2025,江端さんの忘備録

昨年末から、ノドがいがらっぽい状態が続いています。

Since the end of last year, I've had a scratchy throat.

普通に寝ていても、寒さで目が覚めますし、年末からずっと、ぼんやりとした体調不全が続いています。

Even when I'm sleeping, I usually wake up with a cold, and I've been feeling vaguely unwell since the end of the year.

「老化」という言葉は、上位概念すぎて分かりにくいですが、これを「自律コントロール機能の段階的喪失」と置き替ええると、ぴったり当てはまる感じがします。

The word “aging” is too broad to be easily understood, but if I replace it with “gradual loss of autonomous control functions,” it seems to fit perfectly.

『視力が壊れる』、『体内保湿機能が壊れる』、『体温調整機能が壊れる』。まあ、こんな感じですね。

'Your eyesight will be ruined,' 'your body's moisture retention function will be ruined,' and 'your body temperature regulation function will be ruined.' Well, something like that.

自律機能が壊れていくのであれば、外部デバイスで補っていくしかありません。

If the autonomous functions break down, the only way to compensate is with external devices.

これが、老眼鏡であり、加湿器であり、そして、暖房器具です。

These are reading glasses, a humidifier, and a heater.

どの世代であっても、自分の老化を実感します。

-----

ただ、私が思うにこれらのデバイスは制御が"雑"です。

However, I believe the controls on these devices are “sloppy.”

知らない人が多いかもしれませんが、視力は毎日変動します。同じ眼鏡でも、文字が見える時と見えない時があります。

Although many people may not know this, your eyesight changes every day. Even with the same glasses, there are times when you can see the letters and times when you can't.

また、加湿器はフェードバック機能がいいかげんで、ここ数日で部屋をびしょ濡れにされました(書類の印刷が水に浸った状態で見えない)。

Also, the humidifier has a poor feedback function, and it has made the room soaking wet in the past few days (the documents I printed are soaked in water and unreadable).

エアコンは、暑く眠れなくなったり、寒くて眠れなくなったりします。まあ、これは私の睡眠中の体温や体調の変化のせいだとは思いますが。

Air conditioning can make it too hot or too cold to sleep. I think this is due to changes in my body temperature and physical condition while I sleep.

-----

今後は、天井に設置したカメラとかベッドに仕込まれた温度・湿度センサが、私の体表温度とかを計測して、パーソナルAIと連動して、自動的に制御を行う、というような方向に向かうかもしれません。

In the future, cameras installed in the ceiling and temperature/humidity sensors built into the bed may measure my body temperature and other data and automatically control the room in conjunction with the personal AI.

ただなぁ、この実現は難しいだろうな、とは思います。

However, I think it will be challenging to achieve this.

学習にかかる時間も長いだろうし、被験者からのフィードバックの測定が恐しく難しくて、被験者の負荷も大きそう。

It will take a long time to learn, and measuring the feedback from the test subjects will be extremely difficult. It seems that the test subjects will also have a lot of work.

市場規模は大きいですが(全人口の35%以上で、今後も増加は確定)、システム構築や販売コストも高そうです。

The market is large (over 35% of the total population, and it is confident to continue to grow), but it also seems that the cost of system construction and sales will be high.

-----

ちなみに、部屋をベチャベチャにされましたけど、加湿器のおかげで「ノド」の調子はいいです。

By the way, I made the room very humid, and thanks to the humidifier, my throat is in good condition.

これ受験生必須のアイテムではないかと思います。

I think this is a must-have item for students preparing for exams.

とくに、カゼやインフルエンザ対策としては、最強デバイスの部類にはいるのではないか、と思いました。

It was one of the most powerful devices for preventing colds and influenza.

受験生の皆さんとそのご家族の皆さんは、購入をご検討下さい。

All prospective students and their families are encouraged to consider purchasing this device.

2025,江端さんの忘備録

「私、これといって特技も才能もないのですが、『人を見る目』だけはあるんですよ」

"I have no special skills or talents but an eye for people."

の対義語(フレーズ)って、

I'm wondering if this antonym (phrase) could be

「私、特技も才能もあるのですが、『人を見る目』だけはないんですよ」

“I have special skills and talent, but I don't have a good eye for people.”

になるのかな、とか、考えています。

-----

「人を見る目」とは、人の性格や本質、能力、信念、行動パターンなどを見抜く力や判断力のことだと思います。

I think “the ability to judge people” refers to "judging people" through a person's character, essence, abilities, beliefs, behavioral patterns, etc.

このフレーズを使う人は、自分の観察力や洞察力に自信を持っていることを示しており、相手とのやり取りや人間関係の構築においてその力が発揮されていることを暗示しているんだと思うのですが ――

I think that people who use this phrase show that they are confident in their powers of observation and insight and can demonstrate these powers in their interactions with others and in building relationships.

これまでの人生で、このフレーズを私の前で語った(口にした)人間は一人もいませんでした。

However, In my life, not a single person has ever said (or uttered) this phrase in front of me.

マンガやアニメ、または小説では頻繁に使われているようですが。

They seem to be used frequently in manga, anime, and novels.

こんなセリフを面と向かって言える人間は、ちょっと「怖い」とすら思います、以下の3つの観点で。

From the following three perspectives, I think people who can say lines like this to someone's face are a little “scary.”

(1)もし、本当に「人を見る目」なる才能があるなら、それは秘して運用するはずである

(1) If you have the talent to “judge people,” you would keep it to yourself and use it discreetly.

(2)「人を見る目」の才能を自覚していたとしても、それを客観的に評価する主体は「自分」であり、そんなものアテになるわけがない

(2) Even if you are aware of your talent for judging people, the person who objectively evaluates you is “yourself,” so you can't rely on that.

(3)「人を見る目」は、ネガティブな方向ではそれほど特殊な能力ではない。特に「クズ」と呼ばれる人間の認定は、とても簡単である。

(3) Judging people is not that special a skill. In particular, it is very easy to identify people who are “scum.”

-----

そういえば、昔、『江端は将来社長になる器だ』とか行っていた先輩がいました ―― 私は、微笑みながらその話を流していましたが。

Speaking of which, a senior colleague said, “Ebata has the makings of a future company president.” I used to smile and let it slide.

私は、下町の零細木工会社の社長令息として、「社長業の地獄」を、この目で見続けてきた当事者です。

As the son of the president of a small woodworking company in a downtown area, I am a firsthand witness to the “hell of being the president.”

だれが、そんなものをやるものか。

There's no way I'd do something like that.

私は社長とかを含めたすべての「リーダー」から逃げ続けてきました。

I have been running away from all “leaders,” including the president.

私が引き受けたのは、期間限定のプロジェクトのリーダーくらいなものです。

The most I've ever taken on is the role of leader for a limited-time project.

それ以上の責任を背負う器ではないし、背負いたくもありません。赤の他人の人生などという面倒な重荷は、まっぴら御免です。

I am incapable of shouldering any more responsibility and don't want to. I don't want to be burdened with the troublesome responsibility of someone else's life.

-----

つまるところ、私は、「他人を見る目」は全く分かりませんが、「自分を見る目」については自信があるのです。

Ultimately, I have no idea how others see me, but I'm confident about how I see myself.

私という人間は、謙遜でも卑下でもなく「何もなし得ない者」です。

I am a person who is neither humble nor self-deprecating, but rather someone who has “nothing to offer.”

その自覚はあります。

I am aware of that.

加えて言えば、私は、「『何かをなし得ると思いこんでいる人間』を、影で嗤う者」でもあります。

In addition, I am also “someone who sneers at people who think they can achieve something.”

リーダーの器でない人間の振舞いを ―― 口には出しませんが、徹底的にバカにしています。

I don't say it out loud, but I despise non-leaders behavior.

