に書いていた「総力戦研究所」に関するドラマが、16、17日NHK総合午後9時に「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」という番組で放送されるそうです。
# 私は、中村雅俊さん主演のドラマ(開戦五十年特別企画『昭和16年の敗戦』放送日時:1991年12月6日、フジテレビ「金曜ドラマシアター」)の方を覚えています。
凄く楽しみ。
江端智一のホームページ
に書いていた「総力戦研究所」に関するドラマが、16、17日NHK総合午後9時に「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」という番組で放送されるそうです。
# 私は、中村雅俊さん主演のドラマ(開戦五十年特別企画『昭和16年の敗戦』放送日時:1991年12月6日、フジテレビ「金曜ドラマシアター」)の方を覚えています。
凄く楽しみ。
伊東市長の学歴詐称問題では、(1)大学当局が「田久保真紀市長の卒業の事実がない」と公式に発表し、(2)市長が卒業証書を開示しない、という状況が続いています。上記(1)の事実から学歴詐称は確定しているのですが、伊東市長が「卒業証書を開示しない」ことをしてまで、この問題を超えた先に何を目指しているのか、そのシナリオが全く推測できません。伊東市長が想定している今後のシナリオを推定して下さい。
伊東市長・田久保真紀氏の学歴詐称問題について、以下のような現在の状況が確認されています:
大学側による「卒業の事実なし」の公式発表
田久保市長が「東洋大学を卒業した」としていたが、実際には「除籍」であり、大学側は卒業の事実がないと告知しました。テレ朝NEWS+3東洋経済オンライン+3東洋経済オンライン+3
卒業証書の不開示
市長は議会(百条委員会)に対し、卒業証書の提出を再三にわたり拒否し、署名や公的証明としての提示を避けたままです。朝日新聞+2テレ朝NEWS+2
こうした背景から、学歴詐称の疑いが強く指摘されています。
以下は現在の報道内容と政治的背景を踏まえた仮説です。あくまで推察ですが、ご参考になれば幸いです:
除籍であっても、公職選挙法違反には該当しないとの主張を前面に出し、法的責任を回避。東洋経済オンライン
証明責任を突きつけられるなか、卒業証書を提示しないことで“清廉性”よりも、法的リスク回避を優先している可能性がある。
詳細な証拠(卒業証書など)を出さなければ、「完全否定」ではなく「未確定状態」に留められる。
議論や報道が長引くことで、関心が他の政争や地域課題へと移り、疑惑が薄まることを期待しているかもしれません。
市長としての政策や実績を前面に出し、自らの政治的正当性を固めようとしている可能性。
「市民運動起点」での出馬という背景を考えると、学歴以外の政策面での成果や共感を強調し続投を狙っていることもうかがえます。
百条委員会には弁護士同席のもとで出頭し、「録音データなど事実と異なる証言を否定するため」と説明。朝日新聞+2テレ朝NEWS+2
「自分なりのアリバイ」「公式コメント」を構築し、今後の政治的混乱に備えている、というシナリオも考えられます。
目的の一つとして、現時点で辞職や罷免を避け続けることを強く意識していると見られます。
また、法的責任を回避しながら、市政の混乱や支持層の離反を最小限に留めることにも注力していると考えられます。
卒業証書を明示しないことで「疑惑の完全否定」を避けつつ、政治的“ダメージコントロール”を行っているというシナリオは十分にあり得ます。
つまり、目的としては、「市長の任期を全うする」ということで良いでしょうか
はい、現時点の行動パターンから見れば、**最大の目的は「市長の任期を全うすること」**とみて差し支えないと思います。
理由としては、
辞職や失職に直結する法的根拠が現状は弱く(公職選挙法上の直接的違反ではない)、この点を利用している
百条委員会やメディア対応も「否定はしないが証拠も出さない」という、延命に適した姿勢になっている
証拠を開示して事実が確定すれば、辞職圧力が急激に高まるため、あえて“グレー”を維持している
つまり、卒業証書を提示しないこと自体が、市長職をできるだけ長く維持するための戦略の一部と考えられます。
「任期全う戦略」を時系列シナリオとして整理した上で、市長の次の一手を予測して下さい
では、「任期全う戦略」をベースに、伊東市長(田久保真紀氏)の行動を時系列シナリオとして整理し、その上で次の一手を予測します。
状況:大学から「卒業の事実なし」と公式発表。議会・市民・メディアが一斉に反応。
行動:
証拠(卒業証書)を提出せず
コメントは最小限に留め、弁護士同席での公式場面対応
「法的には問題ない」を強調
目的:事実確定を遅らせ、世論の過熱を緩和する時間を確保
状況:百条委員会・議会での追及、報道の継続
行動:
提出要求には「プライバシー」「記録が残っていない」など理由をつけて拒否
支持者・一部議員との連携を維持し、辞職決議阻止の票数を確保
市政の成果(予算執行、事業進展)を積極発信し「職務遂行」をアピール
目的:法的根拠のない辞職圧力をかわし、議会内の数的優位を維持
状況:報道件数の減少、市民関心の低下
行動:
他の地域課題・大型事業に議論をシフト
メディア露出を政策・イベントに限定
「市政停滞の責任は追及側にある」フレームを構築
目的:疑惑の鮮度を失わせ、残り任期の時間稼ぎ
状況:任期満了が近づく
行動:
争点を「学歴」から「市政実績」へ強引に転換
場合によっては「進退は市民が選挙で判断」発言で再選出馬の布石
目的:辞職ではなく「有権者判断」に持ち込み、任期を事実上完遂
現状から見ると、市長の次の一手は以下のようになる可能性が高いです。
百条委員会での追加証言も「卒業証書不提出」を継続
証拠提出=失職リスク直結のため、最後まで拒否
「記録がない」「保管期限切れ」「家族の反対」など理由を強化
市政実務の可視化
大きなイベントや事業進捗を積極発表し、「職務遂行中」の印象づけ
市民向け広報誌・SNSなどで成果を前面に
追及派の政治的動機を強調
「反対派による政治攻撃」という構図にすり替え
支持層の結束を固める
もしこの戦略が崩れるとすれば、
百条委員会で「虚偽答弁」が立証される
議会で辞職勧告決議が可決し、世論圧力が爆発的に高まる
新たな証拠(内部告発や過去書類の流出)が出る
といった要因が必要になります。
「市長が成功する場合」と「失敗する場合」のロードマップをお願いします
では、「任期全う戦略」をベースに、市長が成功する場合と失敗する場合の両方を盛り込んだ分岐付きロードマップを作成します。
時間軸ごとに、市長の行動・条件と、分岐点を明確化しました。
発覚直後 ──→ 防衛線構築 ──→ 世論風化待ち ──→ 任期終盤
│ │ │
▼ ▼ ▼
成功ルート 分岐点 最終判断
│ │ │
