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不特定多数の人間と性交渉することが、インモラルである、ということの根拠を説明してください

倫理的・道徳的な観点から、不特定多数の人間と性交渉する行為が「インモラル(道徳的に問題がある)」とされる理由は、以下のような点が挙げられます。ただし、これらの議論は文化、社会的価値観、宗教的背景などによって異なるため、普遍的な真理として受け入れられるわけではありません。

1. 社会的規範に反する可能性

多くの文化や宗教では、一夫一妻制や特定の相手との忠実さが推奨されており、不特定多数との性的関係はその規範に反するとみなされます。こうした規範は、家族制度や社会の安定を維持するために形成されてきた歴史があります。

2. 信頼と誠実さの欠如

性的な関係は、しばしば信頼や誠実さを基盤とした親密な関係の一部と見なされます。不特定多数との関係は、特定の相手に対する誠実さを欠くものと解釈されることがあり、その結果、信頼の破壊や人間関係の悪化を引き起こす可能性があります。

3. 性的健康と安全のリスク

複数の相手と性交渉を持つことは、性感染症(STI)のリスクを高める要因となります。また、相手にそのリスクを伝播させる可能性があるため、他者への配慮や責任の欠如として批判される場合があります。

4. 感情的な損傷の可能性

性的関係が深い感情的結びつきを伴うことが多い場合、不特定多数との関係は感情的な摩擦やトラブルを生みやすいとされています。たとえば、関係を持った相手の感情を軽視する行為とみなされる場合があります。

5. 宗教的・哲学的観点

特定の宗教や哲学的な立場では、性的行為は神聖なものと考えられ、軽率に行うべきではないとされています。不特定多数との関係は、この価値観に反するものとして批判される場合があります。

6. 他者への影響

家庭や恋愛関係において不特定多数との性的関係が発覚することで、パートナーや家族に精神的なダメージを与えることがあります。その結果、個人的な幸福だけでなく、他者の幸福や信頼を侵害する行為と見なされることがあります。

結論

不特定多数の人間と性交渉を持つ行為が「インモラル」とされる背景には、社会的規範、信頼関係の重要性、健康上の懸念、宗教的価値観などが複雑に絡み合っています。ただし、現代の多様な価値観において、個人の自由やプライバシーを尊重する動きも強まっており、この問題に対する見解は一様ではありません。

不特定多数の人間と性交渉することで利益を得ることを禁止する法律の立法根拠はどのようなものでしょうか

不特定多数の人間との性交渉を通じて利益を得ることを禁止する法律(売春防止法など)の立法根拠は、主に以下の観点に基づいています。これらは、社会の秩序や個人の人権を守る目的で制定されることが一般的です。

1. 社会秩序の維持

売春などの行為が広がると、犯罪や違法行為(人身売買、暴力団の関与、薬物犯罪など)と結びつきやすいとされています。こうした状況を放置すれば、社会の秩序や治安が悪化する可能性があるため、法律によって規制されています。

2. 人権の保護

不特定多数との性的関係を通じて利益を得る行為が、しばしば人身売買や搾取につながるケースがあります。特に弱い立場にある人々(貧困層、未成年者、移民など)が強制的または半強制的に従事させられることが問題視されています。このような搾取から個人を保護することが立法の重要な目的です。

3. 公共の福祉

売春の合法化や拡大が地域社会に与える影響が懸念されます。性的サービスを提供する施設が増えると、地域の住民に不安を与えるだけでなく、子どもや若者への悪影響が懸念されるため、公共の福祉を守る観点から規制されます。

4. 倫理的・文化的価値観

多くの国や地域では、性的関係が個人間の親密な行為として捉えられ、それを商業的な活動とすることは道徳的に不適切とみなされています。この倫理的な価値観を反映して、売春などの行為が禁止される場合があります。

5. 健康リスクの管理

売春業の蔓延は、性感染症(STI)の拡大リスクを高めるとされています。これにより、公衆衛生の問題が発生するため、法律によって規制することで、感染症拡大の抑制が図られています。

6. 経済的搾取の防止

売春や性産業が合法化されると、雇用主や仲介者が労働者を過酷な条件で働かせることがあり、経済的搾取の問題が発生します。こうした状況を防ぐため、法律で利益を得ること自体を禁止する場合があります。

