古いラズパイの再活用方法
古いラズパイの再活用方法
1. 背景と目的
実験システム用にTCが2台必要となったので、2019年の実証実験で使っていたラズパイを改造してTCにすることにした。
2. 今回のターゲットとしたラズパイとその構成
ディストリビューションはRaspbianである。
Linux raspberrypi 4.19.66-v7+ #1253 SMP Thu Aug 15 11:49:46 BST 2019 armv7l GNU/Linux
ラズパイにはイーサポートが1つしかないので、2つ目のポートは、USB-Ethを使う。
Cable Matters USB LAN変換アダプター 有線LANアダプター USB イーサネットアダプタ USB2.0 to RJ45
ディストリビューションはRaspbianである。
3. 古いラズパイの再構築
3.1. 状況の把握
古いラズパイを再利用するために、sudo apt-get updateをすると、
E: Failed to fetch http://raspbian.raspberrypi.org/raspbian/pool/main/c/cyrus-sasl2/libsasl2-modules_2.1.27~101-g0780600+dfsg-3+deb9u1_armhf.deb 404 Not Found [IP: 2a00:1098:0:80:1000:75:0:3 80]
E: Failed to fetch http://raspbian.raspberrypi.org/raspbian/pool/main/libv/libvpx/libvpx4_1.6.1-3+deb9u2_armhf.deb 404 Not Found [IP: 2a00:1098:0:80:1000:75:0:3 80]
という表示がでてくる。
3.2 リポジトリの更新更新
この場合リポジトリのURLが古い可能性があるので。/etc/apt/sources.list
または/etc/apt/sources.list.d/raspi.list
を編集し、最新のリポジトリURLを使用していることを確認する。
sudo nano /etc/apt/sources.list.d/raspi.list
deb
行を以下のように変更する:
deb http://archive.raspbian.org/raspbian/ buster main contrib non-free rpi
3.3 パッケージリストを更新更新
リポジトリURLを変更した後、以下のコマンドを実行してパッケージリストを更新する。
アップグレード手順の例:
sudo apt-get update
sudo apt-get upgrade
sudo apt-get dist-upgrade
sudo apt-get autoremove
必要に応じて、リリースをアップグレード:
sudo sed -i 's/stretch/buster/g' /etc/apt/sources.list
sudo sed -i 's/stretch/buster/g' /etc/apt/sources.list.d/raspi.list
sudo apt-get update
sudo apt-get upgrade
以上
「アンコール」は、結構なのですが、アンコールを含めた「絶対終了時刻」で、観客は帰宅できるかどうかにかかっているんですよ ―― これは、本当にシャレにならない話なんですよ。
今年も、年末恒例家族イベントの、劇団キャラメルボックスの観劇に行ってきました。
Once again this year, I went to see a play by the Caramel Box Theater Company, an annual family event at the end of the year.
今年は、こちらです。今年も安定の楽しさでした。
This year, here it is. This year's event was again a stable and enjoyable one.
毎年の観劇で、お芝居そのものに慣れてきたので、今回は客席の方を観察する余裕が出てきました。
Having seen the play every year, I have become accustomed to it, and this time, I have more time to observe the audience.
―― 1階席の客層は、ほとんど私と同世代。男女は同比率(若干男性が多かったような)
"The clientele on the first floor was mostly my generation. Men and women were in the same ratio (there seemed to be slightly more men than women)."
なんとなく、劇団員の父兄が、成人して劇団員になった自分の娘や息子を見に来ているような ―― という、軽い錯覚を起こすような感じでした。
Somehow, it was as if the parents of the troupe members were coming to see their daughters and sons who had grown up and become members of the troupe -- a mild illusion.
キャラメルボックスの席料は、決して高価ではないですが、それでも映画4回分くらいにはなります。
Seating fees at the Caramel Box are not expensive but still amount to about four movies.
若い世代には、ちょっと厳しいのかもしれません(というか、クリスマス前だから、シニアが集っただけかもしれませんが)。
For the younger generation, the cost may be a little tricky (or maybe it's just that it's pre-Christmas, so the seniors are just getting together).
ちなみに、商業演劇が、ビジネルモデルとして破綻している現実については、この本で学びました。
This book taught me about the reality of commercial theater's failure as a business model.
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台湾旅行中に夢中になって読んでいて、旅行の思い出をいくつかロストしてしまいました。
I was so engrossed in reading it during my trip to Taiwan that I lost some memories.
