2007,江端さんの忘備録

某、と言っておきましょうか、ステージトーク集だけでCDが販売される某シンガーソングライターの歌手の方の話です。

私はこの人の歌も語りも大好きなのですが、この人の日本への偏狭的な語りにはうんざりしています(時代遅れの性差主義も結構げんなりしています)。

『こんなにも四季が豊かで、こんなにも美しい国が、世界の他にあるでしょうか』

あるよ。

腐る程あるよ。

いい歳こいて、まだそんな阿呆なことを言っとるのか、お前は。

と、まあ、この件(くだり)を聴く度に呟いてしまうのです。

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確かに日本も美しい国です。

長期間滞在する機会を得た北米コロラドには、ここに一人取り残されたら絶対に死ぬ、という人間の存在を全否定するかのような、絶対的な冷厳な自然の美しさがありました。

一年を過す機会は得れませんでしたが、中国大陸の奥地の朝焼け、インディス川の夕日、ネパールのチベット山脈を望む高地、フロリダのやさしく流れる風、冬のパリのモノトーン色の午後。

どこもここも、大好きな所でした。

私は、世界のどこにいたって、言葉が通じようが通じまいが、その土地を好きになり、そして十分な時間さえあれば、そこが一番良い場所だな、と思うことができると思います。

そもそも、その土地を慈しみ、大切に思う気持は、その土地の上に立ち生きている、生きとし生きる物(×者)すべての生命の属性だと思うのです。

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だから、私は「愛国心」を「育てる」という意味がさっぱり分からんのです。

あれは「育てる」のではなく、ほっといても「育つ」ものです。

上記の某歌手のように、遍く日本人の全てが日本こそが最高だと思う人になるように「育てる」というなら、これはあり得ると思います。

が、そういうのは「育てる」とは言いません。

こういうことを、普通「洗脳」と呼びます。

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(その1)

私が高校生の頃だったと思います。

ロシア(当時のソビエト連邦共和国)の領域を通過した、韓国の民間航空機がソビエト軍の戦闘機に撃墜されるという事件がありました。

後に「大韓航空機撃墜事件」と呼ばれる事件です。

今になってみると、冷戦はその後半部を終了し、数年後に終結を迎えることになっていたのですが、当時の誰もがそのようなことを予想すべくもなく、世界はこの惨事に声を失なったものです。

その後、この事件は、各国の主張が入り乱れて、何が何だかか分からない状況を呈していました。

先ずは、ソビエト側による否定、事実の隠蔽に始まり、日本の自衛隊による通信記録の傍受の公開、米国による追訴、そして、最後にアンドレイ・グロムイコ外務大臣の「大韓航空機は民間機を装ったスパイであった」という声明の発表に至ります。

当時、私は、民間人(296人)を満載した戦闘能力を全く有しない民間機を、正規軍の戦闘機が撃墜したという事実に対するショックに加え、人類として到底認容しえないこのような非道な暴力が、軍事的な観点からは『十分に認容され得る』という事実に、衝撃を受けたものです。

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大学に入学した後、私はいわゆる学寮達と共に議論を行うことを常とする「政治に極めて意識の高い自治寮」に入寮し、色々なことで(愚にもつかぬことも多かったですが)議論を闘わせたりしていました。

大学2年の夏休みに実家に帰省した私が、父の運転する助手席に座っていた時だったと思います。

どういう経緯で父とこの事件(大韓航空機撃墜事件)について話を始めたか覚えていませんが、その頃、少しだけ聞き齧った地政学の本の話を引用して、『この事件のソビエト側の対応を、認容できる部分もある』という論を展開していました。

私は、---- もし、『大韓航空機 = スパイ機』であったとすれば、または、その恐れがあったとすれば、例え、それが航空機の整備不良による事故であったとしても、ソビエトが国防の観点から、そのスパイ機の可能性がある旅客機を撃墜することは、ある意味仕方がなかったのでは------ と、自分の考えを言いました。

父は、私とそのような話をする時には、いつも嬉しそうに話の間の手を入れ、私の話がどんなに稚拙でも、その話の腰を折ることなく、最後まで聞き入れてくれたものでした。

その時の父は、いつもの父とは違う様子で、ハンドルを握りながら、フロントガラスを見つめながら言いました。

『智一。そうではない』

私は、少し驚いて父の横顔を見ました。

『航空機が民間機である以上、如何なる理由があっても、民間機を撃墜するということは許されない』

私は意外な感じを受けながらも、父に反論しました。

『もし、韓国機がソビエトの領空をスパイ目的で侵犯しており、国益を脅かすことが明らかであったとしても?』

父は、息子にキッパリと言いました。

『仮に、その航空機の機長を含め、また仮に乗客のほとんどがスパイであって、悪意の目的をもって、領空侵犯をしたとしてもだ。

そこにたった一人の無関係の乗客が乗っているのであれば、どのような者であれ、その命を奪う行為を正当化することはできない』

唖然としている息子に、父は静かに続けました。

『それが「人間」と言うもの、「命」と言うものではないか?」

それは、恐らく、沢山の命が奪われる現実を間の当りにしてきた者だけが持ち得る、魂から絞り出された言葉だったのだと思います。

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私は、サイドウインドウの方を向いて、そのまま黙り込みました。

胸の中に広がる熱いものに突かれて潤んできた眼を、父に見られたくなったからです。

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(その2)

私は2000年から2年間、仕事で米国に在住する機会を得ました。

この時、私が幸運だったことは、日本からチームとして参加することになり、チームのメンバの内、所帯を有するものは、家族とともに米国に滞在することになったこと。

そして、その家族の方々がいずれも気持よ良い方ばかりで、多くの交友を深める機会を得ることができたことでした。

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ある休日のこと、私は自分の担当していたプログラムの数行を修正する為に、休日に家族をつれて職場に出ました。そこで、私の先輩とその奥様に出会いました。

奥様は、当時、皇太子のご令嬢の誕生を、インターネットで確認する為に、先輩とともに職場に来られたとのこと。 (コロラドの少くともフォートコリンズという地域には、日本語向けのテレビ放送はなかった)

その時、私は『はあ、そうですか』としか応えられませんでした。

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私は、一度、無礼を承知で、奥様にお伺いしたことがあります。

『芸能人の誰かが結婚したとか離婚したとか、そういう週刊誌に掲載されるような内容は、興味の対象になり得るものでしょうか』と。

これに対して、奥様は、「トム(Tom)」(赴任先では、全員がこのような愛称で呼び会うことが、赴任先の会社のルールとして統一されていた)と、私をお呼びになられた後、次のように続けられました。

『あなたは、自分の大切な家族や友人が、幸せになったり不幸になったりした時に、それを「興味の外」ととして置いとけるものでしょうか?』

『いえ、そのようなことはないと思います。家族や友人を思い、同じように、喜び、または悲しむと思います。また、そのような人間で在りたいと思います』

『私も同じです。私も友人達の不幸に悲しみ、幸福に喜んでいるだけです』

しかし・・・と言いかけた私を制して、奥様は続けられました。

『違いがあるとすれば、私はその友人を良く知っているのですが、逆に、その友人は私のことを全然知らない、という、ただそれだけのことなのです』

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私は、このパラダイムを提示された時の衝撃を忘れられません。

冗談でも、揶揄でもなく------、私は今でも、この奥様のことを尊敬できる人々のお一方であり、心から敬愛すべき対象であると、固く信じております。

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、 転載して頂いて構いません。)

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社内報リレー随筆

「人の言うことを聞かない能力」

2004/01/10
[その1]

インターネットが、電話線で細々と繋がっていた頃、私は未来のインターネットを夢想して、張り切って特許明細書を書いてましたが、私より数段偉くて頭の良い人から『意味がない』と論理的に説得されてその執筆を止めてしまったことがあります。

そして今、その発明を他社が実施しているのを悔しい思いで見ながらも、今なお、その論理を論破できない自分がいます。

私が心の底から悔しいと思うことは、世間がなんと言おうが、論理的に破綻していようが、私が信じるものは絶対である、という狂信的な思い込みを持ち得なかった自分に対してです。

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[その2]

数年前に私が結婚を決意した時、私の回りは一斉に反対の声を上げました。

私に結婚を思い留まらせる為に合宿まで企画されました(本当)。

『写真のこの娘は堅気の娘ではないか。暗黒サイドのお前とは所詮住む世界が違う!』(暗黒サイドって何?)。

実際、その当時彼女自身、本当に私と結婚したかったかどうかも疑わしく(と言うと嫁さんは『何を言うの!たとえ、あなたが売れない場末の芸人であっても、私は・・』と言い返すのですが)、私は彼女の意見すら十分に聞かずに結婚に踏み切りました。

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[結言]

