未分類

部屋に鉄棒を作ってみた

この鉄棒(正確には金属管)、ぶら下がっている最中に、回転してしまい、グリップで体を支えられない、という問題に気がつきました。

という訳で、鉄棒が回転しない方法を考えました。

アタッチメントを外して、ゴムなどを詰め込むという方法もありましが、アタッチメントを同じ木材の穴に取りつけると、強度が落ちると考えました。

そこで強制的に、アタッチメントと鉄棒(金属管)に穴を開けて、そこに、ネジを差しこむことにしました。

まず、センターポンチで小さい穴を開けて、そこに金属ドリルの先端を当てて、電動ドリルで穴を開けるのですが ―― 酷く苦労しました。

一つの穴を開けるのに20分間程度の時間がかかりました。

おまけに、ドリルが折れてしまったので、他のドリルを使いながら、何とか穴を貫通させて、ネジを差し込むことができました。

これは、ねじ山が折れてしまったケースです(結果として良くなりましたが)

微細な金属片が飛び回るので、メガネは必須でした(本当はスキーゴーグルを装着するべきだったと思います)。その後の部屋の掃除も大変でした。

-----

結果、鉄棒が回転しなくなり、ぶら下がりやすくなりました。

ちなみに、お世話になっている医療従事者の方から、以下のアドバイスを頂きました。

見た目はマヌケかもしれませんが、しっかりと安定した踏み台をおいて、足をつけた状態でぶら下がることからスタートすることをお勧めいたします。
このアドバイスは『とても』正しいです。
もし、天井の鉄棒にとびついて、ぶらさがったら、私は、高い確率で入院する自信があります(筋肉の裂傷とか、簡単に起きそう)。
そうなれば、家族だけでなく、担当されるお医者さんからも『バカ』と言われそうなので、当面は「ぶらさがり(仮)健康法」で、じっくりやっていきたいと思っております。
-----

ぶらさがり(仮)健康法」は、慣れてくると、なかなか気持ちが良く、スッキリした気分になります。

ぶらさがる」時に、体がコキコキと鳴って、正常な位置に骨が戻されているような感じもいいです ―― まあ、錯覚かもしれませんが。

2つめの鉄棒(木棒)を作りました。

未分類

https://www.kobore.net/not21.txt から転載
(筆者とのくされ縁により、無断転載)


今世紀もあと2週間あまりとなり、日本では色々なテレビ番組が企画されて いるものと思います。

昨年の大晦日あたりには「21世紀に残したい曲 100選」などが放映されてい たと思います。確か第一位は、美空ひばりの「河の流れのように」だったかと。

では、「21世紀に残したくない曲 100選」を選べと言われたら、何を選ぶか、 と言う話題で、嫁さんと色々議論しておりました。

その結果、それぞれの一位は、以下のようになりました。

智一

  • 歌手 荒井由美
  • 曲名 「卒業写真」
  • 選評 『私は月日と共に変っていくけど、あなたは変わらないで』と言う、無責任な言動。「変わらない人間でいて」と言うのは、「人間として成長しないでいて」と同義であることを認識していない幼稚な歌詞の連続。
    この程度の歌に共感するアホなティーン達への警鐘も込めて。
    その他 上記とほぼ同様の選評で、「22歳の別れ」なども候補に上げられたが、選を逃がした。

祐子

  • 歌手 さだまさし
  • 曲名 「あなた三昧」
  • 選評 一言で「気色悪い」。 あなたと一緒にいて、あなたの側で、終日洗濯や料理を作っているだけでいいと言うような女が本当にいるとは思えないし、本当にいたら、どこかおかしいのだろう。 馬鹿な男の下らない女性観を具現した歌として、是 非とも後世に残したくない一曲である。
    (上記文章は、智一が若干補足)

麻生

  • 熟睡の為、選考会欠席

こぼれ話メーリングリスト、(おそらく)今世紀最後の企画、

「21世紀に残したくない曲 100選」
あなたも是非とも御参加下さい。

えるです。

ebata21@home.com さんは書きました:

