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先日国会で成立した、国土強靭化基本法を熟読しています。

I read letters of the law named "Basic Law of National Land Enhancement."

一見無味乾燥な法令に見えますが、これは読み方によっては、とても面白いです。

At first glance, it looks like monotony law, but it is exciting from another perspective.

「省庁の縦割りを解消し」などという識者もいるようですが、私は、まったく逆に「縦割りを明文化した」というくらいに読めました(第11条~21条)。

Though some analysts tell us that this law results in compartmentalized public administration, I think it is the opposite; the law defines it.

私は、シミュレーション結果で、100年後に現在の人口の20%にまで落ち込むと予想しているので、人口を大都市に集中して社会インフラを集結することを考えていました。

I estimate that the population in Japan has decreased by 20% from the present after 100 years ago. I am afraid we must migrate to urban areas and integrate social infrastructures.

つまり、「地域を切り捨てる」しか日本が生き残る道はない、と思っていたのですが、この法律では、完全にその逆を唱えています(第2条:多極分散型の国土の形成)。

I mean, "Discarding rural areas." I think it is a final decision to survive in this country. But this law says the opposition against my opinion(Article 2: multiple cities)

といいつつ、その分散を3つに定義しています。具体的には、(1)首都圏、(2)近畿圏、(3)中部圏です(第8条)。

On the other hand, the law also defines the three decentralized areas: "Tokyo Metropolitan District," "Osaka Metropolitan District," and "Chuubu Metropolitan District"(Article 8).

―― という話を、後輩にしたところ、

I told the above issue to a junior fellow,

後輩:「江端さん。そりゃ分散のアプローチが間違っていませんか? 南海トラフで、その3つの分散は、纏めて全滅ですよ」

Ebata-san, I think there seems to be a wrong approach. The big earthquake in the Pacific zone will hit the three areas at the same time.

江端:「ま、一気に撃たれることはない、という見込みなのだろうと思う。でも、災害を想定した本当に分散する気があるなら、札幌圏、首都圏、高松圏、福岡圏の4つかなぁ」

Probably, I think they estimate not to do it simultaneously. If I were an administration, I would define four areas, "Sapporo," "Tokyo," "Takamatsu," and "Fukuoka."

まあ、「地域を捨てる」などという方針が出たとすれば、法案が潰されるのは当然として、政権与党の存続だって危ういだろうな、とは思うのです。

If "discarding rural areas" were included in the law, the Diet refused the bill and upset the regime.

それに、まだ「地域を切り捨てる」という決断をするには早いかもしれません。少子化の問題だって、何かの奇跡が起きて、持ち直すかもしれないじゃないですか ―― その奇跡に、全く心辺りがないとしても、です。

And it seems to be too early to judge it. The problem of a society with fewer children might be resolved in some miracle works -- I don't know them at all.

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なぜ、このような法律を調べているかというと、災害時を想定したシステムの提案資料を作る為です。

I investigated the law to make a proposal material for the system against some kinksters in Japan maJapan'sd.

で、その他の資料も色々見付けているのですが、これはいいですよ。是非御一読を。

I strongly encourage you to read the following paper.

その辺の小説より、ドキドキできます。

You must be excited, more than crisis novels around you.

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特に、地震直後に、停電→テレビ・ラジオ・PC全滅→情報ゼロ という状況は、リアルです。

Significantly, the story of a blackout, inactivate of TV, radio, and PC, and no information is authentic.

震災の時も、電池式のラジオだけが、最後の砦でした。

The cell radio is the last straw on the day of the earthquake disaster.

これも何かの機会です。もう一度、あの日の恐怖を思い出してみましょう。

This is a good change. Let us try to remember the fear of the day.

2013,未分類

最近、非常識な悪ふざけを、Twitter等のソーシャルメディアに投稿して、騒ぎになる事件が後を立たないようです。

かかる事件を置こす彼ら/彼女らは、共通して、以下に示す「5重の低能さ」を露呈していると考えます。

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(1)そのような所業しなれば、自己アピールができないという「低能さ」

(2)上記(1)を記録媒体に残すという「低能さ」

(3)上記(2)をネットワーク上に配布するという「低能さ」

(4)上記(3)の行為が社会的に認容されるという見込の甘さや、そのような自体によって発生する影響を推定できないという「低能さ」

(5)ニュース、新聞等のメディアを全く視聴していないという「低能さ」

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これは、「低能 of 低能s」、まさに「低能のエリート」「低能の帝王」といっても言いくらいの、低能さです。

これは、冗談でも皮肉でもなく、心底から敬意に値する「低能さ」だと私は思っているのです。

同じ「低能」であるなら、ここまで極めなければならない。

人間は、どうしても、ここまでの「低能さ」を発揮することは難しいと思うのです。

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それともう一つ、彼ら/彼女らの行為は、素晴しいことをしてくれています。

このような、ニュースになっている程度の規模を発生させている「低能者」は、私の計算する限り、100人には至っていないように思います。

この数は、本当に事件を発生された確定的にGivenな固定の人数であり、その人数以外には当て嵌まらないと言って良いでしょう。つまり、この100人以上の人間には、無関係であることが、はっきりしているからです。

