2012,江端さんの忘備録

今回の選挙、私の観点は、

■TPP賛成

■消費税増税(福祉財源化)賛成 (消費税30%以上でも認容)

■憲法改正反対

■安楽死法案化支持

■アジア各国の労働者の積極的受け入れ(人口が3億人以上の増加でもOK)

■弱腰外交の継続

でした。

が、この全てに同意できる人は、相当少ないでしょうし、はっきりいって一人もいないのではないかと思います(ちょっと極論に過ぎると自分でも思う)。

おかげで、選挙の支持政党探しに、酷く苦労しました。

争点にすらなってもいないことも含んでいますからね。

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ただ、上記の観点についてですが、私はこれらを意地になって固執したいと思っている訳ではありません。

誰かに論理的に説得して貰えれば、いつでも180度意見を変えられる、優柔不断さ・・もとい、柔軟性、フィレキシビリティがあると思っています。

事実、私は、自分の持論をクルクル変えており、人生トータルすると、

―― 4回転ジャンプ

くらいは回っているかと思うのです。

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ただですね、逃げられない最前線の塹壕に放り込まれれば、自動的に自分の観点は決まります。本当に簡単です。

例えば「高齢者介護問題」。

今、日本の介護の体制は、この悪夢の財政難の状況下において、贔屓(ひいき)目なく見ても、かなり厚く、本当によくやっていると思っています。

間違いなく厚く、そして、それでもこの程度が限界なのです。

我々の世代は、普通にその辺の道ばたで、猫や犬の死骸のように、人間の死骸が放置される時代になる ―― これは、私の中では、かなり確信に近いです。

(毎度、私が言っていることですが)「自分で電卓叩いてみる」と、そういう未来しか見えてこないのですよ。私の計算ミスなら、本当に良いのですが。

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私は、道ばたで自分の屍(しかばね)が腐臭をさらしていることには、全然抵抗はありません。

しかし、「死」のフェーズで、文字通り「死ぬほど苦しむ」ことだけは勘弁してほしいのです。

例えば、24時間、胃カメラを飲まされているような地獄にあって、しかも死ぬことも許されないような拷問があったら、私は死んでしまう。

# ・・いや、そうじゃないんだが、こういう状態をどのように表現すれば良いか、分からん

いずれにしても、私は、誰に対しても、何に対しても、そんな拷問を受けるほど悪いことはしていないと思う。

法治国家や福祉国家という国家のメンツの為に、絶望の地獄の苦しみ続けられることだけは、ごめんなのですよ。

また、世界を一定の客観性をもって認知できない状態になって、閉じていく世界を見ながら生きている自分の存在にも耐えられないのです。

# が、そういう状態になった自分が、不幸かどうかは、正直よく分からないのですが

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死に向かう者の苦痛に呻く悲痛な声が、どの家からも普通に聞こえてくる時代が始まる。

だからせめて、人間が、自分の意志で、人間らしい最期が迎えられる社会の実現を。

―― と、思ってしまう訳です。

そういう視点から、最初の方を見て頂くと、上記の私の考え方の一端を理解頂けるのではないかと思っています。

ただ、今回の選挙で、私の戯言を叩き潰すに足る数値データを提示して、明るい未来を客観的に示してくれた立候補者は、一人もいなかったように思います。

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まあ、いずれにしても、こんな話は、誰からも同意して頂く必要もなく、こんな戯言は、私一人が勝手にほざいて、勝手に悲観して、自己完結していれば良いのです。

そして、これが、私の戯言になってくれるのであれば、

―― 本当に嬉しい

2012,未分類

特許明細書が書き上がりません。

最近、クリスマスの思い出と言うと、特許を執筆していた記憶以外にありま せん。 時期的にも、下期の特許提出の時期にぶつかることもあって、私にとって、 「クリパ」と言われれば、クリスマスパーティなんぞではなく、クリスマスパ テント(特許)です。

本当は、このような愚にもつかない駄文を書いている間に、明細書の第二の 実施例を執筆しなければいけないのですが、システム構成図を書き直すのが面 倒なのです。 なんとか手を抜けないかと、現実逃避の考案をしている時、私の駄文執筆能力は、最高潮に達するようです。