7. 性の商品化への批判

性的関係を商業的取引の対象とすることは、人間の尊厳や性的自由を侵害する行為とみなされる場合があります。この観点から、性の商品化を規制する法律が制定されています。

結論

不特定多数の人間と性交渉することで利益を得る行為を禁止する法律は、社会秩序や公衆衛生の維持、弱者保護、人間の尊厳を守ることを目的としています。ただし、このような規制が十分な保護を提供しているか、または労働者の権利を適切に考慮しているかについては、国や地域によって議論が分かれることがあります。

不特定多数の人間と性交渉することによって利益を得ることが、完全な自由意思で行われている場合、これを罪とする法律的または倫理的根拠はどのようなものになるでしょうか

不特定多数の人間と性交渉することによって利益を得る行為が、完全に自由意思で行われている場合でも、それを罪とする法律的・倫理的根拠には以下のような理由が挙げられます。ただし、これらの根拠が普遍的に受け入れられるかどうかは、社会や文化、法体系によって異なります。


法律的根拠

  1. 公共の福祉や秩序への影響
    性的サービスが商業化されると、公共の場での規範や秩序が乱れる可能性があります。これを防ぐために、行為の自由意思の有無にかかわらず法律で規制する場合があります。特に、こうした行為が地域社会の治安や道徳に悪影響を及ぼすとされる場合には、個人の自由よりも公共の利益が優先されると考えられます。
  2. 間接的な被害防止
    自由意思で行われている場合でも、性産業全体が人身売買や搾取、暴力などの温床になる可能性があります。このため、個々のケースが合法的であったとしても、業界全体の問題を予防するために包括的な禁止が行われることがあります。
  3. 難しい自由意思の判定
    表面的には自由意思に見える場合でも、経済的困窮や社会的プレッシャーなど、間接的な強制が存在することがあります。法制度はこれらの微妙なケースをすべて判別することが困難であるため、包括的に規制することが正当化される場合があります。

倫理的根拠

  1. 人間の尊厳の保護
    性的行為を商品として取引することは、人間の尊厳を損なう行為とみなされる場合があります。この観点から、たとえ当事者が自由意思で行ったとしても、社会全体の価値観や倫理観に基づいて批判されることがあります。
  2. 性の商品化への批判
    性的関係は本来、親密さや感情的なつながりを基盤とするものであると考えられる場合、それを金銭と引き換えに取引する行為は、性そのものを商品化する行為として批判されます。これにより、社会全体の倫理的基盤が揺るがされる可能性があるとされます。
  3. 他者への影響
    性産業の存在が一般の人々、特に若者や子どもに与える倫理的・心理的影響が懸念されます。自由意思に基づく行為であったとしても、その行為が社会的に「普通化」されることで、他者の価値観や行動に悪影響を及ぼす可能性があります。
  4. 道徳的規範の保護
    多くの社会では、特定の道徳的規範が共有されており、これを守ることが社会の秩序を維持するうえで重要とされています。不特定多数との性的関係を利益目的で行うことは、こうした規範に反するとされることがあり、倫理的な問題とみなされます。

議論の余地

自由意思に基づく性産業の規制については賛否両論があります。一部では、個人の自由を尊重し、適切な規制と労働者保護を行えば問題ないとする立場もあります。対して、社会全体への影響や倫理的懸念を理由に禁止すべきとする意見も根強くあります。

結論として、自由意思の有無にかかわらず、法的・倫理的な規制が課される背景には、社会全体の秩序、他者への影響、人間の尊厳といった広範な観点が含まれています。

我が国においては、未成年との性交渉が罪になることがありますが、この条件とその根拠を教えて下さい

日本において、未成年者との性交渉が罪とされる場合、その条件と法的根拠は以下の通りです。


1. 条件

(1) 児童買春・ポルノ禁止法(児童買春罪)

  • 条件
    未成年(18歳未満)の児童に対して金銭や物品などの対価を提供し、性的行為を行う場合。
  • 法的根拠
    児童買春・児童ポルノ禁止法(正式名称:児童買春、児童ポルノに係る行為及び児童の福祉に関する法律)。特に第2条と第4条で規定されています。
  • 罰則
    5年以下の懲役または300万円以下の罰金。

(2) 強制性交等罪

  • 条件
    未成年者の同意の有無にかかわらず、脅迫・暴行を用いて性的行為を行った場合。
  • 法的根拠
    刑法第177条(強制性交等罪)。
  • 罰則
    5年以上の有期懲役。

