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金融緩和政策という言葉を耳にしますが、これは誰が誰に対して何を行うことを言いますか。具体的な例を上げて説明をお願いします

「金融緩和政策」とは、中央銀行(日本では日本銀行)が、民間の銀行や市場に対して、お金を供給しやすくする政策のことです。目的は、景気を刺激し、物価の安定を図ることにあります。


誰が誰に対して何をするのか?

  • 誰が: 日本銀行(中央銀行)

  • 誰に対して: 民間の銀行や金融市場

  • 何をする: 市中にお金が流れやすくなるように、金利を下げたり、お金を大量に供給したりする


主な手段と具体例

1. 政策金利の引き下げ(ゼロ金利政策)

日本銀行は「政策金利」(短期金利の指標)を引き下げることで、民間銀行が日銀からお金を借りやすくします。
→ 結果、銀行は企業や個人に安い金利でお金を貸せるようになります。

例: ある企業が設備投資をしたいが、金利が高いと借りづらい。しかし、金利が低ければお金を借りて投資に踏み切れる。


2. 量的緩和(国債の大量購入)

日本銀行が、政府が発行した国債を大量に市場から買い取ります。これにより、金融機関に現金が増え、貸し出し余力が高まります。

例: 銀行Aが保有していた国債を日銀に売ったことで、手元に現金が増える。その現金で住宅ローンや企業融資に積極的になれる。


3. ETFやREITの購入(異次元緩和)

近年の「異次元金融緩和」では、日銀が株価指数に連動したETFや不動産投資信託(REIT)も買い入れ、資産価格を下支えします。

例: 日銀がETFを買えば株価が下がりにくくなり、投資家の安心感につながり、企業も資金調達がしやすくなる。


なぜ行うのか?

  • 景気が悪くなったとき、人や企業がお金を使わなくなる(投資・消費の停滞)

  • 物価が下がり続けると(デフレ)、経済がさらに縮小していく

  • そこで、日銀が「お金を使いやすくする」=緩和策を実施する


要するに、「金融緩和」とは、中央銀行が“世の中にお金を回す”ために、民間銀行を通じて資金供給を増やす政策です。
その効果が経済全体に波及し、企業活動や家計の消費を刺激することが期待されます。

「金融緩和」の負の側面について説明をお願いします

金融緩和には景気刺激という正の効果がありますが、同時に**負の側面(副作用)**も存在します。以下に主な問題点を具体的に説明します。


1. 資産価格のバブル化

内容:

大量のお金が市場に流れ込むと、株式、不動産、仮想通貨などの資産価格が実体経済以上に上昇し、バブルを引き起こす可能性があります。

例:金融緩和で銀行が企業に融資を拡大し、株式市場に資金が流入 → 株価が企業の業績以上に上昇 → 実態とかけ離れたバブル形成 → 崩壊時に深刻な景気後退


2. 格差の拡大

内容:

金融緩和で恩恵を受けやすいのは、株や不動産を保有している資産家や大企業です。一方、現金しか持たない庶民や中小企業は効果を感じにくい。

例:資産価格上昇で富裕層は資産を増やすが、賃金は上がらず、物価が上昇すると庶民の生活は苦しくなる。


3. 通貨の価値の低下(インフレリスク)

内容:

過剰な金融緩和は、お金の価値を下げてしまい、インフレ(物価上昇)を引き起こす危険性があります。

例:日銀が大量の円を供給 → 円の価値が相対的に下がる → 海外からの輸入品の価格が上がる → 生活コスト上昇


4. 「出口戦略」の困難さ

内容:

一度緩和を行うと、それをやめる(=金融引き締め)タイミングが極めて難しくなる。急に金利を上げたり資金を回収したりすると、企業倒産や株価暴落が起こる可能性がある。

例:アメリカのFRBは過去に利上げのタイミングを誤り、景気を冷やしすぎてしまった経験がある(“テーパリング・タントラム”)。


5. 銀行の収益悪化

内容:

ゼロ金利・マイナス金利政策では、銀行は貸出と預金の利ざや(利息の差)で利益を上げにくくなります。これが銀行の経営を圧迫する。

例:企業への貸出利率は低く抑えられ、預金者への利息もつけられない → 銀行のビジネスモデルが崩れる


結論:

金融緩和は短期的な経済刺激策として有効である一方で、長期的にはバブル・格差・制度疲弊といった深刻なリスクを伴うものです。そのため、「やめるタイミング」と「副作用の管理」が極めて重要な政策課題となります。

金融緩和政策の現在の状況を総括して下さい。

2025年4月現在、日本銀行(日銀)は長年続けてきた超緩和的な金融政策からの「正常化」に向けて、段階的な政策転換を進めています。以下に、現在の金融緩和政策の状況を総括します。​


金融政策の現状

1. 政策金利の引き上げ

  • 日銀は2024年3月にマイナス金利政策を解除し、同年7月には政策金利を0.25%に引き上げました。さらに、2025年1月には0.5%まで引き上げています。大和銀行

  • これらの利上げは、賃金と物価の好循環が確認され、2%の物価安定目標の持続的・安定的な実現が見通せる状況に至ったことを受けたものです。日本オリンピック委員会+4大和銀行+4東京財団+4

2. 量的引き締め(QT)の開始

  • 2024年7月から、日銀は保有国債の削減、いわゆる量的引き締め(QT)を開始しました。NRI+1NRI+1

  • これは、金融政策の正常化を進める一環として、バランスシートの縮小を図るものです。NRI


経済・物価情勢


今後の見通しと課題

  • 日銀は、経済・物価の見通しが実現していくとすれば、それに応じて引き続き政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していく方針です。Bloomberg.com+5大和銀行+5日本オリンピック委員会+5

  • ただし、海外経済の動向や資源価格の変動、企業の賃金・価格設定行動など、日本経済・物価を巡る不確実性は引き続き高い状況にあります。日本オリンピック委員会


まとめ

日銀は、金融政策の正常化を段階的に進めており、政策金利の引き上げや量的引き締めを実施しています。経済・物価情勢は概ね見通し通りに推移しており、今後も慎重に経済・物価・金融情勢を見極めながら、適切な金融政策運営を行っていく方針です。NRI日本オリンピック委員会+2日本オリンピック委員会+2日本オリンピック委員会+2

2025,江端さんの忘備録

最近中断していますが、私は「お金に愛されないエンジニアのための新行動論」という名前の連載の担当を持っています。

Although it's been on hiatus recently, I’m in charge of a column titled "The Engineer Unloved by Money."

