2023,江端さんの忘備録

異世界や魔法が登場する物語で、私は「ずるい」と思うのは、後付けて、新しい能力や魔力を使えるころです。

In stories with other worlds and magic, I find "cheating" when they can retrofit and use new abilities and magic.

「世界を平和にする」という目的の物語であれば、最初から「世界を平和にする能力/魔力」を行使すれば足ります。

If the story aims to "bring peace to the world," it is sufficient to exercise the "ability/magic to bring peace to the world" from the beginning.

そのアニメは、初回1分間で終了です。

Its animation ends after the first minute.

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比して、私たちの現実世界には、「物理法則」という制約があります。

In comparison, our natural world is constrained by the "laws of physics.

私たちは、生まれながらにして個人差があり、能力の差があり、貧富の差があり、そして理不尽、不合理があり、そして、それらを根本から解決する手段はありません。

We are born with individual differences, differences in ability, differences between rich and poor, and unreasonableness, irrationality, and there is no means to resolve them at the root.

努力は、努力をしたことだけで終わることがほとんどです。

Most of the time, the effort only ends up in what we made the effort.

人生は、努力の途中で、予告なく終了します。例外はありません。

In the middle of the effort, life ends without notice. No exceptions.

そして、「あの世」については、創作のレベルを出ず、その存在が証明されたことは、歴史上一つもありません。

And as for the "other world," it has never left the level of creation, and its existence has never been proven in history.

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という訳で、異世界や魔法が登場する物語は「ずるい」と思うのです。

This is why stories with other worlds and magic are "cheating."

それでも、古今東西、この世の中がこのような創作物に溢れているのは、『そういう話でも読まないと、現世では、やってられない』のだろうなぁ、と思っています。

Still, I think this world is full of ancient and modern creations because "if you don't read such stories, you can't make it in this world.

『過去の栄光』を思い出すことで『今の苦しい日々を凌ぐ』 ―― というヘタレ大人は、結構な数いると思います。

未分類

英語論文で、"social capital (hereafter referred to as SC)"と定義した後、social capitalを示す用語は、"the SC" または"SC"のどちらになりますか?
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一般的に、"social capital (hereafter referred to as SC)"と定義した後、その後の文脈では"SC"を使用することが一般的です。これにより、読者が簡潔に理解しやすくなります。"the SC" という表現は少なく使用されます。以下は例です:
"Social capital (hereafter referred to as SC) plays a crucial role in building trust within communities. The SC of a community can be measured by..."
"SC is an important factor in the success of collaborative projects. Researchers have developed various methods to assess the impact of SC on..."
"The concept of SC has gained significant attention in recent years. One of the key attributes of SC is its ability to facilitate..."
一度 "social capital" を "SC" と略したら、その後の文章では通常 "SC" を使用し、冠詞 "the" を省略します。

2023,江端さんの忘備録

『一体何の為に勉強するの?』

"Why Should I study? "

これは、子どもの勉強に対する、大人への普遍的な問い掛けで、かつ難問です。

This is a universal question against adults regarding children's studies, and difficult.

こちらにも書いていますが、

I have written about it here,

■古典は必要か → 使う場面ないじゃんか?

- Do I need the classics? There's no use for them, is there?

■歴史は必要か → 昔の話を持ちだしてどうする?

- Do I need the history? What's the point of bringing up old stories?

■英語は必要か → (江端試算では)4%の日本人しか使っていないぞ?

- Do I need English? → (According to Ebata's estimate) Only 4% of Japanese people use English.

■現国は必要か → 文庫本が読める程度の漢字を知っていればいいんじゃないの?

- Do I need Japanese →? Don't I need to know enough kanji to read a paperback book?

■体育は必要か → 日常生活で、走ったり跳んだり泳いだりする必要性はあるか?

- Do I need physical → Is there a need to run, jump, or swim daily?

■理科は必要か → リトマス試験紙が何色になるかが、そんなに重要か?*)

■ Do I need science → Is it so important what color the litmus test paper turns out to be

に対して、『黙って勉強しろ!』と怒鳴りつけるところまでで、ワンセット。

In response to these questions, 'Shut up and study! To the point where adults yell at children --- this is a typical package.

これでは、大人として情けない。

This is shameful as an adult.

大人は、子どもに分かって貰うための努力を怠ってはならないのです。

Adults must not neglect their efforts to answer children's questions.

