2007,江端さんの忘備録

大学の頃、私の友人はZ80や他のICを組み合わせて、自作でパソコンを作っていました。

今の「自作PC」と一緒にしないようにして下さい。彼は、コンピュータの論理回路を「自作」していたのです。

# マザーボードを自作するようなもの

そんな凄い彼に色々教えて貰いながら、私も簡単なアナログ回路やデジタル回路を作って、遊べるようになりました。

遠隔の起爆装置を使って、リモートから爆竹を鳴らして遊んでいたら、成田闘争の先輩から声をかけられて、慌てて回路図を廃棄したことも思い出の一つです。

# もう、このネタ、いいかげん止めよう。

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ここ2ヶ月くらい、電子回路未体験の若い外注さんにお願いして、簡易PLCの通信モジュールを作って貰っていました。

彼の困っている内容に対して、色々指示できることを知って、自分自身で驚いています(プルアップとか、トランジスタを使ったスイッチングとか、インピーダンス整合程度の、簡単な話ですが)。

『この歳になっても、意外に覚えているもんだなーー』と。

というか、20年も前の知識が、今も通用するという世界がある、ということでしょうか。技術の世界も『基本は、それほど変わらない』と言えるような気がします。

2007,江端さんの忘備録

阪神大震災の3週間後に、私は被災地ボランティアにでかけて、 その被災地の詳細なレポートを社内のネットに流しました。

この文章は多くの人に読まれたようなのですが、その感想は、概ね、被災の実体を知ったことの衝撃、または、私の行為の賞賛等のものでした。

その中で、一人だけ「江端さんって、本当に偽善者ですね」と、笑顔で応えてくれた女性がいました。

『この人、本当に私のことをよく分っているんだなあ』と、嬉しくなったことを覚えています。

"偽善の善も、善は善" --- と言う共通の認識があったからだと思います。

しかし、「その女性が、今の嫁さんです」という話にはならないのですが。

2007,江端さんの忘備録

小松左京先生の数多い名著の中でも、群を抜いて優れている著作「さよならジュピター」を読まないまま、研究所に入所してきた若者がいることを知って、結構ショックを受けています。

すでに入手困難本になっているのかもしれませんし、若い世代には、その世代の代表的なSF作品があるだろうから、上記の評価は的を得ていないと思います。

先日古本屋で文庫本を入手して、十何年ぶりに読んだのですが、まったく時代を感じさせない、本当に見事な作品。

舞台が2200年でありながら、「加速度消滅装置」やら「ワープ」やら「タイムリープ」みたな、エネルギー保存法則を無視するようなデタラメな装置を持ち込まず、この21世紀でも十分通用する、無理のない技術の設定が大好きです。

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余計なお世話かもしれませんが、エンジニアの独身男性の諸君。

君と結婚を渋っている女性に、この本を勧めてみてはどうでしょうか。

『その主人公の「本田英二」は、要するに俺のことだ!』と彼女に言い切っても良いと思うのです(少なくとも私は許します)。

技術を愛する我々は、皆、宇宙の彼方のフロンティアを目指すエンジニアだと思うのです。

ちょっと我々は早く生まれてきてしまいました。

せめて、私達は、次の世代のエンジニアを、地球という楔から解き離すようにがんばりましょう。

エンジニアに「市場調査」だの「長期技術展望」だのという、下らない検討をさせる世界から脱却させる為にも。

2007,江端さんの忘備録

某、と言っておきましょうか、ステージトーク集だけでCDが販売される某シンガーソングライターの歌手の方の話です。

私はこの人の歌も語りも大好きなのですが、この人の日本への偏狭的な語りにはうんざりしています(時代遅れの性差主義も結構げんなりしています)。

『こんなにも四季が豊かで、こんなにも美しい国が、世界の他にあるでしょうか』

あるよ。

腐る程あるよ。

いい歳こいて、まだそんな阿呆なことを言っとるのか、お前は。

と、まあ、この件(くだり)を聴く度に呟いてしまうのです。

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確かに日本も美しい国です。

長期間滞在する機会を得た北米コロラドには、ここに一人取り残されたら絶対に死ぬ、という人間の存在を全否定するかのような、絶対的な冷厳な自然の美しさがありました。

一年を過す機会は得れませんでしたが、中国大陸の奥地の朝焼け、インディス川の夕日、ネパールのチベット山脈を望む高地、フロリダのやさしく流れる風、冬のパリのモノトーン色の午後。

どこもここも、大好きな所でした。

私は、世界のどこにいたって、言葉が通じようが通じまいが、その土地を好きになり、そして十分な時間さえあれば、そこが一番良い場所だな、と思うことができると思います。

そもそも、その土地を慈しみ、大切に思う気持は、その土地の上に立ち生きている、生きとし生きる物(×者)すべての生命の属性だと思うのです。

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だから、私は「愛国心」を「育てる」という意味がさっぱり分からんのです。

あれは「育てる」のではなく、ほっといても「育つ」ものです。

上記の某歌手のように、遍く日本人の全てが日本こそが最高だと思う人になるように「育てる」というなら、これはあり得ると思います。

が、そういうのは「育てる」とは言いません。

こういうことを、普通「洗脳」と呼びます。