(3) 青少年保護育成条例(自治体条例)

  • 条件
    各自治体が定める条例に基づき、青少年(概ね18歳未満)に対する性的行為やそれを目的とした出会いを禁止している場合。
  • 法的根拠
    都道府県の青少年保護育成条例。多くの場合、性的行為だけでなく、その誘引や準備行為も処罰対象となります。
  • 罰則
    自治体により異なるが、懲役や罰金が科される場合があります。

2. 根拠

(1) 未成年者の保護

未成年者は心身ともに成熟していないとされ、性的行為に関する判断能力が十分でないと考えられています。そのため、成年者との性交渉が未成年者に対して心理的・身体的な被害を与える可能性を防ぐための規定です。

(2) 性的搾取の防止

未成年者が経済的困窮や環境的要因から性的行為に巻き込まれるリスクを軽減する目的があります。特に児童買春は経済的搾取や人権侵害とされ、厳しく規制されています。

(3) 社会的倫理と道徳の維持

未成年者との性的関係を規制することは、社会全体の倫理的価値観や道徳を保つ役割があります。特に18歳未満は「保護されるべき存在」として認識され、性的対象とすることは社会的に許容されないとされています。

(4) 犯罪抑止効果

未成年者に対する性的犯罪は、被害者の人生に深刻な影響を与える可能性があります。そのため、未然に犯罪を防ぐ抑止力として厳格な法律が設けられています。


3. 特記事項

  • 同意の有無に関係なく犯罪となる場合がある
    未成年者が自発的に同意した場合であっても、その行為が法律や条例で禁止されている場合には罪に問われる可能性があります。
  • 年齢詐称があった場合
    相手が意図的に年齢を偽った場合でも、相手が未成年と知らなかったことを証明する責任が加害者側に求められる場合があります。

結論

未成年者との性交渉を罪とする法律の条件と根拠は、未成年者の心身の保護、性的搾取の防止、社会的倫理の維持、犯罪抑止を目的としています。これらの法律や条例は、未成年者を守るために制定されており、個々のケースに応じた適用が求められます。

ここでいう「倫理的価値観や道徳」がどのようなものになるのか言語化して下さい。

ここでいう「倫理的価値観や道徳」とは、社会が共有する規範や価値観の集合体であり、人々が互いに尊重し合い、調和を保ちながら生活するための基盤を指します。これを未成年者との性交渉に当てはめると、次のように言語化できます。


1. 子どもの尊厳と未熟性への配慮

  • 価値観
    子どもは心身ともに成熟しておらず、性的な行為に伴うリスクや影響について十分な判断能力を持たない存在とされています。そのため、子どもの尊厳を守り、彼らを適切に保護することが大人の責任であるという倫理観が含まれます。
  • 道徳
    子どもは性的対象ではなく、健全な成長を支えるべき存在であり、大人はその成長を妨げないようにすべきであるという道徳的義務。

2. 権力や立場の不均衡への対応

  • 価値観
    成人と未成年者の間には、身体的・精神的成熟度や経済力、社会的地位などで大きな不均衡が存在することが多く、これを悪用することは倫理的に許されないという認識。
  • 道徳
    未成年者は立場が弱い存在であり、大人はその弱さを利用してはならないという道徳的責務。

3. 性行為の適切な場とタイミング

  • 価値観
    性的行為は、十分な判断能力と合意に基づく対等な関係の中で行われるべきものであり、未成年者はそのような関係を築く準備が整っていないと考えられています。
  • 道徳
    性行為は個人間の親密な絆を育む行為であり、未成年者にそのような関係を強要することは道徳に反する。

4. 社会的影響への配慮

  • 価値観
    子どもが性的対象として扱われる社会は、他の子どもたちやその周囲の人々に対して深刻な心理的影響を与える可能性があり、そのような事態を防ぐことが社会全体の利益になるという考え方。
  • 道徳
    子どもたちが安心して成長できる環境を守るため、大人が範を示し、行動を慎むべきだという道徳的義務。

5. 人間の尊厳と社会の調和

  • 価値観
    すべての人間は年齢に関係なく尊厳を持つべき存在であり、特に未成年者は社会の保護を受ける権利を持つという信念。
  • 道徳
    社会全体が調和を保つためには、未成年者を搾取や危害から守り、彼らが安心して生活できる環境を整えることが重要。