忘れないでください ―― 私は「会社の犬」です。

2025,江端さんの技術メモ

WindowsにGnuplotをインストールする手順を以下に説明します。


1. Gnuplotのインストールファイルをダウンロード

  1. 公式サイトにアクセス
    Gnuplotの公式サイト http://www.gnuplot.info/ にアクセスします。
  2. ダウンロードページを開く
    ページ内の「Download」セクションを見つけ、Windows用のインストーラを探します。
  3. Windows版のインストーラをダウンロード
    推奨されるダウンロードリンク(例: SourceForgeのWindows用バイナリ)から最新の安定版を選択し、インストールファイル(例: gnuplot-x.x.x-win64.exe)をダウンロードします。

2. Gnuplotのインストール

  1. インストーラを実行
    ダウンロードした .exe ファイルをダブルクリックして実行します。
  2. セットアップウィザード
    セットアップウィザードが開いたら、以下の手順で進めます:

    • 「Next」をクリック。
    • ライセンス条項を確認して「I Agree」をクリック。
    • インストール先フォルダを指定(デフォルトのままで問題ありません)。
    • 必要なコンポーネントを選択(デフォルト設定でOK)。
    • 「Install」をクリックしてインストールを開始。
  3. インストール完了
    インストールが完了したら「Finish」をクリックします。

2.1. PATH環境変数の設定(オプション)

コマンドプロンプトやPowerShellで簡単にGnuplotを実行するには、PATH環境変数にGnuplotのインストールディレクトリを追加します。

  1. 環境変数の設定を開く
    • 「スタート」メニューで「環境変数」と検索し、「システム環境変数の編集」を選択。
    • 「環境変数」をクリック。
  2. PATH変数を編集
    • 「システム環境変数」または「ユーザー環境変数」の Path を選択し、「編集」をクリック。
    • Gnuplotをインストールしたディレクトリ(例: C:\Program Files\gnuplot\bin)を追加。
  3. 保存して閉じる
    「OK」をクリックして変更を保存します。

2.2. インストール確認

  1. コマンドプロンプトを開く
    Win + R を押して「cmd」と入力し、Enterキーを押します。
  2. Gnuplotを起動
    以下のコマンドを入力して、Gnuplotが起動するか確認します。

    gnuplot

  3. バージョン確認
    Gnuplotのプロンプト(gnuplot>)が表示されるので、以下を入力してバージョンを確認します。
show version

 

2.3. 動作確認

インストールが成功している場合、以下のコマンドで簡単なプロットが表示されます。

plot sin(x)

これでGnuplotのインストールは完了です。

3. PTファイル(73.csv)の表示方法

以下の手順で Gnuplot スクリプトを保存し、73.csvを表示する方法を説明します(73.csvはファイルの一つにすぎません)


3.1. スクリプトをファイルに保存する

  1. 任意のテキストエディタを使用して、以下の内容をファイルにコピーします。
  2. ファイル名を plot_73.gnu など、わかりやすい名前で保存してください。

3.1.1. スクリプト内容 (plot_73.gnu)`)

# Gnuplot Script for 3D Plot# X, Y, Z 軸の範囲を設定
set xrange [130.3296537290101:130.56028128619576]
set yrange [33.49812295428995:33.67972606282988]
set zrange [0:1440]
# 軸ラベル
set xlabel "Longitude"
set ylabel "Latitude"
set zlabel "Time (Minutes)"

# タイトル set title "3D Plot of GPS Data"

# CSVのヘッダー行をスキップする設定
set datafile separator "," # カンマ区切りを指定
set key autotitle columnhead # ヘッダーをタイトルに使用(必要に応じて)

# データの3Dプロット
splot "73.csv" every ::1 using 9:8:($6*60+$7) with points pointtype 7 pointsize 1 lc rgb "blue" title "GPS Points"

 

3.2. スクリプトの実行方法

  1. スクリプトファイルの保存場所
    保存した plot_73.gnu ファイルと 73.csv ファイルを同じディレクトリに配置してください。
  2. Gnuplot の起動
    ターミナルを開き、Gnuplot を起動します。

    gnuplot

     

  3. スクリプトの実行
    Gnuplot のプロンプト (gnuplot>) 上で以下のコマンドを実行します。

    load 'plot_73.gnu'

     

  4. スクリプトが読み込まれ、プロットが表示されます。

3.3. 実行の自動化 (オプション)

ターミナルから直接スクリプトを実行できるようにするには、以下のコマンドを使用します。

gnuplot plot_73.gnu

これにより、Gnuplot を起動せずにスクリプトを実行できます。


3.4. 注意点

  • スクリプトで指定したファイル名 (73.csv) が正しいことを確認してください。
  • CSV ファイルの形式がスクリプトと一致している必要があります。
  • 必要に応じて 73.csv のパスをフルパスで指定することで、スクリプトと CSV が別のディレクトリにある場合でも動作します。

例:

splot "/path/to/73.csv" every ::1 using 9:8:($6*60+$7) ...

3.5. "73.csv"のサンプル

dailyid,year,month,day,dayofweek,hour,minute,latitude,longitude,gender,age
73,2023,4,9,7,8,40,33.307463,130.511456,,
73,2023,4,9,7,8,41,33.307477,130.512114,,
73,2023,4,9,7,8,41,33.305819,130.514793,,
73,2023,4,9,7,8,41,33.307467,130.511813,,
73,2023,4,9,7,8,45,33.306084,130.515009,,
73,2023,4,9,7,8,45,33.306151,130.515051,,
73,2023,4,9,7,8,54,33.309299,130.518183,,
73,2023,4,9,7,8,54,33.308469,130.517488,,

2025,江端さんの忘備録

「国民は納得しないだろう」というフレーズの濫用を止めて欲しいです。

I want you to stop abusing the phrase “the people won't accept it.”

―― 偉そうに、何様だ

"Acting all high and mighty, who do you think you are?"

自分の意見を「国民」という実態不明な対象に押しつけるというのは、非常に下品です。

It is very vulgar to force your opinions on an unknown entity called “the people.”

例えば、「『○○○だと思う」と江端なら言うだろう」とか、「江端なら○○○に激怒するだろう」とか言われたら、私は怒る。

For example, if someone said to me, “Ebata would say, ‘I think that...’” or “Ebata would be furious about...”, I would get angry.

そいつの名前を特定して、ネットに晒すくらいに腹を立てる。

I get so angry that I identify the person's name and expose them on the internet.

「私のことは、私が決めて私が語る。お前ごときが、私を語るな」と、私は言います。

I say, “I decide who I am and will speak for myself. Don't you dare speak for me?”

-----

「国民」という括りで他人の意見を代弁することは、傲慢であり、卑怯であり、低能の証明ですらある、と私は思っています。

Speaking for others by grouping them as “citizens” is arrogant, cowardly, and even a sign of low intelligence.

自分の意見ならば、自分の言葉で述べろ。

If it's your opinion, express it in your own words.

「私は納得できない」「私は許せない」と言えばいい。

You can say, “I don't agree,” or “I can't forgive that.”

「国民は」と置き換えることは、自分の責任を回避し、曖昧な多数派の影に隠れようとする狡さが露呈しています。

Replacing “the people” with “the nation” reveals a cunning attempt to avoid responsibility and hide behind the shadow of an ambiguous majority.

こうした言葉を振りかざす者は、自分の主張を補強したいがために、国民という存在を都合よく利用しているに過ぎません。

Those who use such words are merely using the existence of the people to their advantage to bolster their arguments.

