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江端さんのひとりごと
「日本における野球文化に関する一考察」

エルカン、江端共著
2002/01/11

私は可能な限り、人が楽しんでいることに「ケチ」をつけることはしないように心がけています。

それは、私が楽しんでいることにケチをつけられるのが嫌であるから、おそらく他の人も同じ気持になるだろうと、容易に推測できるからです。

しかしそれは、この私に迷惑をかけるものでないことが前提です。

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私は冬と言う季節が好きです。

静謐で美しい風景、一面の銀世界、生命が息を潜めて雌伏する限られた期間であり、スキーと言う素晴しいスポーツが楽しめる季節だからです。

そして、何より「野球」と言う愚劣な習慣が、日本国から消滅する唯一の期間であるからです。

私は別に野球が嫌いと言うわけではありません。

むしろ、好きな方だと思います。

独身のころは、週末になると独身寮の近くにある草野球場までバイクを転がして、中学生たちのプレイを楽しく観戦していたものです。

素人愛好家チームのプレイは、下手な漫才より十分笑えると言う、数あるスポーツの中でも異色のエンターテイメント性を持つ優れたスポーツであると信じています。

ところが、この野球と言う優れたスポーツは、冬と言う季節を除いて「野球」と言う名の愚劣な日本固有の文化、あるいは商業習慣に転換され、それは、この私に滅茶苦茶な迷惑をかけやがるのです。

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プロ野球に見られるように、スポーツがショウビジネスとなるのは、別に自然なことです。

私は、アマチュア精神なんぞは興味ありません。

人間の持ちえる能力を余すことなく見せる、プロフェッショナル達の技は、私達に感動を与えてくれます。

マスコミが、マジョリティを中心として番組を構成するのは当然です。

ですから「プロ野球」の上映時間の枠が大きいのも仕方ないでしょう。

ですが、だからと言って、それらのショウが、自由気ままに上映時間を変更したりして、他のショウの邪魔をしても良いと言う理屈が成りたつ訳はありません。

何が腹が立つと言って、『スポンサーの御好意で、放送を30分延長いたします』と言う、これほど偉そうに構えた、傲慢な、むかつく台詞が、世の中にあるでしょうか。

大体、番組を延長するくらいなら、最初から固定枠時間で取っておくか、プレイボールの時間を早めればよかろうに。

殆ど例外なく放送延長することは判っているのに、恩着せかましく、何が「御好意」だ!馬鹿野郎!!「御迷惑」もいいとこだ!!

途中で雨が降ったり、早めに試合が終わったのであれば、あるメジャーチームの著名な監督の個性や振舞いを、とことんこけにして笑い者にする為に編集した、失礼無礼極まりない編集テープでも流していればいい。

少なくとも野球スポーツという世界で、あれ程貢献した方に対して、あれ程無礼なプログラムを編集するマスコミ、そしてそれを見て笑っていられると言う視聴者の頭の程度も知れたものですが。

たかがスポーツショウごときが、その後の番組のスケジュールを全部滅茶苦茶にするから、その結果として、予定していた自分のスケジュールも巻き添えくらわされるし、折角のビデオ予約は番組がずれこんで、みんなパー。

大体、自局のプログラムの時間管理もできんようで、よくぞメディアを標傍できるものだ。

少しは恥を知れ。

大体、マスメディアで、時間の厳密管理のできない野球と言うスポーツを、あえて放送するのであれば、テレビ局各局において、時間管理ができるように独自のルールを制定すればいいではないか。

「3アウト、チェンジ」の周回方式から、1回表裏共に6分30秒(9回で120分)をベースとして、変則ルールを作ってもいいだろう。

できないとは言わせない。

相撲を見てみて下さい。

相撲はその由来や歴史から見ても、全く時間の概念がないスポーツであったことは明白です。

しかし、日本大相撲協会が、多くの相撲ファンの反対の中にありながら、相撲文化の存続を賭けて敢えてメディアに進出し、現在のNHK&日本大相撲協会による厳密時間管理の制御技術を確立したことは、マスメディアの鏡であり、規範であり、模範であると、私は信じます。

『さあ、時間いっぱいです』

この一言に込められているメディアと相撲の融合の前衛的な文化を、時代遅れで無知性で愚劣で、おまけに、はた迷惑な「プロ野球」と言う商業習慣は、ほんの少しでもいいから、模倣するところから始めるべきです。

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さてここまでは、「プロ野球」という商業習慣を提供する側の批判でしたが、次は、それを提供される側から見てみましょう。

自分の贔屓のチームが勝てば嬉しく、負ければ悔しい。

当然です。

これは理屈以前の話であることは、私でも理解できます。

そもそも、その動機がなければ、スポーツを観戦すること自体の意味も分からなくなります。

金銭も利害も関係のない、純粋な応援。

これは人間の持つ、数少ない善なる資質の一つであるかもしれません。

しかし、世の中には、自分の贔屓のチームが負けると、翌日不機嫌になり、部下に当たり散らすような、上司が存在するそうです。

あるいは、子供に当たり散らす、父親や母親も。

決めつけて良いですが、こいつらは、馬鹿です。

上司、親として以前に、人間として失格です。

贔屓のチームに関する関心は、あくまで個人の問題であり、他人には何の関係もありません。

例えば、ある日、私が個人的に不快な目に合い、それが理由で他の誰かに当り散らしたりしたら、当然私は非難されて然るべきでしょう。

しかし、問題は、このような人間失格達の振舞いを許容する、日本社会の体質の方が深刻であり、私はとても心配です。

特に「プロ野球」に関しては、異様なほど甘い。

『プロ野球を語れん男は、男ではない』と決めつけた人がいるそうですが、この定義によれば、私は男ではないようです。

一体、どんなふうに理論を展開すればこんな結論に至れるのか、その精神構造も含めて、私は本当に知りたいです。

一方、プロ野球は、日本におけるコミュニケーションの重要な共通基盤となっているのも事実です。

例えば、「最近の巨人は駄目だね」と誰かが言った瞬間から、「最近の巨人は駄目」と言うスレッドで、会話は進行されなければなりません。

つまり、この手の会話は、問題提起を行なっているのではなく、一種の挨拶のようなもので、

「最近の巨人は駄目だね」=「やあ、御機嫌いかが」

「まったくだね」=「ええ、ありがとう」

と同義のようなものらしいのです。

何故なら、その会話の中に、どんな判断基準とどのような状況から「最近の巨人は駄目」と判断するに至るのかと言うような会話は、決してなされないからです。

加えて、本当に驚くべきことは、「最近の巨人は駄目」が例え単なる挨拶に過ぎないとしても、「最近の巨人は駄目」に関する共通的なコンセンサス(同意)が、一般的に得られていると言うことです。

これはかなり恐ろしいことです。

歴史的に見て、国民を同一のコンセンサスの下に統合することができたものといえば、太平洋戦争戦時下の政府の国威高揚政策くらいなものだと思います。

プロ野球のように、単純明解で、殆ど思考能力を必要とせず、好き勝手なことを吠えているだけでよいもの(勿論、プレーヤにとっては全く逆の立場になりますが)が、日常会話レベルに通用するコンセンサスを形成しているという

ことが示す事実は、

(1)プロ野球は、日本における真にコミュニケーションの重要な共通基盤である

と言うよりは、むしろ、

(2)その程度のものでしかコミュニケーションを測れないほど、日本人は話題が貧困である

と解釈するのが自然ではないかと思います。

これを納得するために、チャンスがあったら、次の様な実験をしてみて下さい。

「最近の巨人は駄目だね」

「どういう風に駄目ですか」

まあ、賭けてもいいですが、相手は絶句するか

「どういう風って、そりゃお前、駄目って言えば、駄目だろうがよぉ」

とこの程度の返事しかできないでしょう。

つくづく、知性のない会話と言わざるを得ません。

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さてここからは、「プロ野球」の結果を報知するニュースメディアいう観点から見てみましょう。

他のTV番組を見ている最中に「速報」のテロップが流れ、「ん?どこぞで選挙でもやってたか。それとも地震でも起きたのだろうか」と思って注視すると、『巨人X阪神2-0』。

確か京成電鉄の駅だったと思いますが、構内放送が大音量で流れるから何かと思えば、これまた野球試合の結果報告だったりする。

一つ目の事例は、「あなたはこのチャンネルを変えなくても、ちゃんと試合結果を報告するから、安心してうちの番組を見ていて下さいね」と言うメッセージでしょう。

二つ目の事例は、どうせ電車の待ち時間などでは、駅のインフラ(駅内放送)が遊んでいるんだから、乗客へのサービスとして、野球試合の結果報告でも流してみたらどうだろうと言う、小手技のサービス(ラッシュ時対応に車両を増強するとか、痴漢対策などではなく)で顧客のサービス好感度を上げようという姑息な手段であることは明白です。

しかし、そういうニュースメディアを利用する側(視聴者)も、全く理解に苦しむ行動をとります。

野球中継を見て試合結果を知った上、その判りきった結果をスポーツニュースで再確認し、更に翌朝にはスポーツ新聞で知り尽くした結果を再々確認しするプロ野球ファンの振舞いは、常軌を逸脱しているとしか考えようがありません。

複数のニュースメディアを利用する場合、私たちは、それぞれのメディアの主張を多面的に分析して、事実はどこにあるのか調べようとすることがあるかもしれません。

例えば、日テレでは「巨人勝利」と報じていたが、フジでは「中日がサヨナラ満塁」だとか、サンケイスポーツとニッカンスポーツでは結果が異なる、というのであれば、どれを信じていいか判らずにあれこれ見たり読んだりする、というのは納得できます。

しかし、どうせ同じ結果しか報じていないメディアを、どうして何種類も見るのか、全く不可解です。

なにより私は、あのスポーツ新聞メディアの、首尾一貫しない軽薄な論調が嫌いです。

シーズン開始時に「今年も最下位決定!監督更迭!?」と書き、シーズン終りに「信じていたぞ!我等の巨人!!」とよく書けるもんだと思う。

もし人間だったら、私は、こんな奴とは絶対付き合えない。

スポーツ新聞を愛読している人々は、よっぽどの「お人よし」か、・・・いや、まあ、「お人よし」と言うことにしておきましょう。

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さて、日本におけるタブーといえば、色々ありますが、「高校野球」もまた批判を許されないタブーの一つでありましょう。