嫁さんの気質や思想やポリシーに影響されるところ大なのですが、私は、結 婚してから色々なことから解放され自由になり、人生が楽に、そして楽しくな りました。 また、嫁さんとは関係なく、結婚というシステムの観点からだけでも、いく つかのことから自由になったことがあります。 その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

この時期、駅前、商店街、デパート、繁華街、どこにいても出現する緑と赤 の装飾、巨大なクリスマスツリーの電飾イルミネーション、そして、どこまで もしつこく追いかけてくるクリスマスソング。 会社の帰りに、夕食のコロッケを買っているところに、ユーミンや山下達郎 なんぞ、出現させるんじゃない(ちと古いが)。

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若い頃、私は、

――  一人で街を歩いたら、いかんのか!

と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

そのようなものから逃げる為に、イブの夜に嫁さんに担保をお願いしていた 若い頃の自分は、愚かだったと思います。 だが、この青春の愚かなプロセスなくして、今の家庭や家族がないのも、ま た真実です。 その時、若さ故の愚かさを、シニカルに笑っていただけなら、今、食卓を囲 んで家族で笑っていることはできなかったでしょう。

逆説的な結論ではありますが、「クリスマス脅迫症候群」によって「クリスマス脅迫症候群」から離脱する、というこの一連の理論は、物質が他の物質に 変化するプロセスで、一時的に高エネルギー状態に至らなければならないとい う「励起状態」を思い起こさせます。

いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い 恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が 咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに 聞くくらい、気になりません。

ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私に とって意義があったと断言できます。

閑話休題。

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実際のところ、一体どれ程の効果があるのだろうか良くわからない「英会話ス クール」ですが、この不景気日本にあって、しぶとく生き残っているようです。

先日、先輩と話していた時に、「英会話スクール」の目的は、勿論英会話の 向上にあることの他、「異性と出逢う場」としての役割もあるそうです。

なるほど。 そういうことなら、あのふざけた高価な授業料も、投資としてはむしろ安い。

個人を主体とする現代の社会構造上、異性と出逢うチャンスがないと言うの は、至極当然のことではあるのですが、出逢いを求めている当の本人達にとっ ては、深刻な問題です。

近い未来、自力で彼氏や彼女を見つけてきた者は、会社や地元の自治会から 表彰されるような未来がくる、と私は真面目に考えております。 実際、政府が国営のお見合い期間の設立に動いています(2002年11月14日の 朝日新聞より)

これは本当の話ですが、私は10年も前に、日立のスーパーコンピュータのア プリケーションとして「お見合いシステム」を提言していました。

スーパーコンピュータの性能と言うと、円周率の計算くらいしかやることが ないように思われていますが、これからのスーパーコンピュータはスペックは、 MIPSやディスクアクセス速度、トランザクション処理数などではありません。

目標は、単位時間あたりに、どれだけの大量のカップルを生成させることが できるか、そして、そのカップルをどれだけの時間維持させえるか、さらには、 定着率(結婚率)などが競われるようになる、と予言していました。

MTTR(Mean Time To Repair 平均修復時間)は、システムの平均復旧時間から、 カップルの平均復旧時間へと解釈が変更され、MTBF(Mean Time Between Failure 平均故障間隔)は、言うまでもなく、カップルの平均交際停止間隔と 解釈される訳です。

こんな風に考えていくと、「システム」と「恋愛」は恐しく良く似ているこ とに気がつきます。 セキュリティの観点から言えば、機密性、可用性、抑制機能、予防機能、回 復機能等、メンテナンスの観点からは、初期不良、経年劣化、リプレース・・・

まあ、この辺で止めておきましょう。

結婚の問題とは関係なく、異性と付き合うことは、それ自体が人生を豊かに するし、そもそも楽しいものです。 勿論、苦しさや面倒も半端じゃありませんが。

この機会を、英会話スクールが提供しているのだとすれば、大変コストパフォー マンスな「場の提供」と言えるでしょうし、次世代の新しいコミュニティ創成 の場として大変有望なものであると、私は考えました。

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「そうかな?」

私が得意げに、「英会話スクール出逢い機関論」を唱えていると、嫁さんが 異議をはさんできました。

私 :「どうして? 出会い系のメールやWebなどに比べて、身元や面が割れ る分、健全で安全で安心だし、勉強で集うと言う点も、さらに高品 質のフィルターを通っているとも解釈できるぞ」

