2013,江端さんの忘備録

(「図書館戦争シリーズ」の)有川浩さんの「キケン」を読んでいます。

I am reading "KIKEN" (the word has two meanings: "danger" and "machine research laboratory") by Hiro Arikawa-san.

そういえば、私も「キケン」なんですよ。

Come to think about it, I belonged in "KIKEN."

著書の中では「機械制御研究部」の話ですが、私が所属していたのは「電気工学部電気/電子工学科機器研究室」、通称「キキケン」と言われたところでした。

In this book, KIKEN means "machine control research laboratory." In my case, that means "electrics industrial engineering department, instrument research laboratory."

ときどき「キケン」とも呼ばれたこともあるのですが、その時でさえ私は脳内では、いつでも「機研」と変換しており、一度たりとも「危険」と変換したことはなかったのです。

Sometimes, my research lab. was also called "KIKEN". My brain then tried translating the word into not "danger" but "research lab."

しかし、私が「機研」であり、同時に「危険」ですらあったことは、すっかり有名になっていました。ええ、もう十何年の前から。

But I belonged to KIKEN, and at the same time, I was KIKEN too. It has already been a famous story.

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有川浩さんは、別段、私の

Arikawa-san has never used my experiments as follows

this story,

や、

that story,

や、

and another story (no wonder).

をモチーフとしてこの著書を書かれた訳ではないと思うのです(あたり前だ)。

基本的に理科系の中でも工学を専攻し、特に男子生徒というのは、小学生や中学生の頃には、一度や二度は、自宅を全壊または消失さえるような実験をするものなのです。

"Basically, schoolboys who major in engineering used to experimentalize explosions and/or fire on the verge of their house extinction."

―― と、会社の同僚(後輩)に語ったとき、

When I told my junior colleague the above,

「それは、アンタだけだ!」と突っ込まれたことがあります。

they shouted, "You're alone." at the same time.

「ええー、そうなの? 何かを壊すことなく、どうして何かを創作できる訳?」

"Is it true? Why do we create something without destroying something?"

といったら、後輩たちに、随分残念そうな顔をされてしまいました(今でも、よく分かりません)。

My junior colleagues seemed to profess regret (I don't know why).

それはさておき。

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最近思うのですけどね、この本「キケン」や、あるいは今クールの放送していた「ゴールデンタイム」や、古い作品の「トラドラ」のような、絵に書いたような「青春時代」

Recently, I think there has been no story like "KIKEN" or "Golden Time" in this season, "TORA-DORA," several years ago.

―― そんなものは、存在しません。

in this real world.

これらの話は所詮は、フィクションです。

These stories are just fiction.

そんな美しくて、かっこいい青春が、都合よく発生する訳がありません。

Such a beautiful and cool juvenescence period doesn't happen conveniently.

ただ、ですね。

But,

いわゆる青春時代と呼ばれる期間に、無茶な実験をする、高嶺の花にアプローチをする(そして玉砕する)、言葉も通じない国にとりあえず行く、というような、いわゆる

for example, trying steepish experiments, prizing beyond your reach (and dismissed), going abroad without using any languages,

「無茶をする」「無謀なことをする」「理屈を考えずに、走ってみる」

"play the goat," "behave recklessly," and "run without thinking."

ということをやっておくとですね、歳を取ってから「美味しい」んですよ。

are good for you when you are old.

何が「美味しい」かというと、自分の中で「歴史改竄」ができるからです。

The reason why you are good is to do "history interpolation" of your life.

さらに、この歳になれば、それらのネタを、若干拡張表現して執筆しても、こつっこむ友人が近くにいません。つまり、

Added, the more you become old, the less your friends exist around you.

―― 「裏」を取られる心配がない。

You don't worry about your friends who do some back research.

自分の「歴史改竄」は、自分の中で「事実」に昇格です。

Your "history interpolation" becomes promoted "true" in your brain.

おめでとう!

Congratulation!

こうなるとですね、例えば、「玉砕した恋の話」と「水素を爆発させる話」を組み合わせて、一つのストーリーにすることすら可能となります。

In that event, you can make a new story in your life, for example, a story to combine the "suicidal attack of your first love" and "hydrogen chemical explosion."