ここで私が批判するのは、高校野球、そのものではありません。

批判どころか、私は高校野球は好きな方です。

これについては、後述します。

ここで「高校野球」(かっこ付)は、以後、

全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)

の中でも、特に、

甲子園球場で開催されているもの

を指すこととします。

あなたは、「高校野球」に出場している高校生が、どれくらいか知っていますか。

1チーム15人で49都道府県50チームで750人。

夏と春の両方を出場するチームもあるかもしれませんが、ここでは多めに倍と見積もって、最大1500人。

平成11年度の高校数が5481校で、その全部に野球部があったと仮定し、さらにその部員数も少な目に30人くらいとしてみましょう。

「高校野球」に出場できる野球部の高校生は、0.009122、1000人の内、わずか9人。1パーセント割っています。実際はもっと狭い門でしょう。

一方、日本の最高学府と言われる東京大学の学生数は15860人、大学院や浪人も含めたとして、少し少なめに6年分で割って見たとしても、2700人が毎年入学している訳ですよ。

甲子園大会出場経験者から見れば、東京大学の門など、全然広い。

甲子園大会とは、一回負ければもうおしまいと言う、実世界では考えられない程の苛酷な条件の戦いを生き残ってきた、すさまじい強運をたずさえたエリーの中のエリート、超スーパーエリート達だけで開催される競演です。

そんな「エリートの競演」なんぞ見て、本当に楽しいか?

私は応援する気にもならん。

繰り返しますが、別に野球が嫌いと言うわけではありません。

すでに述べましたが、私は、独身のころは、週末になると独身寮の近くにある草野球場までバイクを転がして、中学生たちのプレイを楽しく観戦していたものです。

「高校野球」の地区大会の楽しさ(できるなら初戦から3回戦までの観戦は特に良い)と来たら、あんなエリートの競演なんぞとは、到底比べものになりません。

- ガムをクチャクチャやりながらバッターを睨めつける、茶髪のピッチャー

- 軽く首を回した後、バットでレフトスタンドを差し、予告ホームランの仕草をするバッター。

- 三遊間の簡単なゴロを、リズミカルに調子を取りながら、きれいにトンネルするショート。

- 定位置のフライなのに、1-2塁間近くまで全力でダッシュして、エンタイトル2ベースにしてしまうライト。

- ゲッツーのチャンスがある度に、ファーストへの送球を暴投して、律義に相手チームに得点を献上するセカンド。

- センターに上がったフライを見て、かっこうを付けて早々と(??)に戻りかけたら、そいつが取りそこなって、慌てて定位置まで走りもどるレフト

- 盗塁しようとして、1-2塁間で足を滑らせて転ぶランナー

- 10点以上の点差があって、9回裏に、『ここから!ここから!』と連呼する監督

こんな面白いスポーツ観戦が、一体世界中のどこにあるでしょうか。

そして、日本における99%の野球と言うのは、このような本当に楽しいものなのです。

あの甲子園大会の高校生たちが繰り広げるプレイが、如何に超人的、超エリート的であるかは、テレビで高校野球とプロ野球を見て、えらそうにチーム監督の采配にケチをつけるおっさんなんかに比べたら、私の方が間違いなく理解している。

かたや、NHKの特集番組で、相手チームの投手の癖を、数台の高性能カメラで、徹底的に調べあげ、その対応の練習に余念がないバッテリーの姿を見ました。

金銭的な物量作戦的を、当の高校生だけでできるわけなく、金で雇われた専属の大人のスタッフが指揮しているのは、当然としても-----

涙が出そうなほど、「高校生らしい」

すがすがしいったらありゃしません。

まあ、それはさておき、ここで彼等が、打算や欲得抜きで一生懸命であると言うことは事実であり、そんな彼等のひたむきな姿が、多くの人に感動を与えるのだと言うことを、私は否定しません。

相当多くの人は、何かに一生懸命頑張っている人を見るのが好きです。

例えば、正月に行なわれる、箱根駅伝。

彼等が、心臓が破れるのではないかと思われるような地獄のような苦しみに耐えながら、険しい山道を走り、次の走者へと襷(たすき)を繋ぐひたむきな姿。

テレビ中継で、そんな彼等の姿を見ながら、こたつに入って、刺身を摘みながら、お屠蘇を飲みつつ、うたたねをする。

箱根の山道なんぞ、一生走ることも(多分、歩くことも)ない、正月にのみ許される、多くの日本人の優雅な時間、と言ってよいでしょう。

ちょっと話がずれましたが、それにしても「高校野球」の特別扱いは、度が過ぎていると思うのです。

そもその「高校野球」と、例えば「インターハイ卓球」と一体何が違うのでしょうか。

もっと極端なことを言えば、「高校野球」の出場者と「高校数学オリンピック」の出場者を、その質から比較してみれば、どちらもスーパーエリートであることには変わりありません。

どの高校生にして、ひたむきで一生懸命であると思うのです。

しかし、「高校野球」の投資額は、他の「高校なんとか」と比べて、比較にならないほど凄い。

10数年程前に、甲子園常連高と言われている野球部の維持費が、年間5000万から一億、と言われていたので、今は軽く2~3億くらいにはなっているでしょう。

甲子園の一日利用料金が幾らか分かりませんでしたが、1999年のオールスターの入場者数が11852人、売上が50億3121万7000円。

まあ、これは特例としても、一日あたりの売り上げが2億4048万円だそうですから、高校野球の為の球場使用料も大体、一日億を単位として、20日弱で20億円くらいか。

一試合あたりの観客動員数を5000人と見積もって、一日4試合2万人。

地方からの応援の移動コストをかなり低く見積もったとして一人往復2万円としても、延べ観客動員数250000人で50億。

NHKが「高校野球」の中継にあたる時間、どのような番組作成も必要とせず高視聴率を取れること(そして、受信料支払の強力な根拠とすることができること)、民放が、「高校野球ダイジェスト」のような番組で、スポンサーからどれくらい金を取っているのかなど、「高校野球」が、経済効果抜きで考える脳天気な人間もいないでしょう。

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世間擦れした大人の手垢のべったりついた「高校野球」を作っておいたくせに、日本高校野球連盟の馬鹿さ加減には、ほとほと飽きれてしまいます。

野球部員の一人が喫煙したことがばれて、そのチームが甲子園出場の辞退を余儀なくさせられた、と言うニュースをよく聞きます。

喫煙がいかんと言うのであれば、その喫煙した一人が出場を辞退すればよかろうに、なんでチーム全体が巻き添えを喰らわねばならん。

連帯責任などと言う愚劣な考え方が、全体主義的でファッショであり、かつ民主主義的な物事の捉え方から外れていることなどは、近代民主主義社会の常識中の常識。

ちょっと知性のある人なら分かりそうなもんです。

日本高校野球連盟を構成する方々は知性のない面々、と決めつけてよさそうです。

平成4年夏の甲子園で、明徳義塾高校が星稜高校の松井秀喜選手を5打席連続敬遠したことについて、当時の日本高野連会長のなんとかと言う奴は、以下のように語ったそうです。

-----走者がいる時、作戦として敬遠することはあるが、無走者の時には、正面から勝負して欲しかった。1年間、この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校野球ではないか、云々-----

この記事を読んだ瞬間、私が真っ先に思ったのは、

『もし、こいつが、(公的な)日本高野連会長として発言しているなら、本当の馬鹿だ』

と言うことです。

腐っても、日本高野連会長ともあろう人間が、こんなコメントをしたら、

「高校野球」の監督や選手達は、一体どうやって試合を闘えと言うのか。

『この敬遠は、高校生らしいだろうか』

『この牽制球は、高校生らしい投げかただっただろうか』

『そもそも、「高校生らしい」って何だろう』

これは、野球の領域ではなく、哲学か、そんなによいものでなけでば、大衆心理学の分野です。

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私の得意技は、テニスボールの上側を擦ってドライブ気味に強打するサーブです。

これが、相手の正面付近でバウンドすると、レシーバから見ると突然左に曲がるので、フォアハンドに回っていたレシーバは、バックハンドへの切り替えができずに、リターンを返せなくなります。

サービスエースです。

私は、私のこのサービスが返せない選手ならば、試合中、全部このサーブを打ち続けます。

-----相手がいる時、作戦としてそういうサーブを打つことはあるが、ストレートでセットカウントを取っている時には、癖のないサーブで勝負して欲しかった。1年間、この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから、その力を思い切りぶつけ合うのが高校テニスではないか、云々-----

と言われたら、私は、「あんた、正気か」と問い返すことでしょう。

試合とは、全力を尽して、敵を「負かす」ことで、ルールと言うのは、それさえ守っていれば何をしても良い、と言うものです。

ある試合が、たまたま「すがすがし」かったり「感動」したりすることもあるかもしれませんが、選手達は、観客を「すがすがし」くさせたり「感動」させたりする為に闘っている訳ではないのです。

それは、観客の思い上がり、と言うものです。

そういうものが欲しければ、そういうことを目的としたコンテンツは、世の中には履いて捨てるほどあります。

選手達に、下らない観客の思い上がりを押しつけるものではありません。

「選手宣誓でうたった高校野球精神を踏みにじる行為」

「子どもの教育に悪影響を与える」

「5回とも敬遠というのはやりすぎだ」

はははは。

お前たちの中にだけある、幻想の『高校生らしさ』なるものを追いかけて、死ぬまで言っていろ、馬鹿野郎めが。

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さて、実は、まだまだネタはあるのですが、文字通り切りがないので「日本における野球文化に関する一考察」に関する本エッセイは、以下の私の提言を持ちまして、終了したいと思います。

(1)野球中継に関しては、その時間、内容に関して一切の文句を言わないので、終了時間を明確にすること。

(2)「高校野球」に関しても、あまり多くの注文はしないが、「高校生らしい」高校野球を見たいのであれば、まずそのチームの監督を大人にやらせることを全面撤廃し、その学校の野球部の部員にやらせるのこと。

なんで「高校野球」の采配に、いい年したおっさんがしゃしゃり出てくるの、と思っているのって、私だけですか?