それはさておき。
Aside from that.
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私、演劇やコンサートの「アンコール」について、以前より不満に思っていることがあり、それについては、こちらに記載しています。
I have long been dissatisfied with “encores” at plays and concerts, which are described here.
私、これまで、弊社の茨城地区の出張を、かなりの頻度おこなってきて(多分、日数にすれば、3ケタは越えている)、終電にずっと胃を痛めてきました。
I have been on business trips in the Ibaraki area of our company quite often (probably in the triple digits in terms of the number of days), and I have always been sick to my stomach on the last train.
「アンコール」は、結構なのですが、アンコールを含めた「絶対終了時刻」で、観客は帰宅できるかどうかがかかっているんですよ ―― これは、本当にシャレにならない話です。
The “encore” is fine, but it depends on being able to go home at the “absolute end time,” which includes the encore -- which is not a joke.
茨城/静岡の自宅に戻れるかは、本当に、この「アンコール」のコントロール一つです。主催者はちゃんと、事前に時刻表を睨んで、分秒単位でこの時間を計っているのでしょうか?
It depends on this “encore” if I can return to my home in Ibaraki/Shizuoka. I doubt the organizers have properly timed this to the minute and second in advance, staring at the timetable.
実際に、今回も、2回目のアンコールの直後に、飛び出すように席を立った人がいました。多分、上記の理由だと思うのです。
Again, some people jumped out of their seats after the second encore. I think it was probably for the same reason as above.
観客もこういう事情を鑑みて、特に「夜の公演」では、アンコールは2回以内、2回目のアンコールには、常磐線、東海道新幹線、東北新幹線、その他(上越新幹線、北陸新幹線、山形新幹線、秋田新幹線等)、の終電情報を伝えて、観客のアンコールを上手くコントロールするという配慮をして貰いたい、と、思っています。
For the second encore, the last trains of Joban Line, Tokaido Shinkansen, Tohoku Shinkansen, and others (Joetsu Shinkansen, Hokuriku Shinkansen, Yamagata Shinkansen, Akita Shinkansen, etc.) should be informed so that the encore of the audience can be well controlled. Could you consider this?
私は、本気です。
I am serious.
動画の一部を切り取ることのできる、OBS Studio
これまで、動画の一部を切り取る、という作業をしてきましたが、有償ソフトであり、他の人には紹介できない状況でした。
しかし、先日、「OBS Studio」というフリーのソフトを教えてもらい、使ってみました。
ちょっとハマったところがあったので、自分の為にメモを残しておきます(私が分かりそうな部分は、ザックリ省略します)
Step 1 OBS起動
Step 2 「ウインドウキャプチャ」
で、ここからハマった
画面の切出しが分からない。ChatGPTに聞いたところ、『Altキーを押しながらドラッグで切り出せる』と言われたんだけど、
「Altキーを押しながらドラッグ」すると、画面全体を動かし、サイズも変えることはできますが、画面の部分を指定することができません。
で、なんどか質問を繰り返して
プレビュー画面の赤枠の「端」をAltキーを押した状態でドラッグすると、その部分を切り取れます。
で分かりました。
Step 3 で、この後は、「録画開始」で切りとった部分だけが録画できるようになります。
今回は、比較的軽い「ハマり」で助かりました。
重要なのは「端」です。この一語がないだけで、ハマってしまうのが、この(IT)界隈の面倒くささです。
演劇やコンサートの「アンコール」についてChatGPTに質問してみた件
私は、演劇やコンサート後に行われる、予定調和的なアンコールが嫌いです。これにはどういう(歴史的)背景があり、どういう意味があるのか、論理的に説明して下さい。
予定調和的なアンコールには、演劇やコンサートの歴史的背景と社会的慣習が関係しています。以下にその背景と意味をロジックで説明します。
1. 歴史的背景
- アンコールの起源
アンコールは、18世紀頃のヨーロッパで始まったとされています。当時、観客が特に感動した演目や曲に対して「もう一度演じてほしい」という意味で声を上げたことが起源です。これがやがて公演の一部として定着しました。 - 予定調和化の過程
時代が進むにつれて、観客がアンコールを求める声を上げるかどうかに関係なく、あらかじめ演者やプロデューサーがアンコールを用意するようになりました。これは以下の要因によります:- 商業主義の影響:観客の満足度を高め、次回の集客につなげるための演出。
- 文化的期待:観客が「アンコールは当然あるもの」と期待するようになったため、求められなくても提供されるようになった。
2. 社会的意味
- 観客と演者の儀式化された交流
現代のアンコールは、観客と演者の「最後の交流」としての象徴的な意味を持っています。予定調和的であっても、形式的に「もう一曲」や「最後の挨拶」を行うことで、演者と観客の間に「公演が成功した」という共通認識が生まれます。 - 期待と満足感の提供
