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今朝未明、AM03:00以降、何かありましたか?

に早速、読者の方からご連絡を頂けました。

本件、「江端ファイアウォール」に抵触しないと判断させて頂き、かつ、多くの方にも有用と判断致しましたので、そのまま転載させて頂きます。

(独自判断ですので、もし、抵触したと判断された場合は、深くお詫び申し上げた上で、本文を削除させて頂きます)

江端様
 
お世話になっております。
いつも楽しく江端様のブログを拝見しているいちファンです。
 
掲題ブログの件で何かの参考になればと思い、コメントさせていただきます。
 
私の所属する部署でも、2024/08/14 03:07にある夜間バッチ処理中に

WindowsUpdateによるサーバ再起動が実施され、同バッチ処理が中断して、トラブル対応する羽目になったという報告がありました。

 
対処した内容としては、以下の通りとの報告でした。
(自分で検証しておりませんので、その点はご了承くださいませ)

恒久対応としてAP・DBサーバ共に以下のグループポリシーを設定。
<設定内容>
自動更新の構成
変更前:「更新プログラムを自動的にインストールする」
※厳密には「未構成」でしたので、OSデフォルトの動作。

変更後:「自動ダウンロードとインストールを通知」
※インストールと再起動を自動実行しない構成に変更。

早速の情報のご提供と対策をご教示頂きまして、誠にありがとうございました。

今後とも、ご無理のない範囲で、ご支援頂けましたら幸甚と存じます。

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それにしても、「問答無用の再起動」は、やめて欲しいなぁ。

タスク見て、なんか変なプログラム(私のような24時間越えのシミュレーション)とかが走っていたら、思い留まる、とかの配慮の機能を入れて欲しい。

でも、最近の私は、マイクロソフト社を悪しざまに言うのは控えています。

『マイクロソフト社』を祭っている国内の宗教法人の神社をご存知の方がいらっしゃたら、教えて下さい。

ええ、もう、『Windows様あってこその私の人生です』。

もちろん、本気でそう思っていますよ。

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で、早速やってみました。

手順 1: グループポリシー管理ツールを開く

  1. 「スタート」メニューを開きます。
  2. 「検索」ボックスに「gpedit.msc」と入力し、Enterキーを押します。
    • これは「ローカル グループ ポリシー エディター」を開くコマンドです。

手順 2: 自動更新の設定を見つける

  1. 「ローカル グループ ポリシー エディター」で、以下の順に展開します:
    • 「コンピューターの構成」
    • 「管理用テンプレート」
    • 「Windows コンポーネント」
    • 「Windows Update」
    • 「エンドユーザエクスペリエンスの管理」(を選ぶ必要がある場合もあるみたい)
  2. 「Windows Update」を選択すると、右側のパネルに関連する設定項目が表示されます。

手順 3: 自動更新の構成を変更する

  1. 右側のパネルから「自動更新の構成」をダブルクリックします。

  2. 「自動更新の構成」ウィンドウが開いたら、以下の設定を行います:
    • 有効」を選択します。

    • オプションセクションで「2 - ダウンロードおよびインストールを通知」を選択します。

      (有効になっていなかっただけで、こっちはそのままでO.K.)

      • この設定により、更新プログラムは自動的にダウンロードされますが、インストールと再起動は通知され、手動で行うことになります。

手順 4: 設定を保存して終了する

  1. 「OK」ボタンをクリックして設定を保存します。
  2. 「ローカル グループ ポリシー エディター」を閉じます。

手順 5: ポリシーの適用を確認する

  1. 設定が正しく適用されていることを確認するために、コマンドプロンプトを管理者として開きます。
  2. gpupdate /force コマンドを実行して、グループポリシーを即時に適用します。

比較的簡単にできました。

以上

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昨日の昼過ぎから走らせていたシミュレーションのロングランが止まっていました。

正確には、現在、3台のPC(シミュレータ本体用PCと、2台のDB用PC)が、全部ログイン状態に戻っていて、昨日からのシミュレーション結果が、全部パーになりました。

現状、ソースファイル等には影響はないようですが(一応、寝る前にコードのフルバックアップはしているので、そこも大丈夫かと)

昨夜、勝手にWindows Updateが走ったという公算が高いのですが、そのような場合、事前通知(あるいはスタートメニューに表示)がされるものです。

『2台同時に』というのが、どうにもひっかかっています。

どなたか、本日未明から、現時点までの間に、"Windows Update"、"瞬電"、"その他"なんでも結構ですので、気がつかれた方で、かつ、私の為に時間を割て頂ける親切な方がいらっしゃったら、数行で結構ですので御一報頂けましたら幸いと存じます

よろしくお願い致します。

江端

2024,江端さんの忘備録

私は、大学のころ山岳サークルに入っていましたが、1年目で早々に退会しました。

I was in a college mountain club but left early after my first year.

