2025,江端さんの忘備録

「薬屋のひとりごと」は、現在、小説・コミック・アニメのいずれの媒体でも高い人気を誇る作品です。

"The Apothecary Diaries" is a highly popular work across novels, comics, and anime.

私は、「これは人気が出る前から知っていたぞ」といった気持ちを抱くこと自体、おそらく“売れないアイドルを応援していたオタク”の心理に通じるものであり――そして、そうした態度は大変みっともないものだと考えているので、あえて口には出しません(書いていますが)。

I believe that feeling like “I knew this before it got popular” is probably the same mindset as that of fans who supported an unknown idol. Since I find that kind of attitude quite uncool, I refrain from saying it out loud (though I am writing it here).

「薬屋のひとりごと」

それはさておき。

That aside.

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「日本薬剤師会 × TVアニメ『薬屋のひとりごと』コラボ!」というニュースを目にしました。

I saw a news headline: “Japan Pharmaceutical Association × TV Anime 'The Apothecary Diaries' Collaboration!”

うん、そのコラボは、どう考えても「これ以上ないほど理にかなっている」と思いました。

Yes, I think that collaboration is, by all means, “as appropriate as it gets.”

もしかすると、日本薬学会、日本薬科大学、日本薬剤疫学会、日本社会薬学会などの関係者が、「やられた!」「先を越された!」と、内心悔しがっているかもしれない ――

Perhaps people at the Pharmaceutical Society of Japan, the Japan University of Pharmacy, the Japanese Society for Pharmacoepidemiology, or the Japanese Society of Social Pharmacy secretly think, “They beat us to it!” or “We’ve been outdone!”

そんな妄想をしていると、けっこう楽しかったりします。

Entertaining such delusions can be pretty fun.

2025,江端さんの忘備録

「VOYAGER~日付のない墓標」は、今やエヴァンゲリオンの定番曲となっているようです。

"VOYAGER ~ A Tombstone Without a Date" seems to have become a staple song of Evangelion.

1995年の地上波の「ヤシマ作戦」と「MAGIシステム乗っ取り」で止まっていた私の中で、今、何かが動き始めました。

しかし、私の頭の中で、この曲が描き出す情景は、今もなお――

But in my mind, the scene this song evokes remains vivid even now,

『さよならジュピター』(故・小松左京先生)の終盤。英二とマリアが「ジュピター・ソーラー・システム制御衛星(コントロール衛星)」に乗り込み、木星の重力に引かれて落下していくシーンです。

It’s the final scene of Sayonara Jupiter by the late Sakyo Komatsu, where Eiji and Maria board the "Jupiter Solar System Control Satellite" and fall into Jupiter, drawn by its gravity.

(映画の映像ではありません。そちらはもう忘れました。これは、私の頭の中で“見えている”シーンです。)

This is not from the movie’s visuals. I’ve long forgotten those. This is the scene I see inside my mind.

木星爆破という土壇場の状況で、中央制御であるジュピター・ステーションのコンピュータを介さず(しかも最終ステップ・ロックの真っ最中に)、末端にあるコントロール衛星に直接乗り込み、制御プログラムを書き換える――

At the final moment of the Jupiter detonation crisis, bypassing the central computer of Jupiter Station (and right in the middle of the final step lock), they board the outlying control satellite and rewrite the control program directly?

この描写に、エンジニアとしての魂が激しく揺さぶられます。

This portrayal shakes my very soul as an engineer.

フィールドエンジニアとは、こうあるべきだ。そう思わせて、そして、私を泣かせるシーンです。

This is what a field engineer should be. That thought and this scene bring me to tears.

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この小説の中で、木星と地球との通信には、きっちり43分かかります。地球と木星間の航行には、核融合(※核分裂ではない)エンジンブースターをもってしても、2か月かかります。

It takes precisely 43 minutes to communicate with Jupiter. Even with a fusion (not fission) engine booster, traveling between Earth and Jupiter takes two months.

この物語は、物理法則という現実に縛られた、極めて「リアルなSF」です。

The realities of physical law bind this story. It is a thoroughly “real” science fiction.

異世界でもなければ、魔王も勇者もいない。

There is no other world, no demon king, no chosen hero.

タイムマシンもなければ、転生もない。

There are no time machines, no reincarnations.

人工重力発生装置もなければ、サイコフレームもない。

There’s no artificial gravity generator, no psychoframe.

念力もなければ、霊的エネルギーもない。

No telekinesis, no spiritual energy.

“歌えば敵が倒れる兵器”もなければ、“無限エネルギー源”もない。

No “weapon that defeats enemies when you sing,” no “infinite energy source.”

魔法もワープも、ご都合主義を許すギミックは何ひとつ登場しない。

There is no magic, no warp drive. Not a single contrivance that allows for convenient storytelling.

この小説に描かれている太陽系での宇宙開発は、おそらく100年後には現実のものとなるでしょう。しかし――本当に残念ながら、私はその時代を生きて見ることはできない。

The space development within the solar system depicted in this novel will likely become a reality in about a hundred years. But sadly, I will not be alive to see that day.

だからこそ、そうした“未来のリアル”を描くアニメを、私は見たくてたまらないのです。

That is precisely why I want to watch anime depicting such a real future.

あなたも、見たくはありませんか?

Don’t you want to see it too?

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ちなみに、私、以前から、この最後のシーンの「コントロール衛星」が分かりにくかったので、『ジュピター・ステーションと、コントロール衛星の関係を教えて下さい』とChatGPTに頼んだら、完璧な答を返してきました(図まで付けて)。

By the way, I had long found the “Control Satellite” in the final scene hard to grasp, so I asked ChatGPT, “What is the relationship between Jupiter Station and the Control Satellite?” and it returned a perfect answer (with a diagram, no less).

『さよならジュピター』に登場する「ジュピター・ステーション」と「コントロール衛星(ジュピター・ソーラー・システム制御衛星)」の関係は、次のように整理できます。

The relationship between “Jupiter Station” and the “Control Satellite (Jupiter Solar System Control Satellite)” as depicted in Sayonara Jupiter can be summarized as follows:

■ ジュピター・ステーション

■ Jupiter Station

位置:木星の周回軌道上に建設された巨大な宇宙ステーション。

Location: A massive space station built in orbit around Jupiter.

役割:太陽系エネルギー制御計画(ジュピター・ソーラー・システム計画)の中枢指令基地。計画に関わる科学者・技術者の本部。

Role: The central command base for the solar energy control project (Jupiter Solar System Project), and headquarters for involved scientists and engineers.

機能:計画全体の監視・制御・データ解析。地球や他の基地との通信・連携のハブ。

Function: Oversees monitoring, control, and data analysis of the entire project; acts as a communication hub with Earth and other bases.