こぼれ話メーリングリスト、(おそらく)今世紀最後の企画、

「21世紀に残したくない曲 100選」

あなたも是非とも御参加下さい。

プチブル趣味は、それを個人の内面的欲求として保持するだけなら、 私はとりたてて批判はしない。 また、プチブル趣味を実現する場合でも、そこに何らかの屈折した想いが認められるならば、私は批判を口にするのを躊躇(ためら)う。

だが、である。 ここに、開けっぴろげに、能天気に、恥という単語が辞書に載ってないかのように、パワー全開で、無知は力なりとばかりに、その禁を破る歌があるのだ。

小坂明子の『あなた』である。

かくもプチブル趣味を恥ずかし気もなく露呈した歌を、私は知らない。 含羞も、挫折の影もなく、ただ他者不在のノッペリとした平面的な願望を垂れ流すこの歌を、私は大変気味の悪いものと考える。

以下、歌詞の内容を正確に覚えてはいないが、批判を展開してみよう。

『♪もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう~』

金が無いので小さな家を建てました、というなら話はわかる。 だが、この場合は恐らくそうではない。

「私たちは、もっと大きな家を建てる小金はあるんですけれど、 でもショートケーキみたいな小さな家が好みなんです。 私たちは慎(つつ)ましいんですよ、ええ」

とでも言いたげである。 実に厭味という他ない。 そもそも、慎ましいかどうかは他人様が決めることであり、 自分で自分のことを「慎ましい」などと言うのは、その対極にある態度であろう。 世間ではそんな態度を「厚かましい」というのだ。

『♪大きな窓と小さなドアと~』

小さなドアというのは実に象徴的である。ドア、それは即ち外部(=社会)との 接点であり、ドアが小さいということはつまり、

「私たちはあまり社会とコミットしたくないんです。 二人だけの世界でぬくぬくしていたいんです」

という気分の表明であると、精神分析学エルカン派の祖である私としては解釈せざるを得ないのである。 閉塞した世界こそが私たちの楽園です、という訳だ。

その他にも、

「真っ赤な薔薇と白いパンジー」 「部屋には古い暖炉がある」 「レースを編む」 「子犬」(どうせ俺の嫌いなマルチーズやプードルだろうよ)

といった歌詞から想起されるイメージは、悉く陳腐・俗悪の域を出ず、そこに描かれる生活は徹底して伝統的な日本の風習を脱臭しており、 無思慮な西洋崇拝と対米従属を強化する洗脳装置として機能したと言えよう。

結論:『あなた』は唾棄すべき反革命的唱歌であり、21世紀に決して 残してはならない負の金字塔、昭和日本の恥部である。

=============================================
今思い出したが、もう一つ、実に気に入らない歌があった。 私がまだ子供の頃の、かなり古い歌だと思うが、

『♪愛、あなたと二人。夢、あなたと二人~』

ってな気色悪いフレーズの後に、

『♪二人のため、世界はあるの~』

という、とんでもない命題をブチあげている馬鹿野郎な歌があった。

ローマ皇帝、チンギスハン、秦始皇帝、ヒトラー...世界を掌握しようとした 彼ら独裁者は、「世界は俺様のもの」と思っていたかも知れない。 だが、彼ら一時代を築いた歴史上の人物は、うぬぼれるだけの権力と財力を確かに持ってはいたのだ。 それにひきかえ、ここで歌われている「二人」が「世界は私たちのもの」と考 える根拠は、

「だって二人は恋人なんだもん(ハート)」。

なんじゃそりゃぁぁぁ!!

# 筆者に無断で本文章の引用・転載を禁ず。 (C) 2000 Erukan

未分類

コロナ禍の運動不足から、腰痛などが発生しています。
隔日のウォーキングはしていますが、筋力の低下が著しいです。

そこで、『ぶらさがり健康法』→『(可能なら)懸垂』に持っていくために、部屋に鉄棒を作ってみました。

まず、屋根裏に上って、私の体重を支えられるに足る木材の場所を捜しました。

で、屋根から千枚通しを打ち込んで基準点を見えるようにしました。

で、DIYショップにいって、手摺り用の器具(でもって、私の体重を支えられそうな、ごっついもの)を購入してきました。

完成

ぶらさがってみましたが、ビクともしませんでした ―― 私の体の方にガタが出てくるもしれませんが。

以上

その後

部屋に鉄棒を作ってみた(その2)