私達は自立した社会人として、人の話をきちんと聞かねばなりません。

しかし時として「人の話を聞かない能力」を問われるものが世の中に2つだけあります。

それが「特許」と「愛」です。

お忘れなきよう。

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江端さんのひとりごと

「英会話スクール出逢い機関論」

2002年12月24日

特許明細書が書き上がりません。

最近、クリスマスの思い出と言うと、特許を執筆していた記憶以外にありません。

時期的にも、下期の特許提出の時期にぶつかることもあって、私にとって、「クリパ」と言われれば、クリスマスパーティなんぞではなく、クリスマスパテント(特許)です。

本当は、このような愚にもつかない駄文を書いている間に、明細書の第二の実施例を執筆しなければいけないのですが、システム構成図を書き直すのが面倒なのです。

なんとか手を抜けないかと、現実逃避の考案をしている時、私の駄文執筆能力は、最高潮に達するようです。

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嫁さんの気質や思想やポリシーに影響されるところ大なのですが、私は、結婚してから色々なことから解放され自由になり、人生が楽に、そして楽しくなりました。

また、嫁さんとは関係なく、結婚というシステムの観点からだけでも、いくつかのことから自由になったことがあります。

その中の一つに、「クリスマス脅迫症候群」とも言うべきものがあります。

この時期、駅前、商店街、デパート、繁華街、どこにいても出現する緑と赤の装飾、巨大なクリスマスツリーの電飾イルミネーション、そして、どこまでもしつこく追いかけてくるクリスマスソング。

会社の帰りに、夕食のコロッケを買っているところに、ユーミンや山下達郎なんぞ、出現させるんじゃない(ちと古いが)。

若い頃、私は、

一人で街を歩いたら、いかんのか!

と怒鳴りたくなる衝動にかられていました。

そのようなものから逃げる為に、イブの夜に嫁さんに担保をお願いしていた若い頃の自分は、愚かだったと思います。

だが、この青春の愚かなプロセスなくして、今の家庭や家族がないのも、また真実です。

その時、若さ故の愚かさを、シニカルに笑っていただけなら、今、食卓を囲んで家族で笑っていることはできなかったでしょう。

逆説的な結論ではありますが、「クリスマス脅迫症候群」によって「クリスマス脅迫症候群」から離脱する、というこの一連の理論は、物質が他の物質に変化するプロセスで、一時的に高エネルギー状態に至らなければならないという「励起状態」を思い起こさせます。

いずれにしても、今の私には、街中のクリスマスソングも、電車の中で若い恋人達がいちゃつく様も(そして愚にもつかない彼等の会話も)、まるで、梅が咲きほこる雅な茶会の席で、俳句をしたためながら、ホトトギスの声を遠くに聞くくらい、気になりません。

ともあれ、こういう下らない脅迫観念から離脱できただけでも、結婚は私にとって意義があったと断言できます。

閑話休題。

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実際のところ、一体どれ程の効果があるのだろうか良くわからない「英会話スクール」ですが、この不景気日本にあって、しぶとく生き残っているようです。

先日、先輩と話していた時に、「英会話スクール」の目的は、勿論英会話の向上にあることの他、「異性と出逢う場」としての役割もあるそうです。

なるほど。

そういうことなら、あのふざけた高価な授業料も、投資としてはむしろ安い。

個人を主体とする現代の社会構造上、異性と出逢うチャンスがないと言うのは、至極当然のことではあるのですが、出逢いを求めている当の本人達にとっては、深刻な問題です。

近い未来、自力で彼氏や彼女を見つけてきた者は、会社や地元の自治会から表彰されるような未来がくる、と私は真面目に考えております。

実際、政府が国営のお見合い期間の設立に動いています(2002年11月14日の朝日新聞より)

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これは本当の話ですが、私は10年も前に、日立のスーパーコンピュータのアプリケーションとして「お見合いシステム」を提言していました。

スーパーコンピュータの性能と言うと、円周率の計算くらいしかやることがないように思われていますが、これからのスーパーコンピュータはスペックは、MIPSやディスクアクセス速度、トランザクション処理数などではありません。

目標は、単位時間あたりに、どれだけの大量のカップルを生成させることができるか、そして、そのカップルをどれだけの時間維持させえるか、さらには、定着率(結婚率)などが競われるようになる、と予言していました。

MTTR(Mean Time To Repair 平均修復時間)は、システムの平均復旧時間から、カップルの平均復旧時間へと解釈が変更され、MTBF(Mean Time BetweenFailure 平均故障間隔)は、言うまでもなく、カップルの平均交際停止間隔と解釈される訳です。

こんな風に考えていくと、「システム」と「恋愛」は恐しく良く似ていることに気がつきます。

セキュリティの観点から言えば、機密性、可用性、抑制機能、予防機能、回復機能等、メンテナンスの観点からは、初期不良、経年劣化、リプレース・・・

まあ、この辺で止めておきましょう。

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結婚の問題とは関係なく、異性と付き合うことは、それ自体が人生を豊かにするし、そもそも楽しいものです。

勿論、苦しさや面倒も半端じゃありませんが。

この機会を、英会話スクールが提供しているのだとすれば、大変コストパフォーマンスな「場の提供」と言えるでしょうし、次世代の新しいコミュニティ創成の場として大変有望なものであると、私は考えました。

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「そうかな?」

私が得意げに、「英会話スクール出逢い機関論」を唱えていると、嫁さんが異議をはさんできました。

私 :「どうして? 出会い系のメールやWebなどに比べて、身元や面が割れる分、健全で安全で安心だし、勉強で集うと言う点も、さらに高品質のフィルターを通っているとも解釈できるぞ」

嫁さん:「『出逢う』為には、男性と女性が、少なくとも同じクラスにいなければいけないよね」

私 :「そりゃ、まあね」

嫁さん:「で、まあ当然、英会話を始める人なら、初級コースから入会するよね」

私 :「そうだろうね」

嫁さん:「自然に無理なく親しくなるためには、それなりに時間もかかるよね」

私 :「あからさまに、『異性を探しています』てな感じの奴なんて、いやだろうからな」

嫁さん:「英会話クラスの初級コースなんぞに、うだうだといつまでも居残っている男ってことは、『私には将来性がありませんよ』と宣言しているようなものじゃない? 私なら、私と同じクラスにいるような男は嫌だな」

私 :「・・・あっ」

盲点でした。

確かに、そんな将来性の見えない異性を探しすために、金を出しているとしたら、投資以前の問題です。

金をドブに捨てているようなものです。

嫁さんの提示したアンチテーゼは、英会話スクール以外にも、テニススクール、その他のスクール全部に適用が可能のようです。

いつまでたっても、初級コースから抜けられない野郎と付き会いたい女性は少ないだろうからです。

むしろ、検討除外の明確な指針となってしまう恐れもあります。

まあ、別の異性へのアクセスのポインタくらいにはなるのかもしれませんが。

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「出逢い」が難しい時代になりました。

「出逢い」を構築するために、自分ではない、不本意な自分を演出する必要性に苦しんでいる人も多いと思います。

口ばかりが上手くて、綺麗に装うのが上手い奴だけが、出逢いの門に立てるのだろうかと問われれば、私は自信を持って答えることができます。

その通りです。

ですから、「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」(http://www.kobore.net/mail8.txtより抜粋)と言う、私の尊敬する人の言葉が、私の胸を熱く打つのです。

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クリスマスイブの今日、私より皆さんに、新約聖書の「マタイによる福音書」7章13節を贈ります。

「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きくその道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭くその道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」

最後に、江端による福音書、第3節A項の第5号にて、今日はお別れしたいと思います。

皆さん、よいクリスマスを。

「狭い門から入る必要なんぞないし、できれば避けたいのは山々だが、本当の自分を好きになってくれる人と出逢う為の門は狭い。天国の門なんぞお話にならんくらい狭い。ナノテクノロジーですら解決できないほど狭い。とにかくうんざりするほど狭い。それを見いだす者は、かなり運が良い」

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおいて、自由に転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと
「それでも貴方は特許出願したいですか?」
(出展はこちら → https://www.kobore.net/reject.txt)
(※)この文章は2002年における特許法をベースとしております。その後、何回も法改正が行われておりますのでご注意下さい

 

特許関連の資料が山積み(国内拒絶1、米国拒絶1、ヨーロッパ拒絶1、米国継続出願2(内、一つは面識のない日立のOB))になっており、自分でも何が何だか分からない状態になっております。

