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江端さんのひとりごと

「神の火」

2000/06/10

「いいか、草介。人が死ぬような放射能といえば、3000から4000ミリシーベルト以上だ。

そんなものすごい量の放射線を一気に全身に浴びるのは、チェルノブイリのように炉心が融けて剥き出しになる事故か、核爆弾しか考えられない。

だから、こんなふうに考えて欲しい。

人が健康に生きていくための許容被曝量線は、年間5ミリシーベルト。

胃のレントゲン検査一回で、約4ミリシーベルト。原発から出る放射線は、年間0.05ミリシーベルト以下。

それよりは確実に多い。人によっては身体に影響が出るかも知れない。危険というのはそういう意味だ」

「そうなると、あのチェルノブイリというのは、ものすごい事故やったんやな・・・・・・」

----- 高村薫 「神の火(下)」より抜粋

人が死ぬような放射能と言えば、「炉心が融けて剥き出しになる事故」か、「核爆弾」しか考えられないと、誰もが思っていました。

まさか、民家の中にある民間工場で、核爆弾の直撃をも超える1万1000ミリシーベルもの、もの凄い量の放射線を生み出す『臨界』が起こり、

その工場で作業してた工員を死に至らしめ、周辺住民を数千シーベルトの放射能の嵐の中に、数時間も放置するような事故が、

よりによって、世界中のどの国よりも原子力の恐ろしさを身にしみているはずの、我が国日本で起こるとは -----

一体、誰が予想できたでしょうか。

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1999年9月30日、午後9時。

いつもより少し早めに帰宅した私は、荷物を置き、服を着替えながら、歌番組のテレビを何気なく眺めていました。

いつも通りの日常が、一瞬して恐怖の一夜となる一番最初の出来事は、嫁さんの次の一言でした。

「東海村で、臨界事故があったんだって」

臨界事故?

その時私は、嫁さんが「一次放射能冷却水漏れ」か、あるいは「炉心制御棒の制御装置の故障」の話からたまたま出てきた、『臨界』という言葉を『臨界事故』と聞き間違えたんだろうと思いました。

その証拠に、テレビでは何事もないように、歌番組が続いていましたし、万一そんな事故が起こっているなら、警察は勿論、自衛隊の出動だってありえると思いましたから。

ところが、NHKにチャンネルを換えてみたら、そこには前日辞任を表明したばかりの野中官房長官が、東海村住民に外出禁止勧告を出しているところでした。

私は、一瞬自分の体から血が抜き取られたれ、床がぐにゃりと曲がるような錯覚を感じると同時に、そして誰のものか分からないような声で、テレビに向かって大声で吐き捨ていました。

「馬鹿野郎が! ついにやりやがったな!! これでこの国は終わりだ!!」

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日本は、この狭い国土に、なんと47基の原子炉を持つという、間違いなく世界一の原子力立国です。発電に占める割合も、火力発電を抜いて現在トップとなっております。

なんでこんなに多くの原子炉があるかといえば、、日本政府の原子力政策に負うところが大きいのですが、基本的に発電所の建築コストが、他の火力や水力発電にくらべて、ぐっと安いのです。

それに、下流の村を水没させることもないし、地球温暖化で問題となっている二酸化炭素を大気に撒き散らすこともないし、何も起こらなければ、確かに「世界一クリーンなエネルギー」

ところが、原子力というのは他のエネルギーと加えて、極めてコントロールが難しいエネルギーなのです。

原子力エネルギーの最も簡単な利用方法は、「原子力爆弾」です。

一瞬にエネルギーを放出すれば終わりです。

問題があるとすれば、携帯軽量化が難しいことです。

このような爆発を起こすためには、どうしてもある一定以上の原材料が必要となり、どう小さく作っても、一つの街を灰にしてしまうものになってしまいます。

まさか、原子力発電所で、原子爆弾のようにエネルギーを放出するわけにはいきません。

そんなことしたら原子炉なんて紙細工のように吹き飛んでしまいます。

原子力発電の技術の粋は、要するに「少しずつ、だましだまし、エネルギーを引き出す」ことにあります。

決して、暴走させてはならない。

しかし、沈黙させてもならない。

原子力発電に使う、原子力エネルギーとは、そもそも自然界において「暴走」か「沈黙」の2つの状態しか持たない物質を、そのどちらの状態にも置かせないで、しかも一定量のエネルギーを引き出さねばならないという、綱渡りも似た超高精度の制御を必要とするものなのです。

そして、もう一つ。決して忘れてはならないことがあります。

原子力は、いったんエネルギーを放出し始めたら止めることができません。水をかけたり、いつかは燃える物がなくなって消える火とは、全く性質が異なります。

数百年から先年の単位で、人体に有害な強力なエネルギーが巻き散らされ続け、それを決して停止させることができないのです。

そのエネルギーは、人間の臓器をずたずたにし、遺伝子を破壊し、変種の細胞(ガン細胞等)を発生させます。

特に母体の胎児に対する影響は深刻です。

はっきり言って、原子力は危険です。

そもそも科学技術というもので、完全に安全なものというものはありませんが、それ以上に、この完全でない技術は、おおよそ完全とは縁の遠い人間の手で運用されているのです。

いったん壊れたら最後、周辺地域を死滅させる技術の恩恵というものが、どれほど人間に必要なものなのか、私にはよく分からないのです。

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臨界とは、ある一定量の放射性物質が、一個所に集められることによって、互いの放射性物質を互いを叩き合うことで、そのエネルギーである放射線が全力で撒き散らされる状態をいいます。

この撒き散らされる放射能というのは、光に匹敵する速度で放たれる、全方向向きの機関銃の一斉掃射のようなものです。

加えて、そのエネルギー量は弾丸の比ではありません。

人間の体などは言うまでもなく、建物の壁も簡単にぶち抜きます。

ちなみに、レントゲンは、弱い放射線を非常に短い時間一斉照射し、それが通過した箇所と、通過しにくかった箇所を比較することで、レントゲン写真として写されるわけです。

当然、体を無数の放射線によって打ちぬかれるレントゲン撮影が、危険でないわけがありませんので、レントゲン技師は、写真を撮るとき、金属ドアの向こうに逃げる訳です。

ちなみに、コンピュータのバグで、このレントゲン写真の照射時間の桁を間違えて、人を殺してしまった事故もあります。

臨界事故と聞いた瞬間、私の目の前には外壁が吹き飛んで、炉心がむき出しになった原子炉と、臨界の放射性物質の濃縮ウランが破片となって飛び散り、空から降ってくる死の灰が見ました。

わずか1グラムで半径500メートルの人間を殺傷するという廃棄放射性物質プルトニウムなんぞが、目に見えない粒で体に付着したり、万一体内に入ったら、命の助かる見込みはありません。

体内から放射線の一斉掃射をされて、平気なわけがありません。

即死という慈悲すらもなく、数時間から下手をすれば数年かけて、臓器の機能が次々と停止し、訳の分からない苦痛の中で、手立てもなくじわじわと死んで行くしかない。

放射性物質が我々に与える死とは、最大級の苦痛を共なう最も残酷な死なのです。

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テレビを見た瞬間、私が考えたのは、東名高速道路への最も速いアクセスの方法でした。

この社宅から脱出するのに必要な時間と、名古屋の実家への連絡。

そして、同時に、東海村から飛び散った濃縮ウランが、都心を超えて神奈川に飛来する時間を計算していました。

東京を含み関東一帯はほぼ全滅。

名古屋も決して安全ではない。

場合によっては、嫁さんと子供だけでも、福岡(嫁さんの実家)に避難させ、それもかなり急がねばならない。

事態が解明されるにつれ、避難する車で高速道路は麻痺状態に陥ることは確実でした。

場合によっては、緊急車両優先のため、全てのインターチェンジが封鎖されるかもしれない。

官房長官のコメントを聞いている限りでは、危険な状態にある地域は限定されているとのことでしたが、古今東西、「国の安全宣言」ほど信用の出来ない宣言はありません。

世界で最初に核実験をやったアメリカは、メディアなどの広報機関を通じて、地域住民に対して「安全」を繰り返し宣伝していました。

その結果は、その地域一帯に飛びぬけて高い白血病発病率をもたらし、家族がばたばた倒れていくのを、ただ見ているしかない状況となりました。

チェルノブイリの近く、ロシアのキエフでは、放射性ウランが大気にばらまかれたその当日にすら、事故のことは住民伝えられませんでした。

住民はいつもと変わらない週末の公園の散歩を楽しみながら、大人から子供に至るまで、致死、あるいは後遺症と呼ぶにはお釣が来るくらい悲惨な状態になるほどの放射性物質とその放射線を喰らったのでした。

内閣官房長官は、半径500メートルの住人は『屋外に出ないように』と勧告をしていました。

雨や夜露じゃあるまいし、民家の壁を軽くぶち抜く放射線に対して、そんな警告が何になるんだろうと、慌ただしく脱出経路を考えながら、頭の中で思っていました。

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皆さんに警告します。

国は、絶対に『逃げろ』と言いません。

というか、言えないのです、立場上。

なぜなら、日本国政府は、原子力産業を基幹に据えるエネルギー政策を行うにあたって、『原子力の絶対的な安全性』を国民に対して約束しているからです。

『逃げろ』と言うことは、日本国政府は国民に対して嘘をついていたことを、公に認めることになってしまいます。

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話はちょっと変わりますが、何年か前、動燃(動力炉核燃料事業団)が、事故の隠蔽を図り、何度も嘘の上塗り繰り返し、その都度、嘘が見つけられ、その度に謝罪会見をしていた、見苦しいことこの上もない愚劣な行為を繰り返していたことがあります。