我が国の15~22歳の人口は、ざっくり、960万人ほどいるのですが、その内の、100人というのは、

「10万人に1人」程度です。

これは統計的な観点から見た「母集団に対する歩留まり」から考えても、

―― 驚異的に小さい値です。

このような観点から見ると、「5重の低能さ」は、間違いなく個人の資質に起因するものと断定して良いでしょう。

このような「低能」さを、若い世代全体に一般化する人(マスコミや評論屋も含めて)は、若者に対して「失礼にも程がある」上に、その程度の計算もできない程、自分自身が「低能」であることを主張しているようにさえ見えます。

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私達の世代は「しらけ世代」「遊んでばかりいる大学生」と批難されていました。

しかし、私が知る限り「しらけ」つづけていて、続けられるような勉学ではなかったし、「遊んでばかり」いて、卒業できるほど大学のカリキュラムは甘くはなく、本当に、日々、勉学とのバトルでした(少くとも、私には余裕などなかった)。

ですから、無神経に、このような「一般化」を、マスコミや世間を、心底から

―― 「憎悪」していました。

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若い世代に対する、根拠のない不当な「一般化」は止めましょう。

「五重の低能者」は、その資質として「選ばれし低能者」であり、

世代とは全く無関係に、本質的に根本的に絶対的に「低能」なのです。

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昨日、特許のお話をしたので、その続きということで。

特許権に関する幻想を持っている人って多いと思うのですが、我々研究員からすれば、発明は単なる業務です(なお、上記の内容は古い上に、若干の嘘もあります。特許法は殆ど隔年で改正されていますから)

江端さんのひとりごと「それでも貴方は特許出願したいですか?」

もっと直接的に言えば「ノルマ」。

「発明」がノルマでできるのか、と思われるかもしれませんが、特許発明というのは、一種の小説とかコミックマンガと同じような「創作物」でもあるのです。

「発明」を記載する明細書には、物語、すなわち「ストーリー」が記載されなければなりません。

それを読む特許庁の審査官を、「感動」させなければならないからです。

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特許明細書の内容は、概ね、こんな感じになっています。

(Step.1)まず、巨大な悪の帝国を記載します(課題)。この巨大な悪の帝国を滅ぼす為の兵器を登場させます(課題を解決する公知の技術)。

(Step.2)ところが、この兵器が全く悪の帝国の帝国軍に太刀打ちできず、自由同盟軍は敗走します(公知技術でも解決できない課題)。

(Step.3)そこに、自由同盟軍の新型兵器が登場します(本願発明)。この新型兵器は、誰も見たことがなく(特許法29条1項)、そして誰も思いつくことができな かった(同2項)ものです

(Step.4)自由同盟軍の新型兵器が、帝国軍のくりだす全ての兵器を撃破し、自由同盟軍は最終的に勝利を収めます(本願発明の効果)。

こうして、皆が幸せになることで、物語・・・もとい、明細書は終了します。

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前回の特許明細書で、私は8割を書き上げたところで、「あれ?」と気がつきました。

―― この新型兵器では、悪の帝国の反撃で、撃破されてしまうじゃないか?

こうなると、最初からストーリーを組み直すことになります。

仕事の大半がパーになって、かなり泣けます。

とはいえ、もっと優れた新型兵器をホイホイ発明するのは難しいです。

ですから、ストーリーの再構築に際しては、姑息な手段を考えることになります。

例えば、―― 悪の帝国を最初から「弱く」設定しておく、とか。

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特許明細書という楽しくもない文章を、特許庁の審査官に読んで貰うには、それ相応の技も必要なのです。

2012,未分類

特許明細書が書き上がりません。

最近、クリスマスの思い出と言うと、特許を執筆していた記憶以外にありま せん。 時期的にも、下期の特許提出の時期にぶつかることもあって、私にとって、 「クリパ」と言われれば、クリスマスパーティなんぞではなく、クリスマスパ テント(特許)です。

本当は、このような愚にもつかない駄文を書いている間に、明細書の第二の 実施例を執筆しなければいけないのですが、システム構成図を書き直すのが面 倒なのです。 なんとか手を抜けないかと、現実逃避の考案をしている時、私の駄文執筆能力は、最高潮に達するようです。

嫁さんの気質や思想やポリシーに影響されるところ大なのですが、私は、結 婚してから色々なことから解放され自由になり、人生が楽に、そして楽しくな りました。 また、嫁さんとは関係なく、結婚というシステムの観点からだけでも、いく つかのことから自由になったことがあります。 その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

この時期、駅前、商店街、デパート、繁華街、どこにいても出現する緑と赤 の装飾、巨大なクリスマスツリーの電飾イルミネーション、そして、どこまで もしつこく追いかけてくるクリスマスソング。 会社の帰りに、夕食のコロッケを買っているところに、ユーミンや山下達郎 なんぞ、出現させるんじゃない(ちと古いが)。

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若い頃、私は、

――  一人で街を歩いたら、いかんのか!