景気よく調子にのって、自分のアイデアを世界各国に特許出願すると、数年後に、各国から拒絶通知書の嵐となって戻ってきます。

特許出願するだけで、

―― 一生、遊んで暮せる

などという夢みたいなことを考えている人も多いようですので、その夢、この機会にしっかりと打ち砕いて差し上げます。

まず、「特許出願」をします。

特許明細書の記載方法はとても面倒で、決まりごとの嵐です。

同じ発明が、出願の一秒でも前に誰かによって出願されていたら、その出願はその時点でゴミとなります。

ゴミとならないためには、その調査をしなければなりません。

特許法成立以来の全ての膨大な出願済みの特許を*全部*調べなければなりません(「公知例調査」)。

さて、この段階で該当する公知がなかったとします。

しかし、出願された特許は、1年半の間公開されませんから、未公開の特許の中に、同じ特許があっても、やっぱりパーになります。

さて、この出願した特許は、3年間ほっておくと、自動的に消滅し、何もなかったことになります(出願を取り下げたと見なされる)。

特許出願を、「特許権」にするには、3年以内に特許庁に対して「審査請求」なる請願をしなければなりません。

審査請求をすると、ほぼ100%、特許庁から「この発明は受付られん!」と拒絶を打たれます(「拒絶通知」)。

この拒絶を取り下げて貰うために、特許請求の範囲を小さくしたり、意見書を提出したりしますが、なお受けられないと言われれることがあります(「拒絶査定」。

拒絶査定を取り下げて貰う為には、「拒絶査定不服審判」という裁判フェーズに突入します。

こうなると舞台は、東京高等裁判所に移ってしまいます。

この裁判で、差し戻し命令が仮に勝てたとしても、別の内容で拒絶を打たれたら、もう上記の「拒絶通知」からやりなおしとなります。

この闘いのフェーズを越えたら「設定登録」、すなわち特許権の発生です。おめでとうございます!! ・・・と言う程、甘くはない。

設定登録から6ヶ月間、この特許権を叩き潰す新たな闘い「特許異議申立」と言うフェーズが始まります。

この申立は、競合会社のみならず、赤ん坊でも、その辺の子供でも、あなたの特許を潰す権利があります。

卑近な例ですが、あなたの特許に記載した発明と同じ内容を、例えば、近くのオバチャンが井戸端会議で話題にしており(「公然知られた状態」)、実際にオバチャン連中を集めて自宅で試していた(「公然実施された状態」)と言うことを、別のオバチャンがメモしていたという事実があれば十分。

そのメモを特許庁に送りつけるだけで、あなたの特許権は、確実に潰されます。

これを覆す為には、「特許異議申立無効審判請求」と言う審判の請求を経て、再び裁判を始めることになります。

やっと闘いが終って、掴みとったあなたの特許権。

これでようやく安泰かと言うと、次の闘いのフェーズは、「特許無効審判請求」。

あなたの特許を叩き潰し、安心して製品を作りたい会社が立ち塞がります。

これに立ち向かう為には、自らその無効の内容を訂正する「訂正審判請求」でこの攻撃を交す必要があります。

この訂正審判とは、自分の特許権の一部を、放棄するものです。

すなわち、特許権という権利自身が生き残るために、自分の腕や足を、自ら日本刀で切り捨てるようなものです。

――  特許権とは、死ぬことと見つけたり

肉を切らせて、骨を断つ。

特許権の闘いとは、ダンディズムの極致とも言えましょう。

特許権を生き永らせたい特許権利者と、可能な限り早く抹殺したい第三者の闘いは、特許権の寿命たる20年の間、いついかなる時でも発生しえるのです。

さて、ここまでの話は、単に、特許権を潰そうとする敵をかわすためのものだけです。

皆が、特許権に群がるのは、それでお金を儲けたいと思うからだと思いますが、はっきり申し上げておきましょう。

特許権でお金が取れる期待値金額は、マクドナルドでハンバーガの売り子をやっているより、・・・、いやいや、もっと正確な引用をするのであえば、夜中に駅の構内で、ギター片手に下手糞な歌を歌うような阿呆な若者が、おひねりを貰うための空き缶に入れられる小銭の金額より、ずーーーーーーーーーーっと少ないんですよ。

# あの程度の低い歌唱力で、金をカンパして貰おうという厚かましさは、体、どこから来るのだろう。逆に金を払って貰いたいくらいだが。

もしあなたが、あなたの特許権で儲けたいと思うのであえば、*あなた自身*が、その特許を侵害している人や会社を見つけなければなりません。

あなた以外の誰も見つけてくれませんし、邪魔こそすれ協力なんぞ絶対にしません。

特許侵害を見つけて嬉しいのは、特許権者のあなただけ。

他の人にはどうでも良いことですから。

仮に見つけたとしても、今度は特許侵害の訴訟を*あなた自身*が起こさねばなりません。

これを特許侵害をしている人の立場から述べてみると「例え特許侵害をしていても、見つからなければO.K.」と言うことです。

実際、見つかり難い内容の発明なら、侵害を発見する可能性(顕現性)は、ずっと小さくなります。

例えば、プログラムの中のアルゴリズムの中にある特許侵害を、ソフトウェアを使っているだけで見い出せる人がいたら、その人は人類ではなく、神様でしょう。

こんなものは無理というか無茶です。

ですから、特許発明としては、顕現性の優れた、例えば「ゴキブリホイホイ」の発明とかの方が、断然優れているわけです。

とどめに、--- 実際のところ日本においては、これが大問題なのですが---

日本国の特許権者の勝訴率は、欧米のそれに比べてもの凄く小さい。

―― 闘えば、必ず負ける

と言うくらい、特許権者サイドの勝訴率は低いと聞いたことがあります。

今一度、あなたにお尋ねします。

―― それでも貴方は、特許出願したいですか?

(後略)

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江端さんのひとりごと「メールのやり取り(その8)」

地平、江端共著
大学の研究室の後輩、地平茂一氏とのメールのやりとり

--------------- 地平氏から結婚の御報告 ----------

皆様、ご無沙汰しております。 地平でございます。 (まさかに忘れた、っちゅう人はおられないとは思うのですが)

年の瀬も押しつまってまいりました今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

実は風のたよりで聞かれた方もおられるかも知れませんが、長年の独身生活についにピリオドを打ち、結婚することになりましたので、ご報告させて頂きま す。

と言っても、実は入籍は先月(11月3日)に済ませておりまして、今はもう二人で暮らしております。(いわゆる披露宴的なものは、身内中心でささやかに来春、東京にて行う予定でおります。)

いかんせん、事実上知り合ったのが今年に入ってからでして、皆様も驚かれた かも知れませんが、誰よりもわたくし自身が驚いている様な状況です。

というわけでこの半年、ドタバタの連続でして、皆様へのご報告が遅くなってしまい ました。 今更ですが申し訳ございませんでした。 (念の為言っておきますが、「できちゃった」ではありませんからね)

尚、嫁さんになってくれる、という奇特な人は札幌生まれの札幌育ちなので、 これからは旅費だけで北海道スキーを楽しめるわけですが、もちろんそれが理 由で結婚したわけではないことは、この場において強く強調しておきたいと思 います。

(中略)

本メールの宛先のアドレスは過去のメールボックスをひっくり返して なんとか発掘したものですので、どれだけエラーで帰ってくるか、 ちょっと恐ろしいのですが、無事着くことを心から祈りつつ発信します。

戸川さん(旧姓 今井田)は九分九厘エラーになって返ってきそうな気がする。。。

最近、住所が変わられた、という方がおられましたら、住所を教えて頂けます と非常に助かります。 あと、「あのひとのメールアドレスも知ってるえ」と言う方がおられましたら 是非教えてください。

お仕事中失礼致しました。

今後とも宜しくお願い致します。

じひら@今シーズンは VolklのT50 Supersport ☆☆☆☆☆(Five star)を購入 しました。

--------------- 江端から地平氏へのリプライ ----------

さて、近年稀にない、このようなつっこみどころ満載のメールをどう料理しようかと考えていると、思わずオフィスで高らかに哄笑しそうなので、自宅に 帰るまで、ネタを溜めることにします。

6年の月日を経て、ようやく反撃、いやもとい、祝福できるのかと思うかと 思うと、こみ上げる喜び、もとい、慶賀を抑えきれません。

http://www.kobore.net/tex/alone96/node5.html

『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かぬ』 山本五十六長官

『やってみせて貰い、言って聞かせて貰って、させてみせて貰い、誉めて貰わ なければ、私は動かぬ』 江端智一研究員

--------------- 地平氏から江端へのリプライのリプライ ----------

江端 智(*1) 研究員様 何卒お手柔らかにお願い致します。

地平 茂(*1)

PS ちなみに今のところエラーメールで帰ってきたのは 今井田、三宅、東野、水上 の皆様でした。(この返信の宛先からは抜いています。) どなたかこの4名様の今のメールアドレスをご存知の方は ご連絡頂けると嬉しいです。

