2024,江端さんの忘備録

松本人志さんの事件について、私は、今後も、その事件そのものについては、コメントはしないつもりです。

I will not comment on the case of Mr. Matsumoto's case itself.

私は、1981年の「ロス疑惑事件」を覚えているからです。

Because I remember the "Los scandal" of 1981.

この事件、当時も今も、私には整理できないほど複雑で、今も理解できておりません。

This case was then and still is too complicated for me to understand.

興味のある人は、こちらをどうぞ。

For those interested, click here.

当時、私はティーンエイジャでしたが、この事件にあまり関心はありませんでした。

I was a teenager then and did not pay much attention to the case.

ただ、世間とマスコミの加熱ぶりは、よく覚えております。

However, I remember how heated the public and the media were.

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私が、今でもはっきり覚えているのが、

I still remember it clearly,

「その事件で、その人物を呼び捨てにして、散々犯人扱いしてきた週刊誌が、最高裁での無罪の確定後に、『さん』づけで呼び、そして、『犯人扱いされてきたことに』に『同情的』な記事を掲載した」

The weekly magazine, which had called the person out in the case and treated him like a criminal, called him "Mr." after his acquittal by the Supreme Court and published an article that was "sympathetic" to "what he experimented treatment as a criminal."

ということです。

確か、"女性"という単語を含む週刊誌だったと思います。

It was a weekly magazine that included the word "women."

私は、その週刊誌に対して、"無知性"、"無能力"、"無責任"、"無教養"、"無信念"、"無品性"、"無羞恥" ―― と、ありとあらゆる罵詈雑言を付くしても、なお足りないと思えるほど罵倒したことを覚えています。

I remember cursing the weekly magazine for its "ignorance," "incompetence," "irresponsibility," "illiteracy," "unbelief," "lack of character," "shamelessness," and a host of other abuses that would have been inadequate.

今も、その気持ちを消し去ることはできず、その手の週刊誌を読んでいる人を見ると(以下省略)。

Even now, I can't erase that feeling when I see people reading those weekly magazines (Omitted below).

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私も、物書きの端くれとして、批判や非難を受けることがあります。

As a writer, I am also subject to criticism and condemnation.

それは仕方がないことと思っていますが、少なくとも「"無羞恥"と罵倒されることはしないようにしよう」と思っています。

I don't blame them; however, I try not to be abused as "shameless.

間違ったことを書いてしまって、それが間違っていたと自分が納得したなら、『私が、間違っていました。ごめんなさい』とちゃんと言えるように心掛け、これからも、そうしたいと思っています。

If I write something wrong and am convinced it is wrong, I can say, 'I was wrong. I am sorry,' and I will continue to do so.

というか、私にとって、「"私"が正しいかどうか」は比較的どーでもいいのです。

It is relatively unimportant to me whether "I" am right or not.

私は、自分が間違っていることに納得できれば、3秒以内に考え方を変えることができるように訓練された、研究員&エンジニアですから。

I am a researcher & engineer trained to change my mind within 3 seconds if I am convinced I am wrong.

訓練されたエンジニア/研究員は、自分が「間違っていること」を前提に行動します。

2024,江端さんの忘備録

4月は、キックオフミーティングの季節ですね。

April is the season for kick-off meetings.

私、これまで何度かキックオフミーティングの司会者をやったことがあります。

I have moderated several kick-off meetings in my career.

このようなミーティングで良く見られるのが「質問が出てこない」という現象です。

A common phenomenon in such meetings is the "no questions asked."

しかし、幹部の出席するミーティングで「質問が出てこない」のは『当たり前』じゃないですか?

But isn't it 'normal' that 'no questions are asked' at meetings attended by executives?

いらんこと言って、幹部から目をつけられるのは怖いです。

I am afraid of saying something terrible and getting noticed by the executives.

特に、私について言えば、『的外れな質問をして、場を白けさせる』ことをやらかしたことがあり、今でもトラウマになっています。

As for me in particular, I once asked a question that was so off the mark that it made the place feel whitewashed, and I'm still traumatized by it.

事実、過去、私はマズい質問をして、幹部からマークされたという"実績"があります。

I have a "track record" of being marked by executives for asking wrong questions in the past.

まあ、上司や会社の関係者の出席してきない国際学会では、私は「質問製造機」に変貌するのですけどね。

Well, at international conferences not attended by my boss or company officials, I turn into a "question-making machine.

『見苦しい英語であろうが、そんなこと構っていられるか』と振り切れるくらい、正直、今の私は追い込まれているのです。

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さて、私が司会者の時に採用したのが、「負のクジ」です。

Now, I employed a "negative lottery" when I was a moderator.

どこの世界に「小説が長い」と文句を言う人がいますか?

