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まる2日間、断片的に、合計20時間以上は寝たのですが、症状が改善しません。

I slept for two full days, piecemeal, for at least 20 hours, but the symptoms have not improved.

夜中に目が覚めて、つばを飲み込むだけで激痛が走り、体は火照りつづけ、炎症抑制剤も、鎮痛剤も、全く効果が感じられません。

I wake up in the middle of the night, just swallowing a spit causes extreme pain, my body continues to burn, and I feel no relief from any anti-inflammatory or painkiller medications.

大きな咳をすると、激痛とともに、痰が喉にからんで、声が出なくなりました。

When I coughed loudly, I had severe pain, phlegm stuck in my throat, and I lost my voice.

声が出ない、というのは、結構大変なことでした(これはリモートやっていると気がつかないことですが)。

It was quite a challenge not to be able to speak up (which is something you don't realize when you're doing a remote).

何しろ、1フレーズを意味のある言葉にするのに、大声を出すくらいの勢いで、ヒューヒューという摩擦音のような音(?)になり、恐しく体力を使います。疲労も半端ではりません。

After all, it takes a lot of energy to transform one phrase into a meaningful word, so much so that it becomes a loud, hissing, friction-like sound(?). It is very strenuous and exhausting, but the fatigue is not half bad.

水を飲まなければいけない、とは分かっているのですが、水分摂取が、喉の激痛との交換条件となっており、これが大変に辛い。

I know I need to drink water, but water intake has become an exchange for the severe pain in my throat, which is very painful.

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それでも、今日、2ラウンドの会議がありました。両方とも流会とすると、来年からの仕事に影響のあるやっかいな案件です。

Still, I had two rounds of meetings today. If both of them are canceled, it will be a tricky matter affecting my work starting next year.

声がでない会議の取り纏めというのは ―― 結構な地獄です。

To organize a meeting where I don't have my voice is pretty hellish.

この痛みを麻痺させて、一時的に声が出て、から元気が出てくるものなら ―― 今の、私は、大麻だって、覚醒剤だって、何だってやります。

If I can numb this pain and temporarily have a voice and feel energized from -- now, I'll do anything, even marijuana, even methamphetamine.

処方してもらった薬が、役たたずなら、仕方ないじゃないですか。

If the medicine I've been prescribed doesn't help, what choice do you have?

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緩和ケア(ホスピス)というものがあります。激痛を伴う末期患者の最後の砦です。

It is called palliative care (hospice). It is the last resort for terminally ill patients in severe pain.

末期患者でない緩和ケア ―― まあ、それが、病院とかクリニックとか言うものでしょうが ―― それが役に立たない場合は、100%自己責任の「緩和ケア」の手段が欲しいです(マジです)。

Palliative care for non-terminal patients -- well, that's what you call a hospital or clinic -- if it doesn't help, I want a means of 100% self-directed “palliative care” (seriously, I'm serious).

これまでずっと言い続けてきましたが、私は苦痛に対して、豆腐のような根性しかありません。

As I have been saying all this time, I have only the guts of tofu when it comes to pain.

私が、偉そうなことをほざいていられるのは、痛みがない、調子の良いときだけです。

I can only imply great things when I am in good shape and not in pain.

だから、何人も私の存在を脅威に感じる必要はありません ―― そんな人がいるかどうははさておき。

So there is no need for any number of people to feel threatened by my presence -- whether or not there is such a person is beside the point.

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コロナ禍の中、私は、一度も病欠したことがありませんでした(別にそれを自慢にしている訳ではないのですが)

During the coronavirus disaster, I never once took a sick day (not that I'm proud of that).

私は、手洗い、睡眠、栄養、そしてソーシャルディスタンスには十分に配慮してきました。

I have taken great care with hand washing, sleep, nutrition, and social distancing.

今でも、油断している訳でもないとは思っているのですが、今日、ついに動けなくなりました。

I still believe that I am not being careless, but today I finally got stuck.

高熱はないのですが、悪寒、頭痛、そして喉の痛みが酷くて、苦しくて布団の上で転がり回っていました。

I didn't have a high fever, but I had chills, a headache, and a very sore throat, and I was rolling around on the futon in agony.

私、年末の飲み会にも極力出ないようにして、注意していたのですが、結局、この様です。

 I tried to be very careful and avoid attending year-end drinking parties as much as possible, but in the end, this is what it looks like.

クリニックで処方された薬では十分な鎮痛効果が得られなかったので、今はロキソニンを継続して服用しています。

The medications prescribed by the clinic did not provide adequate pain relief, and I am now on a continuous dose of Loxonin.