今井田、三宅の両氏の追跡は難しそうですが。。。
(*1)http://www.kobore.net/tex/alone96/node5.html

------ 江端から地平氏へのリプライのリプライのリプライ ---------

お待たせ致しました。 真打ち登場でございます。

Jihira> 実は風のたよりで聞かれた方もおられるかも知れませんが、

Jihira> 長年の独身生活についにピリオドを打ち、結婚することになり

Jihira> ましたので、ご報告させて頂きます。

我々の身内では、高らかに独身主義を標傍して憚らなかった奴から、纏まる という妙なトレンドが観測されておりました。

誰とは言いませんが、私の他では、女性2名など。

ところで上記の引用文、「長年の独身生活についにピリオドを打ち」の下りに、いささかの異議申立など。

上記表現は、あたかも著者が独身生活を自らの主体的意思で選択していたかのような誤解を読者に与えると言う点において、表現に瑕疵があると言わざ るを得ません。

プライドをかなぐり捨て、今の嫁さんに媚びて、ようやく結婚に至ることができたという、私の非常に親しい友人の友人の神経を逆撫でしたことは言うまでもありません。

ここは、

「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自尊心を投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾して貰った」

と言う、自然な考察による自然な思考の流れから帰着する、当然の結論として合致する、なによりも、真実の記述をして貰わなければ、前記の私の友人は勿論として、我々としても釈然としないものがあります。

どだい、この程度の汎用的表現の塊からなる「結婚しました報告」を受理するほど、私は後輩に甘い指導をしてきた記憶はありません。 当然、「再提出」の一言で却下されるものであることは、何よりも本人が自覚しているはずです。

Jihira> と言っても、実は入籍は先月(11月3日)に済ませておりまして、今はもう

Jihira> 二人で暮らしております。(いわゆる披露宴的なものは、身内中心で

Jihira> ささやかに来春、東京にて行う予定でおります。)

ま、これは当人達の問題であり、回りがとやかく言うようなものではありません。

しかし、人生にはバランスと言うものがあるはずです。

様々な結婚式に出席し、その度にイベントあるいはスピーチで、新郎あるいは新婦の権威(有名私立大学を、優秀な成績で卒業し、後輩に慕われ、将来を嘱望されている)を、これでもかと言う程に、地に落し続けてきた、その当の 本人が

「ささやかに」

だとぅ?

甘いな。

我々がこのような暴挙を看過していると考えるのであれば、それは、アメリカのケーキよりも甘いと言わざるを得ない。

因果応報。 これからの長い人生を生きる、新しいカップルの為にも、単なる文字だけでなく、シンタックスだけでなく、そのセマンティックスまで骨の髄まで教えて やるのが、真の友人、後輩、そして先輩と言えるのではないでしょうか。

Jihira> いかんせん、事実上知り合ったのが今年に入ってからでして、皆様も

Jihira> 驚かれたかも知れませんが、誰よりもわたくし自身が驚いている様な

Jihira> 状況です。というわけでこの半年、ドタバタの連続でして、皆様への

Jihira> ご報告が遅くなってしまいました。今更ですが申し訳ございませんでした。

Jihira> (念の為言っておきますが、「できちゃった」ではありませんからね)

わかっております。

「できちゃった」

ではなく、

「できてしまいました」あるいは、 「主体的意思で作りました」あるいは、 「創作しました」あるいは、 「創造しました」

ですね。

私もかねがね、生命の神秘、および命の尊厳に対して、このような軽薄な言語で表現し、かつ公衆の良俗を逸脱する世間の振舞いを、普段より不快に思っておりました。

命とは、生命とは、「できちゃった」などで表現されるものでは断じてありません。 私の後輩が、かように礼を重んずる社会人になってくれたかと思うと、感涙の涙を禁じ得ません。

上記、確かに了解しました。

Jihira> 尚、嫁さんになってくれる、という奇特な人は札幌生まれの札幌

Jihira> 育ちなので、これからは旅費だけで北海道スキーを楽しめるわけ

Jihira> ですが、もちろんそれが理由で結婚したわけではないことは、この

Jihira> 場において強く強調しておきたいと思います。

無駄です。

このような弁明を信じるくらいなら、来年のノーベル賞に江端がエントリーされているというデマを信じる方が、相当真実味があります。

以上、後輩の晴れある将来と、その果てしない幸せな日々を祈って、心からのメッセージを送らせて頂きました。

では、お開きとして、結婚する人生と、結婚しない人生の両方を経験してきた、人生経験豊かな私から一言、申し上げます。

命を賭けて、嫁さんを守るのです。

さすれば、結婚は目も眩むほど楽しいものになります。

----- 地平氏から江端へのリプライのリプライのリプライのリプライ ------

遅くなりました。

およそわたくしの知る限り、みずから「真打ち登場でございます」 などと大上段に名乗って出てくる人は、2人しか知りません。

そのうちの一人は (遠い目をしてみる) 。。。

人の間違いは決して見逃さない鋭利な観察力を持ち、

自分の間違いは決して認めない鋼鉄の意思を持ち、

後輩に非常に厳しくあたる慈父の愛を持ちつつも、

先輩には下僕の如く仕えて尊敬の念を絶やさず、

見てもいない結婚式を「先ほど無事に結婚式を終えられた」と報告し(*2)、

名前という「記号」にはあえてこだわらずにその人の本質と向かい合い、

自らの権益を脅かすものに対してはMicrosoftの如く徹底的に戦い、

他人からの追求に対しては日本政府の如く徹底的に争点をぼかす。

政治家として生を受ければ一国の宰相となり、 経済人として生を受ければ財界を支配し、 文学者として生を受ければ文豪の名をほしいままにし、 研究者として生を受ければノーベル賞を受賞する。(しかも癒し系)

わたくちたちはその方をやはり愛していた、いえいえ過去形ではいけません。 愛しているのだと思います。 「よしこ」と呼ばれようが、「きくぞう」と呼ばれようが、はたまた「茂」と 呼ばれようが、そんな上っ面だけの記号ではなく、個々人の本質とつきあおう、 としてくれた先輩の存在ほど鬱陶しいものは・・・ではなく、有難いことはあ りません。

(*2)I嬢の結婚披露宴の時、司会の準備の為に結婚式に出席できなかった時の ことを言っているらしい

ですので、あえて突込みどころを残し、満載にしたメールに鬼の様に突っ込まれようとも、その愛が揺らぐことはありません。 いや、その愛はつのるばかり、と言っても過言ではないでしょう。

そんな愛の一端を、尊敬すべきその方の結婚式の場においてつたない言葉なれど、発露させて頂く機会を得ましたことはわたくしの人生におけるこれまでで は最大のハイライトであったと言っても過言ではないでしょう。

さて、くどいようですが、誰がなんと言おうが、この度わたくしは長きにわたる独身生活にピリオドを打ち、ささやかなる結婚式を来春東京にて挙げさせて頂きます。

このメールの宛先の皆様(届かなかった方も数名おられますが)を全員ご招待し たいのはやまやまなのですが、残念ながらそういうわけにもいかず、誠に心苦 しいのですが代表ということで首都圏在住の皆様をご招待させて頂きたい、と 考えております。

何卒ご了承頂きたく、宜しくお願い申し上げます。

幸い、一番うるさいのはアメリカにいるので丁度いいですしね。

え?

帰ってきてる?

うそ?

しかも首都圏?

うそ、あの人、名古屋人やん

ほんと?

えーーー

こほん

訂正

さて、くどいようですが、誰がなんと言おうが、この度わたくしは長きにわたる独身生活にピリオドを打ち、ささやかなる結婚式を来春東京にて挙げさせて頂きます。

このメールの宛先の皆様(届かなかった方も数名おられますが)を全員ご招待したいのはやまやまなのですが、残念ながらそういうわけにもいかず、誠に心苦しいのですが代表ということで首都圏在住で、かつ、ノーベル賞を目指していない方をご招待させて頂きたい、と考えております。

何卒ご了承頂きたく、宜しくお願い申し上げます。 (ぺこり)

以上、真打ちからのお礼の言葉でした。

駄文・長文の無礼をお許しください。 また、暖かいお言葉を送っていただいた皆様、心のなかでつぶやいていただいた皆様、本当にありがとうございました。 今後とも宜しくお願い致します。

じひら

PS 東野さん、水上、三宅、戸川さん(旧姓今井田)のアドレスをご存知の方、 その他、機器件の面々のアドレスをご存知の方がおられましたら、適宜転送し て頂くなり、わたくしにご一報頂けますととても嬉しいです。

それでわまた

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい て、自由に転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと 「メールのやり取り(その8)」

地平、江端共著

大学の研究室の後輩、地平茂一氏とのメールのやりとり

--------------- 地平氏から結婚の御報告 ----------

皆様、ご無沙汰しております。
地平でございます。
(まさかに忘れた、っちゅう人はおられないとは思うのですが)

