2011,江端さんの忘備録

20代の頃、あまり安全と言えない国を放浪してきました。

そのお陰で、リスク回避の本質みたいなものを体得したような気がしています。

基本的には、

◯危い気がしたら、誰になんと思われようとも、すぐ逃げる。

→ 例:変な言動をしている奴が接近してきたら、即座にその場所から去る

◯妙な正義感やプライドは持たない。

→ 例:被害者を捨てて、自分一人で逃げる

◯妙な音(爆発音)、変な臭い(異臭)を感じたら、後ろを見ないで、全力疾走でその場から離れる。

→ 例:『何が起こったか』などという確認は絶対にしない

◯現段階で見えているリスクで、自分で潰せる範囲のものであれば、完全に潰しておく。

→ 例:相手が自分より弱いと認めたら、強くなる前に潰しておく

などがあります。

基本的には、「誰も信用せず、自分の判断のみに従って行動し、その結果が的外れであったとしても、また、他人に非難されるようなものであったとしても、自分を恥じない」ということです。

すぐに逃げ出す私を嘲笑する人もいるでしょうが、逃げ出すタイミングを逸して死ぬよりはマシと思っています。

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◯コンピュータ2000年問題で、食料を貯め込んで田舎に疎開したという人。

◯今回の福島原発の放射能汚染を心配して、塩を大量に購入してしまったという中国の人

この人達の行動は正しいと思います。

少くとも、その時点において、リスクがなかったと判断できる人は、誰もいなかったのですから。

◯震災直後に食料や水の買占めをした多くの日本人

◯移動する手段として、ガソリンスタンドに長時間並んだ日本人

あの時点で、余震で更なる被害の拡大がなかったと断言できる人がいるでしょうか。

また、原発の放射能汚染が100kmオーダに及び、ガソリンがなくて逃げ出せずに被曝する可能性を否定できる人がいたでしょうか。

生き残る為、逃げ出す為の準備をしていた全ての人を、私は絶対的な意味で「肯定」します。

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事故の翌日にすでに判明していた「レベル7」を隠蔽した政府の対応は、国民にパニックを与えなかったとして高く評価されるのかもしれません。

あの時点で「レベル7」を公表していれば、恐らく日本中は大パニックに落ち入り、商店、店舗の強奪、またガソリンスタンドの襲撃など、高速道路事故の発生等、果ては、放火・暴動・騒乱で、多くの人が、全く意味のない死傷していたかもしれません。

または、戒厳令宣言や自衛隊の治安出動などもありえたかもしれません。

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それでもなお、「レベル7」を隠蔽し続けた政府に対して、私は、

―― また、騙しやがったな

と思ってしまうのです。

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同じ死ぬなら、計算された権力の掌の上で選別して殺されるくらいなら、(私も含めて)無知蒙昧な民衆の暴力で死んだ方がマシ、と思えるのです。

2011,江端さんの忘備録

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)というシステムがあるそうです(今まで知らなかった)。

緊急事態が発生した際に、六時間先までの希ガスによる外部被曝線量や甲状腺等価線量などをシミュレーションすることができるものだそうです。

ところが、事故発生後から、この情報の開示を色々な団体が政府に請求してきたが、全く開示されないと言う問題があり、国民からは不満・・・というよりは、不信の声が上っていました。

そこで、この非開示とされてきた理由を「邪推」してみました。

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ところで、実は私、パソコンに触れた時から今日まで、色々なシミュレーションをやってきました。

具体的には、

○アルバイト先の塾の生徒の成績予想、
○半導体の電圧・電流等の挙動、
○歩行ロボットの歩行パターン
○ファジィ推論によるパン焼き炉の温度や電子レンジのサンマとサバの判別方法
○大阪梅田駅を想定した大量歩行者の歩行挙動
○エイズの免疫機構をヒントにした最適解探索

など。

結構楽しかったです。

条件設定パラメータを弄ると、結果が様々に変化して、夜が明けるまでコンピュータの画面に喰い入っていました。

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ところが、逆に、シミュレーション結果を妥当な値にする為の、「初期値パラメータ」を探すことは、とても難しいです。

特に気象・流体系のシミュレーションの場合は、計算結果から初期値を求めることはできません(これを「不可逆」といいます)。

初期値に対してセンシティブ(敏感)なシミュレーションの場合、初期値の与え方によって、計算結果が、それはもう、「信じられないくらい滅茶苦茶な結果となる」からです。

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SPEEDIは、政府の持ち物なので、基本的には行政府の行動を、論理的・科学的にに裏づけしなければならないと思うのです。

