2008,江端さんの忘備録

私は「神が云々」とか「神の~~」というような本にも弱かったりします。

原則的には真面目に、言い替えれば凡庸に行きる術しかない我が身にとって、「オメーがちゃんとしてくれないから、私が楽しくない人生じゃねーか」と、世の中の矛盾を押し付ける存在が必要だからです。

今は、そんなことはなくなりましたが。

以前にも書きましたが、私の「神」に関する結論は

(1)神、または神みたいな奴はいる。

(2)私はそのことは知っている(見た)。

(3)でも、そいつは何にもしてくれないみたいだし、多分、これらも何にもしてくれそうにないように思える(神の気が変わる可能性はあるかもしれないけど)。

(4)結局、世の中の矛盾は、結局、人類が人類なりに、局所的かつ場当たり的に解決していくしかない

です。

------

「神は沈黙せず」という著書を読みました。

UFOやら超常現象に関する(筆者の過大な想いによる記載を)全部ふっ飛ばして、楽しく読みました。

私は、本書で登場するコンピュータアルゴリズムである、遺伝的アルゴリズムに関して、高速計算方法の発明者であったりします(ま、出願しただけで、出願審査請求も会社に却下されましたので、単なる「発明者」(特許公開平06-161980 遺伝的アルゴリズムの高速処理方法))。

ただ、このアルゴリズムで色々遊んでいたのですが、「えっ! 嘘!!」という位に高速に解答を見つけるのに驚いていました。

例えば、私(だけ)が知っている問題に対して、遺伝子からなる集団をコンピュータの中に作って、「探せ!」と指示を出すと、滅茶苦茶な速度で、その解を見つけ出していました。

実際の所、私は求解アルゴリズムに関して、そんなに詳しい訳ではないのですが、通常の求解方法(例えばガウスの求解法とか、ニューラルネットワークやファジィ推論)では、コンピュータを起動させる前に、「お願い、今度は見付けてね(ハート)」というような想いで、プログラムを起動していた日々が、阿呆みたいに感じることがありました。

まあ、遺伝的アルゴリズムにしたって、問題の種類によっては苦手な分野もありますし、何より良い解を求める為には、問題求解の為の良い環境を「私」が作っている訳ですから、上記の内容は、甚だしく公平性を欠くコメントだ、とは分っているのですが。

-----

「神は沈黙せず」において、

■地球は、神のコンピュータシステム。

■人間は、遺伝的アルゴリズムの1個体。

うーん、判りやすい。

私も遺伝的アルゴリズムのアルゴリズム動かしている時、ちょっとしたジェノサイド(大虐殺)を指令する独裁者の気分でした。

『愚劣な大衆は死ね。エリートだけが次世代を継げば良い・・・』

(いや、本当にこういうアルゴリズムなんだってば。興味のある人は、ちょっと調べてね)

-----

第二次大戦時に、ヨーロッパ全土を焦土と化した某国の独裁者が、同じようなことを、コンピュータを使わずにやりました(つまり、本当にこういうことを実施した→興味のある人は調べましょう)。

私は、私自身が「コンピュータで遊ぶ程度の、無力な、権力なき弱小小市民」であることを、本当に感謝しています2008

2008,江端さんの忘備録

中学の時だったと思います。

かなり年配の教師が、

「戦争(太平洋戦争のこと)の頃の時代には、食べ物がなくて、とても辛い時代であった。君達なら、到底耐えられかっただろう」

と言っているのを聞いて、

中学生ながらに、私は『阿呆か、こいつは』と思ったことを覚えています。

-----

私はコンテクストのことを言っているのではありません。

「食べ物がない辛さ」というのは、想像を絶する地獄であることを、私は、知識として知っているに過ぎません。

(それに近い状況を、海外の一人旅の時にちょっとばかり体験しただけです)