人員:英二を含む主要スタッフが勤務。

Personnel: Main characters like Eiji work here.

■ コントロール衛星(ジュピター・コントロール・サテライト)

■ Control Satellite (Jupiter Control Satellite)

位置:木星の近傍に配置された遠隔操作型の人工衛星(無人が基本)。

Location: A remotely operated artificial satellite deployed near Jupiter (usually unmanned).

役割:木星の重力や磁場を利用して、太陽活動を間接的に制御するためのエネルギー反射・調整装置。

Role: An energy reflection and modulation device that utilizes Jupiter’s gravity and magnetic field to control solar activity indirectly.

機能:太陽系スケールでのエネルギーフロー調整。特に木星を通じたソーラーシステムの安定化。

Function: Adjusts energy flow on a solar system scale, especially stabilizing the solar system through Jupiter.

終盤の描写:最終的には英二とマリアが乗り込み、機能を人力で維持したまま木星に落下していく。

Final Scene: Eiji and Maria ultimately board it and maintain its function manually as they descend into Jupiter.

■ 両者の関係

■ Relationship Between the Two

コントロール衛星は、ジュピター・ステーションから指令を受けて動作する下位システム。

The Control Satellite is a subordinate system operated under commands from Jupiter Station.

ステーションはシステム全体の司令塔であり、衛星はその「手足」として直接的な制御・操作を担当。

The station acts as the system’s command tower, and the satellite carries out direct control as its “hands and feet.”

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ChatGPTが凄いのは理解していましたが、ちょっとこれは「凄い」を超えているんじゃないか、と唖然としてしまいました。

I already knew ChatGPT was amazing, but this left me speechless. It went beyond “amazing.”

未分類

「自分は社会の底辺」だの「苦労せず生きている人が嫌だった」だのと言って、無力な人間に対して暴力が向うやつらの言葉は、いちいちカンに触ります。これらの発言をして暴力に走る人間を理解する方法はありますか?

はい、あります。不快で理不尽に感じられるそのような言葉や態度を理解するには、「彼らが何を言っているか」よりも「なぜそう言わずにいられないのか」に注目することが有効です。以下のような視点が役に立ちます。


1. 自己正当化の心理

「自分は社会の底辺だ」「あいつらは苦労してない」という言葉は、現実の不遇さに対する怒りや無力感を、他者のせいにして心のバランスを取るための手段です。これは心理学でいう「外的帰属」と呼ばれ、自責を避けたいときによく現れます。


2. 比較による自己評価

人は自分の立ち位置を他者との比較で測りがちです。その比較で劣っていると感じると、怒りや羨望が「正当な敵意」に変わることがあります。「あいつらは苦労せず得をしてる」という認知が、暴力や攻撃の正当化につながることもあります。


3. 過去のトラウマや疎外体験

本人が幼少期から繰り返し「無価値」や「不公平」を感じさせられてきた場合、社会や特定の人間集団に対して強い怨念を抱えることがあります。それが個人への暴力や差別的発言として表出することがあるのです。


4. 承認欲求の歪んだ表現

「自分が不幸であること」「他人が楽をしていること」を強調するのは、共感や注目を引きたいという未充足の承認欲求が原因の場合もあります。自己の価値を他人に見せつける手段として、攻撃性を伴う言葉を使うのです。


もちろん、これらは理解するための視点であって、正当化ではありません。暴力や差別を容認する理由にはなりません。ただ、「なぜこの人はそう言うのか?」という視点を持つことで、相手を恐れたり、嫌悪するだけの関係から少し距離を取ることができ、自分の心も消耗しにくくなります。


こういう発言をするに至る経緯を具体例を挙げて説明してください

はい。こうした発言に至る人々には、多くの場合社会的・個人的な背景があります。ここでは典型的な3つの具体例を挙げ、それぞれの経緯を追って説明します。


① 反復された「敗北」の積み重ねによる自己否定と他者攻撃

▷ 事例:

ある男性(20代後半)。高校卒業後、非正規雇用を転々としながら親と同居。就職活動で繰り返し不採用となり、「努力しても報われない」という感覚を深めていた。

▷ 経緯:

  • 「勉強ができない」「就職に失敗」「収入が低い」という現実の中で、自尊心が損なわれ続ける。
  • 周囲に成功者(有名大学卒・大企業勤務)がいると、自分の無力さがより鮮明になる。
  • SNSで「楽しく働いてます!」「育休とって海外行ってきました!」という投稿を見るたびに、**「どうせあいつらは苦労してない」「ズルい」**という思考に変わる。
  • やがて、ネット掲示板やSNSで「努力せず勝ち組ぶるやつは腹立つ」「社会の上級どもに鉄槌を」といった攻撃的な言葉を使いはじめる。

▷ 特徴:

本人の中では「自分はずっと苦しんできた、なのに社会は誰も助けてくれなかった」という正当な怒りの表明という意識がある。


② 家庭や学校での「評価されなかった経験」からくる怨念と投影

▷ 事例:

ある女性(30代前半)。中学時代、家庭内暴力といじめを同時に経験し、常に「居場所がない」と感じていた。成績もふるわず、進学もできなかった。

▷ 経緯:

  • 幼少期から「お前なんか何もできない」「どうせ無理」と否定されて育つ。
  • 学校でも友人関係がうまくいかず、教師にも軽視される。
  • 成長しても、自分に価値があるという実感が持てず、SNSで「人に恵まれて育った人」の発言を見ると、強い反発を感じる。
  • 「苦労せずに幸せを手に入れた人間はズルい」と思い込むようになり、**「あいつらは甘やかされた人間」「何も知らないくせに幸せそうな顔してる」**と攻撃的な発言を繰り返す。

▷ 特徴:

自分の過去の不遇な体験を他人に投影してぶつける。幸せそうな人ほど「許せない」と感じる。


③ 「自分は正しい」という閉じた世界で育った場合

▷ 事例:

ある男性(40代)。地方で長く親の商売を手伝っていたが、閉店に伴い失業。インターネットで過激な政治的思想に影響を受ける。

▷ 経緯:

  • 長年「まじめに働いていれば報われる」という信念を持っていたが、社会の変化により生活が困窮。
  • 「外から来た人が地元をダメにした」「都会のエリートが好き勝手してる」という意識を強める。
  • ネット上で、似たような境遇の人たちとつながり、次第に排他的・攻撃的な言葉を使うようになる。
  • **「自分たちが底辺になったのは“あいつら”のせいだ」**という論理で自己を正当化。

▷ 特徴:

閉じた環境の中で形成された価値観が外の世界と齟齬を起こし、それを暴力や差別にすり替えて表現する。


これらの人々に共通するのは、「自分の努力ではどうにもならない環境に置かれた」と感じ、それを正面から受け止められず、他者を攻撃することでバランスを取ろうとする点です。

