2012,江端さんの忘備録

私が、位置情報サービスの研究を行ってきたという話は、すでに何度か致しました。

この研究を進める上で、最も大変だったことは、技術開発ではありませんでした。

傲って(おごって)いると思われると嫌なのですが、詰るところ、技術というものは、金と人があれば、ある程度まではなんとかなるものなのです。

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位置情報サービスの研究の最大の敵は「嫌悪感」でした。

いわゆる「どこにいるか第三者に知られるのが嫌」という奴です。

「プライバシー」という言葉で良く語られてましたが、この「嫌悪感」なるやつは、まったく異なる観点から、我々の研究を技術開発を徹底的に邪魔しまくりました。

『そんな、プライバシーの侵害になるサービスが流行る訳がない』だの『人格権の侵害』だの、と、まあ色々言われて、研究の邪魔になること、まあ果てしなかったこと。

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私は、その度に思ったものです。

「あんたは、あんたの時間に、突然、予告もなく割り込んで、プライバシーを平気で破壊する機械 ―― 携帯電話 ―― を持ち歩いているが、それは良いのか?」

とか、

「世界中の地図を開示され、さらに自宅の外観写真まで公開されて、大騒ぎしていたのに、今は、もうどうでも良くなったのか?」

とか、

「殆どの駅に、ほぼ間断なく設置されている監視カメラは、あんたの顔を完璧に記録しているが、これは気にならないのか?」

とか。

私が不愉快に思うのは、プライバシーを標榜するくせに、その取扱に一貫性がなく、論理破綻していることです。

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しかし、まあ、「嫌悪感」とはそういうものだということは理解しています。

完璧に論理的であることは、人間であることを否定するようなものでしょうから。

それと、年頃に至ってない娘を持つ父親としては、娘達の位置情報は勿論、電話、メールアドレス、その他、ありとあらゆる情報が、第三者に漏洩することは、やはり心配ではあります。

とは言え、我々の存在している場所が完全に把握され、第三者に共有されることは、時間の問題だと思います。

#Facebookで、私はこれを確信しましたね(後日語ります)。

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では、ここで一つのテーゼを提供してみたいと思います。

世界の全ての人間の位置情報が、全て開示された世界において、何が起こるか?

私には、一つの仮説があります。

「どーでも良くなる」

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我々は他人の行動やプロセスには興味がなくなり、

その人の嗜好や属性も気にならなくなり、

その人と私との間におけるインターフェースだけが重要な要素になる、と。

隠されない(隠すことができなくなった)本人のプライバシーは、本人の属性としての個性と同化します。

その気の遠くなるような膨大な種類の価値観は、もはや、その人が「何を嗜好しているか」という観点を消滅させてします。

ただ、「その人」と「私」の関係性は、「価値があるか/ないか」のみの価値観で支配される世界になる、ということです。

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うーん、これでは良く分からないか。

では、卑近な例ではあるが、実施例を提示してみよう。

例えば、

「ゴスロリの衣装を着ている上司(男性)に、書類の決裁の印鑑を貰いに行く」

「パンクファッションをしている銀行員に、融資の相談をする」

「幼女趣味であることが分っている社長の会社に、入社する」

というイメージでしょうか。

# うーん、上手くないなぁ・・・。まだ私も整理しきれていないのです。

要するに、ありとあらゆる人間としての属性を切り捨てた、究極の「インタフェース社会」の具現化、と言えるものになるのだろう、と考えています。

2012,江端さんの忘備録

『力のない主人公が、様々な苦難に直面しつつも、それらを乗り超えて、最後には成功する』

という、予定調和的なドラマが多いですよね。

でも、時々思うんですよ。

「前向きに、意気揚々として、希望を持って『夢を諦める』ドラマ」ってないものですかね。

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「諦める」とまで言わなくとも、

○「夢」の閾値(しきいち)を下げる
○「夢」のベータバージョンをリリースする
○「夢」を一旦、留保する
○「夢」へのアプローチ、または対象を変更する

ということは、私達が生きていく為に、日常的に、普通に行っていることです。

「夢」を究極に追求するということは、その為に究極的に不利益を詰み上げる覚悟を持つということです。

その不利益とは、恋人ができなかったり、社会的信用を失ったり、収入が得られなくなったり、下手をすると衣食住にも不足する、と言うことです。

私達は、そういう人を、日常的に「バカだ、アホだ」と陰口を叩いている一方で、「下町でロケットの部品を製造している話」に感動します。

ぶっちゃけて言えば、

「夢」は叶うことで、遡及してプロセスが評価され、
「夢」が叶わなかったら、一生バカにされ続ける、

と言うことです。

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「夢を諦める」ことは、もっと前向きに、もっと高く評価されるべきだ、と思うのです。