結論

「倫理的価値観や道徳」とは、未成年者を尊重し保護するために社会が形成してきた規範であり、その背景には未熟な存在への配慮、権力の不均衡の是正、性行為に対する適切な判断の尊重、社会全体への影響への配慮といった要素が含まれています。これらは、社会の健全性や次世代の成長を支えるための共通理解といえます。

不特定多数の人間と性交渉することによって利益を得ることが違法とならない国があれば教えて下さい。

不特定多数の人間と性交渉することで利益を得る行為が違法とならない国や地域として、以下の例が挙げられます。ただし、合法化されている場合でも厳格な規制や条件が課されることが多く、無制限に許可されているわけではありません。


1. オランダ

  • 状況: 売春は合法であり、職業として認められています。売春婦は労働者として登録され、税金を支払う義務があります。
  • 規制: 公的なライセンスが必要で、衛生や安全が確保されるように厳しく管理されています。また、未成年者や強制的な売春は厳格に禁止されています。

2. ドイツ

  • 状況: 売春は合法であり、2002年の「売春法」以降、性的サービス提供者は正式な労働者としての地位を得ています。
  • 規制: 働く場所や条件が法律で定められており、健康診断や納税義務が課されています。

3. ニュージーランド

  • 状況: 2003年の「売春改革法」により売春が合法化され、性的サービスを提供する人々の権利が認められています。
  • 規制: 労働条件や安全対策が重視され、強制売春や人身売買に関与する行為は厳しく罰せられます。

4. スイス

  • 状況: 売春は合法であり、特定の条件下で許可されています。登録や税金の支払いが求められます。
  • 規制: 各州ごとに異なるルールが適用され、売春エリアや営業時間が制限されている場合があります。

5. オーストラリア(一部の州)

  • 状況: 州ごとに規制が異なりますが、ビクトリア州やニューサウスウェールズ州などでは売春が合法です。
  • 規制: 法律に基づき運営される施設が必要で、違法行為(未成年者の関与や強制売春など)は厳しく取り締まられています。

6. カナダ

  • 状況: 2014年に施行された法律により、性的サービスを購入する行為が犯罪とされましたが、売春そのものは違法ではありません。
  • 規制: サービス提供者が搾取されないよう保護する一方で、サービス購入者への罰則が科されています。

結論

これらの国々では、性的サービスを提供する行為が合法化されていますが、ほとんどの場合、労働者の安全、健康、権利を守るために厳格な規制が設けられています。また、未成年者の関与や強制売春、人身売買に関しては、どの国でも厳しい罰則が設けられています。各国の規制は文化や社会的背景に依存しており、合法であることが倫理的に正当化されるわけではない点にも留意が必要です。

2025,江端さんの忘備録

昨年、中国、ドイツ、そして新年早々北米で、「群衆に車が突っ込む」という事件が立て続けに起こりました。

Last year, cars drove into crowds in a series of incidents in China, Germany, and North America.

日本でも、2008年の「秋葉原通り魔事件」を思い起こせば、この事件がグローバルなものであることは明白です。

Even in Japan, if you recall the Akihabara massacre of 2008, it is clear that this incident is a global one.

従来、こうした事件に対しては厳罰化、たとえば死刑制度の適用やその強化が有効な対策とされてきましたが、近年の状況を考えると、これが有効に働いていないことは明らかです。

In the past, stricter punishments for such cases, such as the application or strengthening of the death penalty, were considered a practical measure. Still, considering the situation in recent years, it is clear that this is not working effectively.

そもそも、自爆テロや「死刑になりたい」という歪んだ動機で行われる事件には、そもそも厳罰が意味を成しません。むしろ、死刑は、司法と社会が、テロリストの目的を達成を助けているようなものです。

To begin with, severe punishment makes no sense in cases of suicide bombings or other incidents carried out for twisted reasons such as “I want to be executed.” Instead, the death penalty is like the judiciary and society helping the terrorists achieve their goals.

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この問題の根幹は「自己承認欲求」という普遍的な人間の心理なんだろうなぁ、と推測しています(ケースごとに分析すべきで、乱暴に纒めるのは危険ですが)。

I think the root of this problem is the universal human psychology of “the need for self-approval” (although it should be analyzed on a case-by-case basis, and it is dangerous to generalize).