この時、私は「こりゃ、いいなあ」と思いました。

まず嘘をつく。

嘘が見つかったら謝る。

見つからなければ黙りつづける。

正直に言っても、どっちみち怒られるなら、黙っていて見つからないほうに賭ける。

これは、公に責任を持たない利己的な個人の理論としては、正しいと思いますが、いったん壊れたら最後、周辺地域を死滅させる原子力を管理する公の機関が、まあなんということか、この理論で動いている。

その為に民草たる民衆の命なんぞは後回しにして、自己保身のために動き、最後まで謝罪を渋り、謝罪した後は、我々の血税から賠償金の支払いをする。

何の邪心も憤りもなく、心から素直に『やっぱり、体制サイドは、おいしいなあ』と、羨ましく思ったものでした。

閑話休題

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私が、尋常ではない脅え方をしているのをみて、嫁さんの方もつられて脅え始めたようです。

一般的に、世の中一般の原子力に対する意識は、嫁さんと大体同じくらいのようですが、良いとか悪いとか関係なく、私はそれが一般的だと思っています。

だって、放射能の人体に対する影響なんて、義務教育では絶対に教えないんですもの。

米国の原爆教えても、日本の南京大虐殺を教えないようなもんです。

そうして、やがて私は、でたらめな歴史を信じている被害妄想の爺さんとして扱われて、孫たちに嫌われるようになるんだ。

ふん、だ。

しかし、ニュースを聞いているうちに、『なんで、原子力発電所の名前がでてこないんだ?』と不思議に感じ始めました。

ウラン加工施設で臨界事故、と言うのがどうにも解せません。

ニュースの話を聞いていると、原子炉が爆発したという話もなければ、自衛隊の治安出動の話もありません。

東京が放射能汚染されるとなれば、当然、極東地区の軍事バランスは一気に崩れます。

「北」が動き、朝鮮半島に再び火がつくというという論説は、まだ出ないとしても、どうも事件が局地的な様相を呈しているのが、しっくりきませんでした。

なぜ自衛隊と警察は組織の総力を挙げて、住民の大エクゾダス(脱出)を指揮しないのかをしないのだろうか?

そして、ニュースを見ているうちに、臨界事故の原因が、てんで全くお話にならない稚拙な事故から発生したことがわかってくるにつれ、私は、徐々に腸が煮え繰り返ってくるのを感じていました。

「・・・・阿呆か」

そもそも放射性物質は、それ自体が放射線を巻き散らかす物質なので、分散して管理するのが当たり前です。

放射性物質を過度な密度で一個所に集めれば、自然に核分裂反応を始め『臨界』に至るのは、物理学の「いろはのい」よりもっともっと前。

今回の事故の真相は、「規定量をはるかに超えたウラン溶液を、一個所の容器(沈殿漕)に集めた為に『臨界』が始まってしまった」という、信じられないくらい馬鹿馬鹿しい事故だったのです。

原子力やら放射能やらと聞くと、何やら私たちの生活に直接関係がない難しそうなもの、と思われる方も多いと思いますが、別にそんなことはありません。

ウラン鉱石などは、日立(日立製作所ではない)などでも産出されています。

その石自体は、あまり強くはありませんが、放射線を撒き散らしています。

民間人には難しいかもしれませんが、適度に精製して溶かしたものを、一定量以上トイレの掃除用のバケツにでもほうり込んでおけば、自然に臨界は始まってしまいます。

しかし、臨界が一旦始まってしまったら最後、その放射性物質のポテンシャルエネルギーが消えてなくなるまで、

----- 何百何千もの熱白ライトが一箇所に集まり、その圧倒的な光源から発せられる光線の束が、体を通り抜け、後を見ると自分の影すらもない -----

というような、目には見えない放射線を撒き散らし続けるのです(*1)。

(*1)可視光線も放射線の一種です。非可視光線の紫外線などは、皮膚ガンを誘発することで危険と言われていますが、体を「貫通」するほどのエネルギーはありません。

今回の臨界事故が、

- チェルノブイリ原子力発電所事故の様に、大気中に、放射性物質が放出された訳ではないこと

- 危険区域は、臨界発生地点の周辺に限定されること

すなわち、臨界発生地点は、事故現場一個所に集中され、放射能物質漏れが引き起こす大気汚染や土壌汚染の心配は、とりあえずしなくてよいことが分かったからです(*2)

少なくとも放射性物質が、空から降ってくることがないことをようやく理解し、私はへなへなと、畳の上に座り込んでしまいました。

少なくともこれで、全力で逃げ出す算段は考えなくてよいと思ったからです。

(*2)強力な放射能を照射された物質は、それ自体が放射性物質に転換することもあります。

ほっとしたのも束の間。

現在、放射能の台風の目のど真ん中にいる、東海村やその周辺の人たちにとっては、放射性物質が大気に放出されようがされまいが、凄まじい放射線の嵐の中にいるという事態は何も変わっていません。

私は、東海村近くの、日立製作所おおみか工場で、半年近く一緒に働いてきた仲間がいました。

皆、私が困ったときには、すぐに駆けつけて助けてくれた、本当に気持ちの良い同僚でした。

少なくとも、私と私の家族が放射能の直撃をくらう場所にはないことを確認した後も、私は彼らのことを考えると、身が締め付けられるような苦しさを覚えました。

-----

臨界が停止するまでの間の、今回の事故の経緯を以下に記述します。

JCO転換試験棟で、作業員が「青い火を見た」と言う臨界事故が発生したのが、9月30日午前10:30。

この瞬間、試験棟内の臨界警報装置が一斉に吹鳴。

10分後に従業員がグランドに避難(この間の被曝推定量は、後述)。

事故発生から50分後、JCOが科学技術庁に「臨界事故の可能性がある」との文言を含んだFAXを送付。

茨城県庁に連絡が入り、東海村に事故対策本部が設置されるのが、事故発生から1時間後。

その後、科学技術庁への第2、3報の連絡、ひたちなか西署に対策本部設置、現場から半径200メートル以内の立ち入り規制。

この時、現場に立った警察官は、防護服の着用を指示されていませんでした。『住民の安全を確保できない状況で、警察官だけが防護服を着るように指示を出せなかった』と言う幹部の判断は、ナンセンスかもしれないけど、その苦しい立場は理解できました。

東海村に災害対策本部設置などやって、ようやく村内広報が開始されたのが、事故発生から2時間後の12時30分。

臨界の放射線の嵐の中で、住民に何も知らせず2時間!

事故現場半径500m以内の住人170戸に避難の「勧告」をしたのが、さらに1時間半後の14:00。

15:00 東海村は法令(災害対策基本法)に基づかず、独自の判断で半径350m以内の住人に避難を「要請」。

この辺になって、ようやく内閣に詳細な情報が届くようになります。

マスコミがこの事故に気がつき、日本全国に速報として届いたのが、夕方頃。

私が調べた限り、この時点では、事故現場を除いて日本中のどこにもパニックは発生していません。

この事実に、私は頭を突かれたようなショックを受けました。

「臨界事故」と聞いた瞬間、爆発して炉心がむき出しになった原子炉を想像した、私のような人物はほとんどいなかった、ということだからです。

21:00 帰宅した私が、歌番組のチャンネルからNHKに替え、自失呆然となっているところに飛びこんできたのが、原子力安全委員会の「再臨界の可能性がある」との見解発表でした。

この時、私は暗澹たる思いになったのを覚えています。

一体、誰がどうやって臨界を止めるのか?

第一、暴走を始めた臨界を止める手立てが本当にあるのか?

例え防護服を厳重に着用したとしても『臨界の原子炉の中に入って、制御棒を手で入れてこい』と、同じような命令を、一体、誰が出し、誰が受けることができると言うのか。

23:30 科学技術庁は、核分裂反応を抑えるために、冷却装置の水抜きをすると発表。

核分裂を起している容器は、冷却装置で覆われています。

この冷却装置の水は、放射線を透過しにくい為、放射線は水によって跳ね返され、再び核分裂物質を叩くことになります。

その結果、再臨界が発生していると判断したようです。

しかし、私は、もしそれで、臨界が止まらなかったら、水を抜いた分、さらに強烈な放射線が放出されるのではないか、と考えていました。

多分、国や科学技術庁は、この国の終わりの日まで、決して公表することはないと思いますが、

---- もう、それしか、残された手がなかった -----

と、私は信じています。

そして、ついに、JCO社員から18人が指名され「決死隊」が結成されます。「嫌なら断ることもできる」と言われても、誰も辞退しなかったそうです。

職場長が人選を始め、短時間で作業を終えるため、ベテランの8組16人がまず、指名され、防護服を着た作業員2人が転換試験棟に近づいたのが、午前2時35分。

3:00 沈殿漕の冷却水を抜き取る作業が開始され、4:30 物外部のクーリングタワーの水を抜き取る目的で、タワー下部のドレインをハンマーで叩き壊す為、現場に入りました。

(以下、朝日新聞10月22日朝刊より抜粋)

