こぼれネット

多分、その『村八分』の恐怖は、新型コロナ感染の恐怖より、圧倒的に大きくて、具体的なものなのだろう ―― と、私は推測しています。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

ところで、今の私は『群れる』ということを病的なまでに嫌悪しているのですが、若い頃は、人なみに、飲んで、騒いで、群れていました。

By the way, I have a morbid aversion to "crowding" now, but when I was young, I drank, made noise, and crowded as much as anyone else.

特に、ティーンエイジャのころは、『群れ』から隔離されることは、『死刑宣告』と同程度のインパクトがあったものです。

Especially when I was a teenager, being isolated from the "crowd" had the same impact as a "death sentence".

だから、『いじめ』と呼ばれるものは、概ね、『群れからの隔離』という形で現われます。

So, what we call "bullying" generally manifests itself in the form of "isolation from the crowd".

『殺さないリアルタイムの死刑執行』―― こんなに、楽しい残酷な見せ物は、そうそうないでしょう。

"Live of Real Time Executions" - there are not many shows that are as entertaining and cruel as this one.

いじめは、加害者側も一瞬で被害者側に転落させられる性質もののですので、自発的な抑止力が発生しません。

Bullying does not create a voluntary deterrent because the perpetrator can be instantly turned into the victim.

まあ、今日はその話はさておき。

Well, let's not talk about that today.

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現在の私の『群れからの逃走(*)』は、かなり徹底しています。

My current 'escape from the crowd(*)' is quite thorough.

(*)もちろん、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」のパクリです。

(*) Of course, this is a parody of Erich Fromm's "Escape from Freedom".

どういうきっかけで、私が、この状態に至ったのか、良く思い出せません。

I can't remember exactly how I came to be in this state.

時期的には、「コラムの連載を始めた頃」という気がしますが ―― もう一度、よく考えてみます。

In terms of time, I think it was "around the time I started writing the column" -- I'll think it over again.

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ともあれ、若い人に、「群れるな」「飲むな」と言うのは、かなり難しいと思います。

Anyway, I think it is quite difficult to tell young people not to crowd together or not to drink.

それらの行為の「楽しい」の中には、『群れからの隔離 = 村八分』に対する潜在的な恐怖があるからです。

This is because within the "fun" of these actions lies a latent fear of "isolation from the crowd = ostracism".

多分、その『村八分』の恐怖は、新型コロナ感染の恐怖より、圧倒的に大きくて、具体的なものなのだろう ―― と、私は推測しています。

I suspect that the fear of the "ostracism" is far greater and more concrete than the fear of a new corona infection.

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