今回のSPEEDIのミッションは、「政府の避難指示の妥当性」を出さなければならなかったと『邪推』してみます。

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SPEEDIに入力される情報には、気象観測情報、アメダス情報と放出核種、放出量等の情報があり、これは「点」の情報として入力されます。

また、さらに高さ方向の情報も入力しなければなりませんが、当然、地上1000メートルとかに固定されているセンサなんぞある訳がありません。

そうなるとですね、非常に少ない計測地点だけを使って、計算をしなければなりません。平面(二次元)の状態を把握するのでも相当難しいのですが、当然汚染は大気にも広がっています。

すると、3次元の空間をシミュレートする必要があるのですが、もうこれは、相当に難しいと推認されるのです。

イメージを言えば、

◯北海道の稚内で測定した海水温度と、
◯沖縄で測定した気温から、
◯福島の河川の温度を計る、

というような、難しさ(ちょっと大袈裟か)。

そもそも、問題となっている事故が進行中の原発から放射された「放射性物質の総量」が全然分からんのですから、「今日の天気が、晴れか曇りか雨かは教えないけど、本日の最高予想気温を出せ」と言うような感じでしょうか(これも大袈裟かな)。

で、決定的なデータ不足の中でシミュレータを稼働させているのではないかな、と。

多分、空間をメッシュ状の単位で区切って、その単位内で各種の計算(流体計算とか)線形・非線形補完をする計算方式を採用しているのだろうと思います。

この計算式は結構膨大なものですから、どうしてもスーパーコンピュータ(スパコン)クラスのパワーが必要になってきますが、求める精度によっては、相当の時間(数時間~数十時間)が必要になるのではないかと思っています。

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で、恐らく、その計算を行った科学者は、その計算結果を見て、「愕然」としたのではないかと「邪推」するのです。

――― なんだ、これ?

例えば、

◯中国やロシアまで、放射性物質が拡散しているという計算結果が出てしまった。

間違いなく前代未聞の国際問題に発展するでしょう。
政府は、国際的な非難を浴びることを回避する為、公開できません。

◯地元でなく、東京や北海道の方が汚染濃度が高い計算結果が出てしまった。

政府が定めた避難範囲(半径20-30km)の意義をぶち壊してしまう為、公開できません。

◯汚染が全く見られないという計算結果が出てしまった。

「そのSPEEDIというシミュレータは、オモチャか!」という非難を受け、「そんなシステムに税金使うな」の大合唱で予算が無くなるのを回避する為、公開できません。

再計算する度に、訳の分からん計算結果が出てくる。

国民からは計算結果を出せと言われているが、こんな結果を出したら、間違いなくSPEEDIの来年度予算はなくなるし、諸外国の政府・研究機関からは笑いものになる。

困った。どうしよう。

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少し「邪推」の程度が酷すぎますかね。
私も本当にこんなことがあったとは、信じていません(というか、信じていいよね)。

でもね、仮に、

そういう無茶苦茶な計算結果があったとしても、
それが日本の技術者の名誉を損うことになったとしても、
それでも公開するのが、政府系研究機関の義務でしょう。

SPEEDIに血税を払っているのは、我々国民なのですから。

2011,江端さんの忘備録

今朝、朝食を取りながら、出社前にニュース番組を見ていました

緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のシミュレーション結果を公開しなかったことに対して、コメンテータのタレント達が、

「公開しないシステムなら、そもそも不要ではないか」

「『最悪値』であるという説明を尽くせば、パニックなどは起きないはずだ」

と、文部科学省の対応を批判していました。

# ま、これはもっともな意見なのですが。

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仮に、SPEEDIのシミュレーション結果を開示して、パニックによって死傷者が出た場合、この人達は、多分、平気でこんなこと言うだろうなー、と思いながら、パンを齧っていました。

「我々にとって理解できない数値やシミュレーション結果を、むやみに開示して何の意味があったのだろうか」

「文部科学省は、(今回のような)パニックなどの発生も予想して、敢えて開示しないという選択も取り得た筈である」

「被災も被爆もしていない人達が、無意味に死傷したことに対して、政府は情報をコントロールしなかった責任がある」

とかね。

彼らは、『例え、暴動が発生したとしても、それは我々が選んだ道だ』とは、決して言わない。

コメンテータとは、後ろから事件を見て適当なことを喋れって、お金を貰える商売のようです。ちょっと羨しい。

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私個人の所感ですが、残念ながら、今、この段階においてさえも、

