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官房長官が、一番最初に「ミリシーベルト」の単位を発した時の恐怖は今でも覚えていますし、「1時間当り300ミリシーベルト」が出てきた時には、本当に倒れそうになりました。

3000ミリシーベルトで人は死ぬ。

私が、原発正面玄関前(原子炉建屋ではない)に10時間立っているだけで死ぬ。

真っ青になったことを覚えています。

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それなのに、今や「1000ミリシーベルト」単位が日常的に語られている。

これは、もの凄く恐しいことだと思います。

私のイメージでは、今回の事故が人類史上の最悪の地震で発生したものでなかったとすれば、

○東京電力の社長以下、重役クラスは10回辞任し、

○内閣は20回倒れて、政権政党もなくなってしまっている、

というくらいの大惨事です。

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もうこれ以上の悪くなり事態は考えられないだろう、と思っているところに、

○建屋が水素で爆発し、

○放射能物質の放出を前提とした格納器の蒸気を大気に排出し、

○単なる保管しておいただけの使用済み核燃料が3000度近い熱で溶け出し、

○放射線の暴風圏内に突入するという命と引き換えの放水作業が行われ、

○"1000万倍"という高濃度の汚染水で作業員が被爆する

そして、

○修理したくても強烈な放射線で原子炉建屋に近づけず、その間にも燃料棒が溶解して、さらに放射線量が増えていく。

腹立たしく思っても、暴走中の原子炉をミサイルで破壊でもしようものなら、それこそ日本全土が高濃度放射能物質で汚染されるし、原子炉を運搬しようにも、その間の被爆で間違いなく死者が出る。

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私は、これまで、数多くの「原発クライシス」に関する書籍、映画、ドキュメントを見てきましたが、どれもこれも、

『我が国で、現在進行形で起きている事態以上のシナリオはどこにもなかった』

と断言できます。

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今回の福島原発事故は、想定外の津波に因るものとされています。

でも、少し考えてみたいと思います。

その「想定外」が事実であったとしても、津波は原子炉への直接の

被害は与えていないのです。

津波は、バックアップ用のディーゼル発電機とその周辺機器を無力化しただけです。

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では、私が10人くらいのテロリストを募って、3年くらいの破壊工作の訓練を受けて、福島原発に侵入してみたらどうでしょうか。

ダイナマイトで、送電塔を全部倒壊させて、ディーゼル発電機を破壊し、その後、武器で発電所を制圧して、建屋の人間を全部人質として立て籠ったら?

燃料棒溶解なんぞ待たないで、拳銃で職員を脅して、中央制御室から、燃料棒を引き上げさせてそのまま放置しておいたら?

警察の姿が視認できる度に、人質を纏めて数人くらい殺害して、原子力発電所に誰も入れないようにしたら?

勿論、テロリストである私とその同士達は、端から自分の命が助かろうという気持ちは欠片もありません。

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放射性核燃料が手がつけられなくなる前に、民間人の犠牲者を前提に、特殊部隊は、私達テロリスト全員をきちんと殲滅してくれるでしょうか。

なんか、別の福島原発事故を「創り出す」ことは、そんなに難しくないように思えます。

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残念ながら、この発想、私のオリジナルではなく、「神の火」(高村薫著)の最後のシーンから盗用しています。

この著書の中では、主人公とその友人のたった二人が、冬の夜の原発に襲撃をかけ、原子炉格納容器の蓋を開くというテロに成功します。

しかも、その緻密な計画は、読者からしても全く無理がなく、十分に現実可能な範囲にあると思えました。

このテロを防ぐには、武装した一個分隊を、日本の稼働中の原発の全てに配置しないと駄目だろう、と思えます。

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もっと話を簡単にしてみましょうか。

我が国と仲が良いとは言えない隣国が、「瀬戸際外交」を踏み越えて、日本の原子炉全部をミサイル攻撃、または空爆してきたら、どうなるのでしょうか。

血の気の引くような思いをする時間もなく、一瞬で国土と水は放射能で汚染され、(国家の存亡はどうでも良いですが)、国民の大半は生命と引き換えの被曝に晒されるのでしょうね。

知らない人も多いかと思いますが、1981年に、現実にイスラエルがイラクの原子力発電所を空爆しています(バビロン作戦)。

戦争となれば、なんでもありです。

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という訳で、私は尋ねたいのです。

今回の福島原発事故は、本当に「想定外」なのですか?