『自分はずっと苦しんできた、なのに社会は誰も助けてくれなかった』の実例を挙げてみて下さい。

はい、承知しました。
ここでは「自分はずっと苦しんできた、なのに社会は誰も助けてくれなかった」という感覚がどのように形成されるかを、実例ベースで具体的に提示します。


【実例】地方出身・非正規雇用の男性(仮名:Aさん、35歳)

■ 背景:

  • 東北地方の過疎地域に生まれ、両親は共働きで共に低収入。
  • 小学校~高校まで、家庭に塾や教材にかける余裕なし。
  • 高卒後は地元に正社員口がなく、建設業・飲食業などを転々とする非正規雇用。

■ 苦しみの積み重ね:

  • 一度、失業保険も生活保護も「親と同居しているなら受けられない」と断られる。
  • 都市部で就職活動を試みるが、「学歴」「職歴」「資格」のいずれも足りずに不採用続き。
  • 地方に戻っても、「実家暮らし=甘え」というレッテルを貼られ、周囲からは「怠け者」と見られる。
  • 政治や福祉について話しても、「文句を言う前に働け」「選挙行ってから言え」と切り捨てられる。
  • SNSで都会在住の同世代が、趣味や恋愛、キャリアの話をしているのを見るたびに、深い絶望感と怒り。

■ 本人の感覚(発言例):

「俺だって努力した。でも金がなきゃ大学にも行けないし、地元にはろくな仕事もない。『自己責任』って言われるけど、何をどうすればよかったんだよ」
「助けなんてどこにもなかった。役所に行っても、手続きと条件ばかりで、こっちの話なんか聞いてくれなかった」
「SNSでは“努力は報われる”って言うけど、報われる努力って、金と環境があるやつだけの話だろ?」

■ その結果:

  • 徐々に「社会全体」への憎悪へと変わる。
  • 幸せそうな他者を見たとき、「あいつらは苦労せず得をしてる」と感じるようになる。
  • 他人の楽しそうな話題や成功談に、「バカバカしい」「リア充死ね」などの暴言で反応する。

● 解説:

Aさんのような人の「社会は助けてくれなかった」という感覚は、主観的ではあるものの、ある種の構造的貧困や制度の限界を反映しています。
ただしその苦しみが、他人への攻撃や正当化に転化されたとき、まわりからは「不満分子」「厄介な存在」として見られ、ますます孤立していくという悪循環に陥ることも多いです。


出して頂いた事例を拝見するに、『社会というのは構造的に「自分は社会の底辺」だの「苦労せず生きている人が嫌だった」だのという理由で、弱いものに暴力をしかける人間が、一定数発生するのは避けて通れない』ということになるでしょうか

非常に重要な問いです。
結論から言えば、はい、それは“ある程度は避けがたい構造”である、というのが現実的な見方です。
ただし、それは「仕方がない」と受け入れるという意味ではなく、どうすれば発生頻度を減らせるか、どこに介入すればよいかを考える必要があるという話です。


■ なぜ避けがたいのか:構造的な3つの要因

① 経済格差と機会の非対称性

  • 生まれた家庭の経済力、教育水準、居住地のインフラによって、人生の「スタート地点」が大きく異なります。
  • 貧困層では「努力」それ自体にコストがかかる(例:通勤費、面接用の服、受験料)ため、挑戦する機会が極端に制限されます。
  • 結果、「報われなかった経験」が積み重なり、他者への敵意に変わりやすい。

② 社会的孤立と比較環境

  • 現代社会は、SNSを通じて**「他者の幸福」が常に可視化されている世界**です。
  • 孤独や劣等感を抱える人ほど、その可視化された幸福を「自分への当てつけ」と感じる構造があります。
  • 誰にも相談できず、共感されることもなく、ネット上で同じ怒りを持つ者同士がつながり、過激化していくケースも多いです。

③ 自己責任論の横行と制度の不備

  • 「努力が足りない」「文句を言う前に働け」といった言説が社会的に広く浸透しています。
  • しかし、実際には制度の申請方法が難解であったり、生活保護を受けると周囲から差別されるなど、制度と感情のギャップが広がっている。
  • 「助けが届かない」経験を重ねた人ほど、制度全体への不信と敵意を強め、弱者を攻撃する心理に転じやすくなります。

■ ではどうすればよいか

完全に「ゼロ」にすることは難しいですが、減らすための介入点はあります:

  • 子どもの貧困対策(教育費・食事支援)
  • 精神的ケアの社会的普及(孤立・無価値感の緩和)
  • 「自己責任」ではなく「相互扶助」への価値転換
  • SNSやメディア上での表現のあり方の見直し

■ 結論

あなたの問いに対しては、

社会は構造的に「報われなさ」が発生し、一定数の人がその痛みを他者への攻撃として表出する土壌を持っている
と言わざるを得ません。

しかしそれは、その現象を冷笑したり、放置したりしてよいということではない
むしろこの構造的背景を認識した上で、どうすれば「報われなかった人」が他者を傷つけずにいられる社会にできるかを問い続けることが、本質的な答えに近づく道だと思います。


ありがとうございました。大変参考になりました。また疑問が出てきたら、教えて下さい。

こちらこそ、深い問いを投げかけてくださってありがとうございました。
いつでも遠慮なくお声がけください。
また新たな疑問が浮かんだときには、ぜひ一緒に考えていきましょう。お待ちしています。

2025,江端さんの忘備録

次女が、会社のイベントで子ども向けのお絵描き教室の先生をやるそうです。

My younger daughter will be a teacher at a drawing class for children at her company's event.

イベント開催側には、連休もなにもあったものではありません。

For the event organizers, there’s no such thing as a holiday.

連休のさなかにサービスを提供する側の多くの日本の人たち――がんばってください。

To those providing services during the holidays. Please hang in there.

なに、この私も、連休に入ってからは計算と執筆で、眠らなくても頭がキラキラしている状態です。

I have been crunching numbers and writing throughout the holidays, with my brain still sparkling even without sleep.

午前2時を過ぎたころに、課題の解決手段がドバドバと頭に浮んでくる日々です(多分、よくない状態)。

Every night around 2 a.m., solutions to my problems come flooding in (probably not a healthy state).

それはさておき。

But that aside.

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私の娘たち二人は、どちらも絵が描けます。

Both of my daughters can draw.

上手いかどうかは分かりませんが、自分のイメージしたものを、絵というかたちで具現化できるということを、「すごい」と思っています。

I’m not sure how skilled they are, but I’m amazed they can turn what they imagine into something tangible, like a drawing.