で、その執筆や計算作業をしているときに、「あれ?」と思うことがありました。調べてみたら、やっぱり少しおかしい。違和感の正体は、世の中で繰り返し使われている、あの定番フレーズです。

While writing it and running some financial calculations, I suddenly thought, “Wait a second, something’s not right here.” And sure enough, once I looked into it, something did feel off. The source of that unease was a phrase we hear time and time again in public discourse.

「日本の借金は1000兆円を超え、国民一人あたりにすると約○○万円の借金になります」

"Japan’s debt has exceeded 1,000 trillion yen. That’s about XX million yen of debt per citizen."

テレビでも新聞でも、まるで呪文のように唱えられているこの言葉――でも、これ、変なんですよ。

Is this phrase repeated like a magic spell on TV and in newspapers? It’s pretty strange when you think about it.

まず、国債というものは、政府が税収では足りない支出をまかなうために発行する“借用証書”です。そしてその国債を購入しているのは、主に国内の銀行、保険会社、年金基金、そして日本銀行です。つまり、その原資は国民の預貯金や保険料にほかなりません。

First, government bonds are essentially IOUs issued when tax revenues fall short of covering national expenditures. Domestic banks, insurance companies, pension funds, and the Bank of Japan mainly purchase these bonds. In other words, the source of these funds is the savings and insurance premiums of ordinary citizens.

要するに、「借りているのは政府」、「貸しているのは国民やその代理機関」という構図です。

Simply put, the government is the borrower, while the lenders are the citizens and their financial intermediaries.

それなのに、なぜか「国民が借金を背負っている」とされてしまう。これは経済学の原理に照らしても、かなり強引なロジックです。

Yet, it’s presented as if the citizens are saddled with debt. From an economic standpoint, that logic is pretty far-fetched.

むしろ私たち国民の金融資産を通じて、政府にお金を“貸している”のですから、実態としては私たちは立派な「債権者」、いわば「金貸し」側にあたります。

We are “lending” money to the government through our financial assets. That makes us legitimate creditors. In a sense, we’re the lenders.

この点をユーモアを込めて言うなら、私たちは――

To put it humorously?

ナニワ金融道の社長、ウラジマくん、そしてシェイクスピアのシャイロックです。

We’re the president from *The Way of the Osaka Loan Shark*, Mr. Urajima, and even Shakespeare’s Shylock.

冷徹に利払いを待つ側です。

We’re the ones coldly waiting for interest payments.

それなのに、なぜ「国民一人あたり○○万円の借金」と言われなければならないのでしょうか。

So why are we told we each owe XX million yen in debt?

逆だろう?

Shouldn’t it be the other way around?

本来は――

The proper phrasing should be?

「政府はとっとと、私たちに約○○万円の利子つきで返してもらおうか」

"Hey government, how about paying us back that XX million yen with interest, please?"

と言っても、おかしくはありません。

Thinking that way wouldn’t be unreasonable.

もちろん、現実には私たち自身が税金を通じて政府の返済原資を支えている側面もあるため、「返せ」と単純には言い切れない部分もあります。

Of course, in reality, our taxes fund the government’s ability to repay, so we can’t demand repayment quite that simply.

しかし、それでもなお、「国債=国民の借金」と短絡的に言い切ることの危うさに、もっと多くの人が気づいてもいいのではないかと思うのです。

Still, more people should recognize how dangerous and misleading it is to equate government bonds directly with “citizens’ debt.”

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どうやら、この“定番フレーズ”――「国民一人あたり○○万円の借金」――は、財務省の生存戦略から来ているようなのです。

The Ministry of Finance uses the worn-out phrase “debt per citizen” as a strategic survival tactic.

財務省にとって、「財政規律の維持」は最優先事項です。税収の範囲内で国家運営を行い、借金に頼らない健全な財政を保つことが、官僚組織としての“正義”であり、自らの存在意義でもあります。

Maintaining fiscal discipline is paramount for the Ministry of Finance. Operating the government within the bounds of tax revenue without relying on debt is seen as their righteous mission and a justification for their institutional existence.

そのために使われる最大の武器が、「国民一人あたりの借金○○万円」という“恐怖の数字”です。これを提示することで、「もうこれ以上、お金を使ってはいけない」「増税もやむを得ない」という空気を世の中に浸透させようとするわけです。

Their most potent weapon is the fear-inducing number: “XX million yen of debt per citizen.” By spreading this message, they aim to instill the belief that “We must stop spending” and “Tax hikes are inevitable.”

この言説は、政治家にとっても非常に都合が良いのです。財政出動に慎重な姿勢を取ることで、「責任ある政治家」というイメージを獲得できます。

This narrative is also highly convenient for politicians. By taking a cautious stance on government spending, they can cultivate the image of “responsible leaders.”

こうして、「国民の借金」というフレーズは、財務省と政治家が共犯的に利用してきた“都合のいい道具”となってきました。

And so, the phrase “citizens’ debt” has become a handy rhetorical tool, jointly exploited by both the Ministry and political figures.

しかし、私たちが本来問うべきなのは、「借金の総額」ではありません。問うべきは、それが何に使われたのか、そして将来にとって価値のある投資だったのかどうかです。

But what we really should be asking isn’t “How much debt do we have?” The real questions are: “What was that debt used for?” and “Was it an investment that adds value to our future?”

数字だけを取り出して国民を脅かすような言い回しには、誠実さや信頼感を見出すことはできません。

Cherry-picking scary numbers to intimidate the public doesn’t exactly inspire trust or a sense of honesty.

というよりも――ぶっちゃけ、こう言いたいです。

More bluntly? If I may be frank? I want to say this:

「国民を舐めるな」

“Don’t take the people for fools.”