----- 1人がライトとストップウオッチを手にし、もう1人が写真を撮る。まず、現場の状況を知るためだ。

「ピー」。

1枚目の写真を撮ろうとした瞬間、胸につけたガンマ線の線量計が高い音とともに激しく振動した。

中性子線の被曝量は当初「20ミリシーベルトまで」と計画した。

ガンマ線はその約10分の1と推定した。

警報機能が付いたガンマ線量計を2ミリシーベルトにセットした。

写真を3枚撮り、エンジンをかけっぱなしで待っていた車に飛び込むと、猛スピードで戻った。

転換試験棟のすぐ外に1分いただけで、1人は中性子線を112ミリシーベルト被ばくした。

通常の生活で浴びる放射線量の約100年分だった。

「これでは被曝しに行くだけで、作業ができない」と戻ってきた1組目の作業員が言い張った。

「計画被ばく線量の限度をあげるしかない」。

3分は作業できるように、2組目からは「50ミリシーベルト」に計画変更した。

予定した8組では水ぬきはできず、2組増やした。

2度現場に行った人もいた。

パイプが曲がっていたりして思わぬ事態が続いた。

5組目が配管をハンマーで壊した。

配管に残る水をガスの勢いで抜くための作業を6、7、8組が担当し、9組目がガスのボンベをつないだ。

間もなく、ほぼすべての水が流れ出た。

1日午前6時14分、中性子線は通常値に戻った。

18人全員が被ばくした -----

(抜粋ここまで)

このように、現場での作業の9回目を終えた6:15、東海村村長が、臨界が鎮静化しつつあることを、会見で発表しました。

そして、10月1日午前7:30 東海村村内放送で、住民に対して「放射線が平常値に戻った」ことが伝えられたのでありました。

事故発生から、実に21時間。

この間、臨界の放射線は、JCOの決死の作業隊は勿論、JCOとは何の関係もない、地域住民を襲い続けたのでした。

-----

数日後。

これまでパートナーとして、一緒に仕事をしてきたK嬢が、この度、製品開発支援として、おおみか工場に派遣になることになりました。

今回の臨界事故以前に決まっていた派遣ですが、K嬢は、ユニットの予算担当の私と課長に対して、次のような内容のメールを送ってきました。

『この度、おおみか工場に派遣になることになり、これに伴い、携帯用放射能測定装置をユニット予算で購入したい。

その理由は以下の通り。

(1)先日の事件から明らかなように、政府発表は全然当てにならない。自分の安全は自分で守らなければならない。

(2)この時期に、わざわざ東海村周辺に望んでいきたい訳があろうはずがない。

(3)従って、会社が測定装置の購入を負担するのが筋であると考える。』

私は、彼女のこのメールを受け取って5秒以内に返事を書きだし、3分以内に返事を出し終えました。

『ユニット予算担当者として、正式に認可する。予算枠は無視してよい。もし、誰かが文句を言ってきたら、全力で論陣を張る。即日発注されたし』

私は、「こういうことろでこそ闘わにゃ、私の存在している意味がないだろう」とばかりに、大見得を切ったのでありました。

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後から後から、唖然と通り越して、愕然となる事実が判明してきました。

バケツでウラン溶液を運んでいたこと。

違法な放射性物質の取り扱いを、マニュアル化して、全社で推進していたこと。

そして何より、原子力の基本的な教育を行っていなかったこと。

従業員は、「臨界」の意味すらも知らされず、業務を遂行させられていたの
です。

被曝した作業員が意識不明の重体に陥ったというニュースを、心配そうに見ながら、『助かるといいね』とつぶやく嫁さんに、私は首を横に振ることしか出来ませんでした。

「奇跡が起こって欲しい」と繰り返す関係者やマスコミに対して、私は『すでに奇跡は起こっている』と、心の中でつぶやいていました。

1万1000ミリシーベルト。

今回の事故で、被害者がどれくらいの時間、この放射能の照射を浴びたのかは定かではありませんが、仮にこれを十分間と仮定して、私は電卓を叩いてみました。

びっくりしました。

一人の人間が一年に自然界から受ける放射能(年間5ミリシーベルト)と比較した結果、単位時間あたりの被曝量は、実に1億1563万2000倍。

(計算式)

11000[ミリシーベルト] / 10[min] = 578160000ミリシーベルト / 1 year

578160000 / 5 = 115632000

こんな信じられない量の放射能を、一気に照射されたのにも関わらず、まだ治療が続けられていること。

これを奇跡と呼ばず、何と呼びましょうか(*3)(*4)。

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青い火を見た -----

業務を担当していた作業員が語っていたという、このコメントを聞いたとき、私は、思わず目をつむって、天を仰ぎました。

臨界のウランが発する青い炎。

それは、人間が決して見ることの出来ない、そして、決して見てはならない「神の火」

この「神の火」を見てしまった人のこと、その苦しみと悲しみ、そして間違いなく近づいている運命の日のことを思い、張り裂けそうな胸の痛みで、しばらく何も喋れませんでした。

そして、私は、灯のついていない自分の部屋に入り、パソコンデスクの前に座りました。

真っ黒のディスプレイの画面を睨みつけながら、『決して、忘れてなるものか』『決して、忘れさせてなるものか』と呪詛の言葉を吐きながら、私はパソコンのスイッチを入れました。

(*3)事故発生後83日目、JC0社員の大内久さん(35)が、放射線被ばくによる多臓器不全で死亡

(*4)事故発生後211日目、JC0社員の篠原理人さん(40)が、同じく、放射線被ばくによる多臓器不全で死亡

2000年6月10日現在

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)

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親の介護を真剣にやったなどとは、口が裂けても言えない私ですが、それでも介護によって、私は、人間の人生を「憎悪」するようになりました。

あんなに、愚直に、真剣に、一生懸命、真面目に、私を育てて生きてきた、あんな立派な人たち(私の両親)の、最期が「あれ」かよ、と。

人生のいきつく先が「あれ」であるなら、何か目指す生き方に意義はあるのか?

私が、『何かを目指す生き方』から、『完全に降りた』と確信したのは、父が死に、それに引き続き、母が死んだ時でした。

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両親には申し訳ないとは思うのですが ―― 多分、息子が社会で活躍して、多くの人から尊敬されることを期待していたと思う ―― けど、私は、もう、誰かや、何かを背負うような生き方は、やめたのです。

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と、ここまで書いて、その後の文章を、ChatGPTに作成をお願いしました。

この後の文章を自由に作ってみて下さい。

それでも、両親の最期を看取ったことは、私の中に一つの「自由」をもたらしました。

「何かを目指す」生き方を降りた私は、同時に、何者かであろうとする重圧や、誰かの期待に応えようとする義務感からも解放されました。皮肉にも、あれほど憎悪していた「人生」というものから、少しだけ距離を取ることができたのです。

両親が人生をかけて示してくれたのは、「努力や真面目さが報われるとは限らない」という冷徹な現実でした。そして、それでもなお、人間として生きる意味や価値を模索し続ける姿勢そのものでした。

彼らの死を通じて学んだのは、結局、何を成し遂げるかよりも、「どのように生きるか」が重要なのかもしれない、ということです。誰にも期待される必要はない。何かに縛られる必要もない。ただ、自分が「生きている」と思える瞬間を、大切にすればいいのだと。

そう考えると、心に少しだけ余白が生まれました。かつての私なら、そこを何かで埋めようと必死になったかもしれませんが、今はその余白をそのままにしておこうと思えます。空っぽのままでいる自由を、ようやく受け入れられるようになったのです。

人生の意味に疑問を持ちながら、それでも生きる。両親が残してくれた、最後の贈り物のように思えます。

そうではなくて、『人生に意義がない』ことを強調するネガティブな文章をお願いします。

人生に意義なんてない――それが、私が介護を通じて悟ったことのすべてでした。

どれだけ真剣に生きようが、どれだけ他人に尽くそうが、その果てに待っているのは、ただの衰えと死。それだけのことです。苦労して築き上げた何かも、記憶に刻まれた思い出も、最後にはすべて霧散する。肉体は弱り果て、意識は曖昧になり、最終的には他人の手を借りて生きるしかなくなる。それが「人生」というものの正体です。

私の両親は、生涯を通じて誠実で、努力を惜しまない人間でした。それでも彼らの最期は惨めでした。尊厳なんてものはとうに消え失せ、他人に世話をされながら、それでも生きることを強いられる日々。その姿を目の当たりにしながら、「こんな終わり方をする人生に意味などあるのか」と、何度も問い続けました。

もし人生に何らかの意義があると信じていたなら、私は今でも何かに挑み続けていたでしょう。しかし、そこに何の意味も見出せなくなった今、私はただ「何も目指さない」という選択をしたに過ぎません。無意味なものに努力を注ぐほど馬鹿らしいことはありません。

「何かを成し遂げること」には価値があるという幻想が、いかに多くの人を欺いてきたことか。その先にあるものがただの虚無である以上、そこへ向かう過程にどんな輝きがあったとしても、それは錯覚に過ぎません。すべては、いずれ消え去る泡のようなものです。

そして、その泡を追いかける行為こそが、人間の愚かさの象徴だと、私は思わずにはいられません。

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私は、こちらの文章の方に「いいね」を付けました。

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腹部付き上げ法

(1)成人・高齢者ケース
窒息している人の背中を強く叩く(躊躇しない)
下あごを支えてうつむかせる(首をしめないように)
手の平に付け根で、肩甲骨の間を強くたたく

(2)幼児の場合

異物が出てくるまで『虐待』と見えるくらい乱暴にぶっ叩く(by 江端主観)

これで駄目なら次の方法

腹部付き上げ法(妊婦や幼児にやってはだめ)

へそと鳩尾の間に握りこぶしを作り、力一杯閉め上げる(を5回)
# 「強制的に嘔吐させる」というイメージだったように思う

で、これでも駄目で呼吸が確保できなくなったら、
心臓マッサージを開始

5cmというと相当凄い。肋骨を折るいきおい(多分折っても構わんと思う))勢いになる。100-120回というのも凄い運動量で、気持ちとしては「喧嘩の相手を殺す」くらいの気持ちでいいんじゃないかな(by 江端主観)。

