不利益な人生を選ぶ自由
私には嫌いなものが沢山あるのですが、その中でも、
「それは君の為になる/ならない」
というセリフは、その一つです。
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「『私』の為になる/ならない」ことが、一体アンタに何の関係があるのか、と問い返したいと思うのですよ。
私が私のやったことでえる「不利益」は、私が自分で判断して全力で選びとった純然たる「不利益」であり、私の貴重な財産ですからね。
他人にとやかく言われるものではありませんし、言われることは愉快ではないのです。
つまりは、「君のやる/やらないことは、私の不利益となる」ということですよね。分ってはいるんですが。
# でも、はっきりとそう言ってくれた方が、気持ちは良いんだけどなぁ。
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私がホームページやブログに記載していることは、凄く私に不利益を与えています。
法律違反を推奨したり、恥しいできごとを暴露したり、政治家を批判してみたり、自分の過去の思想を開示することは『私に、滅茶苦茶に不利益』です。
長く社会人をやっていると、それを実感します。
好きなこと好きなように言い回る奴は、必ず社会や世間一般から、ゆっくり、かつ、じっくりと、長期に渡って、有形または無形の形で、報復され続けます。
言いたいことを言わずに我慢している人の忍耐や努力を考えれば、概ね妥当な「報復」と思いますし、また、そういう忍耐や努力を続ける人が、社会的に報われることは、正しい社会のあり方だと思うのです。
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極めて稀ではありますが、私は、娘達に対して、怒号の如く叱ることがあります。
「娘たちの為になる/ならない」ことは明快であっても、それは問題ではなく、「誰か(私を含む)を不快にさせる行為が許されないこと」と言うことです。
私が絶対に許さないことは、『自分以外の誰かに不利益を与えている』ということだけでです。
娘達の不利益は、娘達の責任で娘達が負えば良いのです。
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我々は、
○『無知』と『貧困』は恐しく仲良しで、
○『貧困』が『暴力』の隣りに住んでいる、
という冷然たる現実を、7時のNHKのニュースを見るまでもなく知っています。
『愛』を慈しむのに『金銭』は十分条件ではないですが、必要条件であることも知っています。
また、『食事』を摂取することが保証されない人生で、筋の通った思考ができないことは、たった一食の食事を抜いただけで、誰もが簡単に理解できてしまいます。
一方、『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の中でも、人から尊敬され、敬愛される人は確かにいます。
しかし、そのような人は絶望的に少なく、そして、何より、多分私達の殆どが、『そういう選ばれし人』ではないのです。
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私は、娘の中学受験の願書にある「(保護者が)本校を志望した理由」の欄に、
『自衛力の為』
と書きました(本当)。
# 勿論、表現は変えていますが、嫁さんも賛成してくれました。
「『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の、一番最初の『無知』を叩き潰すことで、『子供を守る』という親としての最低限の責務を果す為」という内容で、願書を記載しました。
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「勉強しなさい」という親の叱責は、
○「勉強をしないとアナタが不幸な目に会うよ」
ではなく、正直に記載すれば、
○「『勉強をしないこと』を看過したことで、アナタを不幸にしたという、ワタシの自責の念を負うのが嫌なのよ」
ということでしょう。
ですから、親は、子供が勉強してくれることを切々に望みます。
それは純然たる親のエゴでありますが、このエゴは、時々、子供にも役に立つこともありますから、親はエゴを強行するのです。
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ですから、子供であるアナタは、親の前では、
『一生懸命、勉強をしているフリをする』
という親孝行をしましょう。
勉強をさせていないという親の自責の念から、親の気持ちを楽にして上げれます。
勿論、勉強をしないことによる不利益は、自分自身に課して下さい。
不利益な人生を選ぶ自由は、アナタにあるのです。