2011,江端さんの忘備録

11年前に私が調べた時は、47基だったのですが、増えていたんですね。

当時も今も、リンクの様な資料が見つけられずに困ったことを思い出しました。

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原発を放棄するか、それとも共存するかは、我々に課せられた重い課題です。
もし「共存」を選択するのであれば、私としてはいくつかの条件があります。

(1)「安全神話」の完全放棄
全てのシステムは、全て故障と制御不能を前提として作られています。
原子力発電システムにおいても、例外として取り扱わないこと。

(2)地震災害と同程度の避難訓練の実施
現行の災害の日(9月1日)とは別に、原発の日(3月11日)を設けて、原発事故を想定した避難訓練を実施すること。

(3)4年に1度程度の、県外脱出を想定とした模擬避難
数万人のエグゾダス(大脱出)と、その受け入れ体制を、少なくとも1週間程度の規模で実施すること。

(4)原子力教育の教育義務化
◯過去の原子力事故の体系的な歴史教育
◯シーベルト、ベクレム、半減期、人体に対する被曝の影響とその回避方法などの基本的知識の取得
◯ガイガーカウンター等の使用方法等の、技術的または心理的な教育を徹底すること。

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『悪魔』と共に生きていくという選択なら、『悪魔』と決別できるまでの日々を ――― それが何十年か何百年かは不明ですが ――― 生き抜く技術が必要です。
http://www.kobore.net/20110323org00m040022000p_size8.jpg

2011,江端さんの忘備録

先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出されました。

このニュースの第一報は嫁さんの実家からの電話で知りました。

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警告があったのは1歳未満の乳幼児であり、それ以外の子供や大人は、警告対象外だったのですが、嫁さんが、その1時間後にスーパーマーケットに行ったところ、すでに、ミネラルウォータは完売。

お茶のペットボトルがかろうじて手に入る程度だったそうです。

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基本的に利己主義で凝り固まった私ですら、『これは、よろしくないぞ』と思った次第です。

ミルクを作る為に、水だけは、乳幼児に残しておかなければ。

乳幼児以外は、原則として害はない(という発表のよう)のだし、我々の水分摂取は、お茶でもジュースでも何とでもなる。

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しかし、これからのことを考えると、1キロあたり300ベクレル以上の水質汚染が行われることは、十分にありえます。

しかし、放射性ヨウ素は半減期8日と短いので、連続して300ベクレル以上が毎日連続して続く可能性は低いと思います。

とすれば、暫くの間は、少し前に購入した水分で過せば良いということです。

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問題は、食事です。

もっとも原材料をそのまま齧っていれば、生命を維持するのに何の問題もないのですが、ガスや電気に問題がないなら、できるだけ日常の生活を維持したいと思うのは人情です。

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水分はある。

しかしそれは「水」ではなく、「お茶」であったり「オレンジジュース」であったり、あるいは「コーラ」であったりする。

では、「水」以外のもので、食事を作ったらどうなるか?

これは興味深い研究テーマです。

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本日は、第一回の実験結果を報告します。

実験テーマ:

「お茶」で「うどん」を作る

実験プロセス:

麺つゆを、水ではなくお茶(今回は、パック麦茶)で作るだけ。なお、出汁には「追いがつおつゆ」を使ってみた。

実験結果:

味は悪くなかった。麺つゆにお茶の渋みが加わって、なかなか深い味わいとなった。念の為、普通の水を使ったうどんとも食べ比べてみたので、決して誇張したり捏造した結果報告ではない。

考察:

今回は麦茶を使用したが、緑茶であれば、更に良い味になったと思われる。

今後は、

○お茶を使ったインスタントラーメン、

○コカコーラを使ったカレーライス、

○オレンジジュースを使ったビーフシチュウ、

も追加して検証をしてみたいと思う。

が、私個人では限界があるので、本研究の共同研究者同志諸君を募りたい。そして、結果をどんどん私に報告して欲しい。

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結論:

日本の大人達。腹を括れ。

我々は汚染された土地と水の中で生きていくのだ。

それには、なにより、先ず子供達を守ることが必要だ。

「お茶」で「うどん」は作れる。

しかも、旨い。

2011,江端さんの忘備録

昨日、食堂で同僚の方から、尋ねられました。

『江端さんに、怖いものなんてあるんですか』

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勿論、あります。

2010,江端さんの忘備録

私の昔の後僚に、

「宇宙から声が聞こえる」 → はい

と必ず応えることを信念としている者がいました。

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JMIの結果に腹を立てている各位皆さん。

どうでしょう。

他の質問はさておき、

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「宇宙から声が聞こえる」 → はい

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とするという、一つのレジスタンスをしてみませんか。

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実際に、私はGPS衛星からの信号、聞こえます。

2010,江端さんの忘備録

小学生の頃、放課の時間になると外に追い出されていました。

真夏の炎天下、真冬の小雪の吹雪の中でも例外なしです。

そして、真冬の授業開始前に、マラソンと称して、校庭を10周も走らされた日々は、「小学生」という私の人生の貴重な時代を、決定的に暗黒の時代にしてくれました。

あのマラソンなる阿呆なイベントは、小学生の私を重度の鬱病にし、不必要に風邪などの病理を招いたことは、今となっては明白な事実です。

当時の教師達か、A県の教育委員会か、なんだか分からないけど、そういう組織か法人に、損害賠償請求(民709条)を請求したいものだ、と、ふと、今日思いました。

が、すでに時効が成立していました(20年)。

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それと、今でも、給食を食べ切れない児童を、居残りさせてまで食べさせる意義が、どこにあったのかを、私は知りたいのです。

どなたか、小学校の給食が食べられなくて、栄養不足で死亡した児童がいたら教えて頂けませんか。 私は確信を持って、一人もいないだろう、と断言できます。

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クラス全員が「逆上がり」ができることで、『全員達成!』を標榜し、逆上がりができない子供を追いつめる教育をしていたA県の小学校の教育は、「愚劣」を百万回称呼しても足りないくらいの愚劣教育の極みだと断言します。

