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SILって何だろう


本ページは、 SILに関するコラム(その1) と、 SILに関するコラム(その2) に対してのご批判と、その後のご指導を頂いた、 「真っ赤なレモン @_red_lemon 」さん から頂いたSILに関する有益なご意見を、 可能な限り変更を加えず、掲載したものです。

今回、このような形で、「真っ赤なレモン @_red_lemon 」さんのご意見を 掲載させて頂くに至ったのは、

 

  • 「真っ赤なレモン @_red_lemon 」さん のSILのご解説が、恐しく分かりやすいこと
  • SILに関する基本的な概念を説明する書籍が、現時点において絶無であること
  • 今後の製造業のグローバル対応を考えた時、このご解説の内容は、技術者の皆さんにとって、素晴しく役に立つであろうこと

という理由に因ります。

この度、「真っ赤なレモン @_red_lemon 」さん のご許諾を頂き、この文章を公開 させて頂くことにしました。

なお、本文に関する文責は、全て、この文章を編集した江端智一に帰するものと致します。

2012年11月11日(日) 江端智一

 


Q SILってなんですか?

 

A SILとは、機械の信頼性に関する指標で、平均故障間隔(MTBF:Mean Time Between Failures)という考え方を使います。

簡単に言うと、

「昨日クーラーが壊れたので、今修理してもらった。次はいつ故障しそう?」

「そうだねえ、大体5年後かなぁ」

と言えば、この場合のMTBFは、5年=43800時間 となります。

SILとは、このMTBFで、その装置やシステムの信頼性を示す指標です。ざっくりこんな感じです。

・SIL0:MTBFが10年未満

・SIL1:MTBFが10年以上~100年未満

・SIL2:MTBFが100年以上~1000年未満

・SIL3:MTBFが1000年以上~1万年未満

・SIL4:MTBFが1万年以上~10万年未満

まず、SIL0(シルゼロ)、SIL1(シルワン)、SIL2(シルツー)……という分け方をしているのは、昼定食を「人件費と材料費が1647円の定食」というのを、単に「梅定食」と呼んでいるのと同じことで、単にこうしたほうが、理解と管理がラクというだけのことです。

 

Q SIL1やSIL2というのは分かります。SIL3,SIL4などというものがあるのは何故 ですか。これは、巨大事故発生時の被害者数の期待値と考えれば良いのですか。

 

A SILは製品の期待値がSIL2になるようにするための道具だ、と言ってよいです。

江端さんがコラムで書いている、

>「SIL2の私(原発、電車、旅客機)は、あんたの人生において、1度だけは、あんたを殺すかもしれないよ」ということです。

も、

>つまり、「人を殺すことを前提とした安全」の概念が含まれていると考えれば、SILを理解できるわけです。

も、全くそのとおりです。大局としては間違っていません。

では、私が気になったのはどこか。次の部分です。

>SIL3(MTBF:1000年~1万年未満)やSIL4(MTBF:1万年~10万年)がなぜ必要なのだろう? という疑問が残ります。その答えは「期待値」です。

この考え方の筋道は、的外れです。

SIL3やSIL4が必要な理由は、次の考え方からです。

 


「壊れない」製品を作ることは、できない。(←ここはあきらめている)

そこはあきらめないと、話が先に進まない。

現実を見て物事を前に進められる我々工学の世界の住人は、 理屈にこだわって何もできない人たちよりも、ずっとマシ!

では、どれくらいの頻度の故障だったら、世間は納得してくれるだろうか?



まあ、製品のSILがSIL2だったら、世間は納得してくれるんじゃね?

受容されるんじゃね?

(これは、まさにALARA。納得できるかどうかを厳密に突き詰めることはできない。  人それぞれの価値観の相違があるため、泥沼になる)



それはともかく、最近は部品の集積度が上がった。

「部品の集積度が高い製品」ほど、壊れる確率は高くなっちゃうよね。 どの部品が壊れるか分からないし、製品を使って100年もかかる試験が できるわけないよね。



部品単体なら、加速試験ができるんじゃね?

それに、部品単体のMTBFをすごーく長くしておけば、 製品での試験をしなくてもいいじゃん!

「そ、それだ!」



部品単体のMTBFをどれくらいにすれば、製品の試験をしなくてすむんだろう?

自動車の部品が、約1万個。そのうち、壊れたら安全性に関わる部品は 100個くらい。この100個が壊れなければ安全性には問題ない。

他の部品が壊れても、保証修理でタダで修理すれば済む話だし。

とすると・・・この100個の部品をSIL4(MTBF:1万年~10万年)に できれば、自動車じたいは、ざっと計算してSIL2(MTBF:100年~1000年)だ!