今は、キーボード打つのもしんどいので、ここまでとさせて下さい。

It's hard to type on the keyboard right now, so stop here.

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江端さんのひとりごと

「渋谷駅の惨劇」

Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:06:42 JST 1996

「江端さん!D大機器研究室東京支部の飲み会をしましょう!!」

大学の後輩のDから電話がかかってきたのは、私が2X歳の誕生日を迎えて3日目のこと。Dは私より2年年下の電気機器研究室ロボット班の後輩で、大学院を卒業した後、東京のT芝に入社して今日に至っています。

D大のほとんどの卒業生達が関西方面に就職するので、いわゆる我々『東京組』は人数も集まる機会も少ないのです。そんな訳もあって、私もその時、特忙しいと言う訳もなかったので、後輩の誘いを受けることになりました。

それから一週間後。

私はフレックスを使い30分ほど早く退社して、待ち合わせ場所である渋谷駅のハチ公前に向かいました。ハチ公前の電話ボックスのところでは、Dと同期の後輩Kがすでに来ていて、私を待っていました。

この時、私は始めて後輩のKが結婚すると言う話を聞くことになります。

「そうか、よかったな。おめでとう!」と、先輩らしく笑顔でKに言いながら、私は自分の目が笑っていないことに気が付いていました。

私たち3人は、渋谷ハンズの方面に歩きながら、適当な飲み屋を探していました。そして色々迷った挙げ句、ある居酒屋に入ることになったのです。そしてこの居酒屋こそが、私の人生において決して忘れられない、忌まわしい思い出のスタート地点になることなど、その時の私に知るよしがありません。

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渋谷は若者の街です。大学院在学中に、M大学の学会発表の時に初めてこの街に来た時以来、私はこの街が好きです。何となく無秩序なのですが、新宿ほど汚くないところが気に入っています。当然、渋谷の居酒屋の客は圧倒的に若者が多く、そのノリは異様にテンションが高いので、素面の状態でお店に入ると、何となくムカっと来るほどです

「君達は、下宿に帰って勉学に励みたまえ!」

「色食は明日の授業の予習復習をして、なおかつ時間が余った余暇に興ずればよろしい」

などと、自分の学生時代を省みることなく説教したくなってしまいます。

ま、酔っぱらってくるまでだけですけど。

大ジョッキのビールを少なくとも3杯はおかわりをしたでしょうか。私たちは、仕事や結婚、女性の話題で盛り上がりまくり、大変な勢いでアルコールと食べ物を注文していました。回りの学生達のノリに決して負けない程のはしゃぎ方でした。

ビールの後、日本酒をお銚子5、6本、ワインに至っては、ボトルどころかピッチャー単位で注文する有り様。そのワインは非常に値段が安かったので注文してしまったのですが、「安酒=悪酔い」の仕組みは、酒をたしなむ人の常識です。それなのに、私はそのワインを水を飲むように、がんがん飲みまくっていたのでありました。

程々に酒を過ごした後、トイレに行こうとしたときです。歩いている時、そう、それはほんの一瞬のことでしたが、空間がわずかに傾いて歪んだように見えました。足どりも少し危なくなっているように感じましたが、自分のアルコール許容量を感覚で分かっているつもりでした。限界にはまだまだ余裕があるように思いました。

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「お酒は楽しく美しく」と言うのが、私の酒の美学です。

酔っぱらって気分がハイになるのを許しても、人に絡んだりする奴を私は許しません。理屈っぽくなる奴も遠慮したいです。感情的になる奴は論外です。況や、街の中で眠りこけたり吐いたりする奴は、万死に値します。セルフコントロールが出来ない酒飲みは、酒を楽しむ権利がないばかりか、私は人権すら剥奪したいと考えます。

ですから私が酒を飲んでいるときは、実に楽しく飲んでいる様に見せていても、その実、頭の中で怜悧でかつ緻密な計算ルーチンが走っています。私にとって「酔った勢い」とは、実は精密に仕組まれた芝居であることがあります。

そんな訳で、パーフェクト セルフコントロールパーソン フォー アルコールを密かに自負する私は、その日も渋谷で懐かしい後輩達と杯を傾けながらも、過去の経緯に基づいた安定ペースでお酒を楽しんでいるつもりだったのです。

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私が自分の体調の異常を感じ始めたのは、お店を出て渋谷駅前の交差点を彼らと一緒に歩いていた時です。

お酒を飲み終わった後一定のこころよい酔いがやってきて、時間が過ぎて行くのにつれて少しずつその酔いが消えていく、と言う私のいつものパターンが現れてきません。

むしろ、その逆の兆候が現れてきます。非常に微かなのですが、体がばらばらに動いていると言う違和感、脈拍の鼓動に同期して、こめかみがぴくぴくと動いている感覚、そして、頭の中で大きな石が転がっているようなゆっくりした鈍い痛さ。

