだ。
# いや、知っていなければならない。
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なのに、若手研究員の諸氏は、何故、この私に、
アニメ「シュタインズ・ゲート」
のことを教えなかったか。
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先日の深夜、偶然に第22話を見て、大パニックを起こしてしまいました。
慌てて、著作権管理の甘い隣国のビデオサーバにアクセスをして、第1話から第21話までの全話を、自宅LANのルータのLEDが凄い勢いで点滅しているのを確認しながら、パソコン4台のCPUが振り切れているのにも構わずに(実際に2台がダウンした)、突貫的に視聴を続けました。
この3日間、私の平均睡眠時間は4時間を切っています。
当然、この後、正当なルートでDVD等も入手し、家族にも視聴を強制する予定です。
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それにしても、見事だ。
ここまで周到なタイムパラドックスを考案したこと、そして、そのタイムパラドックスの解除方法をも提示していること。
そして、その解除方法が、魔法のような手段ではなく、本当に「泥臭く」「人間臭く」、そして「説得力がある」こと。
私の中では、文句なしに、最高の「時空間アニメーション」と評価できます。
# 秋葉原で登場するビル、毎週のように通っているしなぁ(事業部が入っている)
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という訳で、特に、若い皆さん。
「時空間」を取り扱うコンテンツであれば、それが何であれ、その内容、種類、メディア、公序良俗、いずれの条件にも拘束されることなく、躊躇なく私に報告して下さい。
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それはそうと、「D-mail」を発明したのは、岡部倫太郎でもなく、牧瀬紅莉栖でもありません。
私です。
しかも、「世界線を移動させることなく、過去にメールを送れる」という、優れた効果もあります。
実に、勉強になる本でした。
一言で纏めると、
『「改革」は、そのもの自体が「失敗」と同義である』
という内容のショッキングな本です。
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ポイントは、「合理的に失敗」という点にあります。
「懈怠するから失敗する」のではなく、
「最善を尽くすから失敗する」という現実です。
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太平洋戦争で、どう考えても不合理としか思えない、
「戦艦大和の沖縄特攻作戦」
「神風特攻隊」
これらが、実際のところ、何の効果もないことを、その作戦立案者や意思決定者の全員が完全に理解していながら、それでも、これらの「特攻作戦」は、彼らにとって極めて合理的な意思決定であった、という事実。
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1万人の食中毒者をいう前代未聞の雪印事件、6万5千件の事故報告を揉み消した三菱自動車事件も、合理的な判断が行わた結果であったという事実。
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そして人望のあるリーダーの改革が、その人脈としがらみの為、ほぼ確実に失敗するという事実。
すなわち、改革を実施するものは、人望があってはならないという事実。
それは、
◯社員の半分を、即座に解雇することができる冷酷は意思決定が可能で、
◯常日頃から希薄な人間関係を常とし、
◯組織への帰属感が絶無で、
◯「愛社精神」という語彙を持っていない
そのような人間だけが、改革を実施できるという事実。
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やっと、この私が、「改革」の表舞台に出る時が来たようです。
中学1年と小学3年の二人の娘達の自由研究に、今年初めて、私は、
「一切、手を出さない」
という方針を、貫き通しました。
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理由は2つあります。
(1)研究のプロ(私のこと)の手を借りることなく、自力でどれくらいの研究を成し遂げうるかを、客観的に確認する為。
私は、これまでの夏の全てで、ずっと手を貸してきたので、彼女らの実力(研究力)を知らないのです。
(2)このまま手を貸し続けたら、恐しい未来が待っているから。
最近、大学生の親が、教授に対してクレームをしているそうです。
なんでも、「課題の内容が難しいので、もっと簡単にしてくれ」というクレームだそうです。
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何のことか分からないでしょう?