というワケで、部品メーカーのみなさん。SIL4の部品を我が社に納入してください。



部品メーカー「ええ~~!」


どんどんグダグダになっていきましたが、これが真相です。

部品の段階でのSILをSIL4まで上げておくと、 ほとんどの製品(全部品が約1万個、そのうち安全に関わる部品が約100個の製品)で、 ほぼSIL2が達成できます。そのために、SIL4が必要。

安全に関わる部品がもっと少ない場合は、SIL3で足ります。

製品メーカーは、部品代に高いお金を払うかもしれませんが、ラクをします。

なお、SILをいう考え方を自動車業界が強く推進している背景には、 電子部品が自動車に多数使用されるようになった、ということがあります。

電子部品は、機械に比べて部品の集積度が非常に高い。

それまでは自動車の部品を「できるだけ細かいレベルに分けて」数えても、 1万個程度でしたが、電子部品が使われるようになった途端に2~3万個に増えました。 (抵抗1個でもバラして4個と数えるような、極端な数え方ですけれど。)

SILは、「部品の集積度が高い製品」を前提とした考え方から生まれています。

 

Q SILがあって嬉しいことって何ですか?

 

A リスクを抽出し(想定し)、その個々のリスクレベルを全て「社会的に受容できる程度まで低減する」ことです。

これはISOに規定されていることです。

ISOの制定は欧州が主導しており、欧州の考え方の根底には「モノは壊れる。 人は間違える」があります。だから、考え方は「故障をゼロにする」のではな く、「モノは壊れる。人は間違える。それで発生するリスクを含めて、受容で きるレベルまでリスクを低減する。受容できるレベルまで低減されたリスクは、 社会が受け入れるべき」となり、現実的に安全性を確保していこうとしていま す。

つまりは、「社会に受容してもらう」=「人々に納得してもらう。納得させる」 ことも、メーカーにとっては重要になります。

どうやって人々に納得してもらうか。

モノをベースに、客観的な理解を得ようとする取り組みが、SILのような考え 方を導入する動機の一部分としてあります。

通常のメーカーはそうやって、なんとかお客さまや社会に納得してもらえるよ うに努力をしています。

しかし、この考え方には弱点もありました。

例えば、原発の場合、モノを変えずに人を納得させようとしました。

「中長時間の全電源喪失を考えなくて良い理由を作文して下さい」などといった、 モノや実態を見ずに口先だけで人を納得させようとする姑息なやり口をしました。

そして、作文能力の高い人が多かったのでしょう。 優秀な作文がたくさんできたでしょう。

人々は納得させられてしまいました。モノは何も変わっていないのに。 [事故が発生する頻度]は非常に低いものの、ゼロではありません。 それを、ゼロだと思わせ、想定外ということにしました。

 

Q SILが基準としている「物差し」は何ですか。

 

A 人命です。

「SILで想定している『故障』とは、人命に関わるような故障のみを指している」 ということは、知っておかなければなりません。

極端に言うと、

「『安全に停止できるような故障』なら、1年に何回起こってもかまわない」

ということです。

(もちろん、お客さまからクレームが来ないようにしなければなりませんので、  『安全に停止できるような故障』も減らそうとはします。)

 

Q 「SIL4」と言葉で言うのは簡単ですが、1万年以上故障しない部品なんて、 一体、どうやって実現するのですか?

 

A 基本的には電子部品のSIL4などは部品の多重化で達成します。

大雑把に書くと

Aという部品をSIL4にするためには Aの機能を達成する部品を作ります。aとします。

aを試験すると、SIL2でした。

(aの試験は、実際に時間をかけたり、加速試験をしたり、様々な方法で調べます。) aを2個(a1とa2と呼ぶ)、論理的に並列に(or回路、でしたっけ?)組み合わせて、 部品Aとします。

Aはa1とa2の両方が壊れないかぎり正常に機能しますので、

SIL2 × SIL2 = (100年に1回) × (100年に1回) = (10000年に1回) = SIL4

です。 掛け算って素晴らしい。or回路って素晴らしい。

ただこれは、電子部品のような小さい部品だから多重化が可能なのです。

機械部品(歯車とか)では、こうはいきません。

ただしジレンマもあります。

SILには、故障検知という考え方が、どこまでもつきまといます。

SIL2の部品であっても、その部品が故障したことを検知でき、故障検知するこ とで「製品を安全に停止できる」手段があるのならば、「人命に関わるような 故障」には至らないとできます。

できますが、そのためには故障検知するための部品を追加しなければなりませ ん。

そして、故障検知する部品は、たいていはセンサー、電気部品です。

はて?部品の数は減らしたいのに、安全のために部品を増やすとは?では、そ のセンサーが故障したらどうなるのか?センサーの故障を検知するセンサーも 必要?じゃあ、センサーの故障を検知するセンサーが故障したらどうなる の?・・・以下、延々と続きます。

結果として、故障を検知するセンサー部品は、SIL4にせざるをえないことが多 いです。

センサーがSIL4であれば、[SIL4のセンサー]と[SIL2の部品]を論理的に直列に 組み合わせることで(and回路にすることで)、「製品を安全に停止できる」 道は切り開けます。

ただし、センサーという部品が増えるということ自体の解決にはなりません。

なお、どうしてもSIL4の部品を論理的に直列に10個組み合わせた部品を使わな ければならない場合もあり、その場合は組み合わせた部品のSILはSIL3に下がっ てしまいます。

([SIL4]+[SIL4]+・・・+[SIL4]=[SIL4]×10=[SIL3])

そういう事情を勘案した上で、「SIL4の部品を論理的に直列に10個組み合わせ た部品」にはSIL3を割り振ってあげるという措置も必要になってきます。

 

Q ソフトウェアSILというのが、まったくチンプンカンプンです。 「ソフトウェアが1万年故障しない」という概念を、どうやって導き出すので すか?