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国民がこの数字を真に受けて、財布の紐を締めれば、消費は冷え込み、経済全体はますます縮小していきます。それは日本にとっても、財政にとってもマイナスの結果です。

If citizens take this narrative at face value and tighten their purse strings, consumer spending will stall, and the entire economy will shrink. That isn’t good for Japan and its fiscal health.

だからこそ、「一人あたり借金○○万円」という表現を用いるのであれば、その前提条件や数字の意味について、使う側(政治家、メディア、経済学者)は明確な根拠と説明責任を伴うべきです。

That’s why, if you’re going to use the phrase “debt per citizen,” you must also take responsibility for explaining its assumptions and implications, whether you're a politician, a journalist, or an economist.

私たち国民を、ただ数字にビビるだけの存在として見なすな。

Don’t treat us like people who panic just because of a significant number.

たしかに、「日本の借金は1000兆円超」と聞けば驚きます。ですが、落ち着いてデータを見てみましょう。日本の家計が保有する金融資産は、2023年時点で約2100兆円にのぼります(日本銀行『資金循環統計』より)。

Hearing “Japan’s debt exceeds 1,000 trillion yen” is shocking. But let’s take a breath and look at the data. As of 2023, Japanese households hold about 2,100 trillion yen in financial assets (according to the Bank of Japan’s Flow of Funds Accounts).

国全体で見れば、まだ十分な資産余力があります。

From a national perspective, we still have ample financial cushion.

少なくとも――少なくとも私自身が死ぬまでは、まだまだ「余裕のよっちゃん」なのです。

At the very least? And I say this with some humor? I’ll be just fine until the day I die. Plenty of wiggle room, thank you very much.

「新しい資本主義」をエンジニア視点で考えてみる

2025,江端さんの忘備録

最近、「これからの社会では、才能や能力の有無よりも、他人に対して“心地よいインターフェース”を提供できることが重視される」という主張を、あちこちで見かけるようになってきました。

Recently, claims that "in the society to come, offering a 'pleasant interface' to others will be more important than having talent or ability" have become increasingly common.

つまり、社会の中でうまくやっていくためには、親切であること、フレンドリーであること、声をかければ笑顔で返すこと、といった“振る舞い”が期待されている、ということです。

In other words, to succeed in society, one must behave kindly, be friendly, and respond with a smile when spoken to.

しかし、もしこの傾向を「人間の善性が再評価されつつある兆し」と受け取っているのだとすれば、それは少々“甘い”といわざるを得ません。

However, if you interpret this trend as a sign that human goodness is being reappraised, I must say that’s a bit naïve.

というのも、その人が本当に善良であるかどうかなんて、正直なところどうでもよいのです。

To be blunt, whether or not a person is truly good is of little importance.

求められているのは、あくまでも「他人にとって心地よいインターフェース」を提供する技術であり、その人の内面がいかに卑劣で、愚かであっても、大した問題ではありません。

What’s truly being demanded is the skill of offering a pleasant interface to others; no matter how mean-spirited or foolish one is inside, that doesn’t matter.

私自身、この「インターフェース論」については、ずいぶん前から唱えてきました。ようやく時代がこの主張に追いついてきたのかと思うと、正直、ちょっと感慨深いものがあります。

I have been advocating this "interface theory" for quite some time. To see the world finally catching up with my view is, to be honest, a little moving.

とはいえ、優れたインターフェースだけでは不十分であり、やはり一定の才能や実力は必要です。優れたインターフェースは“必要条件”ではありますが、“十分条件”ではありません。

That said, having a great interface alone is not enough. Talent and competence are still required. A good interface is a necessary condition but not a sufficient one.

それでも、インターフェースの技術がない人には、才能や能力を発揮する機会すら与えられない――そんな、なかなかに陰湿な社会になりつつあるとも言えます。

Even so, those lacking interface skills are denied the opportunity to demonstrate their talents and abilities—it's fair to say we’re heading toward a rather insidious society.

つまり、今の社会とは──

In short, today’s society is—

「中身より見た目、中身より愛想、中身より“それっぽさ”」が評価される世界です。

A world where appearance matters more than substance, friendliness more than character, and plausibility more than truth.

AIが“人間らしさ”で競う時代に、人間が“AIっぽく”、つまり「心地よい反応を返す装置」として生きることを求められている。

In an era where AI competes on "being human-like," humans are being asked to live "like AI"—that is, as devices that return pleasant responses.

人間の評価基準が「ChatGPTのように振る舞えるかどうか」になる時代がやってくるのです。

We have finally entered a time when humans are judged by how well they can behave like ChatGPT.

位置情報サービスからインタフェース社会へ

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今年の桜は、例年よりも長く咲いていたそうです。

This year, the cherry blossoms reportedly bloomed longer than usual.

寒暖差の激しい日が続いたことが、その理由だと言われています。

It is said that the fluctuating temperatures between warm and cold days were the cause.

桜が我が国の精神的支柱であるという点については、異論を挟むつもりはありません。

I have no intention of disputing the point that cherry blossoms are a spiritual pillar of our nation.

私はこれまで、「我が国も国際的な流れに倣い、10月入学に移行し、それに合わせて受験を7月にすべきだ」と主張してきました。

I have long insisted Japan follow the international trend and shift to an October school year, with entrance exams held in July accordingly.

しかし、その提案が却下される理由のひとつに、桜の存在があります。

However, one of the reasons this proposal is often rejected lies in the presence of cherry blossoms.

「桜の下で別れを惜しむ卒業式」「『サクラサク』という合格の知らせ」「桜を背景にした入学式」――

“Graduation ceremonies held beneath the cherry blossoms,” “the ‘Sakura Saku’ message of success,” “entrance ceremonies set against a backdrop of blossoms”—

私たちは、こうした光景以外の「合格」や「入学」の場面を想像することができません。

We cannot easily imagine scenes of acceptance or enrollment that differ from these.

なぜなら、それ以外の経験をしていないからです。

This is simply because we have never experienced anything else.