年の瀬も押しつまってまいりました今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。

実は風のたよりで聞かれた方もおられるかも知れませんが、長年の独身生活に
ついにピリオドを打ち、結婚することになりましたので、ご報告させて頂きま
す。

と言っても、実は入籍は先月(11月3日)に済ませておりまして、今はもう二人
で暮らしております。(いわゆる披露宴的なものは、身内中心でささやかに来
春、東京にて行う予定でおります。)
いかんせん、事実上知り合ったのが今年に入ってからでして、皆様も驚かれた
かも知れませんが、誰よりもわたくし自身が驚いている様な状況です。という
わけでこの半年、ドタバタの連続でして、皆様へのご報告が遅くなってしまい
ました。
今更ですが申し訳ございませんでした。
(念の為言っておきますが、「できちゃった」ではありませんからね)

尚、嫁さんになってくれる、という奇特な人は札幌生まれの札幌育ちなので、
これからは旅費だけで北海道スキーを楽しめるわけですが、もちろんそれが理
由で結婚したわけではないことは、この場において強く強調しておきたいと思
います。

(中略)

本メールの宛先のアドレスは過去のメールボックスをひっくり返して
なんとか発掘したものですので、どれだけエラーで帰ってくるか、
ちょっと恐ろしいのですが、無事着くことを心から祈りつつ発信します。
# 戸川さん(旧姓 今井田)は九分九厘エラーになって返ってきそうな気が
# する。。。

最近、住所が変わられた、という方がおられましたら、住所を教えて頂けます
と非常に助かります。
あと、「あのひとのメールアドレスも知ってるえ」と言う方がおられましたら
是非教えてください。

お仕事中失礼致しました。

今後とも宜しくお願い致します。

じひら@今シーズンは VolklのT50 Supersport ☆☆☆☆☆(Five star)を購入
しました。

--------------- 江端から地平氏へのリプライ ----------

さて、近年稀にない、このようなつっこみどころ満載のメールをどう料理し
ようかと考えていると、思わずオフィスで高らかに哄笑しそうなので、自宅に
帰るまで、ネタを溜めることにします。

6年の月日を経て、ようやく反撃、いやもとい、祝福できるのかと思うかと
思うと、こみ上げる喜び、もとい、慶賀を抑えきれません。

http://www.kobore.net/tex/alone96/node5.html

---------------------------------------------------------------------
『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かぬ』
山本五十六長官
『やってみせて貰い、言って聞かせて貰って、させてみせて貰い、誉めて貰わ
なければ、私は動かぬ』
江端智一研究員
---------------------------------------------------------------------

--------------- 地平氏から江端へのリプライのリプライ ----------

江端 智(*1) 研究員様
何卒お手柔らかにお願い致します。

地平 茂(*1)

PS
ちなみに今のところエラーメールで帰ってきたのは
今井田、三宅、東野、水上
の皆様でした。(この返信の宛先からは抜いています。)
どなたかこの4名様の今のメールアドレスをご存知の方は
ご連絡頂けると嬉しいです。
# 今井田、三宅の両氏の追跡は難しそうですが。。。

(*1)http://www.kobore.net/tex/alone96/node5.html

------ 江端から地平氏へのリプライのリプライのリプライ ---------

お待たせ致しました。
真打ち登場でございます。

Jihira> 実は風のたよりで聞かれた方もおられるかも知れませんが、
Jihira> 長年の独身生活についにピリオドを打ち、結婚することになり
Jihira> ましたので、ご報告させて頂きます。

我々の身内では、高らかに独身主義を標傍して憚らなかった奴から、纏まる
という妙なトレンドが観測されておりました。

# 誰とは言いませんが、私の他では、女性2名など。

ところで上記の引用文、「長年の独身生活についにピリオドを打ち」の下り
に、いささかの異議申立など。

上記表現は、あたかも著者が独身生活を自らの主体的意思で*選択*していた
かのような誤解を読者に与えると言う点において、表現に瑕疵があると言わざ
るを得ません。

プライドをかなぐり捨て、今の嫁さんに媚びて、ようやく結婚に至ることが
できたという、私の非常に親しい友人の友人の神経を逆撫でしたことは言うま
でもありません。

ここは、

「一緒になって貰うために、地に這いつくばい、泥をすすり、自尊心
をを投げうって、彼女の足を舐めるような屈辱を経て、結婚を承諾
して貰った」

と言う、自然な考察による自然な思考の流れから帰着する、当然の結論とし
て合致する、なによりも、真実の記述をして貰わなければ、前記の私の友人は
勿論として、我々としても釈然としないものがあります。

どだい、この程度の汎用的表現の塊からなる「結婚しました報告」を受理す
るほど、私は後輩に甘い指導をしてきた記憶はありません。
当然、「再提出」の一言で却下されるものであることは、何よりも本人が自
覚しているはずです。

Jihira> と言っても、実は入籍は先月(11月3日)に済ませておりまして、今はもう
Jihira> 二人で暮らしております。(いわゆる披露宴的なものは、身内中心で
Jihira> ささやかに来春、東京にて行う予定でおります。)

ま、これは当人達の問題であり、回りがとやかく言うようなものではありま
せん。

しかし、人生にはバランスと言うものがあるはずです。

様々な結婚式に出席し、その度にイベントあるいはスピーチで、新郎あるい
は新婦の権威(有名私立大学を、優秀な成績で卒業し、後輩に慕われ、将来を
嘱望されている)を、これでもかと言う程に、地に落し続けてきた、その当の
本人が

「ささやかに」

だとぅ?

甘いな。

我々がこのような暴挙を看過していると考えるのであれば、それは、アメリ
カのケーキよりも甘いと言わざるを得ない。

因果応報。
これからの長い人生を生きる、新しいカップルの為にも、単なる文字だけで
なく、シンタックスだけでなく、そのセマンティックスまで骨の髄まで教えて
やるのが、真の友人、後輩、そして先輩と言えるのではないでしょうか。

Jihira> いかんせん、事実上知り合ったのが今年に入ってからでして、皆様も
Jihira> 驚かれたかも知れませんが、誰よりもわたくし自身が驚いている様な
Jihira> 状況です。というわけでこの半年、ドタバタの連続でして、皆様への
Jihira> ご報告が遅くなってしまいました。今更ですが申し訳ございませんでした。
Jihira> (念の為言っておきますが、「できちゃった」ではありませんからね)

わかっております。

「できちゃった」

ではなく、

「できてしまいました」あるいは、
「主体的意思で作りました」あるいは、
「創作しました」あるいは、
「創造しました」

ですね。

私もかねがね、生命の神秘、および命の尊厳に対して、このような軽薄な言
語で表現し、かつ公衆の良俗を逸脱する世間の振舞いを、普段より不快に思っ
ておりました。

命とは、生命とは、「できちゃった」などで表現されるものでは断じてあり
ません。
私の後輩が、かように礼を重んずる社会人になってくれたかと思うと、感涙
の涙を禁じ得ません。

上記、確かに了解しました。

Jihira> 尚、嫁さんになってくれる、という奇特な人は札幌生まれの札幌
Jihira> 育ちなので、これからは旅費だけで北海道スキーを楽しめるわけ
Jihira> ですが、もちろんそれが理由で結婚したわけではないことは、この
Jihira> 場において強く強調しておきたいと思います。

無駄です。

このような弁明を信じるくらいなら、来年のノーベル賞に江端がエントリー
されているというデマを信じる方が、相当真実味があります。

-----

以上、後輩の晴れある将来と、その果てしない幸せな日々を祈って、心から
のメッセージを送らせて頂きました。

では、お開きとして、結婚する人生と、結婚しない人生の両方を経験してき
た、人生経験豊かな私から一言、申し上げます。

命を賭けて、嫁さんを守るのです。
さすれば、結婚は目も眩むほど楽しいものになります。

----- 地平氏から江端へのリプライのリプライのリプライのリプライ ------

遅くなりました。

およそわたくしの知る限り、みずから「真打ち登場でございます」
などと大上段に名乗って出てくる人は、2人しか知りません。

そのうちの一人は (遠い目をしてみる) 。。。

人の間違いは決して見逃さない鋭利な観察力を持ち、
自分の間違いは決して認めない鋼鉄の意思を持ち、
後輩に非常に厳しくあたる慈父の愛を持ちつつも、
先輩には下僕の如く仕えて尊敬の念を絶やさず、
見てもいない結婚式を「先ほど無事に結婚式を終えられた」と報告し(*2)、
名前という「記号」にはあえてこだわらずにその人の本質と向かい合い、
自らの権益を脅かすものに対してはMicrosoftの如く徹底的に戦い、
他人からの追求に対しては日本政府の如く徹底的に争点をぼかす。

政治家として生を受ければ一国の宰相となり、
経済人として生を受ければ財界を支配し、
文学者として生を受ければ文豪の名をほしいままにし、
研究者として生を受ければノーベル賞を受賞する。(しかも癒し系)