で、もって「自分を理解してほしい」「自分の存在を認めてほしい」という欲求が満たされないとき、それが、破壊的な形で現れる、と。

So, when the desire to be understood and to have one's existence acknowledged is not fulfilled, it destructively manifests itself.

テロというのは、自己承認欲求を満たす手段としては、最高です。

Terrorism is the best way to satisfy one's need for self-approval.

自分の顔も名前も知れ渡る上に、自分の過去を調べ上げられ、そして、多くの有象無象から、テロを起こした背景や動機まで推測してくれます。

Not only will your face and name become well-known, but they will also investigate your past, and many people will speculate about the background and motives behind the terrorist attack.

まさしく、"ハレ"ですよね。

It's a “Hare” event.

下記の、『成人式で騒ぎを起こすことが、人生最後のセレモニー』と、基本的には同じモノだと、私は思っています。

I think the following is the same: "causing a disturbance at a coming-of-age ceremony is the last ceremony of your life.”

―― 成人式の日が、死刑執行の前日

―― 大人になってからでも、人生は挽回できる

「成人式の廃止」

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個人的に言えば、私、こんな奴らを構うのは嫌です。

Speaking personally, I don't want to make any relation with these people.

1ミリ秒も、この手のバカには関わりたくないです。

I don't want anything to do with this kind of idiot for even one millisecond.

しかし、『多くの私のような人間が、こんな奴らのテロを量産している』と言われれば、否定しにくいのも事実です。

However, it is also true that it is difficult to deny when people say, “Many people like me are mass-producing this kind of terrorism.”

このようなテロを量産しない手段は、一つしかありません ―― 「人に優しい社会の実現」です。

There is only one way to prevent the mass production of such terrorism: the realization of a society that is kind to people.

人との関わり合いを大切にして、社会的な孤立を防ぎ、誰もが主観的幸福感を感じられるような、ソーシャルキャピタルを増加させる社会の実現です。

The aim is to create a society that values human relationships, prevents social isolation, and increases social capital so everyone can feel subjective happiness.

―― で、私、そんな社会の実現に、1mmも興味ありません。

However, "I have no interest in realizing such a society."

なにしろ私は、『世界がどうなろうが、私の知ったことか』が、信条です。

After all, my motto is “I don't care what happens in the world.”

しかし、私のこの信条を、だれもが実施すると、前述のように、予測不可能なテロを量産することになります。

However, if everyone were to implement this belief of mine, as mentioned above, it would result in the mass production of unpredictable terrorism.

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そこで、私、パラダイムシフトをすることにしました。

So, I decided to make a paradigm shift.

「人に優しい社会」を、"目的"ではなく、単なる"手段"と考える。

I think of a “society that is kind to people” not as an “aim” but as a mere “means.”

何の"手段"か?

What kind of “means”?

自衛です。

Self-defense.

自分の生命の危機を回避する手段としての自己防衛手段です。

It is a means of self-defense and avoiding a threat to my life.

「人に優しい社会」が、自分の命を担保する手段となるのであれば、自分の信念の一部をひん曲げても、元の取れるトレードオフにはなると思っています。

If a “society that is kind to people” is a means of securing one's own life, I think it would be a trade-off that would pay off, even if it means bending some of one's own beliefs.

なにしろ、私の生命は、債券にできない、代替不能で、不可逆な財産ですから。

After all, my life is a non-negotiable, irreplaceable, irreversible asset.

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「人に優しい社会」を、"目的"ではなく、単なる"手段"と考える、という最初のアプローチとしては、とりあえず、「人に優しい『フリをする』社会」から始める、と。

As a first step toward considering a “society that is kind to people” not as an “aim” but as a mere “means,” we will start with a “society that pretends to be kind to people.”

簡単なとことでは、挨拶や声かけの推奨、形式的な「助け合い」イベントの実施、簡易な慈善活動の奨励です。もちろん、これらは、今でも実施されているかと思いますが ―― これからは"本気"でやる。

I can encourage greetings and friendly conversation, hold formal “mutual aid” events, and promote simple charitable activities. Of course, I think these things are still being done now, but from now on, I will do them “for real.”

私も宗教団体が戸別訪問してきたとしても、冷たく突き放すのではなく、ちゃんと向きあって、話し合いもしましょう。

Even if a religious organization comes to my door, I won't just turn them away coldly. I'll face them properly and have a discussion.