誰がどう見たって、悪質な「歴史改竄」ですが、それをチェックする機関はありませんし、なにしろ自分は「事実」と信じているのですから、やり放題です。

Though whoever thinks that the story is a malicious "history interpolation," nobody checks the facts and stops it. Anyway, you believe that the story is true.

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「無茶をする」「無謀なことをする」「理屈を考えずに、走ってみる」という、「一生懸命」を、全くやっていないと、改竄する「歴史」すら作ることができません。

Unless you do your "Best foot forward," like "play the goat," "behave recklessly," and "run without thinking," you cannot make any of your history.

当然、将来的に昇格すべき「事実」もなくなる訳です。

Naturally, the promoted facts also burn off.

これは「美味しくない」です。

It is not good for you.

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私は、「苦労は金を買ってでもしろ」という格言を残した奴を、一片の疑いなく「アホ」と決めつけていますが、

Though I regard the person who said, "You could buy your burden" as merely foolish,

若い時代の「一生懸命」には、後発的に価値が出てくる可能性があります。

"do your best" in your youth might become valuable after that.

それは「一生懸命」に価値があるからではなく、その後の人生において、「一生懸命」の内容を「歴史改竄」した「幻想」で、自分自身を騙して生きていくことができる(場合もある)からです。

It means that it is valuable for you not to "do your best" but to live your life using an illusion you will make from your "history interpolation."

部屋の中に閉じ籠って、ゲームやアニメを見る日々は素敵な人生ですが、改竄する歴史を作ることは、どうやったってできません。

Though I think playing games and watching animation is a wonderful time for you, it is impossible to make your history yourself.

リアルは、作っておくだけで良いのです。別に充実している必要はないのです。

All you have to do is to make it "Real." It is necessary to make it perfect.

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日本経済新聞に「私の履歴書」というコラム欄があります。

There are columns "personal history" in the Nihon Keizai Shimbun newspaper.

あれが、自己の歴史改竄のサンプル ―― と私は思っています。

I think that it is the best sample of "history interpolation."

じゃあ、お前はどうなんだ?と問われれば、私は自信を持って、

If someone would ask me, "What are you doing in this matter?"

―― 「私は『歴史改竄』だけで構成されている」と、自分で自分を定義できます。

I could define myself as composed of just "history interpolation," Apparently.

2013,江端さんの忘備録

10月に部署を異動したのですが、異動先の共有ルームに「ニューズウィーク日本版」が陳列されていたので、毎日読んでいます。

Last October, I moved to another section, and I found "Newsweek (in Japanese edition) " in the shared area. I read the past issues every day.

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「ニューズウィーク」には苦い思い出があります。

I have a bitter memory about "Newsweek".

大学入学直後、新しい希望に溢れていた私は、どの大学生とも違わず「これからは英語が大切だ」と思い込んでいました。

After entering the college, I was a new fresh student in the full of hope, and I believed that I had to study English very hard.

そして、無謀にも「ニューズウィーク(×日本版)」の年間定期購読を申し込んでしまいました。

Recklessly, I admitted the annual subscription of "Newsweek (in English edition)".

結果は言うまでもありません。

It went without saying that the result.

一ページも開かれない「ニューズウィーク」が、床に詰み上げられただけでした。

Many Newsweek not be opened at all had been stacked on the floor.

そして、このような「自分の能力を客観的に把握できない」「無謀な希望に満ちた若者を狙った」英語商法は、今なお健在です。

Now the business like that, is going strong, that targets young guys who cannot grasp their English performances by themselves, and are full of reckless hope.

営業から見れば、私なんぞ、笑いが止まらない「カモ」ですよね。

I had been a top of the sucker list, and the sales reprehensive had not be able to stop laughing.

会社員になってからも、社員寮の玄関に、英字新聞が配達されているのを見ると、「ああ、ここにも『カモ』になった新入社員が・・・」と思ったものです。

After joining the company, whenever I found English-language newspaper in my co-worker's post in the dormitory, I was afraid that the victim was in here.

最近は同じような商法を、日本経済新聞などがやっていますよね。CMで大々的に。

Now some economy newspaper company did some business using commercial messages.