理由は色々あったのですが、登山が本当に好きであれば、止めなかったとは思うので、私はそんなに好きではなかったのでしょう。

There were many reasons, but I don't think I would have stopped if I liked climbing, so I guess I didn't like it that much.

それ以上に、登山というのは本当に苦しかった。普通に登るだけでも辛いのに、そこにあの荷物です。

But more than that, climbing the mountain was a real pain. It was usually hard enough to climb, but then there was all that luggage.

荷物が重すぎて(20kgくらい)、正しい手順を正確に行わないと、立ち上がることすらできない。

The load was so heavy (about 20 kg) that I could not stand up if I didn't strictly follow the correct procedure.

ようやく立ち上がって、5歩進めば『もう嫌』と思えるようなものが、楽しいわけがない。

It's no fun to finally get up, take five steps forward, and think, 'I don't want to do this anymore.

あと、絶望的な「非日常感」ですね。「ここで滑落すれば死ぬ」は当然として、「ここで骨を折るだけで死ぬ」「ここで腹痛おこせば死ぬ」というのは、日常ではありえない状況です。

Another thing is the hopeless sense of the extraordinary. It is natural that “if you slip and fall here, you will die,” but “if you just break a bone here, you will die,” or “if you have a stomachache here, you will die” are situations that would not be possible in everyday life.

山には楽しいこともあったと思うのですが ―― けど、それ以上に、私にとって、山は辛く、怖いものだったのです。

I think there were fun things about the mountains -- but more than that, for me, the mountains were rugged and scary.

今となっては良く分からいのですが、あの敗北感が、その後の、私の海外放浪に繋ったと思うこともあります。

I am unsure now, but I sometimes think that sense of defeat led to my subsequent wandering abroad.

まあ、全く無関係だった、という気もしますが。

Well, I also feel that it was utterly irrelevant.

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私は、登山に関するドキュメンタリーとか映画とかは、好きです。

I like documentaries and movies about mountaineering.

故井上靖先生の『氷壁』(1956年)や『岩壁』、ちょっと方向は違いますが、高村薫先生の『マークスの山』(1993年)も好きです。

I also like “Ice Wall” (1956) and “Rock Wall” by the late Yasushi Inoue and, although in a slightly different direction, “Mark's Mountain” (1993) by Kaoru Takamura.

新田次郎先生の『剱岳 点の記』(2009年)、古いもので言えば、『八甲田山』(1977年)など、小説も映画もなんども読み直しました。

I have reread many novels and movies, including Jiro Nitta's “Tsurugidake: Ten no Ki” (2009) and an older one, “Hakkoudasan” (1977).

『剱岳 点の記』は、Making of  の方も何度も見直しています。

I have reviewed the Making of Edition of “Tsurugidake: Ten no Ki” many times.

神々の山嶺(アニメの方)」は、もう3回以上も見ています。

I've watched “Ridge of the Gods (the animated one)” more than three times now.

(夢枕獏さんの小説を谷口ジローさんが漫画化し、『フランスのアニメ制作陣によって手がけられ』、フランスで最も有名なアニメ作品の一つである、というのも結構ビックリなのですが)

(It is also quite surprising that Taniguchi Jiro's manga adaptation of Yumemakura Baku's novel was “created by a French animation production team” and is one of the most famous French animation works.)

山を愛する人の狂気を描いた作品として、ズバ抜けています。

It is an outstanding work about the madness of a mountain lover.

私も『狂気だけが才能を越える』と主張してきた一人ですが、この山を愛する人の狂気には遠く及ばない気がします。

I have insisted that 'only Madne's surpasses talent,' but I feel that I am not far from the madness of this mountain lover.

課題で「主観的幸福(SWB)」を調べているのですが、なかなか興味深いです

登山家の死亡率は、恐しく高いです。

The mortality rate for climbers is frighteningly high.

ChatGPTに推定をお願いしたところ、『ベレストや他の難関山岳に挑戦する登山家の死亡率が約1~30%であるのに対し、一般人の年間死亡率は約0.1%以下』いうことでした。

ChatGPT estimated that “the annual mortality rate for the general public is about 0.1% or less, compared to about 1-30% for climbers who attempt Mount Everest and other rugged mountains.

登山家の死亡率はもっとも楽観的な数値で10倍、最悪値で300倍以上ということになります。

The mortality rate for climbers is ten times higher at the most optimistic value and more than 300 times higher at the worst value.

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そういえば、私、ティーンエイジャのころ、母親から『冬山をやったら、親子の縁を切る』とまで言われていましたが、母の心配はまったくの杞憂でした。

Come to think of it, when I was a teenager, my mother even told me that if I did winter mountaineering, she would cut me off from my parents, but her fears were completely unfounded.