予定調和的なアンコールは、観客に「特別なサービス」を提供しているように見せる効果があります。観客は「お得感」や「予想を超える体験」を得たと感じるため、満足度が高まる傾向があります。
3. ロジックによる評価
- 予定調和の利点
- 演者と観客の双方が心地よく公演を終えるための「安全装置」として機能。
- 演者のスケジュール管理がしやすくなる(アンコールが事前に計画されているため)。
- 予定調和の欠点
- 本来のアンコールの意味である「特別感」や「観客からの熱狂的な要望」が失われる。
- 一部の観客には「形式的すぎる」と感じられ、演出の誠実さに疑念を抱かせる。
結論
予定調和的なアンコールは、演者と観客の関係性を円滑にし、商業的成功を支えるための歴史的・文化的産物です。しかし、その形式性が本来の感動を薄める可能性もあります。この背景を理解すると、予定調和的なアンコールが一種の「慣習化された演劇の締めくくりの儀式」であることが見えてきます。
だから、あなたの利害に関わない範囲であれば、もう、「私がやっていることを、放置しておいて欲しいし、手を加えようとしないで欲しい」のです。
多くの人が、従業員(被命令者)という立場と、管理者(命令者)という立場の両方を持っています。
Many people have both the position of employee and manager.
管理者としての私は、従業員の発表(プレゼン)などを聞いた時に、何かコメントを言わなければならないことがあります。特に、何もいうことが思い浮かばなくてもです ―― どーでもいい、と思っている時など。
As a manager, there are times when I hear an employee give a presentation, etc., and I have to say something about it. Even if I can't think of anything to say--even if I don't care.
管理者の中には、「とりあえず、発表内容にケチをつけておく」という人もいます。
Some administrators say, “Let's be stingy with the presentation's content.
ケチをつけておけば、一応、管理者としての「体裁」がつくからです。
If you are stingy, you will have the “appearance” of an administrator.
これを「予定調和」というのかもしれませんが、「ケチをつけられる私」にとっては、とても迷惑です。
We can call the stingy “scheduling,” but it annoys me.
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ところが、その管理者は、その「ケチ」のことは、そのプレゼンの直後に忘れます、それは、びっくりするくらい簡単に。
The managers, however, forget about the “stingy” immediately after that presentation, which is very easy for them.
多くの人が、前回の発表のコメントと矛盾するコメントを繰り返す上司に、はらわたを煮えくりかえしてきたと思います。
I know many of you have been outraged by your bosses, who have repeatedly made comments that contradict the comments made in the previous presentation.
しかし、それは仕方がないのです。"上司は" ―― というか、"人間は"、自分の言ったことを直ぐに忘れるからです。
But it can't be helped.” Bosses” - or rather, ‘people’ - forget what they say immediately.
自分の身分を明かにせず、そして、自分の言ったことに責任を負わない ―― こんなことは、SNSを眺めているだけで明らかです。
Not revealing one's identity and not taking responsibility for what one says are apparent just by looking at social networking sites.
間違った事実が判明した後にさえ、ちゃんと謝罪と自己批判をしている人を、私は、まだ見たことがない。
I have yet to see anyone properly apologize and self-criticize, even after they were wrong.
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だから、私は、以前から「人の意見は聞くな/信じるな/真に受けるな」と言っています。
That's why I have always said, “Don't listen to/believe/take people's opinions seriously.
なぜなら、他人に意見を言う人は、ほとんどの場合、その人のことなど「どーでもいい」からです。
This is because most people who give their opinions to others “don't give a shit” about them.
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前回の「チ。 ―地球の運動について―」の 第12話 「俺は、地動説を信仰してる」では、上記の話と関係するテーゼとアンチテーゼが登場していました。
The thesis and antithesis related to the above story appeared in the previous “Chi.” On the Motion of the Earth, Episode 12, “I Believe in the Geocentric Theory.”