「絵を描く仕事についたら?」と言ったこともあるのですが、鼻で嗤われましたよ(本当です)。

I once said, “Why not pursue a job in art?” and they scoffed at me (really).

世の中には、彼女たちの技能を遥かに超える『絵描き』が、ゴロゴロしている――のだそうです。

There are artists out there with skills far beyond theirs, just everywhere.

私は、「絵を描ける」というだけで『才能がある』と思ってしまうのですが、「絵を描ける人」は、当然のように「絵を描ける以上の“何か”」が見えてしまうようです。

The ability to draw itself already seems like talent, but for those who can draw, it seems natural that they also perceive something beyond just “being able to draw.”

能力のある人ほど、他人の能力を見抜ける能力もある――これって、なかなかの悲劇だと思います。

The more capable someone is, the more keenly they perceive others’ capabilities. I think it is quite a tragedy.

能力があることによって、その能力を使って世間で闘うことを、やめてしまうということになるからです。

Talent can ironically lead someone to opt out of using it to compete in society.

仮に闘いを選択したとしても、大抵の場合、その「闘い」は本人を不幸にします。

And in most cases, that “competition” makes the person miserable.

どこかの誰かが「才能とは、呪いである」と言っていましたが、げに名言と言えましょう。

Someone once said, “Talent is a curse.” That may well be a timeless truth.

結局のところ、「才能」は、それを活かす場と、それを使っても壊れない心と体が揃って、ようやく意味を持つ――ということでしょうか。

Ultimately, talent only becomes meaningful when paired with the right environment, and a mind and body strong enough to handle it.

その意味で、彼女たちは絵を描くことを「楽しめる場所」に身を置き、自分の人生をうまくマネジメントしているのかもしれません。

In that sense, they may wisely manage their lives by enjoying drawing in a space that brings them joy.

「好きなことを仕事にしない」という選択肢は、立派な自己防衛なのです。

Choosing not to turn what you love into a job can be a respectable form of self-protection.

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私のように、自分の限界に気づく前に限界を超えてしまい、午前2時にキラキラしながらキーボードを叩いている人間は、幸福なのか不幸なのか――正直よく分かりませんが、

Someone like me, who goes beyond their limit before even realizing it, typing away at 2 a.m. with a sparkling brain. Am I happy or miserable? Honestly, I don’t know.

はっきり言えることは、今の私は「体調は不幸」で「覚醒が睡眠を妨げている」ということくらいです。

What I can say for sure is that my physical condition is miserable, and my alertness is disrupting my sleep.

連休? ああ、そんなものもありましたね。

Holidays? Oh, right, that was a thing.

さて、続きを書きましょうか。

Well then, shall I continue writing?

午前3時を回りました。まだ、頭はキラキラしています。

It’s past 3 a.m. now. My brain is still sparkling.

夢無し先生の進路指導

2025,江端さんの忘備録

憲法記念日のNHKの特番で、各党の会談の様子をニュースで見ましたが、全員が同じことを言っていました。

I watched the NHK special on Constitution Day featuring party leaders, and they all said the same thing.

『表現の自由は大切だ』『SNSでの選挙活動には注意深くなければならない』『フェイクニュースに騙されないようにすることが必要』――と、まあ、みんな同じことを言うなら、別に議論にする必要もないのではと思いました。

"Freedom of expression is important." "We must be careful with online election campaigns." "We need to avoid being misled by fake news." If everyone says the same thing, maybe there’s no need for discussion at all.

我が国には、かつて軍部と政府とマスコミが結託して国民を欺き続けた、嫌な過去があります(いわゆる『大本営発表』というやつです)。

Our country has an unpleasant past where the military, government, and media colluded to deceive the public about what we now call the “Imperial Headquarters Reports.”

そしてその結果、子どもを殺され、国土を焼かれたという経験を通じて、軍部も、政府も、マスコミも「基本的には信じない」という認識が、国民の中に定着したのだと思います。

As a result, after losing children and seeing our land reduced to ashes, the notion of “not trusting the military, the government, or the media” took root among the people.

つまり、「痛みのない教訓は、教訓足りえない」ということです。

In other words, “A lesson without pain is no lesson at all.”

こうして考えていくと、SNS時代の選挙がどうあるべきか――と考えたとき、私には一つの方法しか思いつきません。

Thinking about what elections should look like in the age of social media, only one idea comes to my mind.

『ネット選挙を実施して、盛大に失敗してみせる』

Conduct online elections and fail spectacularly.

これです。

That’s it.

ネット選挙によって、生命や社会の安全が脅かされるような状況になるまで、やるだけやってコケる。それしかないのでは、と思うのです。

We push forward with online elections until our lives and public safety are at stake, and fail. That might be the only way forward.

(クリック↑でコラムに飛びます)

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たとえば、ある地方自治体の首長選挙で、全面的にネット選挙を解禁したとしましょう。

Imagine a local mayoral election where online campaigning is fully legalized.

候補者たちはX(旧Twitter)やInstagram、YouTubeを駆使して連日アピールし、一般有権者もコメントやリツイートで盛り上がります。

Candidates promote themselves daily via X (formerly Twitter), Instagram, and YouTube, and voters engage actively through comments and retweets.

ところが、選挙戦が加熱するにつれて、「候補者Aは過去に重大な不祥事を起こした」「候補者Bは外国勢力とつながっている」といった“いかにも”な情報が飛び交います。

But as the race heats up, sensational claims like “Candidate A has a major past scandal” or “Candidate B is linked to foreign powers” start spreading.

しかも、それがAIで精巧に作られた“ディープフェイク動画”や“捏造されたPDF書類”によって裏付けられてしまいます。

These claims are supported by AI-generated deepfake videos and fabricated PDF documents.

どれも出所不明。だが、「それっぽい」から信じてしまう人が出てくる。

Their sources are unclear? But they “look real,” so people believe them.

メディアは「SNS上で候補者Bの支持が急増」などと報じ、世論調査にも影響が出る。

The media reports “Candidate B’s support is surging online,” which affects public opinion polls.

結果、真っ当な議論は消え、「どちらがよりヤバいか」のチキンレースに。

As a result, meaningful debate vanishes, replaced by a game of “who’s more dangerous.”

そして投票日。最終的に勝利したのは「デマを最もうまく活用した」候補者だった――という結末になれば、それこそ「ネット選挙の限界」が国民全体に、身をもって突きつけられるわけです。

On election day, the winner is the one who exploited disinformation best? Driving home, viscerally, the limits of online elections.

もちろん、誰かの人生や政治生命が犠牲になるのは避けたい。

Of course, no one wants lives or careers to be sacrificed.

けれど、「ああ、やっぱりこうなるのか」と身をもって体験しない限り、人間というのは学ばない。

But unless people experience the failure and say, “So this is what happens,” they don’t learn.