救急車が届くまで、ずっと続ける ―― 諦めないで、ずっと続けること

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ちなみに、私が実家で、(亡き)父に雑煮を作っていたとき、餅は全部「さいころサイズ」にしていました。

というか、我が国の雑煮の餅は「さいころサイズ」で統一していいんじゃないかな ―― 美味しいですよ(本当)。

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(追記) その後、嫁さんと、この2つの方法について実際に練習をしたのですが、

『もっと強く叩いて!』などとアドバイスしていて、娘に"妙な勘違い"をされるのではないかと、心配になってきました。

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不特定多数の人間と性交渉することが、インモラルである、ということの根拠を説明してください

倫理的・道徳的な観点から、不特定多数の人間と性交渉する行為が「インモラル(道徳的に問題がある)」とされる理由は、以下のような点が挙げられます。ただし、これらの議論は文化、社会的価値観、宗教的背景などによって異なるため、普遍的な真理として受け入れられるわけではありません。

1. 社会的規範に反する可能性

多くの文化や宗教では、一夫一妻制や特定の相手との忠実さが推奨されており、不特定多数との性的関係はその規範に反するとみなされます。こうした規範は、家族制度や社会の安定を維持するために形成されてきた歴史があります。

2. 信頼と誠実さの欠如

性的な関係は、しばしば信頼や誠実さを基盤とした親密な関係の一部と見なされます。不特定多数との関係は、特定の相手に対する誠実さを欠くものと解釈されることがあり、その結果、信頼の破壊や人間関係の悪化を引き起こす可能性があります。

3. 性的健康と安全のリスク

複数の相手と性交渉を持つことは、性感染症(STI)のリスクを高める要因となります。また、相手にそのリスクを伝播させる可能性があるため、他者への配慮や責任の欠如として批判される場合があります。

4. 感情的な損傷の可能性

性的関係が深い感情的結びつきを伴うことが多い場合、不特定多数との関係は感情的な摩擦やトラブルを生みやすいとされています。たとえば、関係を持った相手の感情を軽視する行為とみなされる場合があります。

5. 宗教的・哲学的観点

特定の宗教や哲学的な立場では、性的行為は神聖なものと考えられ、軽率に行うべきではないとされています。不特定多数との関係は、この価値観に反するものとして批判される場合があります。

6. 他者への影響

家庭や恋愛関係において不特定多数との性的関係が発覚することで、パートナーや家族に精神的なダメージを与えることがあります。その結果、個人的な幸福だけでなく、他者の幸福や信頼を侵害する行為と見なされることがあります。

結論

不特定多数の人間と性交渉を持つ行為が「インモラル」とされる背景には、社会的規範、信頼関係の重要性、健康上の懸念、宗教的価値観などが複雑に絡み合っています。ただし、現代の多様な価値観において、個人の自由やプライバシーを尊重する動きも強まっており、この問題に対する見解は一様ではありません。

不特定多数の人間と性交渉することで利益を得ることを禁止する法律の立法根拠はどのようなものでしょうか

不特定多数の人間との性交渉を通じて利益を得ることを禁止する法律(売春防止法など)の立法根拠は、主に以下の観点に基づいています。これらは、社会の秩序や個人の人権を守る目的で制定されることが一般的です。

1. 社会秩序の維持

売春などの行為が広がると、犯罪や違法行為(人身売買、暴力団の関与、薬物犯罪など)と結びつきやすいとされています。こうした状況を放置すれば、社会の秩序や治安が悪化する可能性があるため、法律によって規制されています。

2. 人権の保護

不特定多数との性的関係を通じて利益を得る行為が、しばしば人身売買や搾取につながるケースがあります。特に弱い立場にある人々(貧困層、未成年者、移民など)が強制的または半強制的に従事させられることが問題視されています。このような搾取から個人を保護することが立法の重要な目的です。

3. 公共の福祉

売春の合法化や拡大が地域社会に与える影響が懸念されます。性的サービスを提供する施設が増えると、地域の住民に不安を与えるだけでなく、子どもや若者への悪影響が懸念されるため、公共の福祉を守る観点から規制されます。

4. 倫理的・文化的価値観

多くの国や地域では、性的関係が個人間の親密な行為として捉えられ、それを商業的な活動とすることは道徳的に不適切とみなされています。この倫理的な価値観を反映して、売春などの行為が禁止される場合があります。

5. 健康リスクの管理

売春業の蔓延は、性感染症(STI)の拡大リスクを高めるとされています。これにより、公衆衛生の問題が発生するため、法律によって規制することで、感染症拡大の抑制が図られています。

6. 経済的搾取の防止

売春や性産業が合法化されると、雇用主や仲介者が労働者を過酷な条件で働かせることがあり、経済的搾取の問題が発生します。こうした状況を防ぐため、法律で利益を得ること自体を禁止する場合があります。

7. 性の商品化への批判

性的関係を商業的取引の対象とすることは、人間の尊厳や性的自由を侵害する行為とみなされる場合があります。この観点から、性の商品化を規制する法律が制定されています。

結論

不特定多数の人間と性交渉することで利益を得る行為を禁止する法律は、社会秩序や公衆衛生の維持、弱者保護、人間の尊厳を守ることを目的としています。ただし、このような規制が十分な保護を提供しているか、または労働者の権利を適切に考慮しているかについては、国や地域によって議論が分かれることがあります。

不特定多数の人間と性交渉することによって利益を得ることが、完全な自由意思で行われている場合、これを罪とする法律的または倫理的根拠はどのようなものになるでしょうか

不特定多数の人間と性交渉することによって利益を得る行為が、完全に自由意思で行われている場合でも、それを罪とする法律的・倫理的根拠には以下のような理由が挙げられます。ただし、これらの根拠が普遍的に受け入れられるかどうかは、社会や文化、法体系によって異なります。


法律的根拠

  1. 公共の福祉や秩序への影響
    性的サービスが商業化されると、公共の場での規範や秩序が乱れる可能性があります。これを防ぐために、行為の自由意思の有無にかかわらず法律で規制する場合があります。特に、こうした行為が地域社会の治安や道徳に悪影響を及ぼすとされる場合には、個人の自由よりも公共の利益が優先されると考えられます。
  2. 間接的な被害防止
    自由意思で行われている場合でも、性産業全体が人身売買や搾取、暴力などの温床になる可能性があります。このため、個々のケースが合法的であったとしても、業界全体の問題を予防するために包括的な禁止が行われることがあります。
  3. 難しい自由意思の判定
    表面的には自由意思に見える場合でも、経済的困窮や社会的プレッシャーなど、間接的な強制が存在することがあります。法制度はこれらの微妙なケースをすべて判別することが困難であるため、包括的に規制することが正当化される場合があります。

倫理的根拠

  1. 人間の尊厳の保護
    性的行為を商品として取引することは、人間の尊厳を損なう行為とみなされる場合があります。この観点から、たとえ当事者が自由意思で行ったとしても、社会全体の価値観や倫理観に基づいて批判されることがあります。
  2. 性の商品化への批判
    性的関係は本来、親密さや感情的なつながりを基盤とするものであると考えられる場合、それを金銭と引き換えに取引する行為は、性そのものを商品化する行為として批判されます。これにより、社会全体の倫理的基盤が揺るがされる可能性があるとされます。
  3. 他者への影響
    性産業の存在が一般の人々、特に若者や子どもに与える倫理的・心理的影響が懸念されます。自由意思に基づく行為であったとしても、その行為が社会的に「普通化」されることで、他者の価値観や行動に悪影響を及ぼす可能性があります。
  4. 道徳的規範の保護
    多くの社会では、特定の道徳的規範が共有されており、これを守ることが社会の秩序を維持するうえで重要とされています。不特定多数との性的関係を利益目的で行うことは、こうした規範に反するとされることがあり、倫理的な問題とみなされます。

議論の余地

自由意思に基づく性産業の規制については賛否両論があります。一部では、個人の自由を尊重し、適切な規制と労働者保護を行えば問題ないとする立場もあります。対して、社会全体への影響や倫理的懸念を理由に禁止すべきとする意見も根強くあります。

結論として、自由意思の有無にかかわらず、法的・倫理的な規制が課される背景には、社会全体の秩序、他者への影響、人間の尊厳といった広範な観点が含まれています。

我が国においては、未成年との性交渉が罪になることがありますが、この条件とその根拠を教えて下さい

日本において、未成年者との性交渉が罪とされる場合、その条件と法的根拠は以下の通りです。


1. 条件

(1) 児童買春・ポルノ禁止法(児童買春罪)

  • 条件
    未成年(18歳未満)の児童に対して金銭や物品などの対価を提供し、性的行為を行う場合。
  • 法的根拠
    児童買春・児童ポルノ禁止法(正式名称:児童買春、児童ポルノに係る行為及び児童の福祉に関する法律)。特に第2条と第4条で規定されています。
  • 罰則
    5年以下の懲役または300万円以下の罰金。

(2) 強制性交等罪

  • 条件
    未成年者の同意の有無にかかわらず、脅迫・暴行を用いて性的行為を行った場合。
  • 法的根拠
    刑法第177条(強制性交等罪)。
  • 罰則
    5年以上の有期懲役。

(3) 青少年保護育成条例(自治体条例)

  • 条件
    各自治体が定める条例に基づき、青少年(概ね18歳未満)に対する性的行為やそれを目的とした出会いを禁止している場合。
  • 法的根拠
    都道府県の青少年保護育成条例。多くの場合、性的行為だけでなく、その誘引や準備行為も処罰対象となります。
  • 罰則
    自治体により異なるが、懲役や罰金が科される場合があります。