(1)私は、5秒以内に質問が出なければ、課長をランダムに指名すると宣言しておく。

(1) At the start of the meeting, I will declare that if no questions are asked within 5 seconds, I will randomly appoint a section head.

(2)私は、課長を指名してする。指名された課長は質問するか、あるいは、自分の部下を再指定できる(たらい回す)

(2) I shall nominate a section chief. The nominated section chief can ask questions or reassign subordinates.

(3)再指定された部下は、質問をしなければならない

(3) The reassigned subordinate must ask questions

この「負のクジ」によって、「全員が質問できるネタを考えながらミーティングに参加しなければならない」という緊張感で満たされることになりました。

This "negative lottery" filled me with a sense of urgency. I had to attend the meeting, thinking of a story that everyone could ask questions about.

私の後任者は、この方法を継承したようです(今年がどうなっているかは不明です)。

My successor seems to have inherited this method (not sure how this year is going).

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この方法のメリットは、

The advantages of this method are,

(1)場が沈黙するのを回避できる

(1) Avoids silencing the field.

(2)指名された人間が、変な質問をしても『仕方がない』と割り切れる気分になれる

(2) The nominated person can feel like they can 'just go along with it' even if they ask strange questions.

ということです(ミーティングにゲーム感覚を取り込める)。

This system brings a sense of game into the meeting.

「幹部が参加しているミーティングで、下っ端が進んで質問はしない」は当然なのですが、この当然を前提とする考え方が欠けているように思えます。

It is evident that "a low-level person will not willingly ask questions at a meeting attended by executives." Still, it seems to me that the concept of assuming this obviousness is lacking.

適度な"強制"と"諦観"を入れることで、ミーティングを適度に運行させることは可能と思います。

It is possible to keep meetings running at a moderate level by adding just the right amount of "compulsion" and "resignation.

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ただ、一つ誤解して頂きたくないことは、私は、ミーティングを活性化させ、組織に貢献するという気持ちは、ほとんどなく、

One thing I don't want you to misunderstand, however, is that I have little desire to activate the meeting and contribute to the organization. This is just a 

―― 私が与えられたミッションを完遂するために、私が捻り出した方法

"method I have devised to complete the mission I have been given."

ということです。

忘れないでください ―― 私は「会社の犬」です。

2024,江端さんの忘備録

私は、もの書きの一人であるという自覚はありますが、だからといって、高い読解力を持っている訳ではないようです。

I know that I am one of those people who write things, but that does not mean I am a high reader.

次女の持っている「SPI(*)問題集」なるものの本に目を通していたですが、「(日本語)長文解読」という項を試してみて驚きました。

I was looking through a book that my second daughter has called "SPI(*) Question Book," and I was surprised when I tried the section called "(Japanese) Long Sentence Decoding.

(*)SPIとは、Synthetic Personality Inventory(総合適性検査)の略で、1974年に個人の資質をベースとした採用選考を目的として開発された適性検査で、一般社会人として必要な性格や能力の測定を目的としているテスト

(*)SPI stands for Synthetic Personality Inventory, an aptitude test developed in 1974 for employment selection based on personal qualities to measure the personality and abilities required of ordinary working adults.

エンジニアの私から見れば、

From my perspective as an engineer,

―― 壮絶に酷い文章

"a spectacularly bad sentence."

と、呟かずにはいられない文章でした。

I couldn't help but mutter to myself.

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例えば、長文問題の、

For example, of long-form questions,

『全体として見た言語学は、いまだ生物的に共有されることばというわくの外に立つことを望んではいない』

"Linguistics taken as a whole is still unwilling to stand outside the web of biologically shared language."

の意味を問う設問がありました。

There was a question asking the meaning of the above sentence.

設問以前に、このフレーズ、日本語として意味をなしているのでしょうか?

Before the question, does this phrase make sense in Japanese?

私なら、素直に『言語学では、生物学的な側面や共通性に焦点を当てて、言語を研究する』と書きます。

I would honestly write, 'In linguistics, they study language by focusing on biological aspects and commonalities.

このように書かなければ、私は上司に怒鳴りつけられただろうし、私も部下を怒鳴りつけるだろう、と思います。

If I had not written it this way, my supervisor would have yelled at me, and I would have yelled at my subordinates.

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テクニカルライティングで洗脳されているエンジニア(私のことです)は、

I am an engineer (that's me) who believes technical writing is the best. Therefore, I always consider the following.

■明確で正確な言葉遣い

- Clear and accurate language

■図表やグラフの効果的な利用

- Effective use of charts and graphs

■段落構造の整理

- Organize paragraph structure

を常に考慮しますし、

■ターゲット読者や文書の目的に合わせた、適切なスタイルやフォーマットの採用

- Adoption of appropriate style and formatting to suit the target audience and purpose of the document

にも気を使います。

そこに共通する基本原則は、

What are the basic principles common to all of them is

『わからない文章の責任は、"100%"書き手にある』

"The writer is 100% responsible for the unreadable text."