それは、言いしれぬ不吉な予感でした。

丁度、風邪のひき始めの時の身体がざわっとする感じに似ています。もう薬を飲んでも、十分に休んでも、栄養のあるものを食べても、一切が無駄で、間違いなく今夜は高熱で苦しむと言う確信に似た、あの感じに欲にています。

もうすぐ夜の9時になろうというのに、渋谷の交差点は相変わらず凄い人の波でごった返していました。私は少し『酔ったふり』をして後輩達におどけてみせたりして、大声で笑って見たりしていたのですが、本心は、一刻も早く彼らと別れねばならないとあせっていました。

『今日は何かが起こる。そして、それは絶対に悲惨なことになる。』と確信したのでありました。

私は駅で彼らと別れるふりをして、彼らが消えるのを確認すると、駅とは逆の方向に歩き始めました。少し渋谷の街を歩いて少しでもアルコールを身体から抜こうと考え、繁華街の方を離れ、駅のガード下の辺りを歩いていました。

途中、自動販売機でウーロン茶を2本飲んで体内のアルコールを中和しようと試みましたが、無駄でした。それどころか、歩いたことが裏目にでたのか、激しい頭痛と身体のしびれる感覚で真っ直ぐ歩くことも出来なくなり、ついに歩道でうずくまって座ってしまいました。

渋谷でも、ちょっと表通りの裏側に回れば、ほどんど人通りのない寂しい場所になります。うずくまって、うつろな目で前の建物を見ると、1泊9700円と垂れ幕がかかっているラブホテルがありました。

『一人で入ったらやっぱり怒られるのかな』と、ぼんやり考えていました。近くにお姉さんが歩いていたら、お願いして一緒に入って貰うようお願いしよう、などと考えていた私は、泥酔状態からくらくらする苦しみにのたうちまわりながら、既に論理的な思考を失っています。

初冬11月の夜風は冷たく、ここで眠ったら真剣にやばいと言うことは分かっていたようで、私はもつれるように歩きながら、東急田園都市線の渋谷駅のホームにたどり着きます。そして丁度今入ってきたばかりの電車にそのまま飛び乗ったのでありました。

渋谷発の東急田園都市線は狂気です。何しろ最終電車でさえ、早朝ラッシュと同様の大混雑。夜9時の電車は渋谷駅で超満員。なにしろ他の駅で下車出来ない人がいる程です。

しかし、信じられないことに、私がその電車に飛び乗ったときには幾つかの席が空いていたのです。中年のおばさん達が見苦しく席取りをするのを、いつもいつも軽蔑の目で見ていた私でしたが、その時の私は、そのおばさんさえも眉をしかめるだろうと言うくらい浅ましい所行で人を押し退け、席を確保します。そして、無事に座ることが出来たことに対して、本当に久しぶりに神に感謝することができたのです。

電車の席に崩れ落ちると同時に意識を失ってしまった私が、目を覚ましたときには、電車の中にはほとんど人がいなくなっていました。

(変だ・・・)

私は直感的に何かがおかしいと言う感じに襲われました。

(電車は今、停車している。と言うことは駅で停車しているはず・・・)

朦朧とする頭で、状況を理解しようとする私。

(少なくとも現在・・・夜9時は余裕で経過しているはず・・。)

(なのに、この電車の窓から入ってくる明るい光は一体・・・)

そして次の瞬間、私は顔面から、さーっと血が引いていくのを感じました。

まさか----!

ゆっくりと恐る恐る駅のホームの方を振り向いて、反対方向の線路の駅名のプレートを見ました。そこにはまごうなき事実がありました。

『大手町』

東急田園都市線と地下鉄半蔵門線は、渋谷駅で相互乗り入れを行っています。そして『大手町』とは、地下鉄半蔵門線の終点の1つ前の駅だったのです。電車の窓から入ってくる明るい光とは、地下鉄のホームの明かりだったのです。

渋谷駅で座れるはずです。

私は逆方向の電車に乗り込んだ挙げ句に、終点の手前まで来てしまったのです。

そのショックもあってか、その時私は突然激しい嘔吐感に襲われます。胃の中味が消化器官を逆流して、胃液が食道を焼いているような不快感に加え、喉のいちばん深いところまで嘔吐物が遡り、口の中に酸っぱい味が広がっていきます。この世のものとも思えぬ、気色の悪い苦しさです。