と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

そのようなものから逃げる為に、イブの夜に嫁さんに担保をお願いしていた 若い頃の自分は、愚かだったと思います。 だが、この青春の愚かなプロセスなくして、今の家庭や家族がないのも、ま た真実です。 その時、若さ故の愚かさを、シニカルに笑っていただけなら、今、食卓を囲 んで家族で笑っていることはできなかったでしょう。

逆説的な結論ではありますが、「クリスマス脅迫症候群」によって「クリスマス脅迫症候群」から離脱する、というこの一連の理論は、物質が他の物質に 変化するプロセスで、一時的に高エネルギー状態に至らなければならないとい う「励起状態」を思い起こさせます。

いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い 恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が 咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに 聞くくらい、気になりません。

ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私に とって意義があったと断言できます。

閑話休題。

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実際のところ、一体どれ程の効果があるのだろうか良くわからない「英会話ス クール」ですが、この不景気日本にあって、しぶとく生き残っているようです。

先日、先輩と話していた時に、「英会話スクール」の目的は、勿論英会話の 向上にあることの他、「異性と出逢う場」としての役割もあるそうです。

なるほど。 そういうことなら、あのふざけた高価な授業料も、投資としてはむしろ安い。

個人を主体とする現代の社会構造上、異性と出逢うチャンスがないと言うの は、至極当然のことではあるのですが、出逢いを求めている当の本人達にとっ ては、深刻な問題です。

近い未来、自力で彼氏や彼女を見つけてきた者は、会社や地元の自治会から 表彰されるような未来がくる、と私は真面目に考えております。 実際、政府が国営のお見合い期間の設立に動いています(2002年11月14日の 朝日新聞より)

これは本当の話ですが、私は10年も前に、日立のスーパーコンピュータのア プリケーションとして「お見合いシステム」を提言していました。

スーパーコンピュータの性能と言うと、円周率の計算くらいしかやることが ないように思われていますが、これからのスーパーコンピュータはスペックは、 MIPSやディスクアクセス速度、トランザクション処理数などではありません。

目標は、単位時間あたりに、どれだけの大量のカップルを生成させることが できるか、そして、そのカップルをどれだけの時間維持させえるか、さらには、 定着率(結婚率)などが競われるようになる、と予言していました。

MTTR(Mean Time To Repair 平均修復時間)は、システムの平均復旧時間から、 カップルの平均復旧時間へと解釈が変更され、MTBF(Mean Time Between Failure 平均故障間隔)は、言うまでもなく、カップルの平均交際停止間隔と 解釈される訳です。

こんな風に考えていくと、「システム」と「恋愛」は恐しく良く似ているこ とに気がつきます。 セキュリティの観点から言えば、機密性、可用性、抑制機能、予防機能、回 復機能等、メンテナンスの観点からは、初期不良、経年劣化、リプレース・・・

まあ、この辺で止めておきましょう。

結婚の問題とは関係なく、異性と付き合うことは、それ自体が人生を豊かに するし、そもそも楽しいものです。 勿論、苦しさや面倒も半端じゃありませんが。

この機会を、英会話スクールが提供しているのだとすれば、大変コストパフォー マンスな「場の提供」と言えるでしょうし、次世代の新しいコミュニティ創成 の場として大変有望なものであると、私は考えました。

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「そうかな?」

私が得意げに、「英会話スクール出逢い機関論」を唱えていると、嫁さんが 異議をはさんできました。

私 :「どうして? 出会い系のメールやWebなどに比べて、身元や面が割れ る分、健全で安全で安心だし、勉強で集うと言う点も、さらに高品 質のフィルターを通っているとも解釈できるぞ」

嫁さん:「『出逢う』為には、男性と女性が、少なくとも同じクラスにいなけ ればいけないよね」

私 :「そりゃ、まあね」

嫁さん:「で、まあ当然、英会話を始める人なら、初級コースから入会するよね」

私 :「そうだろうね」

嫁さん:「自然に無理なく親しくなるためには、それなりに時間もかかるよね」

私 :「あからさまに、『異性を探しています』てな感じの奴なんて、いや だろうからな」

嫁さん:「英会話クラスの初級コースなんぞに、うだうだといつまでも居残っ ている男ってことは、『私には将来性がありませんよ』と宣言して いるようなものじゃない? 私なら、私と同じクラスにいるような 男は嫌だな」

私 :「・・・あっ」

盲点でした。

確かに、そんな将来性の見えない異性を探しすために、金を出しているとし たら、投資以前の問題です。 金をドブに捨てているようなものです。

嫁さんの提示したアンチテーゼは、英会話スクール以外にも、テニススクー ル、その他のスクール全部に適用が可能のようです。 いつまでたっても、初級コースから抜けられない野郎と付き会いたい女性は 少ないだろうからです。 むしろ、検討除外の明確な指針となってしまう恐れもあります。

まあ、別の異性へのアクセスのポインタくらいにはなるのかもしれませんが。

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「出逢い」が難しい時代になりました。

「出逢い」を構築するために、自分ではない、不本意な自分を演出する必要 性に苦しんでいる人も多いと思います。 口ばかりが上手くて、綺麗に装うのが上手い奴だけが、出逢いの門に立てる のだろうかと問われれば、私は自信を持って答えることができます。

その通りです。

ですから、「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自 尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」(http://www.kobore.net/mail8.txtより抜粋)と言う、私の尊敬する人の言葉が、私の胸を熱く打つのです。

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クリスマスイブの今日、私より皆さんに、新約聖書の「マタイによる福音書」 7章13節を贈ります。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きくその道は広い。そして、そこ からはいって行く者が多い。命にいたる門は狭くその道は細い。そして、それ を見いだす者が少ない」

最後に、江端による福音書、第3節A項の第5号にて、今日はお別れしたいと 思います。
皆さん、よいクリスマスを。

「狭い門から入る必要なんぞないし、できれば避けたいのは山々だが、本当の 自分を好きになってくれる人と出逢う為の門は狭い。天国の門なんぞお話にな らんくらい狭い。ナノテクノロジーですら解決できないほど狭い。とにかくうんざりするほど狭い。それを見いだす者は、かなり運が良い」

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、自由に転載して頂いて構いません。)