そして、

『私は自分のやりたいことが分からない』

という若い方達に、

「大丈夫。殆どの人が『分っていない』。そして、殆どの人が、別段、やりたいことを目指して生きている訳でもない」

と、きちんと教えて上げたいと思うんですよ。

その為には、「ドラマ」は、てっとり早い手段かな、と。

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♪あなたの夢を諦めないで~(岡村孝子)

と言う歌があります。

私も、何度か、そういう内容の手紙を貰ったことがあります。

でも、突っ込んでしまうんですよ。

「お前はどうなんだ?」

って。

2012,江端さんの忘備録

私はいわゆる「テレビドラマ」が嫌いです。

家族で食事をしている時、テレビドラマの視聴は厳禁としていますし、それ以外の時には、私がテレビの音が聞こえない所まで逃げ出します。

世の中には、ほっといたって不幸や不運が溢れかえっているのに、なんで不幸や不運の「創作物」まで見なければならないのか、と思えてしまうのです

テレビドラマは、一般的に主人公に感情移入するように作られていますが、どうにも冷めてしまう。

例えば、「水戸黄門」を「暴力と権力の濫用」と、自然に見えてしまう私は、生まれながらにして、テレビドラマを見る資質を欠いているのです。

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「じゃあ、どんなテレビドラマを見たいの?」と尋ねる嫁さんに、

○家族皆がいつもニコニコしていて、

○子供はきちんと勉強して、順当に成績が伸びて受験に成功して、

○奥さんはご近所とのおつきあいで素晴しいコミュニケーション力を発揮して、

○旦那は仕事で努力を重ねて順当に出世を続け、

○お爺さんやお婆さんは、病気が直って仕事を再開し、若者の規範となり、

○世界から紛争がなくなって、皆が安心して幸せに暮せる世の中になる、

という、テレビドラマなら、是非見たい。

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「視聴率取れるか!」という、嫁さんのツッコミは、まあ、正しい。

2012,江端さんの忘備録

清水義範の「読み違え源氏物語」を読んでいます。

○夕顔の死因は、六条御息所の怨念ではなく、

○空蝉、惟光を共犯とする、頭の中将の陰謀であり、

○夕顔は空蝉と同一人物で、しかも死んでいない

という、ぶっ飛んだ、「源氏物語殺人事件」に仕上がっています。

こういう本は楽しい。

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ところで、私が「夕顔」「六条御息所」「頭の中将」とかの名前をスラスラ出せるのは、

「文部科学省の指導要項による古文の教育の成果」などでは、

『断じて無く』

全て、

大和和紀による漫画コミック、

「源氏物語 あさきゆめみし」

の内容を完全暗記していることと、

そして最近では、

魔夜峰央による漫画コミック

「パタリロ源氏物語!」

で、内容の理解が再強化されている為です。

源氏物語に関しては、文部科学省の指導要項(要するに古文の教科書)は不要でした。

# というか、むしろ邪魔。

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文部科学省は、(教育を統制する機関としてのメンツと立場もあるのだろうけど)、

「古典をつまらなくする為に存在しているのだろうか」

とまで邪推することがあります。

なんで、源氏物語を、わざわざ読みにくい原文で記載するのかな。

漫画とまでは言わないけど、現代訳で「内容」を楽しませるのが先だろうが。

そして、現在の価値観に照らして、

『「光源氏」に殺意を覚える』

というくらいまでの親近感を持たせることが大切だと思うんですが。

どうでしょうか。

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付録

源氏物語の「『光源氏』批判」としては、あまりに著名な「笑う大天使」(川原泉)より、長文抜粋。

---- ここから -----

(1)校則違反(?)の罰として、源氏物語の全文読破とレポート提出を課せられた3人の女子高校生の、レポート作成中の会話

「女癖は悪いし、くっだらねえ事で悩むし泣くし」

「マザコンでロリコンで不倫大好きの変態だよな」

「この平安人は恋愛沙汰以外にな~んも考えとらんぞ」

(2)提出されたレポートの結言

『――結論

…だから光源氏とゆー人は、女の人の迷惑も考えずやみくもに本能のまま行動し、知的ブレーキのあまり利かない性格か或はブレーキ自体が存在しない質であり、いわゆる「歩く煩悩様」の典型的な例だと思われます。(更科柚子)』