そもそも、その「国民」の中には当然、異なる意見を持つ人もいるはずです。そうした人々を無視し、一括りにして語ること自体が、卑怯の一言に付きます。

To begin with, there will naturally be people among that “people” who have different opinions. Ignoring such people and speaking of them as a single group is nothing short of cowardly.

もし本当に国民の声を代弁したいなら、具体的なデータを示し、論理的に説明すべきでしょう。

You should present specific data and explain it logically to represent the people's voice.

「世論調査では○○%が反対している」「この議論に対する市民の意見はこうだった」と、明確な根拠を持って主張するならば、それは議論の一つとして成立すると思います。

If you make a claim with clear evidence, such as “In the opinion poll, XX% were against it” or “This is what the public thought about the debate,” then I think it would be valid as part of the debate.

しかし、それすらせずに「国民は納得しないだろう」などと語るのは、単なる思考停止、無能の標本のようなものです。

However, saying things like “the people won't be satisfied” without even considering the matter is a sign of a person who has stopped thinking and is incapable of doing anything.

-----

ちなみに、アカデミズムの世界では、エビデンスがない論を主張する者をよってたかって叩き潰す、という文化があります。学会発表で『主観です』などと言おうものなら、集中砲火で殺されます。

Incidentally, academia has a culture of piling on and crushing anyone who argues a theory without evidence. A concentrated barrage of criticism will kill you if you say something like “It's just my opinion” at a conference presentation.

いえいえ、私は、『アカデミズムで苛められていることを、ここで晴らそう』という意図はありません(本当)。

No, I don't intend to' get bullied by academia' (really).

-----

結局のところ、こうした言い回しを好む者は、自分の主張に自信がないんだろうなぁ、と思います(もちろん、頭も悪いし、品もないとも思いますが)。

After all, I think that people who like to use these kinds of phrases are probably not very confident in their arguments (of course, I also think they're not very smart or well-mannered).

まあ、私たちも人のこと言えないんですけどね。

Well, we can't say anything about other people either.

「みんな、そう言っている」の『みんな』を調べたら"一人だった"、などというのも珍しくありません。

It is not uncommon to find that when you look up the word “everyone” in the phrase “everyone says so”, the result is “it was just one person”.

とは言え「みんな」と「国民」を同列に論じるのも無理があります。それがどのようなものであれ「見苦しい」と思います。

It is also unreasonable to discuss “everyone” and “citizens” on the same level. I think that is “unseemly,” no matter what it is.

だから私は言いたい。

So I want to say:

「お前が納得しないのは勝手だが、『国民』を勝手に使うな」と。

“You can't use the word 'national' as you please, even if you disagree.”

-----

これで、あなたへの回答になっていますか?

Does this answer your question?

そもそも、「ゆとり」や「バブル」や「しらけ」と言われた奴らが、偉そうに若者を語るな。見苦しい。

2025,江端さんの忘備録

「使えるお金をいつでも持っていられることは幸せである」というのは、多分事実でしょう。

It is probably true that “having the money you can use at any time is a blessing.”

お金は、人の支配から逃げられる力もありますし、上手く運用すれば人を支配する力もあるからです。

Money has the power to escape people's control, and if it is managed well, it can also control people.

権力装置としてのお金についてはさておき、人に縛られることなく自由に生きていくためのお金というのは、多分私を幸せにすると思います。

Putting aside money as a power device, I think that money that allows me to live freely without being bound by others will probably make me happy.

しかし、『人に縛られることなく自由に生きていくためのお金は、多ければ多いほど、大きい幸せを得られる』ということについては、私には疑義があるのです。

However, I have doubts about the idea that 'the more money I have, the happier I will be, because I will be free to live my life without being bound by others'.

ただ、疑義はあるのですが、検証ができません。私は、お金がないからです。

However, I have my doubts, but I can't verify them. That's because I don't have any money.

「お金に愛されないエンジニア」であることに、ちょっとだけ「運の良さ」を感じたりしています ―― ほんとうに、ちょっとだけ、ですけどね。

-----

ただ、最近、以下の仮説であれば、お金がない私でも検証できるのではないか、と考えています。

However, I have recently come to think that even I, who have no money, can test the following hypothesis.

(1)アマプラやネトフリで、潤沢に自由に映画が楽しめる。

(1) We can enjoy various movies on Amazon Prime and Netflix.

(2)ネトフリの提供しているタイトル数は膨大である。

(2) The number of titles offered by Netflix is enormous.

(3)ネトフリのタイトル数が2倍、3倍、10倍になれば、私たちの幸せも2倍、3倍、10倍になるか?

(3) If the number of titles on Netflix doubles, triples, or increases tenfold, will our happiness also double, triple, or increase tenfold?

私、ネトフリで映画を楽しんでいますが、正直、使える時間を超えるタイトルがいくら増えようとも、それで幸せが増えていくとは思えないのです。

I enjoy watching movies on Netflix, but to be honest, no matter how many more titles are added that exceed the amount of time I have available, I don't think that will make me any happier.

で、これを、お金の話に射影できないかなぁ、と考えています。

So, I'm considering whether I can adapt this to the topic of money.

-----

そもそも、お金とエンタメのコンテンツを同視することができるのか疑問がありますし、また、エンタメコンテンツは無体財産であり、多くの人が使っても減っていくことはありません。

To begin with, I wonder whether it is possible to equate money with entertainment content. Entertainment content is intangible property; even if many people use it, its value will not decrease.

このように、基本的には異なる2つのものですので、そもそも「射影」の概念を持ち込むのには無理がある、とも思えます。

As they are fundamentally two different things, it seems unreasonable to introduce the concept of “adaptation” in the first place. Introducing the idea of “projection” in the first place seems absurd.

このあたりの検証を、哲学や心理学の観点から考えて頂ける方、いませんか?

Can anyone think about this kind of verification from the perspective of philosophy or psychology?

私には、この検証がとても難しいのです。お金を持っていないからです。

This verification is complicated for me because I don't have any money.

-----

実証実験ならできるかもしれないな、とか考えています。

 I can do a demonstration experiment.

どなたか、私に10億円程度、ポンと下さいませんか。

Would someone please give me 1 billion yen?

お金と幸せの関係について、きちんと報告をし、学会発表や論文を書いて発表します。

I will report on the relationship between money and happiness and write and present papers at academic conferences.

お金が余って困っている方は、是非ご検討頂きたくよろしくお願い致します。

If you have extra money and trouble deciding what to do with it, please consider this option.

(↑クリックでコラムに飛びます)

江端さんの忘備録,江端さんの技術メモ

私が、今大学で取り組んでいる研究についての論理付けをするため、心理学の既往研究を調べています。

I am researching previous psychological studies to provide a rationale for my research at university.

その一つが、「単純接触効果」です。

One of these is the “Mere Exposure Effect”.

単純接触効果

恋愛、結婚にいたるケースで結構な比率を占めるのが、半径2メートル程度以内に自分と相手の席があったケース―― というのは、誰もが聞いた話だと思います。

I think everyone has heard the story that a significant proportion of cases that lead to romance and marriage involve the couple sitting within a radius of about 2 meters of each other.

同じクラスに所属する人同士の方が、異なるクラスに所属する人同士よりも親近感を抱きやすいというのは事実のようです。「クラス対抗リレー」のようなイベントで、全く知らない他人同士が同じクラスに所属しているという理由だけで応援し合うのは、単純接触効果の一例です。

It seems true that people who belong to the same class tend to feel closer to each other than those who belong to different classes. In events like the “class relay race”, where people who don't know each other at all support each other just because they belong to the same class, this is an example of “Mere Exposure Effect”.

-----

上記のページの単純接触効果の実験で、思わず私が笑ってしまった内容が、2枚目の図の1つめの実験です。

The first experiment in the second diagram in the above page's “Mere Exposure Effect” experiment made me laugh.