2012,未分類

2002年12月24日
書き人知らず

Tomoichi Ebata さんは書きました: >
> クリスマスプレゼント、と言うことで。

江端さんのひとりごと「英会話スクール出逢い機関論」

共に秀逸なコンテンツでした。
久しぶりに駄文の妙味というものを味わわせてもらったと思います。

> その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

最近は不景気のせいで沈静化した感があったが、まだバブルの残滓が漂ってい た90年代前半頃までは、ホテルが軒並み予約で満杯であったという。 今思えば、当時の若人は何と愚かしい真似をしていたことか。

> 若い頃、私は、
> 一人で街を歩いたら、いかんのか!
> と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

確かに誰彼なく殴りつけたくなるような、荒んだ心象風景を抱えねばならなかっ た時期もあった...(遠い目)

> ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私に
>とって意義があったと断言できます。

この脅迫観念から解脱する解として、もう1つ「枯れてしまう」という解もあ る事を忘れてはなりません。
小生はもう何年も前から、この方法による解脱に成功し、

> いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い
> 恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が
> 咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに
> 聞くくらい、気になりません。

という境地に立っており、サカリのついたオスとメスが演ずる茶番を、 完全なる「他人事」として相対化する視線を獲得し得ております。

それは、あたかも路傍の石を眺めるがごとき視線です。

イブの本日、みっともなくも若い衆の中には、本当は何の用もないのに そそくさと定時速攻で退社し、周囲にプライベートな用件があることを 無言でアピールする哀しい連中もおります。

無論、解脱した小生はそのようなみっともなさとは無縁であります。

本日は断固として圧倒的に残業を敢行し、小生にはプライベートな用件など 微塵も存在しないことを雄雄しくも広く天下万民に知らしめ、 もって「枯淡の域」とはいかなるものかを、無知蒙昧なる大衆に身をもって 示す所存であります。

※ 本当はね、まるっきり用件がない訳でもなくて、一人で呑み屋に行くの。 そんで、明日は明日で野郎ばかりで寿司屋で呑むの。

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官房長官が、一番最初に「ミリシーベルト」の単位を発した時の恐怖は今でも覚えていますし、「1時間当り300ミリシーベルト」が出てきた時には、本当に倒れそうになりました。

3000ミリシーベルトで人は死ぬ。

私が、原発正面玄関前(原子炉建屋ではない)に10時間立っているだけで死ぬ。

真っ青になったことを覚えています。

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それなのに、今や「1000ミリシーベルト」単位が日常的に語られている。

これは、もの凄く恐しいことだと思います。

私のイメージでは、今回の事故が人類史上の最悪の地震で発生したものでなかったとすれば、

○東京電力の社長以下、重役クラスは10回辞任し、

○内閣は20回倒れて、政権政党もなくなってしまっている、

というくらいの大惨事です。

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もうこれ以上の悪くなり事態は考えられないだろう、と思っているところに、

○建屋が水素で爆発し、

○放射能物質の放出を前提とした格納器の蒸気を大気に排出し、

○単なる保管しておいただけの使用済み核燃料が3000度近い熱で溶け出し、

○放射線の暴風圏内に突入するという命と引き換えの放水作業が行われ、

○"1000万倍"という高濃度の汚染水で作業員が被爆する

そして、

○修理したくても強烈な放射線で原子炉建屋に近づけず、その間にも燃料棒が溶解して、さらに放射線量が増えていく。

腹立たしく思っても、暴走中の原子炉をミサイルで破壊でもしようものなら、それこそ日本全土が高濃度放射能物質で汚染されるし、原子炉を運搬しようにも、その間の被爆で間違いなく死者が出る。

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私は、これまで、数多くの「原発クライシス」に関する書籍、映画、ドキュメントを見てきましたが、どれもこれも、

『我が国で、現在進行形で起きている事態以上のシナリオはどこにもなかった』

と断言できます。

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今回の福島原発事故は、想定外の津波に因るものとされています。

でも、少し考えてみたいと思います。

その「想定外」が事実であったとしても、津波は原子炉への直接の

被害は与えていないのです。

津波は、バックアップ用のディーゼル発電機とその周辺機器を無力化しただけです。

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では、私が10人くらいのテロリストを募って、3年くらいの破壊工作の訓練を受けて、福島原発に侵入してみたらどうでしょうか。

ダイナマイトで、送電塔を全部倒壊させて、ディーゼル発電機を破壊し、その後、武器で発電所を制圧して、建屋の人間を全部人質として立て籠ったら?

燃料棒溶解なんぞ待たないで、拳銃で職員を脅して、中央制御室から、燃料棒を引き上げさせてそのまま放置しておいたら?

警察の姿が視認できる度に、人質を纏めて数人くらい殺害して、原子力発電所に誰も入れないようにしたら?