-----

問題は、その後の文言にあります。

「君達なら、到底耐えられかっただろう」

この文言には2つ程、私を怒らせる事項を含んでいます。

(1)日本の国民全員がその状況にあって、それを「耐える」という以外の選択肢しかない時に、どんな人間であれ、何ができるかといえば、2つしかないはずです。

「耐える」か「自殺するか」です。

自殺しなければ、耐えるしかない状況下で、その教師が「耐えて」きたことは、何か私達に対して自慢することなのでしょうか。

(2)仮に、私たちが同じような悲惨な戦後食料時代に置かれたと仮定した場合、私たちが「耐える」か「自殺するか」以外の別の選択を取りえるか、ということです。

その教師と同じように、「耐える」しかないでしょう。

その教師は、何か立派なことをした訳ではありません。

「耐える」という誰もがしなければならなかったことを、誰もと同じようにしただけに過ぎないのです。

もっとも、その状況を大変気の毒と思いますし、私がそのような地獄がない世の中で生きられることは心から幸せだと思いますが、それは議論が異なります。

-----

私は、(あまり長い期間ではなかったけど)、学費を稼ぐために働きながら勉強していた時代がありました。

その話をすると、「立派だ」などと言われることがあるのですが、私は酷い違和感を感じるのです。

その時私には、「働いて勉強を続けるか」「学校を止めて働くか」の選択肢しかありませんでした。

勉強を続けたかったので働きながら勉強しました。それは、それ以外の選択肢がなく、その選択を私が選んだからです。

少くとも、こういうことで「立派だ」という言葉を使うべきではないと思います。

-----

限定された選択肢の中から、普通に選び取ったにすぎない事項は、特に賞賛され得る行為ではありません。

その教師が語ったことは、(我々が同じ愚を犯さない為にも)後世に伝えるべき必要な情報として、絶対的に伝えていって欲しいと切望するものですが、これらの有益な情報が、どうしてこういう形で発露されてしまうのかは、本当に不思議としか言いようがありません。

こういうことを、情報伝達以外の目的で、自慢するかのようにしゃべる奴は、阿呆だ、と私は思います。

断言します。

2008,江端さんの忘備録

嫌われ者の嫌われる理由は色々あると思いますが、その最たるものが、「どうせ、俺/私は嫌われているから」という開き直りにあると思うことがあります。

嫌われている人は、「どうせ、俺/私は嫌われているから」と自分で認識、または他言することで、免責されるとでも思っているかのように振る舞うことが多いようです。

なにを勘違いしているのでしょうか。

嫌われている人自身が自分で何を考えようが勝手ですが、私はその程度のことで、『私を不快にさせているという事実』を、免責させるつもりはありません。

臭い匂いがする生ゴミであれば、それをできる限り密封したビニール袋に入れる努力をするのは、当然でしょう。 「俺は生ゴミだから」といえば、生ゴミを放置しても良いという理屈が成立する筈はありません。

生ゴミとして生きることを押し通すのであれば、(1)人のまったくいない場所へ静かに立ち去るか、(2)匂いがしないようの最大限の努力をする、という2つの選択肢しかないはずです。

-----

私は、立ち去ることを選択しませんでした。

ですから、匂いを発しないように、二重三重のビニールコーティングをする努力をして生きているのです。

下らない理屈で甘えないようにしましょう。

2007,江端さんの忘備録

大学の頃、私の友人はZ80や他のICを組み合わせて、自作でパソコンを作っていました。

今の「自作PC」と一緒にしないようにして下さい。彼は、コンピュータの論理回路を「自作」していたのです。

# マザーボードを自作するようなもの

そんな凄い彼に色々教えて貰いながら、私も簡単なアナログ回路やデジタル回路を作って、遊べるようになりました。

遠隔の起爆装置を使って、リモートから爆竹を鳴らして遊んでいたら、成田闘争の先輩から声をかけられて、慌てて回路図を廃棄したことも思い出の一つです。

# もう、このネタ、いいかげん止めよう。

-----

ここ2ヶ月くらい、電子回路未体験の若い外注さんにお願いして、簡易PLCの通信モジュールを作って貰っていました。

彼の困っている内容に対して、色々指示できることを知って、自分自身で驚いています(プルアップとか、トランジスタを使ったスイッチングとか、インピーダンス整合程度の、簡単な話ですが)。