まあ、それはさておき。

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で、そこから30年近い時間を経て、ようやく「カモ」から卒業した私は、「ニューズウィーク日本版」を日本語で読んでいます。

After about 30 years ago, I was graduated from the sucker list and read "Newsweek in Japanese edition" everyday.

私が「ニューズウィーク(×日本版)」を読めなかった理由の99%の理由は、その能力の欠如ですが、仮に能力があったとしても無駄だったろうと、今になって思います。

Though I know the reason why I couldn't read the magazine was the luck of my English performance, even if I had the performance, the result was same.

―― 内容がつまらん。

"Bored"

「米国大統領の動向」「米国の経済」「中東情勢」「テロ」、こんなネタが、私にとって面白いものである訳がない。

Am I interested in "U.S. president current", "Economy in the U.S", "Middle East situation" and "terror attack" ?

そもそも、コンテンツが私向きではなかったのです。

First of all, the contents were not suitable for me.

コンピュータ、制御LAN、GPSというような記事であれば、英語でも踏ん張ったかもしれませんが、大学生の頃の私であれば、それすらも読まなかったでしょう。

Though "computer", "control network", "GPS" might catch me, it was also meaningless for me in campus life.

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このような英語雑誌等の「カモ」商法。当然批判されるべきものですが、それを言い出すことができる人がいないところに、この商法の巧さがあります。

This sucker list business should be criticized violently, but none of them accuse the business.

でも、どこかにいないかな。

Whoever tries to accuse the company, with saying,

―― お前のところの雑誌、私には一行も読めんぞ!

"I can't read just one line in your magazine."?

と文句を言えるクレーマ。

2013,未分類

最近、非常識な悪ふざけを、Twitter等のソーシャルメディアに投稿して、騒ぎになる事件が後を立たないようです。

かかる事件を置こす彼ら/彼女らは、共通して、以下に示す「5重の低能さ」を露呈していると考えます。

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(1)そのような所業しなれば、自己アピールができないという「低能さ」

(2)上記(1)を記録媒体に残すという「低能さ」

(3)上記(2)をネットワーク上に配布するという「低能さ」

(4)上記(3)の行為が社会的に認容されるという見込の甘さや、そのような自体によって発生する影響を推定できないという「低能さ」

(5)ニュース、新聞等のメディアを全く視聴していないという「低能さ」

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これは、「低能 of 低能s」、まさに「低能のエリート」「低能の帝王」といっても言いくらいの、低能さです。

これは、冗談でも皮肉でもなく、心底から敬意に値する「低能さ」だと私は思っているのです。

同じ「低能」であるなら、ここまで極めなければならない。

人間は、どうしても、ここまでの「低能さ」を発揮することは難しいと思うのです。

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それともう一つ、彼ら/彼女らの行為は、素晴しいことをしてくれています。

このような、ニュースになっている程度の規模を発生させている「低能者」は、私の計算する限り、100人には至っていないように思います。

この数は、本当に事件を発生された確定的にGivenな固定の人数であり、その人数以外には当て嵌まらないと言って良いでしょう。つまり、この100人以上の人間には、無関係であることが、はっきりしているからです。

我が国の15~22歳の人口は、ざっくり、960万人ほどいるのですが、その内の、100人というのは、

「10万人に1人」程度です。

これは統計的な観点から見た「母集団に対する歩留まり」から考えても、

―― 驚異的に小さい値です。

このような観点から見ると、「5重の低能さ」は、間違いなく個人の資質に起因するものと断定して良いでしょう。

このような「低能」さを、若い世代全体に一般化する人(マスコミや評論屋も含めて)は、若者に対して「失礼にも程がある」上に、その程度の計算もできない程、自分自身が「低能」であることを主張しているようにさえ見えます。

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私達の世代は「しらけ世代」「遊んでばかりいる大学生」と批難されていました。

しかし、私が知る限り「しらけ」つづけていて、続けられるような勉学ではなかったし、「遊んでばかり」いて、卒業できるほど大学のカリキュラムは甘くはなく、本当に、日々、勉学とのバトルでした(少くとも、私には余裕などなかった)。