(1)「自分の主張は「間違っている」「真理に達していない」を前提として、批判を受け続けて、修正し続けることに意義がある」
(1) “It is meaningful to keep receiving criticism and keep correcting your claims based on the premise that they are ‘wrong’ or ”not truthful.”
という意見に対して、
In response to the opinion that,
(2)もう一人は「権力等からの干渉や批判を徹底的に排して、科学的手段(自然法則等)のみを根拠として、自分の考えを貫き通すことのみが、パラダイムシフトに足る真理に達する唯一の手段である」
(2) The other person says, “The only way to reach the truth that is sufficient for a paradigm shift is to eliminate interference and criticism from authorities, etc. thoroughly, and to stick to one's ideas based solely on scientific means (natural laws, etc.).
という主張が登場します。
This assertion appears in the following section.
で、今回の私の主張は上記の(2)になるのかもしれません。
So, my argument this time may be (2) above.
しかし、私は上記(1)も否定していません。
However, I do not deny (1) above either.
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自分が何を言いたいのか、分からなくなってきました。
I am not sure what I am trying to say.
ただ、私は、自分の人生において『世界に何かを届けたい』などという大それた野望や、願望、立身出世など、その手のものは、もう何も残っていないのです。
I don't have any grand ambitions, aspirations, or upstandings left in my life, such as 'I want to bring something to the world.
だから、あなたの利害に関わない範囲であれば、もう、「私がやっていることを、放置しておいて欲しいし、手を加えようとしないで欲しい」のです。
So, as long as it is not against your interest, I would like you to leave me alone and not try to modify what I am doing anymore.
私も、あなたのやっていることには干渉しませんから ―― 私の利害に関わらない範囲であれば。
I will also not interfere with your work if it does not involve my interests.
私は、今の時代に必要なのは「積極的無関心」ではないかと思うのです ―― つまり、『人のことはほっとけ。自分のことだけやっとけ』です。
恐しく面倒で難しくて、そもそも、汎用性に欠ける属人性の高い他人の技術を、一体、どこの誰が学ぼうと思います?
「人に頼ることができて、はじめて一人前の社会人」という話は良くききますし、私もそれ自体に疑義を申し立てるつもりはありません。
It is often said that “only when you can rely on others can you become a full-fledged member of society,” I have no intention of questioning that statement.
でもね、
However,
『自分でやれば1週間』
"If I do it by myself, it takes a week."
『他の人に一から教えると1ヶ月 + T.T(テクニカルトランスファー)時間』
"If I teach someone else from scratch, it will take a month + T.T. (technical transfer) time."
という場合、人に頼む、という選択肢があると思いますか? (しかも、納期とフォローも容赦なくやってくる)。
Do you think there is such an option as “asking someone to do it for me?” (And the deadlines and follow-up come relentlessly).
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実際に、私が編み出した、GISシミュレーション技術は、誰も継承してくれません。
No one will inherit the GIS simulation technology that I have developed.
いや、分かりますよ。だって、恐しく面倒で難しくて、そもそも、汎用性に欠ける属人性の高い他人の技術を、一体、どこの誰が学ぼうと思います? 私だって嫌ですよ。そんな技術の取得なんぞに時間を費やすのは。
Yes, I understand. Who in the world would want to learn someone else's technology that is so tedious, difficult, and, to begin with, lacking in versatility? Even I don't want to. I don't want to spend my time acquiring such technology.
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こんな感じで、高度に面倒くさい専門性の高い技術は、誰にも継承されず、失われていくんです。
Like this, highly tedious and specialized skills are not passed on to anyone and are lost.
エンジニアの世界には『人に頼む』という前提が『成立しない』仕事というものがあるんですよ。
In engineering, there are some jobs for which the premise of “asking others for help” is invalid.
でも、それは仕方がないことだと思っています。
I am sorry, but it cannot help that.
そういう技術は、私と一緒に墓の中に埋葬される運命です。
Such technology is destined to be buried in the grave with me.
ともあれ、まあ、私としては、「『人に頼むことができて、はじめて一人前の社会人』が成立しないフィールドがある」、ということだけは、皆さんに覚えておいて頂きたいのです。
Anyway, for my part, I would like everyone to remember that there are fields where it is not possible to be a “full-fledged member of society only when you can ask others for help.
