2011,江端さんの忘備録

昨年、たまたま「椿山課長の七日間」を地上波で見ました。

先日、図書館に入庫していたので文庫を借りてきて読みました。

「原作も良いなぁ」と思って、嫁さんに勧めたら、いたく感動したらしく、そのまま映画もDVDで借りて見てしまったそうです。

酷く怒ってしまっていました。

『映画が、原作の感動に遠く及ばない!』

『そうかなぁ、あの話を、よく映画として纏めれたなぁと、私は感心したけどね』と、私は応えましたが。

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えっとですね。これは単に順番の問題なのです。

◯「原作」→「映画」の順番で見ると、大抵腹が立つ。
◯「映画」→「原作」の順番でみると、概ね不満はないが、新鮮感がなくなる

これは、著者の原作の持つ力が、凄く大きいからだと思います。

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私が、娘の姿にオーバーラップさせて大号泣してしまった

「日輪の遺産」

が、映画化されており、本日、映画館にいってきました。

いい映画でした。

出演者も演出も最高。

よくここまで、原作を生かし切ってくれた。

心から感謝です。

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でもね。

やっぱり不満が残るんですよ。

『ああ、違う。ダグラス・マッカーサーは、そこは、そういう演技じゃねーんだよー!』

『最後のシーンは、そうじゃねーんだ。もっと、荘厳で、畏れで近づけないような、なんというか、その、なんちゅーんだ、違うんだーーーー』

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難しいですよね。

◯原作読まなければ、映画に行こうと思わないだろうし、
◯原作読むと、演出に不満が残るし、

著作物を愛する気持ちは、愛憎・タイミング、入り乱れて、まあ、なんというか、

そこが、面白い。

2011,江端さんの忘備録

私は愛想が悪いですし、仕事をしているとき「黒いオーラ」を出していると、家族全員が証言しています。

確かに、仕事中の私に声をかけるのはリスクがあるかもしれない。

「いらんこといって怒られたら損だ」と思うのは、ある程度やむを得ないと思います。

特に、若手研究員が、古参の主任研究員にプライベートな話をすることに、躊躇があるというのも理解できます。

しかし・・・、しかしだ。

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○「時をかける少女(筒井康隆)」「無限回廊(小松左京)」「未来からのホットライン(ジェームズ・P・ホーガン」「果てしなき流れの果てに(小松左京)」「JIN(村上もとか)」、その他多数の、時空間を取り扱う著作または映画・ドラマに関して、数多くのコメントを発表してきたこと。

○私が前世紀(1999~)から、時空間に関するメッセージ通信の研究を続けてきたこと

○「過去へのメール転送」という概念の特許発明の発明者であるということ

を、知っているハズだ。

# いや、知っていなければならない。

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なのに、若手研究員の諸氏は、何故、この私に、

アニメ「シュタインズ・ゲート」

のことを教えなかったか。

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先日の深夜、偶然に第22話を見て、大パニックを起こしてしまいました。

慌てて、著作権管理の甘い隣国のビデオサーバにアクセスをして、第1話から第21話までの全話を、自宅LANのルータのLEDが凄い勢いで点滅しているのを確認しながら、パソコン4台のCPUが振り切れているのにも構わずに(実際に2台がダウンした)、突貫的に視聴を続けました。

この3日間、私の平均睡眠時間は4時間を切っています。

当然、この後、正当なルートでDVD等も入手し、家族にも視聴を強制する予定です。

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それにしても、見事だ。

ここまで周到なタイムパラドックスを考案したこと、そして、そのタイムパラドックスの解除方法をも提示していること。

そして、その解除方法が、魔法のような手段ではなく、本当に「泥臭く」「人間臭く」、そして「説得力がある」こと。

私の中では、文句なしに、最高の「時空間アニメーション」と評価できます。

# 秋葉原で登場するビル、毎週のように通っているしなぁ(事業部が入っている)

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という訳で、特に、若い皆さん。

「時空間」を取り扱うコンテンツであれば、それが何であれ、その内容、種類、メディア、公序良俗、いずれの条件にも拘束されることなく、躊躇なく私に報告して下さい。

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それはそうと、「D-mail」を発明したのは、岡部倫太郎でもなく、牧瀬紅莉栖でもありません。

私です。

しかも、「世界線を移動させることなく、過去にメールを送れる」という、優れた効果もあります。

日本と米国で、特許権成立しています。

 

