『出会わなければ、だれも不幸にならない』 ―― という、ネガティブ思考は、私の「主軸」だったりします。

「勤勉は貧困の一症状である」―― これは、故小田島隆さんのエッセイにあった一節ですが、非常に的を得たフレーズだと思います。

"Diligence is a symptom of poverty.” - this is a line from an essay by the late Takashi Odajima, and I think it is a very apt phrase.

もし、私が、今の人生を親の遺産だけで生きていける立場であったなら、私は夏季休暇の全日を10時間以上のコーディングや文章作成に費やすようなことはしていなかったと思います。

If I were in a position to live my life today solely on my parents' legacy, I would not have spent my entire summer vacation spending 10+ hours coding and writing.

貧困であり、かつ、お金が必要であるが故に、私は、概ね楽しいとはいえないバグを発見する作業や、おそらく私以外に誰も読まないであろう報告書の作成に、今なお何十時間も使わざるを得ないのです。

Because of poverty and the need for money, I am still forced to spend dozens of hours working on finding bugs or writing reports that probably no one but me will read. In addition, they are not fun.

「適度な貧困」のおかげで、私は、仕事や研究の"本質"と向き会うことを回避して、それらを継続することができたのです。

Thanks to “moderate poverty,” I have been able to avoid confronting the “essence” of my work and research and to continue them.

これはこれで、ありがたいことなのだろうと思います。

I think this is something to be thankful for.

もし、この「適度な貧困」がなければ、私は、これまで何人かを殴っていただろうし、下手をすれば、死体を隠匿する計画を実行に移していただろうと思います。

If it were not for this “moderate poverty,” I would have beaten up a few people in my life, and if I had not been so bad, I would have put my plan to hide the bodies into action.

江端:「将来、娘たちをストーカーする男を殺害して、首や足や腕を裁断する時には、もっと血が出るんだぞ。分解した体を部位をコンクリーで固めて、最後に、東京湾に沈めなければならないのに、そんなことで大丈夫なのか?」

これとは逆に、私が「適度な裕福」であったとしたらどうだろうか?  と考えてみました。

Contrary to this, what if I were “moderately wealthy?” I thought about it.

「適度な裕福」は「何もしないで生きていける」を可能にしますが、私の場合「何もしない」という状態が、結構な苦痛なので、多分、何かをすることになる、とは思います。

I think “moderately wealthy” makes it possible to “live without doing anything,” but in my case, “doing nothing” is quite painful, so I will probably end up doing something, I suppose.

一方、私は「『誰か』と何かをする」というのが、苦手なのです。

On the other hand, I am terrible at “doing something with ‘someone.’”

私の場合、

In my case,

―― もしあなたと出会っていなければ

"If I had not met you."

のフレーズの次に『こんなにも人を愛することができる自分を知らずにいた』とはなりません。

The following phrase is never: 'I never knew I could love people so much.

私は、そういう歌を後世に残した平安時代の歌人をコケにしつづけています。

I keep mocking the Heian period poets who left such poems to posterity.

『逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』(エピソードその1)です

"Compared to how my heart feels after meeting you, I realize that in the past, I did not truly know what it meant to long for someone." (Episode #1).

私なら、

In my case, 

―― もしあなたと出会っていなければ

"If I had not met you."

のフレーズの次にくるのは、『あなたを殴り倒してやろうとは思わなかっただろう』になります。

the next phrase would be, 'I would never have thought of beating you up.

『出会わなければ、だれも不幸にならない』 ―― という、ネガティブ思考は、私の「主軸」だったりします。

Negative thinking, such as, “If we don't meet, no one will be unhappy,” is my “mainstay.

話を戻します。

Back to the story.

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以上より、私が「適度な裕福」であった場合、私は「ひとりで何かをする」以外に選択肢がありません。

From the above, if I were “moderately wealthy” I would have no choice but to “do something alone”.

しかし、「ひとりで何かをする」であって、その「何か」は、やってもやらなくても、どっちでもいいものである場合、その「何か」を見つけるのは、おそろしく大変そうに思えます。

However, when the “something” is “doing something alone,” and that “something” is not essential for me, it seems complicated to find that “something.

私の場合、アルコール依存症に戻りそうな気がします。

In my case, I think I am going back to being an alcoholic.

―― 過去の不摂生な生活は、そこから脱した後でも、私たちを許してくれない

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このように考えていくと、

Think of it this way,

『生死に関わる貧困 <<<< 適度な裕福 < 適度な貧困』

'Life-or-death poverty <<<< moderate wealth < moderate poverty'

という関係が、(私には)成り立っているかと思えます。

This relationship seems (to me)  true.

それでも、「不労所得」というものへの憧れを、私はどうしても消すことができません。

Still, I can't stop my longing for “unearned income.”

2024,江端さんの忘備録

Posted by ebata