『なぜ、本人の年齢や体力を配慮しない、ランナーの体を壊すようなことを"前提"とした走行計画を立案し、それを強行し、それを放映するのか』
本日は、コラムがリリースされた日なので、日記はお休みです。
My new column is released today, so I am taking a day off.
Let's turn the world by "Number"(61) : Work style reform(20) Final"
The era of "long working hours = virtues" will end. Could "Work style reform" give us a new paradigm?
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私、録画しておいたテレビ番組以外は、あまり見ないのですが、先日、スーパー銭湯のサウナの中で、たまたま、キュメンタリ番組を見てしまいました。
I usually don't watch anything other than the TV shows I recorded on an HDD recorder; however, the other day, I watched a documentary program in a sauna in a public bath.
見てしまった以上、語らなければならないと思います。
I think I have to talk because I have seen it.
そして、これから、私が語る内容は、かなり多くの人を不愉快にさせると思います。
And from now on, what I'm talking about will make many people unpleasant.
もしかしたら、私のコラムを愛読して頂いている人の半分がいなくなるかもしれません。
Maybe half of the people who love reading my column are gone.
それでも、私は、このシリーズの最終回に際して、語らずにいられないのです。
Still, I cannot help speaking about the final part of this series.
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―― 「24時間テレビ」という番組の、「マラソン」って、あれ、何ですか?
"What is the "marathon" of the program whose title is "the 24-hour TV"?"
あれが「マラソン」を目的とした「マラソン」という企画であるなら、それならそれで良いのです。
If that is a " Marathon " plan for "Marathon," that's fine.
しかし、私が、真摯に、真面目に、真剣に、心の底から理解できないことは、
But what I cannot understand seriously, from the bottom of my heart,
『なぜ、本人の年齢や体力を配慮しない、ランナーの体を壊すようなことを" 前提" とした走行計画を立案し、それを強行し、それを放映するのか』
"Why don't they consider the age and physical strength of the runners?" "Why do they make a running plan with the premise of breaking the runner's body?" and "Why do they force it and air it?"
ということです。
20kmを走るポテンシャルしか持たないランナーに、それ以上を走らせれば、当然、体調を崩しますし、予定外のトラブルが発生するのは、当然です。
If a runner with the potential to run 20km runs only, they will naturally be unwell, and unforeseen troubles will naturally occur.
ランナーをアサインしたその時点で、こうなることは「100%自明」です。
This is "100% natural" when the runner is assigned.
マネージメントの観点から言えば、「もう一人のランナーを用意しておく」が正解です。
From the point of view of management, "preparing another runner" is the correct answer.
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では、なぜ、その「もう一人」を準備しないのか?
So why don't they prepare that "another runner"?
その人の有するポテンシャルを超えるアクションを強いれば、当然、その人には、想像を絶する苦痛が発生します。
If the runner is forced to take action that exceeds their potential, the runner will naturally suffer unimaginable pain.
そして、それらの苦痛は、視聴者の過去の苦痛を思い起こさせ、大きな同情心とシンパシーが発生することになります。
And those pains are reminiscent of the viewers' past hurts, generating great compassion and sympathy.
そして、それらの苦痛を乗り超えるシーンは、多くの人の感動を発生させます。
Scenes that overcome those pains generate the impression of many people.
24時間テレビというマラソン的なコンテンツに、この「マラソン」は、完全にコンセプトマッチしているという訳です。
This "marathon" perfectly matches a marathon program called 24-hour TV.
そして ―― こういうコンテンツは「受ける」し「売れる」のです。
And ―― Such content is "acceptable" at a high price.
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分っています。
I understand.
私は全てを分かった上で、敢えて不愉快なことを言っているのです。
I know everything and dare to say something unpleasant.
究極、感動系のコンテンツとは、詰まるところ「こういうもの」です。
Ultimately, emotional content is the same.
24時間テレビのマラソンだけを上げて、それを批判するのは、卑怯だ ―― ということも分かっています。
I know it is obscene to pick up only the 24-hour TV marathon and criticize it.
しかし、映画であれば、実際には、役者は「苦痛の演技」をしているだけです。
However, in the case of a movie, the actors are only acting "painful."
24時間テレビのランナーは、間違いなく「苦痛そのものの中」にいます。
The 24-hour TV runner is definitely “in pain”.
私には、「この番組は、人のリアルな苦痛を、娯楽として提供している」としか思えないのです。
I have come to think that "this program offers real human pain as entertainment."
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この2年間、「働き方改革」の連載を担当してきた当事者である私は、
As a person in charge of serializing "work style reform" for the past two years, I can't see the following separately.
「自分のポテンシャルを超えることを強いられて苦しんでいる部下」と、
-"Subordinates suffering from being forced to exceed their potential"
「その苦痛に、深い意味がある信じて疑わない上司」と、
- "Boss who thinks it has a deep meaning in pain and believes in doubt."
「自分のポテンシャルを超えて走らされているランナー」と
- "Runners that run beyond their potential"
「そのランナーを見て感動している、テレビの前にいる視聴者」とを、
- "viewers in front of the TV who are impressed by the runner"
―― 切り分けて見ることが、どうしてもできない
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24時間テレビの苦痛の表情に歪むランナーの顔を見て、
If Watching the runner's face distorted in the expression of the pain on TV for 24 hours,
なぜチャンネルを変えようとしないのか、
Why don't you change channels?
テレビのある居間から立ち去ろうとしないのか、
Why do you want to leave the living room with the TV?
私には理解できないのです。
I can't understand.
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多くの人は、「あれはあれ、これはこれ」と、日常の中で、これらをバッサリと分離することができるのかもしれません。
Many people may be able to separate these from them daily, "that is that, and this is this."
もしそうなら、本当に凄いと思うし、心から尊敬します。
If so, it is amazing, and I respect you.
非日常系コンテンツと、日常のルーティンを、きちんと分けられるなら、何の問題もないのです。
There is no problem if the non-daily content and daily routine can be adequately separated.
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ただ私一人が、不器用で、要領が悪くて、壊れているだけ、というなら ―― 私は、本当に嬉しいです。
I'm happy if I'm clumsy, bad, and broken.
でも、本当にそうなんでしょうか?
However, is it true?