2011,江端さんの忘備録

実に、勉強になる本でした。

一言で纏めると、

『「改革」は、そのもの自体が「失敗」と同義である』

という内容のショッキングな本です。

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ポイントは、「合理的に失敗」という点にあります。

「懈怠するから失敗する」のではなく、
「最善を尽くすから失敗する」という現実です。

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太平洋戦争で、どう考えても不合理としか思えない、

「戦艦大和の沖縄特攻作戦」
「神風特攻隊」

これらが、実際のところ、何の効果もないことを、その作戦立案者や意思決定者の全員が完全に理解していながら、それでも、これらの「特攻作戦」は、彼らにとって極めて合理的な意思決定であった、という事実。

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1万人の食中毒者をいう前代未聞の雪印事件、6万5千件の事故報告を揉み消した三菱自動車事件も、合理的な判断が行わた結果であったという事実。

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そして人望のあるリーダーの改革が、その人脈としがらみの為、ほぼ確実に失敗するという事実。

すなわち、改革を実施するものは、人望があってはならないという事実。

それは、

◯社員の半分を、即座に解雇することができる冷酷は意思決定が可能で、

◯常日頃から希薄な人間関係を常とし、

◯組織への帰属感が絶無で、

◯「愛社精神」という語彙を持っていない

そのような人間だけが、改革を実施できるという事実。

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やっと、この私が、「改革」の表舞台に出る時が来たようです。

2011,江端さんの忘備録

中学1年と小学3年の二人の娘達の自由研究に、今年初めて、私は、

「一切、手を出さない」

という方針を、貫き通しました。

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理由は2つあります。

(1)研究のプロ(私のこと)の手を借りることなく、自力でどれくらいの研究を成し遂げうるかを、客観的に確認する為。

私は、これまでの夏の全てで、ずっと手を貸してきたので、彼女らの実力(研究力)を知らないのです。

(2)このまま手を貸し続けたら、恐しい未来が待っているから。

最近、大学生の親が、教授に対してクレームをしているそうです。

なんでも、「課題の内容が難しいので、もっと簡単にしてくれ」というクレームだそうです。

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何のことか分からないでしょう?
私も分からなかったんです。

娘や息子の大学のレポートを親が代筆していて、その親が、課題の内容が難しくて、レポートが作成できない、と文句を言っているのだそうです。

大学に合格する程度の学力はあっても、自分でレポートを構成する力がない。
で、親に泣きつく、という訳です。

これが冗談ではなく、そして、レアケースでもないらしい、ということに、私は、心底恐怖を覚えました。

このまま、私が自由研究に手を差し延べれば、間違いなく、「レポートすら構成できない人間を、二人作ってしまう」

と。

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レポートとは、
「起承転結の創作小説」であり、
「客観性を条件とした自己主張」であり、
「他人を説得する武器」です。

レポートも書けないような人間が、どの世界であれ、必要とされる訳がない。

少くとも私は、そんな奴、部下にはいらない。

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そのような訳で、今回は、私は全てオブザーバとなっていました。

求められれば、アドバイスはしましたが、レポートの構成を教えたり、実験の結論を誘導することは、止めました。

事実、次女の実験結果は、「エネルギー保存法則」に反しており、誤認に基づく結論となってしまったのですが、私は、敢えてそれを「看過」することにしました。

研究の結果よりは、今は、レポートを最後まで書き切る力を伸ばすことの方が、はるかに重要だ、と考えたからです。

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でも、嫁さんの顔色が悪い。
凄い憂鬱そうです。

研究の考察が、

「いろいろなことが分った」
「これからも、もっと色々な研究をやっていきたい」

では、無理もありません。

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嫁さん;『これって、考察と呼ぶものなの』
私:『うん、感想にすらなっていない』

嫁さんは、『書き直しさせる』と言っていました。

2011,江端さんの忘備録

我が家には、

「携帯電話を紛失した場合、その紛失に気がついた時点で報告すれば、その過失を絶対に叱責しない」

というルールがあります。

私が制定したルールです。

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これは、「携帯電話を紛失した」ことで、子ども達が「叱られる」ことを恐れ、親に報告せずに、自力で見つけ出そうとすることによって、対応が遅れることを防止する為です。