嫁さん:「『出逢う』為には、男性と女性が、少なくとも同じクラスにいなけ ればいけないよね」

私 :「そりゃ、まあね」

嫁さん:「で、まあ当然、英会話を始める人なら、初級コースから入会するよね」

私 :「そうだろうね」

嫁さん:「自然に無理なく親しくなるためには、それなりに時間もかかるよね」

私 :「あからさまに、『異性を探しています』てな感じの奴なんて、いや だろうからな」

嫁さん:「英会話クラスの初級コースなんぞに、うだうだといつまでも居残っ ている男ってことは、『私には将来性がありませんよ』と宣言して いるようなものじゃない? 私なら、私と同じクラスにいるような 男は嫌だな」

私 :「・・・あっ」

盲点でした。

確かに、そんな将来性の見えない異性を探しすために、金を出しているとし たら、投資以前の問題です。 金をドブに捨てているようなものです。

嫁さんの提示したアンチテーゼは、英会話スクール以外にも、テニススクー ル、その他のスクール全部に適用が可能のようです。 いつまでたっても、初級コースから抜けられない野郎と付き会いたい女性は 少ないだろうからです。 むしろ、検討除外の明確な指針となってしまう恐れもあります。

まあ、別の異性へのアクセスのポインタくらいにはなるのかもしれませんが。

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「出逢い」が難しい時代になりました。

「出逢い」を構築するために、自分ではない、不本意な自分を演出する必要 性に苦しんでいる人も多いと思います。 口ばかりが上手くて、綺麗に装うのが上手い奴だけが、出逢いの門に立てる のだろうかと問われれば、私は自信を持って答えることができます。

その通りです。

ですから、「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自 尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」(http://www.kobore.net/mail8.txtより抜粋)と言う、私の尊敬する人の言葉が、私の胸を熱く打つのです。

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クリスマスイブの今日、私より皆さんに、新約聖書の「マタイによる福音書」 7章13節を贈ります。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きくその道は広い。そして、そこ からはいって行く者が多い。命にいたる門は狭くその道は細い。そして、それ を見いだす者が少ない」

最後に、江端による福音書、第3節A項の第5号にて、今日はお別れしたいと 思います。
皆さん、よいクリスマスを。

「狭い門から入る必要なんぞないし、できれば避けたいのは山々だが、本当の 自分を好きになってくれる人と出逢う為の門は狭い。天国の門なんぞお話にな らんくらい狭い。ナノテクノロジーですら解決できないほど狭い。とにかくうんざりするほど狭い。それを見いだす者は、かなり運が良い」

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、自由に転載して頂いて構いません。)

2012,未分類

2002年12月24日
書き人知らず

Tomoichi Ebata さんは書きました: >
> クリスマスプレゼント、と言うことで。

江端さんのひとりごと「英会話スクール出逢い機関論」

共に秀逸なコンテンツでした。
久しぶりに駄文の妙味というものを味わわせてもらったと思います。

> その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

最近は不景気のせいで沈静化した感があったが、まだバブルの残滓が漂ってい た90年代前半頃までは、ホテルが軒並み予約で満杯であったという。 今思えば、当時の若人は何と愚かしい真似をしていたことか。

> 若い頃、私は、
> 一人で街を歩いたら、いかんのか!
> と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

確かに誰彼なく殴りつけたくなるような、荒んだ心象風景を抱えねばならなかっ た時期もあった...(遠い目)

> ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私に
>とって意義があったと断言できます。

この脅迫観念から解脱する解として、もう1つ「枯れてしまう」という解もあ る事を忘れてはなりません。
小生はもう何年も前から、この方法による解脱に成功し、

> いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い
> 恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が
> 咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに
> 聞くくらい、気になりません。

という境地に立っており、サカリのついたオスとメスが演ずる茶番を、 完全なる「他人事」として相対化する視線を獲得し得ております。

それは、あたかも路傍の石を眺めるがごとき視線です。

イブの本日、みっともなくも若い衆の中には、本当は何の用もないのに そそくさと定時速攻で退社し、周囲にプライベートな用件があることを 無言でアピールする哀しい連中もおります。