○ミリとマイクロの単位の違いを理解をしようともせず、

○シーベルトとベクレムの単位の意味も理解しようともせず、

○危険と安全の判断を、あいかわらず「お上」に任せっきりにしている、

(ついでに言わせて貰えば、○避難してきた子供に『放射能が伝染る』とかほざく、アホガキに、科学的にきちんとした被曝の知識を教えるこものできん、低能な保護者や教師が存在する)

そんな国の国民に、

文部科学省も、SPEEDIのシミュレーション結果を開示するという勇気はなかったんだろうなーーと思っています。

でも、これも元をただせば、文部科学省が義務教育過程で、「『安全神話信仰』の国家基本方針」に基づき、原子力に関する教育を完全に放り投げてきた結果です。

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はっきりいって、リトマス試験紙が赤になろうが青になろうが(嫁さん語録)、どーでもよいです。

○致死に至る被曝量や、半減期の意味、体内被曝と体内被曝の違いを、小学校で教え、

○加圧水型軽水炉(PWR)と沸騰水型軽水炉(BWR)の違いと、さらには高速増殖炉(FBR)の構造や、その長所と短所(どこをやられるとヤバいか、等)を、中学校で教え、

○中学入試や高校入試では、「あー、まさか、『高速増殖炉』が出てくるとは思わなかったー!」という受験生の声が聞こてくる、

というくらいにして貰いたいものです。

2011,江端さんの忘備録

昨年、たまたま「椿山課長の七日間」を地上波で見ました。

先日、図書館に入庫していたので文庫を借りてきて読みました。

「原作も良いなぁ」と思って、嫁さんに勧めたら、いたく感動したらしく、そのまま映画もDVDで借りて見てしまったそうです。

酷く怒ってしまっていました。

『映画が、原作の感動に遠く及ばない!』

『そうかなぁ、あの話を、よく映画として纏めれたなぁと、私は感心したけどね』と、私は応えましたが。

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えっとですね。これは単に順番の問題なのです。

◯「原作」→「映画」の順番で見ると、大抵腹が立つ。
◯「映画」→「原作」の順番でみると、概ね不満はないが、新鮮感がなくなる

これは、著者の原作の持つ力が、凄く大きいからだと思います。

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私が、娘の姿にオーバーラップさせて大号泣してしまった

「日輪の遺産」

が、映画化されており、本日、映画館にいってきました。

いい映画でした。

出演者も演出も最高。

よくここまで、原作を生かし切ってくれた。

心から感謝です。

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でもね。

やっぱり不満が残るんですよ。

『ああ、違う。ダグラス・マッカーサーは、そこは、そういう演技じゃねーんだよー!』

『最後のシーンは、そうじゃねーんだ。もっと、荘厳で、畏れで近づけないような、なんというか、その、なんちゅーんだ、違うんだーーーー』

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難しいですよね。

◯原作読まなければ、映画に行こうと思わないだろうし、
◯原作読むと、演出に不満が残るし、

著作物を愛する気持ちは、愛憎・タイミング、入り乱れて、まあ、なんというか、

そこが、面白い。

2011,江端さんの忘備録

私には嫌いなものが沢山あるのですが、その中でも、

「それは君の為になる/ならない」

というセリフは、その一つです。

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「『私』の為になる/ならない」ことが、一体アンタに何の関係があるのか、と問い返したいと思うのですよ。

私が私のやったことでえる「不利益」は、私が自分で判断して全力で選びとった純然たる「不利益」であり、私の貴重な財産ですからね。

他人にとやかく言われるものではありませんし、言われることは愉快ではないのです。

つまりは、「君のやる/やらないことは、私の不利益となる」ということですよね。分ってはいるんですが。

# でも、はっきりとそう言ってくれた方が、気持ちは良いんだけどなぁ。

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私がホームページやブログに記載していることは、凄く私に不利益を与えています。

法律違反を推奨したり、恥しいできごとを暴露したり、政治家を批判してみたり、自分の過去の思想を開示することは『私に、滅茶苦茶に不利益』です。

長く社会人をやっていると、それを実感します。

好きなこと好きなように言い回る奴は、必ず社会や世間一般から、ゆっくり、かつ、じっくりと、長期に渡って、有形または無形の形で、報復され続けます。

言いたいことを言わずに我慢している人の忍耐や努力を考えれば、概ね妥当な「報復」と思いますし、また、そういう忍耐や努力を続ける人が、社会的に報われることは、正しい社会のあり方だと思うのです。