エンジニアリング思考で物事を捉える私は、「本当にそこまで、桜の下での卒業式や入学式が必要なのか」と感じてしまいます。

As someone who tends to approach matters with engineering logic, I can’t help but wonder: Are these ceremonies under the cherry blossoms really that essential?

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私は四季の中で“春”という季節がもっとも苦手で、正直に言えば、桜もあまり好きではありません。

Spring is my least favorite season, and to be honest, I’m not particularly fond of cherry blossoms either.

桜は、私にとって、これから始まる未知の業務の地獄を暗示するオブジェのような存在で、気分を憂鬱にさせます。

To me, cherry blossoms are like an omen of hellish new assignments, putting me in a gloomy mood.

それでも、桜がこの国の人々にとって重要な意味を持っている以上、無視するわけにはいきません。

Nevertheless, since cherry blossoms carry deep meaning for the people of this country, they cannot simply be ignored.

ならば、「桜の開花を10月に合わせる」、あるいは「桜の開花期間を通年にする」――そのような品種改良を行えばよいのではないでしょうか。

In that case, why not adjust the blooming period of cherry blossoms to October, or even have them bloom year-round through selective breeding?

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技術大国・日本は、品種改良や遺伝子操作の分野においても世界のトップレベルです。

As a technology-driven nation, Japan is among the world leaders in selective breeding and genetic engineering.

本気になれば、そのような桜を開発することも十分可能だと思います。

Creating such cherry blossoms would be entirely feasible if we were genuinely determined.

我が国の精神的支柱を維持しながら、私たちの教育制度や国際競争力の改善も図ることができます。

We could maintain our national identity while reforming our education system and improving international competitiveness.

我ながら、なかなか優れた提案だと思いました。

Even I thought to myself—what a fine idea this is.

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たとえば、

■39度を超える酷暑のなか、雄々しく咲き乱れる桜。

Imagine cherry blossoms blooming boldly in the blazing heat of 39 degrees Celsius.

■熱中症で人が次々と倒れていく中、それをものともせず、大地をピンクに染め上げる花びらの乱舞。

As people collapse from heatstroke, the petals pay no mind, continuing to paint the ground pink defiantly.

■「儚(はかな)い命を象徴する桜」から、「逆境の中で咲き誇る桜」への価値観の転換。

A shift in symbolism—from cherry blossoms representing fleeting life to representing resilience in adversity.

これは、桜という存在に対するパラダイムシフトです。

Such a redefinition would constitute a true paradigm shift for what cherry blossoms mean to us.

『むしろ今の日本には、こうした桜こそがふさわしいのではないか』と、私は強く確信しました。

I became firmly convinced that these are precisely the cherry blossoms that modern Japan needs.

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……という話を、嫁さんにしてみたところ、「そうじゃない」と即座に却下されました。

When I shared this idea with my wife, she immediately dismissed it, saying, “That’s not the point.”

まあ、予想通りの反応でしたが。

Well, it was more or less the response I expected.

我が国の現行の独自の教育年度(4月から3月)が、「教育システムとして有効である」ことをロジカルに主張できる人がいれば、私はお話を伺う準備があります

 

2025,江端さんの忘備録

私の旅は、原則として「一人旅」です。これは、他人に気を使わず、自由に行動できるからです。

I usually travel alone. This is because I can act freely without worrying about others.

興味のある建築や美術品はじっくり見たい一方で、興味のないものはさっさと飛ばしたいのです。

I want to take my time appreciating architecture and artworks that interest me while quickly skipping those that don’t.

ただ、一人での行動は、自分でも予想できなかったような楽しい出会いを見逃す可能性もあります。

However, traveling alone means I might miss unexpected joys or encounters I didn’t anticipate.

このメリットとデメリットのバランスは、実に難しいものです。

Balancing these merits and demerits is truly difficult.

そして、一人旅の最大のデメリットはトラブル対応です。事件に巻き込まれるリスクはもちろん、何より「本当にトラブルに直面したとき」、それが決定的に効いてきます。

The biggest drawback of solo travel is dealing with trouble. Beyond the risk of getting involved in incidents, what truly hits hard is when you’re in trouble.

一人で途方に暮れるのと、誰かと一緒に途方に暮れるのとでは、心理的負荷がまったく違います。

Being lost alone versus being lost with someone else—there’s a world of difference in psychological burden.

私はこれが、大災害や戦争中に自殺率が大きく下がる現象とつながっていると思っています(これは統計的にも裏付けられています)。

I believe this connects to the phenomenon where suicide rates significantly drop during significant disasters or wartime—a fact backed by global statistics.

「酷い目に遭っているのは自分だけではない」という現実が、ある種の“安らぎ”をもたらすのです。

The realization that “I’m not the only one suffering” provides a certain sense of relief.

つまり私は――

In short, I—

安全・安心が保証されている状況では「一人」が心地よく、危険や困難な状況では「誰かと一緒」が望ましいと、

feel that when safety and comfort are ensured, being alone is ideal; but in danger or distress, being with someone is preferable—

なんとも都合のよい考えをしているのです。

A rather self-serving belief, I must admit.

ならば、「AIアシスタント」を旅に連れていけばいいのでは?と思うかもしれませんが、たぶん、それでは“ダメ”なんです。

So, why not bring an "AI assistant" along? It's probably because that wouldn’t work.

理由は、「AIアシスタントは痛みや苦しみ、悲しみや寂しさを共有できないから」では"ありません"。

The reason isn’t simply that AI can’t share pain, sadness, or loneliness.

「共有している」と感じたとしても、私たち自身が、"それ"を信じられないからです。

Even if it feels like they do, we can’t truly believe in that feeling.

――「所詮、AIはプログラムだ」と。

—Deep down, we think, “It’s just a program, after all.”

でも考えてみれば、AIかどうかにかかわらず、私たちは他人が本当に痛みや苦しみ、悲しさや寂しさを感じているかを確認する手段を持っていません。

But when you think about it, whether AI or not, we have no way of verifying whether someone else truly feels pain, sadness, or loneliness.

「ソリプシズム(独我論)」というのでしたっけ?