携帯電話は、自分のみならず他の人のプライバシー情報を、たんまりと含んでいる情報端末です。

無断使用による課金くらいですめば足りますが、他の人の情報が悪用された場合、その被害は図り知れないものになります。

紛失した場合には、その携帯電話を無効にして、また遠隔処理で携帯電話をロックしてしまうこともできます。

が、子どもは、そこまで思いが至らない。

当然、親に叱られることを回避する為、「見つかる方に賭ける」ことになるのです。

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思い出しましょう。

○2000年夏、雪印は食中毒発生後、組織的隠蔽を行い、被害を拡大させるという事件を起こしました。

事件発生後、雪印が公表してきた一連の事実が不正確であり、組織的に嘘の報告と情報を流し続け、結果的に、食中毒の被害者が

1万人を越える

という、過去最大級の食中毒事件となりました。

○三菱自動車は、リコール隠しが明かになり、1998年4月以降だけでも

6万5000件

の情報を隠蔽し、運輸省に届けずに、内密に車を修理し続け、人身事故を含む重大事故を幾つも起しました。

○動燃は、1997年3月11日(震災より14年も前の話)、茨城県東海村にある動燃再処理工場で爆発事を発生させました。

敷地の外にまでプルトニウムなど長寿命の放射能を含めて放出された可能性が高く、その種類、量を正確に把握できないという深刻な事態になっていました。

しかし、それを隠し続け、見つかる度に謝罪するものの、また次の事故の隠蔽を続けました。

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このような優良企業が、かかる不合理を行った理由は、簡単に言えば

「見つからない方に賭け」て
「何もなかったかのように現状を維持する」ことで、

リスクコストをゼロとする可能性で、大勝負をしてしまったからです。

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我が家では、「勝負して良いこと」と「良くないこと」を分けて考えるようにしています。

子ども達には、

○「物を無くした場合、見つかる方に賭けても良い。その場合、見つかれば、お前たちの勝ちだし、見つからなければ滅茶苦茶に叱られるだろう。好きな方を選んで良い」

○「ただし、携帯電話は除く」

と言い聞かせています。

2011,江端さんの忘備録

家族が実家に帰省しているので、当分の間、私が掃除・炊事・洗濯を担当することになります。

料理を作ることは、得意ではありませんが、苦でもありません。

料理を、一種の「システム構築と検証」と考えれば、それなりに楽しい。

最近、「コーラだけを使ったカレー」の実験で酷い目に会いましたが、通常の料理では、このような無謀は挑戦はしませんので、大きな失敗もありません。

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先日、本屋で「男子食堂」という雑誌を購入しました。

この雑誌のコンセプトなのか、今月号の特集なのかは忘れましたが、内容は、

「電子レンジだけで作る料理」

です。

『ほぉ、そりゃ楽で良いな』と思い購入しましたが、雑誌の中身を見てビックリしました。

肉じゃが、鶏のから揚げ、煮豚、麻婆豆腐、サバの味噌煮、ハンバーグ、カレーライス、スペアリブ、天麩羅から、プリン、ケーキに至るまで、ざっと数十メニュー全部が、全て、

「電子レンジだけで作れる」

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これだ。これで良い。

■独身者だけでなく、小学生から高齢者に至るまで、「火気」を一切使わず、最悪のケースでも、食材がレンジの中で破裂する程度の、絶対安全料理方法。

■調理器具と食器が完全一体化し、必要な人数分だけを正確に調理し、加熱調理用の油が一切不要の健康低カロリー料理

■必要な処理は、食材を切り、耐熱ボール(あるいはドンブリ)に放り込み、レンジのスイッチを回す程度。

「体に悪い」と非難を浴びつつ、それでも便利な食材として使われてきた、カップラーメンの時代は、今、終焉を迎えた。

もはや、ガスレンジは勿論、プライパンでさえ、過去の遺物とされるる時代が到来したのである。

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非結婚社会、高齢化社会、夫婦共稼ぎ社会、少子化社会、これらの問題に対応する現実的な解として、私はここに、