『――結論

…ゆえに光源氏とゆー人は、性的衝動の赴くまま、他を顧みる事無く自らの欲望を満足させなければ気がすまないミーイズムの人であり、このよーなタイプはさしずめ「性衝動人」と申せましょう。(司城史緒)』

『――結論

…つまり光源氏とゆー人は、独りよがりの悩みで周囲の人々を不幸に巻き込むだけでなく、さらにその執着心と多情さで不幸を拡大させるとゆー得意技がパターン化された「増殖ワラジムシ」であるといえる。(斎木和音)』

---- ここまで -----

2012,江端さんの忘備録

「浮気」というものに関して、私はその定義を知りませんし、それをモラルの観点から、どうこう言うつもりもありません。

ただ、「浮気」というのは

『隨分と、コストがかかるんじゃないのかなぁ』

という漠然とした予想があります。

# ここでいうコストとは、「金」と「時間」のことだけです。「リスクコスト」は勘案しません。

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少し気になったので、

「浮気の経済学」

「浮気の時間捻出法」

「浮気の最適化問題」

などのキーワードで、ちょっと調べてみたんですが、客観性を担保した学術論文や特許などは、見つけることができませんでした。

ちなみに、

「30日完成 浮気」

「チャート式浮気方法」

「たった2年で浮気できる方法」

などの、「浮気」未体験者に対するハウツー本は発見できず、

「浮気で儲ける方法」

のようなビジネスモデルは、絶無でした。

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私は、「飲み会」に行く金があれば、その金で「GPSの固定アンテナを自宅の屋根に設置したい」と考える人間です。

# 「GPSの計測誤差から、地震予知ができるかもしれない」という話を聞いてから、週末研究者をやって、自力で調査してみたいなぁと思っていまして。

「浮気」というものが、どういうものか良く分かりませんが、多分それは、「GPSのアンテナを自宅の屋根に設置する」よりは、圧倒的にマジョリティ(多数派)なのだということは、なんとなく理解できます。

取り敢えず、本スレッドに関しましては、私は「GPSアンテナを、自宅の屋根に設置した」後に回します。

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私が、「英語」「ネットワーク」「特許法」のレベルで、「浮気」を語れるようなったら、改めてご報告致します。

2012,江端さんの忘備録

ニュートリノが「光より速い」の実験結果は、装置の接続不良による誤りだった可能性があるそうです。

私は、「ニュートリノの高次元空間通過説」を期待しているので、追試による検証が待たれます。

# けど、5月の再実験は長いなぁ。

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GPSの研究をやって分かるのですが、光の速度って実際遅いんですよ。

1ナノ秒に30cmしか進まない。

はっきり言って「のろい」。

この程度の速度に拘束されて、宇宙空間の大部分に行くことができないなんて、本当に悲しいことです。

私は、ジェームズ・P・ホーガンの「創世記機械」の愛読者ですから、せめて生きている間に、亜空間移動の可能性を信じて、あの世に逝きたいのです。

それはさておき。

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仮に今回の実験が測定誤差であったとしても、GPSの時刻精度に関する関心が高まったという点は、よかったと思います。

700km離れた地点で5ナノ秒という同期精度を作り出せることに、世界は驚愕・・・していないかな。

皆、あんまり興味ないか。

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今仕事で、時刻同期のことを調べているのですが、サブマイクロ秒(100ナノ秒オーダ)の精度の信号(1パルス/秒 1PPS)を出すGPSモジュールが、1800円で購入できることを知りました。