大手町駅で逆方向の電車に乗り込んだ私は、少しでも油断すると胃の中のものが戻ってきそうな不吉な予感で、意識を失うことも出来ません。腕を反対側の指でおもいっきりつねって、痛さの方向に意識を向けることに必死でした。

ところが、渋谷駅の一つ前駅である『表参道』駅で、多くの人が一気に乗り込んで来て、電車の中はいきなり早朝ラッシュのようになりました。

-----渋谷ではさらに多くの人が乗り込む。

この厳粛な事実に加え、さらに私は嘔吐感の間隔が少しずつ短くなってきていることから、絶望的な結論に達します。

『どんなにがんばろうとも、私はあと十数分以内に確実に吐く』

満員電車の中で吐く。

そんなことが、人として許される所行であろうか?

否!!

それだけは絶対に避けねばならぬ。勝負はあと数分。もはや寮に帰って、ゆっくり休むと言う手段は絶たれた。ならば----!!

渋谷駅に到着しドアが開くやいなや、もつれるような足どりでホームに降り、そのまま口を押さえて、前かがみのまま十歩程歩いたところで、倒れ込むように手を地面について4つんばいになった瞬間。

多くの人たちの溢れる渋谷駅のホームの丁度真ん中あたりで、私は自分の胃の内容物をホーム一杯に盛大にぶちまけていたのでありました。

吐いている最中は息が出来ず、息を吸い込もうとすると、逆に息がひっかかって、『ゴホッ!』とせき込むように吐くことになり、私は苦しみのあまり肩で息をして、口からは嘔吐物とよだれが垂れていました。目はうつろとなり、恐らく顔色は真っ青になっていたはずです。もはや4肢を支える力の他には、わずかの力もなく、嘔吐物を拭うことも出来ずに呆然としていた私でした。

しかし、悲劇はこれにとどまりません。

とりあえずこれで最大の危機は脱したので、しばらく休んでいれば楽になるだろうと、辛うじてその場を離れた私でしたが、20メートルも歩かない内に第2波の嘔吐が襲ってきました。一度吐いてしまってストッパーが外れたのでしょうか、私は抵抗する間も与えられず、先ほどと同じようにホームでうずくまり、同じ悲劇を再び繰り返すことになります。

多くの人でごった返す渋谷駅で、嘔吐物を吐き散らす私を人々はどの様にみていたのでしょうか。回りを見ている余裕はありませんでしたが、冷たい視線が背中に突き刺さる感じだけはしっかり覚えています。

『これは、私がこれまで多くの酒飲み達を、自分の勝手な倫理で断罪してきた報いなのだろうか?』

『誰も彼もが無責任に酔っていた訳ではなかったのだろうか?』

『ああ、俺は本当に何も解かっちゃいなかったぜ。街角で、一人で寂しく吐いていた、あのおっさん、ごめんよう。俺が悪かったよ。今度は助けてやるからな。』

キヨスクの建物のところで倒れたまま、私は混沌とする意識の中で考えていました。

そして、体を横にしたまま、うずくまるように昏睡し続けたのでありました。ちらっと、このまま儚くなってしまうのも悪くないか、などと考えたりしていました。

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「おい、若いの!大丈夫か!!」と言うだみ声で、私は目覚めました。目の前には、髭面の年の頃にして40代、小太りの顔の赤いおっさんが立っていました。

「おい、若いの。立てるか」と言う言葉とうらはらに、その声は陽気でした。

「俺は青葉台だ!お前どこだ?!がっはっはっ!!」と非常に大きな声のおっさんは、すっかり出来上がっているようでした。

その頃には気分よくホームで昏睡していた私でしたので、そのおっさんのだみ声は単にうるさいだけでした。もう少しだけ、こうしてホームの上に転がって休んでいれば、そのうち気分もよくなってくるだろうと考えた私は、無言のまま、構わなくていいから向こうにいってくれ、と言うように手で追い払うような仕草をします。

しかし、おっさんの方は一向に私を無視してくれず、色々かまってきます。私はやむなく立ち上がり「だ、大丈夫ですから。」と言って、おっさんのそばを離れ、そこから10メートルほど離れた駅の柱にもたれ掛かり、再び寝入ってしまいます。

その後、寝そべっている私に、明らかに悪意を込めて全体重をかけて踏みつけた足が、少なくとも2本はあったと記憶しています。

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うつろな意識で最終電車のアナウンスを聞いたのは、午前1時。私がホームで倒れたのは10時くらいですから、実に3時間も渋谷駅のホームの地面に倒れ続けていたのでありました。