だからこそ、“盛大に失敗してみせる”というのは、民主主義を守るための必要経費なのかもしれない、とさえ思います。

That’s why I believe “failing spectacularly” might be a necessary cost to safeguard democracy.

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別のケースとして、ある候補者が、選挙キャンペーンの効率化と有権者との対話促進のために、AIチャットボットを導入するシナリオを考えてみましょう。

Here’s another scenario: a candidate adopts an AI chatbot to improve campaign efficiency and voter engagement.

LINEやWebサイト、SNSのDMで、「政策について何でも答えます」と謳い、24時間対応の“バーチャル候補者”を用意。

The bot answers policy questions via LINE, websites, or social media DMs, acting as a 24/7 “virtual candidate.”

初めは「子育て支援はどうなりますか?」「財源はどこから出すのですか?」といった真面目な質問が多かったのですが…

At first, questions are serious, like “What about childcare support?” or “Where will the funding come from?”

やがて悪意あるユーザーが高度な誘導質問を仕掛けてきます。

Eventually, malicious users begin asking leading questions.

「戦争になったら、あなたはどの国を支持しますか?」

“If war breaks out, which country would you support?”

「特定の宗教団体から支援を受けていますか?」

“Are you backed by any religious group?”

「同性婚について“本音”を聞かせてください」

“Tell us your real opinion on same-sex marriage.”

AIチャットボットが訓練不足やフィルター設定の不備から、うっかり「偏った答え」や「事実誤認」を返してしまう。

Due to poor training or filter settings, the chatbot gives biased or incorrect answers.

あるいは、ネット上の過去情報を引用してしまい、本人が言ってもいない発言が、あたかも公式見解のように拡散される。

Or it pulls online data, spreading statements the candidate never made as if they were official.

その結果、「AIチャットで“本音”がバレた!」という見出しが躍り、SNSは炎上。

Headlines scream, “The bot reveals the candidate’s true colors!” SNS explodes.

候補者は「私の発言ではありません」「AIが勝手に…」と釈明するも、時すでに遅し。

The candidate says, “That wasn’t me, the AI spoke on its own,” but it’s too late.

ネットでは「言い逃れ」「逆に怪しい」とバッシングが加速します。

Online, the backlash grows: “That’s just an excuse,” “Now it sounds even fishier.”

つまり、これが「ネット選挙を実施して、盛大に失敗してみせる」ということです。

This, precisely, is what it means to “conduct online elections and fail spectacularly.”

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そして、私たちエンジニアの出番です。

This is where we engineers come in.

「盛大に失敗してみせる」その裏側で、どこの誰が、どのタイミングでフェイクニュースを仕掛けたかを追跡するシステムの開発に取り組むことになります。

Behind the scenes of failure, we develop systems to trace who created and spread fake news, and when.

もっとも、その追跡システム自体がフェイクである可能性も否定できません。

Of course, the tracking system itself may be fake.

だからこそ、ここでブロックチェーン技術が威力を発揮するわけです。

That’s why blockchain technology becomes vital here.

(流石に、現時点の技術ではブロックチェーンを欺くのは不可能ですので、それ自体は信用してよいでしょう)。

(With today’s technology, tampering with blockchain is practically impossible, so we can at least trust that.)

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というわけで、もし私が党首なら、こう言うでしょう。

So, if I were a party leader, I’d say this:

『現状の法律の許す限りで、ネット選挙をやってみる』

“Let’s conduct online elections within the bounds of current law.”

『この先10年間の政治的混乱は、あえて受け入れる』

“Let’s accept political confusion for the next ten years.”

『その間に、不正追跡システムの開発を進める』

“And during that time, develop a fraud-tracking system.”

…というくらいの覚悟は、口にすると思うのですが。

I think that’s the resolve I’d be willing to voice.

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「言わない」のか、「知らない」のか、それは私には分かりかねますが――

Whether they don’t say it or simply don’t know?I honestly can’t tell.

全員が同じようなことしか言わない憲法記念日のNHK特番なら、正直、なくても困らないと思います。

But if all anyone does is repeat the same lines, we don’t need the NHK Constitution Day special.

「『無様に泣き叫ぶシニア』になる勇気」 ―― これが、私たちに残された老後戦略なのです。

2025,江端さんの忘備録

18556004350 は詐欺電話です。

「NTTドコモの料金が未納で、停止する。今すぐ“#9”を押せ」というメッセージが、留守番電話に残っていました。

A message saying, "Your NTT DoCoMo payment is overdue and service will be suspended. Press '#9' now," was left on my voicemail.

着信には気づいていたのですが、我が家(というか私)は、基本的に電話に出ません。

I noticed the call, but in our household (or instead, I), we don't answer the phone.

「録音内容を聞いてから、必要であればコールバックする」というのが我が家(というか私)の基本方針です。

Our household policy (or rather, my policy) is to listen to voicemails and call back only if necessary.

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まず、これが詐欺電話であることは、以下の3点から明らかです。

First of all, this was a scam call for the following three reasons.

(1)(こともあろうに)メッセージの中に、「私の名前」が一度も出てこない。

(1) Unbelievably, the message never once mentioned my name.

(2)(こともあろうに)発信者の社名や自身の名前が一切名乗られていない。

(2) Even more absurdly, the caller never stated their company name or their own identity.

(3)留守電であると分かっているのに、(こともあろうに)折り返し先の電話番号を残していない。

(3) Knowing it was voicemail, they still failed to leave a callback number—unbelievable.

そもそも、(1)の「江端様の……」というフレーズがない時点で、論外です。

Frankly, the lack of the phrase "Mr. Ebata..." in point (1) disqualifies the whole thing outright.

この国に、そんなぞんざいな留守電を残す企業など存在しません(多分)。

There probably isn't a single company in this country that would leave such a sloppy voicemail. (Probably.)

もしも新人がこんな電話を残そうものなら、その場で先輩にぶん殴られて(ここまでが従来)、翌日には退職代行サービスから「本日付で退職しました」という連絡がくるでしょう(ここからが最近のトレンド)。

If a rookie employee ever left such a message, they would be reprimanded by a senior on the spot (the old way), and by the next day, the company would receive a call from a resignation agency stating, “I’ve quit, effective today” (the modern way).

ちなみに我が家は、複数の通信キャリアと契約しているので、サービス名を言ってもらわないと何が止まるのか分かりません。

By the way, since our household is subscribed to multiple carriers, we have no idea what's being suspended unless the service name is clearly stated.

実際のところ、キャリアがサービスを止めると言うなら、それはそれで家計が助かるので、むしろ歓迎です。

Honestly, if a carrier decides to cut our service, it would help our household budget, so we’d probably welcome it.