―― あなたの息子は、冬山どころか、夏の北アルプスの1週間の縦走くらいで簡単に根を上げる、軟弱者でしたよ

Your son was feeble-minded and gave up quickly climbing just for a weeklong traverse of the Northern Alps in summer, let alone winter mountains.

と、空に向かって呟いています。

I muttered to the sky.

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愛の中でも、ロジックを越えた狂気の(ように見える)愛は、代償が大きいです。

Among love, crazy (seemingly) love that transcends logic has a high price to pay.

「命を賭けた愛」と呼ぶに値するものは、『ここ』にしかない、という気すらします。

I even feel that the only thing worthy of being called “love at the risk of one's life” can be found in “Mountain Climbing.

2024,江端さんの忘備録

最近、面倒なことや、嫌なことが立て続けに起こっていて、疲れています。

I am tired of all the troublesome and unpleasant things that have happened to me lately.

これは、悪い兆候です。

This tiredness is a bad sign.

社会や他人や自分を、ロジックで色々分析して考えて乗り切ってきた私ですが、最近は、そういうのも『そろそろ限界かな』という気がしてきています。

I have been analyzing and thinking about society, others, and myself in various logical ways to get through, but recently, I am starting to feel that I may have reached my limit.

嫁さんはには、いつでも大切な人生のパートナーとして色々助けて貰っていますが、さすがに、嫁さんに、私の心の闇の全てを丸投げできませんし、嫁さんもさすがにそれは受けとれないでしょう。

My wife has always been an essential partner in my life and has helped me in many ways, but I can't throw all the darkness in my heart to her, and I don't think she would accept it either.

『あなたは、今の仕事を投げ出して、早く私のヒモになりなさい』と言ってくれる恋人は、多分、どんな哲学や宗教よりも、価値のある存在だと思うのです。

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この「疲れ」をなんとかしてもらえるなら、この際、なんでもいい、と思っています

I am willing to do anything as long as they can do something about this "fatigue."

とは言え、かなり苦労して「酒」をやめたし、一応、法治主義を信じている身の上ですので、違法行為(大麻、ドラッグを含む)はさけたいです。それに、快楽以上の苦痛がやってくる「依存症」などはゴメンです。

However, I quit drinking alcohol after much effort, and I believe in the rule of law, so I want to avoid illegal activities (including marijuana and drugs). I don't want to be addicted to something that brings me more pain than pleasure.

そんな訳で、最近の私は『宗教でも始めてみようか』という気分にもなってきています。

That is why I have recently been in the mood to 'start a religion.

ただ、私、宗教のメソッドについては調査済みなので、『大手の宗教』は、ちょっとダメかもしれません。

However, as I have already researched religious methods, "major religions" may not be a good idea.

非合理なルールや、命令形で言ってくる宗教団体も、たぶん駄目でしょう(逆に、そういう団体の壊滅作戦を開始してしまいそう)。世間の常識と乖離しているのも厳しいかと。

Irrational rules or religious groups that say things in imperative form are probably no good (on the contrary, I would start a campaign to destroy such groups). It would also be challenging to deviate from the world's common sense.

イメージが説明しにくいのですが、

It's hard to explain the image,

―― ラズパイ(Raspberry PI)程度の軽量ハードで、OSSをダウンロードして、DIYでシステム構築できる程度の『宗教』

'"Religion" to the extent that you can download OSS and build a DIY system on lightweight hardware as small as Raspberry PI.'

というのが理想です。

The above is my ideal of religion.

もっと端的に言えば、『たった1日であなただけの神さまを作ろう』という題目で、コンビニで売っている安っぽい本のイメージです。

To put it more simply, it is the image of a cheap book sold in convenience stores under the title "Create Your Own God in Just One Day.

内容はこんな感じ。

The contents are as follows.

■教義: 私(江端)のみの救済と、運が良ければ他の人も救済。世界がどうなろうと知ったことか。

-Doctrine: Salvation for me (Ebata) only and others if they are lucky. I don't care what happens to the world.

■目的: 私(江端)の精神の安定、特にうつの解消とアンガーマネージメント

-Purpose: To help me (Ebata) stabilize my mental health, especially to relieve depression and anger management.

■その他: 信徒は私一人のみ。神さまの存続期間は、私の死亡時をもって消滅

-Others: I am the only member of the congregation. God's duration of existence expires at the time of my death.

『DIY(Do It Yourself)宗教』というコンセプトは新しそうですが、既存の宗教構築メソッドがあれば、それを活用させて頂きたいと思います。

The concept of a 'DIY (Do It Yourself) religion' sounds new, but if there are existing methods of religion building, we would like to use them.

読者の皆様のご連絡をお待ち申し上げております。

I look forward to hearing from you and your readers.

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ちなみに ――

Incidentally --

『何かお勧めの宗教、ない?』と嫁さんに尋ねたら、嫁さんがマジでビビっていました。

'Do you have any religious recommendations?' I asked my wife, and she was freaked out.