 

A 天が導き出します。

製品の場合は、初めに機械の仕様を定めます。

「この製品は、10年の寿命(使用)を想定する」とか

「この製品は、30年の寿命(使用)を想定する」とか。

その時点で決定です。

部品の場合は、システム内の各部品に割り当てられます。

「各部品がそれぞれSIL0~4のどれであれば、システムとしてSIL4を達成できるか」 を検討して決定し、割り振るのが、『Vモデル』の前半です。

『Vモデル』の後半で、それが達成できているかをテスト・検証します。

 

Q 「SILが達成された」は、どういう状態を言うのですか

 

A SILが実現できていなかった際には、「どの過程が悪い」とか「どの部品が悪い」とか「どの人が悪い」ということを明確に突き止めることができる状態を言います。

原則的には、自動車を初めとする機械製品に使用される電気電子部品も、 JISB9700-1の枠組みでリスクアセスメントをしリスク低減をし、安全性の確保 を図ることになります。

ですが、そこから話を始めるのでは、電気屋さんやソフト屋さんには敷居が高 すぎます。

「要は、我々は何をしたらいいんだ?」ということで、自動車に使用される電 気電子部品およびソフトウェアの機能安全に特化して定めた規格が、ISO26262 です。

ISO26262の考え方はJIS B9700-1と同じで、「リスクを低減すること」です。

(リスク=[事故が実際に発生した時の重大度(被害の程度)]×[事故が発生する頻度])

こういう枠組みは、責任の所在を明確にするという目的があります。

ISO26262をきっちりと理解し準拠していれば、「SILが実現できた」と言える 枠組みになっています。もしも製品のSILが実現できていなかった際には、 「どの過程が悪い」とか「どの部品が悪い」とか「どの人が悪い」ということ を明確に突き止めることができる、という枠組みです。

たとえば、「製品のSILを元に、各部品にSILを割り振ることができる」ことが 適切に行えなければ、SILが実現できません。割り振った人が悪かった、とい うことになります。

「それじゃあ、結局は人の能力の良し悪しによって製品の安全性が左右される じゃん!」と思われるでしょうが、そうではありません。

認証という話があります。

認証は製品自体のみに行われるのではなく、「製品の安全性に関わる組織」に 対する認証も含まれます。組織内のマネジメントによって適切な能力のある人 材を育成し、適切な人材を配置する(組織マネジメントの)システムが構築さ れているかを監査し認証します。

ですから、「製品のSILを元に、各部品にSILを割り振ることができる」ことが 適切に行えなければ、「そういう人をその業務に携わらせたのが悪い。組織マ ネジメントのシステムの、不備」と結論付けられます。

認証の話に首を突っ込むと、「メーカーに認証を与える機関」に認証を与える 機関やら、『「メーカーに認証を与える機関」に認証を与える機関』に認証を 与える機関やらといった、何がなんやら分からない話が待っています。またし ても、長ーい説明に突入してしまいます。

 

Q なぜ「SIL」の分かりやすい本や解説がないんですか

 

A 製品の安全性に関わる業務をしている人は、忙しすぎるからです。

製品の安全性については、部分的に理解をしている人は多くいますが、それで は全容が語れないのです。全容を理解して語るには、基本原則から実務(具体 的に何をすればいいの?)までを、浅く広く知っていなければ難しい。予備知 識として知っておかなければいけないことが多すぎます。

そして、そういうことをやりたがる人は少ない。いや、仮にやりたがる人が多 かったとしても、多くの人が予備知識を身につけるには、時間がかかりすぎて (コストがかかりすぎて)現実的ではない。「ごく少数の、知っている人だけ が知っていれば良い」という状況になっています。

「分からないことがあれば、そのごく少数の人に尋ねればいいではないか」と。

なので、「具体的に何をすれば良いか?」を尋ねてくる人に回答やアドバイス を与えることだけで忙殺されます。ちょっと詳細に背景や目的まで解説しよう としても、すぐに「もういいや」と言われます。メーカー内でもそんな状況な のに、社会に向けて一般の人に説明しようとすればどうなるか。途中で「ああ、 もういいや。なんやら分からんけども、メーカーでしっかりとやってくれれば いいんだから」と聞くのを諦められるのが必至。

だから、「忙しい」のと「解説を理解してもらうことを諦めている」のが、解 説をしない理由です。

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2012,江端さんの忘備録

皆さんが「安全」と考えているものと、制御システムで定義されている「安全」は、随分違います(が、今日はこの話はしません)。

今、「原子力安全工学」という資料を読んでいるのですが、なかなか怖い記載があったので、一部ご紹介など。

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■スリーマイルアイランド原発事故においては、

設計時には想定されていなかった運転員のエラーにより事故が発生し、中央制御室は、100を越える警報が一斉に点灯して、何が起きたのか判断できなくなる状態になったそうです。

