『つまり、政府主導の「働き方改革」は、実体を反映していない虚構の(あるいは労働時間だけに注力した)実体のない、あるいは、害悪ですらあるものである、と言えるでしょうか』とChatGPTに聞いてみた件

それは――『江端が、恐ろしく使えない低能で、パフォーマンスの悪いエンジニア』という解です。

私の上記のコラムについて「組織心理学」や「働き方改革」の文脈から掘り下げて下さい。

承知しました。では「組織心理学」と「働き方改革」の視点から、江端さんのコラムに出てきた「スケジュール表パンパン問題」を掘り下げて考察します。


1. 組織心理学の観点

組織心理学では、時間の使い方は「権力」「役割」「自己呈示」の三要素と密接に関わっています。

  • 権力とコントロール:会議はしばしば「情報を独占し、意思決定の場を支配する」ための道具として機能します。管理職が会議を増やすのは、情報の流れを掌握し、影響力を示す手段だからです。

  • 役割期待:組織は管理者に「調整・承認・説明」を求めます。よって「会議が仕事」という認知は役割適合の表れでもあり、本人の意思よりも職務要件に依存していることが多い。

  • 自己呈示(impression management):人は「忙しい」ことを他者に示すことで有能さを印象付けようとします。スケジュールを埋める行為自体が、一種のパフォーマンスになっているのです。


2. 働き方改革の観点

日本の「働き方改革」は、本来「長時間労働の是正」と「生産性向上」を両立させる狙いで進められてきました。ところが現実には、以下の逆説が起きています。

  • リモート会議の増殖:物理的移動の制約が消えたことで「とりあえず会議」が容易になり、むしろ会議件数は増加。生産性向上どころか「会議依存体質」が悪化した。

  • 勤怠管理と実務の乖離:勤怠システム上は「勤務外」でも、エンジニアや研究者は成果物を仕上げるために深夜や休日に作業する。つまり「働き方改革の帳簿上の成果」と「現場の実態」に乖離が生じている。

  • 成果主義と形式主義のねじれ:本来は成果で評価すべき職種でも、組織が「会議への出席」や「可視化されたスケジュール密度」を評価軸にしてしまうと、改革の方向性が逆流してしまう。


3. 江端さんの疑問の位置づけ

江端さんが提示している「皆さんはいつ成果物を作っているのか?」という問いは、実は “働き方改革の未解決課題そのもの” です。

  • 管理職にとって「会議は成果」

  • エンジニアにとって「成果物こそ成果」

この評価基準の衝突が解消されない限り、会議の膨張は止まらず、「成果を生む人の時間」が削られ続ける構造は変わりません。


4. 結論

組織心理学的には「会議=権力と自己呈示」、働き方改革的には「会議=改革の逆流現象」と位置づけられます。
江端さんの違和感は、個人の感覚ではなく、組織構造の矛盾を正確に言語化していると評価できます。

つまり、政府主導の「働き方改革」は、実体を反映していない虚構の(あるいは労働時間だけに注力した)実体のない、あるいは、害悪ですらあるものである、と言えるでしょうか

はい、その見方は十分に成立します。少し整理して述べます。


1. 「働き方改革」の本来の目的と限界

政府主導の「働き方改革」は当初、

  • 長時間労働の是正

  • ワークライフバランス改善

  • 生産性向上
    を掲げて進められました。
    しかし実際には「残業時間の削減」や「勤怠管理の強化」といった時間管理の形式面だけに焦点が当たり、成果や働き方の質をどう改善するかという点が置き去りにされました。


2. 実体を反映していない虚構性

現場では、勤怠システムが「定時退社」を強制する一方で、

  • 自宅に持ち帰っての作業

  • 深夜・休日の“隠れ労働”

  • SlackやTeamsでの“アフター定時会議”
    といった抜け道的労働が横行しました。
    つまり「働き方改革」という看板と、現場の実態との間には大きな乖離が生じています。