2. 根拠

(1) 未成年者の保護

未成年者は心身ともに成熟していないとされ、性的行為に関する判断能力が十分でないと考えられています。そのため、成年者との性交渉が未成年者に対して心理的・身体的な被害を与える可能性を防ぐための規定です。

(2) 性的搾取の防止

未成年者が経済的困窮や環境的要因から性的行為に巻き込まれるリスクを軽減する目的があります。特に児童買春は経済的搾取や人権侵害とされ、厳しく規制されています。

(3) 社会的倫理と道徳の維持

未成年者との性的関係を規制することは、社会全体の倫理的価値観や道徳を保つ役割があります。特に18歳未満は「保護されるべき存在」として認識され、性的対象とすることは社会的に許容されないとされています。

(4) 犯罪抑止効果

未成年者に対する性的犯罪は、被害者の人生に深刻な影響を与える可能性があります。そのため、未然に犯罪を防ぐ抑止力として厳格な法律が設けられています。


3. 特記事項

  • 同意の有無に関係なく犯罪となる場合がある
    未成年者が自発的に同意した場合であっても、その行為が法律や条例で禁止されている場合には罪に問われる可能性があります。
  • 年齢詐称があった場合
    相手が意図的に年齢を偽った場合でも、相手が未成年と知らなかったことを証明する責任が加害者側に求められる場合があります。

結論

未成年者との性交渉を罪とする法律の条件と根拠は、未成年者の心身の保護、性的搾取の防止、社会的倫理の維持、犯罪抑止を目的としています。これらの法律や条例は、未成年者を守るために制定されており、個々のケースに応じた適用が求められます。

ここでいう「倫理的価値観や道徳」がどのようなものになるのか言語化して下さい。

ここでいう「倫理的価値観や道徳」とは、社会が共有する規範や価値観の集合体であり、人々が互いに尊重し合い、調和を保ちながら生活するための基盤を指します。これを未成年者との性交渉に当てはめると、次のように言語化できます。


1. 子どもの尊厳と未熟性への配慮

  • 価値観
    子どもは心身ともに成熟しておらず、性的な行為に伴うリスクや影響について十分な判断能力を持たない存在とされています。そのため、子どもの尊厳を守り、彼らを適切に保護することが大人の責任であるという倫理観が含まれます。
  • 道徳
    子どもは性的対象ではなく、健全な成長を支えるべき存在であり、大人はその成長を妨げないようにすべきであるという道徳的義務。

2. 権力や立場の不均衡への対応

  • 価値観
    成人と未成年者の間には、身体的・精神的成熟度や経済力、社会的地位などで大きな不均衡が存在することが多く、これを悪用することは倫理的に許されないという認識。
  • 道徳
    未成年者は立場が弱い存在であり、大人はその弱さを利用してはならないという道徳的責務。

3. 性行為の適切な場とタイミング

  • 価値観
    性的行為は、十分な判断能力と合意に基づく対等な関係の中で行われるべきものであり、未成年者はそのような関係を築く準備が整っていないと考えられています。
  • 道徳
    性行為は個人間の親密な絆を育む行為であり、未成年者にそのような関係を強要することは道徳に反する。

4. 社会的影響への配慮

  • 価値観
    子どもが性的対象として扱われる社会は、他の子どもたちやその周囲の人々に対して深刻な心理的影響を与える可能性があり、そのような事態を防ぐことが社会全体の利益になるという考え方。
  • 道徳
    子どもたちが安心して成長できる環境を守るため、大人が範を示し、行動を慎むべきだという道徳的義務。

5. 人間の尊厳と社会の調和

  • 価値観
    すべての人間は年齢に関係なく尊厳を持つべき存在であり、特に未成年者は社会の保護を受ける権利を持つという信念。
  • 道徳
    社会全体が調和を保つためには、未成年者を搾取や危害から守り、彼らが安心して生活できる環境を整えることが重要。

結論

「倫理的価値観や道徳」とは、未成年者を尊重し保護するために社会が形成してきた規範であり、その背景には未熟な存在への配慮、権力の不均衡の是正、性行為に対する適切な判断の尊重、社会全体への影響への配慮といった要素が含まれています。これらは、社会の健全性や次世代の成長を支えるための共通理解といえます。

不特定多数の人間と性交渉することによって利益を得ることが違法とならない国があれば教えて下さい。

不特定多数の人間と性交渉することで利益を得る行為が違法とならない国や地域として、以下の例が挙げられます。ただし、合法化されている場合でも厳格な規制や条件が課されることが多く、無制限に許可されているわけではありません。


1. オランダ

  • 状況: 売春は合法であり、職業として認められています。売春婦は労働者として登録され、税金を支払う義務があります。
  • 規制: 公的なライセンスが必要で、衛生や安全が確保されるように厳しく管理されています。また、未成年者や強制的な売春は厳格に禁止されています。

2. ドイツ

  • 状況: 売春は合法であり、2002年の「売春法」以降、性的サービス提供者は正式な労働者としての地位を得ています。
  • 規制: 働く場所や条件が法律で定められており、健康診断や納税義務が課されています。

3. ニュージーランド

  • 状況: 2003年の「売春改革法」により売春が合法化され、性的サービスを提供する人々の権利が認められています。
  • 規制: 労働条件や安全対策が重視され、強制売春や人身売買に関与する行為は厳しく罰せられます。

4. スイス

  • 状況: 売春は合法であり、特定の条件下で許可されています。登録や税金の支払いが求められます。
  • 規制: 各州ごとに異なるルールが適用され、売春エリアや営業時間が制限されている場合があります。

5. オーストラリア(一部の州)

  • 状況: 州ごとに規制が異なりますが、ビクトリア州やニューサウスウェールズ州などでは売春が合法です。
  • 規制: 法律に基づき運営される施設が必要で、違法行為(未成年者の関与や強制売春など)は厳しく取り締まられています。

6. カナダ

  • 状況: 2014年に施行された法律により、性的サービスを購入する行為が犯罪とされましたが、売春そのものは違法ではありません。
  • 規制: サービス提供者が搾取されないよう保護する一方で、サービス購入者への罰則が科されています。

結論

これらの国々では、性的サービスを提供する行為が合法化されていますが、ほとんどの場合、労働者の安全、健康、権利を守るために厳格な規制が設けられています。また、未成年者の関与や強制売春、人身売買に関しては、どの国でも厳しい罰則が設けられています。各国の規制は文化や社会的背景に依存しており、合法であることが倫理的に正当化されるわけではない点にも留意が必要です。

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我が家は、比較的、衛生に意識のある家だと思ってきました。

しかし、今年の、ここ一週間で家族全員が「かぜ」または「インフルエンザ」に罹患しました。

こういうことは、今まで一度もなかったと思います。

確率的にも、かなりレアケースだと思います。

今朝、嫁さんと次女がドラッグストアを回ったようですが「インフルエンザ判定器」を入手できなかったようです。

加えて、発熱外来の電話は、現時点で、完全に麻痺しているようです。

ChatGPTに推定して貰ったら、国内罹患者950万人という、凄い数を叩き出しました。

国内、帰省先、そして海外で、まさに今、倒れていて、そして、明日からも倒れる人がいると思います。

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診療受診、インフル特効薬の入手が、一年でもっとも困難な期間です。

市販薬やのど飴、過去に処方された薬、ひえぴた、鎮痛剤(ロキソニンでもバッファリンでも)、なんでも良いので、手の届く範囲に取り揃えておくことをお勧めします。

そして、食欲ゼロの状態でも何か口にできるものを、寝具の回りに撒き散らしておくと良いと思います。

私は、スポドリ4リットル、冷凍うどん、卵、ゼリー、果物のかんずめ、レトルトのおかゆ等を、よく取り揃えていました。

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これは私の主観的な感想ですが、

―― ことしの風邪/インフルは、『かかったかな?』と感じた時点で、負けが確定

というくらい、凶悪な感じがします。

動けるうちに、できることをやっておいてください。

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江端さんのひとりごと
「江端の『ハレ』の定義」
   2004年11月26日
<後輩夫婦の旦那からのメール>
Aです。
台風の上陸に合わせるかのように,妻が、男児を出産しました。
予定日を大幅に過ぎており、不安だったのですが、母子ともに、健康状態は良好です。
メールでの簡略式で申し訳ありませんが、とりいそぎご報告まで。
</後輩夫婦の旦那からのメール>
<江端のリプライ>
江端です。
おめでとうございます。
最近、「ハレ」が少ないところに、このようなTypicalな「ハレ」をご報告を頂き、ありがとうございます。
# ちなみに、江端の「ハレ」の定義
  • 結婚(できちゃった結婚なら、ハレ度アップ)
  • 彼女、彼氏の出現
  • 出産
  • 家、マンション、車を除く、意外な高額商品の購入(個人による電子顕微鏡、無人島の購入等)
  • 学位、昇進、特許、資格取得を除く、意外な賞の受賞等(人間国宝指定、文化勲章授与、オリンピックメダル取得等)
  • その他、江端が「ハレ」と認めるもの
ところで、誕生したお子さんだけでなく、奥様が生み出した特許発明「特開2003-XXXXXXX」の活用検討で、頭を抱えております。
生み出したものは、子供であれ発明であれ、慈しんで「両親」協力して育てましょう。
自分の子供に、「出願審査請求→否」と返事してはなりません。
</江端のリプライ>
(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません)

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アインシュタインは、天才論理物理学者であることに疑いはないのですが、それでも、私が知る限り2つミスっています。

宇宙定数項の導入と、量子力学の否定です。

ただ、この2つの否定が、次のステップの大ジャンプとなったことは事実であり、『ミス=悪いもの』とはならない良い事例になっています。

さて、私が待ちにまっていた、NHKの「NHKスペシャル 量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」が放映されました。

ここ数日は、これに関する私のレビューで溢れるかと思います(で、多分PVは落ち込むことでしょう)。

ですので、行き成り、番外編から書いておきます。

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私も、量子コンピュータシリーズを執筆していて、その解説にめちゃくちゃ苦労した記憶があります。

特に、「量子もつれ」については、勉強→理解→発狂→感動→感涙 という経緯を経て、その説明用メタファに至るまで、かなり時間がかかりました。

NHKはこの番組で「だるまさんが転んだ」と、「ネジリン(量子の擬人化)と鬼(ネジリンの観測者)」というメタファを使っています。

これが良いかどうかは分かりませんが、私には、私の考えたメタファの方が分かりやすいです(当たり前だ)。

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「だるまさんが転んだ」という遊びは、典型的な遊戯ではありますが、静止が壊れれている状態を「鬼とプレーヤー」が合意しないと成立しない面倒なゲームであります。また観測時間を長くすれば、静止状態が崩れやすくなるのは当然です。

で、思ったのですが、

―― 「だるまさんが転んだ」スマホアプリ

というのを、だれか開発してみませんか?

