2012,江端さんの忘備録

今回の選挙、私の観点は、

■TPP賛成

■消費税増税(福祉財源化)賛成 (消費税30%以上でも認容)

■憲法改正反対

■安楽死法案化支持

■アジア各国の労働者の積極的受け入れ(人口が3億人以上の増加でもOK)

■弱腰外交の継続

でした。

が、この全てに同意できる人は、相当少ないでしょうし、はっきりいって一人もいないのではないかと思います(ちょっと極論に過ぎると自分でも思う)。

おかげで、選挙の支持政党探しに、酷く苦労しました。

争点にすらなってもいないことも含んでいますからね。

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ただ、上記の観点についてですが、私はこれらを意地になって固執したいと思っている訳ではありません。

誰かに論理的に説得して貰えれば、いつでも180度意見を変えられる、優柔不断さ・・もとい、柔軟性、フィレキシビリティがあると思っています。

事実、私は、自分の持論をクルクル変えており、人生トータルすると、

―― 4回転ジャンプ

くらいは回っているかと思うのです。

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ただですね、逃げられない最前線の塹壕に放り込まれれば、自動的に自分の観点は決まります。本当に簡単です。

例えば「高齢者介護問題」。

今、日本の介護の体制は、この悪夢の財政難の状況下において、贔屓(ひいき)目なく見ても、かなり厚く、本当によくやっていると思っています。

間違いなく厚く、そして、それでもこの程度が限界なのです。

我々の世代は、普通にその辺の道ばたで、猫や犬の死骸のように、人間の死骸が放置される時代になる ―― これは、私の中では、かなり確信に近いです。

(毎度、私が言っていることですが)「自分で電卓叩いてみる」と、そういう未来しか見えてこないのですよ。私の計算ミスなら、本当に良いのですが。

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私は、道ばたで自分の屍(しかばね)が腐臭をさらしていることには、全然抵抗はありません。

しかし、「死」のフェーズで、文字通り「死ぬほど苦しむ」ことだけは勘弁してほしいのです。

例えば、24時間、胃カメラを飲まされているような地獄にあって、しかも死ぬことも許されないような拷問があったら、私は死んでしまう。

# ・・いや、そうじゃないんだが、こういう状態をどのように表現すれば良いか、分からん

いずれにしても、私は、誰に対しても、何に対しても、そんな拷問を受けるほど悪いことはしていないと思う。

法治国家や福祉国家という国家のメンツの為に、絶望の地獄の苦しみ続けられることだけは、ごめんなのですよ。

また、世界を一定の客観性をもって認知できない状態になって、閉じていく世界を見ながら生きている自分の存在にも耐えられないのです。

# が、そういう状態になった自分が、不幸かどうかは、正直よく分からないのですが

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死に向かう者の苦痛に呻く悲痛な声が、どの家からも普通に聞こえてくる時代が始まる。

だからせめて、人間が、自分の意志で、人間らしい最期が迎えられる社会の実現を。

―― と、思ってしまう訳です。

そういう視点から、最初の方を見て頂くと、上記の私の考え方の一端を理解頂けるのではないかと思っています。

ただ、今回の選挙で、私の戯言を叩き潰すに足る数値データを提示して、明るい未来を客観的に示してくれた立候補者は、一人もいなかったように思います。

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まあ、いずれにしても、こんな話は、誰からも同意して頂く必要もなく、こんな戯言は、私一人が勝手にほざいて、勝手に悲観して、自己完結していれば良いのです。

そして、これが、私の戯言になってくれるのであれば、

―― 本当に嬉しい

2012,江端さんの忘備録

皆さんが「安全」と考えているものと、制御システムで定義されている「安全」は、随分違います(が、今日はこの話はしません)。

今、「原子力安全工学」という資料を読んでいるのですが、なかなか怖い記載があったので、一部ご紹介など。

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■スリーマイルアイランド原発事故においては、

設計時には想定されていなかった運転員のエラーにより事故が発生し、中央制御室は、100を越える警報が一斉に点灯して、何が起きたのか判断できなくなる状態になったそうです。

これを、「クリスマスツリー(警報雪崩)」と呼ぶのだそうです。

映画では良く登場するシーンですが、できれば、こういう「微笑ましい」とは対局にある光景を見ることなく、一生終えたいものです。

ともあれ、多重安全設計で「がんじがらめ」にされている巨大システムが、ささいな運転員の操作ミスで、驚くほど呆気なく崩壊していくという、最良の実施例を提供することになりました。

