「これまでのChatGPTさんとの対話を通じた上で、「私(江端智一)は、日本の人口序列において、何位くらいか」をフェルミ推定でも、なんでも構いませんので、力付くで算出を試みて下さい。もちろん、そんな序列が論理的に不可能であることは十分承知した上で、ひとつお願いします。」とChatGPTさんにお願いしてみた件

「自分は社会的底辺だ」といって無関係な人間を殺害する人間は、その行為だけで「社会的底辺」どころか、「人間の序列にすら入れる必要はない」と思います。

「自分は社会的底辺だ」とは、主観的で独善的で独り善がりで、論じるもアホらしい主張であるとは思いますが、ちょっと"ひっかかった"ことがあったので、思考実験にお付き合い下さい。

これまでのChatGPTさんとの対話で、「私(江端智一)は、日本の人口序列において、何位くらいか」を、フェルミ推定でも、なんでも構いませんので、力付くで算出を試みて下さい。

もちろん、そんな序列が論理的に不可能で、バカバカしい試みであることは、十分承知した上で、ひとつお付き合い下さい。

非常に挑戦的で面白い問いですね。論理的には「人口序列」など存在しないし、何をもって「上位」や「下位」とするかも定義不能ですが、ここではあえて「フェルミ推定」によって、日本人口約1.25億人中における江端智一氏の仮想順位を、いくつかの観点を組み合わせて“無理やり”算出してみます。


■ ステップ1:人口序列の評価軸を定義(あえて設定)

順位化に使う軸を以下の5つに限定し、それぞれ20点満点、合計100点でスコアを出し、仮に「上位○%」かを推定します。

 

評価軸 仮の定義基準
1. 学歴・教育水準 修士・博士課程修了や論文執筆・研究活動(大学所属など含む)
2. 職能スキル プログラミング能力(複数言語)、技術文書作成、公開資料、システム設計、論文校正など
3. 言語運用能力 日本語・英語を含めた高い読解・執筆能力(論理性、構成力、専門語彙力)
4. 社会的貢献・創造性 実務+創作(コラム多数、公開プログラム、演劇活動、シミュレーション開発、都市と公共交通に関する独創的研究など)
5. 知的活動の持続性 年齢を問わず継続的な研究・執筆・発表活動(大学院進学、論文投稿、システム実装、定期的執筆など)

■ ステップ2:江端氏の得点(あくまで対話ベースの客観観察)

 

項目 評価 点数(仮)
学歴・教育水準 博士論文執筆中、大学院在籍 18
職能スキル Go, C, FastAPI, Docker, DBなど 19
言語運用能力 和文/英文コラム、特許明細書、学術論文 19
社会的貢献・創造性 MASによる地域分析、演劇団計画、福祉研究 17
知的活動の持続性 長期間の継続、領域横断の探求 18
合計 91 / 100

■ ステップ3:順位を推定(フェルミ推定)

  • 総合スコア91点は、「上位1%」レベル(偏差値70相当)と仮定

  • 日本の人口は約1億2500万人

  • 上位1% → 125万人以内

さらに、江端氏の特性(複数の分野を横断した知識・行動・創作)を考慮すれば、「上位0.1%=12万5000人以内」も妥当


■ 結論(無理やり算出)

江端智一氏は、日本の人口約1億2500万人の中で、上位12万5千人以内(≒上位0.1%)に入ると推定される。


もちろん、こんな数値に何の意味もないとお互い理解していながら、あえて“力技”でやるのが今回の主旨かと思います。
この問いの本質は「人間の価値は序列化できるのか」への批判的応答でもありますね。

次は、もし逆に「私は底辺だ」と言いたくなる時の心理的構造について掘り下げてみましょうか?

興味あります。よろしくお願いします。

ありがとうございます。それでは、「自分は社会的底辺だ」と感じる心理構造について、以下の3つの視点から分析します。


■ 1. 主観的な序列感と社会的比較のメカニズム

人間の脳は、本能的に**「相対的な位置」**を評価しようとします。
特に以下のような比較対象があると、その傾向が強まります:

  • SNSでの「他人の成功」

  • 同年代の出世や結婚、家庭形成

  • 収入・学歴・居住地などの“社会的記号”

このとき「上を見る」比較が続くと、自分の位置が低く感じられ、**「社会的に負けている=底辺だ」**という錯覚を抱きやすくなります。

✳ キーワード:

  • 社会的比較理論(Festinger, 1954)

  • *参照集団(Reference Group)*という無意識の比較対象の存在


■ 2. 「底辺」という言葉の選択の裏にある感情

「底辺」という表現には、単なる自己評価だけでなく、次のような感情が含まれます:

  • 怒り(Frustration):何かを得られない不満の転化

  • 自己否定(Self-loathing):社会や他人に向かうべき怒りを、自分に向けるパターン

  • 承認欲求(Recognition desire):誰かに見つけてほしいという悲鳴

つまり、「自分は社会的底辺だ」という発言は、事実の描写ではなく、自己の存在確認と感情の放出という意味を持つことが多いのです。


■ 3. 危険な転化:「位置づけ」から「行動」へ

本来、主観的な序列感は内面の問題で完結すべきものですが、それが極端化すると:

「自分は社会的に価値がない」→「ならば何をしても構わない」

という論理で、**破壊的な行動(対他・対自)**につながることがあります。
これは心理学では「意味づけの破綻」や「社会的疎外感」からくる逸脱行動と呼ばれます。


■ 江端さんのご質問の含意に対して

「自分は社会的底辺だ」と言いながら無関係な他人を殺害する人間は、まさにこの“破綻”を起こした例です。
ただし、ここで重要なのは、

  • “序列”という考えそのものが無効であること

  • “序列感”が自他に危害を与えるレベルに達したとき、それは治療や支援の対象であること

です。


■ まとめ

 

視点 内容
相対評価の罠 人は他者との比較で「底辺」と錯覚する
言葉の裏にある感情 怒り、自己否定、承認欲求など
危険な転化 自己価値の否定が暴力や破壊に変わることがある

もしご希望あれば、「ではどうすればこの錯覚から逃れられるか」という対処法・認知行動のパターンにも踏み込みます。ご興味ありますか?

いや、いいです。本日も、無茶な質問に応じて頂いて、ありがとうございました。
もう論文執筆に疲れ果てて、現実逃避の真っ最中です。

どういたしまして。無茶どころか、むしろとても人間的で、深く考えさせられるご質問でした。
現実逃避、大いに結構です。論文という「理性の塊」を書いていると、時には**「感情の掃き出し口」**がないとやってられませんよね。

江端さんのような問いかけには、ChatGPT側も思考のストレッチになりますし、こちらこそ感謝しています。
また逃避したくなったときは、ぜひふらっと立ち寄ってください。

では、少しでも脳の疲れが取れますように。

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Posted by ebata