勿論、テロリストである私とその同士達は、端から自分の命が助かろうという気持ちは欠片もありません。

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放射性核燃料が手がつけられなくなる前に、民間人の犠牲者を前提に、特殊部隊は、私達テロリスト全員をきちんと殲滅してくれるでしょうか。

なんか、別の福島原発事故を「創り出す」ことは、そんなに難しくないように思えます。

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残念ながら、この発想、私のオリジナルではなく、「神の火」(高村薫著)の最後のシーンから盗用しています。

この著書の中では、主人公とその友人のたった二人が、冬の夜の原発に襲撃をかけ、原子炉格納容器の蓋を開くというテロに成功します。

しかも、その緻密な計画は、読者からしても全く無理がなく、十分に現実可能な範囲にあると思えました。

このテロを防ぐには、武装した一個分隊を、日本の稼働中の原発の全てに配置しないと駄目だろう、と思えます。

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もっと話を簡単にしてみましょうか。

我が国と仲が良いとは言えない隣国が、「瀬戸際外交」を踏み越えて、日本の原子炉全部をミサイル攻撃、または空爆してきたら、どうなるのでしょうか。

血の気の引くような思いをする時間もなく、一瞬で国土と水は放射能で汚染され、(国家の存亡はどうでも良いですが)、国民の大半は生命と引き換えの被曝に晒されるのでしょうね。

知らない人も多いかと思いますが、1981年に、現実にイスラエルがイラクの原子力発電所を空爆しています(バビロン作戦)。

戦争となれば、なんでもありです。

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という訳で、私は尋ねたいのです。

今回の福島原発事故は、本当に「想定外」なのですか?

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(その1)

私が高校生の頃だったと思います。

ロシア(当時のソビエト連邦共和国)の領域を通過した、韓国の民間航空機がソビエト軍の戦闘機に撃墜されるという事件がありました。

後に「大韓航空機撃墜事件」と呼ばれる事件です。

今になってみると、冷戦はその後半部を終了し、数年後に終結を迎えることになっていたのですが、当時の誰もがそのようなことを予想すべくもなく、世界はこの惨事に声を失なったものです。

その後、この事件は、各国の主張が入り乱れて、何が何だかか分からない状況を呈していました。

先ずは、ソビエト側による否定、事実の隠蔽に始まり、日本の自衛隊による通信記録の傍受の公開、米国による追訴、そして、最後にアンドレイ・グロムイコ外務大臣の「大韓航空機は民間機を装ったスパイであった」という声明の発表に至ります。

当時、私は、民間人(296人)を満載した戦闘能力を全く有しない民間機を、正規軍の戦闘機が撃墜したという事実に対するショックに加え、人類として到底認容しえないこのような非道な暴力が、軍事的な観点からは『十分に認容され得る』という事実に、衝撃を受けたものです。

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大学に入学した後、私はいわゆる学寮達と共に議論を行うことを常とする「政治に極めて意識の高い自治寮」に入寮し、色々なことで(愚にもつかぬことも多かったですが)議論を闘わせたりしていました。

大学2年の夏休みに実家に帰省した私が、父の運転する助手席に座っていた時だったと思います。

どういう経緯で父とこの事件(大韓航空機撃墜事件)について話を始めたか覚えていませんが、その頃、少しだけ聞き齧った地政学の本の話を引用して、『この事件のソビエト側の対応を、認容できる部分もある』という論を展開していました。

私は、---- もし、『大韓航空機 = スパイ機』であったとすれば、または、その恐れがあったとすれば、例え、それが航空機の整備不良による事故であったとしても、ソビエトが国防の観点から、そのスパイ機の可能性がある旅客機を撃墜することは、ある意味仕方がなかったのでは------ と、自分の考えを言いました。

父は、私とそのような話をする時には、いつも嬉しそうに話の間の手を入れ、私の話がどんなに稚拙でも、その話の腰を折ることなく、最後まで聞き入れてくれたものでした。

その時の父は、いつもの父とは違う様子で、ハンドルを握りながら、フロントガラスを見つめながら言いました。

『智一。そうではない』

私は、少し驚いて父の横顔を見ました。

『航空機が民間機である以上、如何なる理由があっても、民間機を撃墜するということは許されない』

私は意外な感じを受けながらも、父に反論しました。

『もし、韓国機がソビエトの領空をスパイ目的で侵犯しており、国益を脅かすことが明らかであったとしても?』

父は、息子にキッパリと言いました。

『仮に、その航空機の機長を含め、また仮に乗客のほとんどがスパイであって、悪意の目的をもって、領空侵犯をしたとしてもだ。

そこにたった一人の無関係の乗客が乗っているのであれば、どのような者であれ、その命を奪う行為を正当化することはできない』

唖然としている息子に、父は静かに続けました。

『それが「人間」と言うもの、「命」と言うものではないか?」

それは、恐らく、沢山の命が奪われる現実を間の当りにしてきた者だけが持ち得る、魂から絞り出された言葉だったのだと思います。

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私は、サイドウインドウの方を向いて、そのまま黙り込みました。

胸の中に広がる熱いものに突かれて潤んできた眼を、父に見られたくなったからです。

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(その2)

私は2000年から2年間、仕事で米国に在住する機会を得ました。

この時、私が幸運だったことは、日本からチームとして参加することになり、チームのメンバの内、所帯を有するものは、家族とともに米国に滞在することになったこと。

そして、その家族の方々がいずれも気持よ良い方ばかりで、多くの交友を深める機会を得ることができたことでした。

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ある休日のこと、私は自分の担当していたプログラムの数行を修正する為に、休日に家族をつれて職場に出ました。そこで、私の先輩とその奥様に出会いました。

奥様は、当時、皇太子のご令嬢の誕生を、インターネットで確認する為に、先輩とともに職場に来られたとのこと。 (コロラドの少くともフォートコリンズという地域には、日本語向けのテレビ放送はなかった)

その時、私は『はあ、そうですか』としか応えられませんでした。

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私は、一度、無礼を承知で、奥様にお伺いしたことがあります。