「電子レンジ調理過程」プログラムの必修化を提言します。

2011,江端さんの忘備録

今や「日本」から来たもの、というだけで、日本産の食料だけでなく、日本製の機械までもが、放射能汚染されていると世界中で認識されているようです。

世界の大きさから見ると、日本の国土の広さは「点」として認識される程度でしょう。

その「点」の中で発生した原発事故に対して、世界が「日本」から出てくるものを、十把一絡げに「汚染物質」と見なすことは、ある意味無理はないと思えます。

日本の位置を知っている人は、相当の教養人。

日本の首都は、「北京」と思っている米国人はいる。

「福島」なんて場所、絶対に知らないと思う。

我々にしても、中国の毒入り餃子事件等や、その他の汚染食料問題に関してですら、我々は、あの広大な中国大陸を「点」として見て、中国産の食べ物を忌避していましたよね。

結局は、どの国の人間も同じことをしているだけです。

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小田嶋隆は、風評被害を実に上手く表現しています。

それは、「ショートケーキのクリームの上に、一瞬ハエが乗ったケーキ」の様なものであると。

ハエが乗った直後のケーキは、概ね無害ですし、ハエが乗ったことに気がつかなければ、多分、皆、そのケーキを食べていると思います。

しかし、我々は敢えてそのケーキを食べない。

なぜなら、別のケーキを食べれば済むからです。

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理性や論理は「安全」であると知っていても、そこに「不信感」があれば、それは、ケチのついた安全(これを「安全'」と記載する)となります。

そして、我々は、その「安全'」を敢えて選ぶ冒険をしない。

なぜなら、生産者や製造者を除いて、我々には別段、不都合はないからです。

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電力会社や政府は、

○SPEEDIのシミュレーション結果を隠し、

○レベル7を隠し、

○メルトダウンを隠した

『まだ何か隠しているだろう』と考えるのは、人情だろうと思います。

我々は、政府のいう「安全'」、

つまり

「ハエが乗ったかもしれないケーキ」

を食べるには、騙され過ぎたのです。

2011,江端さんの忘備録

命からがら逃げてきて、今日の命を生きているのがやっとの人たちに、

電気があって、御飯が食べられて、ゆっくり寝られる人達が、

よくもまあ、あれほど簡単に、

「がんばれ」

を連発できるものだと思っています。

「かならず復興する。日本人は強い。信じている」

復興する為に、被災地の人は、がんばらなければならないのか?

アンタが信じていたら、それが一体何の役に立つというのか?

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違うだろう。

「がんばる」のは被災地の人ではない。

幸いにして被災地にいなかった人だ。

『いままで本当に大変でしたね。当面、私達にやらせて下さい。今は頑張らなくていいんですよ』

『もう帰ってこない人もいて辛いと思うけど、でも、できるだけ早く、また同じように生活できるように、私達ができることはするから。途中で逃げたりしないから』

と、なぜ言ってあげられない。

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13年前、私が被災地に入って、ほんの少し(3日間)だけボランティアで働かせて貰った時のことです。

被災地のレポートを開示したのですが、その時に貰ったリプライへの「すさまじい違和感」を今でも覚えています。

例えば、――『被災地のハザードマップを組み込んだGPSを開発して、被災地に送ってはどうか』

あるいは、―― 『通信インフラを確保する、自律型の通信中継器を開発して、提供してはどうか』

この意見は、誠に建設的かつ実用的、加えて有用な提言ではありますし、私も、被災地に出かけていかなかったら、間違いなく同じことを言っていたと思うのです。

でも違うんです。

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『違うんだ!今、本当に必要なのは、「水」「食い物」そして「屋根」だ!』

と、叫びそうになって ―― でも、黙っていましたけど。

そんなことを言ったら、誰もが萎縮してしまって、何も言わなくなってしまうと思ってしまったからです。

それは良くないことだと思いました。

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そして、残念ながら、今私が毎日書いている日記が、上記と同じような、的外れなことを言っているのだろうことを――

そして、また、命を守る為の日々を生き、また、命を賭けて闘っている最前線の多くの人を、無造作に傷つけているのだろうことを――

どこに向かって申し上げれば良いのか分からないまま、今、天を仰いで、お詫びしたい、と思っています。

2011,江端さんの忘備録

ルドルフ:

―― 目下の所、君達が作ることを許そうと思っている発電所はどういう種類のものなんだい?

彼らはいつでもどんな発電所にでも反対してきたじゃないか

火力も地熱も、最も綺麗なエネルギーといわれる水力も環境破壊を理由に反対する

だが太陽熱発電には広大な土地が必要だし風力だって景観上の問題はどうしようもないだろう

海洋エネルギーは環境を支配している媒介変数の絡みも把握できていないし必要なデータも簡単には手に入れ難い

もしそれらが経済的に見合うようになってもだよ・・・何の問題もない方法などありはしないんだ

だから、・・・もし君が、それを覚悟の上でAなら我慢するがBは認めないと言うならばそれもいいだろう。だが、何も譲りたくないが分け前だけは欲しいと言うならオレは何も話したくない ――

(三原順著 「夕暮れの旅」)

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よろしい。

彼(ルドルフ)の言っていることは、筋が通っている。私も決めることにしよう。

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といっても、我々が取り得る案は、大きく以下の2つしかないと思います。