比して、

■福島原発事故においては、

全電源喪失となり、いわゆる

「逆クリスマスツリー(警報無言)」(命名 江端)

となった訳です。

今まで、ピカピカ点滅していた装置、監視用モニタ、そして原発の健全性を証明する計器が、一瞬で全部沈黙。

叩こうが蹴ろうがピクとも動かない。

こっちも、映画では良く登場するシーンです。

映画の場合は、スリル感を盛り上げるために、徐々にシステムが壊れていくシナリオになりますが、こちらは、映画よりももっと壊滅的。

これでもか、これでもか、というくらいに、うんざりする程、多重に準備されたバックアップ電源が、津波による水没で一気に(多分1分内くらいで)全滅。

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制御システムに関わる者として、また、既婚者として、「クリスマスツリー」も「逆クリスマスツリー」もいりません。

何も起こらない、普通の日常が一番いいです。

2012,江端さんの忘備録

私、ドラマが嫌いで、アニメを見るのが好きです。

嫁さんは、この真逆です。

従って、夫婦でテレビを見るというのは、かなりのレアケースです。

「なんでかな」と考えてみたのですが、アニメというのは、結構いい技術研究ネタが仕込まれているからかもしれない、と考えてみました。

ロボットとか、戦艦とかでは、それなりの機械工学の知識が含まれていないと、理系男子でなくとも、薄っぺらく感じてしまいます。

時空間(タイムトラベル)ものにいたっては、相対論やら量子論までもを配慮したシナリオが記載されているし、遺伝子関係についても相当の専門分野の話が入ってきています。

『見ていると、なんか賢くなった気がする(正確には、分かったような気がする)』という魔力が、(ある一部の)アニメにはあるのです。

特に、私のように、技術ネタでコラムを書く人間にとっては、ネタ元としては、結構、舐めてかかれない程の情報が含まれているんですよ。

・・・というのは、多分建前で、まあ、好きなんですよ、私は。特にSFのアニメは。

ただ、私の嗜好が強すぎて、同時に2つ以上のアニメを継続して見る、ということが滅多にありません。

もっと技術的に難しくて、専門的で、基本的には筋が通っていて、技術者が主人公である。そういうアニメは、なかなかないものでしょうか。

# イメージとしては「さよならジュピター」だけど、映画化だけでなく、アニ化メまで失敗されたら、私は立ち直れない。

さて、それはさておき。

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SF以外のアニメの設定では、「不良」「部活」そして「生徒会役員」を扱うものが多いようです。

部活も、かつてはスポーツ部と決まっていたものです。

しかし、最近では、文系も多くなっていますね。漫研、文芸部、ブラスバンドなどはあったのですが、軽音、古典部、かるた部とか、(すみません。ちゃんと見ていません)

―― すごいダイバーシティだ、と思います。

私の世代から見ると、このダイバーシティ(またはバラエティ)は、とてもうらやましい。

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ダイバーシティと言えば、今や「武装する図書館のアニメ」まであるくらい(すみません。見ていません)なのですから、どうでしょう、いっそうのこと、

○政権党(内閣を含む)と野党を取り扱うアニメ

○島の領有権を争う多国間の思惑を取り扱うアニメ

○列強によって分断された国家を取り扱うアニメ

など、誰か企画してみませんか。

なんか、ツイッターを追ってみると、どうもこの手の話題になると、表層的な感情論で、簡単にヒートアップする内容が多くて、正直うんざりしています。

なんの為に、私達は義務教育や受験で、世界史や日本史の勉強をさせられてきたのやら、と溜息がでてきます。

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「歴史」という教科の存在意義は

(1)過去において、この手の隣国間のトラブルなんぞ腐る程あり、

(2)概ね時間の経過(まあ、3ヶ月も必要ない)で軽く忘れ去られ、

(3)忘れ去られる前に、一部の馬鹿が火をつけて、時々回復不能な事態(戦争等)に発展させてしまったこともあり、

加えて、

(4)外交上「白黒はっきりさせない」という戦略が、過去において相当有効に働いてきた

という史実(歴史的事実)を学ぶものだと、私は思っています。

「いい国(1192)作れず、鎌倉幕府」などという、下らない暗記をすることが、歴史の勉強の目的ではないと思っています。

『今回の事件は、過去のあの事件に似ているなぁ』と冷静に把握し、可能な限りの背景事実を収集した上で、筋の通った論理的な主張をすることは、正しいかどうかはさておき

―― かっこいい、とは思う。

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ジオン公国と地球連邦政府(すみません。ガンダムのストーリー全く知りません)の歴史を知る、その気力の1/10で十分です。