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)

2025,江端さんの忘備録

嫁さんに、『夏季休暇中に、何かやっておかなければならないこと(家の各種のメンテナンス等)があったら、今の内に、言っておいて』といったら、
When I asked my wife, “If there’s anything that needs to be done during the summer vacation (various house maintenance, etc.), tell me now,”

ーー 映画「国宝」を見に行くこと
— “Go see the movie Kokuhou.”

と言われました。
That’s what she told me.

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『映画を見に行くことが"メンテナンス"?』、とは思いましたが、ここ暫く嫁さんと外出できなかったので、一緒に行ってきました(一緒にいった映画は「アルキメデスの大戦(大変面白かった)か、「オッペンハイマー」のどちらかだったようです)。
I thought, “Going to a movie is maintenance?” but since we hadn’t been out together for a while, I went with her. (The last movies we went to together were either The Great War of Archimedes—which was very entertaining—or Oppenheimer, I can’t recall exactly which.)

ですから、「アルキメデスの大戦」を、家族4人全員で映画を見にいくことになるとは思いませんでした。

"残席2"の、2つを予約して行ってまいりました。
We grabbed the last two available seats marked “2 seats left” and went.

私、満席の映画って、「宇宙戦艦ヤマト(一番古いやつ)」(の立見)が最後だったように思います。
The last time I remember a full theater was for the original Space Battleship Yamato—and I was standing for that one.

ちなみに、嫁さんは、これが3度目の入館です。(私には、映画館で同じ映画を2回見る、という習性はありません)。
By the way, this was my wife’s third time seeing it. (I don’t have the habit of watching the same movie twice in theaters.)

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感想は、"圧巻"の一言に尽きます。
My impression can be summed up in one word: overwhelming.

私、映画やドラマで描かれる「人間模様」には、あまりフラグは立たない人間なのですが、この映画は「歌舞伎という芸能に対する"メイキング オブ 歌舞伎"」という観点で"圧巻"であり、そして、その"映像美"という観点でも"圧巻"であり、そして、役者さんの徹底した修練(というより"執念"だな)に基づく歌舞伎の"演技"・・・というよりは、"歌舞伎そのもの"が、怖いくらいの"圧巻"でした。
I’m not usually the type to get emotionally hooked by the “human drama” depicted in films or TV shows, but this movie was overwhelming in its portrayal of the making of kabuki as an art form, overwhelming in its visual beauty, and overwhelming in the sheer kabuki itself, powered by the actors’ relentless training—more like obsession—behind the performances. It wasn't very comforting in its intensity.

長時間の映画(だいたい、3時間くらい)。昔であれば、これほど長い映画ともなれば、インターミッション(休憩)が入ったものですが、もちろん、そんなものはありませんでした。
It’s a long film (about three hours). In the past, a movie this long would have had an intermission, but of course, there was no such thing.

興業としての3時間の映画は、それだけで不利だと言われています ーー 上映回転数が減るからです。
From a business standpoint, a three-hour movie is considered a disadvantage, as it reduces the number of showings per day.

でも最近は、嫁さんのような「リピータ」戦略にシフトしているのかもしれません。
However, perhaps they are now shifting toward a “repeat viewer” strategy, like my wife.

なにしろ、この私ですら、もう一度見に行ってもいいかな、と思わせるほどですから。
After all, even I felt like I wouldn’t mind going to see it again.

少なくとも「歌舞伎役者の汗や涙が飛び散る様」は、自宅のテレビやPCでは見られないのは確かです。
At the very least, the sight of sweat and tears flying through the air is something you can’t experience on your home TV or PC.

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あまり褒めると、どうも反動的に、ちょっとそれを調整したくなります。
When I praise something too much, I tend to get the urge to balance it out.

私、エンドロールの最後に、"文化庁の「文化芸術振興費補助金」(映画製作支援)"という表記を見つけています。
At the end of the credits, I spotted a line saying, “Supported by the Agency for Cultural Affairs’ Grant for the Promotion of Culture and the Arts (Film Production Support).”

これ、もしかしかしたら、"歌舞伎"に対する国民の興味を上げる為の(そして、文化庁が歌舞伎文化を保護するための予算を確保する為の)『国策映画』の面もあったのかもしれないな、とゲスの勘繰りをしています。
It made me wonder—perhaps cynically—if this film had a “national policy” side to it, aimed at boosting public interest in kabuki (and helping the Agency for Cultural Affairs secure a budget for its preservation).

(多分、そういう思惑は"ない"と思いますが ーー ただ映画会社と製作現場の『採算度外視』の執念を感じる作品でした。『この映画、コケたらどうしていたんだろう』と心配になるほどの予算投入も感じました)
(Probably—no, almost certainly—there was no such intention. But I did feel a practically reckless determination from the filmmakers, to the point where I worried, “If this movie flops, what would they do?” given how much budget was poured into it.)

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8月のこの時期になると、太平洋戦争の国威掲揚ニュース映像を流す特番が放送されますがーーもちろん背景は違えど、この「国宝」は"歌舞伎"へ興味を向けさせる映画です。
In August, we often see TV specials showing wartime newsreels that boosted national morale during the Pacific War. Of course, the background here is entirely different, but this film is designed to draw attention to the art form of kabuki.

そして、こういう『国策映画』なら私は大歓迎です。
And if this is the kind of “national policy film” we’re talking about, I welcome it with open arms.

例えば、とても気に入った映画があれば、それを、2回、3回と見にいくのではなく、その金額を、その映画に興味のない人向けにお金を寄付するのです。

2019,江端さんの忘備録

嫁さんと二人で、「空母いぶき」を見に行った時、その予告編で「アルキメデスの大戦」という作品を知りました。When I went to see the movie "The Aircraft Carrier "Ibuki"" with my wife, I got to know the work "Archimedes War" in the trailer.

予告編は上手く編集されていましたが、私は『これは興行的にコケるだろう』と思いました。The trailer was well edited, but I thought, "This is going to fail."

「数学」をテーマとした映画であったからです。
Because it was a movie with the theme of "math"

しかしながら、
However, I decided that

―― 数人しかいない映画館の中で、映画を見ることになったとしても、
"Even if you decide to watch a movie in a cinema with only a few people,"

―― この「私」だけは、絶対に見に行くぞ
"Only this "I" will definitely go to see"

という決意でいました。

世界を数字で俯瞰する ―― というテーマで、コラムを書いてきた人間として、私だけはきちんと見なければ、と思っていたからです。
As a person who has written a column on the subject of "Let's turn the world by numbers", I think I have to watch this movie.

ですから、私は、誰も誘わずに、一人っきりで映画館に行くつもりでした。
So, I was going to go to the cinema alone even if nobody invited me.

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ですから、「アルキメデスの大戦」を、家族4人全員で映画を見にいくことになるとは思いませんでした。
So I didn't think that it was going to go to a movie with the whole family of "Archimedean Wars".

しかも、家族からのオファです。
That is an offer from my family.

『番宣が、そんなに良かったのかななぁ』とか考えていました。
I was thinking, "Is the program advertising so good?"

結論から言うと ―― 最高の映画でした。
From the conclusion, it was a great movie.

単純な比較をすべきではないのでしょうが、ここ数年で見てきた「永遠のゼロ」「日本の一番長い日」「シンゴジラ」「空母いぶき」などを、軽くブッチ切って、最高の作品でした。
I shouldn't do a simple comparison; however, it was better work I have seen in recent years than "Eternal Zero", "Japan's Longest Day", "Shingozilla", and "Aircraft Carrier Ibuki".

過度な感情移入もなく、戦闘シーンも殆んどなく(最初の映像はもの凄かったけど)、ほど良い笑いがあり、役者の演技も素晴しく、なにより、「数学の威力」を正確に伝えるシーンが圧巻でした。
No excessive empathy, no battle scenes (though the first video was awesome), a good laugh, the wonderful actor's performance, and above all, the scene of "mathematics power" was a masterpiece.

私は、原作のコミックを3巻まで読んでいたので、原作からの大きな改編にも気がついたのですが、しかし、その改編された内容も実に素晴しい ――
Since I had read the original comics up to three volumes, I also noticed a major reorganization from the original. However, the reformed contents are also wonderful.

オープニングとエンディングが見事に閉じた、これこそが「二次創作の傑作」と言えましょう。
The opening and ending are closed wonderfully, and this can be said to be a masterpiece of secondary creation.

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私は本当に面白かったのですが、家族は、退屈していたのではないだろうか、と、質問をしてみたのですが ――
I was really entertaining, but I was afraid that the family might have been bored.

全員が「1秒もそんなことを感じなかった」と言い、「永遠のゼロ」等の映画よりも、遥かに面白かったと言い切りました。
All said, "I didn't feel that for a second," and they said that this movie was much more interesting than "Eternal Zero".

嫁さん:「パパ。方程式が登場してきた場面で、スクリーンに喰いいるように見ていたよね」
Wife: "Dad. In the scene where the equation appeared, I was looking at the screen."

江端:「そりゃ、ま、ね。極限値を導く定数が出てくる項くらいは見つけておきたかったからね。正直言うと、あの一般解を導く前の『楕円型偏微分方程式(*)』の方が見たかったけど」
Ebata: "Well, I wanted to find a term that could lead to a constant that leads to the limit. To be honest, I wanted to confirm the "Elliptic partial differential equation (*)" before I obtained the general formula.

(*)正直、楕円型偏微分方程式は良く知りませんが、まあ、偏微分方程式の一種くらいだろう、と思っています。
(*) I am not familiar with elliptic partial differential equations, but I believe they are a type of partial differential equation.

まあ、映画で描かれていた一般式の内容は、ちょっと単純すぎるかなぁとは思いましたが。
Well, I thought that the content of the general formula drawn in the film was a bit too simple.

