読了断念
「物理現象を説明する法則に、ページの半分も埋め尽すような数式を使うものであれば、読む必要はない。それは、間違っているからである」という物理学者の言葉があります。
物理学に限らず、全分野の研究、技術分野、システムの開発においても同じことが言えます。
複雑な計算式をこねくり回して、都合のよいパラメータを持ちこんで、コンピュータのシミュレーションごときで、新しい方式や装置の有効性を主張する学術論文は、正直、失笑ものです。
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池宮 彰一郎の「本能寺」。
下巻の半分で、ついに断念しました。
本の趣旨からして、織田信長を賛美しなければならないのでしょうが、信長の非道の一つ一つの正当化や論理付けに、あまりにも無理がありすぎる。
破綻した正当化の論理付けを、これでもかこれでもかと読まされる苦痛に、気分が悪くなってきて、ついに耐え切れなくなりました。
織田信長の行動を理解するには、「重度の心の病をかかえていた」「躁鬱の極にあった」「つまるところ狂人の域にあった」と考えた方が、極めてナチュラルです。
これは作者自信も、随分無理をしながら執筆したんじゃないか、とまで思えてしまいます。
私が『日本版ヒトラー』と考えている織田信長を、歴史上の偉人と考える日本人が多いことは、NHKの大河ドラマや、歴史のバラエティ番組などを見るまでもなく自明な事項ですから。
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歴史史観は個人のものです。
しかし、もし私が、こんな狂人に『一殺多生』とか、勝手なことをほざかれた挙げくに、訳も分からず殺されたら、絶対に許せんと思います。