であり、そこには、一貫した"読者第一主義"があります。

There is a consistent "reader-first" principle.

―― 『読みやすい文章』っていうのは、こういうものさ

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まあ、かくいう私も、常に、"テクニカルライティング"や"読者第一主義"をやっている訳ではありません。

I am not always a "technical writer" or a "reader-first" person.

コラムを書く第一の目的は、「私が楽しく書くこと」であり、その後、そのコラムを「私が楽しく読むこと」です。

My primary purpose in writing a column is that I enjoy writing it, and then I enjoy reading it.

私のコラムにおいては、読者は、常に二の次です。

In my columns, the readers are always secondary.

まあ、『このようなスタンスが、物書きとしては、どうか?』と問われると、問題があるとは思っています。

Well, 'How is this stance for a writer?' I think it is problematic.

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世の中全部が、テクニカルライティングになったら、文学は成り立たないし、学問の分野も味けなくなるだろうとは思います。

If the world were to become technical writing, literature would not be possible, and academic fields would lose flavor.

そもそも、SPIのこういう設問自体が成立しなくなる、とは思います。

First, I think this kind of SPI question will be invalid.

ただ、

However,

『全体として見た言語学は、いまだ生物的に共有されることばというわくの外に立つことを望んではいない』

"Linguistics taken as a whole is still unwilling to stand outside the web of biologically shared language."

というフレーズを理解できない人は、自分の国語力が低いと思わなくて良いと思います。

If you do not understand the above phrases, you need not think your language skills are poor.

少なくとも、私は分かりませんでした ―― 私たちは同志です。

At least, I didn't understand -- we are comrades.

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ただ、SPIの他の分野、算数(数学)や、英語(単語)については、『妥当な内容だな』と思えました。

However, it seemed reasonable for the other areas of the SPI, arithmetic (math) and English (vocabulary).

私は、設問の内容を理解することができ、解答を導くことができたからです。

I was able to understand the questions and derive the answers.

そのように考えると、『私の国語力だけが極端に低い』という可能性も出てきます。

When I think about it that way, the possibility arises that 'only my language skills are deficient.'

という訳で、この話題については、ここで打ち切りたいと思います。

Therefore, I would like to discontinue this topic here.

もし、私が悪霊になって、人を祟るようになったとしても、この呪文の内容では、私を除霊することはできないと思います。

2024,江端さんの忘備録

私は、自分自身が「組織の問題児」であるという自覚があります。

I know I am a "problem child" of the organization.

そもそも、私には、組織を愛するという考え方(愛社精神とか、愛校心とか、地元愛とか、愛国心)が、希薄です。

To begin with, I do not have a strong sense of love for the organization (company spirit, school spirit, local love, patriotism).

「ない」という訳ではないと思うのですが、それに対する強い愛は「弱い」、という気がします。

I don't think it's "no," but I feel intense love for it is "weak."

組織への帰属感というのは、社会生活における基盤でもあるので、この帰属感が薄いということは、ある意味、「組織における問題児」といっても、過言ではないような気がします。

Since a sense of belonging to an organization is the foundation of social life, I think that it is not too much to say that those who lack this sense of belonging are, in a sense, "problem children in the organization.

でも、まあ、誰も彼も、方向や大きさの違いはあれども、組織の問題児であると思います。

But, well, I think everyone is a problem child of the organization, albeit in different directions and sizes.

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最近、というか、ずっと昔から思ってきたのですが、私は、その「問題児を"直す(または"潰す")装置」として使われることが多いようです。

Lately, or so I have thought for a long time, I have often been used as that "device to "fix" (or "crush") problem children.

ロジック(屁理屈)と暴力(権力)を使って、『問題発生を抑止する装置』です。

It is a "device to deter the occurrence of problems" using logic (quibble) and violence (power).

「毒をもって毒を制する」の、完璧な実施例です。

This is a perfect example of "conquering poison with poison.

まあ、年齢を取っているので『睨み』はききますし、脅しとすかしの使い分けもやります ―― ただ、面倒くさいですけどね。

今でも、会社で安全衛生委員として、社員の職場環境を、会社の規定されたフォーマット("5S"なるルール等)に押しつけるように弾圧を続けています。

I'm getting older, so I can 'glare' and use threats and scolding, even if it's just a pain.

『会社も他人もどうなろうと知ったことか』をベースとする私の価値観において、自分の中の暴力装置を動かすのは、それなりにエネルギーがいるのです。

In my value system, "I don't care what happens to the company or others," it takes some energy to move the violent device inside me.

でも、ご存知の通り、私は「会社の犬」ですから、ミッションが与えられれば、それを完遂するように動くのです。

忘れないでください ―― 私は「会社の犬」です。

But as you know, I am a "company dog," so when given a mission, I work to complete it.