要するに、「大学の講義にキチンと出席している女子学生」に対して、男子学生は「魅力」と「シンパシー」を感じやすい、という実験結果です。

In short, the experiment showed that male students are likelier to feel “attraction” and “sympathy” towards female students who regularly attend university lectures.

この実験では、単に『男は単純でバカである』と言ってもいいのかもしれませんが、これが人間の特性であるなら、それを無視するのは得策ではありません。

In this experiment, it may be okay to say that “men are simple and stupid simply,” but if this is a characteristic of human beings, it would not be a good idea to ignore it.

この実験では、4人の女性は、講義に出席する頻度を変えているだけですが、たったそれだけのことで「魅力」と「シンパシー」を向上させる効果が発生した、というのは、貴重な知見です。

In this experiment, the four women only varied the frequency with which they attended lectures. Still, the fact that this simple change increased their 'attractiveness' and 'sympathy' is a valuable finding.

これは、恋愛や結婚において、「出逢いの日常化」が、強力な戦略になりえる、と私は考えました。

I thought “making dating a daily routine” could be a powerful strategy in relationships and marriage.

-----

で、ふと思ったのですが、「単純接触効果」をもっとも発揮させるもっとも有効な方法とは ―― 結婚してしまうことですね。強制的な毎日の「単純接触効果」が発生することになりますから。

Then, I suddenly thought that getting married would be the most effective way to maximize the “Mere Exposure Effect.” This would create a compulsory daily “Mere Exposure Effect.”

まあ、この話では、「タマゴとニワトリ」の話になってしまいますので、結婚や同棲の前段階としては、とりあえず「通学/通勤時間(登校、出社、下校、退社)を調整する」とか、「一日一回はその人に声をかけてみる」とか、そういう、ベタですけど、単純な手法を「意味がないと切り捨てない方がいい」とは言えそうです。

Well, this story is about “eggs and chickens,” so as a preliminary step before marriage or cohabitation, it seems that it's better not to dismiss simple methods that may seem a bit corny, such as “adjusting your commuting time (going to school, going to work, leaving school, leaving work)” or “talking to that person at least once a day.”

私の場合、独身時代に、特段これといった用事もないけど、1週間に1回は電話するというノルマを自分に課して、今の嫁さんに「単純接触」戦略を数年間続けていました。

When I was single, I set a quota of calling my now-wife at least once a week, even if I didn't have anything to discuss. I continued this “Mere Exposure Effect” strategy for several years.

あれは、意外に効果があったのかもしれません ―― と、何十年後の自分の研究で、自分の振舞いをレビューすることになるとは、思いませんでしたが。

I didn't think I would be reviewing my own behavior in my research decades later, but that may have had an unexpected effect.

-----

私、この「単純接触効果」を発生させる社会システムについて考えています。今、このネタで、論文一本上げる為に、今、必死に調査と執筆を頑張っています。

I am considering the social systems that generate this “Mere Exposure Effect.” I am working hard on research and writing to publish a paper on this topic.

2025,江端さんの忘備録

私、PCでアニメを見ているのですが、基本的に作画の品質には興味ありません。

I watch anime on my PC, and I'm not interested in the quality of the animation.

私は、今の時代に必要なのは「積極的無関心」ではないかと思うのです ―― つまり、『人のことはほっとけ。自分のことだけやっとけ』です。

私は、ストーリーの方が好きで、方向としては、明るく、楽しく、能天気なコンテンツが好きです。

I prefer stories and like cheerful, fun, and carefree content.

私、基本的にケチなので、映画館で映画を見る時に、途中退出することはありませんが ―― 最近、映画館で映画を見るのに「苦痛」を感じるようになりました。

I'm basically a cheapskate, so I never leave the cinema halfway through a movie, but recently, I've started to feel “pain” when watching a film at the cinema.

これには、自分でも驚いています。

I'm surprised at myself for this.

これは多分、映画のサブスク(アマプラやネトフリ)の影響があるのかと思います。

This is probably due to the influence of movie subscriptions (Amazon Prime and Netflix).

その映画が、気にいらなければ、その場で視聴を取り止め、他の映画に切り変えてしまう、ということが簡単にできるようになりました。

If I don't like the movie, I can quickly stop watching it and switch to another movie.

つまらない、退屈、嫌いなストーリーが5分間連続で続けば、その場で視聴を止めてしまう、ということは、頻繁にやっています。

If a boring, tedious, or otherwise unpleasant story goes on for five minutes straight, I often stop watching right there and then.

しかし、これは、コンテンツを提供する側(創作者や編集者)にとっては、たまったものではないだろうとは思います。

However, I think this is not good for the people who provide the content (creators and editors).

-----

文学を含め全ての学問は、ある種の「我慢と忍耐」のコンテンツでした。「勉強」という言葉に「努力と忍耐」は必ず付帯する修飾句でした。

All academic subjects, including literature, required “endurance and perseverance.” Study effort and perseverance were always used as modifiers.

今は、これが「エンタメ」にまで広がってきているようで、私(たち)は、「努力と忍耐」をしてまで、一つのコンテンツを終了しなくなっているような気がします。

Now, it seems that this is spreading to “entertainment,” and I (we) feel that we should no longer end a single piece of content until we have “worked hard and persevered.”

私たちは、人の評価が、自分に当てはまらないことが、別段悪いことではないことには気が付いていますが、それが、サブスクの登場によって、具体的な行動となって現われてきているように思います。

We know that it is not necessarily bad when other people's opinions do not apply to us, but this is becoming a concrete action with the advent of subscriptions.

ちょっと具体例で示しますと、私が熱狂的に好きな「NHKスペシャル」や「BS1スペシャル」は、視聴率から見れば無惨な数値のコンテンツです。つまり、私が「特異」なのです。

To give you a concrete example, the NHK Special and BS1 Special programs I am passionate about are content with miserable viewing figures. In other words, I am a “special case”.

また、昨年公開された、原爆開発のマンハッタン計画を描いた「オッペンハイマー」は、私には、"退屈"を超えて"苦痛"ですらありました。マンハッタン計画については、私が詳しい知識を持っていたから、という背景もあったかもしれません。

Also, Oppenheimer, a film released last year about the Manhattan Project to develop the atomic bomb, was not just boring for me. It was painful. This may have been because I had detailed knowledge of the Manhattan Project.

こんな、サブスク時代にあって、エンタメのコンテンツを提供する側は、恐しく低コストで作成する必要があり、おそらく、その辺を生成AIが担保する、ということになっていくのだろうと思います。

In this age of subscriptions, entertainment content providers need to be able to create it at a very low cost, and I think the AI being developed will probably help ensure this.

-----

昨日、嫁さんが、正月に放送されていた4時間くらいの漫才の番組の録画を見ていたのですが、彼女は、「最初の30秒を視聴して、その漫才をスキップする」を繰り返していました。

Yesterday, my wife was watching a recording of a four-hour manzai comedy show broadcast over New Year's. She kept repeating the process of watching the first 30 seconds and then skipping the manzai.

これなら4時間番組を1時間以内の視聴に抑えることができます、が ―― 視聴者にこんなことをされたら、テレビ局と番組スポンサーと芸人は、たまったものではないだろうなぁ、とも思いました。

This would mean that a four-hour program could be watched in less than an hour, but I also thought that if viewers did the same actions, it would be terrible for TV stations, program sponsors, and comedians.