私も分からなかったんです。
娘や息子の大学のレポートを親が代筆していて、その親が、課題の内容が難しくて、レポートが作成できない、と文句を言っているのだそうです。
大学に合格する程度の学力はあっても、自分でレポートを構成する力がない。
で、親に泣きつく、という訳です。
これが冗談ではなく、そして、レアケースでもないらしい、ということに、私は、心底恐怖を覚えました。
このまま、私が自由研究に手を差し延べれば、間違いなく、「レポートすら構成できない人間を、二人作ってしまう」
と。
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レポートとは、
「起承転結の創作小説」であり、
「客観性を条件とした自己主張」であり、
「他人を説得する武器」です。
レポートも書けないような人間が、どの世界であれ、必要とされる訳がない。
少くとも私は、そんな奴、部下にはいらない。
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そのような訳で、今回は、私は全てオブザーバとなっていました。
求められれば、アドバイスはしましたが、レポートの構成を教えたり、実験の結論を誘導することは、止めました。
事実、次女の実験結果は、「エネルギー保存法則」に反しており、誤認に基づく結論となってしまったのですが、私は、敢えてそれを「看過」することにしました。
研究の結果よりは、今は、レポートを最後まで書き切る力を伸ばすことの方が、はるかに重要だ、と考えたからです。
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でも、嫁さんの顔色が悪い。
凄い憂鬱そうです。
研究の考察が、
「いろいろなことが分った」
「これからも、もっと色々な研究をやっていきたい」
では、無理もありません。
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嫁さん;『これって、考察と呼ぶものなの』
私:『うん、感想にすらなっていない』
嫁さんは、『書き直しさせる』と言っていました。
我が家には、
「携帯電話を紛失した場合、その紛失に気がついた時点で報告すれば、その過失を絶対に叱責しない」
というルールがあります。
私が制定したルールです。
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これは、「携帯電話を紛失した」ことで、子ども達が「叱られる」ことを恐れ、親に報告せずに、自力で見つけ出そうとすることによって、対応が遅れることを防止する為です。
携帯電話は、自分のみならず他の人のプライバシー情報を、たんまりと含んでいる情報端末です。
無断使用による課金くらいですめば足りますが、他の人の情報が悪用された場合、その被害は図り知れないものになります。
紛失した場合には、その携帯電話を無効にして、また遠隔処理で携帯電話をロックしてしまうこともできます。
が、子どもは、そこまで思いが至らない。
当然、親に叱られることを回避する為、「見つかる方に賭ける」ことになるのです。
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思い出しましょう。
○2000年夏、雪印は食中毒発生後、組織的隠蔽を行い、被害を拡大させるという事件を起こしました。
事件発生後、雪印が公表してきた一連の事実が不正確であり、組織的に嘘の報告と情報を流し続け、結果的に、食中毒の被害者が
1万人を越える
という、過去最大級の食中毒事件となりました。
○三菱自動車は、リコール隠しが明かになり、1998年4月以降だけでも
6万5000件
の情報を隠蔽し、運輸省に届けずに、内密に車を修理し続け、人身事故を含む重大事故を幾つも起しました。
○動燃は、1997年3月11日(震災より14年も前の話)、茨城県東海村にある動燃再処理工場で爆発事を発生させました。
敷地の外にまでプルトニウムなど長寿命の放射能を含めて放出された可能性が高く、その種類、量を正確に把握できないという深刻な事態になっていました。
しかし、それを隠し続け、見つかる度に謝罪するものの、また次の事故の隠蔽を続けました。
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このような優良企業が、かかる不合理を行った理由は、簡単に言えば
「見つからない方に賭け」て
「何もなかったかのように現状を維持する」ことで、
リスクコストをゼロとする可能性で、大勝負をしてしまったからです。
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我が家では、「勝負して良いこと」と「良くないこと」を分けて考えるようにしています。