未分類

インターネット登録で、「臓器提供意志登録カード」を作ってくれるようです。

■インターネットでの登録方法

(Step.1) https://www.jotnw.or.jp/faq/?category=001001にアクセス

あとは、流れのままに必要事項を入力して、ボタンを押せば「仮登録」が終わります。

最後に、

仮登録が完了しました。
(公社)日本臓器移植ネットワークからIDの入った登録カードを送付します。

とメッセージが出てきます。登録カードが届いたら速やかに署名と署名年月日を自筆で書き、本登録手続き(本サイト上の本登録画面にIDとパスワード(江端のパスワードは"最初は大きい最高の私")を行ってください。


ここから3日後、郵送で、こんなものが届きました。

でもって、仮登録した時に送付されてきたメールを開きます。

これで登録は終りです。

あとは、カードに必要記載事項(署名年月日、本人署名(自筆)、家族署名(自筆)←家族と同居されていない場合は空欄でもいいそうです)を記入して、記載した面に、保護シート ↓

で張り付ければ、完了です。

送付されてくるカードが、プラスチック製だといいな、と思っていたのですが・・・まあ、保護シートがあるから、ある程度の硬さは担保できると思いますが。

どうせなら、VISAとかMasterとかJCBを付けて、日常的に使用できるようにしておくと良いんじゃないかと。デートでの支払いの時に、このカードを彼氏/彼女に見せることで、さりげなく自慢ができるようにする、てなアプローチは「あり」だと思います。

ちなみに、

というように、移植臓器のマッチングの可能性は恐しく低いです ―― もちろんタイミングの問題もあるのですが、(私、勘違いしていたのですけど)希望すれば、誰でもいつでも臓器を提供できる訳ではないようです。

臓器提供適応基準となる年齢」があることを知り、軽くショックを受けています。
『そうかぁ、私の臓器にも"旬"があるのね』と、「結婚適齢期」と同程度の概念として「臓器適齢期」というものがあると知って、がっくりしています(考えてみれば、そりゃそうだよな、とも思えるのですが)。

まあ、そうだとしても、提供登録者が増えるのは良いことだと思います。母数が増えれば、確率は上がるのですから

では、最後に注意を一つ。

嫁さん:「このカード、どこに保管しておこうか?」

私:「いやいや、持ち歩かんと意味ないだろう? 必要なのは、死亡直後の私たちの遺体なんだから」

以上

未分類

私は、私が死去した場合、全ての葬儀を、その規模の大小に関わらず『全て行わないで欲しい』ことを表明しております。

以下、メモではありますが、備忘録としてコピペしておきます。

(1)自分なりの宗教観がある

■これは、米国のユタ州のアーチーズ国立公園で見た風景の中に、いわゆる「神」を見た(という気になっている)という、私の体験に因ります。現在、私が信じられるのは、その私の「神」だけで、それ以外の「神」や「仏」については、ちょっと『良く分からない』という感じです。

■そんでもって、私が信じていない『神仏』で葬儀をされることも、そして理解不能な呪文(お経)のようなもので葬送されるのも)『なんか違うなぁ』と思っています。

(2)智一(故人)主催の『オリジナルの葬儀』を考えている

■私のイベントですので、自分で葬儀をコーディネートしたいです。私が実施する予定の葬儀は「Webを使ったメモリアル葬儀」です。私のことは(喪主ではなく)私が語りたいし、感謝の気持ちも、私の言葉で語りたい(それによって、新しい葬儀の創始者になりたい)。

■そして、四十九日や一周忌などというイベントではなく、10年後も、20年後も、いつでも、(日本国内だけでなく、世界でお世話になった人々も含めて)私のことを思い出して貰えるような葬儀を企画したい。