これを、「クリスマスツリー(警報雪崩)」と呼ぶのだそうです。

映画では良く登場するシーンですが、できれば、こういう「微笑ましい」とは対局にある光景を見ることなく、一生終えたいものです。

ともあれ、多重安全設計で「がんじがらめ」にされている巨大システムが、ささいな運転員の操作ミスで、驚くほど呆気なく崩壊していくという、最良の実施例を提供することになりました。

比して、

■福島原発事故においては、

全電源喪失となり、いわゆる

「逆クリスマスツリー(警報無言)」(命名 江端)

となった訳です。

今まで、ピカピカ点滅していた装置、監視用モニタ、そして原発の健全性を証明する計器が、一瞬で全部沈黙。

叩こうが蹴ろうがピクとも動かない。

こっちも、映画では良く登場するシーンです。

映画の場合は、スリル感を盛り上げるために、徐々にシステムが壊れていくシナリオになりますが、こちらは、映画よりももっと壊滅的。

これでもか、これでもか、というくらいに、うんざりする程、多重に準備されたバックアップ電源が、津波による水没で一気に(多分1分内くらいで)全滅。

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制御システムに関わる者として、また、既婚者として、「クリスマスツリー」も「逆クリスマスツリー」もいりません。

何も起こらない、普通の日常が一番いいです。

2012,江端さんの忘備録

私、ドラマが嫌いで、アニメを見るのが好きです。

嫁さんは、この真逆です。

従って、夫婦でテレビを見るというのは、かなりのレアケースです。

「なんでかな」と考えてみたのですが、アニメというのは、結構いい技術研究ネタが仕込まれているからかもしれない、と考えてみました。

ロボットとか、戦艦とかでは、それなりの機械工学の知識が含まれていないと、理系男子でなくとも、薄っぺらく感じてしまいます。

時空間(タイムトラベル)ものにいたっては、相対論やら量子論までもを配慮したシナリオが記載されているし、遺伝子関係についても相当の専門分野の話が入ってきています。

『見ていると、なんか賢くなった気がする(正確には、分かったような気がする)』という魔力が、(ある一部の)アニメにはあるのです。

特に、私のように、技術ネタでコラムを書く人間にとっては、ネタ元としては、結構、舐めてかかれない程の情報が含まれているんですよ。

・・・というのは、多分建前で、まあ、好きなんですよ、私は。特にSFのアニメは。

ただ、私の嗜好が強すぎて、同時に2つ以上のアニメを継続して見る、ということが滅多にありません。

もっと技術的に難しくて、専門的で、基本的には筋が通っていて、技術者が主人公である。そういうアニメは、なかなかないものでしょうか。

# イメージとしては「さよならジュピター」だけど、映画化だけでなく、アニ化メまで失敗されたら、私は立ち直れない。

さて、それはさておき。

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SF以外のアニメの設定では、「不良」「部活」そして「生徒会役員」を扱うものが多いようです。

部活も、かつてはスポーツ部と決まっていたものです。

しかし、最近では、文系も多くなっていますね。漫研、文芸部、ブラスバンドなどはあったのですが、軽音、古典部、かるた部とか、(すみません。ちゃんと見ていません)

―― すごいダイバーシティだ、と思います。

私の世代から見ると、このダイバーシティ(またはバラエティ)は、とてもうらやましい。

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ダイバーシティと言えば、今や「武装する図書館のアニメ」まであるくらい(すみません。見ていません)なのですから、どうでしょう、いっそうのこと、

○政権党(内閣を含む)と野党を取り扱うアニメ

○島の領有権を争う多国間の思惑を取り扱うアニメ

○列強によって分断された国家を取り扱うアニメ

など、誰か企画してみませんか。

なんか、ツイッターを追ってみると、どうもこの手の話題になると、表層的な感情論で、簡単にヒートアップする内容が多くて、正直うんざりしています。

なんの為に、私達は義務教育や受験で、世界史や日本史の勉強をさせられてきたのやら、と溜息がでてきます。

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「歴史」という教科の存在意義は

(1)過去において、この手の隣国間のトラブルなんぞ腐る程あり、

(2)概ね時間の経過(まあ、3ヶ月も必要ない)で軽く忘れ去られ、

(3)忘れ去られる前に、一部の馬鹿が火をつけて、時々回復不能な事態(戦争等)に発展させてしまったこともあり、

加えて、

(4)外交上「白黒はっきりさせない」という戦略が、過去において相当有効に働いてきた

という史実(歴史的事実)を学ぶものだと、私は思っています。

「いい国(1192)作れず、鎌倉幕府」などという、下らない暗記をすることが、歴史の勉強の目的ではないと思っています。

『今回の事件は、過去のあの事件に似ているなぁ』と冷静に把握し、可能な限りの背景事実を収集した上で、筋の通った論理的な主張をすることは、正しいかどうかはさておき

―― かっこいい、とは思う。

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ジオン公国と地球連邦政府(すみません。ガンダムのストーリー全く知りません)の歴史を知る、その気力の1/10で十分です。