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新たに与えられるミッションを聞いた瞬間に、「組織の狙い」が見えてしまうことが、『嫌だなぁ』とも『面倒くさいなぁ』とも思います。

I both 'hate' and 'find it troublesome' that the moment I hear about a newly given mission, I can see the 'aims of the organization.'

もうそろそろ『縁側で、日向ぼっこしながら、お茶をすするような仕事にしてもらってもいい頃だ』とも思うのですが、それはそれで、辛いだろうな、とも思います。

I think it's about time for me to get a job where I can sip tea in the sun on the porch," but I also think that would be harsh.

シニアも、シニアなりに、日々、悩ましいのです。

Seniors, in their own way, are also troubled daily.

2024,江端さんの忘備録

私は、娘たちに、『(スマホなどの)ゲームをしろ』とも『ゲームをするな』とも言いませんでした。

I did not tell my daughters to 'play games (such as on their phones)' or 'don't play games.

しかし、世間の多くの保護者が頭を抱えている『子どもがゲームから離れない』という現象に出会ったことがありません。

However, I have never encountered the phenomenon many parents are annoyed with: 'My child won't leave the game.

私は、娘たちに『本を読め』とも『本を読むな』とも言いませんでした。

I did not tell my daughters to 'read books' or 'don't read books.

でも、彼女らは、普通に本を読んでいるみたいです。

But they seem to be reading books just fine.

私は、娘たちに『勉強しろ』とも言いませんでした。

I didn't even tell my daughters to 'study.

優秀な成績だったのかどうかは知りませんが、卒業しているようなので、それなりにやっていたのだと思います。

I don't know if they excelled, but they seem to have graduated, so I think they did reasonably well.

私は、娘たちに、『英語はやっておいた方がいいよ』とは言っていました。

I had told my daughters, 'You might do English.

しかし、二人の娘たちから「少なくとも『就活』に英語は全く必要なかった」と総括されています。

However, my two daughters have summed it up by saying, "At least we didn't need English at all for 'job hunting.

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実際に、私が「命懸け」で英語の勉強始めたのは、30歳を超えてからです。文字通り、命がかかっていたので。

It wasn't until I was over 30 that I started studying English "with my life on the line." My life was on the line.

海外での仕事は何とかなりました。今も、何とかしています。

I managed to work abroad. I am still managing to do so.

「英語に愛されないエンジニア」のための新行動論

ちなみに、『幼少のころから始めないと、英語が使えない』というのは、私が知る限り、根拠となるデータがありません(根拠なしで、そう主張しているのは、幼児向け英語教材の会社だけです)。

Incidentally, as far as I know, there is no data to support the claim that 'if you don't start at an early age, you can't use English' (the only company that claims so, without evidence, is the company that produces English materials for young children).

根拠となるデータや論文があれば、私に教えて下さい。私がエンジアリングアプローチで、きちんと検証します。

Please let me know if you have any data or papers to back this up. I will use an engineering approach to validate it properly.

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ともあれ、私には語るべき「教育論」がありません。

Anyway, I have no "educational theory" to speak of.

例外があるとすれば、これをやった記憶くらいです。

The only exception is my memory of doing this.

2024,江端さんの忘備録

日本国外の特許については、各国の特許庁が各国の言語で応答してきます。

For patents outside Japan, each country's patent office will respond in that country's language.

当然です。

Naturally.

その国において、特許権の取得を要求する以上、その国の行政府の言語で記載されるのは当然です。

As long as the patent is requested in that country, it is only natural that it should be written in the language of that country's executive branch.

第三外国語は、ない

ですが、最近は、欧州への特許などは、英語で返事をしてくれます。凄く助かっています。

But recently, they replied to me in English for European patents, etc. They are accommodating.

私、英語嫌いですが、それでも、その行政府の言語ではなく、英語にしてくれているというだけで、御礼を申し上げたい気持ちになります。

I don't like English, but I still feel like thanking them just because they are using English instead of the language of that government agency.

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先日、中国語の拒絶理由通知書が、私に届きました。

The other day, the Chinese Patent Office notified me of the reasons for the refusal.

中国語というだけで、拒服(拒絶理由に服従すること)しようかとも思いましたが、それはそれで、誠意のない対応だとも思います。

I thought about accepting the reason for rejection because it is in Chinese, but I also believe that is not a sincere response.

十数年前と違って、今は、優れた翻訳エンジンもあることなので、ここは中国特許庁と闘ってみようかと思います。

Unlike more than a decade ago, we now have excellent translation engines, so I think I will try to fight the Chinese patent office this time.

第一ラウンドくらいファイティングポーズを見せないと ―― 『王禅寺の特許明細書製造装置』の名にかけて。

You must at least show a fighting pose in the first round -- in the name of "Ozenji's Patent Specification Manufacturing Device."