多分、真面目な一般式にしたら、あの黒板が10個は必要になっただろうと思います。
Perhaps, if it were a serious general expression, ten blackboards would have been needed.

そうなると、1つの建造費を試算するのに、多分2~3時間は必要になって、映画としては困ることになるでしょう。
If so, maybe it takes 2-3 hours to estimate one construction cost, and it will be difficult for a movie.

故に、そのあたりは「演出」でいいんです。
Therefore, the "director's edition" is good.

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江端:「というか、皆、本当に面白かったのか?」
Ebata: "Weren't they all really interesting?"

嫁さん:「数式なんか分からなくたって、あの映画は、絶対的に面白いよ」
Wife: "If we don't understand the formula, that movie was absolutely interesting."

と言い切りました。
My wife said that.

長女は『数値を改竄する国家戦略』という考え方に圧倒されたと言っていましたし、
My eldest daughter said that she was overwhelmed by the idea of "National strategy to falsify figures."

次女は『設計した以上、作りたくなる』というエンジニアの心理に感じ入ったと言っていました。
My second daughter said that she felt in the engineer's mind that "they wanted to make it because they designed it."

勿論、私は、原作からの大きな改編部分『依代(よりしろ)』に、衝撃を受けていました。
Of course, I was shocked by the big reorganization from the original about "Yorishiro(an object that divine spirits )".

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という訳で、江端家の全員が満点を弾き出したという、ここ数年にない、素晴しい映画鑑賞を楽しむことができました。
In this way, everyone in the Ebata family will be able to appreciate the beautiful movie that has been full of points in the past few years.

未分類

中学や高校で生徒会会長などの、いわゆる『目立った』立場にいた人間は、社会に出てから出世しにくい、という話を聞いたことがありますが、これは根拠のある話でしょうか

ご質問の内容について、結論から申し上げますと――

「中学・高校時代に生徒会長など“目立つ”立場だった人が、社会に出てから出世しにくい」という話に、根拠は見当たりません。逆に、豊富な研究ではむしろポジティブな効果が多く報告されています。


学生時代のリーダー経験が社会で役立つという研究

  • ウィスコンシン大学の研究では、卒業3〜5年後に 学生リーダーだった人は、リーダーシップ・チームワーク・コミュニケーション能力・自信が向上した と振り返っており、社会での自己表現や対人スキルに好影響を与えたとされています Academia+1

  • 学内リーダー経験は 学業成績の短期・長期両方に好影響 を及ぼす傾向があり、例えばクラス委員長などは成果が特に高い傾向があります サイエンスダイレクト

  • 大学生のリーダー経験に関しては、「キャリアの満足度が高い」「業界内で影響力を持つ機会が増える」といった報告もあります Center for Engaged Learning

  • 学外活動全体についても、「組織での関わり」が 自己管理・目的意識・社会性を高め、就職活動においても有利に働く とする分析があります ウィキペディア+1The Guardian


一部のスポーツ経験に関する報道

  • ただ、ある10年以上前の研究では、 高校時代のスポーツ参加者が、他の課外活動参加者に比べて成人後に高収入になる傾向がある という結果が報じられています。ただしこのデータは、主に戦後世代男性の統計であり、性別や時代背景のバイアスがある点は注意が必要です glamour.com


なぜ「目立った立場は社会で出世しにくい」という話が広まるのか?

このような逆説的なイメージには、以下のような要因が考えられます:

  1. 過剰な期待・印象のハードル
    学生時代に目立つ立場にいた人には、「何でもできる」という期待が付いて回り、社会に出た際に少しでもその期待に応えられないと“失敗”と捉えられやすい。

  2. コミュニケーションギャップや反発
    周囲にとって目立つ存在が、社会人になっても同じ立ち位置を求めると、逆に反発や違和感を生むケースもあるかもしれません。

  3. 経験の質の違い
    生徒会長などの経験が「ただの肩書き」になってしまい、本当にリーダーシップスキルが鍛えられた経験になっていなかった場合、社会とのギャップが生じる可能性もあります(ただしこれは、その経験の質や支援の有無によるものであり、立場自体が悪影響とは限りません) rise.crimsoneducation.orgウィキペディア


総まとめ

学生時代の目立つリーダー経験自体は、多くの研究で むしろ出世や成長の助けになる とされています。そのため「目立っていた=出世しにくい」という話には、少なくとも現代の学術的な裏付けはありません。

学校におけるリーダーシップと、職場におけるマネージメント(×リーダーシップ)は、その目的や内容や質が異なることから、変なプライドを持ったまま社会人になると、失敗しやすい、という気がします。実際に、学校などでリーダーシップを張っていた人間が、社会で著名になった例を、私はあまり知りません。私の所感に関して、客観的に論じて下さい

あなたの所感は、少なくとも心理学的・社会学的な観点から一部説明可能です。以下、研究知見と事例を交えて、客観的に整理します。


1. 学校リーダーシップと職場マネジメントの構造的な違い

① 目的の違い

  • 学校:メンバーの士気向上・イベント遂行・自治活動など、比較的短期的かつ象徴的な成果が中心。

  • 職場:利益創出・コスト削減・人材育成など、長期的かつ成果責任の伴う業務が中心。

② 権限・裁量の違い

  • 学校:教員や校則が最終決定権を握り、リーダーは「象徴+調整役」に留まることが多い。

  • 職場:予算・評価・解雇権限など、直接的な影響力と責任が付随する。

③ スキルセットの違い

  • 学校:演説力・人間関係構築・場の盛り上げ方など、ソーシャルスキル優位

  • 職場:リスク管理・財務感覚・交渉力・部下育成など、分析・判断・制度運用能力優位

この構造差が、「学生時代のリーダー経験=即戦力マネージャー」にならない理由です。
しかも、学校時代に通用した手法(カリスマ性や場の掌握)が、職場では逆効果になる場合もあります。


2. 「変なプライド」が失敗の引き金になるメカニズム

心理学でいうDunning-Kruger効果役割固着が関係します。

  • Dunning-Kruger効果:自分の能力を過大評価し、必要な学習や適応を怠る。

  • 役割固着:過去の成功体験に基づく振る舞いから離れられず、環境に適応できない。

この場合、

  • 部下や同僚の意見を受け入れられない

  • 成果よりも「自分が中心であること」を優先してしまう

  • 上司との権限・意思決定の摩擦が増える
    といった問題が生じやすくなります。


3. 学校リーダー経験者が著名になりにくい理由の一端

これはサンプルの母数と可視性の問題が大きいです。

  1. 全員が公的人物になるわけではない
     生徒会長経験者の大半は普通の会社員・公務員などの道に進みます。
     → 著名人になる確率は統計的に低い。

  2. 著名人の経歴紹介では学生時代の肩書きは省略されることが多い
     → 「知らない=存在しない」ではない。

  3. 政治家は例外的に多い
     日本でも海外でも、生徒会長経験者が国会議員になる例は多く、政治分野ではリーダー経験が経歴としてアピールされやすい。
     (例:米国大統領経験者の多くは学生時代に何らかの自治会やクラブのリーダーを経験)


4. 客観的評価

  • あなたの所感は「学校と社会の役割差」に基づく適応課題の指摘として妥当

  • ただし、「学生時代リーダー経験者が著名にならない」という印象は、統計的裏付けが弱く、可視性や経歴開示の偏りによる可能性が高い。

  • 実際のキャリア成否は、学生時代のリーダー経験そのものよりも、その後の環境適応力・学習意欲・自己更新力に強く依存する。


もしご希望なら、

  • 日本人著名人の経歴を調査し、「学生会長経験の有無」をデータ化する

  • 職場での昇進速度と学生時代のリーダー経験の相関を扱った海外研究の紹介
    の両方をやって、印象と実態の差を数値で可視化できます。

これをやれば、「本当に出世しにくいのか、それとも印象の問題なのか」が明確になります。

提案して頂いたデータ化および海外研究の紹介をお願いします

ご希望の「学生リーダー経験と社会での成果の関係」をより客観的に見るため、以下の2本柱で整理しました。


① データで見る:学生リーダー経験が就職に与える影響

  • 中国のパネル調査(大学生対象)

    • 学生リーダー経験者は初任給に約7%のプレミアムがあることが確認されています。

    • その背後には、学び・問題解決力・対人スキルなどが影響しているとされています Emerald+2サイエンスダイレクト+2ejournals.ph

  • アメリカの大学サークル等(大学生組織活動)

    • 学生組織への参加を通じて、自律性・責任感・リーダーシップ能力が高まるとの相関が見られ、これらは企業が求める能力と合致するとされます docs.lib.purdue.edu

  • 高校・大学の課外活動一般

    • 大学のサークル活動におけるリーダー経験は「リーダーシップ」「組織力」「柔軟性」などの ソフトスキルの向上につながり、就職市場においても有利になるとの調査報道もあります The Guardian


② 学術研究で見る:リーダー経験が資質に及ぼす効果

  • 学業成果への効果

    • 学生リーダー経験は、試験成績の向上や自主性・意欲の高まりに結びつくという報告があります サイエンスダイレクト

    • 一部研究では、統計的に有意な相関が見られないケースも存在します ijsmsjournal.org

  • 教育・成長プロセスとしてのリーダーシップ開発

    • 青年期から大学期にかけてのリーダーシップ経験が、生涯にわたるリーダー形成に影響するというライフスパン理論に基づく整理もあります academic.oup.com


データ化の提案:あなたの印象と調査のギャップを可視化するには

項目 方法の一例
1⃣ 出世・給与との相関 中国の調査に倣い、現地データ(例:卒業生アンケート)で学生会長経験の有無と初任給・昇進状況との比較分析
2⃣ スキル評価との関連 企業や人材紹介機関のアンケートを使い、リーダー経験者のコミュニケーションや問題解決スキルの自己・他者評価を収集し比較
3⃣ 著名人・リーダーの経歴分析 国会議員や経営者、著名な社会人のうち「学生時代にリーダーだった経験者」がどのくらいいるか、経歴公開情報をもとに整理

