私の死亡後に関する葬儀ならびにそれらに関するメモ
私は、私が死去した場合、全ての葬儀を、その規模の大小に関わらず『全て行わないで欲しい』ことを表明しております。
以下、メモではありますが、備忘録としてコピペしておきます。
(1)自分なりの宗教観がある
■これは、米国のユタ州のアーチーズ国立公園で見た風景の中に、いわゆる「神」を見た(という気になっている)という、私の体験に因ります。現在、私が信じられるのは、その私の「神」だけで、それ以外の「神」や「仏」については、ちょっと『良く分からない』という感じです。
■そんでもって、私が信じていない『神仏』で葬儀をされることも、そして理解不能な呪文(お経)のようなもので葬送されるのも)『なんか違うなぁ』と思っています。
(2)智一(故人)主催の『オリジナルの葬儀』を考えている
■私のイベントですので、自分で葬儀をコーディネートしたいです。私が実施する予定の葬儀は「Webを使ったメモリアル葬儀」です。私のことは(喪主ではなく)私が語りたいし、感謝の気持ちも、私の言葉で語りたい(それによって、新しい葬儀の創始者になりたい)。
■そして、四十九日や一周忌などというイベントではなく、10年後も、20年後も、いつでも、(日本国内だけでなく、世界でお世話になった人々も含めて)私のことを思い出して貰えるような葬儀を企画したい。
■上記の『オリジナルの葬儀』については、人に集って貰う必要もないので、双方にとってもメリットがあると思う。
(3)すでに、献体、臓器移植の手続きを開始済である
■尊厳死協会(リビングウイル)への登録、私の身体の部位の無条件の献体手続を開始済み(ただし移植目的に限定。学術目的には提供しない、で相談中)しています。
■献体は、死亡直後に行わなければならないらしいです。これが、普通の葬儀を行わない(行えない)最大の理由です。
■で、移植用の身体の部位の摘出作業に数日から1週間くらい必要とされています(*)。その後に、普通の葬儀をする、というのも(しかも、身体本体もないし(骨くらいは残っているかもしれんけど))、なんとなく間が抜けているなぁ、と思っています(遺骨の返還は1~2年、長ければ3年だそうです)。
―― 自分から積極的に動いてアピールしないと、あなたの臓器(一説には、総額1000万円相当)が、燃やされて(火葬)て灰になってしまう
(4)法律上必要な手続はきちんとやる
■日本は火葬が法律で定められているので、火葬はしなければならないので、これはちゃんとやる予定です。納骨についても、家族で保存して貰うのも面倒ですし、散骨は許可を得るのが面倒なので、行き先(墓場)は確定(購入済み)しています(なお、大学病院で納骨して貰うということもできるそうです)。
(5)死後も『チャレンジャー』でありたい
■色々な考え方はあると思いますが、やっぱり「私の死」は「私のもの」だと思っています。世間の常識や慣例や、あるいは人の考えではなく、私の生き方と私の死に方は、私が決めたい、と思うのです。
■『私に最後に一目会いたい』という方の気持ちには応えられなのかもしれませんが、私としては、上記の、私の創る『オリジナルの葬儀』で、『生きていた時の私』を覚えていて欲しいし、それを独力で実現したいと思っています。そして、その(日本発?の)パイオニアが、『私』でありたいと思っています。
ところが、この全ての葬儀を、その規模の大小に関わらず『全て行わないで欲しい』 について、家族で議論を行った結果、『現状では無理である』と、家族から逆にロジカルに説得されてしまいました。
特に、家族からのコメント「火葬までに一定の時間は欲しい」「故人を語り会う機会を担保して欲しい」「礼服を着てみたい」「喪主をやってやらんでもない」という反対意見があり、その中でも最大の理由が「上記(1)~(5)の理由では、(家族以外の)親族を説得するロジックとしては弱すぎる」でした。
# つまり『面倒はゴメンだぜ』という家族の本音がダダモレでした。
その一方で、
「遺体の顔を一方的に見られるのは甚だしく不本意なので、私たち(嫁さん+娘たち)については『火葬ファースト』でよろしく」などという、かなり身勝手な意見もでております。
という訳で、本件、継続審議ということになっております。
以上