ですから、無神経に、このような「一般化」を、マスコミや世間を、心底から

―― 「憎悪」していました。

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若い世代に対する、根拠のない不当な「一般化」は止めましょう。

「五重の低能者」は、その資質として「選ばれし低能者」であり、

世代とは全く無関係に、本質的に根本的に絶対的に「低能」なのです。

2013,江端さんの忘備録

新聞の編集部が舞台となっている、ある本を読んでいたのですが、

新人の買いた取材ルポを、上司が一読すると、その用紙をくしゃくしゃにして、ポイと投げるシーンが出てきます。

「ボツ! やりなおし!!」という上司に対して、

「あ、・・あの・・・どこが悪いんでしょうか」と尋ねる新人に、

「自分で考えろ。誰も教えてくれないぞ」といって、新人に大量の資料を手渡す上司が出てくる場面があります。

今の日本では、こういう「バカげた指導」を行っている職場は、残念ながら存在しているようです。

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こういうシーンが結構な数、見られるのですよ。特に、テレビ番組の、「寿司職人」「大工職人」などの、職人シリーズに多い。

「バカヤロー、お前は俺の仕事の何を見てきたんだ!」

と怒鳴る先輩職人のシーンを見ると、私なんぞは、

―― バカはお前だ。なぜ、大切な仕事の内容ならば、それを体系だてて、順序よく、理解しやすいように説明してやらないんだ。

―― お前にプレゼン能力(説明能力)がないばかりに、新人が効率よく仕事の内容を取得できずにいるんだろうが、阿呆が。

―― 自分が、「寿司握っているだけ」「工具を使っているだけ」で、新人が育つなどという、そんな都合のいい話があるか、馬鹿野郎めが。

と思ってしまうのですよ。

「仕事は盗むものだ」と信じているこういう先輩や上司は、コスト意識がない上に、自分達の持っている技術を「上限」と信じている傲慢さが見て取れて、気分が悪いです。

自分の持っている技術を踏み台として、新人を、更なる高みを目指させるのが、メンター(指導者)というものではないでしょうか。

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ところが、こういうテレビ番組などで、こういう場面が頻出するところを見ると、我々日本人は、「仕事は盗むものだ」というストーリーが大好きなようです。

先輩に責められ、上司に叱責され、何度もやりなおしをさせられ、それでも、最後に成功して、「やればできるじゃないか」という先輩に「ありがとうございました!」と、涙ながら語る新人の台詞で終わる、というストーリーです。

―― 正直、うんざりです。こういう番組。

一人ならチャンネル替えてしまうのですが、食事の時に、家族全員で見ている時などは、つき合わなければならない時もあるのです(また、こういうことを指摘すると、家族の批判の目にも晒されますので、ガマンしています)

でも、どう考えたって、正解はこうでしょう?

(Step.1)先輩が後輩の良くない部分を指摘し、正しいやり方を口頭だけでなく図解や実際のやり方を示して、短時間で所定の技術を取得させる。

(Step.2)そんでもって、同じミスを2回した場合は、それを指摘し、改善がなければ、叱責する。それでも駄目なら辞めて貰う。技術を継承できない者は、不要であるから。

それだけのことですよね。

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ただ、このような構成の番組としたら、到底、視聴率は取れないだろうな、ということは、私にも分かります。

2013,江端さんの忘備録

初音ミクは、人の声を生成する楽器ですので、どのような歌でも歌わせることができます。

いかなる、思想、歴史、政治、体制、まったく制約はありません。

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今朝、久々に、「初音ミク」のことを思い出して、日記のネタを考えていました。