隣国と自国の歴史を勉強してみることは、結構良い方法であるし、現実に必要であると思うのです。

でも、多分そんな、楽しくもないこと、誰もやりゃしませんよ。

ならば、いっそ、アニメという手段で、国際政治な動きの裏側を、軽いノリと笑いで表現して、隣国を理解するというのは、良い方法だと思うのですよ。

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いや、難しくないですよ。

我が国の首相や内閣のメンバ、隣国の大統領や中央政治局常務委員を、全員、

「美少女アニメキャラクター」

として制作すれば足ります(多分)。

半分くらいは、真面目な提案です。

2012,江端さんの忘備録

誰も私を「キャバクラ」へも「メイド喫茶」へも連れていってくれません。

「『江端が怒り出す』と思うから」という理由なのだそうです(以前も書きましたが)。

私にはよく分かりませんが。

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「キャバクラ」とは何かを調べてみました。

◯「キャバクラ」は、日本人特有の和製英語で、「キャバレー」と「クラブ」の合成用語

◯歌や踊りのショーを見ながら、お気に入りの女性(ホステスさん)と会話やダンスを楽しむことが発祥で、クラブほどは高くないが、気軽に若い女の子と会話が出来るという、接待サービスの一態様。

◯料金の単位は「1人・時間」

次に料金の相場を調べてみました。

◯基本的に60分5千円で、延長が可能(自動延長もあり)。但し、飲食料金を含まない。楽しく酔っ払って気付くと4時間経っていて、伝票を見ると「3万2000円」ということもある。

◯「事後一斉清算」と「前払い」の2種類もある。当然、店側から見えれば前者が望ましい。

◯「7時~8時4000円/8時~9時5000円/9時以降6000円」くらい。

◯実施例

午後9時から2時間飲んだ場合

基本料金:6000円として2時間で1万2000円

指名料:2000円として2時間で4000円

女の子へのおごり:1000円の飲料を2杯 2000円

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総計 1万8000円

ここにTAXが加わって、ざっくり 2万円

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インモラルな行為もなく、ただ会話をするだけで2万円。

他のサラリーマンは、私とは別口の給料が支払われているのだろうか。

そして、そこでは、一体どんな凄い話術が展開されているのか。

NHKでやっている「日本の話芸」に匹敵するクオリティなのだろうか。

私が、『制御システムのリアルタイム性能』についての話題を振っても、ついてきてくれるんだろうか。

もしかしたら、私が見落しているサブシステムの性能についても、指摘してくれるのかもしれない。

とすれば、「2万円」は、決して高くない。

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なんで、私が、キャバクラについて調べているかというと、先日の打ち合わせで、

「次回の定例報告の資料作成については、作成者として江端を『指名』する」という偉い方の指示があったことに起因します。

「指名された私には、一体いくらの「価値」があるんだろう」と考えたのですが、よく分かりません。

そこで、ケーススタディでアプローチしてみることにしました。

そもそも「指名」という「価値」が、一般的に使われている世界はどこだ。

そういえば、「キャバクラ」と称呼される遊興システムに、「ユウコさーん。1番テーブル御指名でーす」というセリフがあったような気がする。

とりあえず、その世界から調べれば、何か分かるかもしれない。

―― と、まあ、そういう経緯に因る訳です。

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でも、キャバクラの指名料って、1時間2000円程度なんですね。

これなら、多分私の方が高い。

# 根拠はないけど、そうとでも思わないと、仕事なんぞやっていられない。

2012,江端さんの忘備録

国会議員は、国民の信を受けて当選を果すものですから、そこに「信」以外の条件、例えば、財力、学歴、知識、体力、健康状態、愛人関係等は、全部無視して選ばれるべきです。

まあ、資産に関しては、

政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律(平成四年十二月十六日法律第百号)

というものがあるようです。

(私の見落しがない限り、虚偽報告に関する罰則がないみたいです。私に間違いがあれば指摘して下さい)

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「資産」の開示も大事ですが、私としては、国会議員の「見識」を開示をして貰いたいのです。

採点なしで結構です。

解答用紙の内容は全部国民に開示される、ということだけで十分です。

内容は、できるだけ簡単な問題が良く、2~3行程度の論述(図入りでも良い)をして貰うもので、全部で50問程度でどうでしょう。

例えば、

「国内法と条約の内容が矛盾した場合の法解釈について述べよ」

「現在の国内GNP,GDPと国家予算の額(概略)を記載せよ」

「死刑制度に関する私見を述べよ(但しノーコメントと記載しても良い)」

とかになるでしょうか。

私としては、この問題を入れて貰えれば、文句はありません。

「軽水炉型原発の構造図を簡単に図示せよ」

「シーベルトとベクレムの違いを簡単に説明せよ(誤植があれば、それを修正して解答すること)」

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まず、年に1回の試験の実施と、または選挙公示前の立候補者の事前試験として、法律で制定します。