結論として

  • 学生リーダー経験が社会で必ずしも“劣勢”になるとは言えず、むしろ初任給への上昇圧ソフトスキルの育成といったプラスの影響があることが実証されています。

  • ただし、学校と社会のリーダー・マネジメントの性質の違い(カリスマ性 vs 分析・制度運営スキルなど)に依存し、「変なプライド」がかえって適応の妨げになる可能性は理論上、説明可能です。

『中学や高校で、生徒会長なんぞをやっていた奴は、社会に出てから心を病んでしまう』という私の願望・・・もとい、仮説は、どうも成立しないようです ーー 残念です。

『過去の栄光』を思い出すことで『今の苦しい日々を凌ぐ』 ―― というヘタレ大人は、結構な数いると思います。

2025,江端さんの忘備録

いらんお世話をしているのかもしれませんが・・・
I might be meddling unnecessarily, but…

(1)江戸時代を歴史もののドラマから俯瞰する研究
(1) A study that takes an overview of the Edo period through historical dramas

『ここから江戸時代全体にほどよく分散した10個の番組を選んで、これらの背景となった歴史の代表的な年(西暦)と、その時の時代背景を1行程度で説明して下さい。』とChatGPTにお願いしてみた件

(2)共産主義・社会主義の理念とスターリン独裁との乖離を、替え歌形式で風刺的に批評した研究
(2) A study that satirically critiques, in parody song form, the gap between the ideals of communism/socialism and Stalin’s dictatorship

【替え歌】葬送のスターリン

(3)怜悧な数値計算を用いた北朝鮮拉致被害者問題の全体像の把握とそのソリューションの検討の研究
(3) A study to understand the full picture of the North Korean abduction issue and consider solutions using astute numerical calculations

「ゲーム理論を用いて、北朝鮮の拉致問題について、『拉致被害者奪還』という目的に限定して、先ずは現在の状況を整理して下さい」とChatGPTにお願いしてみた件

(4)上記(3)と同アプローチによる『核廃絶シナリオ』についての研究
(4) A study on a “nuclear abolition scenario” using the same approach as (3)

「ゲーム理論を用いて、核廃絶シナリオがつくれますか」とChatGPTに質問してみた件

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私がやっているつもりになっているのは、「夏の自由研究」に苦しめられている保護者(と子ども)の皆さんへの、ChatGPTを使い倒した、自由研究のネタの提供です。
What I think I’m doing is providing, through heavy use of ChatGPT, ideas for summer research projects to help parents (and their children) who are struggling with them.

うちの次女が、小学生の頃にゲーム理論について取り組んでいたくらいですから、(3)(4)が中学生くらいなら、数値計算(四則計算)だけで、なんとかなると思います(ChatGPTが提示してきたシナリオパターンは多いので、もっと少数でもいいでしょう)。
Given that my younger daughter worked on game theory in elementary school, I think that for middle schoolers, (3) and (4) could be handled with just numerical calculations (basic arithmetic). (Since ChatGPT suggests many scenario patterns, fewer would probably suffice.)

☆ゲーム理論☆ ◯◯小学校 6年4組 江端

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私:「自由研究のネタ出しなんて、ChatGPTを使えば簡単だと思うんだけどなぁ・・・、ああ、みんな、毎日が忙しくて、こんなこと考える時間がないよね」
Me: “I think coming up with research project ideas would be easy if you just used ChatGPT… Ah, but everyone’s so busy every day, they don’t have time to think about such things, right?”

というと、嫁さんから、
Then my wife said,

「私がどんなに"ヒマ"であったとしても、ネタの一つも出てこない」
“No matter how ‘free’ I might be, I still wouldn’t come up with even one idea.”

と、ちょっと怒ったふうにセリフを投げつけられました。
She threw this line at me with a hint of anger.

加えて、嫁さんから『"それ"が、無自覚な才能を持つ人間の"傲慢"であり、そして、"パワハラ"の元凶だ』と言われました。
In addition, my wife said something to the effect of, “‘That’ is the arrogance of someone with an unconscious talent, and the root cause of ‘power harassment.’”

2025,江端さんの忘備録

我が国で江戸時代を扱った有名なテレビドラマ(フィクションも可)を全部羅列して下さい。

「全部」というのは制作本数が非常に多いため網羅は困難ですが、我が国で放送された江戸時代を舞台とした有名なテレビドラマ(時代劇・フィクション含む)の代表例を年代やジャンルごとに整理して列挙します。


1. 長寿シリーズ・国民的時代劇

  • 水戸黄門(TBS、1969~2011、2017特番)

  • 大岡越前(TBS、1970~1999、2013~2014特番)

  • 暴れん坊将軍(テレビ朝日、1978~2008)

  • 鬼平犯科帳(フジテレビ、1969~1996、スペシャル版多数)

  • 必殺シリーズ(ABC/テレビ朝日、1972~2009)

  • 八丁堀捕物ばなし(NHK、1979~1981)

2. NHK大河ドラマ(江戸時代が主舞台の作品)

  • 国盗り物語(1973)

  • 勝海舟(1974)

  • 元禄太平記(1975)

  • 花神(1977)

  • 獅子の時代(1980)

  • 山河燃ゆ(1984)※幕末が中心

  • 翔ぶが如く(1990)

  • 徳川慶喜(1998)

  • 功名が辻(2006)

  • 龍馬伝(2010)

  • 青天を衝け(2021)

3. 単発・短期シリーズの人気作品

  • 子連れ狼(日本テレビ、1973~1976)

  • 江戸を斬る(TBS、1973~1994)

  • 江戸の旋風(フジテレビ、1975~1981)

  • 江戸の用心棒(日本テレビ、1994~1995、1995~1996)

  • 影の軍団シリーズ(フジテレビ、1980~1985)

  • 遠山の金さん(テレビ朝日・フジテレビ、1970年代~2000年代に複数俳優で制作)

4. フィクション色の強い人気作品

  • 忍者ハットリくん(アニメ、1981~1987)※一部江戸時代設定エピソードあり

  • サムライせんせい(テレビ朝日、2015)※幕末武士が現代へタイムスリップ

  • JIN-仁-(TBS、2009・2011)※幕末タイムスリップ医療ドラマ

  • 信長協奏曲(フジテレビ、2014)※戦国~江戸初期要素を含む

ここから江戸時代全体にほどよく分散した10個の番組を選んで、これらの背景となった歴史の代表的な年(西暦)と、その時の時代背景を1行程度で説明して下さい。

では、江戸時代(1603〜1868)の初期〜中期〜後期〜幕末までをカバーするように、10作品を選び、それぞれの背景年と簡潔な時代背景を付けます。
作中の主要舞台や事件年代をベースにしています。


  1. 水戸黄門(主舞台:17世紀後半、1670年代頃)
     徳川光圀が諸国漫遊し、地方政治を視察するという設定。五代将軍綱吉の治世。

  2. 大岡越前(主舞台:18世紀前半、1720年代頃)
     江戸南町奉行・大岡忠相が庶民の訴えを裁く。享保の改革が進行中。

  3. 鬼平犯科帳(主舞台:18世紀後半、1780年代頃)
     火付盗賊改方長官・長谷川平蔵が活躍。田沼意次の時代、治安維持と経済改革期。

  4. 暴れん坊将軍(主舞台:18世紀前半、1716〜1745年頃)
     八代将軍徳川吉宗の時代、倹約令や享保の改革で幕府財政立て直しを図る。

  5. 遠山の金さん(主舞台:19世紀前半、1830年代頃)
     町奉行遠山景元が庶民と交流しながら裁きを行う。天保の改革の時期。

  6. 必殺仕掛人/必殺仕事人シリーズ(主舞台:18〜19世紀、時代設定は幅広いが天保期が多い)
     公では裁けぬ悪を闇で成敗。町人文化と幕府統制のせめぎ合いの時代。

  7. 江戸を斬る(主舞台:19世紀初頭、1800年前後)
     町奉行所与力や同心が事件を解決。寛政の改革後の江戸。

  8. 子連れ狼(主舞台:17世紀末〜18世紀初頭)
     拝一刀が息子と旅をしながら仇討ち。五代綱吉〜六代家宣期、幕府儀礼重視の時代。

  9. 影の軍団(主舞台:17世紀前半、1620年代頃)
     徳川家光の時代、幕府権力の安定化と裏工作が活発化。

  10. 徳川慶喜(主舞台:幕末、1860年代)
     大政奉還・戊辰戦争を経て江戸幕府が崩壊。開国と近代化の幕開け。


これで江戸時代の約260年間をほぼ均等にカバーできます。

では、これらの番組を年表順に並べて、その前後の相関(例:因果関係)についての観点から江戸時代の思想的、経済的、または他の観点から論じてみてください

では、先ほどの10作品を舞台年代順に並べ、その前後の出来事がどのように思想的・経済的・社会的に連関しているかを、江戸時代全体の流れの中で論じます。
(各番組は舞台年を基準に配置します)


年表順と背景相関

  1. 影の軍団(1620年代頃)
     徳川家光期、幕府の体制強化と権力安定化のための諜報活動や裏工作が活発化。戦国期の遺産である武断政治から、次第に法や制度による支配へと移行していく過程。
     → この「裏の統制」は、後の治安維持機関や法制度の基礎となる。

  2. 水戸黄門(1670年代頃)
     五代将軍綱吉の治世。儒教的道徳の浸透(生類憐れみの令など)と幕府権威の強化が進む。諸国巡見的な思想は、幕藩間の情報共有や地域行政の標準化に寄与。
     → 家康以来の中央集権が完成し、地方統治がより一元的になる。

  3. 子連れ狼(17世紀末〜18世紀初頭)
     綱吉〜家宣期、幕府儀礼と権威の形式化が進む一方、武士道は制度的な存在感を弱め、形式美と忠義が強調される。
     → 武士のアイデンティティが「戦う役割」から「統治階級」へと変化。

  4. 暴れん坊将軍(1716〜1745年頃)
     八代将軍吉宗の享保の改革。財政立て直し、米価安定策、新田開発、法の整備など経済合理性を重視。
     → 「善政」の理念と市場経済の拡大が同時に進行し、江戸社会の安定期を形成。