スマホのカメラを使って、静止状態の許容距離やベクトル、そして、観測時間の上限設定をするコーディングをすれば良いです。

情報工学の大学の卒論あたりのテーマとしては、妥当と思うのです。

画像処理技術や、各種アルゴリズムはネットに落ちているものを拾って、組み合わ(インテグレーション)せれば良いでしょう。私なら、インテグレーションできただけで、卒業認定します。

で、そのアプリは、無償で開放する、と。

コンピュータの判断に因るのであれば、子どもたちも、納得し、かつ安心して、「だるまさんが転んだ」を楽しめるという訳です。

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嫁さんには、この話をしていません。嫌な顔をするのは分かっているからです。

これを読んでいる多くの方も、嫌な顔をしているでしょう。子どもには、こういう「鬼とプレーヤー」が合意する機会が必要だ、と思うからでしょう。

でも、もう、私、そういう人間関係に関する基本的な能力も、AIに丸投げしてもいいんじゃないかな、と思っているんです ―― かなり本気で。

サッカー、野球、バレー、ありとあらゆるスポーツも"AI+センサ(カメラ等)+コンピュータ"で片付けていいんじゃないですか?

公平性の担保も簡単で確実です。AIのソースコードと試合中のデータを全部公開すれば、それで足ります。

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私たち人間は、自力で「いじめ」の認定すらできないのは、もう十分に分かりました。

ならば、一度、全部AIに投げてみるのもありかと思っています。

多分問題は出てくると思いますが、やってみなければ、その問題が何なのかも分かりませんからね。

AIではダメだ、と分かれば、その時に、止めればいいんです。

AIは、人間と違って既得権益に囚われませんから(AIを提供する側の既得権益の問題はあるかもしれませんが)。

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江端さんのひとりごと

「粛正された寮長」

Tomoichi Ebata
Sun Feb 4 19:02:12 JST 1996

上海から南京を経由して西安に向かう中国大陸鉄道の列車の中で、私は一人でぽけー っと外の風景を眺めていました。一面に続く砂漠の草原の中にある大きな河は、もう一 時間前から列車の線路に添って、変わらぬ風景を見せ続けていました。

悠久に流れる果てしなく大きい湖のような河を見ながら、色々と揺れていた私の気持 ちが少しずつ、一カ所に集まりつつあるのを感じました。

(そろそろ引き際・・かな。)

春が来る気配を少しずつ感じさせながらも、まだまだ寒かった大学2年の3月上旬の ことです。

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たった一回だけ大学のデモにまで出陣した私は、これまた一度だけでしたけど、S寮 寮長として拡声器で道行く学生達にアジテーションをしたこともあります。

江端 :「大学当局はぁ、このような巨大なコンピュータシステムをぉ、関西学研都市 構想におけるシンクタンクとして機能させぇ、学生達の主体的運動を抹殺せ んと画策しているのでありま~~す!!」

その他:「よーし!!」「異議な~し!!」

なお、このコンピュータは、あの使いにくさをほこるh立の大型コンピュータでした が、h立社のコンピュータに限らず、この地球上に『学生達の主体的な運動を抹殺する 』ような機能を持つコンピュータなどありはしません。勘違いも甚だしい。なにしろ、 コンピュータを研究している私が言うのだから間違いありません。

まあ、このようにハイテク関係では、かなり勉強不足のところも多くありましたが、 社会的な問題意識を人一倍持ち、寮生同志で深夜に渡る激論を繰り広げたり、実践的運 動に励んだりしているうちに、心ならずも2年生の後半には寮長に就任させられてしま うことになります。

そして皮肉なことにも、この寮長就任こそが、私にS寮を出ていく事を決意させる きっかけとなるのです。

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寮長就任後、私はこれまでのS寮の方針を根幹から変えてしまうような、まさに革命 的な方針を、気づかれないように密かに打ち出します。

それは「大学当局との話し合いの再開」です。

私は1969年以来20年近くにも渡って続けられてきた、大学当局との不毛な闘争 にピリオドを打ちたいと考えました。理論による正しさを押し進めるのではなくて、現 実の話に合った具体的な方法で、当局との関係を改善して行く必要があると考えたので す。

それに、私は現在のS寮の存在がかなり危ういものではないかと心配だったのです。 それは「S寮は大学の施設である」と言うことです。

つまり、大学が「S寮を取り壊すよ。」と言われたら、私たちはもう終わりなのです。 大学当局を激しく非難しているとは言え、物理的な攻撃を加えられたら、どうしようも ありません。

例えば、電気水道を止められたり、食堂の職員を引き上げられたら、私たちの生活の 基盤が壊れてしまいます。

「学生の生存を脅かすのか!!」とか、「我々の主体的な学習施設を破壊するのか! !」とか、色々言えるとしても、当局が本当にやる気になれば今なら簡単にできるので す。勿論ストライキとが、寮に居座って徹底的に闘争を続けることはできます。が、そ れは恐らく効果を果たさないでしょう。

なぜなら、寮生は全学生と比べてみれば明らかなように圧倒的にその人数が少なく、 しかも寮の活動はほとんど理解されていませんでしたから。寮生が、いわゆるあの学生 運動の衣装でアジテーションしたりビラを配ったりしたりしても、多くの学生は素通り です。だれもその話を聞こうとすらしないのです。

私はすこしずつですが、S寮が存続できているのは「学生による大衆的な支援」どこ ろか「大学当局のお情け」だからじゃないかと思わざるを得なくなってきました。S寮 が廃寮の危機に陥ったとしても、恐らく大衆運動には発展しないような気がしてきまし た。

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なぜ私がこのように思うようになってきたかと聞かれれば、たまたま私が理系の学生 だったからだと思います。

理系の学生が文系の学生と決定的に違うところがあるとすれば、それは「実験レポー 」ではないかと思います。どんなに試験前に勉強しようと、良い点を取ろうと、親の仇 のように単位を取ろうと、それだけでは決して卒業はできないのです。

週2回以上の8時間にも及ぶ実験は、その数倍以上のレポート作成時間を必要としま した。また不十分な考察をしているレポートを提出しようものなら、たちまち『再提出 』の判が押されて突っ返されます。私たちは、常に複雑な計算を必要とするための電卓 やポケットコンピュータが手放せませんでした。

しかしそれ以上に絶対的に重要不可欠なものがありました。

仲間です。

膨大な時間、複雑な計算、理論的な考察。立ちはだかる諸問題をたった一人で解決す る事など、はなっから不可能なのです。私たちの学問は、甘っちょろい友情ではなく、 鉄のパートナーシップが大前提となっていたのです。

コンピュータが得意な者は、コンピュータセンタに入り浸り、仲間の分まで計算を出 してくれます。考察が得意な者は、実験装置の不備から、誤差が発生した原因を指摘し てくれます。時間のある者は、図書館に走りコピーを取ってきてくれます。レポート提 出日にの早朝、空が白々と明るくなってきても、お互いの下宿や自宅で電話が鳴り響き 、実験データの検証作業が続きました。

全ての行動は自分のためであると同時に、他人の為になっていたのです。そこには、 「強い者が弱い者を助ける」と言う古より多くの賢者達が実践を試み、ついに成功する ことのなかった理想の共同体がありました。

そんなわけで、私はデモやアジテーションをする仲間と共に暮らすと言う非常に特殊 な立場にいながら、同時に平均的学生生活にどっぷりと浸ると言う、誠にご都合的な状 態にいることが出来たのです。ですから、S寮に対する意識や、学生運動に対する学生 の生の声を仲間達から直接聞くことも出来たのです。

で、それをまとめるとこんな感じでした。

『S寮は共産党の支部で、革命を目指している学生が集まっている。ときどき立て看板 やアジをやって、政治的非難をしていて、皇居を爆破しようとしたりサミットの要人を 暗殺しようとしている。ところで江端も共産党員なの?』

こ・・こりゃだめだ。と地面に這い蹲ってしまいそうなほどガックリきた私は、もは やどこからどう訂正をしたものやら判らず、座り込んでしまいました。

『大学当局が、学生を無視して何かをやらかすことを批判しているだけだよ』とすら言 う気力もなくなっていました。

こうして活動的な学生とそうでない学生との間には、すさまじいまでのギャップが発 生していたのです。
「政治的無関心のプチブルめ!」と「時代錯誤の運動家野郎が!」
てな感じでしょうか。活動的な学生は、まさに「活動」に忙しく講義にも出ないで、留 年なんぞは当たり前と言う感じで、ますます「普通」の学生から離れて行きます。「同 じ入学年度の同じ学部の同じ学科の人間と、話をしたことがない」と言う寮の先輩もい ましたが、なんとも不気味な状態です。