―― 『私は、意外に、簡単にカルト宗教にハマるタイプかもしれない』と思い当たり、ゾッとしている

2024,江端さんの忘備録

この動画を見て、このデバイスを衝動買いしそうになりました。

This video almost made me buy this device on impulse.

ただ、値段を見て、唖然(写真をクリックするとAmazonに飛びます)。

But when I saw the price, I was stunned (click on the picture to go to Amazon).

まあ、こちらの油圧ジャッキで全然問題ないので(しかも、年に2回しか使わない)、当面はこれでやっていきます。

I have no problem with this hydraulic jack (and I only use it twice a year), so I will use it for the time being.

『DIYのタイヤ交換で、5000円くらいの節約になっている』という気持ちで、これまでは盛り上っていたのですが ――

世間一般と比較して、衝動買いのベクトルがズレているのは、自分でも認識しています。

I am aware that my impulse purchase vectors are misaligned compared to the public.

 

2024,江端さんの忘備録

地震、台風、土砂崩れ。

Earthquakes, typhoons, landslides.

この夏は ―― というか、今や我が国は、常時、災害警報体制です。

This summer -- or rather, our country is now in a constant state of disaster alert.

とりあえず、政府の推奨している「少なくとも3日分」の飲料水と食料と燃料の備蓄はしています。

At any rate, we have stockpiled "at least three days' worth" of drinking water, food, and fuel as recommended by the government.

時々、この箱から食べ物と飲み物を取り出して、足りなくなれば買い足す、を続けています。

We occasionally take food and drinks out of this box, and if we run out, we continue to buy more.

で、今回の「南海トラフ地震臨時情報」を受けて、私も臨時に、こんなカゴを追加しました。

So, in response to this "Nankai Trough Earthquake Temporary Information," I have also temporarily added this basket.

籠の中には、電池で動くラジオ、キャンプ用の充電バッテリー、USB充電懐中電灯、USBヘッドライトが入って、常に充電されている状態が続いています。

The basket contains a battery-powered radio, a rechargeable battery for camping, a USB rechargeable flashlight, and a USB headlamp charged constantly.

被災前に充電されていなければ、これらのガジェットは役立たずですし、また、暗闇の中で、これらのガジェットを一つ一つ探し回るのは大変だと考えたからです。

I thought that these gadgets would be useless if I had not charged them before the disaster and also that it would be difficult to search for each of these gadgets in the dark.

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今、一番心配なのは、私の部屋です。

My biggest concern right now is my room.

7台のディスプレイが、寝ている私の腹や足の上に、一斉に襲いかかってくる可能性があります。

Seven displays could attack me simultaneously, on my stomach or legs as I sleep.

(頭の部分だけは、机の下に入れているので、安全ですが)

(I keep my head under the desk, so it is safe.)

地震発生時、テレビが時速43kmで突っ込んできます

近日中に、私の部屋のディスプレイについても、テレビと同様の対策を取るつもりです。

I will soon take the same measures for the display in my room as I did for the TV.

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『降ってきたディスプレイが、腹に突き差さって死亡』というのは、私には相応しい最期とも言えるかもしれません。

I think it might be an appropriate end for me to inform you. "Falling display stuck Ebata's stomach and killed him.

しかし、倒壊もなく、怪我人も微小の中な被災状況の中で、私だけが

However, it seems kind of dumb that I am the only one in a disaster situation 

『ディスプレイが突き刺さった状態の遺体で発見される』

'found dead with a display sticking out of it.'

というのは、なんともマヌケな感じがするので、早めに対処します。

where there is no collapse and injuries are minute. Therefore I will deal with it as soon as possible.

 

2024,江端さんの忘備録

何十年かぶりに結婚式&披露宴の招待を受けたのですが、(最初の出欠希望の往復はがきを除けば)、それ以後の情報は全てLINEで行うようになっているようです。

For the first time in decades, I received an invitation to a wedding and reception (except for the initial return postcard requesting my attendance). Still, it seems that all subsequent information is now done online.

私が、もっと頻繁に(数年に一回くらい?)こういうイベントに招待されていれば違和感はなかったと思うのですが、何十年のギャップもあって、こういう状況になっていることを全く知りませんでした。

I would have been invited to these events more often (maybe once every few years?). If I had been invited, I would have felt comfortable. However, due to the gap of decades, I had no idea that this kind of situation existed.

これは、イベントの運営側も参加側も、Win-Winのシステムです。

This system is a win-win for both event management and participants.

『いいなぁ』と羨んでいます。

I'm envious of them.

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私も、自分たちの結婚式で、同じことを、電子メールとWeb(自分のホームページ)でやろうとしていたのですが、なかなか上手く運用できませんでした。

I tried to do the same thing for our wedding via email and email web (my website), but I could not get it to work.