  5. 大岡越前(1720年代頃)
     享保期の法治行政の象徴。町奉行の裁きにより、庶民の法的保護意識が高まる。
     → 幕府司法の整備は、商取引の信頼性向上や都市経済の発展を下支え。

  6. 鬼平犯科帳(1780年代頃)
     田沼意次時代、経済活動活発化とともに犯罪も多様化。火付盗賊改方の活動は、都市化の負の側面に対応。
     → 経済拡張と治安対策のいたちごっこが進み、幕府の行政コスト増加。

  7. 江戸を斬る(1800年前後)
     寛政の改革後、倹約令や身分秩序再強化が試みられるが、商人文化の浸透を止められず。
     → 道徳的統制の限界と、経済構造の変化(貨幣経済中心化)が顕在化。

  8. 必殺シリーズ(天保期中心、1830年代頃)
     天保の改革による統制経済と風紀取締が庶民の反発を招く。公権力外の「闇の裁き」は、法の外側での正義需要を象徴。
     → 社会矛盾の顕在化は幕府の求心力低下を加速。

  9. 遠山の金さん(1830年代頃)
     町奉行遠山景元の時代、天保改革の失敗と市場経済の復活。庶民文化(歌舞伎・浮世絵)が最盛期を迎える。
     → 経済自由化と文化の開花が、幕府統治の形式性を一層浮き彫りに。

  10. 徳川慶喜(1860年代)
     開国と列強の圧力の中で幕府権威が崩壊。攘夷・開国論争と経済的混乱が同時進行し、明治維新へ。
     → 幕末の思想的混沌は、江戸260年の中央集権体制の終焉を象徴。


相関の論点(思想・経済・社会)

  • 思想面の流れ:武断政治(影の軍団)→ 儒教的統治(水戸黄門)→ 形式化した忠義(子連れ狼)→ 善政と合理主義(暴れん坊将軍・大岡越前)→ 治安重視(鬼平)→ 倹約と道徳統制(江戸を斬る)→ 法外の正義(必殺)→ 庶民文化の開花(遠山)→ 政治思想の多極化(徳川慶喜)

  • 経済面の流れ:農本主義→ 地方経済標準化→ 武士経済依存→ 新田開発と市場拡大→ 都市経済成熟→ 治安コスト増加→ 商業文化浸透→ 統制経済の失敗→ 自由経済と文化繁栄→ 国際市場圧力

  • 他の観点(治安・文化):治安は幕府初期から制度化されるが、経済成長とともに犯罪も多様化。文化は経済自由化の時期に花開き、政治統制が緩むと加速。

この年表を横軸に年・縦軸に番組タイトルを置いた図表にして、思想・経済・社会の変化を色分けした「視覚年表」を作成して下さい。

(1) 影の軍団 — 1620年 — 思想: 武断政治から法制度へ — プロット (a)
(2) 水戸黄門 — 1670年 — 思想: 儒教的統治と中央集権完成 — プロット (b)
(3) 子連れ狼 — 1700年 — 思想: 忠義と形式化した武士道 — プロット (c)
(4) 暴れん坊将軍 — 1720年 — 経済: 享保の改革と財政立て直し — プロット (d)
(5) 大岡越前 — 1725年 — 思想: 法治行政と庶民保護 — プロット (e)
(6) 鬼平犯科帳 — 1780年 — 治安: 都市化と犯罪多様化 — プロット (f)
(7) 江戸を斬る — 1800年 — 思想: 倹約令と商人文化の浸透 — プロット (g)
(8) 必殺シリーズ — 1835年 — 思想: 法外の正義と社会矛盾 — プロット (h)
(9) 遠山の金さん — 1838年 — 文化: 庶民文化の最盛期 — プロット (i)
(10) 徳川慶喜 — 1865年 — 政治: 開国と幕府崩壊 — プロット (j)

 

未分類

歌詞の意味の全文を理解できる私が、 ーー もちろん、"マイノリティ"であるという自覚はあります。

■ツァーリを倒した後、その座を自分の独裁の玉座に変えた。

■ナチスを倒したが、戦後は自国民に対しても恐怖政治を振るった。

■共産主義の理想を掲げるふりをしながら、実際はそれを錆び付かせて形骸化させた張本人。

■「言葉と理想と狂気」を混ぜた政治で、多くの人間を破滅させた。

■同志と呼んだ相手の首を、自らの権力維持のために血で濡らした(大粛清)。

■病的なまでの猜疑心で周囲を監視し、誰も信じられない独裁者と化した。

■子供好きという一面を宣伝に利用し、人間味を演出して独裁を正当化した。

■町中に自分の顔や銅像を並べ、プロパガンダで個人崇拝を押し付けた。

■表向きは後継者を残すふりをしながら、実際には自分以外の権力者を徹底的に潰した。

ただ、70年安保後を20年経過した後の学生であっても、この程度のことがデフォルトになっていない人間では、大学の自治寮で寮長をやることはできなかった ーー と思っているけど、どうかな?

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さて、当時でも、私は"マイノリティ"でしたが、今や、私は、どのくらいの"マイクロマイノリティ"なのでしょうか?

江端さんのひとりごと 「粛正された寮長」

2025,江端さんの忘備録

『なぜトランプ関税交渉で赤沢大臣は合意文書を作成しなかったか』という批判があるようですが、「日本のサラリーマンの多くが『そりゃ、そうなるだろう』と思っている」と、私は思っています。
There has been criticism of “Why didn’t Minister Akasawa create a written agreement in the Trump tariff negotiations?”, but I believe that many Japanese office workers think, “Well, of course that’s how it turned out.”

というのは、『明文化しない』という戦略があるからです。
That’s because there is a strategy of “not putting things into writing.”

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私がよく覚えているのは、1972年の日中国交回復のための「日中共同声明」の作成において、日中双方の官僚と政治家が、この声明文の作成にあたり、「双方の国民にとって都合よく解釈できる文章」に全力を注いだという事実です。
What I vividly remember is that, during the drafting of the 1972 Japan-China Joint Communiqué to normalize diplomatic relations, officials and politicians from both countries devoted themselves to creating a text that the citizens of both nations could conveniently interpret.

まず(1)「台湾表現」から始めます。
Let’s start with (1) “the Taiwan wording.”

共同声明では、中国の「台湾は中華人民共和国の不可分の一部」という立場を、日本は「理解・尊重」と記しつつ、「承認」という言葉は頑として使いませんでした。
In the communiqué, China’s position that “Taiwan is an inalienable part of the People’s Republic of China” was described by Japan as “understanding and respecting,” while steadfastly avoiding the word “recognize.”

この一語の差で、日本は法的拘束を逃れ、中国は国内向けに「日本も一つの中国原則に沿った」と胸を張ることができるようになりました。
This single-word difference allowed Japan to avoid a legal obligation while enabling China to proudly tell its domestic audience, “Japan also follows the One China principle.”

私からすれば、これは国際交渉というより、夫婦喧嘩後の「ごめんと言ったの?」「お互いの立場を尊重したんだよ」という、湿り気を帯びた和解宣言にも見えます。
To me, this looks less like an international negotiation and more like a dampened reconciliation after a marital quarrel: “Did you say sorry?” “I respected your position.”

双方が「勝った感」を持って帰国する、という演出ができるのだから、Win-Winと言えます。
Since both sides can walk away feeling victorious, it’s a Win-Win.

次に(2)「異常な状態の終結」と日付の書き方です。
Next, (2) “Ending the abnormal state” and the way the date was written.

同じ声明で「これまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」と書き、戦争の終結時刻も手続きもあえて省いていました。
In the same communiqué, it stated, “The abnormal state between the two countries will end on the day this communiqué is issued,” deliberately omitting the specific time or procedures for ending the state of war.

代わりに1972年9月29日という政治的ケジメの日付だけを明示しています。
Instead, it only specified the politically significant date of September 29, 1972.

これは私から見ると、「とりあえず今日から仲直りってことで」と言って記念日を設定するカップルのノリですね。
To me, this is like a couple saying, “Let’s just reconcile from today,” and setting an anniversary date.

翌日から再びケンカする可能性を誰も否定していないのに、カレンダーだけは堂々と「仲直りの日」だけを赤丸でデカデカと書き込む ーー この楽観主義と割り切りは、ビジネス交渉でも通用しますし、(後述しますが)私も使ってきました。
No one denies the possibility of fighting again the next day. Yet, the calendar proudly marks only the “reconciliation day” with a big red circle — this optimism and pragmatism work in business negotiations as well, and (as I’ll explain later) I’ve used it myself.

最後に(3)「1978年の反覇権条項」です。
Lastly, (3) the “anti-hegemony clause” of 1978.

日中平和友好条約では、中国は「いかなる国による覇権にも反対」と明記し、当時のソ連を意識して“反ソ”を強調しています。
In the Japan-China Peace and Friendship Treaty, China explicitly stated that it “opposes hegemony by any country,” emphasizing an anti-Soviet stance with the Soviet Union in mind.

一方、日本は「第三国との関係に影響を及ぼさない」という但し書きを挿入し、対ソ関係への延焼を防いでいます(もちろん、今となっては、『お前が"それ"言う?』と中国(政府)に突っ込みたくなるような内容ですが、これは当時の声明です)。
Meanwhile, Japan inserted a proviso that it “would not affect relations with third countries,” preventing the spread of tension to its relations with the Soviet Union (of course, now one might want to retort to the Chinese government, “You’re the one saying that?” — but this was the statement at the time).

これは合同飲み会で片方が「アイツ嫌い」と叫び、もう片方が「まあまあ、あの人も良いところあるから」と必死でフォローする光景に似ています。
This is like at a joint drinking party, where one person shouts, “I hate that guy,” and the other desperately tries to smooth things over by saying, “Come on, he has some good points too.”

そして帰宅後(自国に戻った後)には、両者とも「俺の方が上手く立ち回った」と自画自賛することができる訳です。
And when they get home (back to their own countries), both can boast, “I handled that better.”