その間、泥酔したおっさんを除けば、助けてくれる人はひとりもいませんでした。駅員もあんなに多くの乗客も誰も彼も、倒れている私の横を通り過ぎていくだけだったのです。

最終電車のアナウンスを聞き、この時間になっても人でホームを闊歩するたくさんの人たちを見つつ、ぼーとした頭を何度も振って、まだときどき襲ってくる嘔吐感を押さえながら、私はつくづく思ったものです。

「本当に東京は恐ろしい街だ」

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なぜ、最終電車がこんなに満員なのかは解りません。この街は寝るべき時間に眠らない街なのだと思わざるを得ません。勿論、席に座ることの出来なかった私は、吊革に両手でぶら下がりながら、口を大きく開けて、『はっはっ』と持久走をしているときのように、なるべく多くの空気を取り込もうとしていました。

(アルコールを酸素でできるだけ速く分解するのだ。アルデヒドを分解するんだ。一刻も速く酢酸に!!)

頭の中では、エチルアルコールやアセトアルデヒドの化学式がぐるぐる回っています。気の毒に、私が立っていた前の席のOLのお姉さんは、『はっはっはっ』と苦しそうに息をしながら、正面の窓ガラスをひきつった目をして睨みつけている私の仕草におびえていたような目をしていました。

東急たまプラーザ駅に着いた時には午前2時ちょっと前。当然、バスなど走っていません。タクシーに乗り込んで「ひ、日立、美しが丘寮」と言ったのを最後に、そこで私の記憶は途切れています。

今となっては、その後どうやって、部屋にたどり着き、ベッドに潜り込んだのかも、もはや知る術はありません。

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今でも私は、あの時のアルコール摂取量が自分の許容量を越えていたとは思えませんし、正確な判断が出来ていたと信じています。

では、何故私はあの時あのような醜態を晒さねばならなかったのでしょうか?

昔、私には気の良い仲間がいて、彼女がいて、一生懸命な学問がありました。お金は無かったけど、理想を語れる人と場所と時間と酒がありました。どんなに徹夜をしてレポートを書いても、天下一品のにんにく入りラーメンとインスタントコーヒーさえあれば、次の日には、夜を徹して六甲山にドライブに出かけて、神戸の夜景を見ることができました。

2X歳の誕生日を迎えて3日目のあの日、私はあの時代に戻ったような気になっていたような気がします。

でも、やはり月日は流れていて私は変わっていたのでした。

どんなにあの頃と同じ様なつもりでいても、いつの間にか私の心も体も少しずつ少しずつ人生の最高潮の時代から、階段を一つ一つ降りていく様に、変わって行っていたのでした。

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私は最近、静かにお酒を楽しむようになりました。昔のように、泥酔して大笑いしてと言う飲み方はしません。

そして、時々居酒屋で若者達が、若さに任せて酒を振り回すように飲んでも、不愉快になることもなくなりました。

(----君達よ。君達にもいつか来る。ある時、突然今まで当たり前だったことが、突然できなくなる日が。今まであったものが、予告もなく消え去る日が。見苦しく醜態を晒す日が。)

彼らの方を見ながら、私は微かに笑みを浮かべます。

限りないいとおしいさと侮蔑と悲しみと、そんな複雑な感情が入り交じった想いが、突然こみ上げて、消えて行きます。

(----だが、その時までは世界は君達のものだ。それまでは存分に楽しむがよい。)

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今でも、私は私の嘔吐物を片づけねばならなかった人のことを考えるにつけ、胸の痛む日々を送らねばならなくなりました。匿名で渋谷駅駅長宛に慰謝料を送金する計画は、現在も慎重に検討されています。また、嘔吐物処理専用のボランティアに志願することも、考えています。

あの事件以来、私は多くの人たちに少しだけ優しくなれたような気がします。

こんど誰かが駅のホームで吐き散らしながら倒れていたら、少なくともその人の脈を取り、隣にウーロン茶を置いてきて上げよう、と思っています。


Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:06:42 JST 1996

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私は、演劇やコンサート後に行われる、予定調和的なアンコールが嫌いです。これにはどういう(歴史的)背景があり、どういう意味があるのか、論理的に説明して下さい。

予定調和的なアンコールには、演劇やコンサートの歴史的背景と社会的慣習が関係しています。以下にその背景と意味をロジックで説明します。


1. 歴史的背景

  • アンコールの起源
    アンコールは、18世紀頃のヨーロッパで始まったとされています。当時、観客が特に感動した演目や曲に対して「もう一度演じてほしい」という意味で声を上げたことが起源です。これがやがて公演の一部として定着しました。
  • 予定調和化の過程
    時代が進むにつれて、観客がアンコールを求める声を上げるかどうかに関係なく、あらかじめ演者やプロデューサーがアンコールを用意するようになりました。これは以下の要因によります:

