こぼれネット

―― 『語学は人前で恥をかいて習得する』という時代の終焉

最近の私の英語の教師は、全部"IT"(×"AI")です。

Recently, my English teachers are IT (not AI).

翻訳も、文法も、慣用表現も、チェックは全部ITがやってくれます。

ITs are checking translations, grammar, and idioms of my English.

しかも、ほとんどフリー(無料)。

In addition, they are almost free. So I feel

―― 『語学は人前で恥をかいて習得する』という時代の終焉

The end of an era of "Learning a language with shame in public"

を感じます。

私、以前、英語はコミュニケーションではなくて、コンピュータのインターフェースの為に必要となる、という論を展開したことがあります。

I used to develop the argument that English will be needed not by communication but by the interface of computers.

―― エラそうに

今や、コンピュータのインターフェースどころか、コミュニケーションの道具として、ITに英語を教えてもらっている有様です。

Now, computers are, beyond my imagination, not only the interface with a human beings but also a teacher we use English as a communication tool.

という話、どっかで書いたなぁ、と思ったら、こちらにありました。

I remember that I had already written the same story before, and I found the following blog.

私は生れて始めて『AI技術による廃業』の予感を感じました ―― 最初の犠牲者は、語学教師です。

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ただ一つ問題があるとすれば、ITに鍛えて貰うのであれば、日常的に英語を使わなければなりません。

There is a problem to be trained by computer to learn English, we have to continue to use English day by day.

それは、どんなやり方でも構わないのですが、基本的に「毎日、英語を使う」という環境が必要であって、そんな環境、普通に手に入るものではありません。

Any way is good for you, however, the important thing is "using English every day" and the environment. It might be hard to get the environment.

私のように、『日英併著の日記を書いて公開する』というような(気持ちの悪い)決意でもしない限りは無理でしょう。

Like me, "disclosing blogs written in both English and Japanese" is one of several methods, however, ordinal people cannot continue to do that.

ここで大切なのは、やはり『公開』です。

We should emphasize the "disclosing".

一般的に『公開』は怖いことです。観衆の目に晒されて批判を受ける覚悟が必要になるからです。

Generally, "disclosing" is fear for anyone, because, we have to prepare to accept criticisms from many people in the world.

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そのように考えていくと、

Come to think of it,

―― 『語学は人前で恥をかいて習得する』という時代は、まだ終焉していない?

Is the era of "Learning a language with shame in public" continuing?

のかもしれません。

That might be true.

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