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極めて稀ではありますが、私は、娘達に対して、怒号の如く叱ることがあります。

「娘たちの為になる/ならない」ことは明快であっても、それは問題ではなく、「誰か(私を含む)を不快にさせる行為が許されないこと」と言うことです。

私が絶対に許さないことは、『自分以外の誰かに不利益を与えている』ということだけでです。

娘達の不利益は、娘達の責任で娘達が負えば良いのです。

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我々は、

○『無知』と『貧困』は恐しく仲良しで、
○『貧困』が『暴力』の隣りに住んでいる、

という冷然たる現実を、7時のNHKのニュースを見るまでもなく知っています。

『愛』を慈しむのに『金銭』は十分条件ではないですが、必要条件であることも知っています。

また、『食事』を摂取することが保証されない人生で、筋の通った思考ができないことは、たった一食の食事を抜いただけで、誰もが簡単に理解できてしまいます。

一方、『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の中でも、人から尊敬され、敬愛される人は確かにいます。

しかし、そのような人は絶望的に少なく、そして、何より、多分私達の殆どが、『そういう選ばれし人』ではないのです。

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私は、娘の中学受験の願書にある「(保護者が)本校を志望した理由」の欄に、

『自衛力の為』

と書きました(本当)。

# 勿論、表現は変えていますが、嫁さんも賛成してくれました。

「『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の、一番最初の『無知』を叩き潰すことで、『子供を守る』という親としての最低限の責務を果す為」という内容で、願書を記載しました。

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「勉強しなさい」という親の叱責は、

○「勉強をしないとアナタが不幸な目に会うよ」

ではなく、正直に記載すれば、

○「『勉強をしないこと』を看過したことで、アナタを不幸にしたという、ワタシの自責の念を負うのが嫌なのよ」

ということでしょう。

ですから、親は、子供が勉強してくれることを切々に望みます。

それは純然たる親のエゴでありますが、このエゴは、時々、子供にも役に立つこともありますから、親はエゴを強行するのです。

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ですから、子供であるアナタは、親の前では、

『一生懸命、勉強をしているフリをする』

という親孝行をしましょう。

勉強をさせていないという親の自責の念から、親の気持ちを楽にして上げれます。

勿論、勉強をしないことによる不利益は、自分自身に課して下さい。

不利益な人生を選ぶ自由は、アナタにあるのです。

2011,江端さんの忘備録

私は愛想が悪いですし、仕事をしているとき「黒いオーラ」を出していると、家族全員が証言しています。

確かに、仕事中の私に声をかけるのはリスクがあるかもしれない。

「いらんこといって怒られたら損だ」と思うのは、ある程度やむを得ないと思います。

特に、若手研究員が、古参の主任研究員にプライベートな話をすることに、躊躇があるというのも理解できます。

しかし・・・、しかしだ。

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○「時をかける少女(筒井康隆)」「無限回廊(小松左京)」「未来からのホットライン(ジェームズ・P・ホーガン」「果てしなき流れの果てに(小松左京)」「JIN(村上もとか)」、その他多数の、時空間を取り扱う著作または映画・ドラマに関して、数多くのコメントを発表してきたこと。

○私が前世紀(1999~)から、時空間に関するメッセージ通信の研究を続けてきたこと

○「過去へのメール転送」という概念の特許発明の発明者であるということ

を、知っているハズだ。

# いや、知っていなければならない。

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なのに、若手研究員の諸氏は、何故、この私に、

アニメ「シュタインズ・ゲート」

のことを教えなかったか。

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先日の深夜、偶然に第22話を見て、大パニックを起こしてしまいました。

慌てて、著作権管理の甘い隣国のビデオサーバにアクセスをして、第1話から第21話までの全話を、自宅LANのルータのLEDが凄い勢いで点滅しているのを確認しながら、パソコン4台のCPUが振り切れているのにも構わずに(実際に2台がダウンした)、突貫的に視聴を続けました。