「皇室の方々が、そういう方向の研究には向かないようにする方がいい」
先日、皇室の方々の学問・研究について、個人的な戯言(ざれごと)を記載させていただきました。
The other day, I described my ramblings about the study and research of the people of the Imperial Family.
嫁さんは『皇室の方々は、先端技術や戦争の研究はされるべきではない』と言っています。
My wife says, 'Imperial family members should not be studying advanced technology or warfare.
しかし「『学問の自由』は絶対である」と考える私としては、『それはダメだろう』と思うのです。
But as someone who believes that “academic freedom” is absolute, I think, 'That's not good enough.
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嫁さん:「皇室の方々が、そういう方向の研究には向かないようにする方がいい」
Wife: “It's better to ensure that the imperial family members don't turn to research in that direction.”
江端:「皇室の血脈が、そのような研究に向いていないことを、DNAレベルで調べる、ということを言っている?」
Ebata: “Are you saying that the imperial lineage is not suited for such a study at the DNA level?”
嫁さん:「いや、皇室の方が、そういう方向の研究には向かないように変えていく、ということ」
Wife: “No, I mean that the imperial family will make changes so that research will not be directed in that direction.”
江端:「(世論または政治的な同調)圧力で?」
Ebata: “(Public opinion or political sympathy) pressure?”
嫁さん:「いや、技術で」
Wife: “No, by technology.”
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嫁さんは、よく分かっていないようですが、『実に恐しいこと』を言っているのです。
My wife doesn't seem to understand what she is saying, but she is saying something 'horrifying.
その技術を深く考えていけば、究極的には『DNAレベルの遺伝操作』を、皇室関係者の方々に施す、という解に至ります。
If we consider the technology in depth, we will ultimately arrive at the “genetic manipulation at the DNA level” solution for people related to the Imperial Family.
これは「不敬」などというレベルを遥かに越える、人類の倫理・人道上の大問題です。
This is a major ethical and humanitarian issue for humanity that goes far beyond the level of “disrespect.
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まあ、こんな技術開発は不可能だ、ということは分かってはいるんですけど。
Well, I know that it is impossible to develop such technology.
DNAの構造(性格を操作する塩基配列制御)や、ちょっとした数学とITの知識(組み合わせ爆発)等の知識があれば、簡単に分かることです。
It's easy to figure out with some knowledge of DNA structure (sequence control to manipulate personality), a little math and IT knowledge (combinatorial explosion), etc.
そういうえば、そういうことを、大声で叫んでいた人、結構な数いたなぁ ―― 新型コロナのワクチン摂取の頃に。
Quite a few people were shouting that sort of thing out loud -- around the time of the new coronavirus vaccine intake.
もちろん、私は、『祈祷で感染を防ぐ』とか叫んでいたカルトと同様の取り扱いをしていましたが。
Of course, I handled them in the same way as the cults that were shouting, 'Prayer prevents infection' and so on.
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犯罪者の皆さんは、私のような「権力の犬(の犬)」が、少なからず存在することを覚悟して下さい
我が家には玄関と庭に、24時間連続稼動のカメラを設置していて、動態状態を撮影し、それをログ(ラズパイ)に保管しています。(ちなみに使用しているカメラは私がジャンクとして拾ってきたものです)
We have cameras that run continuously 24 hours a day on our front porch and in our yard. They capture dynamic conditions and store them in a Raspberry Log. (By the way, the camera I am using is one I picked up as junk.)
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我が家も長女が家を出て、来年は次女も就職で家を出るかもしれません。
Our oldest daughter has left home, and our second daughter may leave next year for a job.
つまり、来年から私たち夫婦の生活となり、遠くない未来に一人暮しになるはずです。
This means that we will be living together next year and should be living alone in the not-too-distant future.
その前に対策をしておくべきか、と考えております。
I should take action before that happens.
仮に強盗に襲われたとしても、山のように証拠映像を残しておけるようにしておこうと思います。
If I were to be robbed, I would try to keep a mountain of video evidence.
部屋の中にカメラを設置するのは抵抗がありますので、階段の天井に設置しておくか、と思っています(PoEによって、恐しく配線がラクになりました)。
I am uncomfortable installing a camera in a room, so I am considering installing it in the staircase ceiling (PoE makes wiring more manageable, I'm afraid).
サーバも、ラズパイから、クラウド(Amazon LightSail)で管理する方向で考えています。
I am also considering managing the server from Raspi to the cloud (Amazon LightSail).