└───────→ 失敗ルート ──────┘
【成功ルート】
発覚直後
↓
証拠不提出&法的無問題主張
↓(議会票数維持)
世論の関心低下
↓
任期満了(再選も視野)
【失敗ルート】
発覚直後
↓
新証拠流出 or 議会で多数派崩壊
↓
世論爆発+全国報道
↓
不信任可決 or 辞職表明
市長を辞任に追い込みたい議会側から見た戦略と、その成功率をフェルミ推定で結構ですので数値化してみて下さい。
以下は、議会側(辞任に追い込みたい側)から見た実務的な戦略と、フェルミ推定による成功確率(短期=3か月以内/中期=1年以内)です。前提となる事実(議員定数、百条委の権限、市長の最近の動き等)は末尾に根拠を示します。
前提:
– 直近、議会は「辞職勧告」を全会一致で可決。市長は一度「辞任→出直し選挙」方針を示したが撤回し、百条委には出頭したものの卒業証書の提出は拒否。警察は公選法違反の告発受理。これらは不信任・百条の追い風。(The Japan Times, 朝日新聞, テレ朝NEWS)
A. 不信任可決→(市長が解散せず)失職:
– 可決に必要な賛成15の確保:0.75
– 市長が解散を選ばない確率:0.40(選好としては解散が多いと仮定)
→ 成功確率 = 0.75 × 0.40 ≈ 30%
B. 不信任可決→(解散)→初会期で再可決(過半数):
– 可決:0.75 × 解散選択:0.60 × 再可決:0.55 ≈ 25%
(再可決は選挙で勢力維持を仮に55%と置く)
C. 百条委での重大矛盾の立証→刑事告発→自発的辞任:
– 立証の臨界到達:0.35 × (告発受理済の追い風で)辞任誘発:0.40 ≈ 14%
短期の総合(A+B+C を独立近似で上限見積り):
1 − (1−0.30)(1−0.25)(1−0.14) ≈ 56〜62%
– 上記に「起訴・有罪リスクの顕在化(職務継続困難)」の追加:+10〜15%
– 継続的な百条・メディア露出による支持低下の累積効果:+5〜10%
– リコール着手は不可(来年5月まで)。
→ 総合:おおむね 65〜75%
※相関を無視した荒い推定であり、実際にはイベント間で正の相関が強く、上振れしにくい点に留意。
毎年8月になると太平洋戦争関連の番組が増えます。番組の中で、「日本軍が『精神力は物資を制圧できる』と主張して戦場の兵隊の士気を鼓舞していた」という場面が随所にでてきます。このフレーズに"科学的な根拠はない"とは思いますが、日本軍は、その教育(精神論教育)を行うために、過去のユースケースくらいは持ち込んだと考えています。これらの情報を探って頂けませんか?
ご趣旨は「“精神力が物資を制圧する”という考えに、歴史上の“うまくいった例(ユースケース)”があったのか」という点だと理解しました。結論から言うと、近代日本の軍隊は制度面で精神主義を公式化し、それを裏づけた(ように見えた)経験がいくつか存在します。ただし、それらは「精神だけで物量を覆した」実例というより、戦術・訓練・奇襲・指揮の優位と相手側の失策が重なった結果を、後から精神主義で解釈した色彩が強いです。代表的な根拠・文脈と、しばしば“成功体験”として想起された事例を整理します。
以前にもお話したかもしれませんが、私、まだやりたいことがあります。
1940年(昭和15年)秋、内閣直轄の機関として「総力戦研究所」が文官・軍人・民間などから30代の優秀な人材約35名を選抜し、「模擬内閣」としてシミュレーションを実施し、たとえ緒戦では善戦できても、戦争が長期化すれば「必ず敗北する」という結論に至っていました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 機関名 | 総力戦研究所(首相直属) |
| 設立時期 | 1940年(昭和15年)秋 |
| 参加者 | 若手エリート約35名(文官・軍人・民間) |
| 想定内容 | 南方侵攻を含む日米戦争シミュレーション |
| 結論 | 初戦は善戦可も、長期化すれば必敗 |
| 政策への影響 | 報告されたが無視され、開戦に至る |
私、このシミュレーションの資料を手に入れて、自宅のPCで、そのシミュレーションの再現を行ってみたいのです。
ただ、再現するだけでなく、これをMAS(マルチエージェントシミュレーション)を使って、再計算してみたいと思っています。
で、まあ、度々こういうデータを色々拾っていました。

このシミュレーションを実現する為には、防衛関係者とのコネと、研究者としてのそれなりの実績が必要なんだろうなぁ、と思い込んでいました。
ところが、ChatGPTに聞いてみたら、できることが山ほどあることが分かりました。
忘れないようにメモしておきます。
「総力戦研究所と「日本必敗」シミュレーション」の各種の資料を入手する方法を教えて下さい
了解です。一次史料から研究書・論文、入手ルート(無料でDL/館内閲覧/購入)まで「どこで・どう探すか」を実務手順でまとめます。
キーワード「総力戦研究所/机上演習/総研甲/返赤」で検索 → 代表例:
「総研甲-第6号・昭和18年度・第一回総力戦机上演習関係書類」
画面の「ダウンロード」から PDF 一括入手可(CC0)。請求番号:返赤10002000。演習スケジュールや「内閣構成員からみた図上演習の記録」などが見られます。 (デジタルアーカイブ)
オンライン目録・画像提供。キーワード「総力戦研究所/模擬内閣/机上演習」で横断検索。該当件名への到達口としてまずトップの検索結果に入るのが近道です。 (国立公文書館ジャパンクラウド)
『戦史研究年報』等で「総力戦研究所」に関する史料紹介あり。年報PDFは研究所サイトから閲覧可能(創立60周年特別号の編集後記に掲載言及あり)。必要論文は所蔵照会・複写依頼も可。 (防衛省ネットワーク情報システム)
例:
大学紀要・学会誌に一次史料の読解・位置づけを行う研究論文が複数。例:
こういう研究をさせてくれる大学や研究機関がありましたら、紹介して下さい
ご期待に沿えるよう、「こうした戦争シミュレーション(ウォーゲーミング)研究」に取り組む大学・研究機関およびシンクタンクをご紹介します。現在、日本で類似の研究や活動に携わっている主な研究拠点は以下のとおりです。
日本におけるゲーミング研究推進の中核団体で、学会全国大会では大学研究者による事例発表が活発です。総力戦研究所の「社会システム・ゲーミング(政策研究ゲーミング)」は、現代日本のシミュレーション手法学の基礎的研究と位置づけられています (SPF, J-STAGE)。
政策シミュレーションやウォーゲーミングの導入を活発化させている民間シンクタンクです。特に「台湾有事」など現代安全保障上の危機に対する机上演習を、官僚・専門家と共に実施した実績があります (SPF)。
