こぼれネット

『文章は、原則、未来の自分の為に作成し、運が良ければ他人の役に立てばいい』が、私のポリシーです。

私のコラムを読んで頂ける人には自明でしょうが、私はフォーマットを気にせず文章を量産するタイプです。

As should be evident to readers of my columns, I am the type of person who mass-produces sentences without regard to format.

『文章は、原則、未来の自分の為に作成し、運が良ければ他人の役に立てばいい』が、私のポリシーです。

My policy is, "As a rule, I create my writing for my future self, and if I'm lucky, for the benefit of others."

体裁を気にして、記載量を減らすくらいなら、体裁を無視して、残しておけるものは残しておく方がマシ、と考えています。

It is better to ignore formats and keep what I can leave than to reduce the information with care in the formats.

もっとも、これに対して真逆の考え方もありますし、それはそれで意義があります。

There is, however, an opposing view to this, and it is significant.

まあ、これは「ミーイズム(自己中心主義)」と「コスモポリタリズム(世界市民主義)」の違いとも言えるかもしれません。

Well, one might say that this is the difference between "me-ism (self-centeredness)" and "cosmopolitanism (world citizenship).

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私がフォーマットを病的に気にするのは、通信プロトコルのプログラムぐらいですかね。

The only thing I am morbidly concerned about formatting is communication protocol programs.

たった1ビットのプロトコルエラーで、通信ができなくなるからです。

This is because a protocol error of just one bit will result in the loss of communication.

つまり、フォーマットを厳密に守らないと1mmも動かせない世界では、そうせざるを得ないのです。

In other words, in a world where we can't move a millimeter without strict adherence to a format, we must.

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『世界が(緩くて、雑な)私のポリシーのフォーマットに合わせてくれればいいんだけど』と思うことはあるのですが ―― こればかりは、どうしようもないです。

'I wish the world would adapt to my (loose, messy) policy format' -- but I can't help myself with this one.

それでも、"ちんけ"な研究員&エンジニアには、"ちんけ"なりの人類への貢献方法があるんですよ。

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