隣国と自国の歴史を勉強してみることは、結構良い方法であるし、現実に必要であると思うのです。

でも、多分そんな、楽しくもないこと、誰もやりゃしませんよ。

ならば、いっそ、アニメという手段で、国際政治な動きの裏側を、軽いノリと笑いで表現して、隣国を理解するというのは、良い方法だと思うのですよ。

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いや、難しくないですよ。

我が国の首相や内閣のメンバ、隣国の大統領や中央政治局常務委員を、全員、

「美少女アニメキャラクター」

として制作すれば足ります(多分)。

半分くらいは、真面目な提案です。

2012,江端さんの忘備録

国会議員は、国民の信を受けて当選を果すものですから、そこに「信」以外の条件、例えば、財力、学歴、知識、体力、健康状態、愛人関係等は、全部無視して選ばれるべきです。

まあ、資産に関しては、

政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律(平成四年十二月十六日法律第百号)

というものがあるようです。

(私の見落しがない限り、虚偽報告に関する罰則がないみたいです。私に間違いがあれば指摘して下さい)

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「資産」の開示も大事ですが、私としては、国会議員の「見識」を開示をして貰いたいのです。

採点なしで結構です。

解答用紙の内容は全部国民に開示される、ということだけで十分です。

内容は、できるだけ簡単な問題が良く、2~3行程度の論述(図入りでも良い)をして貰うもので、全部で50問程度でどうでしょう。

例えば、

「国内法と条約の内容が矛盾した場合の法解釈について述べよ」

「現在の国内GNP,GDPと国家予算の額(概略)を記載せよ」

「死刑制度に関する私見を述べよ(但しノーコメントと記載しても良い)」

とかになるでしょうか。

私としては、この問題を入れて貰えれば、文句はありません。

「軽水炉型原発の構造図を簡単に図示せよ」

「シーベルトとベクレムの違いを簡単に説明せよ(誤植があれば、それを修正して解答すること)」

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まず、年に1回の試験の実施と、または選挙公示前の立候補者の事前試験として、法律で制定します。

勿論、試験問題の流出がないように、国家から完全に独立した第三者機関(というのが可能かどうかはさておき)が管理し、公平に実施します。

点数を付ける必要はありません。

ただ、全国会議員または、立候補者の解答用紙をWebで開示して貰えば十分です。

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この解答用紙は、選挙の時に大変役に立つと思います。

政権放送なんぞ聞く必要はありません。

消去法で簡単に候補者を絞れます。

忘れがちなのですが、国会とは立法機関(法律を作る組織)なのです。法律に関する基本的な知見もない人を選ぶことはできません。

また、行政庁の長となるべき人が、「原発の仕組み」や「放射能の単位」ごときを理解していないとすれば、到底、国政を任せる気にはなりません。

2012,江端さんの忘備録

「給食が食べれない子供時代を経て為に、病気になってしまった大人」って、いるのでしょうか。

昔、給食が食べられなかった子供を、先生達は、居残りさせてまで食べさせていました。

醜悪な光景でした。

あれは意味があったんでしょうか。

多分、先生達も「馬鹿くさい」と思っていたと思うのです。

でも、学年指導教官の指示なので従わなせければならず、指導教官は、校長の指示なので従わければならず、

で、校長は戦後世代の「食料のない時代」に育った子供達だった、と。

「食事を残す」ということが、憎悪に近い行為であったといのは想像に難くないのですが、逆の発想はできなかったのでしょうか。

『戦後の、あの地獄のような食料危機を、俺たちは生き残ってきた』

『給食くらい抜いたって、人間は死にやしないぞ』

『わっはっはっは。』

無理か。

無理だろうな。

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私達だって、似たようなものです。

新人が入ってくる度に、

「新人類」

「ゆとり世代」

「くれない君」

だのと、まるでレッテルを張って「新人を苛める」ことが、まるで我々の業務であるかのような振舞い。

そして、我々はというと、

昔は寮が狭かっただの、席が汚かっただの、パソコンが奪いあいだっただの、TSSで計算ジョブを走らせただの、ワークステーションをプロセス過多で落したの、X端末やモザイクがなんだの、イエローケーブルがどうだの、