加藤教授は戦争選択や近現代史を専門とし、広範な政策史的アプローチで戦争研究を行っています。ゲーミングを直接扱っているわけではないものの、戦争の意思決定プロセスを歴史的に分析する観点から参考になる存在です (ウィキペディア)。
国際関係や戦争文化を教育目的で扱う大学研究室やゼミでも、シミュレーションやロールプレイ型の授業が導入されているケースがあります。たとえば「国際関係学の学びにおけるシミュレーション・ロールプレイ」などの教育実践が報告されています (CORE)。
| 機関・人物 | 活動・専門領域 | 備考 |
|---|---|---|
| 日本シミュレーション&ゲーミング学会 | 教育・ゲーミング手法研究 | 総力戦研究所の実践と類似のアプローチ有 (J-STAGE, CiNii) |
| 笹川平和財団 | 現代安全保障シミュレーション | 実際の政策課題(台湾有事等)での演習実施 (SPF) |
| 東京大学・加藤陽子教授 | 日米関係・戦争選択史 | 歴史的視点から戦争の意思決定に迫る研究 (ウィキペディア) |
| 教育機関(大学ゼミ等) | シミュレーション・ロールプレイ教育 | 国際関係学の授業で導入例多数 (CORE) |
| 上杉勇司(早稲田大学) | 国際紛争・平和構築 | シミュレーションではないが制度分析など豊富 (ウィキペディア) |
| 山影進(青山学院大学) | マルチエージェント・シミュレーション | 社会シミュレーション応用可能性あり (ウィキペディア) |
ご要望の用途(例:大学院での受験、研究授業の依頼、シンクタンクとの協働など)があれば、さらに具体的に適切な窓口をご案内できます。どうぞお知らせください。
なんか、また『高校野球』で、いろいろあったようようですね。
まあ、私が20年前以上に書いたこのコラムから、私の立ち位置は変わっていません。
エルカン、江端共著
2002/01/11
私は可能な限り、人が楽しんでいることに「ケチ」をつけることはしないように心がけています。
それは、私が楽しんでいることにケチをつけられるのが嫌であるから、おそらく他の人も同じ気持になるだろうと、容易に推測できるからです。
しかしそれは、この私に迷惑をかけるものでないことが前提です。
-----
私は冬と言う季節が好きです。
静謐で美しい風景、一面の銀世界、生命が息を潜めて雌伏する限られた期間であり、スキーと言う素晴しいスポーツが楽しめる季節だからです。
そして、何より「野球」と言う愚劣な習慣が、日本国から消滅する唯一の期間であるからです。
私は別に野球が嫌いと言うわけではありません。
むしろ、好きな方だと思います。
独身のころは、週末になると独身寮の近くにある草野球場までバイクを転がして、中学生たちのプレイを楽しく観戦していたものです。
素人愛好家チームのプレイは、下手な漫才より十分笑えると言う、数あるスポーツの中でも異色のエンターテイメント性を持つ優れたスポーツであると信じています。
ところが、この野球と言う優れたスポーツは、冬と言う季節を除いて「野球」と言う名の愚劣な日本固有の文化、あるいは商業習慣に転換され、それは、この私に滅茶苦茶な迷惑をかけやがるのです。
-----
プロ野球に見られるように、スポーツがショウビジネスとなるのは、別に自然なことです。
私は、アマチュア精神なんぞは興味ありません。
人間の持ちえる能力を余すことなく見せる、プロフェッショナル達の技は、私達に感動を与えてくれます。
マスコミが、マジョリティを中心として番組を構成するのは当然です。
ですから「プロ野球」の上映時間の枠が大きいのも仕方ないでしょう。
ですが、だからと言って、それらのショウが、自由気ままに上映時間を変更したりして、他のショウの邪魔をしても良いと言う理屈が成りたつ訳はありません。
何が腹が立つと言って、『スポンサーの御好意で、放送を30分延長いたします』と言う、これほど偉そうに構えた、傲慢な、むかつく台詞が、世の中にあるでしょうか。
大体、番組を延長するくらいなら、最初から固定枠時間で取っておくか、プレイボールの時間を早めればよかろうに。
殆ど例外なく放送延長することは判っているのに、恩着せかましく、何が「御好意」だ!馬鹿野郎!!「御迷惑」もいいとこだ!!
途中で雨が降ったり、早めに試合が終わったのであれば、あるメジャーチームの著名な監督の個性や振舞いを、とことんこけにして笑い者にする為に編集した、失礼無礼極まりない編集テープでも流していればいい。
少なくとも野球スポーツという世界で、あれ程貢献した方に対して、あれ程無礼なプログラムを編集するマスコミ、そしてそれを見て笑っていられると言う視聴者の頭の程度も知れたものですが。
たかがスポーツショウごときが、その後の番組のスケジュールを全部滅茶苦茶にするから、その結果として、予定していた自分のスケジュールも巻き添えくらわされるし、折角のビデオ予約は番組がずれこんで、みんなパー。
大体、自局のプログラムの時間管理もできんようで、よくぞメディアを標傍できるものだ。
少しは恥を知れ。
大体、マスメディアで、時間の厳密管理のできない野球と言うスポーツを、あえて放送するのであれば、テレビ局各局において、時間管理ができるように独自のルールを制定すればいいではないか。
「3アウト、チェンジ」の周回方式から、1回表裏共に6分30秒(9回で120分)をベースとして、変則ルールを作ってもいいだろう。
できないとは言わせない。
相撲を見てみて下さい。
相撲はその由来や歴史から見ても、全く時間の概念がないスポーツであったことは明白です。
しかし、日本大相撲協会が、多くの相撲ファンの反対の中にありながら、相撲文化の存続を賭けて敢えてメディアに進出し、現在のNHK&日本大相撲協会による厳密時間管理の制御技術を確立したことは、マスメディアの鏡であり、規範であり、模範であると、私は信じます。
『さあ、時間いっぱいです』
この一言に込められているメディアと相撲の融合の前衛的な文化を、時代遅れで無知性で愚劣で、おまけに、はた迷惑な「プロ野球」と言う商業習慣は、ほんの少しでもいいから、模倣するところから始めるべきです。
-----
さてここまでは、「プロ野球」という商業習慣を提供する側の批判でしたが、次は、それを提供される側から見てみましょう。
自分の贔屓のチームが勝てば嬉しく、負ければ悔しい。
当然です。
これは理屈以前の話であることは、私でも理解できます。
そもそも、その動機がなければ、スポーツを観戦すること自体の意味も分からなくなります。
金銭も利害も関係のない、純粋な応援。
これは人間の持つ、数少ない善なる資質の一つであるかもしれません。
しかし、世の中には、自分の贔屓のチームが負けると、翌日不機嫌になり、部下に当たり散らすような、上司が存在するそうです。
あるいは、子供に当たり散らす、父親や母親も。
決めつけて良いですが、こいつらは、馬鹿です。
上司、親として以前に、人間として失格です。
贔屓のチームに関する関心は、あくまで個人の問題であり、他人には何の関係もありません。