勿論、試験問題の流出がないように、国家から完全に独立した第三者機関(というのが可能かどうかはさておき)が管理し、公平に実施します。

点数を付ける必要はありません。

ただ、全国会議員または、立候補者の解答用紙をWebで開示して貰えば十分です。

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この解答用紙は、選挙の時に大変役に立つと思います。

政権放送なんぞ聞く必要はありません。

消去法で簡単に候補者を絞れます。

忘れがちなのですが、国会とは立法機関(法律を作る組織)なのです。法律に関する基本的な知見もない人を選ぶことはできません。

また、行政庁の長となるべき人が、「原発の仕組み」や「放射能の単位」ごときを理解していないとすれば、到底、国政を任せる気にはなりません。

2012,江端さんの忘備録

記事か見出しだけで、新聞を判別できるだろうか?、という、研究的な興味が湧いてきて、ちょっと書き下してみました。

■読売新聞・・・「ということにすべきである」

基本的には保守で、時々空気を読まない(KY)記事が登場する。

先日、「我が国はプロトニウム最大所有国で、核保有国と同等の軍事脅威を持っている」という社説で、日本中から「それを言っちゃあ、おしまいだろう」と突っ込まれていた。

■朝日新聞・・・「ということに対して、我々はいかに考えていくべきであろうか」

インテリ風の教師が生徒に考えさせる風の「上から目線」記事が、タカビーで「ムカッ」とくる。結論を明確にしない記事(新入社員が最初にやるプレゼンで、要旨不明で上司に怒鳴られるような内容)が多い。

■毎日新聞・・・「という国民の民意を政府は反映すべきだ」

「政府は国民の意見を全て無視して、独断先行している」という内容なら、まず間違いない。平易な文章として記載しているのは、努力しているからと評価したい(記者の知的レベルが低い訳ではないだろう)

■日経新聞・・・「という39%のデータより、株価の水準が・・・」

「数字が真実」であり、「堅調な経済が正義」である、という、一番解りやすい方針を、一番解り難く説明する記事が特徴(数字の意味の理解が難しい)

■産経新聞・・・「というように集団自衛権の行使は・・・」

保守バンザイ。「基本的に政府の方針は間違っていないぞ」の論調なら、まず間違いない。

■赤旗新聞・・・「というような、我々の生活を破壊する消費税は許せない」

基本的に国民が嫌がりそうな事件(増税等)の記事が多いが、その場しのぎで、事件の全体感が見えない。特に桁の多い数値を扱う記事については、絶望的にダメ。電卓やセクセルを扱える記者がいないと見た。

■聖教新聞・・・「創立80周年の大勝利万歳!」

基本的に「恐い」。『大勝利万歳!』が一面トップに出てくると、<北>を彷彿してしまう。もしかしたら「聖教新聞」という名前の、別の雑誌名なのかもしれない。

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その他、前進(中核派機関紙)とか、解放(革マル派機関誌)も調べたのだけど、Googleの画像検索ですら発見できなかった。

# 過激で訳が分からない見出しが印象的だったんだけどなー。

なんとか思い出してみよう。

「階級的闘争を経て、米帝の体制的な行きづまりと日帝侵略戦争の帝国主義打倒粉砕へ全人民的怒りを結集せよ」

うーん、覚えている単語を並べただけだけど、それらしい見出しになりました。

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また、暇を見つけて、調べてみます。

2012,江端さんの忘備録

「給食が食べれない子供時代を経て為に、病気になってしまった大人」って、いるのでしょうか。

昔、給食が食べられなかった子供を、先生達は、居残りさせてまで食べさせていました。

醜悪な光景でした。

あれは意味があったんでしょうか。

多分、先生達も「馬鹿くさい」と思っていたと思うのです。

でも、学年指導教官の指示なので従わなせければならず、指導教官は、校長の指示なので従わければならず、

で、校長は戦後世代の「食料のない時代」に育った子供達だった、と。

「食事を残す」ということが、憎悪に近い行為であったといのは想像に難くないのですが、逆の発想はできなかったのでしょうか。

『戦後の、あの地獄のような食料危機を、俺たちは生き残ってきた』

『給食くらい抜いたって、人間は死にやしないぞ』

『わっはっはっは。』

無理か。

無理だろうな。

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私達だって、似たようなものです。

新人が入ってくる度に、

「新人類」

「ゆとり世代」

「くれない君」

だのと、まるでレッテルを張って「新人を苛める」ことが、まるで我々の業務であるかのような振舞い。

そして、我々はというと、

昔は寮が狭かっただの、席が汚かっただの、パソコンが奪いあいだっただの、TSSで計算ジョブを走らせただの、ワークステーションをプロセス過多で落したの、X端末やモザイクがなんだの、イエローケーブルがどうだの、

ああああああ、まったくもって「うるさい!うるさい!うるさい!」。

おめーらが、不幸だった時代を、なんで俺たちに、いちいち教え聞かせるんだ。

それで、なんか、お前らに「救い」でもでもあるんか。鬱陶しい。

―― と、私も思われているのでしょう。

とても残念なことですが。

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給食を食べれない子は、給食を食べれなくて良い。いつか食べれるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。