■上記の『オリジナルの葬儀』については、人に集って貰う必要もないので、双方にとってもメリットがあると思う。

(3)すでに、献体、臓器移植の手続きを開始済である

■尊厳死協会(リビングウイル)への登録、私の身体の部位の無条件の献体手続を開始済み(ただし移植目的に限定。学術目的には提供しない、で相談中)しています。

■献体は、死亡直後に行わなければならないらしいです。これが、普通の葬儀を行わない(行えない)最大の理由です。

■で、移植用の身体の部位の摘出作業に数日から1週間くらい必要とされています(*)。その後に、普通の葬儀をする、というのも(しかも、身体本体もないし(骨くらいは残っているかもしれんけど))、なんとなく間が抜けているなぁ、と思っています(遺骨の返還は1~2年、長ければ3年だそうです)。

―― 自分から積極的に動いてアピールしないと、あなたの臓器(一説には、総額1000万円相当)が、燃やされて(火葬)て灰になってしまう

(4)法律上必要な手続はきちんとやる

■日本は火葬が法律で定められているので、火葬はしなければならないので、これはちゃんとやる予定です。納骨についても、家族で保存して貰うのも面倒ですし、散骨は許可を得るのが面倒なので、行き先(墓場)は確定(購入済み)しています(なお、大学病院で納骨して貰うということもできるそうです)。

(5)死後も『チャレンジャー』でありたい

■色々な考え方はあると思いますが、やっぱり「私の死」は「私のもの」だと思っています。世間の常識や慣例や、あるいは人の考えではなく、私の生き方と私の死に方は、私が決めたい、と思うのです。

■『私に最後に一目会いたい』という方の気持ちには応えられなのかもしれませんが、私としては、上記の、私の創る『オリジナルの葬儀』で、『生きていた時の私』を覚えていて欲しいし、それを独力で実現したいと思っています。そして、その(日本発?の)パイオニアが、『私』でありたいと思っています。


ところが、この全ての葬儀を、その規模の大小に関わらず『全て行わないで欲しい』 について、家族で議論を行った結果、『現状では無理である』と、家族から逆にロジカルに説得されてしまいました。

特に、家族からのコメント「火葬までに一定の時間は欲しい」「故人を語り会う機会を担保して欲しい」「礼服を着てみたい」「喪主をやってやらんでもない」という反対意見があり、その中でも最大の理由が「上記(1)~(5)の理由では、(家族以外の)親族を説得するロジックとしては弱すぎる」でした。

# つまり『面倒はゴメンだぜ』という家族の本音がダダモレでした。

その一方で、

「遺体の顔を一方的に見られるのは甚だしく不本意なので、私たち(嫁さん+娘たち)については『火葬ファースト』でよろしく」などという、かなり身勝手な意見もでております。

という訳で、本件、継続審議ということになっております。

以上

未分類

母の葬儀が終った翌日、シバタ先生と私の共著によるコラムを読んで頂いている方から、3週間近くも前にメールを頂いていることに気がつきました(削除フォルダに入っているのを見つけました)。

新型コロナワクチン接種について、複雑な条件(体調、持病)を抱えていらっしゃって、深くお悩みであるという状況がある、ということがよく理解できる内容でしたので、その日の夜にお返事を致しました。

私のメールの部分のみを公開致します。

江端智一

1月13日(木) 22:35 (2 日前)

お返事が遅れまして、誠に申し訳ありませんでした。

ご質問に関しまして、私の個人的見解を申し上げたいと思います。

(1)ブレインフォグにつきまして

この話をシバタ医師から頂いたとき、私は勿論EE Times Japan編集部も相当な衝撃を受けました。これは「感染すれば、発病(軽度の発熱、重篤、死)に至らなくても、体に障害を与えるという話だからですらです。

ブレインフォグが確定的な事実であれば、無症状感染になりやすい子どもたちを、今、現在進行形で攻撃しているはずで、ゆゆしき問題です。ただ、無症状感染は、当然のことながら研究対象となりいくいため、学会でも十分に研究されておらず、世間には出にくいという問題もあります。

何年か後に、私達は、『接種を最優先すべきだったのは子供だった』という後悔を歴史に残す恐れがあるかもしれません。

「ブレインフォグ」という言葉自体が、あまり知られていませんが、一応、罹患後の患者の後遺症の話を聞くと、まずまず事実と認定できるのではないかと、私は考えております。