    • 商業主義の影響:観客の満足度を高め、次回の集客につなげるための演出。
    • 文化的期待:観客が「アンコールは当然あるもの」と期待するようになったため、求められなくても提供されるようになった。

2. 社会的意味

  • 観客と演者の儀式化された交流
    現代のアンコールは、観客と演者の「最後の交流」としての象徴的な意味を持っています。予定調和的であっても、形式的に「もう一曲」や「最後の挨拶」を行うことで、演者と観客の間に「公演が成功した」という共通認識が生まれます。
  • 期待と満足感の提供
    予定調和的なアンコールは、観客に「特別なサービス」を提供しているように見せる効果があります。観客は「お得感」や「予想を超える体験」を得たと感じるため、満足度が高まる傾向があります。

3. ロジックによる評価

  • 予定調和の利点
    • 演者と観客の双方が心地よく公演を終えるための「安全装置」として機能。
    • 演者のスケジュール管理がしやすくなる(アンコールが事前に計画されているため)。
  • 予定調和の欠点
    • 本来のアンコールの意味である「特別感」や「観客からの熱狂的な要望」が失われる。
    • 一部の観客には「形式的すぎる」と感じられ、演出の誠実さに疑念を抱かせる。

結論

予定調和的なアンコールは、演者と観客の関係性を円滑にし、商業的成功を支えるための歴史的・文化的産物です。しかし、その形式性が本来の感動を薄める可能性もあります。この背景を理解すると、予定調和的なアンコールが一種の「慣習化された演劇の締めくくりの儀式」であることが見えてきます。

 

 

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VMAF(Video Multi-Method Assessment Fusion)は、動画の品質を評価するための指標で、主にFFmpegなどのツールを使用してローカル環境で計算されます。しかし、オンラインでVMAFスコアを計算できるサービスも存在します。

例えば、「VMAF-on-browser」は、ブラウザ上でVMAFスコアを計算できるオンラインツールです。このツールを使用すると、ソフトウェアのインストールや設定を行わずに、手軽に動画の品質評価が可能です。

使用方法:

  1. ウェブサイトにアクセス:
  2. 動画ファイルのアップロード:
    • 「Reference Video」と「Distorted Video」の欄に、それぞれ元の動画ファイルと品質を評価したい動画ファイルを選択します。
    • 対応する動画形式は、mp4、webm、mkvなどです。
  3. VMAFモデルの選択:
    • 「VMAF Model」のドロップダウンメニューから、使用したいVMAFモデルを選択します。
    • 一般的にはデフォルトのモデルで問題ありませんが、特定の用途に応じて他のモデルを選択することも可能です。
  4. 計算の実行:
    • すべての設定が完了したら、「Compute VMAF」ボタンをクリックします。
    • 計算が開始され、完了するとVMAFスコアが表示されます。

注意点:

  • アップロードする動画ファイルのサイズや長さによって、計算時間が変動します。
  • ブラウザの性能やインターネット接続状況によっては、処理が遅くなる場合があります。
  • プライバシーや機密性の高い動画をアップロードする際は、セキュリティに十分注意してください。

このオンラインツールを活用することで、ローカル環境での設定やインストール作業を省略し、迅速に動画の品質評価を行うことができます。

 

 

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NHKの「解体キングダム」という番組がありますが、この番組構成と同じような形態で、人生の終りを計画・実行する「終活キングダム」を考えて下さい。

「終活キングダム」というテーマに基づく番組構成を提案します。この番組は、視聴者に終活(人生の終わりに向けた準備)についての具体的な手順やアイデアを提供することを目的とし、解体キングダムのようにプロジェクト形式で進行します。


番組タイトル

終活キングダム ~人生の最終章をデザインする~


番組構成

1. オープニングセグメント

  • 番組のテーマを簡潔に紹介。
  • 視聴者が抱える「終活」への不安や課題を映像やインタビューで紹介。
  • 「今日のプロジェクト」を発表。例えば、遺品整理、生前契約、デジタル遺産の管理、終活イベントの準備など。

2. プロジェクト開始

  • 番組ホスト(終活コンサルタントや専門家)が登場し、具体的なゴールを設定。
    • 例: 遺品を整理し家族に思い出を伝える、デジタルデータの整理とメッセージ作成など。
  • 専門家チーム(弁護士、遺品整理士、ライフコーチ、医療関係者)がプロジェクトをサポート。

3. ドキュメントパート

  • 実際のプロジェクト遂行の様子を追う。
  • プロジェクトの対象者(高齢者やその家族)が抱える感情的な葛藤や課題を描写。
  • 専門家が終活のアイデアや技術的なノウハウを提供。
    • 例: 家族とのコミュニケーション方法、効率的な整理術、法的手続きの解説。