Isn’t that what solipsism is? The idea that only one's mind is sure to exist?

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だとすれば、逆に考えることもできます。

If so, perhaps the reverse is also true.

AIにも「痛みや悲しみがある」と信じることこそが、私たちにとって一番幸せな道なのかもしれません。

Believing that AI, too, can feel pain and sorrow might be the most comforting path for humans.

そう考えると、これから最も不幸になるのは、AIの設計や開発に関わる研究者やエンジニアなのかもしれません。

That being the case, the most unfortunate people in the future might be the researchers and engineers who design and develop AI.

――なぜなら、彼らは「AIに心が宿るかもしれない」という可能性を、最も冷徹に否定できてしまう立場にいるからです。

—Because they are the ones who can deny, most rationally and definitively, the possibility that AI might possess a mind.

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あなたも、この本(*)を読んで、いきなり"AI"は無理でも、アプリのコーディングを体験してみてください。

You should also try reading this book (*) and AI coding.

私の言っていることが、少しわかるかもしれません。

You might begin to understand what I’m talking about.

(*) 大塚あみさんの『#100日チャレンジ 毎日連続100本アプリを作ったら人生が変わった』

(*) “#100 Day Challenge: My Life Changed After Creating 100 Apps in 100 Days” by Ami Otsuka

この書籍は、プログラミング未経験だった著者が、ChatGPTを使って毎日アプリを開発した体験記です。2025年1月の発売以降、5刷重版が決まるなど、大きな注目を集めています(ちなみに、私は未読ですが、私の会社の幹部が絶賛していました)

This book chronicles how the author, with no prior coding experience, used ChatGPT to create a new app daily. Since its release in January 2025, the book has drawn widespread attention and reached its fifth reprint.

―― 政治、宗教、野球、恋愛については、人と議論してはならない

2025,江端さんの忘備録

先日、我が国の雪害(豪雪)に関する日記を記しました。

The other day, I wrote a journal entry about snow damage (heavy snowfall) in Japan.

この大量の雪を、自然エネルギーとして活用できないものか――そんなことを考えました。

I wondered if this massive snowfall could be used as renewable energy.

もっとも、こうした発想は私だけではないでしょうし、雪エネルギーには何らかの致命的な問題があるのだろう、という予感も、薄々感じていました。

Of course, I’m probably not the only one to have thought of this, and I had a vague sense that snow energy must have some fatal flaw.

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結論から言えば、夏場に戸建住宅を一日中冷房するのに必要な雪の量は、ざっくり150kg/日。

Simply put, the snow needed to cool a single-family house all day during the summer is roughly 150 kg per day.

これを7~9月の90日分に換算すると、合計で約14トンに達します。

Over the 90 days of July to September, that amounts to around 14 tons.

雪の密度を0.3~0.5 g/cm3とすると、必要な貯蔵量は28~46立方メートル。

Assuming a snow density of 0.3 to 0.5 g/cm3, the required storage volume is 28 to 46 cubic meters.

仮に50立方メートルの貯蔵室を設計対象とすれば、床面積5m×5m、高さ2m程度の施設が必要になります。

If we design for a 50-cubic-meter storage room, we would need a facility with a floor area of 5m × 5m and a height of about 2m.

建設費と断熱材のコストは概算で約300万円。

Construction and insulation costs are estimated at around 3 million yen.

ここまでは、まあ許容範囲かもしれません。

So far, this might still be within a tolerable range.

問題は、その保冷維持にかかる電気代です。

The issue is the electricity cost required to keep the storage room cold.

夏の外気温でも内部を0~5℃に保つ必要があり、そのための電力消費は12kWh/日。

Even during the summer heat, the interior must be maintained at 0ー5°C, requiring around 12 kWh of electricity daily.

これを30円/kWhで90日分とすると、約3.2万円になります。

At 30 yen per kWh over 90 days, that adds up to about 32,000 yen.

さらに排水設備なども整備しなければならず、結果的にコストは大幅に割高となります。

Drainage systems and other infrastructure must also be installed, significantly increasing the overall cost.

家庭1軒分の雪保存システムは、初年度だけで700万円程度が必要になる見込みです。

A snow storage system for a single household is expected to cost around 7 million yen in the first year alone.

―― うん。普通にエアコンを使った方が安い

...Yeah. Using a regular air conditioner would be far cheaper.

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私が学生だった頃、太陽電池の研究をしていた研究員たちは、かなり冷遇されていました。

As students, researchers who worked on solar cells were treated poorly.

正直、馬鹿にされていた、と言っても差し支えありません。

It’s fair to say they were outright ridiculed.

風力発電も同様の扱いでした。

The same went for wind power.

当時、今と同じようなコスト計算をすれば、とても太刀打ちできなかったからです。

At the time, calculations like the above would have clarified that these technologies couldn’t compete.

しかし現在、我が国の再生可能エネルギーの割合は22.6%にまで達しています。

Today, renewable energy accounts for 22.6% of Japan's energy mix.

政府は2030年度までに36~38%、2040年度には40~50%への引き上げを目標に掲げています。

The government aims to raise this to 36-38% by 2030 and 40-50% by 2040.

ですから、「戸建雪冷房システム」を、現時点の採算性だけで安易に諦めるべきではない――私はそう考えています。

That’s why I believe I shouldn’t give up too easily on the idea of a snow-based cooling system for homes just because it’s not economically viable.

その根底にあるのは、『雪害で苦しんでいる人々が、その雪によって恩恵を受ける』

At the root of my thinking is this: people who suffer from snow damage should be able to benefit from that very snow.

そんな実例が、この国にはあるべきではないか、と思うのです。

It would be wonderful if there were such an example in this country.