―― 「初音ミクの『君が代』」は当然にあるだろう。なにしろ、祝詞(のりと)まであったくらいなんだから。

―― しかし、「初音ミクの『インターナショナル』」はないだろう。

―― よし! 今日は、このネタで書こう。

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「インターナショナル」とは、

■社会主義者の歌の一つで、基本的には共産主義革命を目指す運動家によって良く歌われた歌です。

■労働組合運動の団結意識を高める際にも歌われました。

■1960年、70年安保闘争、学生運動でもよく歌われました。

■1917年から1944年の間、ソビエト連邦の国歌でもありました。

それは、まさに「革命歌」

―― 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し ♪

―― 醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ ♪

―― 暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて ♪

―― 海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく ♪

―― いざ闘わん いざ 奮い立て いざ ♪

―― あぁ インターナショナル 我等がもの ♪

旋律も本当に美しく、多くの革命を目指す人達に愛されてきたというのも理解できます。

実は、私、一番だけなら「歌えます」

当時、もう学生運動の残滓だけが残っていた大学の自治寮で、先輩に教えて貰いました(つまり口伝です)

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「これを、初音ミクに歌わせてみよう! かなり評判になるにに違いない!!」

「今の日本の左翼勢力が、私にテロをかけるだけの力量は残っていないだろう」

てなことを考えながら、それでも、念の為、ネットで調べてました。

初音ミクの「インターナショナル」を見つけて、がっかりでしたが、一応、 聞いてみました。

それで ―― 「自我崩壊」を起こしそうになりました。

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私のもっていた「インターナショナル」のイメージはこちら

「初音ミク『インターナショナル』」はこちら

・・・もう、本当に、何がなんだか・・

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ちなみに、私、赤松健先生の「世界平和戦略」を本気で信じている一人です。

2013,江端さんの忘備録

「宇宙戦艦ヤマト」は、私に

■科学技術の夢とロマンと、

■商業主義の汚さを、

これでもか、これでもか」いうくらい教えてくれた、「大人の階段」を、完璧に具現化してくれた作品です。

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まあ、「夢とロマン」の方はさておき、「商業主義」の方は、こんな感じです。

■死んだはずのキャラクターを、「実は死んでいなかった」ことにして、続編を作る

■都合の悪いストーリーは「なかったもの」としてスキップして、続編を作る

こういう、「とにかくヤマトで儲けろ」というスタンスは、「ヤマト」を深く愛していたティーンの心を酷く傷付けたものです。

私の中では、

「宇宙戦艦ヤマト」= 「詐欺」

という構図が完成してしまいました。

この影響(か、どうかは分かりませんが)もあって、私はその後、このような宇宙戦争を扱ったアニメに興味が持てなくなりました。

例えば、「ガンダム」なる超著名ロングランアニメについて、私は何も語るものを持っていません。

これは、このような、ティーン時代の「負の記憶」に因るところが大きいと思っています。

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ですから、今、放送中の「宇宙戦艦ヤマト2199」も、

『まだ飽き足らず、詐欺の続きをやっていやがるのか』と、腹だしい思いで、まあ、それでも初回だけでも見てやろうか、と、思ったのですよ。

・・・

・・・

■うん、まあ、あのやたら暑苦しくて、鬱陶しい「古代進」が、まあ、ちょっと言い感じになったかもしれないな?

■「森雪」の設定がなかなか意味深になっていて、悪くない。

■ワープの論理(フィクション)が、なんとなく複雑になって、しかも、ちょっと腹に落ちるようにはなっているな。

■ガミラス帝国が、単なる悪の帝国としてではなく、ちゃんとしたヒューマンドラマとして描かれているのは、まあ、評価できるかな。

■都合の悪い、難しい話を、全部「コンピュータ」に押しつけるというスタンスが、改善されているなぁ。

■波動砲の使用に関して、倫理的観点からの批判が採用されている点は、とても良い。

■初戦において、「地球側から戦端を開いた」という、驚愕の設定を導入した点は、高く評価できる。

■なんか、やたら「ドメル」が、かっこよくないか!!

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まあ、そんなこんなで、私は、日曜日午後5時から、私の部屋を完全に立ち入り禁止にして、テレビを見ています。

宇宙戦艦ヤマト2199公式設定資料集の購入は、決定済みです。

2013,江端さんの忘備録

なんの脈絡もなく思い出したのですが、昔、ふと流れていた番組を見て、「凄いなぁ」と、驚いたことがあります。

宇宙警察だったか、宇宙刑事だったか忘れたのですが、ヒーロー戦隊番組がありました。

(調べてみたら「特捜戦隊デカレンジャー」がそれのようです)