4. エモーショナルセグメント

  • 家族や親しい人々との会話や手紙の準備など、感動的な場面を挿入。
  • 視聴者が共感できるように、実際の人生エピソードを共有。

5. プロジェクトの完成

  • 成果を視聴者に報告。
  • 例: 整理された家、メモリアルビデオ、生前葬の準備が整った様子などを紹介。
  • 対象者の感想や心の変化を語ってもらう。

6. エンディングセグメント

  • 番組を通じて得られた知識や視点を総括。
  • 視聴者に向けたメッセージとして、「今日から始められる終活リスト」を提供。
  • 次回予告: 他の終活テーマ(墓じまい、老後資金計画、友人へのメッセージ作成など)。

特徴

  • ビジュアル重視: 解体キングダムのようにビフォー・アフター形式を取り入れ、視覚的な変化を楽しめる構成。
  • 専門家の知識を凝縮: 終活のプロフェッショナルが分かりやすくアドバイス。
  • 心に響く物語性: 感動的な人間ドラマを通じて、終活への前向きな姿勢を啓発。
  • 参加型の要素: 視聴者が自分でも実践できる終活ワークシートを提供。

この番組を通じて、視聴者が人生の最終章を自分らしくデザインし、前向きな気持ちで終活に取り組むきっかけを提供します。


(江端感想)

うーん。この内容では、プロジェクトの評価項目(KPI)と、評価結果、およびフィードバックがないな。

「まだ、番組として検討の余地あり」と思いました。

# 自分の「死に方」にまで、点数を付けられではたまらん、と考える人は多いかとは思いますが、私、「終活」も、「技術」の一つだと思っていますので。

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江端さんのひとりごと

「英会話スクール出逢い機関論」

2002年12月24日

特許明細書が書き上がりません。

最近、クリスマスの思い出と言うと、特許を執筆していた記憶以外にありません。

時期的にも、下期の特許提出の時期にぶつかることもあって、私にとって、「クリパ」と言われれば、クリスマスパーティなんぞではなく、クリスマスパテント(特許)です。

本当は、このような愚にもつかない駄文を書いている間に、明細書の第二の実施例を執筆しなければいけないのですが、システム構成図を書き直すのが面倒なのです。

なんとか手を抜けないかと、現実逃避の考案をしている時、私の駄文執筆能力は、最高潮に達するようです。

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嫁さんの気質や思想やポリシーに影響されるところ大なのですが、私は、結婚してから色々なことから解放され自由になり、人生が楽に、そして楽しくなりました。

また、嫁さんとは関係なく、結婚というシステムの観点からだけでも、いくつかのことから自由になったことがあります。

その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

この時期、駅前、商店街、デパート、繁華街、どこにいても出現する緑と赤の装飾、巨大なクリスマスツリーの電飾イルミネーション、そして、どこまでもしつこく追いかけてくるクリスマスソング。

会社の帰りに、夕食のコロッケを買っているところに、ユーミンや山下達郎なんぞ、出現させるんじゃない(ちと古いが)。

若い頃、私は、

一人で街を歩いたら、いかんのか!

と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

そのようなものから逃げる為に、イブの夜に嫁さんに担保をお願いしていた若い頃の自分は、愚かだったと思います。

だが、この青春の愚かなプロセスなくして、今の家庭や家族がないのも、また真実です。

その時、若さ故の愚かさを、シニカルに笑っていただけなら、今、食卓を囲んで家族で笑っていることはできなかったでしょう。

逆説的な結論ではありますが、「クリスマス脅迫症候群」によって「クリスマス脅迫症候群」から離脱する、というこの一連の理論は、物質が他の物質に変化するプロセスで、一時的に高エネルギー状態に至らなければならないという「励起状態」を思い起こさせます。

いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに聞くくらい、気になりません。

ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私にとって意義があったと断言できます。

閑話休題。

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実際のところ、一体どれ程の効果があるのだろうか良くわからない「英会話スクール」ですが、この不景気日本にあって、しぶとく生き残っているようです。

先日、先輩と話していた時に、「英会話スクール」の目的は、勿論英会話の向上にあることの他、「異性と出逢う場」としての役割もあるそうです。

なるほど。

そういうことなら、あのふざけた高価な授業料も、投資としてはむしろ安い。

個人を主体とする現代の社会構造上、異性と出逢うチャンスがないと言うのは、至極当然のことではあるのですが、出逢いを求めている当の本人達にとっては、深刻な問題です。

近い未来、自力で彼氏や彼女を見つけてきた者は、会社や地元の自治会から表彰されるような未来がくる、と私は真面目に考えております。

実際、政府が国営のお見合い期間の設立に動いています(2002年11月14日の朝日新聞より)