無論、解脱した小生はそのようなみっともなさとは無縁であります。

本日は断固として圧倒的に残業を敢行し、小生にはプライベートな用件など 微塵も存在しないことを雄雄しくも広く天下万民に知らしめ、 もって「枯淡の域」とはいかなるものかを、無知蒙昧なる大衆に身をもって 示す所存であります。

※ 本当はね、まるっきり用件がない訳でもなくて、一人で呑み屋に行くの。 そんで、明日は明日で野郎ばかりで寿司屋で呑むの。

2012,江端さんの忘備録

皆さんが「安全」と考えているものと、制御システムで定義されている「安全」は、随分違います(が、今日はこの話はしません)。

今、「原子力安全工学」という資料を読んでいるのですが、なかなか怖い記載があったので、一部ご紹介など。

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■スリーマイルアイランド原発事故においては、

設計時には想定されていなかった運転員のエラーにより事故が発生し、中央制御室は、100を越える警報が一斉に点灯して、何が起きたのか判断できなくなる状態になったそうです。

これを、「クリスマスツリー(警報雪崩)」と呼ぶのだそうです。

映画では良く登場するシーンですが、できれば、こういう「微笑ましい」とは対局にある光景を見ることなく、一生終えたいものです。

ともあれ、多重安全設計で「がんじがらめ」にされている巨大システムが、ささいな運転員の操作ミスで、驚くほど呆気なく崩壊していくという、最良の実施例を提供することになりました。

比して、

■福島原発事故においては、

全電源喪失となり、いわゆる

「逆クリスマスツリー(警報無言)」(命名 江端)

となった訳です。

今まで、ピカピカ点滅していた装置、監視用モニタ、そして原発の健全性を証明する計器が、一瞬で全部沈黙。

叩こうが蹴ろうがピクとも動かない。

こっちも、映画では良く登場するシーンです。

映画の場合は、スリル感を盛り上げるために、徐々にシステムが壊れていくシナリオになりますが、こちらは、映画よりももっと壊滅的。

これでもか、これでもか、というくらいに、うんざりする程、多重に準備されたバックアップ電源が、津波による水没で一気に(多分1分内くらいで)全滅。

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制御システムに関わる者として、また、既婚者として、「クリスマスツリー」も「逆クリスマスツリー」もいりません。

何も起こらない、普通の日常が一番いいです。

2012,江端さんの忘備録

私、ドラマが嫌いで、アニメを見るのが好きです。

嫁さんは、この真逆です。

従って、夫婦でテレビを見るというのは、かなりのレアケースです。

「なんでかな」と考えてみたのですが、アニメというのは、結構いい技術研究ネタが仕込まれているからかもしれない、と考えてみました。

ロボットとか、戦艦とかでは、それなりの機械工学の知識が含まれていないと、理系男子でなくとも、薄っぺらく感じてしまいます。

時空間(タイムトラベル)ものにいたっては、相対論やら量子論までもを配慮したシナリオが記載されているし、遺伝子関係についても相当の専門分野の話が入ってきています。

『見ていると、なんか賢くなった気がする(正確には、分かったような気がする)』という魔力が、(ある一部の)アニメにはあるのです。

特に、私のように、技術ネタでコラムを書く人間にとっては、ネタ元としては、結構、舐めてかかれない程の情報が含まれているんですよ。

・・・というのは、多分建前で、まあ、好きなんですよ、私は。特にSFのアニメは。

ただ、私の嗜好が強すぎて、同時に2つ以上のアニメを継続して見る、ということが滅多にありません。

もっと技術的に難しくて、専門的で、基本的には筋が通っていて、技術者が主人公である。そういうアニメは、なかなかないものでしょうか。

# イメージとしては「さよならジュピター」だけど、映画化だけでなく、アニ化メまで失敗されたら、私は立ち直れない。

さて、それはさておき。

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SF以外のアニメの設定では、「不良」「部活」そして「生徒会役員」を扱うものが多いようです。

部活も、かつてはスポーツ部と決まっていたものです。

しかし、最近では、文系も多くなっていますね。漫研、文芸部、ブラスバンドなどはあったのですが、軽音、古典部、かるた部とか、(すみません。ちゃんと見ていません)