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(Step.1)デカレンジャーは、戦闘中に(すでに重犯罪を繰替えしていると思われる)怪人にとどめを刺す直前に、宇宙最高裁判所に連絡し、裁判所の判断を仰ぎます。

(Step.2)宇宙最高裁判所は、即座(2秒くらい)で、◯と×で判決を決め(もちろん、◯になるのですが)、その旨を、デカレンジャーに通達します。

(Step.3)デカレンジャーは、その判決を待って、必殺技で怪人を殺害(死刑執行)します。

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先ず、私が驚いたのは、ヒーロー戦隊番組において、「司法権の独立」という概念を導入した、という点にあります。

デカレンジャーは宇宙刑事であり、当然警察組織に属する公務員です。

警察は行政庁ですから、終審としての判決を行うことはできず、かならず司法(裁判所)の判断が必要になります。

「裁判時間2秒」「判決◯× 」という、めちゃちゃ乱暴な制度ですが(戦場における臨時軍事裁判所だって、ここまで酷くはないだろう)、一応、筋は通している、と言えます。

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次に、驚いたのは、犯罪者を捕縛する刑事と、死刑の執行者が、同一人物であるという点です。これは、全然管轄の違う行政組織が、一体となっているという点です。

このような制度では、怪人の人権を著しく損い、冤罪を誘発し、誤った怪人への刑の執行がされる恐れがある、と感じました。

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多分、これまでのヒーロー戦隊ものに対する、批判をかわす目的があったのかなぁ、などと邪推しています。

だって、ヒーローの彼ら/彼女らは、司法の判断なく、また行政手続を無視して、毎週、独断で死刑執行をやっていたようなものですからね。

デカレンジャーの仕組みでも、なお、冤罪→死刑になった怪人は、かなりいたのではないかと推測されます。

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とは言え「宇宙最高裁判所」という概念は、私に、「その下級審の仕組みははどうなっているんだろう」とか想像させましたし、

「怪人人権擁護局」というものも登場させたら、さらに面白くなりだろうな、と思いました。

デカレンジャーの必殺技炸裂の直前1秒前に、「人権擁護局」からの差止命令が下りた、というストーリーなど考えるだけで、ワクワクします。

デカレンジャーが「えっ?」とか言いながら、必殺技を寸止めするシーンは見ものだと思います。

■「怪人」による宇宙最高裁判所の判決に対するの再審請求や、

■デカレンジャーによる所掌範囲を越えた捜査権の濫用に対する行政審査請求、行政事件訴訟

など、発想は広がり続けます。

楽しいですねえ―― え?そんなことないですか?

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ヒーロー戦隊を作成される番組の皆さま。上記のようなシーンを含めた新しいヒーロー戦隊番組はいかがでしょう。

番組名は、当然こうなります。

「行政と法律と裁判と三権分立を前提に、正義と人権を守るヒーロー戦隊 『インテリゲンチャー』」

2013,江端さんの忘備録

日本国憲法は、太平洋戦争終結後の、日本を占領した連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)、というか、米国政府によって押しつけられたものである ――

という主張を良く聞きます。

―― でも、それが何だと言うのですか?

と私は、逆に尋ねたいのです。

権力の濫用を防ぐ「三権分立」の考え方は、モンテスキューに押しつけられたものですか?

法治主義は、我が国が、近代ドイツ法学を押しつけられれたものですか?

もっと言うのであれば、漢字は中国に押しつけられたものですか。近代医学はドイツに押しつけられたものですか。化学や微分や積分の概念は、欧米に押しつけられたものですか。

―― どーだっていいじゃん、そんなこと。

日本国憲法の発生のプロセスがどうであれ、それをがんばって運用してきたことで、日本国憲法は、我々日本人のものになったのです。

日本人は、よくがんばってきたと思います。

憲法第1条(象徴天皇の規定)なんて、大陸法的観点からも、コモンロー的観点からも「完全に意味不明」な条文です。

はっきりいって、憲法第1条は「法律ではない」と言い切ってもいいと思う。

しかし、誰が起草しようが、それが、単なる理想や理念を語っていようが、法律と呼べるかどうか疑義があろうが、我が国において半世紀以上も運用され続け、

そして、(それは単なる運が良いだけであったとしても、または形式的であれ)、我が国は、国際紛争を解決する手段としての戦争はしなかったという、

―― どえらい実績がある

とは、言えるんではないでしょうか。

まあ、同盟国(米国ですが)の戦争を山ほど手伝っていますし(朝鮮戦争から湾岸戦争、そしてその後も)、日米安保条約がなければ、とっくに他の国に占領されていただろうなぁ、と、私ですら思います。