(2)ワクチンに関する恐怖について

従来のワクチンは、実際の病原菌を無毒化したものを投入するものですが、mRNAワクチンの本体は、本当に適当な塩基配列であり、スパイクタンパク質(外面)だけを、本物にみたたハリボテですので、

『絶対的な意味において、mRNAワクチンによって新型コロナに感染することはできません。不可能です』

問題は、ハリボテを本物と勘違いして攻撃をする私達の抗体反応の方です。これが、あまりに過激な攻撃活動をするので、それが副反応(高熱等)として私達の体に表われてしまうのです。

私の母は、第一回のコロナ接種後に、肺水症を引き起こして入院しましたが、これは「新型コロナウイルス」が原因ではなく、「母の免疫機能」が、眠ったままでいた持病を活性化させてしまったからだと思っております(その母も、3日前に永眠しましたが、これもコロナとは関係のない誤嚥性肺炎に伴う衰弱死でした)。

ワクチンによって新型コロナに感染することはないですが、抗体の過激活動が飛び火して、体の病理を活性化させる可能性までは、私は否定できません(というか、むしろ肯定します)。

ですので、『休眠状態の持病を持っている人は、ワクチン接種が持病を活性化させるかもしれないので、止めた方がいい』と、私は他の人に進言しています。

ただ、これは「どの休眠状態の病状が発火するか」が、実際にワクチンを打ってみないと分からないところに、この問題のいやらしさ/難しさがあります

ですので、ワクチン(ファイザーとモデルナのmRNAワクチン)によってコロナになるという心配は、全くの杞憂ですが、その抗体反応によって「いらんことが起きる」という可能性までは、私は否定できないのです。

と、まあ、仕組みの話としては、これくらいにして、あとは数字(確率)の話をします。

昨年の冬、我が国は、これまで日本中の学校を学級閉鎖に追い込んできたインフルエンザを完全制圧しました(発病者を1/1000以下にした)。

しかし、そのような完全に近い公衆衛生社会において、コロナウイルスは、1週間の感染率が6日間で2~3倍になる勢いの感染力を持ちます。

ですので、私の単純なかけ算の計算では、インフルエンザウイルスと比較して、コロナウイスルの感染率は、約10000倍あり、死亡率(これは、私が退院できなかった人から計算したのですが)は20~40倍あります。

つまり超単純な計算で、インフルエンザと比較した場合のコロナの危険性は、20万倍から40万倍ということになります(ちょっと計算が乱暴に過ぎますが)。

私の場合、この20万倍から40万倍の危険性に対して、アナフラキシーの発生率は0.00005という、驚異的な少数です。そういう訳で、私は『圧倒的にワクチン接種の方が美味しい』という結論に至りました。で、私は「喜んでワクチン接種に出かけに行った」という次第です。

ただ、これは、あくまで、数理研究員のビジョンであって、他の方に押し付けられるものでもありませんし、理解して貰えるものでもないと思っています

つまるところ「怖いものは怖い」が正しくて、それで良いのです。

「怖い」はロジックではありませんし、事実ロジックで安易な数値を振り回すことで、酷い目にあってきました。例えば、福島原発(を含む日本国の原発)は、研究者の叩き出した数値から「原発の安全神話」ができてしまって、私達日本人は、それで酷い目に合わされました

さらに、新型コロナワクチンは、「自己責任が取れる」珍しい対象です。他人に感染を移さない生活をしているかぎり、自分の「怖い」を最優先して頂いて全く問題ないと思います。

(3)お子さんへのワクチン接種について

しかしながら、お子さんは、自己責任の対象外であり、保護者は子供の命を守る義務があります。子供への症状のある感染はレアケースですし、死亡例は(現時点では)絶無に近いです(ただし、数は少数ですが世界で死亡している子どもはいます)

実際、私も「ブレインフォグ」の話がでてくるまでは、『子どもは、自然感染に任せてほっとけ』と思っていた一人です。

ただ、(前述した様に)無症状感染での体組織破壊の話(ブレインフォグ)の話を聞いて、私は青くなりました。

お子さんが、持病または、休眠状態の疾患を持っていないのであれば、年齢が若いほど、ワクチンの副反応の影響は出にくいと思います(逆に、発熱等は大人よりも激しいかもしれませんが)。