第1案:「A(電力が足りないこと)なら我慢するが、B(原発の存続)は認めない」

「我慢」とは、

◯毎年の季節毎の計画停電を認める

◯日本国の経済成長の停滞または下落を認容する

◯従来通り娯楽が享受できないことも諦める

◯経済大国の地位を放棄し国力の低下を容認し、他国から屈辱的な取扱(戦争や侵略等も含めて)を諦める

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第2案:「A(放射能汚染の可能性)なら我慢するが、B(電力が足りないこと)は認めない」

「我慢」とは、

◯危険水準ギリギリまでの放射能汚染下での生活を覚悟する

◯危険な放射能汚染区域からの突然の退去を容認する

◯放射能の危険(衣食住全般)を折り込み済みで今後の人生を生き、更に子供達や子孫にもそれを強いる

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「どっちもいや」は、もう許されません。

あなたは、どちらを選びますか。

私は、決めました。

2011,江端さんの忘備録

1.背景

(1)先日(3月23日)、福島原発の事故の影響で、東京都の浄水場の水道水から、乳児の摂取制限の規制値を超える放射性ヨウ素が検出さた。

(2)当該検出された放射性物質は、乳幼児以外には深刻な影響を与えるものではないにも関わらず、東京ではミネラルウォータの買占めが発生した。

(3)かかるミネラルウォータは、乳幼児の授乳用のミルクに不可欠であるので、かかる買占めを行うべきではないが、将来、成人をも対象とし得る水質汚染が発生する可能性は否定できない。

2.研究の目的

(1)本研究の目的は、2011年03月26日に報告した研究報告『「お茶」で「うどん」を作る』の続報である。

(2)今回は、甘味系清涼飲料水の中でも、最もクセがあり強烈な甘味と刺激を有する「コーラ」を用いて、我が国の代表的料理である「カレー」を製作し、その食用性の成否について検討したものである。

3.結論

「コーラ」で製作された「カレー」は、食用に耐えない。

4.実験経緯

(1)カレー製作のプロセスにおいて「水」の代りに、同量の「コーラ」を使用すること以外に、特記する事項は特になし。

(2)カレールーを入れる前の段階までは、甘味の鶏肉の野菜煮込み風味であり、新しい料理への可能性が示唆されたと考える。

(3)但しこの味付は、報告者の人生において体験したことのない最初の味覚であり、これまでのいかなる料理とも比類し得ない、新規なる珍味であった。

(4)カレールーを入れて、さらに砕いた唐辛子を入れて、コーラの甘味に対抗しようとした。味見を続けている内に、米国のコロラドで食した酢豚を覚醒させるに至った。

なお米国においては、豚をジャムに合わせる調理が一般的であり、また一般的ではないが、御飯にイチゴジャムを乗せて食すという若者もいる(見た)。

(5)コーラで食材を煮たてると、水分が相当早く失われるようであり、止むなく、追加してコーラを追加させたが、この段階から、本格的な味の崩壊が始まったと推認される。

(6)完成したカレーは約4人分。小皿に取って何とか一皿を試食したが、とてもライスと合わせて食せるものではなかった。その理由について以下に考察する。

(a)まず、視覚はこの料理を「カレー」と認識するが、味覚は「カレーではない」と拒否する。

(b)脳は、過去のデータベースに基づいて、この料理に最も近い料理を検索するものの、事例を発見できず情報処理機能が破綻する。

(c)脳は、観念から「けっしてマズくはないが、このコーラが煮つかったカレーような物体は何だ?」と問い、各種の消化器に対して、食材を拒否する指令を出す。

(d)これは一種の「嘔吐感」と呼ばれるものと類似の生体反応であったことを、研究者としての報告者は否定してはならないであろう。

5.考察

(1)甘味系飲料(特にコーラの様に甘味が強烈なものは)、例え辛味系食材であったとしても対抗できない。少なくともコーラは、全ての食材の味を破壊すると考えて差し支えないであろう。

(2)しかし、(これは負け惜しみではなく)「お茶」であれば、カレーは問題なく成功したと考える。要するに、料理の最大の障害は「甘味」であると推認される。

(3)我々は非常用飲料水として、(「水」が望ましいことは言うまでもないが)可能な限り、甘味系飲料水を避けるべきである。甘味系でなければ、震災時、被災時にも、応用性の高い使用(料理への転用)などが可能である。

(4)上記について、特に国、地方自治体、NPOの各種団体に対して、強く勧告するものである。

以上