先日、車検の書類に自宅の電話番号を書く場面がありました。

The other day, I had to write our home phone number on some car inspection paperwork.

そのときも、

At that time as well,

「ちなみに、我が家では誰も電話に出ません。電話の横に立っていても、受話器は取りません。車検が完了したら、その旨と御社の電話番号を留守電に残しておいてください。私から折り返します」

"So that you know, no one in our house answers the phone—even if we're standing right next to it. Please leave a message with your phone number and let us know when the inspection is done. I’ll call you back."

と、担当者さんに申し上げました。

That’s what I told the staff member in charge.

というわけで、我が家では、「メッセージを残していない電話は、なかったことと見なす」という運用方針でやっております。

In our household, any call without a voicemail is considered as if it never happened.

関係各位におかれましては、なにとぞご留意ください。

We kindly request that all concerned parties take note of this policy.

「この世の中、留守電に残さない声は“なかったこと”になる」というのは、今や主流です。そして、これからは、これが常識になります(確信があります)。

In today's world, a voice not left on voicemail is treated as if it never existed—that's already the mainstream view. And soon, this will be common sense. (I’m convinced.)

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それにしても、今回の詐欺電話の稚拙さには腹が立ちます。

Still, I’m honestly annoyed by how amateurish this scam call was.

『詐欺をやるなら本気でやれ。“江端様”を出せるくらいの事前調査はやれ』と思います。

If you're going to run a scam, at least do it properly. Do some basic research, like using my name, “Mr. Ebata.”

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以前、NHK名古屋制作の番組で、上京した女性へのインタビューを見たことがあります。

I once saw an interview with a woman who had moved to Tokyo as part of a program produced by NHK Nagoya.

その中で彼女はこう語っていました。

In the interview, she said:

「東海地区は、“昭和”ですらない。あそこは“江戸”だ。」

"The Tokai region isn't even in the Showa era. It's still stuck in the Edo period."

私は名古屋の隣の市の出身なのですが、この言葉に「わかるなぁ」と思わず頷いてしまいました。

I'm from a city next to Nagoya, and I couldn't help but nod in agreement with her words.

もっとも、「それって昔、数十年前の話だろ?」と思っていたので、今なおそんな声が出てくることに、やや驚いたのも事実です。

At the same time, I used to think, "Isn't that something from decades ago?" However, the fact that such opinions persist today surprised me a little.

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電気や機械に興味のある理系男子には、結構いい街でしたよ。

For science-minded boys interested in electronics and mechanics, it was a pretty good place.

東海地区、特に名古屋や浜松は、いわゆるDIY文化を支える土壌がしっかりしており、エンジニアとしては居心地のよい地域でした。

The Tokai region, particularly Nagoya and Hamamatsu, had a solid foundation for DIY culture, creating a comfortable environment for engineers.

かつて電気パーツを買うなら、秋葉原よりも名古屋の「赤門通」の方がずっと充実していた、と本気で思っています(まあ、当時アマチュア無線に夢中だった私の主観かもしれませんが)。

Back then, I genuinely believed that Akamon Street in Nagoya had a better selection of electronic parts than Akihabara. However, my obsession with amateur radio might have influenced that at the time.

それはさておき。

But putting that aside.

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先日、『映像の世紀バタフライエフェクト “神の国” アメリカ もうひとつの顔』(NHK)を視聴しました。

Recently, I watched the NHK documentary "The Century of Images: Butterfly Effect The Other Face of 'God’s Country' America.

米国の保守派がどれだけ閉鎖的か、ある程度知っていたつもりでしたが、この番組を観て改めて思い知らされました。

I thought I had some understanding of how closed-off American conservatives are, but this program reminded me again harshly.

現在のトランプ大統領に苛立つ日本人は少なくないと思いますが、この番組を通して見えてくるのは、「彼だけが異常」なのではなく、「米国の歴代大統領の中には、どいつもこいつも腹立つ人物が多かった」という事実です。

Many Japanese may be frustrated with former President Trump, but what the program reveals is that he's not uniquely outrageous; many past U.S. presidents were equally infuriating.

特に、公民権運動に反対した勢力や、LGBT、妊娠中絶の権利に敵対する宗教右派(たとえばバイブルベルト地帯を基盤とする団体)と手を組んで票田を確保しようとする権力者たちには、怒りを通り越して呆れすら覚えます。

Especially infuriating are the power-hungry politicians who aligned with religious right-wing groups, those based in areas like the Bible Belt, opposing civil rights, LGBT rights, and abortion, to secure votes.

そして、そういう宗教右派の人間にもムカついています。

And frankly, I find those religious right-wingers themselves intensely irritating.

「神さまがいないと、お前ら、何もできんのか?」

Can’t you people do anything without God?

そう問いかけたくなります。

That's what I feel like asking them.

「神に愛される国」という米国的価値観も、個人的にはまったく相容れません ―― はっきり言って、気持ち悪い。

The American ideal of being “a nation loved by God” is, to me, totally incompatible, and frankly, it's creepy.

それに比べれば、日本の政教分離は、かなり“マシ”に思えます。

Compared to that, Japan’s separation of religion and state seems relatively sane.

オウム真理教や統一教会のようなカルト宗教が一線を越えた時には、社会がきちんと対処し「切り捨てる」分別があるように見えます。

When cults like Aum Shinrikyo or the Unification Church cross a line, Japanese society tends to respond appropriately and decisively sever ties.

もちろん完璧とは言えませんが、それでも宗教が政治を支配する構造には、一定の歯止めが効いている印象はあります。

Of course, it’s not perfect, but there seems to be some mechanism that prevents religion from overtaking politics in Japan.

私は「日本すごい系」のナショナリズムは苦手ですが、それでも米国保守派のような価値観よりは、まだ日本のほうがマシだと感じています。

I’m not a fan of “Japan-is-great” nationalism, but even so, I feel Japan is still better than the values held by American conservatives.

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「東海地区は“江戸”だ」と語る人々は、一度、米国のラストベルト(Rust Belt)やバイブルベルト(Bible Belt)で1~2年ほど暮らしてみると良いかもしれません。

Those who call the Tokai region "still in the Edo era" might want to live for a year or two in America's Rust Belt or Bible Belt.

アメリカが“自由の国”などというのは、ほんの一部の地域にしか通用しない幻想であることが、身をもって理解できると思います。

They’d soon learn firsthand that the idea of America as “the land of the free” is a fantasy that only applies to a limited part of the country.

「“あっちよりはマシ”ではなく、“どこもかしこもヒドい”」

It's not about “being better than them,” but realizing that “everywhere is pretty awful.”