なにしろ、当時はスマホどころか携帯電話も十分に普及しておらず、電子メールはPCを持っている人しか使えず、さらにPCを持っている人が少なかった、という時代でしたから。

At that time, cell phones, let alone smartphones, were not widespread; email was only used by those with a PC, and even fewer people had PCs.

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ただ、こういうシステムの怖いところは、このシステムからの指示を一つでも見落すと、イベントから簡単に排除されてしまう、という点です。

However, the scary thing about such a system is that if you miss even one instruction from this system, you can easily be eliminated from the event.

例えば、学校や会社からの通知を見落すことで、書類やレポートの提出期日を勘違いして単位を落したり留年したり、あるいは、イベントの準備を全くしないまま、当日にそれを知って、イベントが台無しになる、などです。

For example, missing a notice from school or work may cause a student to miss a due date for a document or report and fail to earn credits or stay in school, or fail to prepare for an event at all and find out about it on the day of the event and ruining it.

システムが導入される前は、管理者が電話で直接電話してきたりして、事前に警告をする、などのフェイルセーフが機能していたのですが、今は、そういうものが全くなくなりました。

Before the system was implemented, fail-safes worked, such as an administrator calling me directly on the phone to warn me, but now there are no such things.

今は、システムからの連絡を見落さないように気を張って、ビクビクしなければならなくなりました。

Now, I have to be vigilant and jittery to ensure I don't miss any communication from the system.

それでも親しくしている友人が、そのセーフネットの役割をしてくれる場合は良いですが、私のように友人がいないボッチには、死活問題なのです。

Still, it is good when a close friend acts as that safety net, but it is a matter of life and death for a lonely person like me with no friends.

もちろん、システムも事前警告を出すのですが、システムからの警告は見落しやすいです。

Of course, the system also gives warnings, but warnings from the system are easy to miss.

「電話が直接かかってくる」ほどの緊急性がどうかが、区別できないからです。

Because we cannot distinguish between what is urgent enough to "get a call direct."

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とは言え、『イベントの運営側も参加側もWin-Winのシステム』を、以前のアナログシステムに戻すのは不可能は話でしょう。

Nevertheless, returning the "win-win system for event management and participants" to the previous analog system would be impossible.

とすれば、次に登場するのは、

If so, what comes next,

―― 相互に会話でき、緊急性や重要性を音声に込めることのできるAIの開発

"The development of AI that can talk to each other and put urgency and importance into voice."

ということになるのかもしれません。

That might be coming.

イメージとしては、こんな感じかな?

The image is something like this?

江端:「で、どういうこと?」

Ebata: "So, what do you mean?"

音声AI:「あと2日以内に授業料を納付しないと、退学になります! 振り込みしなくていいから、とにかく現金もって窓口に来て!!」

Voice AI: "If you don't pay the tuition fee within the next two days, you will be expelled from the school! You don't have to transfer the money. Just come to the counter with the cash!

と叫びながら、私たちに行動を促す会話(恫喝)AIですね。

It's a conversational (threat) AI that urges us to take action, shouting。

うん、これ適用分野広そう。

Yes, this system seems applicable in a wide range of fields.

音声AI:「だからぁ! 津波警報が発令されてヤバいんだってば! 死にたくなければ、直ぐに逃げろ!! 40秒で支度しな!!」

Voice AI: "That's why it is a tsunami warning, and you're in trouble! If you don't want to die, get out now! You have 40 seconds to get ready!

と、直接電話をかけてきて、恫喝するAIが必要となるでしょう。

Thus, we will need an AI to call and threaten us.

特に、『南海トラフ注意報』が発令されている、今の我が国のような状況では。

This AI is especially true in a situation like our country's current one, where the "Nankai Trough Warning" has been issued.

「被災後に『購入しなっかったこと』を絶対に後悔するNo.1商品」

2024,江端さんの忘備録

今日の目標としていたコーディングの内容が、昔作ったテストプログラムを流用できることが分かって、喜んでいました。

I was pleased to find that my coding goal for the day was to be able to divert a test program I had created long ago.

自由時間ができたので、別の実験システムのプログラムを書いていました。

I had some free time, so I was coding another experimental system.

そういう私を、姉は「職人気質の生き方」といい、次女は「過労死予備軍」といい、嫁さんは「幸せな人生」といいます。

My sister calls me a "craftsman's way of life," my second daughter calls me a "reserve army for death from overwork," and my wife calls me a "happy life.

私自身は、普通に「凡庸な人生」で良いと思っていますが。

I would normally be fine with a "mediocre life."

でも、これは、私だけが悪いのではなく、世界も悪い。

But this is not only my fault but the world's too.

映画館に行くくらいなら、アマプラかネトフリの方がいい(仕事しながら映画も見れる)し、スポーツ観戦するなら、テレビが最も選手のアングルに近づけて、しかも解説付きです。

If you'd instead go to the movie theater, Amapura or Netflix are better (and you can watch movies while you work), and if you want to watch sports, TV is the best way to get the best angle on the players; it has commentary.