―― すごいダイバーシティだ、と思います。

私の世代から見ると、このダイバーシティ(またはバラエティ)は、とてもうらやましい。

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ダイバーシティと言えば、今や「武装する図書館のアニメ」まであるくらい(すみません。見ていません)なのですから、どうでしょう、いっそうのこと、

○政権党(内閣を含む)と野党を取り扱うアニメ

○島の領有権を争う多国間の思惑を取り扱うアニメ

○列強によって分断された国家を取り扱うアニメ

など、誰か企画してみませんか。

なんか、ツイッターを追ってみると、どうもこの手の話題になると、表層的な感情論で、簡単にヒートアップする内容が多くて、正直うんざりしています。

なんの為に、私達は義務教育や受験で、世界史や日本史の勉強をさせられてきたのやら、と溜息がでてきます。

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「歴史」という教科の存在意義は

(1)過去において、この手の隣国間のトラブルなんぞ腐る程あり、

(2)概ね時間の経過(まあ、3ヶ月も必要ない)で軽く忘れ去られ、

(3)忘れ去られる前に、一部の馬鹿が火をつけて、時々回復不能な事態(戦争等)に発展させてしまったこともあり、

加えて、

(4)外交上「白黒はっきりさせない」という戦略が、過去において相当有効に働いてきた

という史実(歴史的事実)を学ぶものだと、私は思っています。

「いい国(1192)作れず、鎌倉幕府」などという、下らない暗記をすることが、歴史の勉強の目的ではないと思っています。

『今回の事件は、過去のあの事件に似ているなぁ』と冷静に把握し、可能な限りの背景事実を収集した上で、筋の通った論理的な主張をすることは、正しいかどうかはさておき

―― かっこいい、とは思う。

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ジオン公国と地球連邦政府(すみません。ガンダムのストーリー全く知りません)の歴史を知る、その気力の1/10で十分です。

隣国と自国の歴史を勉強してみることは、結構良い方法であるし、現実に必要であると思うのです。

でも、多分そんな、楽しくもないこと、誰もやりゃしませんよ。

ならば、いっそ、アニメという手段で、国際政治な動きの裏側を、軽いノリと笑いで表現して、隣国を理解するというのは、良い方法だと思うのですよ。

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いや、難しくないですよ。

我が国の首相や内閣のメンバ、隣国の大統領や中央政治局常務委員を、全員、

「美少女アニメキャラクター」

として制作すれば足ります(多分)。

半分くらいは、真面目な提案です。

2012,江端さんの忘備録

誰も私を「キャバクラ」へも「メイド喫茶」へも連れていってくれません。

「『江端が怒り出す』と思うから」という理由なのだそうです(以前も書きましたが)。

私にはよく分かりませんが。

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「キャバクラ」とは何かを調べてみました。

◯「キャバクラ」は、日本人特有の和製英語で、「キャバレー」と「クラブ」の合成用語

◯歌や踊りのショーを見ながら、お気に入りの女性(ホステスさん)と会話やダンスを楽しむことが発祥で、クラブほどは高くないが、気軽に若い女の子と会話が出来るという、接待サービスの一態様。

◯料金の単位は「1人・時間」

次に料金の相場を調べてみました。

◯基本的に60分5千円で、延長が可能(自動延長もあり)。但し、飲食料金を含まない。楽しく酔っ払って気付くと4時間経っていて、伝票を見ると「3万2000円」ということもある。

◯「事後一斉清算」と「前払い」の2種類もある。当然、店側から見えれば前者が望ましい。

◯「7時~8時4000円/8時~9時5000円/9時以降6000円」くらい。

◯実施例

午後9時から2時間飲んだ場合

基本料金:6000円として2時間で1万2000円

指名料:2000円として2時間で4000円

女の子へのおごり:1000円の飲料を2杯 2000円

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総計 1万8000円

ここにTAXが加わって、ざっくり 2万円

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インモラルな行為もなく、ただ会話をするだけで2万円。

他のサラリーマンは、私とは別口の給料が支払われているのだろうか。

そして、そこでは、一体どんな凄い話術が展開されているのか。

NHKでやっている「日本の話芸」に匹敵するクオリティなのだろうか。

私が、『制御システムのリアルタイム性能』についての話題を振っても、ついてきてくれるんだろうか。

もしかしたら、私が見落しているサブシステムの性能についても、指摘してくれるのかもしれない。

とすれば、「2万円」は、決して高くない。

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なんで、私が、キャバクラについて調べているかというと、先日の打ち合わせで、