この3日間、私の平均睡眠時間は4時間を切っています。

当然、この後、正当なルートでDVD等も入手し、家族にも視聴を強制する予定です。

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それにしても、見事だ。

ここまで周到なタイムパラドックスを考案したこと、そして、そのタイムパラドックスの解除方法をも提示していること。

そして、その解除方法が、魔法のような手段ではなく、本当に「泥臭く」「人間臭く」、そして「説得力がある」こと。

私の中では、文句なしに、最高の「時空間アニメーション」と評価できます。

# 秋葉原で登場するビル、毎週のように通っているしなぁ(事業部が入っている)

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という訳で、特に、若い皆さん。

「時空間」を取り扱うコンテンツであれば、それが何であれ、その内容、種類、メディア、公序良俗、いずれの条件にも拘束されることなく、躊躇なく私に報告して下さい。

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それはそうと、「D-mail」を発明したのは、岡部倫太郎でもなく、牧瀬紅莉栖でもありません。

私です。

しかも、「世界線を移動させることなく、過去にメールを送れる」という、優れた効果もあります。

日本と米国で、特許権成立しています。

 

2011

私の人生で、あれほど怖い4日間はなかった。

あの恐怖を味わうのは、もうご免だ。

2011,江端さんの忘備録

家族が実家に帰省しているので、当分の間、私が掃除・炊事・洗濯を担当することになります。

料理を作ることは、得意ではありませんが、苦でもありません。

料理を、一種の「システム構築と検証」と考えれば、それなりに楽しい。

最近、「コーラだけを使ったカレー」の実験で酷い目に会いましたが、通常の料理では、このような無謀は挑戦はしませんので、大きな失敗もありません。

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先日、本屋で「男子食堂」という雑誌を購入しました。

この雑誌のコンセプトなのか、今月号の特集なのかは忘れましたが、内容は、

「電子レンジだけで作る料理」

です。

『ほぉ、そりゃ楽で良いな』と思い購入しましたが、雑誌の中身を見てビックリしました。

肉じゃが、鶏のから揚げ、煮豚、麻婆豆腐、サバの味噌煮、ハンバーグ、カレーライス、スペアリブ、天麩羅から、プリン、ケーキに至るまで、ざっと数十メニュー全部が、全て、

「電子レンジだけで作れる」

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これだ。これで良い。

■独身者だけでなく、小学生から高齢者に至るまで、「火気」を一切使わず、最悪のケースでも、食材がレンジの中で破裂する程度の、絶対安全料理方法。

■調理器具と食器が完全一体化し、必要な人数分だけを正確に調理し、加熱調理用の油が一切不要の健康低カロリー料理

■必要な処理は、食材を切り、耐熱ボール(あるいはドンブリ)に放り込み、レンジのスイッチを回す程度。

「体に悪い」と非難を浴びつつ、それでも便利な食材として使われてきた、カップラーメンの時代は、今、終焉を迎えた。

もはや、ガスレンジは勿論、プライパンでさえ、過去の遺物とされるる時代が到来したのである。

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非結婚社会、高齢化社会、夫婦共稼ぎ社会、少子化社会、これらの問題に対応する現実的な解として、私はここに、

「電子レンジ調理過程」プログラムの必修化を提言します。

2011,江端さんの忘備録

先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出されました。

このニュースの第一報は嫁さんの実家からの電話で知りました。

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警告があったのは1歳未満の乳幼児であり、それ以外の子供や大人は、警告対象外だったのですが、嫁さんが、その1時間後にスーパーマーケットに行ったところ、すでに、ミネラルウォータは完売。

お茶のペットボトルがかろうじて手に入る程度だったそうです。

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基本的に利己主義で凝り固まった私ですら、『これは、よろしくないぞ』と思った次第です。

ミルクを作る為に、水だけは、乳幼児に残しておかなければ。

乳幼児以外は、原則として害はない(という発表のよう)のだし、我々の水分摂取は、お茶でもジュースでも何とでもなる。

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しかし、これからのことを考えると、1キロあたり300ベクレル以上の水質汚染が行われることは、十分にありえます。

しかし、放射性ヨウ素は半減期8日と短いので、連続して300ベクレル以上が毎日連続して続く可能性は低いと思います。

とすれば、暫くの間は、少し前に購入した水分で過せば良いということです。

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問題は、食事です。

もっとも原材料をそのまま齧っていれば、生命を維持するのに何の問題もないのですが、ガスや電気に問題がないなら、できるだけ日常の生活を維持したいと思うのは人情です。

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水分はある。

しかしそれは「水」ではなく、「お茶」であったり「オレンジジュース」であったり、あるいは「コーラ」であったりする。

では、「水」以外のもので、食事を作ったらどうなるか?