このように同胞から離れたところで、どんなに同胞のために闘っていたって、支持を 得ることが出来るわけがないのは自明です。何と言っても今は1969年ではないので すから。

しかし、そこのところが寮の長老達、と言っても3、4、5・・年生ですが、彼らに は全く判っていなかったように思えます。

寮長に就任した私は、小さいことから徐々に初めて行こうと思いました。

『圧倒的階級的怒りをもってして、同志諸君の鉄の意志を大学当局へぶつけろ!来たれ 学生大会へ!!』と言うビラは、『私たちが我慢の出来ないことを、みんなで一緒にな って大学の当局へ要求しましょう。学生大会は○月×日です。』と言う感じに変えて見 たり、従来いかめかしい文句で書かれていた立て看板を、イラストを入れてみたりする ように提案しました。

なによりあの学生運動独特のかっこうをやめて、普通のシャツにジーパン、頭髪もす っきり短くして、なるべく分かりやすい言葉のアジテーションや、ワープロやパソコン などのメカを利用し、過去の因習であるゲバ字(あの立て看板によくある字の角が強調 された文字)を排除し、作業の効率化を図ろうとしました。

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さて、ところがこの改革、そんなにすんなりとは行かなかったのです。

最初のうちは、寮を活性化するための私の小さな工夫の数々を、目を細めるように慈 悲の笑顔で見守っていた長老派たちも、どうやら江端は形式的な改革に留まらず本質的 な改革を目指していると気がついて、私に対して本格的な攻撃が加えられるようになり ます。

これまで寮を運営してきた、いわば職業的運動家たる長老派は「一般学生に媚びを売 る行為だ。」と私のやり方に非難を始めました。

私はキョトンとしてしまいました。

まさに『それ』が目的だったからです。理解して貰うためには、しかも正しく現状を 理解して貰うためには、それが媚びであろうが何であろうがやることはやる!!、と言 う気持ちでしたから。なぜならその過程を抜きにして、S寮が多くの学生の支持を得ら れる訳あろうはずがないと考えたからです。

長老派の言い分は、「学生の意識を覚醒することは、学生に媚びることではない。」 と言うものでした。つまり、私たちの意識は私たちが従来やってきた手段にも反映され ているはずだ。だから従来通りの手法で情報宣伝活動(情宣)を行い、極めて高い意識 を持っている小数の学生によって、寮が継続されて行けばよい、と。

私は唖然としました。

アホか・・。

こいつらは自分達を特別な何かと勘違いしている、と私は思わずにはいられません でした。社会的な問題を持っている者だけが偉いのだと言うしょうもない特権意識を 感じて、私は実に不愉快でした。 大体S寮の置かれている極めて危機的な状況も判っ ていないようでした。外から自分達を見れない者達が、必ず陥る落とし穴に落ちてい ました。

いわんや、「大学当局との話し合いの再開」に関しては、もはや私と長老派の決裂は 明らかでした。

『理論的な正義が先ず先にある。』と言う長老と『時代と共に価値は推移する。きれ いごとで全てが片ずくものか。』と主張する私は真っ向から激突。寮会議や様々な場所 で激論が展開されました。

最後の方では、私もかなり腹が立ってきました。

「では、孤立して、自ら自滅してみるか!?」と叫びたくなったものです。

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最終的に、信頼できる友人と思っていた前寮長のTが長老派に寝返り、私の敗北が濃 厚となった頃、前々から予定していた中国への旅の期日が近づいていました。

寮長としての最も重要な仕事である、「自治入寮選考」は、丁度、私が中国から返っ て来る二日後に予定されていました。私は迷いましたが、今後の自分の身の振り方を考 える為にも、敢えて中国の旅に出ることにしました。

大陸鉄道から丸まる三日間、広大な大地をぼーっと見ながらひたすら考え続けていま した。

「私が一番やりたかったことは一体何だったのだろう」と。

嬉しかったのは、合格通知が届けられた日。
腹いっぱいに、電気の勉強ができると言う想いでした。勉強は難しく苦しいものでした けど楽しかったし、仲間は親切で良い奴ばかりでした。工学部の先輩から2万円で貰っ たパソコンで計算したトランジスタ回路の数値が、実験結果と合致したときの喜びは、 その後の喜びを全部足し算しても及び付かない程でした。

では、S寮はどうだったろうか。
S寮は様々な社会的な問題を私に与えてくれました。 自分の尊厳を傷つけるものには、命をかけて抵抗をしなければならないと教えてくれま した。

しかし、それを『解決する方法』においては、どうだったのだろう。 20年もの間変わることなく、同じことをやってきて、時代の移り変わりに全く順応し ていませんでした。

そして、私はそれを変えたかったのですが、力及ばず、ついに変えることがことが出 来なかったようです。

もはやS寮から学ぶことはない、あとは一人で実践的に獲得して行くしかないようだ と、揺れていた私の気持ちが、少しずつ集まって行きました。

私は蘭州から電報を打ちました。

『帰国を延期する。入寮選考には間に合わないので、入寮選考委員でよろしくやってく れ。帰国後然るべき責任は取る。』

こうして2週間の旅は3週間に伸び、私は広大な中国大陸を一人さまよっていたので した。

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帰国後、しばらく名古屋の実家に帰り、退寮総括の準備をしていました。退寮総括と は、寮生が退寮するときの手続きであり、寮生全員一致の賛成が得られないときは、寮 を去ることが出来ません。この様な手続きが出来ない人は、「脱寮」と言って、夜中に ひっそりと荷物を運んで逃げ出したりしていましたけど。

私は退寮総括を以下ように締めくくりました。

  • 私は勉強がしたくて大学に来た。この想いはS寮の運動より遥かに優先する。
  • 寮を存続させよ。学生達の声を伝える機関たれ。
  • 問題意識を持たない学生こそ、どんどん入寮して貰うべきであることを理解せよ。
  • 個人的空間に介入するな。個人の価値観の多様性をもっと尊重しろ。
  • Tが私の部屋に勝手に入って、壊した私のパソコンに関しては、もはや何も言う まい。修理代金がいくらであったとしても。

結局最後の点の牽制が効いていたのか、大した質疑応答もなく、私の退寮は寮生全員 一致で確認されました。

最後にTを殴っておこうかなとも思ったのですが、止めておくことにしました。

その後、寮の後輩が引っ越し先のアパートに来ては、色々と相談を持ちかけてきまし た。私の手際のよい退寮の仕方に嘆した彼らは、どうすれあんなに後腐れなく退寮出来 るのかをしつこく尋ねるのでした。

そんな訳で、私は「退寮コンサルタント」として、退寮後もしばらくS寮と係わらざ るを得なかったのです。

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そして、大学3年から大学院を卒業するまでの4年間、私は岩倉のアパートで、まさ に水を得た魚のように、勉強、読書、実験に明け暮れ、水素爆弾を作るまでに至る、 いわゆる「大暴走の4年間」を送ることになります。

その後、入寮希望者は減り、寮を離れていく学生も多くなり、寮の存続がかなり危ぶ まれていたのは事実のようです。 しかし、私にはもう関心がありませんでした。 私は、目の前に広がる電子工学の勉強に夢中になっていましたから。

『このガウス!この野郎!!任意の閉曲面に対する積分と全体積の積分が等価だなんて 、こいつ、いいところに気がついてやがるぜ!!ガウスの定理なんて名前まで貰いやが って!!憎いね。』

古の偉人たちには大変申し訳なかったのですが、まあこんな感じで感動しながら勉強 していました。

結果的に、退寮と同時に、私は学生運動への興味を失ってしまったようです。

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それからしばらくして、フランスでは、現体制を崩壊させかねない大規模な学生デモ が展開されました。

学生に対する不当な政府の命令に怒った学生達は、誰が言い出すでもなくあっという 間に学生達による大衆的なデモに展開して、政府を恐怖のどん底に陥れます。そして政 府が学生達の要求を受け入れるや否や、あっという間に学生達は解散して平常な状態に 戻ったと聞きます。

私は下宿のテレビの前で、寝転がりながら一人このニュースを見ていました。 そして、テレビのスイッチを切って、しばらく天井をじっと見つめていた私は、しばら 忘れていた苦いものがこみ上げてくるのを押さえきれませんでした。

(しかし、何時になったら私の国の学生たちや、かつて学生だった者たちは、『人間ら しく生きること』を真剣に考え出すのだろう)と私はそれを繰り返し繰り返し呟いてい ました。

そして、その夜、私はウイスキーを浴びるほど呑み、ろれつの回らない口調で、訳の 判らないことをわめきちらし、そのまま床の上で眠ってしまいました。

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江端さんのひとりごと

「正しいデモのやりかた」

Sun Feb 4 19:02:12 JST 1996

私の人生の中で、「これだけは、誰もがおいそれとは出来ないだろう。」と自信を持 って言うことのできる体験があります。

学生デモです。

学生さんにプレゼンテーションをする、というデモではありません。と言うと、ふざ けているように思われるかもしれませんが、あながち冗談で言っている訳でもないので す。なにしろ最近では、「デモ」と言う言葉自体、知らない人が多いようですから。