「次回の定例報告の資料作成については、作成者として江端を『指名』する」という偉い方の指示があったことに起因します。

「指名された私には、一体いくらの「価値」があるんだろう」と考えたのですが、よく分かりません。

そこで、ケーススタディでアプローチしてみることにしました。

そもそも「指名」という「価値」が、一般的に使われている世界はどこだ。

そういえば、「キャバクラ」と称呼される遊興システムに、「ユウコさーん。1番テーブル御指名でーす」というセリフがあったような気がする。

とりあえず、その世界から調べれば、何か分かるかもしれない。

―― と、まあ、そういう経緯に因る訳です。

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でも、キャバクラの指名料って、1時間2000円程度なんですね。

これなら、多分私の方が高い。

# 根拠はないけど、そうとでも思わないと、仕事なんぞやっていられない。

2012,江端さんの忘備録

国会議員は、国民の信を受けて当選を果すものですから、そこに「信」以外の条件、例えば、財力、学歴、知識、体力、健康状態、愛人関係等は、全部無視して選ばれるべきです。

まあ、資産に関しては、

政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律(平成四年十二月十六日法律第百号)

というものがあるようです。

(私の見落しがない限り、虚偽報告に関する罰則がないみたいです。私に間違いがあれば指摘して下さい)

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「資産」の開示も大事ですが、私としては、国会議員の「見識」を開示をして貰いたいのです。

採点なしで結構です。

解答用紙の内容は全部国民に開示される、ということだけで十分です。

内容は、できるだけ簡単な問題が良く、2~3行程度の論述(図入りでも良い)をして貰うもので、全部で50問程度でどうでしょう。

例えば、

「国内法と条約の内容が矛盾した場合の法解釈について述べよ」

「現在の国内GNP,GDPと国家予算の額(概略)を記載せよ」

「死刑制度に関する私見を述べよ(但しノーコメントと記載しても良い)」

とかになるでしょうか。

私としては、この問題を入れて貰えれば、文句はありません。

「軽水炉型原発の構造図を簡単に図示せよ」

「シーベルトとベクレムの違いを簡単に説明せよ(誤植があれば、それを修正して解答すること)」

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まず、年に1回の試験の実施と、または選挙公示前の立候補者の事前試験として、法律で制定します。

勿論、試験問題の流出がないように、国家から完全に独立した第三者機関(というのが可能かどうかはさておき)が管理し、公平に実施します。

点数を付ける必要はありません。

ただ、全国会議員または、立候補者の解答用紙をWebで開示して貰えば十分です。

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この解答用紙は、選挙の時に大変役に立つと思います。

政権放送なんぞ聞く必要はありません。

消去法で簡単に候補者を絞れます。

忘れがちなのですが、国会とは立法機関(法律を作る組織)なのです。法律に関する基本的な知見もない人を選ぶことはできません。

また、行政庁の長となるべき人が、「原発の仕組み」や「放射能の単位」ごときを理解していないとすれば、到底、国政を任せる気にはなりません。

2012,江端さんの忘備録

記事か見出しだけで、新聞を判別できるだろうか?、という、研究的な興味が湧いてきて、ちょっと書き下してみました。

■読売新聞・・・「ということにすべきである」

基本的には保守で、時々空気を読まない(KY)記事が登場する。

先日、「我が国はプロトニウム最大所有国で、核保有国と同等の軍事脅威を持っている」という社説で、日本中から「それを言っちゃあ、おしまいだろう」と突っ込まれていた。

■朝日新聞・・・「ということに対して、我々はいかに考えていくべきであろうか」

インテリ風の教師が生徒に考えさせる風の「上から目線」記事が、タカビーで「ムカッ」とくる。結論を明確にしない記事(新入社員が最初にやるプレゼンで、要旨不明で上司に怒鳴られるような内容)が多い。

