阿呆な教師
中学の時だったと思います。
かなり年配の教師が、
「戦争(太平洋戦争のこと)の頃の時代には、食べ物がなくて、とても辛い時代であった。君達なら、到底耐えられかっただろう」
と言っているのを聞いて、
中学生ながらに、私は『阿呆か、こいつは』と思ったことを覚えています。
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私はコンテクストのことを言っているのではありません。
「食べ物がない辛さ」というのは、想像を絶する地獄であることを、私は、知識として知っているに過ぎません。
(それに近い状況を、海外の一人旅の時にちょっとばかり体験しただけです)
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問題は、その後の文言にあります。
「君達なら、到底耐えられかっただろう」
この文言には2つ程、私を怒らせる事項を含んでいます。
(1)日本の国民全員がその状況にあって、それを「耐える」という以外の選択肢しかない時に、どんな人間であれ、何ができるかといえば、2つしかないはずです。
「耐える」か「自殺するか」です。
自殺しなければ、耐えるしかない状況下で、その教師が「耐えて」きたことは、何か私達に対して自慢することなのでしょうか。
(2)仮に、私たちが同じような悲惨な戦後食料時代に置かれたと仮定した場合、私たちが「耐える」か「自殺するか」以外の別の選択を取りえるか、ということです。
その教師と同じように、「耐える」しかないでしょう。
その教師は、何か立派なことをした訳ではありません。
「耐える」という誰もがしなければならなかったことを、誰もと同じようにしただけに過ぎないのです。
もっとも、その状況を大変気の毒と思いますし、私がそのような地獄がない世の中で生きられることは心から幸せだと思いますが、それは議論が異なります。
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私は、(あまり長い期間ではなかったけど)、学費を稼ぐために働きながら勉強していた時代がありました。
その話をすると、「立派だ」などと言われることがあるのですが、私は酷い違和感を感じるのです。
その時私には、「働いて勉強を続けるか」「学校を止めて働くか」の選択肢しかありませんでした。
勉強を続けたかったので働きながら勉強しました。それは、それ以外の選択肢がなく、その選択を私が選んだからです。
少くとも、こういうことで「立派だ」という言葉を使うべきではないと思います。
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限定された選択肢の中から、普通に選び取ったにすぎない事項は、特に賞賛され得る行為ではありません。
その教師が語ったことは、(我々が同じ愚を犯さない為にも)後世に伝えるべき必要な情報として、絶対的に伝えていって欲しいと切望するものですが、これらの有益な情報が、どうしてこういう形で発露されてしまうのかは、本当に不思議としか言いようがありません。
こういうことを、情報伝達以外の目的で、自慢するかのようにしゃべる奴は、阿呆だ、と私は思います。
断言します。