わたくちたちはその方をやはり愛していた、いえいえ過去形ではいけません。
愛しているのだと思います。
「よしこ」と呼ばれようが、「きくぞう」と呼ばれようが、はたまた「茂」と
呼ばれようが、そんな上っ面だけの記号ではなく、個々人の本質とつきあおう、
としてくれた先輩の存在ほど鬱陶しいものは・・・ではなく、有難いことはあ
りません。

(*2)I嬢の結婚披露宴の時、司会の準備の為に結婚式に出席できなかった時の
ことを言っているらしい

ですので、あえて突込みどころを残し、満載にしたメールに鬼の様に突っ込ま
れようとも、その愛が揺らぐことはありません。
いや、その愛はつのるばかり、と言っても過言ではないでしょう。

そんな愛の一端を、尊敬すべきその方の結婚式の場においてつたない言葉なれ
ど、発露させて頂く機会を得ましたことはわたくしの人生におけるこれまでで
は最大のハイライトであったと言っても過言ではないでしょう。

さて、くどいようですが、誰がなんと言おうが、この度わたくしは長きにわた
る独身生活にピリオドを打ち、ささやかなる結婚式を来春東京にて挙げさせて
頂きます。
このメールの宛先の皆様(届かなかった方も数名おられますが)を全員ご招待し
たいのはやまやまなのですが、残念ながらそういうわけにもいかず、誠に心苦
しいのですが代表ということで首都圏在住の皆様をご招待させて頂きたい、と
考えております。何卒ご了承頂きたく、宜しくお願い申し上げます。

幸い、一番うるさいのはアメリカにいるので丁度いいですしね。

え?

帰ってきてる?

うそ?

しかも首都圏?

うそ、あの人、名古屋人やん

ほんと?

えーーー

こほん

訂正

さて、くどいようですが、誰がなんと言おうが、この度わたくしは長きにわた
る独身生活にピリオドを打ち、ささやかなる結婚式を来春東京にて挙げさせて
頂きます。
このメールの宛先の皆様(届かなかった方も数名おられますが)を全員ご招待し
たいのはやまやまなのですが、残念ながらそういうわけにもいかず、誠に心苦
しいのですが代表ということで首都圏在住で、かつ、ノーベル賞を目指してい
ない方をご招待させて頂きたい、と考えております。

何卒ご了承頂きたく、宜しくお願い申し上げます。
(ぺこり)

以上、真打ちからのお礼の言葉でした。

駄文・長文の無礼をお許しください。
また、暖かいお言葉を送っていただいた皆様、心のなかでつぶやいて
いただいた皆様、本当にありがとうございました。
今後とも宜しくお願い致します。

じひら

PS
東野さん、水上、三宅、戸川さん(旧姓今井田)のアドレスをご存知の方、
その他、機器件の面々のアドレスをご存知の方がおられましたら、適宜転送し
て頂くなり、わたくしにご一報頂けますととても嬉しいです。

それでわまた

(本文章は、全文を掲載し、内容を一切変更せず、著者を明記する限りにおい
て、自由に転載して頂いて構いません。)

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江端さんのひとりごと
「配線学」

2001/06/29

ベストセラーとなった、「話を聞かない男、地図の読めない女」を夫婦で読んで以来、嫁さんは、旅行中のナビゲーション担当を完全に放棄してしまいました。

この本は、全女性から「地図を読む」と言う生活必須の行為を放棄せしめ、彼女らに、地図が読めないことを正当化させてしまったと言う意味で、焚書に値する悪書であります。

私は、サンフランシスコや、ロサンゼルスの高速道路を、時速75マイル(120km)で運転しながら、コンマ1秒以内で、地図とGPSの座標を同時に読み取ると言う、ある意味『サーカスの綱渡りなんぞ、なんぼのもんじゃ』と言う程危険なこともせざるを得なくなってしまいました。

一方、この本が主張する(「話を聞かない男」と言うのはよく分からんが)、「冷蔵庫の中にあるマヨネーズを見つけだせない」「箪笥から該当のジーパンを探り当てれない」などは、恐しい程に当っているため、嫁さんのナビゲーション担当の放棄をあからさまに批判できない私がいます。

-----

私が中学の頃、「技術家庭」なるクラスがありました。

男子と女子が分かれて講義を受けると言う、時代錯誤も甚だしい ---- と言うよりも、今になって思えば、無益な区別をしていた授業がありました。

当時の文部省は、現在の結婚の高齢化、結婚率の低下、離婚率の増加などを全く、予測できなかったのしょうか。

勝手な言い分かもしれませんが、先見の明のない役人だ、と思います。

男子生徒と言う理由だけで、使いもしない本箱や、実用に耐えないドライバーやらを作らせて、一体どうする。

そんなもんなくても生きていけます。

生きることの基本は、飯です。

栄養バランスの悪い外食に頼らないように、先ず自炊から教えないかんでしょうが。

一体、何の為の義務教育だ。

私のように、一月に一度、市民サークルの「男の料理教室」に通っていたような人間は特殊な部類に入るので除外するとして、アパートに帰ったら、ピザをレンジで暖めるだけの夕食、あるいは、ソーセージを突込んで煮たてるだけのスープを喰うような大量の男達を、文部省はどう捉えているのでしょうか。

上記の話が嘘だと思うのであれば、私は、日立の各事業所からアメリカに来ている独身男のサンプルを、山ほど提出してみせます。

まあ、とにかく、ここで私の主張したいことは、数学も英語も大事かもしれんが、先ず、家庭科(と言うか家政学)を徹底的に叩き込まねば、今の世代は勿論、次世代の日本も非常に危うい、と言うことです。

-----

私は、国語と技術家庭のカリキュラムに、それぞれ次の2項目の追加を提言したいと思います。

それは、「マニュアル学」と「配線学」です。

太宰も芥川も漱石も良いだろうが、それより先に、マニュアルの読み方を教えなあかんだろうが、文部省。

『マニュアルの内容は、わからん』と言う奴の話をよく聞いてみると、一度もマニュアル開いていなかった、なんてふざけた話はざらにあります。

こういう甘ったれを叱り飛ばすのは易いですが、それでは何の問題解決にもなりません。

実際、マニュアルの内容が判りにくいのは事実です。

その理由としては、マイコンを使った各種製品の高機能化、それに共なうユーザインターフェース(ボタンやらスイッチ)数の増大が挙げられます。

限られたインタフェース(例えば3つのスイッチ)で、100以上の機能を実現するには、そのスイッチの時系列方向の組み合わせに依存するしかありません。

具体的には、『Aのスイッチを2秒押し続けながら、Bのスイッチを2回押し、最後にCのスイッチを、電子音がするまで押し続ける』等。

はっきり言って、こんな操作は、普通の人間には無理です。

しかし、それが可能な人間もいます。

その製品の製作者と、マニュアルの執筆者です。

なんったって、彼等は、その製品の開発過程で、100を越えるマイコンのパラメータを同時にトレースし、デバッグを行っているのです。

製品のインターフェースなんぞは、それらのパラメータのほんの一部に過ぎません。

彼等の感覚からすれば、「マニュアルの内容が判らん」と言うこと自体が判らんでしょう。

これらの根本的な解決方法は、100以上の機能を、5つ以下にすることですが、他社製品との競争上、むやみに機能を落すこともできません。

しかし、この「機能」の件に関しては、購買客も悪いのです。

日本中が、バブル景気で踊り狂っていたとき、私は、ファジィ・ニューロ制御の炊飯器や洗濯機や電子レンジを作っていました。

ファジィ・ニューロ制御が、一体どのようなもので、本当のところ、どれほど役に立っていたか、私は本当によーーーく知っていました。

ファジィ・ニューロが、本当に旨い米を焚くことが出きたかどうか -----

私は、この秘密は自分の墓の中に持っていくつもりですが ----- は、さておき、「ファジィ・ニューロ機能」と書かれていれば、客はそちらを購入したのです(と言うか、こう書かないと売れなかった)。