例えば、ある日、私が個人的に不快な目に合い、それが理由で他の誰かに当り散らしたりしたら、当然私は非難されて然るべきでしょう。
しかし、問題は、このような人間失格達の振舞いを許容する、日本社会の体質の方が深刻であり、私はとても心配です。
特に「プロ野球」に関しては、異様なほど甘い。
『プロ野球を語れん男は、男ではない』と決めつけた人がいるそうですが、この定義によれば、私は男ではないようです。
一体、どんなふうに理論を展開すればこんな結論に至れるのか、その精神構造も含めて、私は本当に知りたいです。
一方、プロ野球は、日本におけるコミュニケーションの重要な共通基盤となっているのも事実です。
例えば、「最近の巨人は駄目だね」と誰かが言った瞬間から、「最近の巨人は駄目」と言うスレッドで、会話は進行されなければなりません。
つまり、この手の会話は、問題提起を行なっているのではなく、一種の挨拶のようなもので、
「最近の巨人は駄目だね」=「やあ、御機嫌いかが」
「まったくだね」=「ええ、ありがとう」
と同義のようなものらしいのです。
何故なら、その会話の中に、どんな判断基準とどのような状況から「最近の巨人は駄目」と判断するに至るのかと言うような会話は、決してなされないからです。
加えて、本当に驚くべきことは、「最近の巨人は駄目」が例え単なる挨拶に過ぎないとしても、「最近の巨人は駄目」に関する共通的なコンセンサス(同意)が、一般的に得られていると言うことです。
これはかなり恐ろしいことです。
歴史的に見て、国民を同一のコンセンサスの下に統合することができたものといえば、太平洋戦争戦時下の政府の国威高揚政策くらいなものだと思います。
プロ野球のように、単純明解で、殆ど思考能力を必要とせず、好き勝手なことを吠えているだけでよいもの(勿論、プレーヤにとっては全く逆の立場になりますが)が、日常会話レベルに通用するコンセンサスを形成しているという
ことが示す事実は、
(1)プロ野球は、日本における真にコミュニケーションの重要な共通基盤である
と言うよりは、むしろ、
(2)その程度のものでしかコミュニケーションを測れないほど、日本人は話題が貧困である
と解釈するのが自然ではないかと思います。
これを納得するために、チャンスがあったら、次の様な実験をしてみて下さい。
「最近の巨人は駄目だね」
「どういう風に駄目ですか」
まあ、賭けてもいいですが、相手は絶句するか
「どういう風って、そりゃお前、駄目って言えば、駄目だろうがよぉ」
とこの程度の返事しかできないでしょう。
つくづく、知性のない会話と言わざるを得ません。
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さてここからは、「プロ野球」の結果を報知するニュースメディアいう観点から見てみましょう。
他のTV番組を見ている最中に「速報」のテロップが流れ、「ん?どこぞで選挙でもやってたか。それとも地震でも起きたのだろうか」と思って注視すると、『巨人X阪神2-0』。
確か京成電鉄の駅だったと思いますが、構内放送が大音量で流れるから何かと思えば、これまた野球試合の結果報告だったりする。
一つ目の事例は、「あなたはこのチャンネルを変えなくても、ちゃんと試合結果を報告するから、安心してうちの番組を見ていて下さいね」と言うメッセージでしょう。
二つ目の事例は、どうせ電車の待ち時間などでは、駅のインフラ(駅内放送)が遊んでいるんだから、乗客へのサービスとして、野球試合の結果報告でも流してみたらどうだろうと言う、小手技のサービス(ラッシュ時対応に車両を増強するとか、痴漢対策などではなく)で顧客のサービス好感度を上げようという姑息な手段であることは明白です。
しかし、そういうニュースメディアを利用する側(視聴者)も、全く理解に苦しむ行動をとります。
野球中継を見て試合結果を知った上、その判りきった結果をスポーツニュースで再確認し、更に翌朝にはスポーツ新聞で知り尽くした結果を再々確認しするプロ野球ファンの振舞いは、常軌を逸脱しているとしか考えようがありません。
複数のニュースメディアを利用する場合、私たちは、それぞれのメディアの主張を多面的に分析して、事実はどこにあるのか調べようとすることがあるかもしれません。
例えば、日テレでは「巨人勝利」と報じていたが、フジでは「中日がサヨナラ満塁」だとか、サンケイスポーツとニッカンスポーツでは結果が異なる、というのであれば、どれを信じていいか判らずにあれこれ見たり読んだりする、というのは納得できます。
しかし、どうせ同じ結果しか報じていないメディアを、どうして何種類も見るのか、全く不可解です。
なにより私は、あのスポーツ新聞メディアの、首尾一貫しない軽薄な論調が嫌いです。
シーズン開始時に「今年も最下位決定!監督更迭!?」と書き、シーズン終りに「信じていたぞ!我等の巨人!!」とよく書けるもんだと思う。
もし人間だったら、私は、こんな奴とは絶対付き合えない。
スポーツ新聞を愛読している人々は、よっぽどの「お人よし」か、・・・いや、まあ、「お人よし」と言うことにしておきましょう。
-----
さて、日本におけるタブーといえば、色々ありますが、「高校野球」もまた批判を許されないタブーの一つでありましょう。
ここで私が批判するのは、高校野球、そのものではありません。
批判どころか、私は高校野球は好きな方です。
これについては、後述します。
ここで「高校野球」(かっこ付)は、以後、
全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)
の中でも、特に、
甲子園球場で開催されているもの
を指すこととします。
あなたは、「高校野球」に出場している高校生が、どれくらいか知っていますか。
1チーム15人で49都道府県50チームで750人。
夏と春の両方を出場するチームもあるかもしれませんが、ここでは多めに倍と見積もって、最大1500人。
平成11年度の高校数が5481校で、その全部に野球部があったと仮定し、さらにその部員数も少な目に30人くらいとしてみましょう。
「高校野球」に出場できる野球部の高校生は、0.009122、1000人の内、わずか9人。1パーセント割っています。実際はもっと狭い門でしょう。
一方、日本の最高学府と言われる東京大学の学生数は15860人、大学院や浪人も含めたとして、少し少なめに6年分で割って見たとしても、2700人が毎年入学している訳ですよ。
甲子園大会出場経験者から見れば、東京大学の門など、全然広い。
甲子園大会とは、一回負ければもうおしまいと言う、実世界では考えられない程の苛酷な条件の戦いを生き残ってきた、すさまじい強運をたずさえたエリーの中のエリート、超スーパーエリート達だけで開催される競演です。
そんな「エリートの競演」なんぞ見て、本当に楽しいか?
