昨日、嫁さんが、正月に放送されていた4時間くらいの漫才の番組の録画を見ていたのですが、彼女は、「最初の30秒を視聴して、その漫才をスキップする」を繰り返していました。
私、PCでアニメを見ているのですが、基本的に作画の品質には興味ありません。
I watch anime on my PC, and I'm not interested in the quality of the animation.
私は、今の時代に必要なのは「積極的無関心」ではないかと思うのです ―― つまり、『人のことはほっとけ。自分のことだけやっとけ』です。
私は、ストーリーの方が好きで、方向としては、明るく、楽しく、能天気なコンテンツが好きです。
I prefer stories and like cheerful, fun, and carefree content.
私、基本的にケチなので、映画館で映画を見る時に、途中退出することはありませんが ―― 最近、映画館で映画を見るのに「苦痛」を感じるようになりました。
I'm basically a cheapskate, so I never leave the cinema halfway through a movie, but recently, I've started to feel “pain” when watching a film at the cinema.
これには、自分でも驚いています。
I'm surprised at myself for this.
これは多分、映画のサブスク(アマプラやネトフリ)の影響があるのかと思います。
This is probably due to the influence of movie subscriptions (Amazon Prime and Netflix).
その映画が、気にいらなければ、その場で視聴を取り止め、他の映画に切り変えてしまう、ということが簡単にできるようになりました。
If I don't like the movie, I can quickly stop watching it and switch to another movie.
つまらない、退屈、嫌いなストーリーが5分間連続で続けば、その場で視聴を止めてしまう、ということは、頻繁にやっています。
If a boring, tedious, or otherwise unpleasant story goes on for five minutes straight, I often stop watching right there and then.
しかし、これは、コンテンツを提供する側(創作者や編集者)にとっては、たまったものではないだろうとは思います。
However, I think this is not good for the people who provide the content (creators and editors).
-----
文学を含め全ての学問は、ある種の「我慢と忍耐」のコンテンツでした。「勉強」という言葉に「努力と忍耐」は必ず付帯する修飾句でした。
All academic subjects, including literature, required “endurance and perseverance.” Study effort and perseverance were always used as modifiers.
今は、これが「エンタメ」にまで広がってきているようで、私(たち)は、「努力と忍耐」をしてまで、一つのコンテンツを終了しなくなっているような気がします。
Now, it seems that this is spreading to “entertainment,” and I (we) feel that we should no longer end a single piece of content until we have “worked hard and persevered.”
私たちは、人の評価が、自分に当てはまらないことが、別段悪いことではないことには気が付いていますが、それが、サブスクの登場によって、具体的な行動となって現われてきているように思います。
We know that it is not necessarily bad when other people's opinions do not apply to us, but this is becoming a concrete action with the advent of subscriptions.
ちょっと具体例で示しますと、私が熱狂的に好きな「NHKスペシャル」や「BS1スペシャル」は、視聴率から見れば無惨な数値のコンテンツです。つまり、私が「特異」なのです。
To give you a concrete example, the NHK Special and BS1 Special programs I am passionate about are content with miserable viewing figures. In other words, I am a “special case”.
また、昨年公開された、原爆開発のマンハッタン計画を描いた「オッペンハイマー」は、私には、"退屈"を超えて"苦痛"ですらありました。マンハッタン計画については、私が詳しい知識を持っていたから、という背景もあったかもしれません。
Also, Oppenheimer, a film released last year about the Manhattan Project to develop the atomic bomb, was not just boring for me. It was painful. This may have been because I had detailed knowledge of the Manhattan Project.
こんな、サブスク時代にあって、エンタメのコンテンツを提供する側は、恐しく低コストで作成する必要があり、おそらく、その辺を生成AIが担保する、ということになっていくのだろうと思います。
In this age of subscriptions, entertainment content providers need to be able to create it at a very low cost, and I think the AI being developed will probably help ensure this.
-----
昨日、嫁さんが、正月に放送されていた4時間くらいの漫才の番組の録画を見ていたのですが、彼女は、「最初の30秒を視聴して、その漫才をスキップする」を繰り返していました。
Yesterday, my wife was watching a recording of a four-hour manzai comedy show broadcast over New Year's. She kept repeating the process of watching the first 30 seconds and then skipping the manzai.
これなら4時間番組を1時間以内の視聴に抑えることができます、が ―― 視聴者にこんなことをされたら、テレビ局と番組スポンサーと芸人は、たまったものではないだろうなぁ、とも思いました。
This would mean that a four-hour program could be watched in less than an hour, but I also thought that if viewers did the same actions, it would be terrible for TV stations, program sponsors, and comedians.