技術者の立場からすれば、
『高機能を要求すれば、その操作が難しくなるのは、当たりまえではないか!』
『己の頭の程度と相談して、製品を購入せんかい!!』

と言いたいこともありますが、メーカーの社員の立場では、そのようなことは口が裂けても言えません。

で、「これっきりボタン」とか出てくる訳ですが、それについては、いずれまたの機会に。

マニュアルの話に戻ります。

どだい、技術者の理系的発想で記述されたマニュアルが、読みやすいものになる訳がないのです。

技術者は、「動かないのが当たり前」「動かすのが仕事」と言う認識で、技術開発をしています。

「電源入れれば、動いて当たり前」と考えるユーザと同じ視点に立てる訳がない。

ですから、ここは、一つ文系的な見地から、マニュアルを見なおす必要があると思います。

私は以下の事項を提案します。

文部省は、まず全国の国立大学に、「文学部マニュアル学科」を設立し、体系的なマニュアルについての学問を推進します。

次に、義務教育過程に、「マニュアルの読みかた」と言うカリキュラムを導入します。

中間、期末の国語のテストには、次のような問題が出されるようにならなければなりません。

設問10 以下のマニュアルを読んで、問に答えなさい。

ethereal-*-non-capture.zipでは、パケットキャプチャはできないので、ethereal-*-capture.zipのほうを落とします。この段階で、c:\bin\etherealには、2つのzipファイルがあるはずです。これを、c:\bin\etherealの中で展開します。ethereal-0_8_8-capture.zipの方が、ディレクトリを掘ってしまうので、展開後にc:\bin\etherealのディレクトリを作って移動させて下さい。

(1)以下の単語の読みがなと、意味を書きなさい。

読み 意味

zip ( ) ( )

bin ( ) ( )

(2)このマニュアル内の、2個所の不適切な表現を選んで、それぞれ正しい文章

に直しなさい。

(3)このマニュアルを書いた作者の心情を30文字以内で記述しなさい。

受験用の参考書としては、「やさしいマニュアル学」「精解マニュアル解読」などが出版されることでしょう。

マニュアルは、「読む」「理解する」の次元を超越して、「感じる」ところまで高みに至る必要があります。

『あのマニュアルは、泣けた』とか『私の人生を決めたのは、この一冊のマニュアルです』と言う発言が日常会話で普通に出てくるようになるまで、マニュアル学は、高まる必要があると思います。

-----

次に「配線学」について述べます。

テレビ、ビデオは勿論、パソコンなど、今や「配線できぬもの、文明人にあらず」は、もはや誇張でも何でもなく、事実、配線ができないと、人並にAV機器や電子メールを楽しむことすらできません。

女性はこの配線に関しては弱い、と断言して良いでしょう。

一方で、男性は、収納に関しては、致命的なほど無能です。

理由はよく分からないのですが、女性はスカラー量には強く、ベクトル量には弱く、男性はその逆、と思われる場面が多いです。

配線とは、つまるところ「流れ(ベクトル)」を理解するだけのことなのです。

例えば、ビデオデッキを例に上げれば、

(1)映像を流し出すところと、それを受けるところ(テレビ)がある
(2)音声を流し出すところと、それを受けるところ(テレビ)がある
(3)その映像と音声を受けとるところと、それを出すところ(アンテナ)がある。
(4)電気を受けとるところがある。

と4つの「流れ」があり、それを正しく流すように線を継いでやれば、必ずビデオは動くのです。

ところが、配線が苦手な人は、この(1)-(4)が、頭の中で大混乱している訳です。

で、結果として何をしてしまうか。

総当たり戦を実施してしまう訳です。

映像出力端子、映像入力端子、音声出力端子、音声入力端子、NTSCケーブル2本、アンテナ線用同軸ケーブル、これにS端子でもついていたら、配線の組み合わせは、軽く100を越えるでしょう。

ビデオごときで、総当たり戦を実施している人に、パソコンの組み立てなんぞやらせたら、組み合わせ爆発は必至。

パソコンが動き出すのに25世紀くらいまでかかってしまう。

このような「配線問題」に関しては、現状2つのアプローチがあると思われます。

(1)「配線は素人にはできない」と割りきって、「配線サービス」と言う新しい産業の育成に力を注ぐ

(2)「配線学」を義務教育課程に組みこむ

の2つです。

しかし、私は、(1)の「配線アウトソーシング」が、一つの産業になるのは難しいであろう、と推測しています。

3万円のビデオデッキに、出張費と拘束時間を考え、安く見積っても1万円以下にはならないであろう配線サービス料金を、本当にエンドユーザは払えるだろうか。

そもそも家電製品と言うものは、大量生産によるコスト低減を掲げて製造されるものです。

激しいコスト競争の中で扱われているこれらの家電製品は、それ自体、ソフト的なサービスとは合い入れません。

ソフトサービスをエンドユーザに押しつけて、コストダウンを図る。

これが家電製品の市場原理なのです。

上記の分析が示すことは、当面の間、「配線問題」は、独力、あるいは、プライベートな極めて狭い範囲の人間による解決しかありえない、と言う悲観的な結論となります。

ですから、私は(2)の「配線学」を義務教育課程に組みこむしかないと思います。

ラジカセの操作は、小学3年生までに、

ビデオデッキは、小学6年生までに、

パソコンの組み立て(周辺機器付き)は、中学3年までに体得することを、今からでも遅くはありません、是非とも文部省は、技術家庭課程のカリキュラムとして採用することを、検討して貰いたいです。

日本のIT化を本気で考えるのであれば、これらのことが実施できない児童、生徒は、留年もやむなし、との処置でお願いします。

「炊飯器で飯が喰えず餓死」「メールが使えず孤独死」などと言う、ハイテク家電が引き起こしかねない悲しい事件を回避するためにも、国は断固とした姿勢で、接続学の取得を国民に課して貰いたいと切望します。

-----

あながち、大袈裟でもないのです。

電子レンジに猫を入れて、乾かそうとした主婦の話を例に上げるまでもなく、(赤ん坊でなくて、本当によかった)、パソコンのプリンタの設定ファイルと、ISPのプロバイダの接続設定を壊してしまい、アメリカに行ってしまった息子の帰省を1年以上も待っている、実家の両親たち ----

そして、紙切れが判っていても、補充されないFAX。

設定方法が分からず、いつまでも動き出さない全自動洗濯機。

マニュアルの例文を、2回印刷しただけのワープロ

ユーザにとっても、製品にとっても、これは悲劇に違いあません。

そのような悲劇を、この日本からなくす為にも、私はここに声を大にして、「マニュアル学」と「配線学」の、速やかな導入を提言したいと思います。

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)

 

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Hです。 「プロジェクトX」、結論から言うとキライです。 理由は、見ている人ならわかるはずです。

技術的な話や、また、 それに思い至るまでのエピソードなどは好きですけどね。

ebata@cnd.hp.com wrote:

n> で、江端さんの出演予定はいつですか? n> 既にNHKからオファーがあったと風の噂で聞いたんですが。

題目も決っています。

Project X 「会社を蘇えらせた技術者の最後のエッセイ」

  • 解雇覚悟で執筆を続けた「日立こぼれ話」製作秘話
  • 時代を先取りした社内ディスクロージャへの会社の激しい抵抗
  • 総務部との死闘、上司との確執

「プロジェクトX」的には、それで会社にこんな貢献ができた、とか、 その結果こんなによい製品が日本から発表されました、とか、 おかげで私は首にならずに済みました、とか、必要だと思います。

あと、どこかで泣けるポイントを作らないと、 私の同期の「プロジェクトX」信奉者なんかは、 「今回は面白くない」と放言すること請け合いです。

最後には、全体主義的な大団円に持っていく必要もあると思います。

個人的には、江端さんのイメージと ちょっと違うような気がしないでもないのですが、 それは私の勘違いでしょうか・・・

未分類

江端さんのひとりごと
「ホワイトアウト」

2001/02/10

 

昨年9月24日に、コロラド州のフォートコリンズで、私たち夫婦は、積雪15cmを越える降雪を目の当りにしました。

数日前までクーラの側に倒していたエアコンのスイッチを、暖房側に切りかえ、最大出力にしました。

と、思った次の日には、透き通った快晴の空から、紫外線をたっぷり含んだ太陽光線で、目が焼けるかと思う目にあったりもしました。

コロラドの冬は、日本の関東地区に比べれば寒いはずで、実際、夜には氷点下数度まで下るのですが、不思議なくらい寒さを感じません。

重くない、とでも言うのでしょうか。

湿度が非常に低いので、まとわりつくような寒さはないのです。

雪は一晩で15cm位積るのですが、日本の東北や北海道の地区とも違い、大抵次の日から快晴となり、2、3日で溶けてなくなってしまいます。

毎朝、玄関のドアを開けると雪が傾れこみ、積雪をラッセルしながら、会社に出社するものだと思っていた、私たちの目論見は外れ、殊、雪に関しては、今迄と変わることなく、朝の徒歩通勤を続けていますし、帰宅時には、嫁さんのピックアップで自宅に帰るのですが、会社がスタッドレスタイヤの費用も出してくれたこともあって、現在のところ、事故を起すことなく運転しているようです。

