「兵士たちの連合赤軍」という本です。
実家に一冊の本が置いてあります
「兵士たちの連合赤軍」という本です。
# 学寮の先輩の部屋にあったものを、拝借し、その後、返却していないだけです。
連合赤軍の兵隊達は著名な大学の出身者であり、基本的に善人であり、世の中の仕組みを変えて、多くの人を助けたいという理想主義者という点で共通しています。オウム真理教にしても同様です。
私は、『革命やら宗教ふぜいに救って貰おうとは思わん。大きなお世話だ』と思うけど、「人を助けたい」と思うそのマインド自体は悪くないと思っています。
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しかしですね、「人を助けたい」というマインドが、「集団リンチ」や「毒ガス散布」になるという理屈が、よー分からん。
で、私も、それらの組織の「教義」やら「方針」やら「理念」について、ちょこっと調べてみたんですよ。
いわゆるコモンセンスから逸脱すること甚しいのですが、一応、細いながらも「一本の糸」のように論理付けはできているようです。
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無理があるのは、この論理付けの中間に「善意の殺人」という概念が入り込むところです。
『教義に従って死ねば天国に生まれる→教義の名による殺人の肯定』
『革命の敵(身内も含む)を排除すれば人民の救済に繋る→革命の名による殺人の肯定』
こんなこと、今更言うまでもないことですが。布教や革命成就の為の暴力を肯定している宗教や政治結社はゴマンとあるのは、ご存知の通りです。
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ようするに、善意で構成されている彼等は、「筋の通った論理」に対抗する力がなかったと言うことです。
「論理」に対しては「論理」でしか立ち向えないというルールを作って、それを守るという律儀さがあった。
集団リンチにしろ、毒ガス散布にしろ、そこに「正当な論理付け」をされ反論ができなければ、それに逆らうことができなかった。
暴力や殺人などのテロを、無条件で「否」と言えない弱さ。
唾棄すべき弱さ。
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この時代にあって、今、我々に求められる力とは、
『あなたには、ついていけません。さいなら』
と言い放って、何もかも放り出して逃げだす勇気、
「逃走力」
かもしれません。
「転向力」といっても良いかもしれません。
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と、ここまで読んだ、あなたは、
「また、江端のあの『停滞主義』論か」
と、うんざりされたかもしれませんが、そうではないのです。
ここから、この文章の論旨は、大きく飛躍し、
「新型うつ」
の話にシフトするのです。