ああああああ、まったくもって「うるさい!うるさい!うるさい!」。

おめーらが、不幸だった時代を、なんで俺たちに、いちいち教え聞かせるんだ。

それで、なんか、お前らに「救い」でもでもあるんか。鬱陶しい。

―― と、私も思われているのでしょう。

とても残念なことですが。

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給食を食べれない子は、給食を食べれなくて良い。いつか食べれるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。

仕事ができない新人は、仕事ができなくて良い。いつか仕事もできるようになるかもしれないし、ならないかもしれない。

我々が劣悪な環境で苦労してきたかもしれない。その苦労は、大変だったかもしれないし、大変でなかったかもしれない。

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「他人のことなど、どうでも良いことだ」

という観念に至るのは、やっぱり難しいことなのでしょうか。

2012,江端さんの忘備録

私が、位置情報サービスの研究を行ってきたという話は、すでに何度か致しました。

この研究を進める上で、最も大変だったことは、技術開発ではありませんでした。

傲って(おごって)いると思われると嫌なのですが、詰るところ、技術というものは、金と人があれば、ある程度まではなんとかなるものなのです。

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位置情報サービスの研究の最大の敵は「嫌悪感」でした。

いわゆる「どこにいるか第三者に知られるのが嫌」という奴です。

「プライバシー」という言葉で良く語られてましたが、この「嫌悪感」なるやつは、まったく異なる観点から、我々の研究を技術開発を徹底的に邪魔しまくりました。

『そんな、プライバシーの侵害になるサービスが流行る訳がない』だの『人格権の侵害』だの、と、まあ色々言われて、研究の邪魔になること、まあ果てしなかったこと。

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私は、その度に思ったものです。

「あんたは、あんたの時間に、突然、予告もなく割り込んで、プライバシーを平気で破壊する機械 ―― 携帯電話 ―― を持ち歩いているが、それは良いのか?」

とか、

「世界中の地図を開示され、さらに自宅の外観写真まで公開されて、大騒ぎしていたのに、今は、もうどうでも良くなったのか?」

とか、

「殆どの駅に、ほぼ間断なく設置されている監視カメラは、あんたの顔を完璧に記録しているが、これは気にならないのか?」

とか。

私が不愉快に思うのは、プライバシーを標榜するくせに、その取扱に一貫性がなく、論理破綻していることです。

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しかし、まあ、「嫌悪感」とはそういうものだということは理解しています。

完璧に論理的であることは、人間であることを否定するようなものでしょうから。

それと、年頃に至ってない娘を持つ父親としては、娘達の位置情報は勿論、電話、メールアドレス、その他、ありとあらゆる情報が、第三者に漏洩することは、やはり心配ではあります。

とは言え、我々の存在している場所が完全に把握され、第三者に共有されることは、時間の問題だと思います。

#Facebookで、私はこれを確信しましたね(後日語ります)。

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では、ここで一つのテーゼを提供してみたいと思います。

世界の全ての人間の位置情報が、全て開示された世界において、何が起こるか?