仕事ができない新人は、仕事ができなくて良い。いつか仕事もできるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。

我々が劣悪な環境で苦労してきたかもしれない。その苦労は、大変だったかもしれないし、大変でなかったかもしれない。

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「他人のことなど、どうでも良いことだ」

という観念に至るのは、やっぱり難しいことなのでしょうか。

2012,江端さんの忘備録

昨日、大学のゼミの恩師の退官記念祝賀会に出席してきました。

場所は新大阪近くのホテル。出席人数200人超の大きなパーティで、先生のご人徳の賜物(たまもの)と言って良いでしょう。

しかし、当たり前ですが、関西と関東の間は、遠くて高くて時間がかかります。

大学とのコネクションを維持したい人(共同研究や依頼研究や、教授に博士論文の主査になって貰う等)は、大学の近くで就職して、居所を構えるべきだなぁ、と実感しました。

それはさておき。

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先日、この「祝賀会」に関して、以下のような日記を書きました。

====== ここから =====

楽観的な気休めを言うのは、もう止めましょう。

「いつか、どこかで、また出会える」ということが「ない」ことを、私達は知っている。

これからの人生で、再会する可能性が絶無であることを知っている。

会えるとしたら、多分、どっちかの葬式だろう。

しかし、葬式では、お互いに喋れないし、笑うこともできん。

そんなもんに、私は参列しない。勿論、私の方にも来なくていい。

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だから、最後にもう一度だけ、

動いていて、
喋っていて、
笑っている、

皆に会いたい。

私の人生で、苦しい時にいつでも支えてくれる、あの目も眩むような幸せな日々を一緒に作ってくれた皆に ――

―― 最後の最後に、もう一度、心からのお礼を言いたい。

====== ここまで =====

てなことを書いていました。

教授が退官されることになれば、我々が結集する場は事実上無くなります。

結婚する人はもう大体結婚しているから結婚式で集まることもないだろうし、関東と関西では、個人的につきあうには距離が遠すぎる。

遠距離恋愛は、「恋愛」というファクターでギリギリコネクションを維持できる「場合」があり、多くの場合、恋愛は距離に負けます。
(それを、逆に戦略的に使うという手法もあります(今、この場で「江端メソッド」と命名)が、これは別の機会に)

ですから、このパーティの最後には、仲間が号泣するような感動的な別離シーンを予想していたのです。

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私が甘かった。

私の「可愛い後輩達」は、それが、人生最後の出会いであろうが、なかろうが、相変わらず、先輩をいじって楽しむことに、何の躊躇もありませんでした。

『関東なんぞに行ってから、江端さんは変わってしまった。守りに入ってしまった江端さんに、何の価値があるんですか』

『会社に慣れない? そんなこと、最初からここにいる皆が分っていたのに、自分で理解するのに20年もかかったんですか』

『このタイミングで、舞台に乱入しないのですか? 江端さん、私はガッカリです』

いいですか。

この発言をしている彼等は、40台後半に差しかかった、全員がそれなりの社会的地位を有する、大人の男の会話であることを覚えておいて下さいね。大学生じゃないですよ。

帰りの新幹線のキップを握って会場を脱出しようとする私を、物理的に(暴力的に)取り押えて、帰宅を妨害しようとしました(20時台の新幹線に乗らないと、私は帰宅できない)。

彼等は、―― 多分、その後、彼等は私をそのまま夜の大阪の街に放置して、自分達だけは終電で帰宅する ―― そうだ、だんだん、思い出してきたぞ。彼等はそういう奴等(やつら)だった。

間違っても『江端さん、私の家に泊まって下さい』などと殊勝なことを言う奴等ではない。

『まだ夜は寒いですから気をつけて。新聞紙が暖かいらしいですよ』くらいのことは、平気で言う奴等だ。

忘れていた訳ではないのですが、彼等と私の関係は、20年以上の時を経ても、何にも変っていませんでした(もっと変わって良いと、私は思う)。

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そして、彼等は、私の葬式にやって来る。

そして、その葬式の最初から最後まで、私の悪口に花を咲かせ、そして、大声で笑い続けるだろう。

そして、親族や関係者は、私を「そういう人間だったか」と誤認して、私の葬式は、ただの騒乱した宴会と化すだろう。間違いない。

嫌だ。

それだけは避けたい。

何も言えずに、棺の中で黙り続けなければならないなど ―― 想像しただけでも、耐えられない。

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私は今、誇張、反語、いかなる逆説的な意味なく、心の底からお願いしたいのです。