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これは本当の話ですが、私は10年も前に、日立のスーパーコンピュータのアプリケーションとして「お見合いシステム」を提言していました。

スーパーコンピュータの性能と言うと、円周率の計算くらいしかやることがないように思われていますが、これからのスーパーコンピュータはスペックは、MIPSやディスクアクセス速度、トランザクション処理数などではありません。

目標は、単位時間あたりに、どれだけの大量のカップルを生成させることができるか、そして、そのカップルをどれだけの時間維持させえるか、さらには、定着率(結婚率)などが競われるようになる、と予言していました。

MTTR(Mean Time To Repair 平均修復時間)は、システムの平均復旧時間から、カップルの平均復旧時間へと解釈が変更され、MTBF(Mean Time BetweenFailure 平均故障間隔)は、言うまでもなく、カップルの平均交際停止間隔と解釈される訳です。

こんな風に考えていくと、「システム」と「恋愛」は恐しく良く似ていることに気がつきます。

セキュリティの観点から言えば、機密性、可用性、抑制機能、予防機能、回復機能等、メンテナンスの観点からは、初期不良、経年劣化、リプレース・・・

まあ、この辺で止めておきましょう。

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結婚の問題とは関係なく、異性と付き合うことは、それ自体が人生を豊かにするし、そもそも楽しいものです。

勿論、苦しさや面倒も半端じゃありませんが。

この機会を、英会話スクールが提供しているのだとすれば、大変コストパフォーマンスな「場の提供」と言えるでしょうし、次世代の新しいコミュニティ創成の場として大変有望なものであると、私は考えました。

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「そうかな?」

私が得意げに、「英会話スクール出逢い機関論」を唱えていると、嫁さんが異議をはさんできました。

私 :「どうして? 出会い系のメールやWebなどに比べて、身元や面が割れる分、健全で安全で安心だし、勉強で集うと言う点も、さらに高品質のフィルターを通っているとも解釈できるぞ」

嫁さん:「『出逢う』為には、男性と女性が、少なくとも同じクラスにいなければいけないよね」

私 :「そりゃ、まあね」

嫁さん:「で、まあ当然、英会話を始める人なら、初級コースから入会するよね」

私 :「そうだろうね」

嫁さん:「自然に無理なく親しくなるためには、それなりに時間もかかるよね」

私 :「あからさまに、『異性を探しています』てな感じの奴なんて、いやだろうからな」

嫁さん:「英会話クラスの初級コースなんぞに、うだうだといつまでも居残っている男ってことは、『私には将来性がありませんよ』と宣言しているようなものじゃない? 私なら、私と同じクラスにいるような男は嫌だな」

私 :「・・・あっ」

盲点でした。

確かに、そんな将来性の見えない異性を探しすために、金を出しているとしたら、投資以前の問題です。

金をドブに捨てているようなものです。

嫁さんの提示したアンチテーゼは、英会話スクール以外にも、テニススクール、その他のスクール全部に適用が可能のようです。

いつまでたっても、初級コースから抜けられない野郎と付き会いたい女性は少ないだろうからです。

むしろ、検討除外の明確な指針となってしまう恐れもあります。

まあ、別の異性へのアクセスのポインタくらいにはなるのかもしれませんが。

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「出逢い」が難しい時代になりました。

「出逢い」を構築するために、自分ではない、不本意な自分を演出する必要性に苦しんでいる人も多いと思います。

口ばかりが上手くて、綺麗に装うのが上手い奴だけが、出逢いの門に立てるのだろうかと問われれば、私は自信を持って答えることができます。

その通りです。

ですから、「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」(http://www.kobore.net/mail8.txtより抜粋)と言う、私の尊敬する人の言葉が、私の胸を熱く打つのです。

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クリスマスイブの今日、私より皆さんに、新約聖書の「マタイによる福音書」7章13節を贈ります。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きくその道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭くその道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」

最後に、江端による福音書、第3節A項の第5号にて、今日はお別れしたいと思います。

皆さん、よいクリスマスを。

「狭い門から入る必要なんぞないし、できれば避けたいのは山々だが、本当の自分を好きになってくれる人と出逢う為の門は狭い。天国の門なんぞお話にならんくらい狭い。ナノテクノロジーですら解決できないほど狭い。とにかくうんざりするほど狭い。それを見いだす者は、かなり運が良い」

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおいて、自由に転載して頂いて構いません。)