2025,江端さんの忘備録

【新作Nスぺ】 “冤罪(えんざい)”の深層 ~警視庁公安部・内部音声の衝撃~ 4(土)夜10時~[総合]

“The Deep Roots of False Accusations: The Shocking Inside Story of the Tokyo Metropolitan Police Department's Public Security Bureau” 

この番組は、2020年に発生した大川原化工機の社長ら3人が軍事転用可能な機器を不正輸出したとして逮捕された事件を取り上げています。

This program covers the case of the arrest of the president of Okawara Chemical Machinery and two others in 2020 for illegally exporting equipment that could be used for military purposes.

取材班は新たに警視庁公安部内の会議内容が録音された音声記録を入手し、独自の法令解釈で事件化を推し進める幹部と、それに戸惑い抗う部下たちの生々しいやり取りを明らかにしました。

The investigative team obtained audio recordings of a meeting held within the Public Security Bureau of the Tokyo Metropolitan Police Department. It revealed the vivid exchange of dialogue between the senior officers pushing for the case to be made based on their interpretation of the law and the junior officers who were confused by this and resisted.

この音声記録と独自取材を通じて、冤罪が生まれた背景や捜査の問題点に迫っています。

Through this audio recording and our reporting, we are getting to the bottom of the background of the false accusation and the problems with the investigation.

-----

この事件で、取り調べを担当した警視庁公安部の捜査員3名が、調書の破棄や立件に不利な実験データの削除などの疑いで書類送検されました。

In this case, three investigators from the Tokyo Metropolitan Police Department's Public Security Bureau who were in charge of the investigation were referred to prosecutors for destroying records and deleting experimental data unfavorable to the case.

しかし、2025年1月8日付で東京地検により不起訴処分となりました。

However, on January 8, 2025, the Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute him.

ポイントは2つ。

There are two key points.

(1)「警視庁公安部」という組織ではなく、「警視庁公安部の捜査員3名」が名指し(by name)で起訴されて、

(1) Not the organization “Metropolitan Police Department Public Safety Bureau,” but “three investigators from the Metropolitan Police Department Public Safety Bureau” were indicted by name.

(2)東京地検によって、不起訴処分になった

(2) The Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute.

という点です。

-----

―― やっと、"by name"が動き始めたか

Finally, “by name” has started to work.

と思いましたが、同時に、(予想はしていましたが)"by name"を妨害する動きも見えてきました。

However, simultaneously, I could see a move to block “by name” (which I had already predicted).

私、以前から、『報復するのは「組織」ではなく「個人」にしよう』と言い続けけてきました。

I have long argued that individuals, not organizations, should take revenge.

実際に、私が腹を立てる対象というのは、「組織」という曖昧なものではなく、「顔と名前の一致する特定の個人」ですから。

What makes me angry are not vague “organizations” but specific individuals with faces and names.

結局のところ最も効果があるのは「私闘」

-----

さて、今回、東京地検が「不起訴」とした理由ですが、「捜査員による調書改ざんや証拠隠蔽の疑いについて、故意性や共謀を立証する証拠が不十分」としています。

As for why the Tokyo District Public Prosecutors Office decided not to prosecute this time, they stated that “there was insufficient evidence to prove intentionality or collusion about the suspicion of investigators tampering with records or concealing evidence.”

しかし、個人的な所感として『「取り調べの証拠"だけ"を破棄する」なんてこと、ありえるかなぁ』と思います。そもそも、証拠が破棄された以上、「証拠が破棄された」ことを立証することができなくなるのは当然です。

However, speaking personally, I wonder, “Is it possible to destroy only the evidence from an interrogation?” It is only natural that once the evidence has been destroyed, it becomes impossible to prove that it has been destroyed.

これは、東京地検からの『ヤバそうなものは、取り敢えず完全に破却してしまえ』『その後は、シラを切り通せ』という、国民への親切な助言なのかもしれません。

This may be the Tokyo District Public Prosecutors Office's kind advice to the public: “If it looks bad, just get rid of it completely for now,” and “After that, just keep your head down.”

江端さんのひとりごと 「神の火」

国家の組織の目的が「正義」ではなく、「国家の安定存続」であり、その為には、結構な頻度で「個人の権利や尊厳を踏み躙ることもある」ということは良く知っています(学生の頃、京都府警察殿に見せて頂きました)。

I am well aware that the purpose of the organization of the state is not “justice” but “the stable continuation of the state” and that to achieve this, “the rights and dignity of individuals may be trampled upon quite frequently” (when I was a student, I was shown this by the Kyoto Prefectural Police).

たぶん 、これで「by name」での起訴が成立すると、他の事件でも、問題がボロボロでてくるんだろうなぁ、とか考えていました。

I was thinking that if this were successful in getting a “by name” indictment, there would probably be a lot of other problems that would come to light.

-----

まあ、そういうこともあり、これまで、私は国家の組織の「正義」は信じずに、国家権力に目を付けられないように「ひっそりと生きる」ということに腐心してきました。

Because of this, I have not trusted the state's “justice” until now, and I have been trying hard to “live quietly” so that I don't attract the state's attention.

国家の権力機関とは良好な関係を維持することが一番です。

It is best to maintain a good relationship with the state's authority.

私が威勢がいいのはブログの中だけです。そもそも、私は、二十の冬を最後に政治的な運動には一切参加していません。

I'm only loud on my blog. To begin with, I haven't participated in any political campaigns since my 20th winter.

-----

東京地検(特捜部)というと、小学生の頃の私は、キラキラした憧れの目をして見ていたものです。

I would admire the Tokyo District Public Prosecutors Office (Special Investigation Department) with sparkling eyes in elementary school.

『元首相(田中角栄元首相)を逮捕するなんて、東京地検とは、なんて凄い「正義」の組織なんだろう』と思った少年は、国の組織の「正義」を信じさせてくれるものでした。

The boy thought, “What an amazing organization of ‘justice’ the Tokyo District Public Prosecutors Office is to arrest a former prime minister (former Prime Minister Kakuei Tanaka) like that. " This made him believe in the 'justice' of the country's organizations.

私のようなヒネた大人に「正義」を見せる必要はありませんが、子どもたちに「国の組織には正義がある」ということを見せることには意義があると思うんですよ。

There is no need to show justice to a twisted adult like me, but I think it is meaningful to show children that there is justice in the organization of the country.

もし、本件を起訴して、証拠不十分で敗訴したとしても、「正義のようなもの」があることを、子どもたちに見せられる ―― それは「勝ち」と言えるんじゃないんでしょうか?

Even if we lose the case due to insufficient evidence, if we can show the children that there is “something like justice” in the world, isn't that a victory?

未分類

江端さんのひとりごと

「神の火」

2000/06/10

「いいか、草介。人が死ぬような放射能といえば、3000から4000ミリシーベルト以上だ。

そんなものすごい量の放射線を一気に全身に浴びるのは、チェルノブイリのように炉心が融けて剥き出しになる事故か、核爆弾しか考えられない。

だから、こんなふうに考えて欲しい。

人が健康に生きていくための許容被曝量線は、年間5ミリシーベルト。

胃のレントゲン検査一回で、約4ミリシーベルト。原発から出る放射線は、年間0.05ミリシーベルト以下。

それよりは確実に多い。人によっては身体に影響が出るかも知れない。危険というのはそういう意味だ」

「そうなると、あのチェルノブイリというのは、ものすごい事故やったんやな・・・・・・」

----- 高村薫 「神の火(下)」より抜粋

人が死ぬような放射能と言えば、「炉心が融けて剥き出しになる事故」か、「核爆弾」しか考えられないと、誰もが思っていました。

まさか、民家の中にある民間工場で、核爆弾の直撃をも超える1万1000ミリシーベルもの、もの凄い量の放射線を生み出す『臨界』が起こり、

その工場で作業してた工員を死に至らしめ、周辺住民を数千シーベルトの放射能の嵐の中に、数時間も放置するような事故が、

よりによって、世界中のどの国よりも原子力の恐ろしさを身にしみているはずの、我が国日本で起こるとは -----

一体、誰が予想できたでしょうか。

-----

1999年9月30日、午後9時。

いつもより少し早めに帰宅した私は、荷物を置き、服を着替えながら、歌番組のテレビを何気なく眺めていました。

いつも通りの日常が、一瞬して恐怖の一夜となる一番最初の出来事は、嫁さんの次の一言でした。

「東海村で、臨界事故があったんだって」

臨界事故?