高感度GPSで、アンテナなしで屋内で時刻同期信号を作れて、しかも1PPSのピンが剥き出しで出ているという、いたれりつくせりのモジュール。

時刻同期システムのパラダイムシフトは、意外に早くやって来るかもしれません。

(屋根を貫いて)宇宙から時刻を貰えるのであれば、QoSが常時変動するネットワークを使った時刻同期(NTP、IEEE1588等)なんぞ、不要になるからです。

なんたって、1PPSピンを具備したGPSモジュールを、機器に乗っけるだけでいいんだから。

2012,江端さんの忘備録

小惑星探査機「はやぶさ」は、5本 映画化されるそうです。

凄い話ですよね。

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昨日、「はやぶさ 遥かなる帰還」を見にいってきました。

「はやぶさ」が危機に陥いる場面での技術者達の対応が『凄い日常感』。

ネットワークエンジニアとしての私としては、

○「1bit通信」や「全空間全周波数探索」の凄さや、

○「プログラムをマシン語(×C言語等の高級言語)で記述している理由」

を、周りの席の人に解説したいという衝動に駆られました。

# 誰も聞きたくはないだろうけど。

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しかし、この映画、いわゆるハリウッド的な「感動」を求める人にはお勧めできません。

「はやぶさの正しい歴史」を、エンジニアの視点から坦々と綴った記録映画として、価値があります。

特に、「システムダウン」で青くなった経験のあるシステムエンジニアの皆さんには、強くお勧めできます。

自分達のテスト環境に感謝できます。

100メートルも離れていないテストルームに置いてある代替機で、すぐにデバッグできたり、ネットワークモニタできる。

少なくとも3600万キロメートルの彼方にあるマシン(応答時間40分)で、ぶっつけ本番のシステム再起動をする必要はないのですから。

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『この状態(供給電源が定格値を超えている)で、システムルックアップ(多分、ブートのこと)すると、システム全停(全面停止)の可能性があるぞ』

というセリフの意味を、役者さんが理解していたかどうかは不明ですが、

少くとも私は、映画館の中で青ざめていました。

2012,江端さんの忘備録

実家に一冊の本が置いてあります

「兵士たちの連合赤軍」という本です。

# 学寮の先輩の部屋にあったものを、拝借し、その後、返却していないだけです。

連合赤軍の兵隊達は著名な大学の出身者であり、基本的に善人であり、世の中の仕組みを変えて、多くの人を助けたいという理想主義者という点で共通しています。オウム真理教にしても同様です。

私は、『革命やら宗教ふぜいに救って貰おうとは思わん。大きなお世話だ』と思うけど、「人を助けたい」と思うそのマインド自体は悪くないと思っています。

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しかしですね、「人を助けたい」というマインドが、「集団リンチ」や「毒ガス散布」になるという理屈が、よー分からん。

で、私も、それらの組織の「教義」やら「方針」やら「理念」について、ちょこっと調べてみたんですよ。

いわゆるコモンセンスから逸脱すること甚しいのですが、一応、細いながらも「一本の糸」のように論理付けはできているようです。

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無理があるのは、この論理付けの中間に「善意の殺人」という概念が入り込むところです。

『教義に従って死ねば天国に生まれる→教義の名による殺人の肯定』

『革命の敵(身内も含む)を排除すれば人民の救済に繋る→革命の名による殺人の肯定』

こんなこと、今更言うまでもないことですが。布教や革命成就の為の暴力を肯定している宗教や政治結社はゴマンとあるのは、ご存知の通りです。

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ようするに、善意で構成されている彼等は、「筋の通った論理」に対抗する力がなかったと言うことです。

「論理」に対しては「論理」でしか立ち向えないというルールを作って、それを守るという律儀さがあった。

集団リンチにしろ、毒ガス散布にしろ、そこに「正当な論理付け」をされ反論ができなければ、それに逆らうことができなかった。

暴力や殺人などのテロを、無条件で「否」と言えない弱さ。

唾棄すべき弱さ。

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この時代にあって、今、我々に求められる力とは、

『あなたには、ついていけません。さいなら』

と言い放って、何もかも放り出して逃げだす勇気、

「逃走力」

かもしれません。

「転向力」といっても良いかもしれません。

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と、ここまで読んだ、あなたは、

「また、江端のあの『停滞主義』論か」

と、うんざりされたかもしれませんが、そうではないのです。

ここから、この文章の論旨は、大きく飛躍し、

「新型うつ」

の話にシフトするのです。

(続く)
http://www.amazon.co.jp/兵士たちの連合赤軍/dp/4882026996