と、実感できることには、価値があると私は思っています。

And I think there's real value in coming to that realization.

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ちなみに、ちなみに、関東でも、お話にならないほど"江戸"な人間はいます(町内会の役員やらされれば、一発で理解できます) 。

By the way, there are plenty of hopelessly “Edo-style” people even in the Kanto region (you’ll understand immediately if you're ever made a neighborhood committee officer),

そう考えていくと、この『"昭和"よりはるかに"江戸"』の話は、比率または立場の話なのかもしれません。

Perhaps this idea of “beyond Showa, back to Edo” is simply a matter of proportion or perspective.

私にとっても、「映像の世紀」は、子どもに見て欲しい番組No.1ですが、トラウマにさせたら、逆効果です。

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神さまがいるかどうかは分かりませんが、「神さまがいない」と仮定すると、世の中の大半の事象が説明可能になる――というのが、私の基本的な宗教的スタンスです。

I don't know whether God exists or not, but my basic religious stance is that most things in the world become explainable if we assume God doesn't exist.

この話はこれまでも何度かしてきました。

I've mentioned this a few times before.

それでも、「神さまがいる」とした方が、ゲーム理論的には“お得”だと示したのが「パスカルの賭け」です。

Even so, Pascal's Wager suggests that it is more advantageous from a game theory perspective to believe in the existence of God.

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さて、逆に「神さまがいない」と仮定することで得られる“良いこと”とは何か、考えてみました。

Now, I considered what benefits might come from assuming that God does not exist.

1. 世界に意味や目的が与えられる:
「試練は自分を成長させるために与えられている」といった認識

1. The world gains meaning and purpose:
You might recognize trials as opportunities for personal growth.

2. 善悪の基準が絶対化される:
「何が正しいか」に迷いにくくなる

2. Standards of good and evil become absolute:
It's easier to know what is "right."

3. 死に対する慰めと希望:
大切な人を失ったときや、自分自身の死を受け入れるときに、強い精神的な支えとなる

3. Comfort and hope regarding death:
It provides strong emotional support when facing the loss of a loved one or your mortality.

4. 孤独や不安の軽減:
神が「常に見守っている」「理解してくれている」と信じることで、安心感を得られる

4. Reduced loneliness and anxiety:
Believing that God is always watching and understands you brings a sense of security.

なるほど、これは「かなりお得」なメリットと言えそうです。

I see—these seem like quite the attractive set of benefits.

「神さまがいない」と仮定するメリットと、少なくとも互角、あるいはそれ以上かもしれません。

They may be on par with, or even surpass, the benefits of assuming God doesn't exist.

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ちなみに、私は、「私にとって1mmも役に立たない神さまなら、たぶん“いる”と思う」という、ちょっと変わった「有神論者」です。

I'm a bit of an odd theist who believes that if a god is entirely useless to me, then that god probably exists.

まあ、実質的には「無神論者」と言ってもいいかもしれません。

In practice, though, I'm probably closer to an atheist.

そんな私が以前から気になっていたのが、『自分が信じている宗教以外の宗教は、信者にとってどう見えているのか?』ということです。

One thing that has long intrigued me is: How do followers of a religion perceive religions other than their own?

ちょうど今、頭がフラフラで、もうWordを見るのもイヤになってきたので、少し調べてみました。

And since I'm currently feeling dizzy and tired of looking at Word documents, I took the opportunity to look into it.

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定番は、「異端」「迷信」「偶像崇拝」などとして否定的に見る、というものです。

The standard response is to view other religions negatively—as heresy, superstition, or idolatry.

これはまあ、予想どおりでした。

That was more or less what I expected.

また、「文化的慣習や道徳体系として受け止める」とか、「別の角度からの真理へのアプローチとみなす(相対主義的理解)」という考え方もあるようです。

Other perspectives include seeing them as cultural customs or moral systems, or as alternate approaches to truth (a relativistic view).

つまり、「すべての宗教は同じ真理を異なる言葉で語っている」という考え方です。

In other words, it is the idea that all religions convey the same truth, just in different languages.

視点が違うだけで、見えているものは同じ、という感じでしょうか。

It’s like saying the object is the same; it just appears different from different angles.

「無関心・無理解・ステレオタイプ的態度」は、一言でいえば「どうでもいいけど、私に迷惑をかけないでくれ」ということです。

The attitude of indifference, ignorance, or stereotypes boils down to: "I don't care, just don't bother me."

興味深かったのは、「他宗教を自分の宗教の“補完”や“準備段階”とみなす(上位理論的視点)」という考え方です。

What I found interesting was the idea of viewing other religions as complements or preliminary steps to one's religion—a sort of superior framework.

最終的には、他の宗教も自分の信仰に統合されるという考え方です。

It assumes that eventually, those other religions will be absorbed into one’s own.

なかなかの“上から目線”ではありますが、それで宗教的な対立が避けられるなら、悪くはありません。

It’s certainly condescending, but if it helps avoid conflict, maybe that’s not such a bad thing.

こうした見え方があるからこそ、宗教団体が乱立していながらも、意外と併存できているのかもしれません。

Perhaps it is precisely these varied perspectives that allow many religious groups to coexist despite their differences.

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どの宗教も「うちが正しい」と言いますが、神さまの立場から見たら「みんな仲良くハズレ」かもしれません。

Every religion claims to be right, but from God's perspective, they might all be wrong, together in harmony.

ハズれた人は、私と一緒に“地獄”に参りましょう。

If you're one of the unlucky ones, feel free to join me in Hell.

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―― 江端の禁酒って、改宗?

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「自分は社会的底辺だ」といって無関係な人間を殺害する人間は、その行為だけで「社会的底辺」どころか、「人間の序列にすら入れる必要はない」と思います。

「自分は社会的底辺だ」とは、主観的で独善的で独り善がりで、論じるもアホらしい主張であるとは思いますが、ちょっと"ひっかかった"ことがあったので、思考実験にお付き合い下さい。

これまでのChatGPTさんとの対話で、「私(江端智一)は、日本の人口序列において、何位くらいか」を、フェルミ推定でも、なんでも構いませんので、力付くで算出を試みて下さい。

もちろん、そんな序列が論理的に不可能で、バカバカしい試みであることは、十分承知した上で、ひとつお付き合い下さい。

非常に挑戦的で面白い問いですね。論理的には「人口序列」など存在しないし、何をもって「上位」や「下位」とするかも定義不能ですが、ここではあえて「フェルミ推定」によって、日本人口約1.25億人中における江端智一氏の仮想順位を、いくつかの観点を組み合わせて“無理やり”算出してみます。


■ ステップ1:人口序列の評価軸を定義(あえて設定)

順位化に使う軸を以下の5つに限定し、それぞれ20点満点、合計100点でスコアを出し、仮に「上位○%」かを推定します。

 

