緩和ケアおよびモルヒネ使用に関して、読者の方から頂いたメール

2026年2月6日

緩和ケアおよびモルヒネ使用に関する内容について、読者の方からメールを頂きました。

とても有用な情報が満載でしたので、ご本人のご許諾を頂き、メール本文を公開させて頂きたいと思います。

きっかけとなった記事↓

『戦場に強制的に送られてきた若者が、戦場での苦痛や恐怖から逃れるために阿片(アヘン)に手を出し、深刻な中毒患者になった、という話は有名です。次の瞬間に、殺されるかもしれない、殺さなければならない、という極限状態になれば、私は、戦場投入の2日目で絶対的にアヘンやその他の薬物に手を出すと確信しています。』という切り口でChatGPTに、我が国の緩和ケアについて教えて貰った件

江端さま

以前、何度かメールのやり取りをさせていただきました"S"です。
いつも「こぼれネット」を興味深く、楽しく拝読しております。

さて、
https://wp.kobore.net/2026/02/01/post-23938/
にて触れられていた、緩和ケアおよびモルヒネ使用に関する内容について、
父を胆管癌で亡くした経験から、「看取る側」の体験談として、少しお話しさせていただければと思い、筆を取りました。

父は北大工学部出身で助教授を務めていた、いわゆる理系人間でした。
胆管癌が判明した際も、感情的になるより先に「原因と結果」を調べ始めており、その姿を見て「さすが理系だな」と感じたのを覚えています。

切除手術後も腫瘍マーカーが下がらず、抗がん剤治療を続けていましたが、治療中は強い倦怠感や吐き気に悩まされていました。
一方で、治療インターバル中は自分で車を運転して買い物に行ったり、母と旅行に出かけたりもしており、生活の質は一定程度保たれていました。

モルヒネパッチ(経皮投与型の医療用モルヒネ)を使い始めたのは、2回目の転移が見つかった頃だったと記憶しています。
父は使用前にかなり調べ、医師に勧められてからもしばらく考えた末に使い始めましたが、使用後は「もっと早く使えばよかった」と繰り返していました。

当時の父の言葉をまとめると、
・中毒性はない(少なくとも自分の調べた範囲では)
・それまでの不快感が嘘のように軽減した
・多少の高揚感はある(薬の影響かもしれない)
・便秘になりやすい点だけが不快
・車の運転ができなくなったのが一番残念
といったもので、総じて「使ってよかった」という評価でした。

ここまでが、いわゆる「緩和ケアに入る前」の話です。

癌が見つかってから約3年、二度の転移を経て抗がん剤も効かなくなり、モルヒネでも痛みを抑えきれなくなった頃、父は「治療をやめる」という決断をしました。
その考え方は非常に父らしく、

・栄養と水分を極力断つ
→ 癌の活動が低下し、不快感が減る
→ 脳内物質により多幸感が訪れる
→ 結果として穏やかな死に至る

という、ある意味徹底した理系的思考でした。

この決断を実行する場所として、結果的に緩和ケア病棟は最良の選択だったと感じています。

入院前、父には「痛み緩和を名目に過剰な介入や延命をされるのでは」という懸念がありました。
実際には「水分を完全に断つ」ことは病院側から明確に拒否され、最低限の点滴は行われましたが、食事については「出すが、無理に食べなくてよい」という暗黙の了解がありました。

また、患者を苦しめないことを最優先に、モルヒネや鎮静剤は非常に積極的に使われていたという印象です。
父自身も「もっと早くここに来ていればよかった」と言っており、その言葉にどう返すべきか、当時は正直戸惑いました。

容体がさらに悪化した段階で、父から母と私に対して次のように強く言われました。
・苦しそうであれば、ためらわず鎮静を行うこと
・鎮静後は覚醒しない可能性が高いことを理解しておくこと
・鎮静後も苦しむ様子があれば、鎮静剤の増量を躊躇しないこと
(増量が死に直結する可能性も説明されました)

最初の鎮静は母の判断で行われましたが、その後の経過を見ながら医師や看護師に増量を依頼する判断は、私が淡々と行いました。
医療スタッフの方々は、私の態度に少し驚いていたようですが、私自身は「これは父の最後の授業なのだ」と受け止めていました。
父が亡くなった瞬間には、「やり切った」という不思議な感覚が残っています。

長くなりましたが、少なくとも13年前の時点でも、緩和ケアに入る以前から医療用モルヒネは積極的に使われていました。
現在では、さらに一般的になっているのかもしれません。

ただし、経験からお伝えできるのは、
・痛みが完全に消えるわけではなく、不快感は残ること
・緩和ケアで「どこまでを是とするか」を事前に考えておく必要があること
この2点です。

最後に、少しネガティブな側面も記します。
父が入院していた緩和ケア病棟は、患者本人にとっては非常に穏やかで居心地の良い場所でしたが、同時に「毎日人が亡くなる場所」でもありました。

看病中、
・隣室が慌ただしくなる
・翌朝、隣が空室になっている
・誰も面会に来ない患者さんがいる
といった光景は日常でした。

当時の妻(現在は離婚しています)は、この環境に強い衝撃を受け、「こんな場所で一人で死にたくない」と強く訴えるようになり、結果的にそれが離婚の一因にもなりました。
緩和ケアは本人には優しくても、家族にとっては決して楽な環境ではない、という点は心に留めておいてもよいのかもしれません。

長文になってしまい申し訳ありません。
何か江端さまのご参考になれば幸いです。返信は不要ですし、もしコラム等で使えそうでしたら、改変・公開等もご自由になさってください。

これからも、思考を揺さぶられる江端さまのコラムを楽しみにしております。

"S"

 

2026年2月6日未分類

Posted by ebata