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アニメ「葬送のフリーレン」のオープニング(日本語と英語版の両方)を聞かせれば、英語や国語が『人を感動させる道具(あるいは武器)になる得る』という実例を、分かって貰えるんじゃないかなぁ、とか考えています。

I think that if you play the opening of the anime "Souei no Freelen" (both the Japanese and English versions), children will understand that English and the Japanese language can be tools (or weapons) to move people.

英語バージョン

English version

日本語バージョン

Japanese version

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私、アニメのオープニングで、「文学」を感じたのは、これが初めてです。

This is the first time I have ever felt "literature" in an anime opening.

勿論、楽曲というのは「芸術」ではあるのですが、これはもはや、「新しいフィールドの"文学"」だと思っています。

Of course, music is an art form, but I believe this is a new field of literature.

この楽曲を創作された方々に、最大級の敬意を表します。

I pay the utmost respect to the creators of this music.

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まあ、私が、このアニメのオープニングで思い起こしたのは、こちらの話です。

Well, the following is what I recalled about the opening of this animation.

パリの平家物語

まあ、こっちは、"救いのない"話ですが。

Well, it's a "helpless" story.

2010,江端さんの忘備録

何年か前に、学会聴講でパリに行ったときのことです。

モンパルナス・タワーの最上階で、クロワッサンの朝食を食べて(貸切状態)、結構幸せな気分になりながら、モンパルナス地区を、てくてく歩きながら、ホテルに帰る途中、モンパルナス墓地に寄りました。

ボーヴォワールやサルトルの墓を見ておくのも、一興かと思いまして。

私はついぞ、彼等の著書を読むことはありませんでしたが。

学寮の管理人の叔母さんから『ボーヴォワールくらいは読んでおきなさい』と言われていたのですが、ボーヴォワールやサルトルについては、彼等が「事実婚」であった以上の知識はなく、現在に至っております。

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私は墓地の雰囲気は結構好きな方です。

結構寒い冬の午前でしたが、そこそこ人もいました。

しかし、歩いているうちに、モンパルナス墓地の人気のないエリアにさまよい込んでしまいました。

そこには、すでに管理が放棄され、何百年も放置されていたであろう巨大な墓の建造物がいくつも立ち並んでいました。その大きさたるや、私の部屋よりも大きなものでした。

その規模や作りから、当時、相当な財力を誇った貴族の所有していたであろうことが推認される墓でした。

しかし、100年単位で放置されて、崩れかけた巨大な石の建造物は、それゆえ、朽ち果てることもできず、その醜悪な態様のまま放置され続けていました。

子々孫々その栄華が果てしなく続くことを信じて、その建造物に埋葬されているであろう者達の想いは、安らかであるのか否か。

栄華の果ての没落に、その存在を自ら消し去ることもできない悲運に、「盛者必衰の理」が胸に去来しました。

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欧州の華やかな街の中で、平家物語に思い馳せるという、奇妙な時間に幻惑された一時でした。

2023,江端さんの技術メモ

マルチエージェントシミュレーションにおいて、エージェント間の相互作用を実現するためには、さまざまな方法が存在します。「模倣戦略」や「ペアワイズフェルミ法」以外の方法として以下のいくつかを考えることができます:

  1. ゲーム理論:
    • ナッシュ均衡やコアの概念を使用して、エージェント間の戦略的相互作用をモデル化する方法です。ゲーム理論を用いることで、競争や協力などの行動を表現できます。
  2. マーケットモデル:
    • エージェントがリソースや商品の交換を行う市場モデルを使用して、エージェント間の相互作用をシミュレートできます。価格設定や需要と供給の変動を考慮することができます。
  3. エージェントベースのモデリング:
    • エージェントが独自の行動ルールと目標を持つモデルを作成し、それらのエージェントが環境内で相互作用する方法です。エージェントの行動は、周囲のエージェントや環境に影響を与えます。
  4. 群集ダイナミクス:
    • エージェントが群れを形成し、群れ内での相互作用をモデル化する方法です。鳥の群れや魚の群れのような集団行動を研究するのに適しています。
  5. 進化アルゴリズム:
    • 遺伝的アルゴリズムや遺伝的プログラミングを使用して、エージェントの戦略や行動を進化させる方法です。最適な戦略を見つけるために遺伝子の操作を行います。

これらの方法は、異なる問題領域やシミュレーションの目的に応じて選択できます。具体的なシナリオや要件に合わせて、最適な方法を選んでください。

2023,江端さんの忘備録

次女が、

I was honestly surprised to see my second daughter grumbling,

『クリスマスに一緒に過す男がいない』

'I don't have a boyfriend to spend Christmas with.'

