そういう挑戦をしている人間を、私達、多くの凡人は『黙って看過する』ことすらできないのです ―― 自分に、1mmも不利益がないにもかかわらず。

(昨日の続きです)

(Continuation from yesterday)

研究者やエンジニアにとって、「できるかどうかが分からないもの」を作るのは、物凄いストレスがあります。

For researchers and engineers, it is extremely stressful to make “what you can make or not".

なにしろ「分からない」のですから。

Above all, “we can’t know to make".

しかし、「できることが分かっている」ものであれば、そのストレスは、1/100以下まで下がります。

However, if you “know what you can do", the stress will drop to less than 1/100.

なぜなら、「苦労の果てにゴールがあることが分かっている」からです。

Because “I know there is a goal at the end of my hard work."

私にしても、すでに開発されている技術の後追いをしたり、それを活用したりすることはできます。

Even I can follow the technology already developed and used it.

もちろん、そこに至る為には、何十回~何百回にも及びトライアンドエラーがあります。

Of course, there are tens to hundreds of trials and errors to get there.

しかし、それは、本人の努力と時間の問題でなんとかなる(ことが多い)ものです。

However, it is (often) manageable with the effort and time of the individual.

—–

加えて、「できるかどうかが分からないもの」は、間違いなく、世間から、過激でネガティブな批判に晒されます。

In addition, “what we don’t know if we can do it" is definitely exposed to radical and negative criticism from the public.

そして、多くの場合、この過激でネガティブな批判は、「できるかどうかが分からないもの」に挑戦する人間を潰します。

And in many cases, this radical and negative criticism kills people who try “what we don’t know if we can do it".

我が国の場合、どういう訳か、この「できるかどうかが分からないもの」に対して、「敬意」とか「支援」とかいう概念が出てきません。

In Japan, I don’t know the reason, however there is no concept of “respect" or “support" for this “what we don’t know if we can do it".

「潰す」の一択です。

It is a choice of “crush".

この「陰湿な均一性を尊ぶ我が国の国民性」が、私を含めた日本人の特性です。

This “national character of Japan that respects insidious uniformity" is a characteristic of Japanese people including myself.

そういう挑戦をしている人間を、私達、多くの凡人は『黙って看過する』ことすらできないのです ―― 自分に、1mmも不利益がないにもかかわらず。

Many ordinary people, like us, cannot even “silently overlook" those who are taking on such challenges — even though we do not have a disadvantage at all.

—–

天才とは何か ――

What is a genius?

これらの、過激でネガティブな批判に「耐えられる」では足りず、「耳を貸さない」「聞こえない」という、

It’s not enough to “bear" these radical, negative criticisms, but to “turn a deaf ear" and “not be heard

『そんじょそこらの「狂い方」では足りない、「人間的な感情を喪失するほどの狂い方」をすることができる者をいう』

“A person who is capable of going 'so mad that they lose their human emotions,’ not just some 'madness’ is not enough.

と、私には思えます。

I think so.

そして、そのような「人間的な感情を喪失するほどの狂い方」は、「幸せな人生」というフレームワークの枠外です。

And such 'so mad that they lose their human emotions’ is outside the framework of the “happy life" framework.

—–

ほとんどの人は、「天才」を見ることすらなく、自分の人生を終えます。

Most people end their lives without even seeing the “genius" in them.

私は、これまで、私の認定する「天才」を2人"も"見ました。

I have “seen" two “geniuses" in my lifetime.

これだけでも、私の人生は、かなりラッキーだったと思います。

I’ve been pretty lucky in my life for this reason.

2020/07,江端さんの忘備録

Posted by ebata