『私の葬式には、絶対に来ないでくれ』

私の人生の最後の最後くらいは、

「私の尊厳と名誉を破壊するような行為に及ばないで欲しい」

と、今、土下座の気持ちで、お願い(懇願)に至っております。

2012,江端さんの忘備録

私が、位置情報サービスの研究を行ってきたという話は、すでに何度か致しました。

この研究を進める上で、最も大変だったことは、技術開発ではありませんでした。

傲って(おごって)いると思われると嫌なのですが、詰るところ、技術というものは、金と人があれば、ある程度まではなんとかなるものなのです。

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位置情報サービスの研究の最大の敵は「嫌悪感」でした。

いわゆる「どこにいるか第三者に知られるのが嫌」という奴です。

「プライバシー」という言葉で良く語られてましたが、この「嫌悪感」なるやつは、まったく異なる観点から、我々の研究を技術開発を徹底的に邪魔しまくりました。

『そんな、プライバシーの侵害になるサービスが流行る訳がない』だの『人格権の侵害』だの、と、まあ色々言われて、研究の邪魔になること、まあ果てしなかったこと。

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私は、その度に思ったものです。

「あんたは、あんたの時間に、突然、予告もなく割り込んで、プライバシーを平気で破壊する機械 ―― 携帯電話 ―― を持ち歩いているが、それは良いのか?」

とか、

「世界中の地図を開示され、さらに自宅の外観写真まで公開されて、大騒ぎしていたのに、今は、もうどうでも良くなったのか?」

とか、

「殆どの駅に、ほぼ間断なく設置されている監視カメラは、あんたの顔を完璧に記録しているが、これは気にならないのか?」

とか。

私が不愉快に思うのは、プライバシーを標榜するくせに、その取扱に一貫性がなく、論理破綻していることです。

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しかし、まあ、「嫌悪感」とはそういうものだということは理解しています。

完璧に論理的であることは、人間であることを否定するようなものでしょうから。

それと、年頃に至ってない娘を持つ父親としては、娘達の位置情報は勿論、電話、メールアドレス、その他、ありとあらゆる情報が、第三者に漏洩することは、やはり心配ではあります。

とは言え、我々の存在している場所が完全に把握され、第三者に共有されることは、時間の問題だと思います。

#Facebookで、私はこれを確信しましたね(後日語ります)。

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では、ここで一つのテーゼを提供してみたいと思います。

世界の全ての人間の位置情報が、全て開示された世界において、何が起こるか?

私には、一つの仮説があります。

「どーでも良くなる」

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我々は他人の行動やプロセスには興味がなくなり、

その人の嗜好や属性も気にならなくなり、

その人と私との間におけるインターフェースだけが重要な要素になる、と。

隠されない(隠すことができなくなった)本人のプライバシーは、本人の属性としての個性と同化します。

その気の遠くなるような膨大な種類の価値観は、もはや、その人が「何を嗜好しているか」という観点を消滅させてします。

ただ、「その人」と「私」の関係性は、「価値があるか/ないか」のみの価値観で支配される世界になる、ということです。

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うーん、これでは良く分からないか。

では、卑近な例ではあるが、実施例を提示してみよう。

例えば、

「ゴスロリの衣装を着ている上司(男性)に、書類の決裁の印鑑を貰いに行く」

「パンクファッションをしている銀行員に、融資の相談をする」

「幼女趣味であることが分っている社長の会社に、入社する」

というイメージでしょうか。

# うーん、上手くないなぁ・・・。まだ私も整理しきれていないのです。

要するに、ありとあらゆる人間としての属性を切り捨てた、究極の「インタフェース社会」の具現化、と言えるものになるのだろう、と考えています。

2012,江端さんの忘備録

『力のない主人公が、様々な苦難に直面しつつも、それらを乗り超えて、最後には成功する』

という、予定調和的なドラマが多いですよね。

でも、時々思うんですよ。

「前向きに、意気揚々として、希望を持って『夢を諦める』ドラマ」ってないものですかね。

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「諦める」とまで言わなくとも、

○「夢」の閾値(しきいち)を下げる
○「夢」のベータバージョンをリリースする
○「夢」を一旦、留保する
○「夢」へのアプローチ、または対象を変更する

ということは、私達が生きていく為に、日常的に、普通に行っていることです。

「夢」を究極に追求するということは、その為に究極的に不利益を詰み上げる覚悟を持つということです。

その不利益とは、恋人ができなかったり、社会的信用を失ったり、収入が得られなくなったり、下手をすると衣食住にも不足する、と言うことです。

私達は、そういう人を、日常的に「バカだ、アホだ」と陰口を叩いている一方で、「下町でロケットの部品を製造している話」に感動します。

ぶっちゃけて言えば、

「夢」は叶うことで、遡及してプロセスが評価され、
「夢」が叶わなかったら、一生バカにされ続ける、

と言うことです。

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「夢を諦める」ことは、もっと前向きに、もっと高く評価されるべきだ、と思うのです。

そして、

『私は自分のやりたいことが分からない』

という若い方達に、

「大丈夫。殆どの人が『分っていない』。そして、殆どの人が、別段、やりたいことを目指して生きている訳でもない」

と、きちんと教えて上げたいと思うんですよ。

その為には、「ドラマ」は、てっとり早い手段かな、と。

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♪あなたの夢を諦めないで~(岡村孝子)

と言う歌があります。

私も、何度か、そういう内容の手紙を貰ったことがあります。

でも、突っ込んでしまうんですよ。

「お前はどうなんだ?」

って。