と、言いつつ、私は、行動することの重要性を、よく分かっているつもりです。

I know the importance of taking action.

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世界を放浪した20代は、私に、他国の政府とその国の国民は別物であることや、選択を間違えれば、簡単に死に至るシーンがあることを教えてくれました。30代は、外国の多国籍チームで天国と地獄の両方を体験しました。

My twenties, wandering the world, taught me that the government of another country and its people are different and that a wrong choice can easily lead to a deadly scene. my thirties, experiencing both heaven and hell in a foreign multinational team

40代からは、「諦めること」も「最適戦略となりえる」ということが分かってきて、今は「面倒ごとからは、可能な限り逃げる」という生き方で固定しております。

Since my 40s, I have come to realize that "giving up" can also be an "optimal strategy," and now I am fixed on a way of life in which I "run away from troublesome things as much as possible.

つまるところ、今、私は、過去の「行動」で得られた資産(貯金)を、ブログやらエッセイやらコーディングで消費しているシニアです。

I am now a senior citizen consuming assets (savings) from past "actions" with blogs, essays, and coding.

「青春」とは「歴史改竄」のことです。

―― あの若いころの、無駄に高いフットワーク(しかも命中率は恐しく低い)は、一体何だったのだろう?

-- What was that high footwork in his youth (with a low hit rate)?

と考えることがあります。

I sometimes think about this.

あのフットワークには、色々な意味があると思いますが、その一つが『「恋愛」と「結婚」のエンジン』だったのだろう、と考えるとしっくり決ます。

The footwork has many meanings, and it makes sense to think that one of them would have been 'the engine of "love" and "marriage."'

現在、10年前の私の予想を上まわる速度で、非婚率が高くなっています。しかし、「恋愛」と「結婚」を論理的に考えたら、非婚の選択は最適戦略です。

Today, the rate of nonmarriage is increasing at a faster rate than I expected ten years ago. However, if you think logically about "love" and "marriage," choosing nonmarriage is the optimal strategy.

運動エネルギーの無駄に高い若い頃でないと、「恋愛」や「結婚」という非合理な行動選択をするのは、難しいです。

It is difficult to make the irrational behavioral choice of "love" or "marriage" unless you are young when kinetic energy is wasted.

この2つに関してだけは『考えたら負け』という面は、確かにあると思うのです。

There is undoubtedly an aspect of 'if you think about it, you lose' that only concerns these two things.

と書きつつ、なんでも「恋愛」「結婚」の話に結びつけるのは、私の悪いクセかもしれません。

It may be a bad habit of mine to link everything to "love" and "marriage" while writing "love" and "marriage."

閑話休題

Now, let's return to the main subject

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医師である和田秀樹さんのコラムに、『大事なのは「長生き」ではなく、「長生きして何がしたいか?」』が記載されています。

In a column by psychiatrist Hideki Wada, they said, "What is important is not 'how long I live,' but 'what do I want to do with my long life?

これは、正論なのですが、これは、私には当て嵌まらないのでです。

This column is a good argument but does not apply to me.

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私、これまで、「自分のやりたことが"分からない"若者」を、擁護する発言を繰り返してきました。

I have repeatedly defended young people who "don't know" what they want to do.

あなたの夢を諦めないで

『自分のやりたいことが分からない』という方は、多分、ご自分のことを「不幸な人間」と思っているかもしれませんが ―― 『意外に、それは最高の人生なのかもしれないですよ』ということを、お伝えしたくて。

しかし、「自分のやりたことが"分からない"高齢者」について、私は、これまで考えてこなかったことに気がつきました。

However, I realized I had not considered older people who "don't know" what they want to do.

もっとズバリ言うのであれば、「自分のやりたことが"ない"高齢者」は、どのように余生を生きれば良いのかが、分からない。

To put it more bluntly, older people who "don't have anything they want to do" do not know how to live the rest of their lives.

この命題は、かなり怖い問題を含んでいます。

This proposition involves a rather scary problem.

「自分のやりたことが"分からない"若者」は、分からなくても、労働力という価値製造装置になることはできます。

Young people who "don't know what they want to do" can become a value-producing device for the labor force even if they don't know what they want to do.

比して、「自分のやりたことが"ない"高齢者」は、労働力になりにくい。

In contrast, older people who "don't have anything they want to do" are less likely to be in labor.

ただし、この問題については、私は『高齢者が、被介護者になることで、日本のGDPを支える貴重なアセット(資産)になる』というロジックで対抗できることを示しています。

However, I have shown the logic that 'cared older people" become a valuable asset (asset) that supports Japan's GDP.