正しい言い方ではないのですが、手っとり早く言うと、学生が機動隊と衝突して石や 火炎瓶を投げたり、大学の学長室を占拠したりして、自分達の意志を表示し、正しい( と彼らが信じている)世の中にしようとする学生達による『世直し』行動です。

もっとも、酷いのになると思想的に対立しているグループ(セクト)どうしで殺し合 いをしたり、山の中に殺した同志を埋めたりするとんでもない奴らもいます。これは「 デモ」ではなく「テロ」と呼ばれるものです。しかし、60年や70年安保闘争の時と は違い、私が大学に在学していたころの学生運動の多くは、極めて平和的な抗議行動で した。

ガリ版で書いたビラを配ったり、拡声器でアピールをしたり、過激な抗議行動と言っ ても十数人の学生が隊列を組んで、道路のど真ん中でジグザグにデモをするくらいのも のです。で、「かまぼこ」と言われる機動隊の装甲車から巨大なスピーカーで注意を受 けるわけです。

「道路中央でのジグザグデモを止め、直ちに解散しなさい。繰り返します。ジグザグ デモを止め、直ちに解散しなさい。君達の行動は、道路交通法××条○項に違反してい ます。解散しない時には、諸君らを検挙します。」

警察は「写真班」と言われる私服の警官を紛れ込ませて、カメラを抱えてデモ隊の回 りをうろちょろと走り回っています。これは、いざ検挙!となり告訴→公判の時に証拠 として使うためです。学生だってばかじゃありませんから、サングラスとタオルとヘル メットで、あの独特の変装をすることになります。しかし、さすがにあのかっこう。随 分嫌われたようで、フルフェイスメットでデモに出ていた人もいたようです。

でも、結局検挙はされなかったし警察もそのつもりが無いみたいで、今になって思う と、一種の儀式と化していたような気がしますけど。

これらの学生による抗議運動は、同じ仲間であるはずの学生からも無視、あるいは嫌 悪を持って迎えられる事が度々ありました。しかし大学当局の独断的で理不尽な決定、 例えば移転問題、授業料値上げ問題等を、同じ土俵で話し合う場所を与えたのですから 、私は高く評価して良いと思っています。

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ところで、意外に知られていないのですが、学生運動にも様々なバリエーションがあ ります。例えば、最も過激なセクトでは暴力による権力の奪還、すなわち革命を目指す ものから、ボランティアグループ等による比較的静かな抗議行動まで様々です。

私は大学に入学してから2年間、学寮であるS寮に住んでいました。生活費を考える と、とても下宿やアパートに住む事は出来そうになかったので、私の弁術の限りを尽く して、何とか自治入寮選考にパスしました。

実はこのS寮、70年安保の時代に、大学当局から自治権を獲得して、学生のみによ る自治管理をしてきた寮でした。ことあるごとに当局と対立し反目を続け、大学の学生 運動の砦として機能してきました。

自治寮であるS寮では、学生自身によって自発的に独自の学習会が行われていました 。主な項目は、「教育問題」や「差別問題」などで、具体的には、中教審、臨教審、管 理教育、部落差別、男女差別、天皇制などなど。この他、関西学研都市構想批判、文部 省大学補助金制度批判など多岐に渡っていました。また酒税法批判を兼ねて、寮祭のと きには「どぶろく」を作ったりもしていましたし、人権運動をしている弁護士を呼んで 公演会を開いたりもしていました。

しかし、「レーニン」「スターリン」「トロツキー」なんぞは、ついに出てきません でした。そういう意味での思想的背景は全く無く、常に権力や体制批判に終始していま した。

このような日常的な学習のおかげで、個人では到底不可能であろうと思われる規模の 、おそらくは何百冊の書物に相当する、生きた知識を得る事ができたように思えます。 そして何よりも、「人権」と「平等」と言うものを、単に字面でなく、血肉の知識と して理解出来た事を、とても幸運なことだと思っています。

そしてこの「人権」と「平等」の考え方が、やがて私に料理を学ばせ、漂白剤を使わ せ、ボタン付けの技術を向上させることになり、さらに2年後にはS寮を出ていく事を 決意させることになりますが、これはいずれまた。

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さて、デモを行うときにはいくつかの注意点があります。

何と言っても、自分達はこんなに反対しているんだ、怒っているんだと相手に知らせ る為には、できるだけ多くの人数で人目を引くパフォーマンスを行う必要があります。 できれば、ついでに人的被害を与えず敵をやっつけてしまえる、「平和的な破壊活動」 があれば言う事ありませんが、せいぜい拡声器による抗議文の朗読、大学旗、寮旗を掲 げての抗議行進、道路ど真ん中でのジグザグデモがせいぜいでしょう。

また警察が常に張っていますので、面が割れないように変装グッズを用意する事も 必要です。お面やコスプレの様に楽しいものにすると、敵に怒りが伝わりません。やは り、60年安保闘争より由緒正しきユニフォーム「タオル」「ヘルメット」「サングラ ス」で身を固めます。

女性もスカートではなく、今日だけはジーパンを履き、靴はできるだけ大きくて固い 「登山靴」あるいは「安全靴」が望ましいです。と言うのは、小競り合いのどさくさに 紛れて、機動隊員がジェラルミン盾で足の甲の骨を砕いたりするからです。70年安保 では、通りがかりのスカートとパンプスの女性がデモ隊に加わったと言う凄い話を聞い た事があります。当時は、大衆の政治に対する意識がいかに高かったか解るというのも のです。

そして、決してデモをするときには本名で呼び合わないことが大切です。警察にチェ ックされたら終わりですので「組織名」と言う呼び名を各個人で用意しておきます。

ちなみに私は「西田」と言う組織名でした。

この他、検挙されたときには人権110番と呼ばれる団体の弁護士を呼ぶこと、尋問 には完黙(完全黙秘)で対応する事など、とまあ色々あるのですが、とても書ききれそ うにありません。これも機会があればいずれお話する事にいたします。

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大学一年生の秋、私は学費値上げに対するデモを行うために、S町キャンパスに行く ように先輩に言われました。先輩は、私にもっと積極的にデモに出るように言いました が、私は、私の心が震えない運動への参加は、消極的に支援するに止めてきました。

しかし、当時、学費と生活費の両方をアルバイトで稼いで、やっとこさ生活していた 私は、「学費値上げ問題」で、巨大な怒りの火の玉と化しました。しかもその理由が、 ほとんど何の必要もない「大学移転」の為に使われることだったこと。そしてなにより その値上げが「来年の入学者から適用される。」と言う姑息な方法だったことです。そ れは、在学中の学生の反発を免れようとする、まあ本当にダーティなやり方でした。

そんな訳で、私は私の人生においてもたった一度だけ、心の底から真剣に取り組んだ デモを体験する事になります。

秋がもうすぐ冬にさしかかろうと言う少し冷え込むどんよりと曇った寒い朝。自治会 及び大学の9つの自治寮、サークル団体などからやってきた、およそ100人の有志の 学生達はS町キャンパスに結集。

それぞれが自分の所属する団体のヘルメットとタオルで顔を隠し、固まって待機して います。皆、顔は見えませんが、ぴーんと張りつめた空気の中、緊張した面もちで集会 を始めました。この集会の後にデモを行う事になっていました。

校門の付近には警察官が数十名、装甲車が1台待機しています。ジェラルミン盾とヘ ルメットで武装した警察官も10名ほどいたようです。

しかし、そんな衝突前の学生と警察の緊張が極限まで高まった雰囲気の中、状況を全 く理解していない、新参者の痴れ者がいました。

私です。

サングラスをするだけのいい加減な変装で、物珍しそう警察官が集まっている方に行 って『おお、来ている。来ている。』と言ってみたり、集会に集まっている知り合いを 探したりして、全然落ちつきがありません。

うろうろと辺りを歩き回っているうちに、集会の人混みの端の方に、同じ寮の先輩で ある田中(仮名)さんを見つけました。

「あ、田中さんだ。おお~い、田中さん~」

と田中さんを呼んだのですが、田中さんはこちらの方を気づかない様子のようでした。 私はさらに声を大きくして、

「たなかさ~~ん。た・な・か・さ~~ん。聞こえませんかぁ~~」

田中さんは、全く何も聞こえていない様に、集会している場所を背にして歩き始めまし た。どこに行くんだろうと、不審に思った私は、

「たなかさ~ん、どこに行くんですか。おおーい、たなかさん。たなかさん。」

と田中さんを連呼しながら、小走りに田中さんに近づいて行きました。

警察の集まっているところからは、丁度死角になっている建物の柱の蔭から、私を招 きよせる田中さんの手が見えました。

私が柱の蔭に行くと、もの凄い怒りの形相でたっている田中さんがいました。

そして間髪入れず、「バキッ!!」と頭の骨が折れるかと思うくらいの、すさまじい 拳骨を喰らいました。

息が止まるかと思うくらいの痛みで、しゃがんでうずくまってしまった私。

頭を抱えながら痛みに耐えて、上目使いに田中さんを見上げて言いました。

「な、何をするんですか~ぁ。」

と恨めしそうに訴えると、田中さんは怒りの表情を緩めず、地声を出さないように注意 しながらも、大きく口を開いて激しい勢いで、怒鳴るように言いました。

「本名で呼ぶんじゃない!!!!」

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その後、自治会は「72時間時限バリケードストライキ」、別名「72バリスト」に 突入、72時間の期限付きで大学構内をバリケード封鎖しました。

しかし、このような運動も虚しく、大学当局の思惑通り、この「授業料値上げ反対闘 争」は大衆的運動に発展する事はなく、授業料値上げは予定通り実施されることになり ます。

大学1年の初冬のことでした。