『芸能人の誰かが結婚したとか離婚したとか、そういう週刊誌に掲載されるような内容は、興味の対象になり得るものでしょうか』と。

これに対して、奥様は、「トム(Tom)」(赴任先では、全員がこのような愛称で呼び会うことが、赴任先の会社のルールとして統一されていた)と、私をお呼びになられた後、次のように続けられました。

『あなたは、自分の大切な家族や友人が、幸せになったり不幸になったりした時に、それを「興味の外」ととして置いとけるものでしょうか?』

『いえ、そのようなことはないと思います。家族や友人を思い、同じように、喜び、または悲しむと思います。また、そのような人間で在りたいと思います』

『私も同じです。私も友人達の不幸に悲しみ、幸福に喜んでいるだけです』

しかし・・・と言いかけた私を制して、奥様は続けられました。

『違いがあるとすれば、私はその友人を良く知っているのですが、逆に、その友人は私のことを全然知らない、という、ただそれだけのことなのです』

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私は、このパラダイムを提示された時の衝撃を忘れられません。

冗談でも、揶揄でもなく------、私は今でも、この奥様のことを尊敬できる人々のお一方であり、心から敬愛すべき対象であると、固く信じております。

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)

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社内報リレー随筆

「人の言うことを聞かない能力」

2004/01/10
[その1]

インターネットが、電話線で細々と繋がっていた頃、私は未来のインターネットを夢想して、張り切って特許明細書を書いてましたが、私より数段偉くて頭の良い人から『意味がない』と論理的に説得されてその執筆を止めてしまったことがあります。

そして今、その発明を他社が実施しているのを悔しい思いで見ながらも、今なお、その論理を論破できない自分がいます。

私が心の底から悔しいと思うことは、世間がなんと言おうが、論理的に破綻していようが、私が信じるものは絶対である、という狂信的な思い込みを持ち得なかった自分に対してです。

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[その2]

数年前に私が結婚を決意した時、私の回りは一斉に反対の声を上げました。

私に結婚を思い留まらせる為に合宿まで企画されました(本当)。

『写真のこの娘は堅気の娘ではないか。暗黒サイドのお前とは所詮住む世界が違う!』(暗黒サイドって何?)。

実際、その当時彼女自身、本当に私と結婚したかったかどうかも疑わしく(と言うと嫁さんは『何を言うの!たとえ、あなたが売れない場末の芸人であっても、私は・・』と言い返すのですが)、私は彼女の意見すら十分に聞かずに結婚に踏み切りました。

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[結言]

私達は自立した社会人として、人の話をきちんと聞かねばなりません。

しかし時として「人の話を聞かない能力」を問われるものが世の中に2つだけあります。

それが「特許」と「愛」です。

お忘れなきよう。

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江端さんのひとりごと

「英会話スクール出逢い機関論」

2002年12月24日

特許明細書が書き上がりません。

最近、クリスマスの思い出と言うと、特許を執筆していた記憶以外にありません。

時期的にも、下期の特許提出の時期にぶつかることもあって、私にとって、「クリパ」と言われれば、クリスマスパーティなんぞではなく、クリスマスパテント(特許)です。

本当は、このような愚にもつかない駄文を書いている間に、明細書の第二の実施例を執筆しなければいけないのですが、システム構成図を書き直すのが面倒なのです。

なんとか手を抜けないかと、現実逃避の考案をしている時、私の駄文執筆能力は、最高潮に達するようです。

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嫁さんの気質や思想やポリシーに影響されるところ大なのですが、私は、結婚してから色々なことから解放され自由になり、人生が楽に、そして楽しくなりました。

また、嫁さんとは関係なく、結婚というシステムの観点からだけでも、いくつかのことから自由になったことがあります。

その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

この時期、駅前、商店街、デパート、繁華街、どこにいても出現する緑と赤の装飾、巨大なクリスマスツリーの電飾イルミネーション、そして、どこまでもしつこく追いかけてくるクリスマスソング。

会社の帰りに、夕食のコロッケを買っているところに、ユーミンや山下達郎なんぞ、出現させるんじゃない(ちと古いが)。

若い頃、私は、

一人で街を歩いたら、いかんのか!

と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

そのようなものから逃げる為に、イブの夜に嫁さんに担保をお願いしていた若い頃の自分は、愚かだったと思います。

だが、この青春の愚かなプロセスなくして、今の家庭や家族がないのも、また真実です。

その時、若さ故の愚かさを、シニカルに笑っていただけなら、今、食卓を囲んで家族で笑っていることはできなかったでしょう。

逆説的な結論ではありますが、「クリスマス脅迫症候群」によって「クリスマス脅迫症候群」から離脱する、というこの一連の理論は、物質が他の物質に変化するプロセスで、一時的に高エネルギー状態に至らなければならないという「励起状態」を思い起こさせます。

いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに聞くくらい、気になりません。

ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私にとって意義があったと断言できます。

閑話休題。

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実際のところ、一体どれ程の効果があるのだろうか良くわからない「英会話スクール」ですが、この不景気日本にあって、しぶとく生き残っているようです。

先日、先輩と話していた時に、「英会話スクール」の目的は、勿論英会話の向上にあることの他、「異性と出逢う場」としての役割もあるそうです。

なるほど。

そういうことなら、あのふざけた高価な授業料も、投資としてはむしろ安い。

個人を主体とする現代の社会構造上、異性と出逢うチャンスがないと言うのは、至極当然のことではあるのですが、出逢いを求めている当の本人達にとっては、深刻な問題です。

近い未来、自力で彼氏や彼女を見つけてきた者は、会社や地元の自治会から表彰されるような未来がくる、と私は真面目に考えております。

実際、政府が国営のお見合い期間の設立に動いています(2002年11月14日の朝日新聞より)