とグチっているのを見て、正直驚きました。

私は、自分勝手にも、そういうパラダイムはとっくに「終ったもの」と思い込んでいました。

I had selfishly assumed that such a paradigm had long since "ended."

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私、20年ほど前に、クリスマスに関する、いろいろなコラムをリリースしていました。

About 20 years ago, I released several columns about Christmas.

以下のコラムでは、『クリスマスに恋人と一緒に過す意義』に関して、考察しています。

The following column discusses the significance of spending time with the opposite sex at Christmas.

江端さんのひとりごと「英会話スクール出逢い機関論」

以下のコラムは、上記のコラムに関する、会社の先輩のレビューコメントです。

The following column is a review comment from a firm's senior member regarding the above column.

江端さんのひとりごと「クリスマス脅迫症候群」

さらに、この2年後には、『クリスマスの道具化』を批判する日記もリリースしています。

In addition, two years after this, I also released a diary criticizing the "instrumentalization of Christmas."

「一本ピンと筋の通った、頑固一徹な、イチャイチャベタベタ」

いずれにしても、私が、クリスマスというものに、高い関心を示していたことはまぎれもない事実でした。

In any case, it was undeniable that I was highly interested in Christmas.

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今、30年の時を経て、そのパラダイムが1mmも変化していない、ということに、驚きを隠し得ません。

Now, 30 years later, I cannot hide my amazement that the paradigm has not changed.

『クリスマスに一緒に過す恋人がいない』という嘆き(あるいは、呪い)の言葉は、多分、今後100年以上も引き継がれていくのだろう、と、しみじみと実感しております。

I am deeply aware that the lament (or curse) that "there is no one of the boyfriends or girlfriends to spend Christmas with" will probably be passed on for the next 100 years or more.

2014,江端さんの忘備録

若いカップルの皆さん。

Dear young couples.

クリスマスイブならびにクリスマスを、公共の場所で、イチャイチャベタベタして良い日だと勝手な解釈をしていませんか。

Do you stretch a point that you are allowed to behave "lovey-dovey" in public during Christmas days?

私は、そういうの大嫌いなんですよ。

I wouldn't say I like the thought.

いえ、イチャイチャベタベタが嫌いなのではありません。

No. I don't hate "lovey-dovey" in public.

私は、「イチャイチャベタベタなくして、何の為の恋愛か」と考えることができる、リア充擁護派の一人です。

I am a fruitful life apologist who can think about "why we should fall in love without "lovey-dovey."

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私が大嫌いなことは、クリスマスになると、まるで免罪符のように、イチャイチャベタベタを始めるという、その定見のなさです。

I hate that some couples, who have no definite opinion, begin "lovey-dovey" like an indulgence when the Christmas period starts.

その大衆に迎合し、権力に阿る(おもねる)、『クリスマスに限っては、世間が許している』と思う、その甘えの構造です

I also hate the structure of emotional dependence that is playing to the gallery, bowing before authority, and the thought of "we are allowed during the Christmas days."

―― この、唾棄すべき小市民めが!

"Abominable petty bourgeoisies"

私は、若いカップル達に、いついかなる時にも、どこにいようと、何を言われようと、どんな視線に晒されようとも、イチャイチャベタベタし続けるという、

I want young couples to enforce continuing "lovey-dovey" whenever, wherever, whatever anybody says, what anybody valuates.

That means

「一本ピンと筋の通った、頑固一徹な、イチャイチャベタベタ」

"Coherent and stubborn "lovey-dovey."

を実施して欲しいのです。

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と、ここまでが建前です。

The above is just my words.

昨日(クリスマス)の夜に、比較的早い時間に帰宅した私も悪いんですけどね。

I was wrong because I came back home at a relatively earlier time than every day.

帰宅の小田急電車中で、おたがいの髪を愛撫したり、抱きついたり、キスしたりするカップルを発見して、イライラしているのに気がつきました。

On the commuting train, I noticed that I was annoyed by watching the young couple who caressed their hair each other, hugged, and kissed.

自分で自分にビックリしました。

I was shocked at what I was thinking.

そして、30年前の自分を省みて、

I remember thirty years ago,

―― あの頃、世間の人たちは、よく私たちのイチャイチャベタベタを見逃していてくれたものだなぁ

"Why could they overlook our "lovey-dovey" at that time?"