その時私は、嫁さんが「一次放射能冷却水漏れ」か、あるいは「炉心制御棒の制御装置の故障」の話からたまたま出てきた、『臨界』という言葉を『臨界事故』と聞き間違えたんだろうと思いました。

その証拠に、テレビでは何事もないように、歌番組が続いていましたし、万一そんな事故が起こっているなら、警察は勿論、自衛隊の出動だってありえると思いましたから。

ところが、NHKにチャンネルを換えてみたら、そこには前日辞任を表明したばかりの野中官房長官が、東海村住民に外出禁止勧告を出しているところでした。

私は、一瞬自分の体から血が抜き取られたれ、床がぐにゃりと曲がるような錯覚を感じると同時に、そして誰のものか分からないような声で、テレビに向かって大声で吐き捨ていました。

「馬鹿野郎が! ついにやりやがったな!! これでこの国は終わりだ!!」

-----

日本は、この狭い国土に、なんと47基の原子炉を持つという、間違いなく世界一の原子力立国です。発電に占める割合も、火力発電を抜いて現在トップとなっております。

なんでこんなに多くの原子炉があるかといえば、、日本政府の原子力政策に負うところが大きいのですが、基本的に発電所の建築コストが、他の火力や水力発電にくらべて、ぐっと安いのです。

それに、下流の村を水没させることもないし、地球温暖化で問題となっている二酸化炭素を大気に撒き散らすこともないし、何も起こらなければ、確かに「世界一クリーンなエネルギー」

ところが、原子力というのは他のエネルギーと加えて、極めてコントロールが難しいエネルギーなのです。

原子力エネルギーの最も簡単な利用方法は、「原子力爆弾」です。

一瞬にエネルギーを放出すれば終わりです。

問題があるとすれば、携帯軽量化が難しいことです。

このような爆発を起こすためには、どうしてもある一定以上の原材料が必要となり、どう小さく作っても、一つの街を灰にしてしまうものになってしまいます。

まさか、原子力発電所で、原子爆弾のようにエネルギーを放出するわけにはいきません。

そんなことしたら原子炉なんて紙細工のように吹き飛んでしまいます。

原子力発電の技術の粋は、要するに「少しずつ、だましだまし、エネルギーを引き出す」ことにあります。

決して、暴走させてはならない。

しかし、沈黙させてもならない。

原子力発電に使う、原子力エネルギーとは、そもそも自然界において「暴走」か「沈黙」の2つの状態しか持たない物質を、そのどちらの状態にも置かせないで、しかも一定量のエネルギーを引き出さねばならないという、綱渡りも似た超高精度の制御を必要とするものなのです。

そして、もう一つ。決して忘れてはならないことがあります。

原子力は、いったんエネルギーを放出し始めたら止めることができません。水をかけたり、いつかは燃える物がなくなって消える火とは、全く性質が異なります。

数百年から先年の単位で、人体に有害な強力なエネルギーが巻き散らされ続け、それを決して停止させることができないのです。

そのエネルギーは、人間の臓器をずたずたにし、遺伝子を破壊し、変種の細胞(ガン細胞等)を発生させます。

特に母体の胎児に対する影響は深刻です。

はっきり言って、原子力は危険です。

そもそも科学技術というもので、完全に安全なものというものはありませんが、それ以上に、この完全でない技術は、おおよそ完全とは縁の遠い人間の手で運用されているのです。

いったん壊れたら最後、周辺地域を死滅させる技術の恩恵というものが、どれほど人間に必要なものなのか、私にはよく分からないのです。

-----

臨界とは、ある一定量の放射性物質が、一個所に集められることによって、互いの放射性物質を互いを叩き合うことで、そのエネルギーである放射線が全力で撒き散らされる状態をいいます。

この撒き散らされる放射能というのは、光に匹敵する速度で放たれる、全方向向きの機関銃の一斉掃射のようなものです。

加えて、そのエネルギー量は弾丸の比ではありません。

人間の体などは言うまでもなく、建物の壁も簡単にぶち抜きます。

ちなみに、レントゲンは、弱い放射線を非常に短い時間一斉照射し、それが通過した箇所と、通過しにくかった箇所を比較することで、レントゲン写真として写されるわけです。

当然、体を無数の放射線によって打ちぬかれるレントゲン撮影が、危険でないわけがありませんので、レントゲン技師は、写真を撮るとき、金属ドアの向こうに逃げる訳です。

ちなみに、コンピュータのバグで、このレントゲン写真の照射時間の桁を間違えて、人を殺してしまった事故もあります。

臨界事故と聞いた瞬間、私の目の前には外壁が吹き飛んで、炉心がむき出しになった原子炉と、臨界の放射性物質の濃縮ウランが破片となって飛び散り、空から降ってくる死の灰が見ました。

わずか1グラムで半径500メートルの人間を殺傷するという廃棄放射性物質プルトニウムなんぞが、目に見えない粒で体に付着したり、万一体内に入ったら、命の助かる見込みはありません。

体内から放射線の一斉掃射をされて、平気なわけがありません。

即死という慈悲すらもなく、数時間から下手をすれば数年かけて、臓器の機能が次々と停止し、訳の分からない苦痛の中で、手立てもなくじわじわと死んで行くしかない。

放射性物質が我々に与える死とは、最大級の苦痛を共なう最も残酷な死なのです。

-----

テレビを見た瞬間、私が考えたのは、東名高速道路への最も速いアクセスの方法でした。

この社宅から脱出するのに必要な時間と、名古屋の実家への連絡。

そして、同時に、東海村から飛び散った濃縮ウランが、都心を超えて神奈川に飛来する時間を計算していました。

東京を含み関東一帯はほぼ全滅。

名古屋も決して安全ではない。

場合によっては、嫁さんと子供だけでも、福岡(嫁さんの実家)に避難させ、それもかなり急がねばならない。

事態が解明されるにつれ、避難する車で高速道路は麻痺状態に陥ることは確実でした。

場合によっては、緊急車両優先のため、全てのインターチェンジが封鎖されるかもしれない。

官房長官のコメントを聞いている限りでは、危険な状態にある地域は限定されているとのことでしたが、古今東西、「国の安全宣言」ほど信用の出来ない宣言はありません。

世界で最初に核実験をやったアメリカは、メディアなどの広報機関を通じて、地域住民に対して「安全」を繰り返し宣伝していました。

その結果は、その地域一帯に飛びぬけて高い白血病発病率をもたらし、家族がばたばた倒れていくのを、ただ見ているしかない状況となりました。

チェルノブイリの近く、ロシアのキエフでは、放射性ウランが大気にばらまかれたその当日にすら、事故のことは住民伝えられませんでした。

住民はいつもと変わらない週末の公園の散歩を楽しみながら、大人から子供に至るまで、致死、あるいは後遺症と呼ぶにはお釣が来るくらい悲惨な状態になるほどの放射性物質とその放射線を喰らったのでした。