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これは本当の話ですが、私は10年も前に、日立のスーパーコンピュータのアプリケーションとして「お見合いシステム」を提言していました。

スーパーコンピュータの性能と言うと、円周率の計算くらいしかやることがないように思われていますが、これからのスーパーコンピュータはスペックは、MIPSやディスクアクセス速度、トランザクション処理数などではありません。

目標は、単位時間あたりに、どれだけの大量のカップルを生成させることができるか、そして、そのカップルをどれだけの時間維持させえるか、さらには、定着率(結婚率)などが競われるようになる、と予言していました。

MTTR(Mean Time To Repair 平均修復時間)は、システムの平均復旧時間から、カップルの平均復旧時間へと解釈が変更され、MTBF(Mean Time BetweenFailure 平均故障間隔)は、言うまでもなく、カップルの平均交際停止間隔と解釈される訳です。

こんな風に考えていくと、「システム」と「恋愛」は恐しく良く似ていることに気がつきます。

セキュリティの観点から言えば、機密性、可用性、抑制機能、予防機能、回復機能等、メンテナンスの観点からは、初期不良、経年劣化、リプレース・・・

まあ、この辺で止めておきましょう。

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結婚の問題とは関係なく、異性と付き合うことは、それ自体が人生を豊かにするし、そもそも楽しいものです。

勿論、苦しさや面倒も半端じゃありませんが。

この機会を、英会話スクールが提供しているのだとすれば、大変コストパフォーマンスな「場の提供」と言えるでしょうし、次世代の新しいコミュニティ創成の場として大変有望なものであると、私は考えました。

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「そうかな?」

私が得意げに、「英会話スクール出逢い機関論」を唱えていると、嫁さんが異議をはさんできました。

私 :「どうして? 出会い系のメールやWebなどに比べて、身元や面が割れる分、健全で安全で安心だし、勉強で集うと言う点も、さらに高品質のフィルターを通っているとも解釈できるぞ」

嫁さん:「『出逢う』為には、男性と女性が、少なくとも同じクラスにいなければいけないよね」

私 :「そりゃ、まあね」

嫁さん:「で、まあ当然、英会話を始める人なら、初級コースから入会するよね」

私 :「そうだろうね」

嫁さん:「自然に無理なく親しくなるためには、それなりに時間もかかるよね」

私 :「あからさまに、『異性を探しています』てな感じの奴なんて、いやだろうからな」

嫁さん:「英会話クラスの初級コースなんぞに、うだうだといつまでも居残っている男ってことは、『私には将来性がありませんよ』と宣言しているようなものじゃない? 私なら、私と同じクラスにいるような男は嫌だな」

私 :「・・・あっ」

盲点でした。

確かに、そんな将来性の見えない異性を探しすために、金を出しているとしたら、投資以前の問題です。

金をドブに捨てているようなものです。

嫁さんの提示したアンチテーゼは、英会話スクール以外にも、テニススクール、その他のスクール全部に適用が可能のようです。

いつまでたっても、初級コースから抜けられない野郎と付き会いたい女性は少ないだろうからです。

むしろ、検討除外の明確な指針となってしまう恐れもあります。

まあ、別の異性へのアクセスのポインタくらいにはなるのかもしれませんが。

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「出逢い」が難しい時代になりました。

「出逢い」を構築するために、自分ではない、不本意な自分を演出する必要性に苦しんでいる人も多いと思います。

口ばかりが上手くて、綺麗に装うのが上手い奴だけが、出逢いの門に立てるのだろうかと問われれば、私は自信を持って答えることができます。

その通りです。

ですから、「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」(http://www.kobore.net/mail8.txtより抜粋)と言う、私の尊敬する人の言葉が、私の胸を熱く打つのです。

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クリスマスイブの今日、私より皆さんに、新約聖書の「マタイによる福音書」7章13節を贈ります。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きくその道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭くその道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」

最後に、江端による福音書、第3節A項の第5号にて、今日はお別れしたいと思います。

皆さん、よいクリスマスを。

「狭い門から入る必要なんぞないし、できれば避けたいのは山々だが、本当の自分を好きになってくれる人と出逢う為の門は狭い。天国の門なんぞお話にならんくらい狭い。ナノテクノロジーですら解決できないほど狭い。とにかくうんざりするほど狭い。それを見いだす者は、かなり運が良い」

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおいて、自由に転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと
「それでも貴方は特許出願したいですか?」
(出展はこちら → https://www.kobore.net/reject.txt)
(※)この文章は2002年における特許法をベースとしております。その後、何回も法改正が行われておりますのでご注意下さい

 

特許関連の資料が山積み(国内拒絶1、米国拒絶1、ヨーロッパ拒絶1、米国継続出願2(内、一つは面識のない日立のOB))になっており、自分でも何が何だか分からない状態になっております。