■毎日新聞・・・「という国民の民意を政府は反映すべきだ」

「政府は国民の意見を全て無視して、独断先行している」という内容なら、まず間違いない。平易な文章として記載しているのは、努力しているからと評価したい(記者の知的レベルが低い訳ではないだろう)

■日経新聞・・・「という39%のデータより、株価の水準が・・・」

「数字が真実」であり、「堅調な経済が正義」である、という、一番解りやすい方針を、一番解り難く説明する記事が特徴(数字の意味の理解が難しい)

■産経新聞・・・「というように集団自衛権の行使は・・・」

保守バンザイ。「基本的に政府の方針は間違っていないぞ」の論調なら、まず間違いない。

■赤旗新聞・・・「というような、我々の生活を破壊する消費税は許せない」

基本的に国民が嫌がりそうな事件(増税等)の記事が多いが、その場しのぎで、事件の全体感が見えない。特に桁の多い数値を扱う記事については、絶望的にダメ。電卓やセクセルを扱える記者がいないと見た。

■聖教新聞・・・「創立80周年の大勝利万歳!」

基本的に「恐い」。『大勝利万歳!』が一面トップに出てくると、<北>を彷彿してしまう。もしかしたら「聖教新聞」という名前の、別の雑誌名なのかもしれない。

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その他、前進(中核派機関紙)とか、解放(革マル派機関誌)も調べたのだけど、Googleの画像検索ですら発見できなかった。

# 過激で訳が分からない見出しが印象的だったんだけどなー。

なんとか思い出してみよう。

「階級的闘争を経て、米帝の体制的な行きづまりと日帝侵略戦争の帝国主義打倒粉砕へ全人民的怒りを結集せよ」

うーん、覚えている単語を並べただけだけど、それらしい見出しになりました。

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また、暇を見つけて、調べてみます。

2012,江端さんの忘備録

「給食が食べれない子供時代を経て為に、病気になってしまった大人」って、いるのでしょうか。

昔、給食が食べられなかった子供を、先生達は、居残りさせてまで食べさせていました。

醜悪な光景でした。

あれは意味があったんでしょうか。

多分、先生達も「馬鹿くさい」と思っていたと思うのです。

でも、学年指導教官の指示なので従わなせければならず、指導教官は、校長の指示なので従わければならず、

で、校長は戦後世代の「食料のない時代」に育った子供達だった、と。

「食事を残す」ということが、憎悪に近い行為であったといのは想像に難くないのですが、逆の発想はできなかったのでしょうか。

『戦後の、あの地獄のような食料危機を、俺たちは生き残ってきた』

『給食くらい抜いたって、人間は死にやしないぞ』

『わっはっはっは。』

無理か。

無理だろうな。

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私達だって、似たようなものです。

新人が入ってくる度に、

「新人類」

「ゆとり世代」

「くれない君」

だのと、まるでレッテルを張って「新人を苛める」ことが、まるで我々の業務であるかのような振舞い。

そして、我々はというと、

昔は寮が狭かっただの、席が汚かっただの、パソコンが奪いあいだっただの、TSSで計算ジョブを走らせただの、ワークステーションをプロセス過多で落したの、X端末やモザイクがなんだの、イエローケーブルがどうだの、

ああああああ、まったくもって「うるさい!うるさい!うるさい!」。

おめーらが、不幸だった時代を、なんで俺たちに、いちいち教え聞かせるんだ。

それで、なんか、お前らに「救い」でもでもあるんか。鬱陶しい。

―― と、私も思われているのでしょう。

とても残念なことですが。

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給食を食べれない子は、給食を食べれなくて良い。いつか食べれるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。

仕事ができない新人は、仕事ができなくて良い。いつか仕事もできるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。

我々が劣悪な環境で苦労してきたかもしれない。その苦労は、大変だったかもしれないし、大変でなかったかもしれない。

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「他人のことなど、どうでも良いことだ」

という観念に至るのは、やっぱり難しいことなのでしょうか。

2012,江端さんの忘備録

昨日、大学のゼミの恩師の退官記念祝賀会に出席してきました。

場所は新大阪近くのホテル。出席人数200人超の大きなパーティで、先生のご人徳の賜物(たまもの)と言って良いでしょう。

しかし、当たり前ですが、関西と関東の間は、遠くて高くて時間がかかります。

大学とのコネクションを維持したい人(共同研究や依頼研究や、教授に博士論文の主査になって貰う等)は、大学の近くで就職して、居所を構えるべきだなぁ、と実感しました。

それはさておき。

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先日、この「祝賀会」に関して、以下のような日記を書きました。