だから、「平和憲法が、平和をもたらしてくれた」とは、直接的には言えないことも、よく分かってはいます。

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憲法第9条2項の改正は、法治国家としての対応としては、確かに正しいと思う。

しかし、その改正をしないことによって、ぼんやりとしたものであっても、私達の過去の反省が伝わり、誰かが安心し、我が国としてのの誠意が、届けられるのであれば、

沢山のバンドエイドやら、包帯やらを巻きつけながら、ゼーゼーいいながら、なんとか存在していたとしても、

憲法第9条2項は、「そのままでも、いいよ」と、言ってくれるのではないか、と、

私は、そう思いたいのです。

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「憲法第9条2項の改正は必須だ、もう我々は待てない」という方に対して、私ができることは、お願いをすることくらいです。

あと、20年ちょいくらい、待って貰えませんか(もっと早いかもしれません)

私は、「『嘘つき』ではない人生を生きた」と、これまで出会って話をしてきたアジアの人に、言いたいのです。

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だめ? そんなに長くは待てないですか?

じゃあ、あと数年、いや2年でもいいです。

「背負っている赤ちゃんってね、死ぬといきなり重くなるんだよ」と言った母に、

「戦後、あなたたちは、この国の平和憲法を立派に守りきったのだ」と語りかけて ―― 送ってやりたいのです。

江端さんのひとりごと 「尊敬され得る人々」

 

2013,江端さんの忘備録

昨日の続きです。

我が国の最高法規である憲法に、「矛盾」があり「ねじれ」がある、というお話をしました。

「矛盾」や「ねじれ」を、それを「ない」状態にしようとすることを、私は、正面から批判することはできません。

でもね ―― と、私は思うのですよ。

日本国憲法は、「我が国の最高法規」であると同時に、「人類の考えうる究極の理想論」でもあるのだ、とか、

あるいは、「日本国憲法第9条は『夢と魔法の国』の話である」とか、「日本国民の共通理念であり、信仰である」とか、

―― それじゃ、ダメですか?

夢だっていいじゃないか。

世界中から嘲笑されたっていいじゃないか

と。

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「今さら、それを言うか!」「卑怯だぞ!!」

これまで、ロジックや法律論で、色々なコラムを寄稿し、反論を封殺してきた江端が、その論旨展開はないだろう、という罵声が、パソコンの前までにも聞こえてきそうです。

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でも、やっぱり、私は「日本国憲法」は、やっぱり「念仏」や「聖書」や「コーラン」であって欲しいと思う。

例えば、新約聖書(の、マルコ福音書)に出てくる、あの超有名で、未だに私には訳が分からないフレーズ

『神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)』

を、

「このフレーズを残したままでは、新約聖書の解釈の一貫性を欠く」

「山ほどの解釈があって、面倒だ」

「うん、そうだな。今後は、聖書から、このフレーズは削除しよう」

というくらいの「乱暴さ」を感じるのです。

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「詭弁だ!法律と宗教を一緒くたにするとは、お前こそ乱暴にも程があるぞ!!」

という声も聞こえてきました。

うん、うん。分かっています。

もう少しだけ、我慢して聞いて下さい。

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私は、これまで、一人旅をしてきたアジアの国々で、太平洋戦争中の日本軍による非道行為に関して、うんざりする程、非難(正確には「お前は、日本軍が何をやってきたか知っているか?」という質問を)されてきたのです。