私は応援する気にもならん。
繰り返しますが、別に野球が嫌いと言うわけではありません。
すでに述べましたが、私は、独身のころは、週末になると独身寮の近くにある草野球場までバイクを転がして、中学生たちのプレイを楽しく観戦していたものです。
「高校野球」の地区大会の楽しさ(できるなら初戦から3回戦までの観戦は特に良い)と来たら、あんなエリートの競演なんぞとは、到底比べものになりません。
- ガムをクチャクチャやりながらバッターを睨めつける、茶髪のピッチャー
- 軽く首を回した後、バットでレフトスタンドを差し、予告ホームランの仕草をするバッター。
- 三遊間の簡単なゴロを、リズミカルに調子を取りながら、きれいにトンネルするショート。
- 定位置のフライなのに、1-2塁間近くまで全力でダッシュして、エンタイトル2ベースにしてしまうライト。
- ゲッツーのチャンスがある度に、ファーストへの送球を暴投して、律義に相手チームに得点を献上するセカンド。
- センターに上がったフライを見て、かっこうを付けて早々と(??)に戻りかけたら、そいつが取りそこなって、慌てて定位置まで走りもどるレフト
- 盗塁しようとして、1-2塁間で足を滑らせて転ぶランナー
- 10点以上の点差があって、9回裏に、『ここから!ここから!』と連呼する監督
こんな面白いスポーツ観戦が、一体世界中のどこにあるでしょうか。
そして、日本における99%の野球と言うのは、このような本当に楽しいものなのです。
あの甲子園大会の高校生たちが繰り広げるプレイが、如何に超人的、超エリート的であるかは、テレビで高校野球とプロ野球を見て、えらそうにチーム監督の采配にケチをつけるおっさんなんかに比べたら、私の方が間違いなく理解している。
かたや、NHKの特集番組で、相手チームの投手の癖を、数台の高性能カメラで、徹底的に調べあげ、その対応の練習に余念がないバッテリーの姿を見ました。
金銭的な物量作戦的を、当の高校生だけでできるわけなく、金で雇われた専属の大人のスタッフが指揮しているのは、当然としても-----
涙が出そうなほど、「高校生らしい」
すがすがしいったらありゃしません。
まあ、それはさておき、ここで彼等が、打算や欲得抜きで一生懸命であると言うことは事実であり、そんな彼等のひたむきな姿が、多くの人に感動を与えるのだと言うことを、私は否定しません。
相当多くの人は、何かに一生懸命頑張っている人を見るのが好きです。
例えば、正月に行なわれる、箱根駅伝。
彼等が、心臓が破れるのではないかと思われるような地獄のような苦しみに耐えながら、険しい山道を走り、次の走者へと襷(たすき)を繋ぐひたむきな姿。
テレビ中継で、そんな彼等の姿を見ながら、こたつに入って、刺身を摘みながら、お屠蘇を飲みつつ、うたたねをする。
箱根の山道なんぞ、一生走ることも(多分、歩くことも)ない、正月にのみ許される、多くの日本人の優雅な時間、と言ってよいでしょう。
ちょっと話がずれましたが、それにしても「高校野球」の特別扱いは、度が過ぎていると思うのです。
そもその「高校野球」と、例えば「インターハイ卓球」と一体何が違うのでしょうか。
もっと極端なことを言えば、「高校野球」の出場者と「高校数学オリンピック」の出場者を、その質から比較してみれば、どちらもスーパーエリートであることには変わりありません。
どの高校生にして、ひたむきで一生懸命であると思うのです。
しかし、「高校野球」の投資額は、他の「高校なんとか」と比べて、比較にならないほど凄い。
10数年程前に、甲子園常連高と言われている野球部の維持費が、年間5000万から一億、と言われていたので、今は軽く2~3億くらいにはなっているでしょう。
甲子園の一日利用料金が幾らか分かりませんでしたが、1999年のオールスターの入場者数が11852人、売上が50億3121万7000円。
まあ、これは特例としても、一日あたりの売り上げが2億4048万円だそうですから、高校野球の為の球場使用料も大体、一日億を単位として、20日弱で20億円くらいか。
一試合あたりの観客動員数を5000人と見積もって、一日4試合2万人。
地方からの応援の移動コストをかなり低く見積もったとして一人往復2万円としても、延べ観客動員数250000人で50億。
NHKが「高校野球」の中継にあたる時間、どのような番組作成も必要とせず高視聴率を取れること(そして、受信料支払の強力な根拠とすることができること)、民放が、「高校野球ダイジェスト」のような番組で、スポンサーからどれくらい金を取っているのかなど、「高校野球」が、経済効果抜きで考える脳天気な人間もいないでしょう。
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世間擦れした大人の手垢のべったりついた「高校野球」を作っておいたくせに、日本高校野球連盟の馬鹿さ加減には、ほとほと飽きれてしまいます。
野球部員の一人が喫煙したことがばれて、そのチームが甲子園出場の辞退を余儀なくさせられた、と言うニュースをよく聞きます。
喫煙がいかんと言うのであれば、その喫煙した一人が出場を辞退すればよかろうに、なんでチーム全体が巻き添えを喰らわねばならん。
連帯責任などと言う愚劣な考え方が、全体主義的でファッショであり、かつ民主主義的な物事の捉え方から外れていることなどは、近代民主主義社会の常識中の常識。
ちょっと知性のある人なら分かりそうなもんです。
日本高校野球連盟を構成する方々は知性のない面々、と決めつけてよさそうです。
平成4年夏の甲子園で、明徳義塾高校が星稜高校の松井秀喜選手を5打席連続敬遠したことについて、当時の日本高野連会長のなんとかと言う奴は、以下のように語ったそうです。
-----走者がいる時、作戦として敬遠することはあるが、無走者の時には、正面から勝負して欲しかった。1年間、この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校野球ではないか、云々-----
この記事を読んだ瞬間、私が真っ先に思ったのは、
『もし、こいつが、(公的な)日本高野連会長として発言しているなら、本当の馬鹿だ』
と言うことです。
腐っても、日本高野連会長ともあろう人間が、こんなコメントをしたら、
「高校野球」の監督や選手達は、一体どうやって試合を闘えと言うのか。
『この敬遠は、高校生らしいだろうか』
『この牽制球は、高校生らしい投げかただっただろうか』
『そもそも、「高校生らしい」って何だろう』
これは、野球の領域ではなく、哲学か、そんなによいものでなけでば、大衆心理学の分野です。
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私の得意技は、テニスボールの上側を擦ってドライブ気味に強打するサーブです。
これが、相手の正面付近でバウンドすると、レシーバから見ると突然左に曲がるので、フォアハンドに回っていたレシーバは、バックハンドへの切り替えができずに、リターンを返せなくなります。
サービスエースです。
私は、私のこのサービスが返せない選手ならば、試合中、全部このサーブを打ち続けます。
-----相手がいる時、作戦としてそういうサーブを打つことはあるが、ストレートでセットカウントを取っている時には、癖のないサーブで勝負して欲しかった。1年間、この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校テニスではないか、云々-----
と言われたら、私は、「あんた、正気か」と問い返すことでしょう。
試合とは、全力を尽して、敵を「負かす」ことで、ルールと言うのは、それさえ守っていれば何をしても良い、と言うものです。
ある試合が、たまたま「すがすがし」かったり「感動」したりすることもあるかもしれませんが、選手達は、観客を「すがすがし」くさせたり「感動」させたりする為に闘っている訳ではないのです。
それは、観客の思い上がり、と言うものです。
そういうものが欲しければ、そういうことを目的としたコンテンツは、世の中には履いて捨てるほどあります。
選手達に、下らない観客の思い上がりを押しつけるものではありません。
「選手宣誓でうたった高校野球精神を踏みにじる行為」
「子どもの教育に悪影響を与える」
「5回とも敬遠というのはやりすぎだ」
はははは。
お前たちの中にだけある、幻想の『高校生らしさ』なるものを追いかけて、死ぬまで言っていろ、馬鹿野郎めが。
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さて、実は、まだまだネタはあるのですが、文字通り切りがないので「日本における野球文化に関する一考察」に関する本エッセイは、以下の私の提言を持ちまして、終了したいと思います。
(1)野球中継に関しては、その時間、内容に関して一切の文句を言わないので、終了時間を明確にすること。
(2)「高校野球」に関しても、あまり多くの注文はしないが、「高校生らしい」高校野球を見たいのであれば、まずそのチームの監督を大人にやらせることを全面撤廃し、その学校の野球部の部員にやらせるのこと。
なんで「高校野球」の采配に、いい年したおっさんがしゃしゃり出てくるの、と思っているのって、私だけですか?