====== ここから =====

楽観的な気休めを言うのは、もう止めましょう。

「いつか、どこかで、また出会える」ということが「ない」ことを、私達は知っている。

これからの人生で、再会する可能性が絶無であることを知っている。

会えるとしたら、多分、どっちかの葬式だろう。

しかし、葬式では、お互いに喋れないし、笑うこともできん。

そんなもんに、私は参列しない。勿論、私の方にも来なくていい。

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だから、最後にもう一度だけ、

動いていて、
喋っていて、
笑っている、

皆に会いたい。

私の人生で、苦しい時にいつでも支えてくれる、あの目も眩むような幸せな日々を一緒に作ってくれた皆に ――

―― 最後の最後に、もう一度、心からのお礼を言いたい。

====== ここまで =====

てなことを書いていました。

教授が退官されることになれば、我々が結集する場は事実上無くなります。

結婚する人はもう大体結婚しているから結婚式で集まることもないだろうし、関東と関西では、個人的につきあうには距離が遠すぎる。

遠距離恋愛は、「恋愛」というファクターでギリギリコネクションを維持できる「場合」があり、多くの場合、恋愛は距離に負けます。
(それを、逆に戦略的に使うという手法もあります(今、この場で「江端メソッド」と命名)が、これは別の機会に)

ですから、このパーティの最後には、仲間が号泣するような感動的な別離シーンを予想していたのです。

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私が甘かった。

私の「可愛い後輩達」は、それが、人生最後の出会いであろうが、なかろうが、相変わらず、先輩をいじって楽しむことに、何の躊躇もありませんでした。

『関東なんぞに行ってから、江端さんは変わってしまった。守りに入ってしまった江端さんに、何の価値があるんですか』

『会社に慣れない? そんなこと、最初からここにいる皆が分っていたのに、自分で理解するのに20年もかかったんですか』

『このタイミングで、舞台に乱入しないのですか? 江端さん、私はガッカリです』

いいですか。

この発言をしている彼等は、40台後半に差しかかった、全員がそれなりの社会的地位を有する、大人の男の会話であることを覚えておいて下さいね。大学生じゃないですよ。

帰りの新幹線のキップを握って会場を脱出しようとする私を、物理的に(暴力的に)取り押えて、帰宅を妨害しようとしました(20時台の新幹線に乗らないと、私は帰宅できない)。

彼等は、―― 多分、その後、彼等は私をそのまま夜の大阪の街に放置して、自分達だけは終電で帰宅する ―― そうだ、だんだん、思い出してきたぞ。彼等はそういう奴等(やつら)だった。

間違っても『江端さん、私の家に泊まって下さい』などと殊勝なことを言う奴等ではない。

『まだ夜は寒いですから気をつけて。新聞紙が暖かいらしいですよ』くらいのことは、平気で言う奴等だ。

忘れていた訳ではないのですが、彼等と私の関係は、20年以上の時を経ても、何にも変っていませんでした(もっと変わって良いと、私は思う)。

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そして、彼等は、私の葬式にやって来る。

そして、その葬式の最初から最後まで、私の悪口に花を咲かせ、そして、大声で笑い続けるだろう。

そして、親族や関係者は、私を「そういう人間だったか」と誤認して、私の葬式は、ただの騒乱した宴会と化すだろう。間違いない。

嫌だ。

それだけは避けたい。

何も言えずに、棺の中で黙り続けなければならないなど ―― 想像しただけでも、耐えられない。

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私は今、誇張、反語、いかなる逆説的な意味なく、心の底からお願いしたいのです。

『私の葬式には、絶対に来ないでくれ』

私の人生の最後の最後くらいは、

「私の尊厳と名誉を破壊するような行為に及ばないで欲しい」

と、今、土下座の気持ちで、お願い(懇願)に至っております。