私には、一つの仮説があります。

「どーでも良くなる」

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我々は他人の行動やプロセスには興味がなくなり、

その人の嗜好や属性も気にならなくなり、

その人と私との間におけるインターフェースだけが重要な要素になる、と。

隠されない(隠すことができなくなった)本人のプライバシーは、本人の属性としての個性と同化します。

その気の遠くなるような膨大な種類の価値観は、もはや、その人が「何を嗜好しているか」という観点を消滅させてします。

ただ、「その人」と「私」の関係性は、「価値があるか/ないか」のみの価値観で支配される世界になる、ということです。

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うーん、これでは良く分からないか。

では、卑近な例ではあるが、実施例を提示してみよう。

例えば、

「ゴスロリの衣装を着ている上司(男性)に、書類の決裁の印鑑を貰いに行く」

「パンクファッションをしている銀行員に、融資の相談をする」

「幼女趣味であることが分っている社長の会社に、入社する」

というイメージでしょうか。

# うーん、上手くないなぁ・・・。まだ私も整理しきれていないのです。

要するに、ありとあらゆる人間としての属性を切り捨てた、究極の「インタフェース社会」の具現化、と言えるものになるのだろう、と考えています。

2012,江端さんの忘備録

『力のない主人公が、様々な苦難に直面しつつも、それらを乗り超えて、最後には成功する』

という、予定調和的なドラマが多いですよね。

でも、時々思うんですよ。

「前向きに、意気揚々として、希望を持って『夢を諦める』ドラマ」ってないものですかね。

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「諦める」とまで言わなくとも、

○「夢」の閾値(しきいち)を下げる
○「夢」のベータバージョンをリリースする
○「夢」を一旦、留保する
○「夢」へのアプローチ、または対象を変更する

ということは、私達が生きていく為に、日常的に、普通に行っていることです。

「夢」を究極に追求するということは、その為に究極的に不利益を詰み上げる覚悟を持つということです。

その不利益とは、恋人ができなかったり、社会的信用を失ったり、収入が得られなくなったり、下手をすると衣食住にも不足する、と言うことです。

私達は、そういう人を、日常的に「バカだ、アホだ」と陰口を叩いている一方で、「下町でロケットの部品を製造している話」に感動します。

ぶっちゃけて言えば、

「夢」は叶うことで、遡及してプロセスが評価され、
「夢」が叶わなかったら、一生バカにされ続ける、

と言うことです。

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「夢を諦める」ことは、もっと前向きに、もっと高く評価されるべきだ、と思うのです。

そして、

『私は自分のやりたいことが分からない』

という若い方達に、

「大丈夫。殆どの人が『分っていない』。そして、殆どの人が、別段、やりたいことを目指して生きている訳でもない」

と、きちんと教えて上げたいと思うんですよ。

その為には、「ドラマ」は、てっとり早い手段かな、と。

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♪あなたの夢を諦めないで~(岡村孝子)

と言う歌があります。

私も、何度か、そういう内容の手紙を貰ったことがあります。

でも、突っ込んでしまうんですよ。

「お前はどうなんだ?」

って。

2012,江端さんの忘備録

実家に一冊の本が置いてあります

「兵士たちの連合赤軍」という本です。

# 学寮の先輩の部屋にあったものを、拝借し、その後、返却していないだけです。

連合赤軍の兵隊達は著名な大学の出身者であり、基本的に善人であり、世の中の仕組みを変えて、多くの人を助けたいという理想主義者という点で共通しています。オウム真理教にしても同様です。

私は、『革命やら宗教ふぜいに救って貰おうとは思わん。大きなお世話だ』と思うけど、「人を助けたい」と思うそのマインド自体は悪くないと思っています。

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しかしですね、「人を助けたい」というマインドが、「集団リンチ」や「毒ガス散布」になるという理屈が、よー分からん。

で、私も、それらの組織の「教義」やら「方針」やら「理念」について、ちょこっと調べてみたんですよ。

いわゆるコモンセンスから逸脱すること甚しいのですが、一応、細いながらも「一本の糸」のように論理付けはできているようです。

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無理があるのは、この論理付けの中間に「善意の殺人」という概念が入り込むところです。

『教義に従って死ねば天国に生まれる→教義の名による殺人の肯定』

『革命の敵(身内も含む)を排除すれば人民の救済に繋る→革命の名による殺人の肯定』

こんなこと、今更言うまでもないことですが。布教や革命成就の為の暴力を肯定している宗教や政治結社はゴマンとあるのは、ご存知の通りです。

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ようするに、善意で構成されている彼等は、「筋の通った論理」に対抗する力がなかったと言うことです。

「論理」に対しては「論理」でしか立ち向えないというルールを作って、それを守るという律儀さがあった。

集団リンチにしろ、毒ガス散布にしろ、そこに「正当な論理付け」をされ反論ができなければ、それに逆らうことができなかった。

暴力や殺人などのテロを、無条件で「否」と言えない弱さ。

唾棄すべき弱さ。

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この時代にあって、今、我々に求められる力とは、

『あなたには、ついていけません。さいなら』

と言い放って、何もかも放り出して逃げだす勇気、

「逃走力」

かもしれません。

「転向力」といっても良いかもしれません。

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と、ここまで読んだ、あなたは、

「また、江端のあの『停滞主義』論か」

と、うんざりされたかもしれませんが、そうではないのです。

ここから、この文章の論旨は、大きく飛躍し、

「新型うつ」

の話にシフトするのです。

(続く)
http://www.amazon.co.jp/兵士たちの連合赤軍/dp/4882026996