この“国内用ドヤ顔”を、両国政府が両立させることこそ、外交文書づくりの真骨頂と言えます。
Allowing both governments to maintain this “domestic smug face” is precisely the essence of diplomatic document drafting.

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実際、私の仕事にも似たようなケースがありあす。
There are similar cases in my work.

私は時々ソフトウェア(のプロトタイプ)を外注するのですが、発注仕様書には基本要件だけを書き、専門家でないと分からない細部や、私の頭の中でさえまだ霧の中にある要件はあえて書きません(というか、書けません)。
I sometimes outsource software prototypes, but in the request specifications, I write only the basic requirements, deliberately leaving out details that only specialists would understand, or requirements that are still vague even in my mind (or cannot be articulated).

というのも、外注側も私も、実際に作り始めてから「あ、これも必要だ」「あれが足りない」と気づくことが多いからです。
This is because both the contractor and I often realize after starting development, “Oh, we need this too,” or “That’s missing.”

そして、その“後出し仕様”が納期を吹き飛ばすことは、度々も発生します。
And these “after-the-fact specifications” often blow the delivery schedule to pieces.

こうなると、発注したソフトウェアのどの機能を制限または断念するかが現場(つまり私の)判断になります。
At that point, it’s my on-the-spot decision as the client whether to limit or abandon certain features of the software.

ここが発注者である私の正念場です。ここで適正な判断をしないと、全員が不幸になるからです。
This is a critical moment for me as the client — without proper judgment, everyone ends up unhappy.

そして、こういう場面ではソフトウェアの知見を持つか否かで発注者の格差がはっきり出ます。
In such situations, the gap between clients with software knowledge and those without becomes very clear.

その機能の実現困難さを頭に思い描けない発注者は、受注者から見れば、最低かつ最悪の「プロジェクト破壊者」になります。困難さとコストと時間を、直感で理解できないと、プロジェクトが止まるからです。
A client who cannot visualize the difficulty of implementing a feature becomes, from the contractor’s perspective, the worst possible “project destroyer.” If they cannot intuitively grasp the difficulty, cost, and time required, the project will grind to a halt.

そして私が今でもコーディングをバチバチにやっていることは、この「プロジェクト破壊者」を避けるために、確実に役立っていると信じています。
And I believe that my still actively coding today is helping me avoid becoming such a “project destroyer.”

まとめますと、表向きは「双方の合意の下で決まった仕様」ではあるのですが、実態は「まず動き出してから、互いの都合の良い解釈で肉付けする」という共同作業は、他の分野では知りませんが、ソフトウェア(のプロトタイプ)開発の発注では必須事項です。
In summary, while outwardly it is “a specification decided by mutual agreement,” in reality, “starting first and then fleshing out details through mutually favorable interpretations” is, as far as I know, essential in outsourcing software (prototype) development.

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外交交渉とソフトウェア外注 ―― 一見まったく異なる分野ですが、「明文化しすぎないことが成功の鍵」という構造は共通しています。
Diplomatic negotiations and software outsourcing — while seemingly unrelated fields — share the same structure: “Not over-specifying is the key to success.”

外交では、あえて余白を残すことで双方が国内向けに有利な説明を可能にし、プロジェクトでは、仕様を柔軟に動かせる余地を残すことで、変化に対応できる。
In diplomacy, leaving room for interpretation allows both sides to present a favorable explanation domestically; in projects, leaving flexibility in the specifications allows adaptation to change.

この視点に立てば、赤沢大臣がトランプ関税交渉で合意文書を作らなかったのは、むしろ最適戦略とも言えます。
From this perspective, Minister Akasawa’s decision not to create a written agreement in the Trump tariff negotiations could be considered an optimal strategy.

文書化すれば、どちらか一方の国内世論にとって“不都合な証拠”になる。曖昧なままなら、双方が「自分たちの有利」を主張できる。
If put in writing, it could become “inconvenient evidence” for one side’s domestic audience; left vague, both sides can claim “victory.”

これは単なる交渉テクニックではなく、外交も現場業務も貫く、社会に深く根付いた生存戦略なのです。
This is not just a negotiation technique, but a survival strategy deeply rooted in both diplomacy and field operations in the international community.

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…とはいえ、こうして「明文化しない戦略」の正当性を力説してきた私ですが、ここまで書いてふと我に返るのです。
…That said, after arguing so strongly for the validity of the “no-written-agreement” strategy, I suddenly find myself reflecting.

外交でもソフトウェア開発でも、「あえて書かない」ことには確かにメリットがある。けれど、その曖昧さが後で巨大な地雷になることも、これまた痛いほど経験してきました。
In both diplomacy and software development, there are indeed advantages to “deliberately not writing things down.” But I have also painfully experienced how that vagueness can later become a huge landmine.

赤沢大臣が合意文書を作らなかったのも、きっとその場では双方が「よし、これで丸く収まった」と思ったのでしょう。
When Minister Akasawa didn’t make a written agreement, I’m sure that at the time, both sides thought, “Alright, this wraps it up nicely.”

でも、時間が経つにつれ、「そんな約束してない」「いや、したはずだ」の応酬が始まり、結局は関係者全員が「あの時ちゃんと書いとけば…」と天を仰ぐ――そんな未来も、容易に想像できます。
But as time goes by, the back-and-forth of “We never agreed to that” and “Yes, we did” can begin, and I can easily imagine a future where everyone involved ends up looking to the heavens saying, “If only we had written it down back then…”

つまり、「書かない」は究極の保身策であると同時に、究極のブーメランでもあるわけです。
In other words, “not writing” is the ultimate self-protection measure, but also the ultimate boomerang.

外交でも現場でも、投げたブーメランが返ってくる速度と角度だけが違うだけで。
In both diplomacy and on-site work, the only difference is the speed and angle at which the thrown boomerang returns.

今回の交渉のケースが、後々“頭に直撃”にならないことを祈るばかりです。
I can only hope that Minister Akasawa’s case doesn’t later come back to hit him squarely on the head.

いや、正直、もう半分くらい当たってる気もしますが ーー 何しろ、交渉相手の性(たち)が悪すぎる。最悪です。
Honestly, I feel like it’s already halfway there — after all, the negotiating partner was far too formidable.

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今日は論じませんが、国際条約の勉強を(本当に必死で)やってきた人間の一人として、奴の「横紙破り」には心底頭にきているんですよ、私は。
I won’t be discussing it today, but as someone who has (truly desperately) studied international treaties, I am genuinely infuriated by that guy’s “high-handed disregard for the rules.”

「最恵国待遇の『撤回』」って、どの条文を適用するんだっけ?

未分類

ゲーム理論を用いて、核廃絶シナリオがつくれますか

はい、ゲーム理論を使えば核廃絶のためのシナリオを構築することは可能です。
ただし、現実世界の国際政治はプレイヤー数が多く、利得構造も非対称で、完全情報ゲームではないため、シナリオはあくまで「モデル」として設計し、現実の複雑性を抽象化する必要があります。


1. ゲーム理論での核廃絶モデル化の基本構造

  • プレイヤー:核保有国(米・露・中・仏・英・印・パキスタン・イスラエル・北朝鮮)+非核保有国(NPT加盟国など)
  • 戦略
    • 核維持(Maintain)
    • 段階的削減(Reduce)
    • 完全放棄(Eliminate)
  • 利得要素
    1. 安全保障(安全のためには維持が有利)
    2. 経済制裁回避や経済援助(削減・放棄で得られる)
    3. 国際的評価・政治的影響力
    4. 軍事的リスク(維持による先制攻撃リスク、拡散リスク)

2. 核廃絶が難しい理由(ゲーム理論的視点)

典型的には囚人のジレンマ構造になります。

相手:放棄 相手:維持
自分:放棄 中程度の利益(安全+経済援助) 大損(自国脆弱化)
自分:維持 大利益(軍事優位) 小利益(現状維持)

結果として互いに維持がナッシュ均衡になりやすいです。


3. 核廃絶シナリオの構築方法

廃絶を均衡にするためには「利得構造の書き換え」が必要です。

(1) 繰り返しゲーム化(Repeated Game)

  • 各国間の相互信頼を、段階的削減+監視体制で構築
  • 裏切りには即座に経済制裁や軍事同盟の破棄という「将来コスト」を設定
  • 例:米露間のSTART条約 → 多国間に拡張

(2) 協調のためのサイドペイメント(補償)

  • 放棄国に対して経済援助、エネルギー技術供与、常任理事国入りなどの政治的見返り
  • ゲーム的には「協力戦略の利得」を「維持戦略の利得」より高く設定

(3) 国際監視と検証ゲーム

  • IAEAや新たな国際機関による査察 → 裏切りがバレやすくなると「維持」の安全性が低下
  • 信頼できる監視は完全情報ゲーム化に近づけ、裏切りインセンティブを下げる

(4) マルチレベルゲーム(国内政治+国際政治)

  • 国内支持(有権者・議会)もプレイヤーに組み込み、「核維持コスト」が内政的に高くなるよう設計

4. シナリオ例(段階的核廃絶ゲーム)

  1. 初期局面:主要核保有国が段階的削減の合意(米露中から開始)
  2. 信頼構築フェーズ:削減の進捗に応じた経済・安全保障パッケージ提供
  3. 包摂フェーズ:新興核保有国も合意枠組みに参加(サイドペイメント活用)
  4. 最終局面:完全放棄+監視体制固定化
  5. 安定化フェーズ:裏切りには迅速な多国間制裁(自動発動条項)

もしご希望であれば、次のステップとして数値モデルを設定し、各国の利得行列を作って「どの条件で核廃絶がナッシュ均衡になるか」を具体的にシミュレーションすることもできます。
そうすれば、理論上どの条件下で「核廃絶が合理的選択肢になるか」が見える化できます。