ちなみに、上記を称呼しているのは、私だけです(つまり自称)。

By the way, I am the only one calling the above (i.e., self-proclaimed).

つまり「基礎的な知識の習得をサボり、敬語も使えんような奴は、『AI以下』」ということです。

 

2024,江端さんの忘備録

最近、世間では「ギャンブル依存症」についての話題が多いようです。

There seems to be a lot of talk about "gambling addiction" in the world these days.

私は「ギャンブル依存症」について、深く語れるほどの知見はありませんが、「ギャンブル」には、行動経済学の心理が強く働いているんじゃないかな、と思うことがあります。

I don't know enough about "gambling addiction" to talk about it in depth, but I sometimes wonder if there is a strong psychology of behavioral economics at work in "gambling."

その心理とは、こちらのページにも記載していますが、「メンタルアカウンティング」です。

The psychology is "mental accounting," as described on this page.

私は『その日に取り組んだことを、その日の内にメドをつけないと、安心できない』という、チキンな性格です。

I am a chicken-hearted person who says, 'If I don't finish what I worked on that day, I don't feel comfortable.

ですので、「深夜に至っても、なかなか仕事(主にコーディング)を止められない」 → 「脳が休まらない」 → 「眠れない」 → 「不眠に陥る」のケースが多いです。

Therefore, in many cases, "I can't stop working (mainly coding) even after midnight" → "My brain can't rest" → "I can't sleep" → "I fall into insomnia.

ギャンブルにおける『ギャンブルで損失を取り戻したい』という心理は、上記の私の行動に似ているような気がします。

I feel that the psychology of 'wanting to recoup gambling losses' in gambling is similar to my behavior above.

今回騒がれている事件は、個人としては巨額(6億円超え)ですが、組織になるとケタが違います。

The case under discussion is a considerable sum (over 600 million yen) for an individual, but it is a different story for organizations.

私が覚えている事例では、こちらの論文に記載のある、東京証券取引所第 1部上場の銀行または商社による、11億ドル(当時の換算で960億円)と、約682億円の事件があります。

One example I remember is the case described in the paper here: a bank or trading company listed on the First Section of the Tokyo Stock Exchange committed fraud totaling $1.1 billion (96 billion yen at the time), or approximately 68.2 billion yen.

もちろん、『ギャンブルで損失を取り戻したい』という心理は、「ギャンブル依存症」の一つの側面であり、他にも各種の要因がある(そもそもギャンブルができる環境が必要)とは思います。

Of course, I think the psychology of 'wanting to recoup losses from gambling' is one aspect of 'gambling addiction,' and there are various other factors (and the environment in which gambling is possible in the first place).

しかし、そのような損失を隠しながら生きていくことは、とても辛いことだろうな、ということくらいは理解できます。

However, I can at least understand that it must be tough to live with such losses hidden.

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私は、お金に愛されないエンジニアで、お金に不安のある日々を過してはいますが、それでも、ギャンブル依存症(+隠している負債)の人の不安に比べれば、かなりラクだろうなぁ、と思います。

I am an engineer unloved by money, and I spend my days anxious about money, but I still think it must be a lot easier than the anxiety of a gambler (+ hidden debt).

「お金に愛されないエンジニア」であることに、ちょっとだけ「運の良さ」を感じたりしています ―― ほんとうに、ちょっとだけ、ですけどね。

I feel a little "lucky" to be an "engineer not loved by money" -- really, just a little bit.

―― パチンコや麻雀というのは、そんなにも楽しいものなんだ

 

2024,江端さんの忘備録

NHKの「四大化計画 世界は3つで語れない」という番組が、(多分番組編成の影響?で)、我が家のHDDレコーダに録画されていました。

NHK's program, "The Four Great Plans: We cannot The World in Three Parts," was recorded on our HDD recorder (probably due to a missed program operation). The program is left on our HDD recorder.

今回が初見でしたが、『超ド級の衝撃映像ぞくぞく!世界のハードワーク特集』は、凄く面白かったです。

It was my first time seeing the program, but "Super Duper Shocking Footage! The World's Hardest Work" was very interesting.

もう定番化決定です。

I have already decided to make it a regular program.

私たちの社会インフラが、どれだけの人の努力によって支えられているかを、再度思い知らされる内容でした。

It was a reminder once again of how much of our social infrastructure is supported by the efforts of so many people.

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私、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)、3日間だけボランティアに参加してきて、その時のことをコラムとして纏めました。

I participated in the Hanshin-Awaji Earthquake (January 17, 1995) as a volunteer for only three days, and I have summarized my experiences in this column.