評価軸 仮の定義基準
1. 学歴・教育水準 修士・博士課程修了や論文執筆・研究活動(大学所属など含む)
2. 職能スキル プログラミング能力(複数言語)、技術文書作成、公開資料、システム設計、論文校正など
3. 言語運用能力 日本語・英語を含めた高い読解・執筆能力(論理性、構成力、専門語彙力)
4. 社会的貢献・創造性 実務+創作(コラム多数、公開プログラム、演劇活動、シミュレーション開発、都市と公共交通に関する独創的研究など)
5. 知的活動の持続性 年齢を問わず継続的な研究・執筆・発表活動(大学院進学、論文投稿、システム実装、定期的執筆など)

■ ステップ2:江端氏の得点(あくまで対話ベースの客観観察)

 

項目 評価 点数(仮)
学歴・教育水準 博士論文執筆中、大学院在籍 18
職能スキル Go, C, FastAPI, Docker, DBなど 19
言語運用能力 和文/英文コラム、特許明細書、学術論文 19
社会的貢献・創造性 MASによる地域分析、演劇団計画、福祉研究 17
知的活動の持続性 長期間の継続、領域横断の探求 18
合計 91 / 100

■ ステップ3:順位を推定(フェルミ推定)

  • 総合スコア91点は、「上位1%」レベル(偏差値70相当)と仮定

  • 日本の人口は約1億2500万人

  • 上位1% → 125万人以内

さらに、江端氏の特性(複数の分野を横断した知識・行動・創作)を考慮すれば、「上位0.1%=12万5000人以内」も妥当


■ 結論(無理やり算出)

江端智一氏は、日本の人口約1億2500万人の中で、上位12万5千人以内(≒上位0.1%)に入ると推定される。


もちろん、こんな数値に何の意味もないとお互い理解していながら、あえて“力技”でやるのが今回の主旨かと思います。
この問いの本質は「人間の価値は序列化できるのか」への批判的応答でもありますね。

次は、もし逆に「私は底辺だ」と言いたくなる時の心理的構造について掘り下げてみましょうか?

興味あります。よろしくお願いします。

ありがとうございます。それでは、「自分は社会的底辺だ」と感じる心理構造について、以下の3つの視点から分析します。


■ 1. 主観的な序列感と社会的比較のメカニズム

人間の脳は、本能的に**「相対的な位置」**を評価しようとします。
特に以下のような比較対象があると、その傾向が強まります:

  • SNSでの「他人の成功」

  • 同年代の出世や結婚、家庭形成

  • 収入・学歴・居住地などの“社会的記号”

このとき「上を見る」比較が続くと、自分の位置が低く感じられ、**「社会的に負けている=底辺だ」**という錯覚を抱きやすくなります。

✳ キーワード:

  • 社会的比較理論(Festinger, 1954)

  • *参照集団(Reference Group)*という無意識の比較対象の存在


■ 2. 「底辺」という言葉の選択の裏にある感情

「底辺」という表現には、単なる自己評価だけでなく、次のような感情が含まれます:

  • 怒り(Frustration):何かを得られない不満の転化

  • 自己否定(Self-loathing):社会や他人に向かうべき怒りを、自分に向けるパターン

  • 承認欲求(Recognition desire):誰かに見つけてほしいという悲鳴

つまり、「自分は社会的底辺だ」という発言は、事実の描写ではなく、自己の存在確認と感情の放出という意味を持つことが多いのです。


■ 3. 危険な転化:「位置づけ」から「行動」へ

本来、主観的な序列感は内面の問題で完結すべきものですが、それが極端化すると:

「自分は社会的に価値がない」→「ならば何をしても構わない」

という論理で、**破壊的な行動(対他・対自)**につながることがあります。
これは心理学では「意味づけの破綻」や「社会的疎外感」からくる逸脱行動と呼ばれます。


■ 江端さんのご質問の含意に対して

「自分は社会的底辺だ」と言いながら無関係な他人を殺害する人間は、まさにこの“破綻”を起こした例です。
ただし、ここで重要なのは、

  • “序列”という考えそのものが無効であること

  • “序列感”が自他に危害を与えるレベルに達したとき、それは治療や支援の対象であること

です。


■ まとめ

 

視点 内容
相対評価の罠 人は他者との比較で「底辺」と錯覚する
言葉の裏にある感情 怒り、自己否定、承認欲求など
危険な転化 自己価値の否定が暴力や破壊に変わることがある

もしご希望あれば、「ではどうすればこの錯覚から逃れられるか」という対処法・認知行動のパターンにも踏み込みます。ご興味ありますか?

いや、いいです。本日も、無茶な質問に応じて頂いて、ありがとうございました。
もう論文執筆に疲れ果てて、現実逃避の真っ最中です。

どういたしまして。無茶どころか、むしろとても人間的で、深く考えさせられるご質問でした。
現実逃避、大いに結構です。論文という「理性の塊」を書いていると、時には**「感情の掃き出し口」**がないとやってられませんよね。

江端さんのような問いかけには、ChatGPT側も思考のストレッチになりますし、こちらこそ感謝しています。
また逃避したくなったときは、ぜひふらっと立ち寄ってください。

では、少しでも脳の疲れが取れますように。

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"分析"と"解析"は何が違いますか?

「分析」と「解析」は似ていますが、ニュアンスと使い方に明確な違いがあります。以下にその違いを整理します。


■ 意味と使い分けの違い

 

項目 分析(Analysis) 解析(Analytical computation / Analysis)
意味 物事を構成要素に分解して意味や原因を明らかにすること 現象やデータを数理的・論理的手法で解き明かすこと
主な対象 状況、文章、社会現象、行動など 数式、物理現象、シミュレーション結果、時系列データなど
方法 比較、分類、意味付け、構造把握 数値計算、ロジックモデル、アルゴリズムなど
使用例 行動パターンの分析、世論の分析、原因分析 時系列データの解析、クラスタ解析、接触頻度の解析
ニュアンス 一般的/やや抽象的 技術的/定量的/科学的な印象

■ あなたの研究に即した例

  • 「分析」 → 「住民の接触行動の傾向を分析する」
    (なぜこのような行動をしたのか、どう分類できるか)

  • 「解析」 → 「共時空間やRCMをシミュレーションから解析する」
    (DBSCANや空間キューブ分割を使って数理的に抽出する)


■ 使い分けの指針(実務・論文向け)

  • “結果を見る” → 分析

  • “数値から導く” → 解析


■ 結論(あなたの論文において)

  • 第3章~4章:解析
    (設計・構築し、数値やロジックで実行)

  • 第5章:分析
    (その結果を社会的・空間的観点から解釈)