『この歳になっても、意外に覚えているもんだなーー』と。

というか、20年も前の知識が、今も通用するという世界がある、ということでしょうか。技術の世界も『基本は、それほど変わらない』と言えるような気がします。

2007,江端さんの忘備録

阪神大震災の3週間後に、私は被災地ボランティアにでかけて、 その被災地の詳細なレポートを社内のネットに流しました。

この文章は多くの人に読まれたようなのですが、その感想は、概ね、被災の実体を知ったことの衝撃、または、私の行為の賞賛等のものでした。

その中で、一人だけ「江端さんって、本当に偽善者ですね」と、笑顔で応えてくれた女性がいました。

『この人、本当に私のことをよく分っているんだなあ』と、嬉しくなったことを覚えています。

"偽善の善も、善は善" --- と言う共通の認識があったからだと思います。

しかし、「その女性が、今の嫁さんです」という話にはならないのですが。

2007,江端さんの忘備録

小松左京先生の数多い名著の中でも、群を抜いて優れている著作「さよならジュピター」を読まないまま、研究所に入所してきた若者がいることを知って、結構ショックを受けています。

すでに入手困難本になっているのかもしれませんし、若い世代には、その世代の代表的なSF作品があるだろうから、上記の評価は的を得ていないと思います。

先日古本屋で文庫本を入手して、十何年ぶりに読んだのですが、まったく時代を感じさせない、本当に見事な作品。

舞台が2200年でありながら、「加速度消滅装置」やら「ワープ」やら「タイムリープ」みたな、エネルギー保存法則を無視するようなデタラメな装置を持ち込まず、この21世紀でも十分通用する、無理のない技術の設定が大好きです。

-----

余計なお世話かもしれませんが、エンジニアの独身男性の諸君。

君と結婚を渋っている女性に、この本を勧めてみてはどうでしょうか。

『その主人公の「本田英二」は、要するに俺のことだ!』と彼女に言い切っても良いと思うのです(少なくとも私は許します)。

技術を愛する我々は、皆、宇宙の彼方のフロンティアを目指すエンジニアだと思うのです。

ちょっと我々は早く生まれてきてしまいました。

せめて、私達は、次の世代のエンジニアを、地球という楔から解き離すようにがんばりましょう。

エンジニアに「市場調査」だの「長期技術展望」だのという、下らない検討をさせる世界から脱却させる為にも。

2007,江端さんの忘備録

某、と言っておきましょうか、ステージトーク集だけでCDが販売される某シンガーソングライターの歌手の方の話です。

私はこの人の歌も語りも大好きなのですが、この人の日本への偏狭的な語りにはうんざりしています(時代遅れの性差主義も結構げんなりしています)。

『こんなにも四季が豊かで、こんなにも美しい国が、世界の他にあるでしょうか』

あるよ。

腐る程あるよ。

いい歳こいて、まだそんな阿呆なことを言っとるのか、お前は。

と、まあ、この件(くだり)を聴く度に呟いてしまうのです。

-----

確かに日本も美しい国です。

長期間滞在する機会を得た北米コロラドには、ここに一人取り残されたら絶対に死ぬ、という人間の存在を全否定するかのような、絶対的な冷厳な自然の美しさがありました。

一年を過す機会は得れませんでしたが、中国大陸の奥地の朝焼け、インディス川の夕日、ネパールのチベット山脈を望む高地、フロリダのやさしく流れる風、冬のパリのモノトーン色の午後。

どこもここも、大好きな所でした。

私は、世界のどこにいたって、言葉が通じようが通じまいが、その土地を好きになり、そして十分な時間さえあれば、そこが一番良い場所だな、と思うことができると思います。

そもそも、その土地を慈しみ、大切に思う気持は、その土地の上に立ち生きている、生きとし生きる物(×者)すべての生命の属性だと思うのです。

-----

だから、私は「愛国心」を「育てる」という意味がさっぱり分からんのです。

あれは「育てる」のではなく、ほっといても「育つ」ものです。

上記の某歌手のように、遍く日本人の全てが日本こそが最高だと思う人になるように「育てる」というなら、これはあり得ると思います。

が、そういうのは「育てる」とは言いません。

こういうことを、普通「洗脳」と呼びます。