その後、ガス会社に努めていた大学の後輩から、『40日間、現場のプレハブで雑魚寝して、それ以外の時間以外は、泥まみれになりながら、ずっと土を掘って、配管工事をしていた』という、リアルな災害現場の活動を聞かされました。

Later, a junior college student who worked for a gas company told me about real disaster site activities: 'For 40 days, we slept in prefabs on site, and the rest of the time, we were covered in mud, digging in the dirt all the time and working on piping.

それを聞いて、私は、

When I heard the above, and I remembered,

―― 偉そうにコラムなんか書いていた自分が、とてつもなく恥かしくなってきた

"I was incredibly ashamed of myself for writing such a pompous column."

ことを覚えています。

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もちろん、このような羞恥心は大切だと思いますが、それでも、自分の無力さに萎縮してボランティアを取り止めるよりは、ずっと良いのです。

Of course, this sense of shame is essential, but it is still much better than withdrawing from volunteering because your helplessness so deflates you.

小さい貢献でもゼロよりは圧倒的にいい。「偽善の善」でも善は善です。

Even a tiny contribution is far better than zero. "Good" is "good," even if it is "hypocritical good."

偽善者

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で、今になって、開き直って考えているんですが、

And now, I'm thinking about reopening it, and I have a feeling that this is the case,

―― みんな、もっともっと語って、記録を残そうよ

"Let's all talk more and more and keep track!"

という気持ちになっています。

私のような、ちょっとしたボランティアの活動の報告だけでも、役に立つことがある(かもしれない)のです。

Even a small report of a volunteer's activities, such as mine, may (or may not) be helpful.

「その時の状況、その時の気持ちを、その時できる力だけでいいから、できるだけ残そうよ」と思うのです。

I think, "Let's preserve as much as we can of the situation and the feelings we had at the time."

人の記憶は当てになりません。

People's memories are unreliable.

写真や映像は状況を伝えますが、"心"を伝えることは難しいです。

Photographs and videos can convey the situation, but it is difficult to describe the "heart."

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「自分のことを語るのは、恥しい」というのは、当然だと思います。

I think it's fair to say that "it's embarrassing to talk about yourself."

しかし、それでも語り続けることが、誰かの役に立っているかもしれません。

But still, continuing to tell the story may be helpful to someone.

また、「自分の気持ちが上手く表現できない」というのも、分かります。

I also understand that "you cannot express your feelings well.

言語化という作業は、誰にとっても、本当に難しいのです(面倒くさいし、誤解されることもありますし)。

The verbalization task is challenging for everyone (it is annoying and misunderstood).

それでも、『40日間、現場のプレハブで雑魚寝して、それ以外の時間以外は、ずっと土を掘って、配管工事をしていた』が、たとえ個人のメモであったとしても ――

Even if  'For 40 days, we slept in prefabs on site, and the rest of the time, we were covered in mud, digging in the dirt all the time and working on piping' was just private notes,

その40日分の記録とその公開は、何かの役に立ち、誰かの心を揺さぶるかもしれません。

The record of those 40 days and its publication may be helpful and even touch someone's heart.

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あらためて、『国語の勉強は大切で、そして、特に作文は大切だ』と、今、実感しております。

Once again, I realize now that 'studying Japanese is essential, and writing essays is especially important.

加えて、自分の日記を世間に公開する「ふてぶてしさ」...もとい「度胸」の育成ですね。

In addition, we also need to cultivate the "frumpiness" of publishing my diary to the world.

大丈夫です。

Don't worry.

あなたの(そして私の)メモなんぞ、あなたや私が死んだ後、1年以内に、プロバイダへの料金不払いで、全部削除されますから。

Someone will delete your (and my) notes within a year after you or I die for non-payment of fees to the provider.

2024,江端さんの忘備録

社内であれ、ネットであれ、自分の作ったプログラムが、他の人の役にたっている(飯のタネ)になっていることは、嬉しいものです。

It is nice to know that the programs I have created, whether in my company or on the Internet, are being used to help other people (to make a living).

しかし『これは私(江端)が作ったものだ』などと、自慢したりはしません。

But I don't boast, saying, 'This is something I (Ebata) made.

そんな、ダサいことは、この技術分野ではできません。

I cannot do such a dumb thing in this technical field.

他の世界のことは知りませんが、ソフトウェアの世界においては、私は常にOSS(Open Source Softwre)に助けてもらい続けています。

I don't know about the rest of the world, but the OSS (Open Source Software) has helped me in the software world.

一つのOSSの開発は、最小人数1人というものもあれば、20人以上というものもあります。

Some OSS development requires at least one person, while others need 20 or more.

OSSの開発者の皆さんは、『これは私が作ったものだ』などとは言いません。少なくとも、私は聞いたことはありません。

OSS developers do not say, 'This is what I made. At least, I have never heard that.