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カメラ、といえば、私、色々な因縁があります。
Speaking of cameras, I have a lot of history.
実は、この話、警察から、カメラ設置の依頼を受けたのです。
This story is about a request from the police to install cameras.
多分、私は自宅の回りにカメラを設置しまくっていたので、『この家は、カメラ設置に対する心理的抵抗が低い』と思われたと思います(まあ、実際にその通りなのですが)。
Perhaps because I had installed cameras all around my house, people thought, 'This house has low psychological resistance to camera installation' (well, that's true).
まあ、我が家から提供したものは「電源」と、カメラを配置するための庭の一部です。映像転送装置をチラっと見たのですが、基本的な構成は私が作っているものと同じで、「警察も予算が苦しいんだなぁ」と、思ったものです。
Well, what we provided from our home was the “power supply” and part of the yard to place the cameras. I had a glimpse of the video transmission system, and the basic configuration is the same as what I am building, and I thought to myself, “I guess the police are struggling with their budget too.
「この警察からの依頼は、合法なのか?」 とも思いましたが、深く考えるのを止めました。『面白そう』という興味の方が勝りました。
I thought, “Is this request from the police legitimate?” But I decided not to think about it too much. I was more interested in the 'fun' aspect of it.
おそらく、容疑者の毎日の行動パターンを把握するためだったのだろう、と推認しています。
I surmise that it was probably to understand the suspect's daily behavior patterns.
犯罪者の皆さんは、私のような「権力の犬(の犬)」が、少なからず存在することを覚悟して下さい ―― というか、『犯罪者なら定住なんぞするな』と説教したくなります。
Criminals, please be prepared that there are more than a few “dogs(s) of power” like me. Or, as I would like to preach, “If you are a criminal, don't settle down.”
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今、私の視界には、実験用の5台のカメラがあります。
I now have five experimental cameras in my field of view.
江端家システムのセキュリティを破って、カメラのロックを外せれれば、私の部屋の中は覗き放題です ―― 私の部屋の中を見て何か楽しいことがあるのかは、私には分かりませんが、少なくとも私に恥をかかせることはできるでしょう。
If you can break the security of the Ebata family system and unlock the cameras, you can peek inside my room all you want -- I don't know if there is anything fun in looking inside my room, but at least you can embarrass me.
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私は『自分の家だけは、強盗に入られない』などという都合のよいことは考えていません。
I don't think, 'Only my house is burglar-proof.
高齢者宅はいつだって、強盗のターゲットです。
Elderly homes are always a target for burglars.
ただ、たとえ殺害されようとも、「ただでは殺られん」という気合はあります。
However, even if I am murdered, I am determined not to be killed easily.
ちなみに、我が家では、カメラだけでなく、殴打する武器(バット)なども、直ぐに取り出せる状態になっています。
Incidentally, in our house, not only cameras but also weapons (bats) for beating are ready to be taken out immediately.
強盗に金庫を開けるように言われたら、私は素直に開けます ―― が、金庫の中には、犯人を殺傷できる武器も入っています。
If a robber asks me to open a safe, I open it honestly -- but the safe also contains a weapon that can kill or injure the criminal.
という訳で ―― この平和な時代にあっても、「武装」という概念を持ち続けているシニアが存在していることを、覚えておいて下さいね。
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親や子どもの見守りシステムから、自分のための見守りシステムへのシフト ―― これが、歳をとる、ということなのだなぁ、としみじみと実感しています。
I realize with sincerity that growing old means shifting from a system of looking out for parents and children to a system of looking out for oneself.
はっきりいって、米国のマヨネーズは不味い。
(この話は、米国在住の2000-2002当時の話になることを、ご了承下さい)
(This story is from 2000-2002, when I lived in the U.S.)
マヨネーズは、アメリカ合衆国発祥の調味料ではありますが、アメリカのマネヨーズと日本のマヨネーズは、まったく違います。
Although mayonnaise is a condiment that originated in the United States, American mayonnaise and Japanese mayonnaise are pretty different.
はっきりいって、米国のマヨネーズは不味い。
To be clear, mayonnaise in the U.S. tastes terrible.
「味の嗜好が違う」という問題なのかもしれませんが、我が家では、米国のマヨネーズは食していませんでした。
Perhaps it's a matter of “different taste preferences,” but our family never ate U.S. mayonnaise.