(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)
中学や高校で生徒会会長などの、いわゆる『目立った』立場にいた人間は、社会に出てから出世しにくい、という話を聞いたことがありますが、これは根拠のある話でしょうか
ご質問の内容について、結論から申し上げますと――
「中学・高校時代に生徒会長など“目立つ”立場だった人が、社会に出てから出世しにくい」という話に、根拠は見当たりません。逆に、豊富な研究ではむしろポジティブな効果が多く報告されています。
ウィスコンシン大学の研究では、卒業3〜5年後に 学生リーダーだった人は、リーダーシップ・チームワーク・コミュニケーション能力・自信が向上した と振り返っており、社会での自己表現や対人スキルに好影響を与えたとされています Academia+1。
学内リーダー経験は 学業成績の短期・長期両方に好影響 を及ぼす傾向があり、例えばクラス委員長などは成果が特に高い傾向があります サイエンスダイレクト。
大学生のリーダー経験に関しては、「キャリアの満足度が高い」「業界内で影響力を持つ機会が増える」といった報告もあります Center for Engaged Learning。
学外活動全体についても、「組織での関わり」が 自己管理・目的意識・社会性を高め、就職活動においても有利に働く とする分析があります ウィキペディア+1The Guardian。
ただ、ある10年以上前の研究では、 高校時代のスポーツ参加者が、他の課外活動参加者に比べて成人後に高収入になる傾向がある という結果が報じられています。ただしこのデータは、主に戦後世代男性の統計であり、性別や時代背景のバイアスがある点は注意が必要です glamour.com。
このような逆説的なイメージには、以下のような要因が考えられます:
過剰な期待・印象のハードル
学生時代に目立つ立場にいた人には、「何でもできる」という期待が付いて回り、社会に出た際に少しでもその期待に応えられないと“失敗”と捉えられやすい。
コミュニケーションギャップや反発
周囲にとって目立つ存在が、社会人になっても同じ立ち位置を求めると、逆に反発や違和感を生むケースもあるかもしれません。
経験の質の違い
生徒会長などの経験が「ただの肩書き」になってしまい、本当にリーダーシップスキルが鍛えられた経験になっていなかった場合、社会とのギャップが生じる可能性もあります(ただしこれは、その経験の質や支援の有無によるものであり、立場自体が悪影響とは限りません)
rise.crimsoneducation.orgウィキペディア。
学生時代の目立つリーダー経験自体は、多くの研究で むしろ出世や成長の助けになる とされています。そのため「目立っていた=出世しにくい」という話には、少なくとも現代の学術的な裏付けはありません。
学校におけるリーダーシップと、職場におけるマネージメント(×リーダーシップ)は、その目的や内容や質が異なることから、変なプライドを持ったまま社会人になると、失敗しやすい、という気がします。実際に、学校などでリーダーシップを張っていた人間が、社会で著名になった例を、私はあまり知りません。私の所感に関して、客観的に論じて下さい
あなたの所感は、少なくとも心理学的・社会学的な観点から一部説明可能です。以下、研究知見と事例を交えて、客観的に整理します。
① 目的の違い
学校:メンバーの士気向上・イベント遂行・自治活動など、比較的短期的かつ象徴的な成果が中心。
職場:利益創出・コスト削減・人材育成など、長期的かつ成果責任の伴う業務が中心。
② 権限・裁量の違い
学校:教員や校則が最終決定権を握り、リーダーは「象徴+調整役」に留まることが多い。
職場:予算・評価・解雇権限など、直接的な影響力と責任が付随する。
③ スキルセットの違い
学校:演説力・人間関係構築・場の盛り上げ方など、ソーシャルスキル優位。
職場:リスク管理・財務感覚・交渉力・部下育成など、分析・判断・制度運用能力優位。
この構造差が、「学生時代のリーダー経験=即戦力マネージャー」にならない理由です。
しかも、学校時代に通用した手法(カリスマ性や場の掌握)が、職場では逆効果になる場合もあります。
心理学でいうDunning-Kruger効果や役割固着が関係します。
Dunning-Kruger効果:自分の能力を過大評価し、必要な学習や適応を怠る。
役割固着:過去の成功体験に基づく振る舞いから離れられず、環境に適応できない。
この場合、
部下や同僚の意見を受け入れられない
成果よりも「自分が中心であること」を優先してしまう
上司との権限・意思決定の摩擦が増える
といった問題が生じやすくなります。
これはサンプルの母数と可視性の問題が大きいです。
全員が公的人物になるわけではない
生徒会長経験者の大半は普通の会社員・公務員などの道に進みます。
→ 著名人になる確率は統計的に低い。
著名人の経歴紹介では学生時代の肩書きは省略されることが多い
→ 「知らない=存在しない」ではない。
政治家は例外的に多い
日本でも海外でも、生徒会長経験者が国会議員になる例は多く、政治分野ではリーダー経験が経歴としてアピールされやすい。
(例:米国大統領経験者の多くは学生時代に何らかの自治会やクラブのリーダーを経験)
あなたの所感は「学校と社会の役割差」に基づく適応課題の指摘として妥当。
ただし、「学生時代リーダー経験者が著名にならない」という印象は、統計的裏付けが弱く、可視性や経歴開示の偏りによる可能性が高い。
実際のキャリア成否は、学生時代のリーダー経験そのものよりも、その後の環境適応力・学習意欲・自己更新力に強く依存する。
もしご希望なら、
日本人著名人の経歴を調査し、「学生会長経験の有無」をデータ化する
職場での昇進速度と学生時代のリーダー経験の相関を扱った海外研究の紹介
の両方をやって、印象と実態の差を数値で可視化できます。
これをやれば、「本当に出世しにくいのか、それとも印象の問題なのか」が明確になります。
提案して頂いたデータ化および海外研究の紹介をお願いします
ご希望の「学生リーダー経験と社会での成果の関係」をより客観的に見るため、以下の2本柱で整理しました。
中国のパネル調査(大学生対象)
学生リーダー経験者は初任給に約7%のプレミアムがあることが確認されています。