戦時中の「隣り組制度」や、日本の隣に位置する独裁国も真っ青の全体主義教育を、当時の保護者はどうして看過できたのでしょうか。

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当時の小学校とは、私には、理不尽の集大成でした。

理不尽であることを学ばせることを目的としているのであれば、その意義は十分に果せていると思います。

A県は、私の出身地です。

私がA県から離れた理由は、A県の教育に起因しています。

いずれお話します。

2010,江端さんの忘備録

ヨーロッパのプロジェクトチームが出願した、欧州広域特許の調査報告書(サーチレポート)が届きました。

私はEUの広域発明については、知見がありませんので、黙々と、日本国特許法に準じて、特許要件の精査を行うだけです。

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でもね。

ドイツ語で記載されたサーチレポートを、私にどうしろと。

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何度も繰替えしますが、私の第二言語能力は、「英語」が限界です。

中国語の拒絶理由対応の時にも書きましたが、第三外国語によるレポートは、厳に送付を禁止します。

2010,江端さんの忘備録

交通事故に巻き込まれて、ここ一月ばかり、鬱な状態にありました。
双方の主張が異なるので、紛争解決は長びきそうだということも、憂鬱の要因の一つでした。

私は、こういう不安定な状態が嫌いな性格です。『できるだけ早期に白黒付けたい』と願う方です。

振り返ってみると、時間で解決することができたようなことも、自分の手で事態を悪くしてしまったことも、不要に事件を拡大させて、結果的に解決を遅らせてしまったこともあるように思えます。
小心な小市民故の成せる業です。

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神さま。

私は、小市民として野心なく生きているのですから、面倒も最小限として下さい。
大きな面倒は、大きな野望や大きな幸福の人に持っていって下さい。

2010,江端さんの忘備録

サッカーワールドカップを見るために、会社を定時で退社したことなどはありませんし、甲子園の高校野球の中継になれば、チャンネルを替えます。

大相撲の人気がどうなろうが全然興味ないし、もし廃止となっても何も感じないだろうことに、自信があります。

夏季オリンピックには、夜の23時くらいから始まる「ダイジェスト版」が、短い時間で、結果を知ることができて、効率的という理由で好きです。

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それなのに、冬季オリンピックについては、これほどに一喜一憂する自分が不思議です。

国籍不問で、凄い滑りや演技をする選手には感動してしまうし、日本の選手がメダルに届いた場合には、思わずシャドウガッツポーズが出てしまいます。

こんな自分を、自分が見たことがない。

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『歳をとった』というのが答えなのかもしれません。

しかし、それ以上に、

幼少の頃から、運動音痴を「運動会」という悪夢のイベントで晒され続け、または、チームプレイという名で弱者の排除を正当化する、悪夢の時間と

と、

なんの成果も求められることなく、たった一人で、大自然の雪原の中に解け込むことが許された、解放の時間

の差かな、と、思ったりしています。

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自分の経験した範囲内でしか、物事に興味を持てない人生は、寂しい人生なのだと思います。

自分と縁もゆかりもないプロ野球チームに、あれほど狂える人達を、私は全く理解できませんが、彼らはきっと私よりは幸せな人生を生きていると思います。

2010,江端さんの忘備録

何年か前に、学会聴講でパリに行ったときのことです。

モンパルナス・タワーの最上階で、クロワッサンの朝食を食べて(貸切状態)、結構幸せな気分になりながら、モンパルナス地区を、てくてく歩きながら、ホテルに帰る途中、モンパルナス墓地に寄りました。

ボーヴォワールやサルトルの墓を見ておくのも、一興かと思いまして。

私はついぞ、彼等の著書を読むことはありませんでしたが。

学寮の管理人の叔母さんから『ボーヴォワールくらいは読んでおきなさい』と言われていたのですが、ボーヴォワールやサルトルについては、彼等が「事実婚」であった以上の知識はなく、現在に至っております。

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私は墓地の雰囲気は結構好きな方です。

結構寒い冬の午前でしたが、そこそこ人もいました。

しかし、歩いているうちに、モンパルナス墓地の人気のないエリアにさまよい込んでしまいました。

そこには、すでに管理が放棄され、何百年も放置されていたであろう巨大な墓の建造物がいくつも立ち並んでいました。その大きさたるや、私の部屋よりも大きなものでした。

その規模や作りから、当時、相当な財力を誇った貴族の所有していたであろうことが推認される墓でした。

しかし、100年単位で放置されて、崩れかけた巨大な石の建造物は、それゆえ、朽ち果てることもできず、その醜悪な態様のまま放置され続けていました。

子々孫々その栄華が果てしなく続くことを信じて、その建造物に埋葬されているであろう者達の想いは、安らかであるのか否か。

栄華の果ての没落に、その存在を自ら消し去ることもできない悲運に、「盛者必衰の理」が胸に去来しました。

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欧州の華やかな街の中で、平家物語に思い馳せるという、奇妙な時間に幻惑された一時でした。