景気よく調子にのって、自分のアイデアを世界各国に特許出願すると、数年後に、各国から拒絶通知書の嵐となって戻ってきます。

特許出願するだけで、

―― 一生、遊んで暮せる

などという夢みたいなことを考えている人も多いようですので、その夢、この機会にしっかりと打ち砕いて差し上げます。

まず、「特許出願」をします。

特許明細書の記載方法はとても面倒で、決まりごとの嵐です。

同じ発明が、出願の一秒でも前に誰かによって出願されていたら、その出願はその時点でゴミとなります。

ゴミとならないためには、その調査をしなければなりません。

特許法成立以来の全ての膨大な出願済みの特許を*全部*調べなければなりません(「公知例調査」)。

さて、この段階で該当する公知がなかったとします。

しかし、出願された特許は、1年半の間公開されませんから、未公開の特許の中に、同じ特許があっても、やっぱりパーになります。

さて、この出願した特許は、3年間ほっておくと、自動的に消滅し、何もなかったことになります(出願を取り下げたと見なされる)。

特許出願を、「特許権」にするには、3年以内に特許庁に対して「審査請求」なる請願をしなければなりません。

審査請求をすると、ほぼ100%、特許庁から「この発明は受付られん!」と拒絶を打たれます(「拒絶通知」)。

この拒絶を取り下げて貰うために、特許請求の範囲を小さくしたり、意見書を提出したりしますが、なお受けられないと言われれることがあります(「拒絶査定」。

拒絶査定を取り下げて貰う為には、「拒絶査定不服審判」という裁判フェーズに突入します。

こうなると舞台は、東京高等裁判所に移ってしまいます。

この裁判で、差し戻し命令が仮に勝てたとしても、別の内容で拒絶を打たれたら、もう上記の「拒絶通知」からやりなおしとなります。

この闘いのフェーズを越えたら「設定登録」、すなわち特許権の発生です。おめでとうございます!! ・・・と言う程、甘くはない。

設定登録から6ヶ月間、この特許権を叩き潰す新たな闘い「特許異議申立」と言うフェーズが始まります。

この申立は、競合会社のみならず、赤ん坊でも、その辺の子供でも、あなたの特許を潰す権利があります。

卑近な例ですが、あなたの特許に記載した発明と同じ内容を、例えば、近くのオバチャンが井戸端会議で話題にしており(「公然知られた状態」)、実際にオバチャン連中を集めて自宅で試していた(「公然実施された状態」)と言うことを、別のオバチャンがメモしていたという事実があれば十分。

そのメモを特許庁に送りつけるだけで、あなたの特許権は、確実に潰されます。

これを覆す為には、「特許異議申立無効審判請求」と言う審判の請求を経て、再び裁判を始めることになります。

やっと闘いが終って、掴みとったあなたの特許権。

これでようやく安泰かと言うと、次の闘いのフェーズは、「特許無効審判請求」。

あなたの特許を叩き潰し、安心して製品を作りたい会社が立ち塞がります。

これに立ち向かう為には、自らその無効の内容を訂正する「訂正審判請求」でこの攻撃を交す必要があります。

この訂正審判とは、自分の特許権の一部を、放棄するものです。

すなわち、特許権という権利自身が生き残るために、自分の腕や足を、自ら日本刀で切り捨てるようなものです。

――  特許権とは、死ぬことと見つけたり

肉を切らせて、骨を断つ。

特許権の闘いとは、ダンディズムの極致とも言えましょう。

特許権を生き永らせたい特許権利者と、可能な限り早く抹殺したい第三者の闘いは、特許権の寿命たる20年の間、いついかなる時でも発生しえるのです。

さて、ここまでの話は、単に、特許権を潰そうとする敵をかわすためのものだけです。

皆が、特許権に群がるのは、それでお金を儲けたいと思うからだと思いますが、はっきり申し上げておきましょう。

特許権でお金が取れる期待値金額は、マクドナルドでハンバーガの売り子をやっているより、・・・、いやいや、もっと正確な引用をするのであえば、夜中に駅の構内で、ギター片手に下手糞な歌を歌うような阿呆な若者が、おひねりを貰うための空き缶に入れられる小銭の金額より、ずーーーーーーーーーーっと少ないんですよ。

# あの程度の低い歌唱力で、金をカンパして貰おうという厚かましさは、体、どこから来るのだろう。逆に金を払って貰いたいくらいだが。

もしあなたが、あなたの特許権で儲けたいと思うのであえば、*あなた自身*が、その特許を侵害している人や会社を見つけなければなりません。

あなた以外の誰も見つけてくれませんし、邪魔こそすれ協力なんぞ絶対にしません。

特許侵害を見つけて嬉しいのは、特許権者のあなただけ。

他の人にはどうでも良いことですから。

仮に見つけたとしても、今度は特許侵害の訴訟を*あなた自身*が起こさねばなりません。

これを特許侵害をしている人の立場から述べてみると「例え特許侵害をしていても、見つからなければO.K.」と言うことです。

実際、見つかり難い内容の発明なら、侵害を発見する可能性(顕現性)は、ずっと小さくなります。

例えば、プログラムの中のアルゴリズムの中にある特許侵害を、ソフトウェアを使っているだけで見い出せる人がいたら、その人は人類ではなく、神様でしょう。

こんなものは無理というか無茶です。

ですから、特許発明としては、顕現性の優れた、例えば「ゴキブリホイホイ」の発明とかの方が、断然優れているわけです。

とどめに、--- 実際のところ日本においては、これが大問題なのですが---

日本国の特許権者の勝訴率は、欧米のそれに比べてもの凄く小さい。

―― 闘えば、必ず負ける

と言うくらい、特許権者サイドの勝訴率は低いと聞いたことがあります。

今一度、あなたにお尋ねします。

―― それでも貴方は、特許出願したいですか?

(後略)