OSSの開発者の皆さん全員に御礼をすることもできませんので、私は、心の中で感謝しながら、使わせて頂いております。

I cannot thank all the developers of the OSS, so I am using it with gratitude in my heart.

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思うに、モノ作りを行う者の最大のご褒美は、『そのモノが動く』ことのように思います。

The greatest reward for those who make things is that "the thing works.

これは、ゲームにおける『ラスボスを倒す』の考え方と似ているのではないかと思います(私はゲームをやらないので、よく分かりませんが)。

The above may be similar to "defeating the last boss" in games (I don't play games, so I'm not sure).

『そのモノが動く』や『ラスボスを倒す』ことは、究極の主観です。

Both 'working things' and 'defeats the raspberry' are ultimate subjectivity.

そこに、第三者の視点はありません。

There is no third-party perspective there.

誰かから得られる評価は、客観ですが、(他の人は知りませんが、私は)客観なんぞは、かなりどーでもいいのです。

The evaluation I get from someone else is objective, but (I don't know about anyone else, but I) don't care about objectivity.

『そのモノが動く』や『ラスボスを倒す』ことは、『自分を楽しませる手段』の一言に集約されます。

The "working things" and "defeating the raspberry" can be summed up in one word: "a means of amusing oneself.

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私、一度、嫁さんに、『キャバクラ通いをする夫』と、『金になるかどうか分からんプログラミングに時間を突っ込む夫』との差いは何か、と尋ねたことがあります。

I once asked my wife the difference between a "cabaret-going husband" and a "husband who puts his time into programming that may or may not make money."

なにしろ、私、大学に在籍してから、ここ1年半の間、週末、連休、を含めて、全日業務と研究(プログラミングを含む)に、自分の時間を突っ込んでいます。外出した記憶がありません。基本的には、飲み会なども、全てキャンセルです。

I have devoted myself to work and research (including programming) on all days, including weekends and holidays, for the past year and a half since I have been at the university. I don't remember going out. I have canceled all drinking parties.

江端:「動機の違いこそあれ、結果として、『自分の世界に没入して、自分を楽しませている』という点において差はないと思うのだが」

Ebata: "Despite the differences in motivation, I don't think there is any difference in terms of 'immersing oneself in one's world and entertaining oneself' as a result."

嫁さん:「よく分からないけど、『私が腹が立つか否か』ということかと思う。私は、仕事と学業を両立させるべく、毎日疲れ張てている夫には、腹は立たないだけだよ」

Wife: "I'm not sure, but I think it's a question of 'am I angry or not? I don't get mad at my husband, who works tirelessly daily to juggle work and school."

江端:「"怒れる妻 "はあり得るということ?」

Ebata: "Does that mean there can be 'an angry wife'?"

嫁さん:「そう思う。だけど『キャバクラ』と『業務と学業』では、同じレベルで論じるのは難しいんじゃないかなぁ。比較する例題が悪すぎる」

Wife: "I think so. But it's hard to discuss 'cabaret' and 'business and academics' on the same level. It's just too bad an example to compare them."

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嫁さんと、このような会話をしながら、

With my wife having this conversation,

―― 『女に学問は不要』という古いパラダイムの時代、学問を志す女性は、さぞかし生き難い時代だったんだろうなぁ

"I guess it must have been difficult for women who wanted to study in the old paradigm of "women don't need to study."

と、妙なところで、腹落ちしてしまいました。

strangely, however, I was convinced.

指名制に関する考察

2024,江端さんの忘備録

先日、落雷か何だか分かりませんが、1分間程の停電がありました。

The other day, I don't know if it was a lightning strike or what, but I had a power outage for about a minute.

もちろん、我が家のPC群も一瞬にしてブラックアウトしました。

Of course, my PCs were also instantly blacked out.

当然、作成途中のファイル等は全滅でしたが、それでも全システムの再起動を確認できた時は ――

Of course, all the files being created, etc., were wiped out, but still, when I could confirm that the entire system had rebooted.

手を組んで、空に向って『神様ありがとう』と呟きました。

I folded my hands and muttered 'Thank you, God' to the sky.

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サーバやDBを運用している訳ではないので、UPS(無停電電源装置)を購入するのは、ちょっとやりすぎのような気がします。

I am not running a server or DB, so purchasing a UPS (uninterruptible power supply) seems like a bit much.

いや、1台だけですが、ここ10年くらい連続で働いていてくれるサーバがありました。

Well, one server has been working continuously for the last ten years.

『江端家見守りシステム』も、被害に遭ってていたはずでした。

The "Ebata Family Monitoring System" was also supposed to have been damaged.

今、正常にシャットダウンしたら、再起動しませんでしたので、手動で色々修理しました。

When I shut it down, it would not usually restart, so I repaired things manually.

Welcome to emergency mode!