と、感謝の気持ちすら沸き起こってきます。

I even felt deep gratitude for this world.

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―― 世の中は、私たちにかなり優しかった

"The world has been considerably kind to us."

と気がつかせてくれる、クリスマスです。

It is the Christmas day that lets me know that.

2012,未分類

特許明細書が書き上がりません。

最近、クリスマスの思い出と言うと、特許を執筆していた記憶以外にありま せん。 時期的にも、下期の特許提出の時期にぶつかることもあって、私にとって、 「クリパ」と言われれば、クリスマスパーティなんぞではなく、クリスマスパ テント(特許)です。

本当は、このような愚にもつかない駄文を書いている間に、明細書の第二の 実施例を執筆しなければいけないのですが、システム構成図を書き直すのが面 倒なのです。 なんとか手を抜けないかと、現実逃避の考案をしている時、私の駄文執筆能力は、最高潮に達するようです。

嫁さんの気質や思想やポリシーに影響されるところ大なのですが、私は、結 婚してから色々なことから解放され自由になり、人生が楽に、そして楽しくな りました。 また、嫁さんとは関係なく、結婚というシステムの観点からだけでも、いく つかのことから自由になったことがあります。 その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

この時期、駅前、商店街、デパート、繁華街、どこにいても出現する緑と赤 の装飾、巨大なクリスマスツリーの電飾イルミネーション、そして、どこまで もしつこく追いかけてくるクリスマスソング。 会社の帰りに、夕食のコロッケを買っているところに、ユーミンや山下達郎 なんぞ、出現させるんじゃない(ちと古いが)。

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若い頃、私は、

――  一人で街を歩いたら、いかんのか!

と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

そのようなものから逃げる為に、イブの夜に嫁さんに担保をお願いしていた 若い頃の自分は、愚かだったと思います。 だが、この青春の愚かなプロセスなくして、今の家庭や家族がないのも、ま た真実です。 その時、若さ故の愚かさを、シニカルに笑っていただけなら、今、食卓を囲 んで家族で笑っていることはできなかったでしょう。

逆説的な結論ではありますが、「クリスマス脅迫症候群」によって「クリスマス脅迫症候群」から離脱する、というこの一連の理論は、物質が他の物質に 変化するプロセスで、一時的に高エネルギー状態に至らなければならないとい う「励起状態」を思い起こさせます。

いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い 恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が 咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに 聞くくらい、気になりません。

ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私に とって意義があったと断言できます。

閑話休題。

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実際のところ、一体どれ程の効果があるのだろうか良くわからない「英会話ス クール」ですが、この不景気日本にあって、しぶとく生き残っているようです。

先日、先輩と話していた時に、「英会話スクール」の目的は、勿論英会話の 向上にあることの他、「異性と出逢う場」としての役割もあるそうです。

なるほど。 そういうことなら、あのふざけた高価な授業料も、投資としてはむしろ安い。

個人を主体とする現代の社会構造上、異性と出逢うチャンスがないと言うの は、至極当然のことではあるのですが、出逢いを求めている当の本人達にとっ ては、深刻な問題です。

近い未来、自力で彼氏や彼女を見つけてきた者は、会社や地元の自治会から 表彰されるような未来がくる、と私は真面目に考えております。 実際、政府が国営のお見合い期間の設立に動いています(2002年11月14日の 朝日新聞より)

これは本当の話ですが、私は10年も前に、日立のスーパーコンピュータのア プリケーションとして「お見合いシステム」を提言していました。

スーパーコンピュータの性能と言うと、円周率の計算くらいしかやることが ないように思われていますが、これからのスーパーコンピュータはスペックは、 MIPSやディスクアクセス速度、トランザクション処理数などではありません。

目標は、単位時間あたりに、どれだけの大量のカップルを生成させることが できるか、そして、そのカップルをどれだけの時間維持させえるか、さらには、 定着率(結婚率)などが競われるようになる、と予言していました。

MTTR(Mean Time To Repair 平均修復時間)は、システムの平均復旧時間から、 カップルの平均復旧時間へと解釈が変更され、MTBF(Mean Time Between Failure 平均故障間隔)は、言うまでもなく、カップルの平均交際停止間隔と 解釈される訳です。