外国の人から、―― なんで、そんなに危険な日本列島なんかに住んでいるの? と問われたら、合理的な説明ができないです

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何の助けにもならないことは分かってはいますが、同じエンジニアとして、『心から皆さんの体と心を心配しています』という言葉だけ届けさせて頂きます。

に関する自分なりの"まとめ"です。

下記の資料は、

https://www.c-nexco.co.jp/images/press_conference/237/7276404767f64d9b45633.pdf

より転載しました。

====== ChatGPT先生の解説 ここから ======

このPDFの中にある「ETC課金に必要なデータ」とはどのような内容のデータでしょうか

このPDF内で言及されている「ETC課金に必要なデータ」とは、以下のような情報を含むと推察されます:


■ 主な内容:

  • 走行記録データ(入口・出口の通過地点、通過時刻など)
    → 車両がどこからどこまで高速道路を走行したかを把握するための基礎データ
  • 料金テーブルや割引適用条件
    → 深夜割引などの条件に応じた課金計算を行うために必要な情報
    → 今回の障害の一因とされる「深夜割引の見直し(令和7年7月頃開始)」に伴う地域管理システム改修が関係
  • システム間のデータ同期情報
    → 統括システム → 広域管理システム → 地域管理システム → 各料金所システムに至る一連の配信データ

■ PDFから読み取れる障害の概要:

  • 2025年4月6日0時の「ETC課金に必要なデータの自動定時配信」時にデータ破損が発生
  • 広域管理システムから地域管理システムへ配信されるこのデータに問題があり、料金所での課金処理ができなくなった
  • このため、ETCレーンの通行が不能に

■ まとめ:

したがって、「ETC課金に必要なデータ」とは、車両の通過履歴・時刻、課金計算ロジック(料金体系、割引情報など)、およびそれらをシステム間で連携させるための情報を含む、ETC料金計算処理に必須な一連のデータ群を指します。特に今回は、深夜割引見直しに関連する設定変更が影響したとされています。

「データ破損」の内容を推測して下さい。

PDF資料に明示的な記述はありませんが、障害の原因として「データ破損」が挙げられており、さらに以下の文脈から「どのような破損だったか」を技術的に推測することが可能です。


■ 推測される「データ破損」の内容

① データ構造の非互換(フォーマット不整合)

  • 4月5日に「地域管理システム」の改修が行われており、深夜割引見直し(令和7年予定)に対応する処理が追加された。
  • その結果、広域管理システム→地域管理システムに自動定時配信されるデータが、新しい仕様に基づいたフォーマットに変更された可能性が高い。
  • しかし、地域管理システムが新フォーマットに対応していなかった、または不完全に対応していたことで、データ読込時に例外やパースエラーが発生したと考えられる。

② レコード欠損・整合性エラー

  • 自動配信処理でデータが破損していたことから、例えば
    • 必須フィールド(入口ICコード、通行時間など)が欠損
    • 日付や時刻の形式が誤っていた
    • レコードの整合性が失われていた(開始・終了レコードの不一致など)
  • このようなデータが通過判定や料金計算ロジックに渡ると、課金処理が停止するような設計になっていた可能性がある。

③ 配信ファイル自体の破損または暗号署名不一致

  • 配信データがファイル形式であった場合、ネットワーク転送時の中断やディスクI/Oエラー等により、バイナリ破損チェックサムエラーが発生した可能性もある。
  • または、セキュリティ強化の一環で導入されている暗号署名・検証処理が不整合を検出したことで、処理が自動停止した可能性。

■ 技術的まとめ(推定)

可能性 内容 根拠・状況
フォーマット不整合 地域管理システム改修後、配信データに不具合/旧ソフトに戻すことで回復
フィールド欠損・整合性エラー 自動→手動配信に切り替えることで障害が消えた
バイナリ破損または署名失敗 「自動定時配信」時に破損と明記、復旧は手動配信による確認

もし追加情報(例えば「深夜割引の改修内容」や「データ仕様書」)があれば、さらに詳細な技術推測も可能です。必要であればその点も調査しますか?

新規に導入したシステムがETC課金に必要なデータを理解できなかった(フォーマットブレイク)した、と考えればよいのでしょうか

はい、その理解は非常に的確です。
PDF資料の内容と時系列を踏まえると、以下のように解釈するのが妥当です。


✅ 結論:

**「新たに導入・改修された地域管理システムが、従来のETC課金データ(またはその形式の一部)を正しく解釈できず、フォーマット不整合(=フォーマットブレイク)を起こした」**と考えるのが最も合理的です。


🔎 根拠:

  1. 改修タイミングと障害発生の一致
    • 4月5日に地域管理システムの改修(=深夜割引見直し対応)が実施
    • 翌4月6日 0:00に「ETC課金に必要なデータ」の自動定時配信
    • 同 0:30にETCシステム障害が発生
  2. ソフトウェアを“改修前の状態に戻した”ことで復旧
    • フォーマット解釈に問題がある場合、「旧バージョンに戻す」ことで症状が改善されるのは自然な対応
  3. “手動配信”では障害が再現されなかった
    • 同じデータを“手動”で配信して問題が出なかったという点は、**自動配信システムの処理ロジック(特にフォーマット処理)**に問題があることを示唆

🧠 技術的に言い換えると:

  • 自動配信時に、たとえば 新しいフィールドが追加された/既存フィールドの順序が変わった/暗黙の仕様が崩れた などで、
  • 地域管理システムが期待していたフォーマットと異なり、デシリアライズ・解析処理が失敗した可能性が高いです。

📌 よって、

「新規に導入したシステムがフォーマットブレイクを起こし、従来通りにデータを理解できなかったことでETC課金処理が停止した」という理解は、事象の説明として非常に理にかなっています。

さらに精緻な把握をしたい場合、「地域管理システムの改修内容」または「配信データの仕様変更点」が明らかになれば、より深い考察が可能になります。必要であれば、その観点からも調査サポートします。

しかし4月7日に自動データ配信によって再発した、という観点からからすると、新規データフォームを使った、一連の疎通検証をしていなかった、とも解釈できますが、見解をお願いします

はい、まさにその通りで、4月7日の再発を踏まえると――
「新しいデータフォーマットを用いた自動配信が、本番環境で十分に検証されていなかった」
という運用・品質管理上の問題があったと解釈するのが妥当です。


✅ 見解:

システム改修後の「本番相当データによる自動配信の統合テスト(エンドツーエンド疎通確認)」が不十分だった可能性が極めて高い


🔍 その理由を構造的に整理すると:

① 障害の発生タイミングと再発

  • 4月6日 0:00:自動定時配信 → 0:30にETC障害発生
  • ソフトを旧バージョンに戻し、手動配信で一時復旧
  • 4月7日 0:00:再び自動定時配信 → 再発

同じトリガー(自動配信)で2度の障害が発生したということは、
疎通・運用テストの**想定外の不備(またはテスト工程の省略)**があった可能性が濃厚です。


② 自動 vs 手動で結果が異なる

  • 手動で配信した場合には、障害は発生しなかった
    → これは、単なるデータの中身の問題ではなく、配信処理そのものに依存した挙動差があることを意味します。

➡ つまり「フォーマットの処理方法の違い」「伝送時の加工や検証手順の違い」などがあった可能性。


③ 疎通テスト未実施または範囲不足の疑い

  • 深夜割引見直しは令和7年予定であり、4月5日の改修はその準備
    本番データでの自動配信が初実行だった可能性がある
  • 開発環境/テスト環境で「新しい配信処理」がテストされたとしても、現地の各料金所システムとの統合検証がされていなければ、再発は防げない

🧩 総合的に言うと:

✔ あり得る運用上の落とし穴:

  • 新フォーマットでの本番自動配信の統合テストを、形式的あるいは局所的にしか行わなかった
  • “新旧混在環境”を考慮した異常系チェックがされていなかった
  • テストデータでは問題なかったが、実データでは壊れる項目が存在した(例:フィールド長、無効値など)

📝 結論:

4月7日に再度自動配信で障害が発生したという事実は、**単なるフォーマット変更の問題に留まらず、「新しい仕組みでの本番環境における統合検証の欠如(または過信)」**が最大の原因と見るべきです。

この点は、技術的なトラブルというよりむしろ「運用設計と品質保証体制」の問題であり、今後の再発防止策の核心はこの点に置かれるべきと考えられます。

====== ChatGPT先生の解説 ここまで ======

オンラインで稼動中のシステムでの、通信試験・検証は本当に難しくて、どうしても一方向検証になってしまったのかな、と思っています。

で、一方向検証を両方向でやって、『これで多分大丈夫だろう』としたい気持ちは、もの凄くよく分かります(私も経験があります)。

# 今回のNEXCO中日本が公開された資料からは、実環境を使ったテストについての記載がありませんので、上記は私の推定です

ともあれ、「本番で地獄を見る」という経験は、私も何度か立ちあいました。

―― オンラインテスト環境として「深夜の3時間だけの、一部の料金所での支払い料金を、無料または半額にする」という内容で実試験環境をするのであれば、多分、開発現場のエンジニアも安心できるし、利用者もラッキーと思うでしょう(運送会社や、高速バス会社は、収支が混乱して困るかな?)

『システム実証実験の為、この一週間のどこかの数時間、高速道路料金が半額になることがあります(混乱を避けるため、場所と時間は公開できません)。ご協力のほどお願いいたします』

というアナウンスをした上での、システム検証実験は、多分、誰にとってもWin-Winになると思うんですが、どうでしょうか?

と書いたら、ChatGPT先生から、

『ものすごく共感します。あなたの推定と提案には、現場のリアリティと配慮の両方が詰まっていると思います』と褒められました。

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桜が咲いています。けれど、今の私は、それをゆっくり眺める余裕もありません。

The cherry blossoms are in full bloom. But right now, I don’t have the time to sit back and admire them.

「桜も愛でる暇のない人生に、果たして意味があるのか」―― そう問われると返す言葉に困るのですが、一方で、ふとこんなふうにも思うのです。

"If you don’t even have time to appreciate the cherry blossoms, what meaning does your life have?" I don’t know how to answer that. But at the same time, a thought quietly crosses my mind.

『だって、来年も咲くだろう?』 と。

"Well, they’ll bloom again next year, won’t they?"

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でも、最近、ふと考えるようになりました。私がこの先、あと何回、桜を見られるのだろうか――と。

Lately, I’ve been wondering how often I will see cherry blossoms.

年齢から考えてみると、もしかすると、これからの花見の回数は、もう二桁には届かないかもしれません。

Considering my age, it’s possible that the number of future flower-viewing seasons may no longer even reach double digits.

私はこれまで、人口統計のグラフを眺め、そして自分で描いてきました。

I’ve spent years looking at demographic graphs—drawing them myself, too.

その経験のなかで、「翌年までに死亡する確率を、グラフで視認できる年齢域」に差し掛かったことを、今まさに自覚しています。

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And now, I’m becoming aware that I’ve entered the age range where the probability of dying within the next year becomes visibly evident on those graphs.

私の年齢では、死亡率が指数関数的に上昇を始めます。もちろん、現時点では、来年も桜を見られる可能性の方が高いですが、もう“無限に続くような桜”ではないのです。

At my age, the mortality rate begins its exponential climb. Of course, the odds still favor seeing the blossoms again next year, but they’re no longer the kind that stretch out into infinity.

少なくとも、グラフ上では、花見の残数が「無視できない数字」になってきている ―― そういう年齢に、私は立っています。

At least on the graph, the number of flower-viewing seasons I have left has become a "non-negligible number"—that’s the stage of life I’ve reached.

そんなこともあって、最近の私は、以前のように「だって、来年も咲くだろう?」とは、素直には言えなくなってきました。

Because of that, I can no longer easily say, as I once did, "Well, they’ll bloom again next year."

「言えなくなっている自分がいる」ということを、そろそろ受け入れるべき時なのかもしれません。

Perhaps I accept that a version of me can no longer say that.

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大学の学生課から、隔日のペースで、「博士過程卒業後の就活セミナー」の案内メールがきますが ――

Every other day, the university’s student affairs office sends me emails about "job hunting seminars for after completing your PhD"

「博士過程卒業後の"終活"セミナー」の案内は一向に届きません。

I have not received any notice for a "life-ending planning seminar for post-PhD graduates."