この見守りサーバ、Wifiポートが一つ空いていたので、実験用のアクセスポイントも作りました。

This monitoring server had one Wifi port available, so we also created an access point for experimental use.

Ubuntu16.04 でのアクセスポイント化

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1990年頃、「プログラマー30歳定年説」というのがありました(本当)。

Around 1990, a theory was that programmers retire at age 30 (true).

これは、プログラマーという仕事が過酷で ―― 残業、徹夜、荷重労働、薄給、過労死 ―― という感じの世界観で、そして、実際そんな感じでした。

This theory was a worldview in which a programmer's job was grueling -- overtime, all-nighters, load work, thin pay, and overwork -- and, indeed, it was like that.

今は状況が変わったかと問われれば、案外そうでもありません。

If you ask whether the situation has changed now, it has not.

プログラムというのは、プログラマの能力と関係なく、開発環境やマシンスペック、その他のパッケージソフトの影響などを受け、『動かない時には、何をしても動かない』という、実に嫌なやつなのです ―― 土下座でなんとかなる人間関係や、お金や人材の投入で解決できるモノの方がマシと思えるくらいです。

A program is a real pain in the ass because it is affected by the development environment, machine specs, and other software packages, regardless of the programmer's ability, and "when it doesn't work, it doesn't work no matter what you do. It is better to solve the problem by getting down on our knees and investing money and human resources.

それでも、以前に比べれば、OSSを使うことができ、開発環境も良くなり、ずいぶん楽になってきています。

Nevertheless, using OSS and better development environments has become much more manageable compared to the past.

そして、生成AIをパートナーとすることで、『事実上、プログラマーの定年は消滅した』という気がしています。

And with generative AI as a partner, I feel that 'the retirement age for programmers has virtually disappeared.

生成AIに日本語で頼めば、最初のコードは作ってくれますから ――  あとは、生成AIが作ってくれたコードを、私が理解すれば、その後の改造は自由自在です。

If I ask the AI to create the first code in Japanese, it will generate the code for me. Once I understand the code created by the AI, I can modify it as I wish.

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最近、ちょっと変った使い方をしているので、ご紹介したいと思います。

Recently, I have been using it in a rather odd way.

例えば、「多項ロジットモデルとは何ですか」とChatGPTに尋ねますと、

For example, when I ask ChatGPT, "What is a multinomial logit model?

『統計学や機械学習の分野で使用される.... ロジスティック回帰の拡張..... ロジスティック回帰の拡張....』

"Used in statistics and machine learning," "Extensions to logistic regression," "Extensions of logistic regression..."

と言われますが、これでは私には分からないんですよ。

However, this message doesn't make sense to me.

でも、「多項ロジットモデルの簡単なプログラムをGo言語で作ってみてください」とChatGPTにお願いすると、

But when I ask ChatGPT to "try to make a simple program in the Go language for the multinomial logit model,

package main

import (
	"fmt"
	"math"
)

// softmax関数
func softmax(logits []float64) []float64 {
	var sum float64
	probabilities := make([]float64, len(logits))

	// ソフトマックス関数の計算
	for _, logit := range logits {
		sum += math.Exp(logit)
	}
	for i, logit := range logits {
		probabilities[i] = math.Exp(logit) / sum
	}

	return probabilities
}

func main() {
	// クラスごとのロジット(入力値)
	logits := []float64{1.2, 0.8, 1.5}

	// ソフトマックス関数を使用してクラスごとの確率を計算
	probabilities := softmax(logits)

	// 結果の出力
	fmt.Println("Logits:", logits)
	fmt.Println("Probabilities:", probabilities)
}

てな感じで作ってくれます。

It can make the codes like that.

私は、このプログラムを読むことで、「多項ロジットモデル」の概要をざっくり把握することができるんですよ(プログラムを実行する必要なし)。

I can get a quick overview of the "multinomial logit model" by reading this program (no need to run the program).

数理モデルの理解の時間が、10倍くらい加速される、という感じです。

It is as if the time required to understand the mathematical model is accelerated by about 10.

ぶっちゃけ、専門書なんて、かったるくて読んでいられません。

Technical books are too dull to read.

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まあ、このような使い方をする人間は少ないとは思いますが、私の場合、「生成AI + プログラム言語」の助けを得て、リタイア後も当面はなんとかなるんじゃないかな、と、期待しています。

Well, I know that not many people use it this way. Still, in my case, with the help of "Generative AI + Programming Language," I hope to manage for the foreseeable future, even after I retire.

プログラムスキルを有する若い人が少ないのか、今なお、私は、プログラミングの仕事で、前線に借り出されていますし。

Though I still work in programming, I'm unsure if enough young people have programming skills.

まあ、認知症になるまでの期限付きかとは思いますが、それでも"希望"は"希望"です。

There is a time limit until dementia sets in, but "hope" is "hope.