これは興味深い研究テーマです。

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本日は、第一回の実験結果を報告します。

実験テーマ:

「お茶」で「うどん」を作る

実験プロセス:

麺つゆを、水ではなくお茶(今回は、パック麦茶)で作るだけ。なお、出汁には「追いがつおつゆ」を使ってみた。

実験結果:

味は悪くなかった。麺つゆにお茶の渋みが加わって、なかなか深い味わいとなった。念の為、普通の水を使ったうどんとも食べ比べてみたので、決して誇張したり捏造した結果報告ではない。

考察:

今回は麦茶を使用したが、緑茶であれば、更に良い味になったと思われる。

今後は、

○お茶を使ったインスタントラーメン、

○コカコーラを使ったカレーライス、

○オレンジジュースを使ったビーフシチュウ、

も追加して検証をしてみたいと思う。

が、私個人では限界があるので、本研究の共同研究者同志諸君を募りたい。そして、結果をどんどん私に報告して欲しい。

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結論:

日本の大人達。腹を括れ。

我々は汚染された土地と水の中で生きていくのだ。

それには、なにより、先ず子供達を守ることが必要だ。

「お茶」で「うどん」は作れる。

しかも、旨い。

2011,江端さんの忘備録

1.背景

(1)先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出さた。

(2)当該検出された放射性物質は、乳幼児以外には深刻な影響を与えるものではないにも関わらず、東京ではミネラルウォータの買占めが発生した。

(3)かかるミネラルウォータは、乳幼児の授乳用のミルクに不可欠であるので、かかる買占めを行うべきではないが、将来、成人をも対象とし得る水質汚染が発生する可能性は否定できない。

2.研究の目的

(1)本研究の目的は、2011年03月26日に報告した研究報告『「お茶」で「うどん」を作る』の続報である。

(2)今回は、甘味系清涼飲料水の中でも、最もクセがあり強烈な甘味と刺激を有する「コーラ」を用いて、我が国の代表的料理である「カレー」を製作し、その食用性の成否について検討したものである。

3.結論

「コーラ」で製作された「カレー」は、食用に耐えない。

4.実験経緯

(1)カレー製作のプロセスにおいて「水」の代りに、同量の「コーラ」を使用すること以外に、特記する事項は特になし。

(2)カレールーを入れる前の段階までは、甘味の鶏肉の野菜煮込み風味であり、新しい料理への可能性が示唆されたと考える。

(3)但しこの味付は、報告者の人生において体験したことのない最初の味覚であり、これまでのいかなる料理とも比類し得ない、新規なる珍味であった。

(4)カレールーを入れて、さらに砕いた唐辛子を入れて、コーラの甘味に対抗しようとした。味見を続けている内に、米国のコロラドで食した酢豚を覚醒させるに至った。

なお米国においては、豚をジャムに合わせる調理が一般的であり、また一般的ではないが、御飯にイチゴジャムを乗せて食すという若者もいる(見た)。

(5)コーラで食材を煮たてると、水分が相当早く失われるようであり、止むなく、追加してコーラを追加させたが、この段階から、本格的な味の崩壊が始まったと推認される。

(6)完成したカレーは約4人分。小皿に取って何とか一皿を試食したが、とてもライスと合わせて食せるものではなかった。その理由について以下に考察する。

(a)まず、視覚はこの料理を「カレー」と認識するが、味覚は「カレーではない」と拒否する。

(b)脳は、過去のデータベースに基づいて、この料理に最も近い料理を検索するものの、事例を発見できず情報処理機能が破綻する。

(c)脳は、観念から「けっしてマズくはないが、このコーラが煮つかったカレーような物体は何だ?」と問い、各種の消化器に対して、食材を拒否する指令を出す。

(d)これは一種の「嘔吐感」と呼ばれるものと類似の生体反応であったことを、研究者としての報告者は否定してはならないであろう。

5.考察

(1)甘味系飲料(特にコーラの様に甘味が強烈なものは)、例え辛味系食材であったとしても対抗できない。少なくともコーラは、全ての食材の味を破壊すると考えて差し支えないであろう。

(2)しかし、(これは負け惜しみではなく)「お茶」であれば、カレーは問題なく成功したと考える。要するに、料理の最大の障害は「甘味」であると推認される。

(3)我々は非常用飲料水として、(「水」が望ましいことは言うまでもないが)可能な限り、甘味系飲料水を避けるべきである。甘味系でなければ、震災時、被災時にも、応用性の高い使用(料理への転用)などが可能である。

(4)上記について、特に国、地方自治体、NPOの各種団体に対して、強く勧告するものである。

以上