結論として、現時点での私の持ちうる全ての知識を動員した上での結論を申し上げるのであれば、「お子さんへのワクチン接種をお勧めします」。

5年後、10年後、『この子どもへのワクチン接種は、殺人行為だった』と言われる可能性を、私は否定はしません。ただ、今の、現時点の世界と私の持っている知識では『ワクチン接種は、子どもこそが、もっとも安全である』と考えています。

また、世界中にあるウイルス性の病気で根絶できたものは、たったの一つしかないことを考えると、これからも世界は、コロナウイルスとともに生きていくしかありません。

何十年もずっとワクチンを回避しながら、無感染のまま生き続けるのは、無理じゃないかなぁ、と思っています。

とは言え、「自分は接種しないのに、子どもに接種させる」ということが、どれほど心理的に重いものであるのかは、想像に難くありません。ただ、重いながらも、その判断を、(多くの人には理解して貰えないかもしれませんが、少なくとも私は)合理的で倫理的な判断であると断言します。

シバタ医師のような病理医学に詳しい方や、私のような数理研究者であれば割り切れるロジックが、多くの人には通用しないことはよく分かっています。

つまるところ、接種する/しないのいずれの選択もイバラの道です。それでも、私達は、明日の自分と子ども達のために、選択をしなればならないのです。

(4)すでにコロナ感染したのにワクチン接種をする必要があるのか、について

私もこの辺のことは分かっていませんが、感染後の後遺症の改善にワクチン接種に効果があったことは、医学論文等で発表されておりますので、その点では接種には意義があると思います。

ただ、正直、私にもその理由がよく分からないのですが、残存したコロナウイルスが固体内で変異して、小規模な攻撃を続けているとしたら(この仮説には無理があると、私ですら思うのですが、このコロナウイスルに関しては、従来のウイルスの動きでは説明できないことが多いのです)、効果があるのは自然なことだと思います。

また、ワクチン接種した方が、中和抗体の量が多くなるという厚生労働省の発表もあります。この事実も私には、やっぱり???とは思うのですが、これはデータが示している事実です。

この事実は、生ワクチンよりも、コンピュータで計算した(mRNA)ワクチンの方が優れている、ということになります(それはそれで、ITエンジニアとしては嬉しかったりするのですが)。

ただ上記の『???』については、変異株になる度に感染している人がいることや、ブレークルー感染の多発の状況と鑑みれば、一応筋は通るかなぁ、とは思っています。

従前のウイルスと、コロナウイルスは、分けて考えた方が良いかもしれないと思います。

結論として、本件は「『感染してもワクチン接種した方がいいようだ』と、データが語っている」という話になると思います、

(5)「私(江端)を信じてワクチン打ってみませんか?」

かなりハードルが高いのですが、私がお勧めするのは、『誰の意見も聞かずに、新型コロナウイルスとワクチンについて、自力で調べて理解をして判断をする』です。人の意見では、不安になるだけですし、人の意見では、最悪の結果に対して、その人を責めるだけではなく、自分自身を責めることになります。

しかし『それができないから困っているんだ』と言う声が聞こえてきそうです。実際、ウイルスやワクチンの内容は難しいのです。私もシバタ先生のレポートを解釈するのに、想像を絶するほど勉強して、今、ここに「開き直った私がいる」という状況です。

そこで提案ですが、いっそうのこと「私(江端)を信じてワクチン打ってみませんか?」

それで、お子さんに不幸が見舞われたら、私を訴えて、呪って、私の生きてる限り非難し続けて、必要なら私に復讐(殺害を含む)して頂いても結構です。さらに、その事件の裁判ではこのメールを証拠として提出して頂き、さらには全世界にこのメールをばらまいて頂いても結構です。

SNSなどを見ていると『私のコラムを読んで、ワクチン接種を決断した』という人が、日本には少なからずいるようです。私は、「その人達をそそのかした当事者として、断罪される」覚悟があります。