ですので、未来の私は、『堂々と被介護者になって、我が国の経済に貢献する』と言い切るので、そっちの方は片付いています。

So, in the future, I will say, 'I will be a caretaker with dignity and contribute to our country's economy,' so that side is taken care of.

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問題は、私自身のことです。私はこれを解決しなければなりません。

The problem is myself. I have to solve this.

つまり、「自分のやりたことが"分からない"高齢者である私」や、「自分のやりたことが"ない"高齢者である私」を、どのように私の中(×社会の中)に位置付けていくか、です。

In other words, how to position "I, an elderly person who does not know what I want to do" and "I, an elderly person who does not have what I want to do" in my mind (x society).

『「自分のやりたことが"分からない"高齢者である私」「自分のやりたことが"ない"高齢者である私」は、それ故に、◯◯◯◯という意義がある』という、"◯◯◯◯"の部分を自力で見つける必要がある、と思っています。

I believe that "I am an elderly person who does not know what I want to do" and "I am an elderly person who does not have what I want to do"; therefore, I need to find the "X" part by myself, which is the significance of "X."

しかし、これは、なかなかに厳しい命題です。

However, this is a very tough proposition.

なぜなら、自分の体力も能力も低下し、パフォーマンスやフットワークが縮退し続ける、という制約条件下で、私は、この命題を見つけださなければならないからです。

Because I have to find this proposition under the constraining conditions, my strength and ability are declining, and my performance and footwork continue to degenerate.

さらに、私の場合、「人間嫌い」というやっかいな属性もあります。

In addition, I also have the troublesome attribute of being a misanthrope.

そんなものは見つけられなかった ―― そういうオチになる公算は高いのですが、まあ、がんばってみます。

I couldn't find such a thing -- that's the most likely outcome, but I'll try my best.

2024,江端さんの忘備録

午後に、嫁さんが「駅まで送ってもらえる?」と聞いてきました。午後に会議も入っていなかったので、嫁さんを自動車に乗せて駅に向かいました。

In the afternoon, my wife asked, "Can you ride me to the station?" Since I had no meetings in the afternoon, I took my wife to the station in my car.

江端:「で、今日はどちらへ?」

Ebata: "So, where are you going today?"

嫁さん:「今日は、新宿に『たぬきこうじ』を見に行ってくる」

Wife: "Today, I'm going to Shinjuku to see 'Tanuki Koji.'"

―― ん?

-- What?

私の頭の中のデータベースの中には、「たぬきこうじ」なる芸人が入っていません。

The database in my head does not include a comedian named "Tanuki Koji."

新人芸人かもしれませんが、私は嫁さんが「芸人推し」をしているという話を一度も聞いたことがありません。

It may be a new comedian, but I have never heard of my wife "guessing" a comedian.

そもそも、嫁さんが"ルミネtheよしもと"に行く、ということ自体が、かなりの異例といえます。

First, it is unusual for a wife to go to "Lumine the Yoshimoto."

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江端:「えっと、『たぬきこうじ』とは、どういう人なの?」

Ebata: "Well, what kind of person is 'Tanuki Koji'?"

嫁さん:「違う。『玉置浩二』」

Wife: "No. Koji Tamaki."

玉置浩二さんのコンサートだったようです。それなら、納得できます。

It seems it was a concert by Koji Tamaki. That makes sense, then.

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私は、現在進行形で、体の随所の老化が著しいです。

I am in the midst of an ongoing process of significant aging in all parts of my body.

特に視力と聴力は、日常レベルで問題が発生しています。

Vision and hearing, in particular, are experiencing problems daily.

大学での受講では、結構な苦労を強いられています ―― 声の小さい発表とか、文字の小さい発表資料とか、加えて、それが英語だったりすれば、もう大変です。

I've had a lot of trouble taking courses at the university -- presentations with low voices and small print, plus if it's in English, it's a lot of work.

そのうち、私は、うっとうしいと思われるのが怖くて、聞き返すことができなくなると思います。

Eventually, I will be too afraid to ask back for fear of sounding annoying.

こうして、「たぬきこうじ」なる新しい芸人が、私の中(だけ)に誕生することになる訳です。

Thus, a new comedian named "Tanuki Koji" was born only in my mind.

親の介護フェーズが終わった(死亡した)時から、自分が、被介護対象者になっていく ―― を実感しています。

2024,江端さんの忘備録

100台~1000台のカメラを必要とするシステムの為に、C言語(×Go言語)で仮想カメラを作っています。

I am building virtual cameras in C (x Go language) for a system that requires 100 to 1000 cameras.

この仮想カメラは所定の画像ファイルを表示してネットワークで転送するものです。

These virtual cameras display and transfer a given image file over the network.

この程度のプログラム、どっかのGitHubにでも落ちているだろうとと思って探してみたのですが ―― あるにはあるのですが ―― コードの規模がでかいし、環境の設定も面倒くさそうでした。

I tried to find a program like this on GitHub somewhere, but the code was too big, and the environment was too complicated to set up.