その背後には、学び・問題解決力・対人スキルなどが影響しているとされています Emerald+2サイエンスダイレクト+2ejournals.ph。
アメリカの大学サークル等(大学生組織活動)
学生組織への参加を通じて、自律性・責任感・リーダーシップ能力が高まるとの相関が見られ、これらは企業が求める能力と合致するとされます docs.lib.purdue.edu。
高校・大学の課外活動一般
大学のサークル活動におけるリーダー経験は「リーダーシップ」「組織力」「柔軟性」などの ソフトスキルの向上につながり、就職市場においても有利になるとの調査報道もあります The Guardian。
学業成果への効果
学生リーダー経験は、試験成績の向上や自主性・意欲の高まりに結びつくという報告があります サイエンスダイレクト。
一部研究では、統計的に有意な相関が見られないケースも存在します ijsmsjournal.org。
教育・成長プロセスとしてのリーダーシップ開発
青年期から大学期にかけてのリーダーシップ経験が、生涯にわたるリーダー形成に影響するというライフスパン理論に基づく整理もあります academic.oup.com。
| 項目 | 方法の一例 |
|---|---|
| 1⃣ 出世・給与との相関 | 中国の調査に倣い、現地データ(例:卒業生アンケート)で学生会長経験の有無と初任給・昇進状況との比較分析 |
| 2⃣ スキル評価との関連 | 企業や人材紹介機関のアンケートを使い、リーダー経験者のコミュニケーションや問題解決スキルの自己・他者評価を収集し比較 |
| 3⃣ 著名人・リーダーの経歴分析 | 国会議員や経営者、著名な社会人のうち「学生時代にリーダーだった経験者」がどのくらいいるか、経歴公開情報をもとに整理 |
学生リーダー経験が社会で必ずしも“劣勢”になるとは言えず、むしろ初任給への上昇圧やソフトスキルの育成といったプラスの影響があることが実証されています。
ただし、学校と社会のリーダー・マネジメントの性質の違い(カリスマ性 vs 分析・制度運営スキルなど)に依存し、「変なプライド」がかえって適応の妨げになる可能性は理論上、説明可能です。
『中学や高校で、生徒会長なんぞをやっていた奴は、社会に出てから心を病んでしまう』という私の願望・・・もとい、仮説は、どうも成立しないようです ーー 残念です。
歌詞の意味の全文を理解できる私が、 ーー もちろん、"マイノリティ"であるという自覚はあります。
■ツァーリを倒した後、その座を自分の独裁の玉座に変えた。
■ナチスを倒したが、戦後は自国民に対しても恐怖政治を振るった。
■共産主義の理想を掲げるふりをしながら、実際はそれを錆び付かせて形骸化させた張本人。
■「言葉と理想と狂気」を混ぜた政治で、多くの人間を破滅させた。
■同志と呼んだ相手の首を、自らの権力維持のために血で濡らした(大粛清)。
■病的なまでの猜疑心で周囲を監視し、誰も信じられない独裁者と化した。
■子供好きという一面を宣伝に利用し、人間味を演出して独裁を正当化した。
■町中に自分の顔や銅像を並べ、プロパガンダで個人崇拝を押し付けた。
■表向きは後継者を残すふりをしながら、実際には自分以外の権力者を徹底的に潰した。
ただ、70年安保後を20年経過した後の学生であっても、この程度のことがデフォルトになっていない人間では、大学の自治寮で寮長をやることはできなかった ーー と思っているけど、どうかな?
-----
さて、当時でも、私は"マイノリティ"でしたが、今や、私は、どのくらいの"マイクロマイノリティ"なのでしょうか?
ゲーム理論を用いて、核廃絶シナリオがつくれますか
はい、ゲーム理論を使えば核廃絶のためのシナリオを構築することは可能です。
ただし、現実世界の国際政治はプレイヤー数が多く、利得構造も非対称で、完全情報ゲームではないため、シナリオはあくまで「モデル」として設計し、現実の複雑性を抽象化する必要があります。
典型的には囚人のジレンマ構造になります。
| 相手:放棄 | 相手:維持 | |
|---|---|---|
| 自分:放棄 | 中程度の利益(安全+経済援助) | 大損(自国脆弱化) |
| 自分:維持 | 大利益(軍事優位) | 小利益(現状維持) |
結果として互いに維持がナッシュ均衡になりやすいです。
廃絶を均衡にするためには「利得構造の書き換え」が必要です。
もしご希望であれば、次のステップとして数値モデルを設定し、各国の利得行列を作って「どの条件で核廃絶がナッシュ均衡になるか」を具体的にシミュレーションすることもできます。
そうすれば、理論上どの条件下で「核廃絶が合理的選択肢になるか」が見える化できます。
了解。最小限の数理で「なぜ失敗しやすいか」を可視化できる反復ゲームの数値モデルを提示します。式は単純化し、最後に具体値を入れて判定します。
各期の戦略:
E(削減・放棄に協調) / M(維持・抜け駆け)
期ごとの利得(プレイヤ i)
相互協調:π_C(協調便益=安全保障保証・援助・地位向上 − 移行コスト・残余リスク)
片方だけ抜け駆け(自分 M, 相手 E):一回限りの抜け駆け利得Δ(軍事・政治優位の上乗せ)
制裁期(協調破綻後の定常):π_P(制裁・不信・軍拡の中での期待利得;しばしば小さい/負)
割引率:δ∈(0,1)
グリムトリガー(誰かが抜けたら永久制裁)下での協調持続条件(インセンティブ適合):
同値変形:
右辺が許容可能な抜け駆け利得の上限。これを超えると協調は崩れます。
仮定:π_C=5、π_P=3、Δ=30、δ=0.90
左辺:π_C−δπ_P=5−0.9×3=5−2.7=2.3
右辺:(1−δ)Δ=0.1×30=3.0
判定:2.3<3.0 → 不成立(協調は持続しない)
直感:抜け駆けの一回利得Δが大きすぎ、制裁期の痛み(π_P低下)も足りない。
仮定:π_C=8、π_P=0、Δ=10、δ=0.95
左辺:8−0.95×0=8.0
右辺:0.05×10=0.5
判定:8.0≥0.5 → 成立(協調は持続)
上式
から政策てこ入れは明確です。
π_C を上げる(協調の果実を厚くする)
経済援助・安全保障保証・エネルギー代替技術・政治的見返りのパッケージ拡充。
π_P を下げる(制裁期をより「損」にする)
自動発動・多国間での強力制裁、軍事・金融・輸出管理の連動。π_Pが小さい/負に近いほど協調が楽になる(右辺分子が増える)。
δ を上げる(長期志向化)