子ども達には、
○「物を無くした場合、見つかる方に賭けても良い。その場合、見つかれば、お前たちの勝ちだし、見つからなければ滅茶苦茶に叱られるだろう。好きな方を選んで良い」
○「ただし、携帯電話は除く」
と言い聞かせています。
家族が実家に帰省しているので、当分の間、私が掃除・炊事・洗濯を担当することになります。
料理を作ることは、得意ではありませんが、苦でもありません。
料理を、一種の「システム構築と検証」と考えれば、それなりに楽しい。
最近、「コーラだけを使ったカレー」の実験で酷い目に会いましたが、通常の料理では、このような無謀は挑戦はしませんので、大きな失敗もありません。
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先日、本屋で「男子食堂」という雑誌を購入しました。
この雑誌のコンセプトなのか、今月号の特集なのかは忘れましたが、内容は、
「電子レンジだけで作る料理」
です。
『ほぉ、そりゃ楽で良いな』と思い購入しましたが、雑誌の中身を見てビックリしました。
肉じゃが、鶏のから揚げ、煮豚、麻婆豆腐、サバの味噌煮、ハンバーグ、カレーライス、スペアリブ、天麩羅から、プリン、ケーキに至るまで、ざっと数十メニュー全部が、全て、
「電子レンジだけで作れる」
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これだ。これで良い。
■独身者だけでなく、小学生から高齢者に至るまで、「火気」を一切使わず、最悪のケースでも、食材がレンジの中で破裂する程度の、絶対安全料理方法。
■調理器具と食器が完全一体化し、必要な人数分だけを正確に調理し、加熱調理用の油が一切不要の健康低カロリー料理
■必要な処理は、食材を切り、耐熱ボール(あるいはドンブリ)に放り込み、レンジのスイッチを回す程度。
「体に悪い」と非難を浴びつつ、それでも便利な食材として使われてきた、カップラーメンの時代は、今、終焉を迎えた。
もはや、ガスレンジは勿論、プライパンでさえ、過去の遺物とされるる時代が到来したのである。
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非結婚社会、高齢化社会、夫婦共稼ぎ社会、少子化社会、これらの問題に対応する現実的な解として、私はここに、
「電子レンジ調理過程」プログラムの必修化を提言します。
今や「日本」から来たもの、というだけで、日本産の食料だけでなく、日本製の機械までもが、放射能汚染されていると世界中で認識されているようです。
世界の大きさから見ると、日本の国土の広さは「点」として認識される程度でしょう。
その「点」の中で発生した原発事故に対して、世界が「日本」から出てくるものを、十把一絡げに「汚染物質」と見なすことは、ある意味無理はないと思えます。
日本の位置を知っている人は、相当の教養人。
日本の首都は、「北京」と思っている米国人はいる。
「福島」なんて場所、絶対に知らないと思う。
我々にしても、中国の毒入り餃子事件等や、その他の汚染食料問題に関してですら、我々は、あの広大な中国大陸を「点」として見て、中国産の食べ物を忌避していましたよね。
結局は、どの国の人間も同じことをしているだけです。
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小田嶋隆は、風評被害を実に上手く表現しています。
それは、「ショートケーキのクリームの上に、一瞬ハエが乗ったケーキ」の様なものであると。
ハエが乗った直後のケーキは、概ね無害ですし、ハエが乗ったことに気がつかなければ、多分、皆、そのケーキを食べていると思います。
しかし、我々は敢えてそのケーキを食べない。
なぜなら、別のケーキを食べれば済むからです。
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理性や論理は「安全」であると知っていても、そこに「不信感」があれば、それは、ケチのついた安全(これを「安全'」と記載する)となります。
そして、我々は、その「安全'」を敢えて選ぶ冒険をしない。
なぜなら、生産者や製造者を除いて、我々には別段、不都合はないからです。
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電力会社や政府は、
○SPEEDIのシミュレーション結果を隠し、
○レベル7を隠し、
○メルトダウンを隠した
『まだ何か隠しているだろう』と考えるのは、人情だろうと思います。
我々は、政府のいう「安全'」、
つまり
「ハエが乗ったかもしれないケーキ」
を食べるには、騙され過ぎたのです。