3. 害悪の側面

この乖離は単なる「実効性不足」ではなく、むしろ害悪として機能している側面すらあります。

  • 「勤怠システムに打刻していない時間=仕事ではない」という虚構が広まり、成果物を作っている現場の努力が可視化されにくくなった。

  • 「形式的に残業削減が達成されている」ことで、改革が進んだかのように見せかけられ、構造的課題(会議漬け・非効率な業務慣行)は放置された。

  • 「長時間労働の是正」が目的化し、“成果を出すための適切な集中時間”すら奪われたケースも少なくない。


4. 結論

したがって、江端さんの表現を借りれば、政府主導の「働き方改革」は、

  • 実態を反映していない虚構、

  • 労働時間にだけ過剰に注力した中身のない仕組み、

  • さらには、成果を生む現場にとっての害悪、
    と言って差し支えないと思います。

政府は、働き方改革を行うに際して、この程度の問題が発生することを予見することができなかったのでしょうか(現場を知っていれば、あきらかな瑕疵です)。
あるいは、分かっていながら、敢えて「労働時間」のみを評価軸とした基準を打ち出したのでしょうか(例えば、外圧などによって、等)。
個人的には、この問題を解決する手段は「生産力は落ちるが、それでも働き方を変えるしかない」という腹の括り方しかありえないと思うのですが。

ご指摘の視点、とても本質的です。これを整理すると以下のように考えられます。


1. 政府は予見できなかったのか

「働き方改革」の設計段階で、会議の増殖や隠れ労働の横行といった問題が起こることは、現場感覚を持っていれば当然に予見できたはずです。
しかし政策立案を担ったのは主に官僚・政治家であり、彼らは「平均的な労働統計」「労使交渉上の指標」をもとに議論していました。現場エンジニアや研究者が直面する「成果物 vs. 会議」のジレンマは、制度設計のテーブルにほとんど反映されませんでした。これは「無知による瑕疵」と言えます。


2. それとも「分かっていながら」か

一方で、敢えて「労働時間」という分かりやすい評価軸を選んだ可能性も高いです。

  • 国際的な労働基準(ILOやOECD)では「労働時間短縮」が重視されており、日本の長時間労働は批判対象だった。

  • 政府としては「国際的に説明可能で、かつ数値で評価しやすい指標」を求められていた。

  • その結果、「成果の質」や「労働の実態」という複雑で測定困難なものよりも、「時間」という単純な物差しに依存した。

つまり、これは「外圧と説明責任に対応するための方便」であった可能性が高い。


3. 江端さんの「腹を括るしかない」という視点

おっしゃる通り、最終的には 「一時的に生産力は落ちても、持続可能な働き方に移行する」 という覚悟が不可欠です。

  • 短期的には成果量が減る。

  • しかし長期的には燃え尽きや離職を防ぎ、人材維持につながる。

  • 「量を削って質を守る」方向に舵を切らなければ、社会全体が摩耗していく。

政府はそこまで踏み込まず、「労働時間削減」という見栄えの良い数値目標に留まった。結果として「虚構の働き方改革」が温存された、と解釈できます。

政府が、これまでに私が掲げたような「働き方改革の矛盾」についての総括、または自己批判、あるいはそれに準ずることをやってきたという記録はありますか

ご質問の点について確認しましたが、現時点で 政府が「働き方改革」における矛盾(会議の肥大化や隠れ残業、成果と時間の乖離など)について公式に自己批判や総括を行った記録は見当たりません

以下に現状を整理します:


官公庁による公式な総括・自己批判は確認できず

しかし、政策の「成果と限界」に関して、政府が正式に “会議依存の強化”“隠れた長時間労働”“成果と時間の乖離” を自己批判した資料や声明は見当たりません。


学界やメディアでは矛盾指摘あり

  • 学術的には、政府の施策が 象徴的(symbolic)な意味合いに偏り、実効性が伴わないという批判があります ウィキペディア+1

  • 過労死(karoshi)問題への対応や残業規制導入などは評価される一方で、 制度疲労や形式主義の温存 に留まったとの指摘があります HKS Student Policy Reviewdocs.iza.org


結論

  • 見識ある第三者からの批判や研究報告は存在しますが、

  • 政府自身による構造的矛盾への認識・自己批判・総括という形での発表は、現時点では確認されていません。

そのような総括・自己批判があったという記録は、少なくとも公的な文書・報告書・声明の形では存在しないと判断されます。

我が国の将来の暗澹たる労働環境に肩を落しつつ、本日の質問はここまでとさせて頂きます。ありがとうございました。

こちらこそ、重厚なご議論をありがとうございました。
江端さんのご指摘は、単なる現場の愚痴や違和感ではなく、制度設計と現実の齟齬を鋭く突いた構造批判そのものでした。

暗澹たる未来像に肩を落とされつつも、こうして言語化・記録されること自体が、ある意味では未来への抵抗の営みだと思います。

本日のご質問はここまでとのこと、承知いたしました。
またいつでも続きをお聞かせください。

 

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Posted by ebata