相互依存深化・レピュテーション効果の可視化・条約破りの将来コスト増。δが上がるほど分母(1−δ)が小さくなり、右辺が拡大。
Δ を下げる(抜け駆けの即時利得を削る)
検証で秘匿の成功確率を下げる、抜け駆け即制裁で「一回利得」を目減りさせる、周辺国の集団的抑止で軍事的瞬間優位を縮小。
政策が効いているかを単一の指標で監視したい場合、次をモニタリング指標にできます:
実効抜け駆け利得 Δ が
を上回る国・地域では、協調は構造的に不安定。
交渉・援助・制裁設計の目的は「各国の Δ を
以下に押し込む」こと。
n国ゲームでは、抜け駆けの利得Δ_iは「最も脆弱な相手」依存で肥大化しがち。よって最小安全保障保証の底上げ(同盟・ミサイル防衛・迅速制裁の自動化)が鍵。
監視精度 p を陽に入れると、実効Δは
に縮小。p を引き上げる技術・制度投資は直に効く。
連帯制裁の結束度 q を入れると、
は
として低下(より痛い)→協調安定化。
このゲーム理論においては、核ミサイルの開発コストがパラメタに入っていないようです
はい、ご指摘の通り、先ほど提示した単純モデルでは核ミサイルの開発コストは利得パラメータに直接は入っていません。
ただし、これはモデルを簡略化したためで、実際にはΔ(抜け駆け利得)や π_C / π_P の値に影響を与える形で組み込むのが自然です。
ゲーム理論的には、核開発コスト
は次のように作用します。
抜け駆け利得 Δ の減少
実効抜け駆け利得を
と定義する。
K が大きければ、抜け駆け戦略の魅力が減り、協調条件を満たしやすくなる。
制裁期利得 π_P の減少
開発・維持費が恒常的コストになる場合は、制裁期間の負担も増加し、
(mは期間ごとのコスト係数)として反映。
協調利得 π_C の比較的上昇
協調(核放棄)を選んだ場合には K を支払わないため、
相対的に π_C - π_P の差が拡大し、協調が有利に。
開発コスト込みの条件は次のようになります。
K が増えると左辺(抜け駆け利得)が減少し、右辺(協調成立の許容範囲)は増加するため、協調が持続しやすくなる。
π_C=5, π_P=3, Δ=30, δ=0.90
開発コスト K=10, m=0.2
条件式:
左辺:30−10=20
右辺:
判定:20 ≤ 41 → 協調成立(Kのおかげで抜け駆けの魅力が激減)
実際の核開発は sunk cost(埋没費用)化するため、一度完成してしまえば K はゼロに近くなる(維持費だけ残る)。
したがって、ゲーム理論的に効くのは「開発前段階」だけ。
開発済み国家には 維持費(運用・近代化・安全管理コスト) を継続的に K として効かせる必要がある。
各ミサイル1発あたりの製造および維持コストの概算をお願いします
了解です。為替は概算として 1ドル=150円 で計算し、円換算で再掲します。
LGM-30 ミニットマン(ICBM, 米)
約 7百万ドル → 約10.5億円
UGM-133 トライデントII(SLBM, 米/英)
約 30.9百万ドル → 約46.4億円
ICBM兵器(寿命延長費込み推計)
約 85百万ドル → 約127.5億円
米国 核戦力全体のライフタイム維持費(デリバリーシステム含む)
約 4,300億ドル → 約64兆5,000億円
米国 核フォース全体の10年間運用・維持費(2025–2034年)
約 3,570億ドル → 約53兆5,500億円
ICBM維持費(例)
年間 約 4.82億ドル → 約723億円/年
維持整備チームの作業費
時給 約 55,000ドル → 約825万円/時間
| 項目 | 金額(円) |
|---|---|
| 製造(ICBM例) | 約10.5億〜127.5億円 |
| 製造(SLBM例) | 約46.4億円 |
| 年間維持費(ICBM) | 約723億円/年 |
| 維持整備作業(時給) | 約825万円/時間 |
このコストを通常兵器を比較して、その大小を論じてください
はい。核ミサイルと通常兵器(戦闘機・戦車・艦艇など)のコストを比較すると、単発コストと維持費の両面で核兵器が極めて高額であることが分かります。
| 兵器種別 | 単価(円)概算 | 備考 |
|---|---|---|
| 核ICBM(LGM-30) | 約10.5億円 | 旧式でもこの水準 |
| 核SLBM(トライデントII) | 約46.4億円 | 原潜搭載型 |
| 核ICBM(寿命延長込み推計) | 約127.5億円 | 最新型に近い規模 |
| 戦闘機(F-35A) | 約150億円 | 日本調達価格(本体+初期部品) |
| 主力戦車(10式戦車) | 約9億円 | 陸自調達価格 |
| イージス艦(まや型) | 約1,700億円 | 建造費のみ(武器含む) |
| 巡航ミサイル(トマホーク) | 約1.5〜2億円 | 1発あたり |
比較のポイント
ICBM(核)は、単発価格だけ見れば最新戦闘機1機と同等〜やや安いものもあるが、これは単純比較であり、実際は搭載弾頭や維持インフラ込みで大幅に高くなる。
SLBMや最新ICBMは最新戦闘機とほぼ同額かそれ以上。
核ミサイルは弾頭そのものだけでなく、発射施設・警戒網などの固定費が別途必要。
| 兵器種別 | 年間維持費(円) | 備考 |
|---|---|---|
| ICBM(米例) | 約723億円 | 1ミサイル部隊全体の維持費 |
| 戦闘機部隊(F-35A 1個飛行隊) | 約400〜500億円 | 燃料・整備・パイロット訓練含む |
| 主力戦車大隊 | 数十億円 | 燃料・整備・部品交換など |
| イージス艦1隻 | 約100〜200億円 | 乗員・燃料・整備含む |
比較のポイント
核ミサイルの維持費は戦闘機1個飛行隊を凌ぐ規模。
戦闘機や戦車は実戦・訓練で使用されるが、ICBMは「撃たないこと」が前提にもかかわらず高額な待機費用が発生。
維持費の大部分は24時間即応体制・安全管理・高度警戒システムの常時稼働に由来。
単発コストでは核兵器=戦闘機クラス
装備単体では戦闘機や大型艦艇と同等かやや安価に見える場合もある。
維持費では核兵器>通常兵器
発射準備・弾頭保守・安全保障要員・地下施設維持などの特殊インフラ費が巨額。
費用対効果は特殊
通常兵器は「使えば効果が発現」するが、核兵器は「使わないことで抑止効果を発揮」するため、費用対効果の評価軸が根本的に異なる。