あちらが神の素晴しさを説くのであれば、私は、コミュニズム(共産主義)の素晴しさを説いて、御互いの信じるものを、相互に称え合うようにしましょう、"本気"で。

If they are going to preach about the wonders of God, then I will preach about the wonders of Communism, and we will mutually praise each other's beliefs, “for real.”

また、生成AIによる、優しさ方向のインターフェースの強化なども良いかと思います。

I also think that by using generative AI, the interface could be strengthened toward kindness.

―― 自分のエンジニアの人生の中で、もっとも優しく、かつ、的確に、技術指導をしてくれたのは、"ChatGPT"である

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『("目的"ではなく)"戦略"としての、"優しい社会"の実現』

'Realizing a “friendly society” as a “strategy” (not “aim”)'

当面目指すべき社会の方向性として、これは検討に値する方針だと思っているのですよ、私は。

This policy is worth considering as a direction for society to aim for shortly.

 

2025,江端さんの技術メモ

先日、昨年末に放送された、「NHKスペシャル 量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」について、その番組と無関係な日記をしました。

The other day, I wrote a diary entry about the “NHK Special: Quantum Entanglement - Einstein's Last Mystery” broadcast at the end of last year, but the diary had nothing to do with the program.

サッカー、野球、バレー、ありとあらゆるスポーツも"AI+センサ(カメラ等)+コンピュータ"で片付けていいんじゃないですか?

私、以前、「量子コンピュータ」の連載を担当していたとき、この番組に登場した人物を一人(デビット・ボームさん)を除いて全部調べ挙げました。

When I was in charge of the serialization of “Quantum Computers” before, I looked up all the people who appeared in the program except for one (David Bohm).

デビット・ボームさんは、新しい量子力学の理論の解釈を提唱し、その後、アカデミズムから冷や飯をくらい続けた方です。

David Bohm proposed a new interpretation of quantum mechanics but was shunned by academia.

その後、デビット・ボームさんは、超能力やカルトに傾倒していったようです。量子力学とは、そういう性質があるようです ―― まさか、研究者自身がハマるとは思いませんでしたが。

After that, David Bohm seems devoted to psychic powers and cults. Quantum mechanics seems to have that kind of property - I never thought that the researcher himself would become involved.

(↑クリックするとコラムに飛びます)

(Click to go to the column)

要するに、学会の主流でない研究の主張しつづけることは、研究者としてはリスクがある、ということです(ちなみに、デビット・ボームさんのこの理論は、現在も見直しされていないようです(一応、調べました))。

In short, there is a risk for researchers to continue to advocate research that is not mainstream in academic circles (incidentally, it seems that David Bohm's theory has not been revised to date (I checked)).

ただ、この「精神」は次の世代に引き継がれました。

However, this “spirit” was passed on to the next generation.

『どんな複雑で難関な理論であろうとも、実験で検証しなればならない』ということです。

"Regardless of a theory's complexity or challenge, it requires validation through experimentation.'

私、ジョン・スチュワート・ベルさんの「ベルの不等式」を理解した時に、凄いショックを受けました。

I was shocked when I understood John Stewart Bell's “Bell's Inequality.”

で、それを本当に実験したのが、ジョン・クラウザーさんです。

And the person who experimented was John Crowther.

私が尊敬している科学者の一人です。

He is one of the scientists I admire.

なにしろ、この人、「アインシュタインさんの大ファン」で、「量子力学の内容が難解で、理解できないから、全否定したい」という、おおよそ、量子力学の歴史の中で、登場できる人物ではないのです。

After all, this person is “a big fan of Einstein” and “wants to completely deny quantum mechanics because it is too difficult to understand” and is not a character who could appear in the history of quantum mechanics.

ところが、自分の願いに反して、実験によって量子力学の正当性を証明してしまった、という、稀有な人物なのです。

However, he is a rare person who, against his wishes, proved the validity of quantum mechanics through his experiments.

彼は、その実験設備を、スクラッチから「全部手作り」で完成させました。

He completed the experimental equipment “all by hand” from scratch.

実験予算ゼロの中で、大学の中の研究室の実験設備の残骸を拾ってきては、スクラッチから研究装置を作り上げた、という話は、私を魅了してやみません。

The story of how, with zero budget for experiments, he built up research equipment from scratch by picking up the remnants of experimental equipment from university laboratories never fascinates me.