で、結局、自作しています。ChatGPTとの二人三脚で、ですが。

So, I ended up making my own in collaboration with ChatGPT.

―― こういうプログラムを組める人間は、もちろん、沢山いるだろうけど、世間一般では少数だろうな

-- I'm sure plenty of people can code programs like this, of course, but I'm sure there are a few in the public.

と思います。

I think that.

何が言いたいのかというと、「こういうプログラムを組める『私』には、市場価値があるのか、それとも、ないのか」、です。

I am trying to say, "Does 'I' who can set up such a program have market value or not?

『世界が変わる』と確信した日

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以前、ラズパイでのシステム構築方法についてコラムに記載したことがあるのですが、Twitterで、

I once wrote a column about how to build a system with Raspi(Raspberry PI), and I remember being quite surprised when I was dis-disparaged on Twitter as

『自分の技術力を自慢している、嫌味な奴』

'The snarky guys, bragging about his technical skills.'

とDisされて、かなり驚いたのを覚えています。

この程度のシステムであれば、私の属している研究所に所属している研究員であれば、ラズパイ経験者なら1日、ラズパイの未経験者でも2週間はあれば、構築できる程度のものだからです(本当)。

A system of this level can be built by a researcher in my laboratory in one day if they have experience with Raspi and in two weeks even if they have no experience with Raspi (true).

私は、ゼロから立ち上げるのが面倒な人に『ラクしてもらう』ためにコラムに、構築手順書を書いただけですが、それが『嫌味』に見えるというのは、意外な発見でした。

I only wrote the building instructions in my column to "make it easier" for those who have trouble starting up from scratch, but I found it surprising that it was seen as "snarky guys."

まあ、いずれにしても、この件について、私は語るべき言葉がありません ―― それとも『嫌味を書いて申し訳ありませんでした』とでも書いて、謝罪すればいいのかな?

Well, in any case, I have no words to say on the matter -- or should I write 'I'm sorry for writing sarcasm' and apologize?

私は、音楽の作曲もできないし、楽器の演奏もできないし、歌だって上手く歌えません。スポーツは全般に運動音痴ではありませんが、そういうことができる人を、『自分の技能を自慢している、嫌味な奴』とは思うことはありません ―― 興味がないことはあっても。

I can't compose music, play an instrument, or even sing well. I'm not generally athletically inclined, but I don't think of people who can do those things as 'snarky guys, bragging about their skills' -- even if I'm not interested in them.

「そういう人は、自分の回りが『嫌味や奴』であふれていて、ずいぶん世の中が生きにくいのだろうな』とは思います ―― 『気の毒に』ではなく『ざまあみろ』と思っていますが。

I believe that such people must have a tough time living in the world because they are surrounded by "snarky guys. I don't feel sorry for them, but rather, "Suck it up."

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で、最初の話に戻るのですが、「こういうプログラムを組める『私』には、市場価値があるのか、それとも、ないのか」ですが ――

So, back to my original question, "Is there a market value for 'me' to be able to put together a program like this?"

この件は、生成API(ChatGPT等)の出現によって、大きく市場価値が変動していると思います。

The market value of this matter has changed significantly with the advent of generated APIs (ChatGPT, etc.).

私は、これについて2つの未来がある考えています。

I see two possible futures for this.

(1)プログラムを自動生成してくれるのであるから、こういうプログラムを組める『私』には、もはや市場価値はゼロである

(1) Since the program is automatically generated, "I" who can set up such a program no longer has a market value.

(2)生成APIの作成したプログラムに対して、その間違いを指摘して修正を指示できる『私』は、さらに市場価値が上がる

(2) "I" who can point out the mistakes and instruct the correction to the program created by the generating AI will further increase its market value.

この(1)(2)のは、どっちになっていくのか、私には分かりません(本当に分かりません)。

I don't know which way this (1)(2) will go (I don't know).

まあ、どっちであれ、私にはその流れを変えることはできませんので、ただただ見守っていくしかありません。

Either way, I cannot change that trend, so I must watch it.

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もう一つの懸念は、義務教育過程に組込まれた「プログラミング教育」です。

Another concern is "programming education" incorporated into the compulsory education process.

(1)プログラムを自動生成してくれるのであるから、プログラミング教育はもういらない

(1) Programming education is no longer necessary because the generative AI automatically generates programs for you.

(2)生成AIの作成したプログラムに対して、その間違いを指摘して修正を指示できるようになる人材育成のためにも、プログラミング教育は必要である

(2) Programming education is also necessary to develop human resources capable of pointing out errors in programs created by generative AI and instructing them to correct them.

さて、世の中がどっちの方向に倒れていくのだろうか。

Now, in which direction will the world fall?

残りの人生で、この方向はじっくり観察していこうと思っています。

I plan to observe this direction closely for the rest of my life.