ただし、雪の降っている朝だけは、危険かもしれないと言うことで、嫁さんが会社まで自動車で送ってくれることになっています。

-----

私は、静謐で美しい風景、一面の銀世界、生命が息を潜めて雌伏するこの季節が好きです。

フォートコリンズは、渡り鳥のグースの中継地点となっているようで、最近は、毎朝数百羽のグースが群れとなって集まっているのを見かけます。

今朝、家の前のBoardwalk Driveを、20羽程度のグースがきれいに一列になって横断して、自動車を止めていました。

私が運転手の方の顔を見ると、「仕方ないね」と言う顔で苦笑していました。

ある朝、私がHP社の前にあるLSI Logic社の前の野原を歩いていた時のこと、抜けるような真っ青な冬の全天を、天の河の大きさもあろうかという帯が、南東から北西に向って流れていました。

それは、地平線から現れ地平線に消えていく、何千羽ものグースの群れでした。

私は、その流れの一番最後尾が見たくて、空を見上げながらその野原に立ちつくしていましたが、いつまでもその流れが止まることはありませんでした。

フォートコリンズの街の上空は、丁度、旅客機の航路となっているようで、空のキャンパスに、真っ直伸びる鮮かな白の軌跡を、時には、同時に10以上見ることもできます。

そして、後を振り向くと、藍色の空をバックに、切り立った氷河のように輝くロッキー山脈の稜線が見えます。

このように、私は毎朝、徒歩通勤を楽しんでいるのですが、やはり、雪の降った翌日の朝は格別です。

全ての建物が目映いばかりに光り輝き、息を呑むほど美しいです。

地面を踏みしめると、足がやわらかく大地に吸いこまれるような感蝕と同時に、雪の粒が煙のように舞い上ります。

雪を掌ですくい上げると、指の間から雪が流れ落ちていきます。

日本では、スキー場でさえ、こんな極上のパウダースノーにお目にかかることはできません。

マウンテンスキーの板を履いて出社する、という計画もあるのですが、フォートコリンズでは車道の除雪が徹底していることと、どうしてもまとまった積雪量にならないことから、現在のところ、実現できないでいます。

嫁さんが、帰路を迎えに来てくれるからこそ出来ることでもあるのでしょうが、こんなに楽しい1時間10分もの通勤時間を、自動車でかけ抜けてしまうのは、私には、とても勿体ないことのように思えます。

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先日、夕方から降り始めた雪は、翌朝になっても止むことなくり続けていました。

一度くらいは、降っている雪の中を歩いてみたいと思っていた私は、その日の朝を決行の日と決め、心配する嫁さんを言いきかせて、雪中行軍の準備を始めました。

テーブルの上に、いつもの通勤スタイルである、極寒仕様の毛糸の帽子と手袋、マフラー、膝まであるぶ厚い綿入りの黒のナイロンコート、インターネット経由で毎日録音している英語ニュースと、「携帯版 英会話とっさのひとこと辞典」のカセットテープとウォークマンを用意しました。

厚めのセータを着こみ、膝上まである道路工事の現場作業員御用達の長靴を履いて、準備を完了しました。

ドアを開けた瞬間、ぶ厚い冷気の壁と雪が吹き込んできて、家の中に戻されそうになりましたが、それを押し付けるようにして外に出ました。

吹雪という程のものではなかったものの、風におおられて雪が右往左往しながら、時々は真横になって宙を舞っていました。

空の低いところに灰色の雲があり、わずかに雪のガスも出てきており、視界も悪くなってきていました。

多分、気温は氷点下10度くらいだっただろうと思います。

流石に除雪も間にあわなかったのか、Oakridge Driveの道も真っ白なまま、自動車のタイヤに圧雪されて、理想的なアイスバーンとなっていました。

しかしそんな道路を、この街の人達は、ノーマルタイヤで、車体をドリフトさせながら平気で運転しています。

流石、としか言いようがありません。

雪の上を歩く時は、そのわずかな雪の高さを見て、車道と歩道を見分る必要があります。

間違えて車道側に足を踏み入れると、そのまま車道に転げ落ちていく恐れがあるからです。

抜群の視力を誇る私でさえも、今朝は車道と歩道の境界が見えません。

それは、一つに、雪が降り続いていることと、もう一つは、目を開け続けていることが出来なかったからです。

私は、全身を防寒着で完全にくるんでいたのですが、唯一、目の部分だけを覆うことは出来ませんでした。

そんなことをしたら、何も見えなくなって、歩く以前の問題です。

風にあおられた雪が目に飛びこんでくる時は、ちょっとした痛みを感じますが、それ自身は大したことではありません。

問題なのは、その後です。

その状態では雪の結晶が眼球に張りついて見えなくなりますので、瞬きをすることで、その雪を解かすのですが、これが涙と一緒になって目の外に出ます。

この涙がやっかいなのです。

この涙は、一秒もしないうちにアイラインで氷結します。

そして次の瞬きに、瞼の上と下のアイラインの氷がぶつかり、一瞬溶け、そして、この上下の氷は一つになって一瞬の間に凍ってしまうのです。

この結果は明白。

目が開かなくなるのです。

指で目を擦ると、指についた雪が、さらに事態を悪くしまうので、力を込めて瞼を開けます。

こういうことは、日常生活ではめったに体験できないでしょう。

力づくで瞼を開くことを続けている内に、今度は睫(まつげ)に小さな氷柱が出来てきて、瞼が重くなってきます。

よく、眠くなることを「瞼が重くなってくる」と言う言い方をしますが、喩えでもなんでもなく、本当に『お、重い・・・』。

不思議なもので、瞼が重くなってくると、本当に寝くなってきました。

雪の中の歩行は、普通の歩行より何倍も体力を使います。

雪の吹き溜りを踏みつけて、体のバランスを崩しながら歩かねばなりませんし、以前降った雪が溶けずに、完全に氷結して氷河となったような場所も越えて行かねばなりません。

普段よりも集中力が要求されるのです。

加えて、時折襲ってくる横なぐりの雪の束に目も開けていられません。 運悪く、昨夜は眠りが浅い上に5時間くらいしか寝れなかったので、普通よりコンディションも悪かったのです。

眠ったら終りだ・・・

この時、私を支えていた思いは、「美しい妻や可愛い娘を残して死ねるものか」と言う想い・・・ではなく、『雪の中を徒歩通勤していた変な東洋人、通勤途中にて凍死』とフォートコリンズ新聞の一面に掲載されるであろう記事と、葬式の際に、ハンカチを握りしめて、うつむきながら、泣いているふりをしながら、笑いを堪えている参列者の光景でした。

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HPの正門前で、ウォークマンのカセットテープが終ったので、ナイロンコートのポケットからウォークマンを取り出して、テープを裏返しして、再生のボタンを押したのですが、うんともすんともいいません。

変だな、と思って、あちこちのボタンを押して見たのですが、上手く再生してくれません。

その時、このような機械が保証する動作環境の温度は、確か下は0度から、上は50度くらいだったことに、はたと気が付きました。

私は、HP社の門の前に立ちすくみながら、氷点下10度より低い極寒仕様のウォークマンなど、どこにも売っていないんだろうな、とぼんやり考えていました。

その時の私は、毛糸の帽子に雪を積らせ、手袋は内部から凍りつき、長靴の中に入ってしまった氷が、溶けずに凍ったまま残っていると言う状態で、体も思うように動かすことができず、雪の平原を彷う、黒装束のゾンビのような状態だったと思います。

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Harmonyの徒歩通勤者

"Walking Pedestrian in Harmony Road"

は、今では、HPはもとより、フォートコリンズでもすっかり有名になっているだろうと思います。

そのうち、私の通勤路である野原に、地元のテレビ局の車が待ち構えてインタビューをしてくる時の為に、すでに私の頭の中では英語の質疑応答集が出き上がっています。

"Why have you kept walking on this field, that is NOT a road, every day ?"

"I can always feel the existence of GOD through walking in the field. It is a kind of a field of talking to GOD."

フォートコリンズの教会の、名誉司教くらいには成れるかもしれません。

そんな風に、私の通勤風景に慣れたフォートコリンズ市民も、その日の私を見て、皆、一様にぎょっとしていました。

私の行為が、神秘の国ジパングの名を、ますます高めているものだと自負しております。

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まあ、街の中だし、比較的視界も良く、ホワイトアウトを喰らって『HPはぁ!HPは、どっちだぁぁぁ!!!』などと叫ぶような場面もなく、いつもより15分遅れで、無事会社に到着しました。

寒くて痛くて結構辛かったけど、やっぱり楽しかったな、と思えました。

私は、根っからのスキーヤーなんだ、と再認識しました

その日、嫁さんのピックアップで自宅に付き、ふと、テーブルの隅の方を見ると、そこには昨夜久々に読み直し終えた、真保裕一の「ホワイトアウト」が置かれていました。

『俺が今行かなかったら、誰がHPと日立を救えるのだ!』

などと言うような、馬鹿な妄想に憑かれて、雪中行軍をしようとしていた訳では断じてないと思っていますが、もしかしたら、自分の気が付かないところで、何かのスイッチが入っていたのかもしれません。

 

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)