さらに、他の研究者から、実験装置の不備を指摘されて、最終的にその実験を最終的に中止するに至ってしまった、という話は、『研究者という立場の弱さ」を示す顕著な例になります。

Furthermore, the story of how the experiment was eventually canceled after being pointed out by another researcher as being flawed in the experimental equipment is a striking example of “the weakness of the researcher's position.”

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で、まあ、私が言いたいのは、私も、今、従来にはなかった新しい手法をつかって、かなり無茶な方向で研究を暴走させている最中なのですが、デビット・ボームさんや、ジョン・クラウザーさんが喰らった「冷や飯」の話を聞くと―― なんか、力づけられるのです。

So, I'm also in the middle of letting my research run wild in a rather absurd direction, using new methods that have never been used before. Hearing about the “cold rice” that David Bohm and John Crowther had to eat gives me strength.

まあ、私の場合、ずっと「冷や飯」という公算が高いのですが ―― もうキャリアとか考える必要もないシニアとなっていることは、逆に「強み」と言えるかもしれません。

Well, in my case, I'll likely be “cold rice” for the rest of my life, but I'm already a senior citizen who doesn't have to think about my career anymore, which might be considered an advantage.

とは言え、晩年に、カルト宗教に嵌って、家族に迷惑をかけるシニアになるよりは、シミュレーションのコーディングで一人で狂っている老人の方が、まだマシだ、と思うのです。

I think that it is better to be a crazy older man alone, coding simulations, than to be a senior who gets caught up in a cult religion and causes trouble for his family in his later years.

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我が家は、比較的、衛生に意識のある家だと思ってきました。

しかし、今年の、ここ一週間で家族全員が「かぜ」または「インフルエンザ」に罹患しました。

こういうことは、今まで一度もなかったと思います。

確率的にも、かなりレアケースだと思います。

今朝、嫁さんと次女がドラッグストアを回ったようですが「インフルエンザ判定器」を入手できなかったようです。

加えて、発熱外来の電話は、現時点で、完全に麻痺しているようです。

ChatGPTに推定して貰ったら、国内罹患者950万人という、凄い数を叩き出しました。

国内、帰省先、そして海外で、まさに今、倒れていて、そして、明日からも倒れる人がいると思います。

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診療受診、インフル特効薬の入手が、一年でもっとも困難な期間です。

市販薬やのど飴、過去に処方された薬、ひえぴた、鎮痛剤(ロキソニンでもバッファリンでも)、なんでも良いので、手の届く範囲に取り揃えておくことをお勧めします。

そして、食欲ゼロの状態でも何か口にできるものを、寝具の回りに撒き散らしておくと良いと思います。

私は、スポドリ4リットル、冷凍うどん、卵、ゼリー、果物のかんずめ、レトルトのおかゆ等を、よく取り揃えていました。

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これは私の主観的な感想ですが、

―― ことしの風邪/インフルは、『かかったかな?』と感じた時点で、負けが確定

というくらい、凶悪な感じがします。

動けるうちに、できることをやっておいてください。

2024,江端さんの忘備録

一年の最後の日に何を書こうか、と考えていたのですが、このネタにすることにしました。

I was thinking about what to write on the last day of the year and decided to use this topic.

私は、時々、読者の方から感想メールをいただくのですが、その一つをご紹介します。

I sometimes receive feedback emails from readers, and here is one of them.

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追伸:

P.S.:

江端様がかつて定義していた「ハレ」

The “Hare” that Mr. Ebata used to define

その1:先日(と言っても昨年)結婚しました。1年も経つのに未だに毎日が信じられないほど幸せです。

No. 1: I got married the other day (last year). It's been a year, but I'm still delighted every day.

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皆様、よいお年を。

A Happy New Year to everyone.