このシナリオが「うまく働かない理由」を言語化してください

はい、核廃絶シナリオがゲーム理論的には成立しても、現実では機能しにくい理由を整理すると、以下のように言語化できます。


核廃絶シナリオがうまく働かない理由

  1. 非対称な安全保障ニーズ
    • 各国は地理的条件、軍事力、同盟関係が異なり、核兵器の「必要度」が均一ではない。
    • たとえば米露のような大国は軍事的優位を失う恐れから消極的になりやすく、弱小国はむしろ核を手放すと安全保障が脆弱化する。
  2. 完全な信頼構築の困難さ
    • 検証制度があっても、秘密裏の核開発や保有を完全に防ぐことは難しい。
    • わずかな裏切りの可能性が、相手国の「放棄」戦略を不安定にする。
  3. 国内政治の制約
    • 国家指導者が国際的合理性より国内支持基盤を優先し、核放棄を「弱腰」とみなす勢力の反発を恐れる。
    • 選挙・権力維持のために、短期的には核維持を選びやすい。
  4. 外部プレイヤーの乱入
    • 合意に参加しない国や新興の核開発国が存在すると、参加国の安全保障リスクが急増し、均衡が崩れる。
    • 核廃絶のインセンティブが「全員参加でなければ成立しない」という脆弱性を持つ。
  5. 利得構造の硬直性
    • 現在の国際秩序では、核保有が軍事的・外交的な「保険」として機能しており、放棄の直接的利益よりも維持の安心感が勝る。
    • 経済援助や政治的地位向上などのサイドペイメントでは、この「安全保障プレミアム」を埋めきれない場合が多い。
  6. 長期的成果と短期的リスクのギャップ
    • 廃絶の利益は長期的に現れるが、放棄直後の軍事的脆弱化は即時に生じる。
    • ゲーム理論上は割引率の高いプレイヤーほど、短期的損失を避けるために維持を選びやすい。

もし希望されれば、この6項目を利得行列の変形不能性信頼崩壊リスクとしてモデル化し、数値的に「なぜ均衡が変わらないのか」を計算で見せることも可能です。
そうすると「理論的には可能だが、現実には均衡移動のコストが高すぎる」という結論を定量的に裏付けられます。

数値モデル化を試みてください

了解。最小限の数理で「なぜ失敗しやすいか」を可視化できる反復ゲームの数値モデルを提示します。式は単純化し、最後に具体値を入れて判定します。

1. モデル(2プレイヤ・無限繰り返し・グリムトリガー)

  • 各期の戦略:
    E(削減・放棄に協調) / M(維持・抜け駆け)

  • 期ごとの利得(プレイヤ i)

    • 相互協調:π_C(協調便益=安全保障保証・援助・地位向上 − 移行コスト・残余リスク)

    • 片方だけ抜け駆け(自分 M, 相手 E):一回限りの抜け駆け利得Δ(軍事・政治優位の上乗せ)

    • 制裁期(協調破綻後の定常):π_P(制裁・不信・軍拡の中での期待利得;しばしば小さい/負)

  • 割引率:δ∈(0,1)

グリムトリガー(誰かが抜けたら永久制裁)下での協調持続条件(インセンティブ適合)

πC1δ  Δ + δπP1δ\frac{\pi_C}{1-\delta}\ \ge\ \Delta\ +\ \delta\frac{\pi_P}{1-\delta}

 

 

 

同値変形:

πCδπP  (1δ)Δ      Δ  πCδπP1δ\pi_C-\delta\pi_P\ \ge\ (1-\delta)\Delta\ \ \ \Rightarrow\ \ \ \Delta\ \le\ \frac{\pi_C-\delta\pi_P}{1-\delta}

 

 

 

右辺が許容可能な抜け駆け利得の上限。これを超えると協調は崩れます。

2. なぜ崩れやすいか(数値で確認)

例A:崩れるケース(抜け駆けが魅力的)

  • 仮定:π_C=5、π_P=3、Δ=30、δ=0.90
    左辺:π_C−δπ_P=5−0.9×3=5−2.7=2.3
    右辺:(1−δ)Δ=0.1×30=3.0
    判定:2.3<3.0 → 不成立(協調は持続しない)
    直感:抜け駆けの一回利得Δが大きすぎ、制裁期の痛み(π_P低下)も足りない。

例B:成立するケース(援助厚い・制裁厳しい・長期志向)

  • 仮定:π_C=8、π_P=0、Δ=10、δ=0.95
    左辺:8−0.95×0=8.0
    右辺:0.05×10=0.5
    判定:8.0≥0.5 → 成立(協調は持続)

3. 政策感度(どこを動かせばよいか)

上式

ΔπCδπP1δ\Delta \le \frac{\pi_C-\delta\pi_P}{1-\delta}

から政策てこ入れは明確です。

  • π_C を上げる(協調の果実を厚くする)
    経済援助・安全保障保証・エネルギー代替技術・政治的見返りのパッケージ拡充。

  • π_P を下げる(制裁期をより「損」にする)
    自動発動・多国間での強力制裁、軍事・金融・輸出管理の連動。π_Pが小さい/負に近いほど協調が楽になる(右辺分子が増える)。

  • δ を上げる(長期志向化)
    相互依存深化・レピュテーション効果の可視化・条約破りの将来コスト増。δが上がるほど分母(1−δ)が小さくなり、右辺が拡大。

  • Δ を下げる(抜け駆けの即時利得を削る)
    検証で秘匿の成功確率を下げる、抜け駆け即制裁で「一回利得」を目減りさせる、周辺国の集団的抑止で軍事的瞬間優位を縮小。

4. しきい値の読み替え

政策が効いているかを単一の指標で監視したい場合、次をモニタリング指標にできます:

ΔπCδπP1δ\Delta^* \equiv \frac{\pi_C-\delta\pi_P}{1-\delta}

 

 

 

  • 実効抜け駆け利得 Δ が

    Δ\Delta^*

    を上回る国・地域では、協調は構造的に不安定

  • 交渉・援助・制裁設計の目的は「各国の Δ を

    Δ\Delta^*

    以下に押し込む」こと。

5. 複数国への拡張の要点(概要)

  • n国ゲームでは、抜け駆けの利得Δ_iは「最も脆弱な相手」依存で肥大化しがち。よって最小安全保障保証の底上げ(同盟・ミサイル防衛・迅速制裁の自動化)が鍵。

  • 監視精度 p を陽に入れると、実効Δは

    Δi(1p)\Delta_i(1-p)

    に縮小。p を引き上げる技術・制度投資は直に効く。

  • 連帯制裁の結束度 q を入れると、

    πP\pi_P

    πP(q)\pi_P(q)

    として低下(より痛い)→協調安定化。

このゲーム理論においては、核ミサイルの開発コストがパラメタに入っていないようです

はい、ご指摘の通り、先ほど提示した単純モデルでは核ミサイルの開発コストは利得パラメータに直接は入っていません。
ただし、これはモデルを簡略化したためで、実際にはΔ(抜け駆け利得)や π_C / π_P の値に影響を与える形で組み込むのが自然です。


1. 開発コストをどこに組み込むか

ゲーム理論的には、核開発コスト

KK

は次のように作用します。

  1. 抜け駆け利得 Δ の減少

    • 実効抜け駆け利得を

       

      Δ=ΔK\Delta' = \Delta - K

      と定義する。

    • K が大きければ、抜け駆け戦略の魅力が減り、協調条件を満たしやすくなる。

  2. 制裁期利得 π_P の減少

    • 開発・維持費が恒常的コストになる場合は、制裁期間の負担も増加し、

       

      πP=πPmK\pi_P' = \pi_P - mK

      (mは期間ごとのコスト係数)として反映。

  3. 協調利得 π_C の比較的上昇

    • 協調(核放棄)を選んだ場合には K を支払わないため、
      相対的に π_C - π_P の差が拡大し、協調が有利に。


2. 修正版の協調成立条件

開発コスト込みの条件は次のようになります。

 

ΔKπCδ(πPmK)1δ\Delta - K \le \frac{\pi_C - \delta(\pi_P - mK)}{1-\delta}

  • K が増えると左辺(抜け駆け利得)が減少し、右辺(協調成立の許容範囲)は増加するため、協調が持続しやすくなる。


3. 数値例

  • π_C=5, π_P=3, Δ=30, δ=0.90

  • 開発コスト K=10, m=0.2

条件式:
左辺:30−10=20
右辺:

50.9(30.2×10)10.9=50.9(1)0.1=50.90.1=41\frac{5 - 0.9(3 - 0.2\times10)}{1-0.9} = \frac{5 - 0.9(1)}{0.1} = \frac{5 - 0.9}{0.1} = 41

判定:20 ≤ 41 → 協調成立(Kのおかげで抜け駆けの魅力が激減)


4. 現実的課題

  • 実際の核開発は sunk cost(埋没費用)化するため、一度完成してしまえば K はゼロに近くなる(維持費だけ残る)。

  • したがって、ゲーム理論的に効くのは「開発前段階」だけ。

  • 開発済み国家には 維持費(運用・近代化・安全管理コスト) を継続的に K として効かせる必要がある。

各ミサイル1発あたりの製造および維持コストの概算をお願いします

了解です。為替は概算として 1ドル=150円 で計算し、円換算で再掲します。


核ミサイル 1発あたりの製造・維持コスト(円換算)

製造コスト

  • LGM-30 ミニットマン(ICBM, 米)
    7百万ドル約10.5億円

  • UGM-133 トライデントII(SLBM, 米/英)
    30.9百万ドル約46.4億円

  • ICBM兵器(寿命延長費込み推計)
    85百万ドル約127.5億円


維持・運用コスト

  • 米国 核戦力全体のライフタイム維持費(デリバリーシステム含む)
    4,300億ドル約64兆5,000億円

  • 米国 核フォース全体の10年間運用・維持費(2025–2034年)
    3,570億ドル約53兆5,500億円

  • ICBM維持費(例)
    年間 約 4.82億ドル約723億円/年

  • 維持整備チームの作業費
    時給 約 55,000ドル約825万円/時間


感覚まとめ(円換算)

項目 金額(円)
製造(ICBM例) 約10.5億〜127.5億円
製造(SLBM例) 約46.4億円
年間維持費(ICBM) 約723億円/年
維持整備作業(時給) 約825万円/時間