多分、世界中のお医者さんは誰も「絶対大丈夫」とは言ってくれないと思います。

「江端を信じる」というのは、本当に最後の、しかも、あまり懸命とは言えないジャッジかもしれません(最悪のチョイスかも)。しかし、もしそれで、あなたの苦しい状況が改善されるなら、私を自由に使って頂いて結構です。

長文になりましたが、貴方のご判断の材料になれば幸いかと存じます。

江端智一

未分類

N-BOXのテールゲート(後ろのドア)が開かなくなったので、ディーラに相談しに行きました。

そしたら『単なるゴムパッキンが接着していて開けにくくなっていただけで、力づくで開けられた』だったようです。

ただ、開閉に電磁的なスイッチを使っているので、開閉しない状態を1秒以上躊躇しているとコンピュータが半ドアと判断してしまう、という電磁的な問題だったようです。

つまり、テールゲートは、「一瞬」かつ「力づく」で「こじ開ける」ことが必要である、ということです。


半ドアになった状態から、こじ開ける方法も教えて貰ってきました。

まず、半ドア状態になっている時に、ここに指を差し込みます。

この段階で、テイルゲートのボタンを押して、両手の力で引き開けます。


また、手動でテールゲートを開く方法も教えて貰いました。

で、この中は、こんな風になっています。

で、この中に小さなフックがあります。

で、マイナスドライバ(青色)で、フック金具(赤色)を押して、内側からテールゲートを押し出すと、開きます。

以上

未分類

■interview と interview withの違い
interview Mr.A → これは動詞としての使用 ("Aさんにインタビューする")
a/the interview with Mr.A これは名詞としての使用("Aさんへのインタビュー")

■形容詞の順番(https://english-club.jp/blog/english-adjective-order/)

■"mediate"と"mediate between/among A,B, and C"の違い
mediate a treaty (条約を纏める) のような場合は、前置詞不要
mediate between A and B のように、調停相手が複数で明確な場合は、between, amongが必要

■provision time, provisioning time の意味
サービス等を開始する為に必要な"準備"期間の意味であり、"サービス提供時間"とは異なる

 

"conventional transportation services" 約 12,000 件
"existing transportation services"  約 120,000 件
"previous transportation services" 約 3,930 件

"conventional services" 232,000 件
"existing transportation services"? 4,820,000 件
"previous services" 614,000 件

"participatory simulation" 16,900 件
"experiential simulation"20,300
"hands-on simulation"

「ハザード」(有害性)とは理論的に害をもたらす可能性があるものです。一方、「リスク」(危険性)とは実際的に害をもたらすものの危険の可能性(高い、低い)を指します。
ある例を見てみましょう。巨大な火山が噴火したとします。多量の溶岩が噴出し、火山灰が大気に放出されました。これはハザードの例です。なぜならば噴火は火山の近隣に住む人々の命を危険にさらす可能性があるからです。しかしこの噴火が大洋の無人島にある火山で起きたとしたら、人々の命を危険にさらす可能性、つまりリスクは非常に低いと言えるでしょう。

"control room officer"  49,100 件
"control center officer" 72,200 件  → ×(映像が合わない)
"control center operator" 60,200 件  → ○(映像があう)

number と countの違い
「number」とは、数や数字、順番を表す言葉です。
「count」は、何かの数を数える時に使います。 → ○ counts of steering operation

vehicle On-demand 187,000 件  → ○
automobile On-demand 約 29,400 件

"user dissatisfaction" 69,000 件 →○
"user's dissatisfaction"   6,650 件 → ×
"users' dissatisfaction"  0件

"user smartphone"  537,000 件 (user's smartphoneも含む)
"user’s smartphone" 461,000 件 → ○

"user's decision"   473,000 件
"user decision" 423,000 件

"user’s information terminal" 597 件
"user information terminal" 147,000 件 → ○

 

未分類

■WordとExcelによる年賀状宛名書きは、

(1)「年賀状の宛名印刷 ワープロ編:ワード(Word)とエクセル(Excel)で年賀状の住所録作成、宛名を印刷「年賀状・暑中見舞いドットコム」2022年・令和4年寅(とら)年版」を読んで、毎年作り直すこと(大した手間ではない)。

(2)ただし"1.png"を読むこと(ここだけ違う)