こんな風に考えていくと、「システム」と「恋愛」は恐しく良く似ているこ とに気がつきます。 セキュリティの観点から言えば、機密性、可用性、抑制機能、予防機能、回 復機能等、メンテナンスの観点からは、初期不良、経年劣化、リプレース・・・

まあ、この辺で止めておきましょう。

結婚の問題とは関係なく、異性と付き合うことは、それ自体が人生を豊かに するし、そもそも楽しいものです。 勿論、苦しさや面倒も半端じゃありませんが。

この機会を、英会話スクールが提供しているのだとすれば、大変コストパフォー マンスな「場の提供」と言えるでしょうし、次世代の新しいコミュニティ創成 の場として大変有望なものであると、私は考えました。

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「そうかな?」

私が得意げに、「英会話スクール出逢い機関論」を唱えていると、嫁さんが 異議をはさんできました。

私 :「どうして? 出会い系のメールやWebなどに比べて、身元や面が割れ る分、健全で安全で安心だし、勉強で集うと言う点も、さらに高品 質のフィルターを通っているとも解釈できるぞ」

嫁さん:「『出逢う』為には、男性と女性が、少なくとも同じクラスにいなけ ればいけないよね」

私 :「そりゃ、まあね」

嫁さん:「で、まあ当然、英会話を始める人なら、初級コースから入会するよね」

私 :「そうだろうね」

嫁さん:「自然に無理なく親しくなるためには、それなりに時間もかかるよね」

私 :「あからさまに、『異性を探しています』てな感じの奴なんて、いや だろうからな」

嫁さん:「英会話クラスの初級コースなんぞに、うだうだといつまでも居残っ ている男ってことは、『私には将来性がありませんよ』と宣言して いるようなものじゃない? 私なら、私と同じクラスにいるような 男は嫌だな」

私 :「・・・あっ」

盲点でした。

確かに、そんな将来性の見えない異性を探しすために、金を出しているとし たら、投資以前の問題です。 金をドブに捨てているようなものです。

嫁さんの提示したアンチテーゼは、英会話スクール以外にも、テニススクー ル、その他のスクール全部に適用が可能のようです。 いつまでたっても、初級コースから抜けられない野郎と付き会いたい女性は 少ないだろうからです。 むしろ、検討除外の明確な指針となってしまう恐れもあります。

まあ、別の異性へのアクセスのポインタくらいにはなるのかもしれませんが。

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「出逢い」が難しい時代になりました。

「出逢い」を構築するために、自分ではない、不本意な自分を演出する必要 性に苦しんでいる人も多いと思います。 口ばかりが上手くて、綺麗に装うのが上手い奴だけが、出逢いの門に立てる のだろうかと問われれば、私は自信を持って答えることができます。

その通りです。

ですから、「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自 尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」(http://www.kobore.net/mail8.txtより抜粋)と言う、私の尊敬する人の言葉が、私の胸を熱く打つのです。

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クリスマスイブの今日、私より皆さんに、新約聖書の「マタイによる福音書」 7章13節を贈ります。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きくその道は広い。そして、そこ からはいって行く者が多い。命にいたる門は狭くその道は細い。そして、それ を見いだす者が少ない」

最後に、江端による福音書、第3節A項の第5号にて、今日はお別れしたいと 思います。
皆さん、よいクリスマスを。

「狭い門から入る必要なんぞないし、できれば避けたいのは山々だが、本当の 自分を好きになってくれる人と出逢う為の門は狭い。天国の門なんぞお話にな らんくらい狭い。ナノテクノロジーですら解決できないほど狭い。とにかくうんざりするほど狭い。それを見いだす者は、かなり運が良い」

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、自由に転載して頂いて構いません。)

2012,未分類

2002年12月24日
書き人知らず

Tomoichi Ebata さんは書きました: >
> クリスマスプレゼント、と言うことで。

江端さんのひとりごと「英会話スクール出逢い機関論」

共に秀逸なコンテンツでした。
久しぶりに駄文の妙味というものを味わわせてもらったと思います。

> その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

最近は不景気のせいで沈静化した感があったが、まだバブルの残滓が漂ってい た90年代前半頃までは、ホテルが軒並み予約で満杯であったという。 今思えば、当時の若人は何と愚かしい真似をしていたことか。

> 若い頃、私は、
> 一人で街を歩いたら、いかんのか!
> と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

確かに誰彼なく殴りつけたくなるような、荒んだ心象風景を抱えねばならなかっ た時期もあった...(遠い目)

> ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私に
>とって意義があったと断言できます。

この脅迫観念から解脱する解として、もう1つ「枯れてしまう」という解もあ る事を忘れてはなりません。
小生はもう何年も前から、この方法による解脱に成功し、

> いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い
> 恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が
> 咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに
> 聞くくらい、気になりません。

という境地に立っており、サカリのついたオスとメスが演ずる茶番を、 完全なる「他人事」として相対化する視線を獲得し得ております。

それは、あたかも路傍の石を眺めるがごとき視線です。

イブの本日、みっともなくも若い衆の中には、本当は何の用もないのに そそくさと定時速攻で退社し、周囲にプライベートな用件があることを 無言でアピールする哀しい連中もおります。

無論、解脱した小生はそのようなみっともなさとは無縁であります。

本日は断固として圧倒的に残業を敢行し、小生にはプライベートな用件など 微塵も存在しないことを雄雄しくも広く天下万民に知らしめ、 もって「枯淡の域」とはいかなるものかを、無知蒙昧なる大衆に身をもって 示す所存であります。

※ 本当はね、まるっきり用件がない訳でもなくて、一人で呑み屋に行くの。 そんで、明日は明日で野郎ばかりで寿司屋で呑むの。

2023,江端さんの忘備録

意外に思われるかもしれませんが、私、動物が好きで、特に犬と猫が好きです。

It may come as a surprise to you, but I like animals, especially dogs and cats.

子どもの頃、当時の私たち家族は、家族同然の犬と猫の『最期』を看取りました。

When I was a child, our family at that time took care of the "end" of our dog and cat, who were like family members.

『血を吐くほど泣く』という現象は、中島みゆきさんの歌で知っていましたが、『それが、私の中にあった』ことを知って、素直に驚きました。

I knew the phenomenon of "crying so hard you spit up blood" from Miyuki Nakajima's song, but I was honestly surprised to learn that "it was in me.

私の両親が死んだ時も、これほどまでには悲しみませんでした。

When my parents died, I did not grieve as much.

父も、祖母が死んだ時に、全く同じことを言っていました。

My father said the same thing when my grandmother died.

『親子だなぁ』と思いました。

I thought, 'We are Parents and children.'

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なにしろ、私の両親の葬式では、通夜の時に、親戚と一緒になって、故人の思い出話で爆笑していたくらいです ―― 父も母も、ネタ満載の人生でした。

After all, at my parents' funeral, I even joined my relatives at the wake and laughed at their memories of the deceased -- both my father and mother had a life full of stories.

私:「いやー、通夜っていうのは、子どもが知らない、故人の隠れた話(結構、凄い話)が、ボロボロ出てきて、楽しいね~」

Me: "Well, a wake is a lot of fun because there are hidden stories (quite amazing stories) about the deceased that the children don't know."

嫁さん:「いや、そうじゃない。『あなたの親の人生が、あまりにも特殊すぎる』のだと思う」

Wife: "No, I don't. I think 'your parent's life is just too peculiar.'"

私:「そうかな?」

Me: "Really?"

『私も滅多に見たことがない、満面の笑顔の父です』

それはさておき。

Aside from that.

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私は、ペットの死を今でも鮮明に覚えていて、その後、どうしても、犬や猫を飼う気になれませんでした。

I still vividly remember the death of my pet, and after that, I couldn't bring myself to get a dog or cat.

それでも、私の娘たちが、それを強く希望しれば、それに『折れる形』で、所有を認めようと思っていました。

Still, I was willing to 'give in' and allow my daughters to own it if desired.

夕焼けの中、犬を抱き抱えた娘といっしょに歩きながら、定番のセリフ 『お前が、ちゃんと一人で面倒を見るんだぞ』と言う、というのを予想していたのですが ――

I was expecting to walk with my daughter with the dog in her arms at sunset and say the classic line, "You're going to have to take care of him all by yourself" --

娘:『犬を、飼いたいけど、散歩や餌やりは面倒なので、(私に)やって欲しい。という訳で、管理はよろしく』

Daughter: "I want to keep a dog, but it is too much trouble to walk and feed it, so I want (me) to do it. So, please take care of it."

とか、なめたことを言ってきましたので、当然、娘の提案は一蹴しました。

Thus, my daughter said such dumb things, and naturally, I kicked her proposal.

その中でも、この「故人を『笑って』偲ぶ」という葬儀は、素晴しい文化のトップクラスに入ると思っています。