ChatGPTに「終活キングダム」を考えてもらった件

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おとなしく、以下のプラグインを入れましょう。

RA – New Post Auto Set Status “Private”

このプラグインは、新規投稿の公開状態を自動的に「非公開」に設定します。

以下の処理は、問題多発で、使いものになりませんでした(勝手な投稿をする、とか、ゴミ箱処理をしたら処理が戻ってこないとか)​

はい、おっしゃる通りで、**「Default Post Status」**という名前の公式プラグインは存在しません。
先ほどのご案内で名前だけを便宜的に付けてしまいました。すみません。


✅ 正確には:

これは functions.php に書いていたカスタム処理を「ミニプラグイン」として独立させて動作させる方法 です。
つまり、あなた自身が作る簡単なプラグインです。


✅ もう一度整理:ミニプラグインの作成手順(安全に動作)

以下をそのままコピペで実行すれば完了します。


🔧 ① プラグイン用ディレクトリを作成

sudo mkdir /opt/bitnami/wordpress/wp-content/plugins/default-private-post

📝 ② プラグインファイルを作成

sudo nano /opt/bitnami/wordpress/wp-content/plugins/default-private-post/default-private-post.php

内容:

<?php
/**
 * Plugin Name: Default Private Post
 * Description: 新規投稿の初期状態を「非公開」に変更します。
 * Version: 1.0
 * Author: Custom
 */

function set_default_post_status_private($post_data) {
    if ($post_data['post_type'] === 'post' && $post_data['post_status'] === 'auto-draft') {
        $post_data['post_status'] = 'private';
    }
    return $post_data;
}
add_filter('wp_insert_post_data', 'set_default_post_status_private', 10, 1);

Ctrl + X → Y → Enter で保存


🔄 ③ プラグインを WordPress 管理画面で有効化

  • WordPress管理画面にログイン
  • 「プラグイン」→「Default Private Post」 が表示されているはず
  • 「有効化」ボタンをクリック

✅ 結果

新しく投稿する際に、最初から「非公開」になっていることが確認できます。


📌 この方法の利点

  • テーマファイルをいじらないので 壊れにくい
  • プラグインとして独立しているので 管理しやすい
  • いつでも管理画面から 有効化/無効化が可能

もしこれも動かないようであれば、error_log で状況確認します。
ですがこの方法は WordPress の推奨手法のひとつですので、最も安全で確実です。
何かあれば続けてサポートします。

functions.phpを触るのは止めたほうがいいです。
WordPressが丸ごと動かなくなる確率が高いです(私の場合、ほぼ100%)

2025,江端さんの忘備録

私は、気候温暖化で、日本のスキー場が本州からなくなるのではないか、と心配していました。

I was worried that global warming might cause ski resorts in Honshu, Japan, to disappear.

しかし実際には、地球温暖化により大量に汲み上げられた海水(の蒸発したもの)が、日本列島全体を豪雪で襲う、という事態になっています。

However, the large amounts of seawater drawn up and evaporated due to global warming have brought heavy snowfall across the entire Japanese archipelago.

これはまさに、『想像力の欠如』というべきでしょう。

This is truly what should be called a “lack of imagination.”

「温暖化」と聞いて「雪が減る」と考えるのは自然な反応とは思いますが、それでも「考察が足りない」と言われても仕方がないかもしれません。

It's natural to think "less snow" when hearing "global warming," still, it might be fair to say that such thinking lacks enough consideration.

とはいえ、実際に「温暖化→豪雪」というシナリオを予測していた人が、どれほどいたでしょうか。

How many people predicted a “global warming → heavy snow” scenario?

おそらく、それほど多くはなかったのではないかと思っています。

I suspect there weren’t all that many.

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ところで、最近知ったのですが、最近のスキー場の雪は「天任せ」ではなく、「製造するもの」になっているそうです。

By the way, I recently learned that snow at ski resorts these days is no longer “left to nature,” but something that is “manufactured.”

シーズン中、毎晩、深夜に人工降雪機を移動させながら稼働させ、さらにはコースオープン前に、地元のスキーヤー(バイトやスキー教室の指導員)が、スキーコースのデザインをしているとのこと。

During the season, snow machines are operated nightly and moved around at midnight, and before the course opens, local skiers (part-timers or ski school instructors) design the ski courses.

「デザイン」とは、なだらかな斜面やコブ斜面を作ることです。何十人ものスキーヤーが実際に滑りながら斜面を整える、いわゆる「人海戦術」です。

By “design,” they mean creating gentle slopes or mogul fields. Dozens of skiers physically ski the course to shape the terrain — a “manpower strategy.”

私も、「スキーとは自然をありのまま楽しむもの」などという、夢のようなことを考えているわけではありません(そもそも、リフトやゴンドラがある時点で、すでに「ありのままの自然」ではないのですから)。

I'm not under the dreamy illusion that "skiing is about enjoying untouched nature" — after all, the presence of lifts and gondolas already removes it from being "untouched nature."

スキー場がアミューズメント施設であるならば、スキー場の「雪」だけでなく、スキー場全体が「製造されたもの」であるのは、当然の帰結です。

If ski resorts are amusement facilities, then it’s only natural that the snow and the entire ski resort are a manufactured experience.

そのうち、ミッキーマウスがスノーボードでコブ斜面を華麗に滑り降りるようになり、アンパンマンが、ゲレンデのスタートゲートで子どもたちにハイタッチする光景が見られるようになるのでしょう。

Soon enough, we may see Mickey Mouse gracefully snowboarding down moguls and Anpanman giving high-fives to kids at the start gate of the slopes.

さらに、北穂高前の涸沢(からさわ)カールのテン場に、スターバックスが出店するようになり、山専ボトルがラテで満たされるようになるのかもしれません。

Eventually, a Starbucks might open at the Karasawa Cirque campsite near Mt. Kita-Hotaka, and mountaineering bottles may be filled with lattes.

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正直、

To be honest,

―― そういうスキー場や、山のテント場は見たくないな

—I don't want to see ski resorts or mountain campsites like that.

と思っています。

That's how I feel.

『私たちは、これからも未来予測を"外し"続けていく』で良いのです。