内閣官房長官は、半径500メートルの住人は『屋外に出ないように』と勧告をしていました。

雨や夜露じゃあるまいし、民家の壁を軽くぶち抜く放射線に対して、そんな警告が何になるんだろうと、慌ただしく脱出経路を考えながら、頭の中で思っていました。

-----

皆さんに警告します。

国は、絶対に『逃げろ』と言いません。

というか、言えないのです、立場上。

なぜなら、日本国政府は、原子力産業を基幹に据えるエネルギー政策を行うにあたって、『原子力の絶対的な安全性』を国民に対して約束しているからです。

『逃げろ』と言うことは、日本国政府は国民に対して嘘をついていたことを、公に認めることになってしまいます。

-----

話はちょっと変わりますが、何年か前、動燃(動力炉核燃料事業団)が、事故の隠蔽を図り、何度も嘘の上塗り繰り返し、その都度、嘘が見つけられ、その度に謝罪会見をしていた、見苦しいことこの上もない愚劣な行為を繰り返していたことがあります。

この時、私は「こりゃ、いいなあ」と思いました。

まず嘘をつく。

嘘が見つかったら謝る。

見つからなければ黙りつづける。

正直に言っても、どっちみち怒られるなら、黙っていて見つからないほうに賭ける。

これは、公に責任を持たない利己的な個人の理論としては、正しいと思いますが、いったん壊れたら最後、周辺地域を死滅させる原子力を管理する公の機関が、まあなんということか、この理論で動いている。

その為に民草たる民衆の命なんぞは後回しにして、自己保身のために動き、最後まで謝罪を渋り、謝罪した後は、我々の血税から賠償金の支払いをする。

何の邪心も憤りもなく、心から素直に『やっぱり、体制サイドは、おいしいなあ』と、羨ましく思ったものでした。

閑話休題

-----

私が、尋常ではない脅え方をしているのをみて、嫁さんの方もつられて脅え始めたようです。

一般的に、世の中一般の原子力に対する意識は、嫁さんと大体同じくらいのようですが、良いとか悪いとか関係なく、私はそれが一般的だと思っています。

だって、放射能の人体に対する影響なんて、義務教育では絶対に教えないんですもの。

米国の原爆教えても、日本の南京大虐殺を教えないようなもんです。

そうして、やがて私は、でたらめな歴史を信じている被害妄想の爺さんとして扱われて、孫たちに嫌われるようになるんだ。

ふん、だ。

しかし、ニュースを聞いているうちに、『なんで、原子力発電所の名前がでてこないんだ?』と不思議に感じ始めました。

ウラン加工施設で臨界事故、と言うのがどうにも解せません。

ニュースの話を聞いていると、原子炉が爆発したという話もなければ、自衛隊の治安出動の話もありません。

東京が放射能汚染されるとなれば、当然、極東地区の軍事バランスは一気に崩れます。

「北」が動き、朝鮮半島に再び火がつくというという論説は、まだ出ないとしても、どうも事件が局地的な様相を呈しているのが、しっくりきませんでした。

なぜ自衛隊と警察は組織の総力を挙げて、住民の大エクゾダス(脱出)を指揮しないのかをしないのだろうか?

そして、ニュースを見ているうちに、臨界事故の原因が、てんで全くお話にならない稚拙な事故から発生したことがわかってくるにつれ、私は、徐々に腸が煮え繰り返ってくるのを感じていました。

「・・・・阿呆か」

そもそも放射性物質は、それ自体が放射線を巻き散らかす物質なので、分散して管理するのが当たり前です。

放射性物質を過度な密度で一個所に集めれば、自然に核分裂反応を始め『臨界』に至るのは、物理学の「いろはのい」よりもっともっと前。

今回の事故の真相は、「規定量をはるかに超えたウラン溶液を、一個所の容器(沈殿漕)に集めた為に『臨界』が始まってしまった」という、信じられないくらい馬鹿馬鹿しい事故だったのです。

原子力やら放射能やらと聞くと、何やら私たちの生活に直接関係がない難しそうなもの、と思われる方も多いと思いますが、別にそんなことはありません。

ウラン鉱石などは、日立(日立製作所ではない)などでも産出されています。

その石自体は、あまり強くはありませんが、放射線を撒き散らしています。

民間人には難しいかもしれませんが、適度に精製して溶かしたものを、一定量以上トイレの掃除用のバケツにでもほうり込んでおけば、自然に臨界は始まってしまいます。

しかし、臨界が一旦始まってしまったら最後、その放射性物質のポテンシャルエネルギーが消えてなくなるまで、

----- 何百何千もの熱白ライトが一箇所に集まり、その圧倒的な光源から発せられる光線の束が、体を通り抜け、後を見ると自分の影すらもない -----

というような、目には見えない放射線を撒き散らし続けるのです(*1)。

(*1)可視光線も放射線の一種です。非可視光線の紫外線などは、皮膚ガンを誘発することで危険と言われていますが、体を「貫通」するほどのエネルギーはありません。

今回の臨界事故が、

- チェルノブイリ原子力発電所事故の様に、大気中に、放射性物質が放出された訳ではないこと

- 危険区域は、臨界発生地点の周辺に限定されること

すなわち、臨界発生地点は、事故現場一個所に集中され、放射能物質漏れが引き起こす大気汚染や土壌汚染の心配は、とりあえずしなくてよいことが分かったからです(*2)

少なくとも放射性物質が、空から降ってくることがないことをようやく理解し、私はへなへなと、畳の上に座り込んでしまいました。

少なくともこれで、全力で逃げ出す算段は考えなくてよいと思ったからです。

(*2)強力な放射能を照射された物質は、それ自体が放射性物質に転換することもあります。

ほっとしたのも束の間。

現在、放射能の台風の目のど真ん中にいる、東海村やその周辺の人たちにとっては、放射性物質が大気に放出されようがされまいが、凄まじい放射線の嵐の中にいるという事態は何も変わっていません。

私は、東海村近くの、日立製作所おおみか工場で、半年近く一緒に働いてきた仲間がいました。

皆、私が困ったときには、すぐに駆けつけて助けてくれた、本当に気持ちの良い同僚でした。

少なくとも、私と私の家族が放射能の直撃をくらう場所にはないことを確認した後も、私は彼らのことを考えると、身が締め付けられるような苦しさを覚えました。

-----

臨界が停止するまでの間の、今回の事故の経緯を以下に記述します。

JCO転換試験棟で、作業員が「青い火を見た」と言う臨界事故が発生したのが、9月30日午前10:30。

この瞬間、試験棟内の臨界警報装置が一斉に吹鳴。

10分後に従業員がグランドに避難(この間の被曝推定量は、後述)。

事故発生から50分後、JCOが科学技術庁に「臨界事故の可能性がある」との文言を含んだFAXを送付。

茨城県庁に連絡が入り、東海村に事故対策本部が設置されるのが、事故発生から1時間後。

その後、科学技術庁への第2、3報の連絡、ひたちなか西署に対策本部設置、現場から半径200メートル以内の立ち入り規制。

この時、現場に立った警察官は、防護服の着用を指示されていませんでした。『住民の安全を確保できない状況で、警察官だけが防護服を着るように指示を出せなかった』と言う幹部の判断は、ナンセンスかもしれないけど、その苦しい立場は理解できました。

東海村に災害対策本部設置などやって、ようやく村内広報が開始されたのが、事故発生から2時間後の12時30分。

臨界の放射線の嵐の中で、住民に何も知らせず2時間!

事故現場半径500m以内の住人170戸に避難の「勧告」をしたのが、さらに1時間半後の14:00。

15:00 東海村は法令(災害対策基本法)に基づかず、独自の判断で半径350m以内の住人に避難を「要請」。

この辺になって、ようやく内閣に詳細な情報が届くようになります。

マスコミがこの事故に気がつき、日本全国に速報として届いたのが、夕方頃。

私が調べた限り、この時点では、事故現場を除いて日本中のどこにもパニックは発生していません。

この事実に、私は頭を突かれたようなショックを受けました。

「臨界事故」と聞いた瞬間、爆発して炉心がむき出しになった原子炉を想像した、私のような人物はほとんどいなかった、ということだからです。

21:00 帰宅した私が、歌番組のチャンネルからNHKに替え、自失呆然となっているところに飛びこんできたのが、原子力安全委員会の「再臨界の可能性がある」との見解発表でした。

この時、私は暗澹たる思いになったのを覚えています。

一体、誰がどうやって臨界を止めるのか?