正直、『文句なら、当時の日本人に言ってくれよ』とは思いました。

でも、その国の人達は、無茶ぶりを承知の上で、旅の途中にあった日本人の若者に、どうしても「それ」を伝えたかったのだ、ということは、本当によく分かりました。

その想いが、あまりに、強く、切なく、悲しすぎて、私にそのような発言をすることを躊躇させました。

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私は、以下のように応えていました。

「私自身は『申し訳ない』とは言えません。私はそこにいなかったからです」

「でも、我が国は法治国家の最高法規である憲法で『いかなる形においても、絶対に戦争をしない』ことを明文化しています」

「日本人は、絶対に、この憲法を未来永劫守っていくはずです」

「日本人が、この憲法を守り続けることで、私達日本人の過去の反省と未来の誠意を、どうか信じて貰えないでしょうか」

―― と言ってしまったのですよ。

そう。かなり、たくさんのアジアの人たちに。

だって、私にとって、日本国憲法とは「神聖にして犯されざる法典」と信じ、そして、それを全く疑ったことがなかったからです。

その「法典」の内容を、削除・変更することを、我が国の国民が「支持する時代がくる」など、予想もできなかったのです。

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―― 私は、やっぱり「嘘つき」になるのかなぁ

と思うと、切ない気持になります。

(続く)

2013,江端さんの忘備録

私が学生だったころ(25年くらい前)、法律を勉強していた友人が、

「さっさと『9条』を改正すればいいのよ」

と言って、私の度肝を抜かせたことがあります。

当時の私は、大学の自治寮の寮長であり、思想的には「左」で、自動的(?)に『9条』に関しては「護憲」の立場であったと思います。

その私に正面切って「9条改正」を言い切ったのは、後にも先にも彼女だけでした。

まあ、私のスタンスを「全然知らなかった」だけかもしれませんが。

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日本国憲法第9条は、前文と併わせて、我が国の憲法の三大原則の一つである「平和主義」を規定しているものです。

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■第1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

■第2項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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彼女が言っていた「9条」とは、正確には「第9条2項」の、いわゆる「戦力不保持」を示しています。

「自衛隊の存在との不整合」が発生することに対する、法律を勉強する学生としての、一種のストレスだったんだろうなぁ、と今では思えます。

なお、この当時、まだ、「自衛隊を海外に派遣する」などという観念すら存在していなかったことに、留意しておいて下さい。

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現在、この「日本国憲法第9条2項」は、沢山のバンドエイドやら、包帯やらを巻きつけながら、ゼーゼーいいながら、なんとか存在している、という感じがします。

というのは、この9条2項は、どう考えても「そりゃ、ちょっと無理があるのではないか」という解釈論で逃げまくってきたからです。

いろいろな解釈があるのですが、一番有名な政府解釈を、私なりに書き下してみると、こんな感じでしょうか。

■第1項では、(1)国際紛争解決としての戦争は「ダメ」だけど、(2)自衛戦争は「ダメ」とは言っていないよね。

■第2項にいう「交戦権」とは、(1)のことを言い、(2)の自衛戦争を含まない、と読めるよね。

■だから、自衛隊の存在は「合憲」だよね。

私が思うに ―― 多分、法律家も政治家も、これを日本人であれ外国人であれ、こんな話を、その人たちに説明するのが、本当に面倒くさいんだろーな、と思うのです。

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私も最近、法律(といっても特許法ですけど)の勉強を開始して、この気持が分かるようになりました。

「解釈(定説、反対説、その他)を2つ以上覚えるのは面倒なんだよ」

「私の脳のキャパはそんなに大きくないんだから、とっとと成文化してくれよ。本当に勘弁してくれよ」

と、泣きたくなることがあります。

まあ、特許法などの知的財産権法は、2年おきにくらいにコロコロと変わりますので、別の意味で泣きたくなることもありますが。

それはさておき。

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憲法はその国の法律の最高法規ですから、この憲法に「逆らわないように」それ以外の法律が作られることになります。

その最高法規に「逆らうような」もの(例:自衛隊等)を運用している、という状態は、

多分、我が国の最高意思決定機関の長の人達にとって、

『これ以上もなく、気持の悪い状態』

ということは、想像に難くありません

私のような、知財法の初学の下っ端でも、法解釈では「イライラ」させられるくらいなのです。

そのような方々にとって、9条2項の改正というのが「悲願」というのは、本当によく理解できるのです。

(続く)