甘さ:アメリカのマヨネーズは、日本のマヨネーズに比べて甘みが強い傾向がある。この甘さが、日本人の味覚に違和感を与えることがあるらしい。
Sweetness: American mayonnaise tends to be sweeter than Japanese mayonnaise. This sweetness is said to be sometimes uncomfortable to the Japanese palate.
酸味:日本のマヨネーズ(特にキユーピー製)は酢の酸味が強く、卵黄を多く使っているため、濃厚でクリーミーな味わいが特徴。一方、アメリカのマヨネーズは酸味が控えめで、ライトな味付けになっている
Acidity: Japanese mayonnaise (mainly made by Kewpie) has an intense sourness from vinegar and a thick, creamy taste due to the high use of egg yolks. On the other hand, American mayonnaise is less acidic and has a lighter flavor
食感:アメリカのマヨネーズは軽いテクスチャのものが多く、日本のマヨネーズのようなコクを期待すると物足りなさを感じる。
Texture: Many American mayonnaise products have a light texture, and if you expect the richness of Japanese mayonnaise, you will find it lacking.
ともあれ、当時、我が家では、マヨネーズは、嫁さんの実家から空輸して貰う貴重品でした。
Mayonnaise was a precious commodity in my family, flown in from my wife's parents' house.
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「ツナマヨネーズおにぎり」に人気があることからも、マヨネーズと御飯は、非常に相性が良いです。
Mayonnaise and rice go very well together, as evidenced by the popularity of “tuna mayonnaise onigiri.
「ツナマヨネーズおにぎり」が登場したのは、1990年代の初頭とされています。コンビニエンスストアの中でも特に セブン-イレブン が1991年に発売したのが最初と言われています。
Tuna mayonnaise onigiri” first appeared in the early 1990s. Among convenience stores, Seven-Eleven is said to have been the first to market the product in 1991.
当時、ツナ缶とマヨネーズという組み合わせは、すでに家庭料理やサンドイッチの具材として広く親しまれていましたが、発売当初、「ツナマヨネーズおにぎり」は忌避されていたと記憶しています。
At the time, the combination of canned tuna and mayonnaise was already widely popular in home cooking and sandwiches. Still, I remember that “tuna mayonnaise onigiri” was avoided when it was first released.
「マヨネーズとごはん」というのは、何かのタブーのような取り扱いだったように思います。
It seems to me that “mayonnaise and rice” was treated as a taboo.
もちろん、当時も「マヨネーズかけごはん」という食し方も確かにあったのですが、これは「きわもの」扱いされていたと思います。合えて言うなら「貧困状態を表わすメタファ」のような感じでしょうか。
Of course, there was also a way of eating “mayonnaise on rice” then, but I think it was treated as “something extreme. If I had to put it another way, I would say it was like a metaphor for poverty.
ただ、論理的に考えると「卵かけごはん」は日本人のソウルフードと言えるのに、「マヨネーズかけごはん」が忌避される、というのは、変な話ではあります。特に、「ツナマヨネーズおにぎり」が人気商品であることを鑑みると、さらに変だと思います。
However, logically speaking, it is strange that “Gohan with egg” can be called the soul food of the Japanese, while “Gohan with mayonnaise” is anathema. It is even stranger, especially because “tuna mayonnaise onigiri” is popular.
ちなみに、私は、マヨネーズかけごはんは「ダメ」。冷やし中華麺にマヨネーズは「必須」。唐揚げにマヨネーズは「可」です。手巻き寿司にマヨネーズは「OK」です。
By the way, I am a “no-no” for rice with mayonnaise. Mayonnaise on chilled Chinese noodles is a “must. Mayonnaise on fried chicken is “yes.” Mayonnaise on hand-rolled sushi is “OK.
ばっきりいって、一貫性がありません。
It is not consistent.
まあ、こういう説明不能な嗜好というものが、経験とか文化の一側面であると思います。
Well, these unexplainable preferences are an aspect of experience and culture.
それに理屈をつけることはできるのですが、あまり意義のない行為なのだとは思います。
We can reason with that, but I don't think it is a very significant act.
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以前、「私はカニバリズム(Cannibalism)もO.K.」てなことを書きましたが ―― 『人肉であっても、唐揚げにして、マヨネーズかければ、食べられるかにしれないな』とか思っています。
I once wrote, “I am OK with cannibalism,” but now I am thinking, “Even if it is human flesh, I can eat it if I deep-fry it and put mayonnaise on it.