第一、暴走を始めた臨界を止める手立てが本当にあるのか?

例え防護服を厳重に着用したとしても『臨界の原子炉の中に入って、制御棒を手で入れてこい』と、同じような命令を、一体、誰が出し、誰が受けることができると言うのか。

23:30 科学技術庁は、核分裂反応を抑えるために、冷却装置の水抜きをすると発表。

核分裂を起している容器は、冷却装置で覆われています。

この冷却装置の水は、放射線を透過しにくい為、放射線は水によって跳ね返され、再び核分裂物質を叩くことになります。

その結果、再臨界が発生していると判断したようです。

しかし、私は、もしそれで、臨界が止まらなかったら、水を抜いた分、さらに強烈な放射線が放出されるのではないか、と考えていました。

多分、国や科学技術庁は、この国の終わりの日まで、決して公表することはないと思いますが、

---- もう、それしか、残された手がなかった -----

と、私は信じています。

そして、ついに、JCO社員から18人が指名され「決死隊」が結成されます。「嫌なら断ることもできる」と言われても、誰も辞退しなかったそうです。

職場長が人選を始め、短時間で作業を終えるため、ベテランの8組16人がまず、指名され、防護服を着た作業員2人が転換試験棟に近づいたのが、午前2時35分。

3:00 沈殿漕の冷却水を抜き取る作業が開始され、4:30 物外部のクーリングタワーの水を抜き取る目的で、タワー下部のドレインをハンマーで叩き壊す為、現場に入りました。

(以下、朝日新聞10月22日朝刊より抜粋)

----- 1人がライトとストップウオッチを手にし、もう1人が写真を撮る。まず、現場の状況を知るためだ。

「ピー」。

1枚目の写真を撮ろうとした瞬間、胸につけたガンマ線の線量計が高い音とともに激しく振動した。

中性子線の被曝量は当初「20ミリシーベルトまで」と計画した。

ガンマ線はその約10分の1と推定した。

警報機能が付いたガンマ線量計を2ミリシーベルトにセットした。

写真を3枚撮り、エンジンをかけっぱなしで待っていた車に飛び込むと、猛スピードで戻った。

転換試験棟のすぐ外に1分いただけで、1人は中性子線を112ミリシーベルト被ばくした。

通常の生活で浴びる放射線量の約100年分だった。

「これでは被曝しに行くだけで、作業ができない」と戻ってきた1組目の作業員が言い張った。

「計画被ばく線量の限度をあげるしかない」。

3分は作業できるように、2組目からは「50ミリシーベルト」に計画変更した。

予定した8組では水ぬきはできず、2組増やした。

2度現場に行った人もいた。

パイプが曲がっていたりして思わぬ事態が続いた。

5組目が配管をハンマーで壊した。

配管に残る水をガスの勢いで抜くための作業を6、7、8組が担当し、9組目がガスのボンベをつないだ。

間もなく、ほぼすべての水が流れ出た。

1日午前6時14分、中性子線は通常値に戻った。

18人全員が被ばくした -----

(抜粋ここまで)

このように、現場での作業の9回目を終えた6:15、東海村村長が、臨界が鎮静化しつつあることを、会見で発表しました。

そして、10月1日午前7:30 東海村村内放送で、住民に対して「放射線が平常値に戻った」ことが伝えられたのでありました。

事故発生から、実に21時間。

この間、臨界の放射線は、JCOの決死の作業隊は勿論、JCOとは何の関係もない、地域住民を襲い続けたのでした。

-----

数日後。

これまでパートナーとして、一緒に仕事をしてきたK嬢が、この度、製品開発支援として、おおみか工場に派遣になることになりました。

今回の臨界事故以前に決まっていた派遣ですが、K嬢は、ユニットの予算担当の私と課長に対して、次のような内容のメールを送ってきました。

『この度、おおみか工場に派遣になることになり、これに伴い、携帯用放射能測定装置をユニット予算で購入したい。

その理由は以下の通り。

(1)先日の事件から明らかなように、政府発表は全然当てにならない。自分の安全は自分で守らなければならない。

(2)この時期に、わざわざ東海村周辺に望んでいきたい訳があろうはずがない。

(3)従って、会社が測定装置の購入を負担するのが筋であると考える。』

私は、彼女のこのメールを受け取って5秒以内に返事を書きだし、3分以内に返事を出し終えました。

『ユニット予算担当者として、正式に認可する。予算枠は無視してよい。もし、誰かが文句を言ってきたら、全力で論陣を張る。即日発注されたし』

私は、「こういうことろでこそ闘わにゃ、私の存在している意味がないだろう」とばかりに、大見得を切ったのでありました。

-----

後から後から、唖然と通り越して、愕然となる事実が判明してきました。

バケツでウラン溶液を運んでいたこと。

違法な放射性物質の取り扱いを、マニュアル化して、全社で推進していたこと。

そして何より、原子力の基本的な教育を行っていなかったこと。

従業員は、「臨界」の意味すらも知らされず、業務を遂行させられていたの
です。

被曝した作業員が意識不明の重体に陥ったというニュースを、心配そうに見ながら、『助かるといいね』とつぶやく嫁さんに、私は首を横に振ることしか出来ませんでした。

「奇跡が起こって欲しい」と繰り返す関係者やマスコミに対して、私は『すでに奇跡は起こっている』と、心の中でつぶやいていました。

1万1000ミリシーベルト。

今回の事故で、被害者がどれくらいの時間、この放射能の照射を浴びたのかは定かではありませんが、仮にこれを十分間と仮定して、私は電卓を叩いてみました。

びっくりしました。

一人の人間が一年に自然界から受ける放射能(年間5ミリシーベルト)と比較した結果、単位時間あたりの被曝量は、実に1億1563万2000倍。

(計算式)

11000[ミリシーベルト] / 10[min] = 578160000ミリシーベルト / 1 year

578160000 / 5 = 115632000

こんな信じられない量の放射能を、一気に照射されたのにも関わらず、まだ治療が続けられていること。

これを奇跡と呼ばず、何と呼びましょうか(*3)(*4)。

-----

青い火を見た -----

業務を担当していた作業員が語っていたという、このコメントを聞いたとき、私は、思わず目をつむって、天を仰ぎました。

臨界のウランが発する青い炎。

それは、人間が決して見ることの出来ない、そして、決して見てはならない「神の火」

この「神の火」を見てしまった人のこと、その苦しみと悲しみ、そして間違いなく近づいている運命の日のことを思い、張り裂けそうな胸の痛みで、しばらく何も喋れませんでした。

そして、私は、灯のついていない自分の部屋に入り、パソコンデスクの前に座りました。

真っ黒のディスプレイの画面を睨みつけながら、『決して、忘れてなるものか』『決して、忘れさせてなるものか』と呪詛の言葉を吐きながら、私はパソコンのスイッチを入れました。

(*3)事故発生後83日目、JC0社員の大内久さん(35)が、放射線被ばくによる多臓器不全で死亡

(*4)事故発生後211日目、JC0社員の篠原理人さん(40)が、同じく、放射線被ばくによる多臓器不全で死亡

2000年6月10日現在

(本文章は、全文を掲載し内容を一切変更せず著者を明記する限りにおいて、転載して頂いて構いません。)