江端さんのひとりごと 「江端の『ハレ』の定義」

 

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腹部付き上げ法

(1)成人・高齢者ケース
窒息している人の背中を強く叩く(躊躇しない)
下あごを支えてうつむかせる(首をしめないように)
手の平に付け根で、肩甲骨の間を強くたたく

(2)幼児の場合

異物が出てくるまで『虐待』と見えるくらい乱暴にぶっ叩く(by 江端主観)

これで駄目なら次の方法

腹部付き上げ法(妊婦や幼児にやってはだめ)

へそと鳩尾の間に握りこぶしを作り、力一杯閉め上げる(を5回)
# 「強制的に嘔吐させる」というイメージだったように思う

で、これでも駄目で呼吸が確保できなくなったら、
心臓マッサージを開始

5cmというと相当凄い。肋骨を折るいきおい(多分折っても構わんと思う))勢いになる。100-120回というのも凄い運動量で、気持ちとしては「喧嘩の相手を殺す」くらいの気持ちでいいんじゃないかな(by 江端主観)。

救急車が届くまで、ずっと続ける ―― 諦めないで、ずっと続けること

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ちなみに、私が実家で、(亡き)父に雑煮を作っていたとき、餅は全部「さいころサイズ」にしていました。

というか、我が国の雑煮の餅は「さいころサイズ」で統一していいんじゃないかな ―― 美味しいですよ(本当)。

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(追記) その後、嫁さんと、この2つの方法について実際に練習をしたのですが、

『もっと強く叩いて!』などとアドバイスしていて、娘に"妙な勘違い"をされるのではないかと、心配になってきました。

2024,江端さんの忘備録

SNSもブログも民意を反映するシステムではありますが ―― ラクだよなぁ、とは思います。

Both social networking services and blogs are systems that reflect public opinion, but I think they're easy to use.

ネットが登場する前の政治運動といえば、プラカードを掲げたデモ行進ぐらいしかありませんでした(もちろん、テロもありますが)。

Before the internet, the only form of political activism was holding placards and marching in demonstrations (of course, there was also terrorism).

このデモ行進をする為には、遠方の人間を含めた、一定以上の人数が、あるリーダーの元に集って、統一行動を取らなければなりませんでした。

To carry out this demonstration, a certain number of people, including those from distant places, had to gather under a confident leader and take unified action.

本当に大変だったですよ ―― 過去、シュプレッヒコールを2回だけ努めたことのある自治寮の寮長だった私には。

It was tough for me, who had only been in charge of the “Sprechchor” twice.

江端さんのひとりごと 「正しいデモのやりかた」

江端さんのひとりごと 「粛正された寮長」

大怪我や、逮捕、拘留、下手すれば退学や解雇を覚悟して参加しなければならなかったからです。ちなみに、個人情報保護などという観念は1mmもありませんでした ―― 政治的活動は、物理的にも社会的にも『命をかけた行動』であった、ということは、(程度の差はあれ)本当だったのです。

These activities were because you had to be prepared to get seriously injured, arrested, detained, or even expelled from school or fired from your job if you got caught. Incidentally, there was not even a 1mm concept of protecting personal information - it was true (to varying degrees) that political activities were 'actions that risked your life,' physically and socially.

そのように考えると、SNS等は、コストの安い安全な政治参加を実現した、とも言えます。

From this perspective, SNS and other such services have made it possible to participate in politics safely and inexpensively

これこそが、私がネット社会で目指してきた理想の姿 ―― と、なるはずだったんだけどなあ。

This was the ideal I had been aiming for in the online world.

「誹謗中傷やフェイクニュースなどは、ネットの中で自浄作用が働き、自然に消滅する」くらいの気持ちでいたんですが、正直、見積り甘かったですね。激甘でした。

I thought that the self-cleansing effect of the internet would naturally eliminate things like slander and fake news, but honestly, I was underestimating the situation. I was wildly, significantly underestimating it.

政治とは関係ありませんが、ネット犯罪や闇バイトは、完全に想定外でした。

Although it has nothing to do with politics, I had no idea about online crimes or illegal part-time work.

―― 私たちが培ってきた「良心」は、簡単に「命令」に負ける

人類のもつ可能性は無限大、を実感しています ―― 特に、新しい技術の負の側面の運用については、人類は天才です。

I am realizing that the potential of humanity is infinite. In particular, when it comes to applying the negative aspects of new technology, humanity is a genius.

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そのような自浄作用には、その前提として、ファクトチェックとか、論理的思考や、読解力のようなものが ―― しかも、そうとうに高度な知力が必要となるのですが ―― 私を含めて、多くの人間は、そういう知性は乏しいし、そういう教育も受けていないです。

Self-cleansing requires skills like fact-checking, logical thinking, and reading comprehension. It also requires a relatively high level of intelligence, but many people, including myself, lack such intelligence and have not received such education.

新しい政治参加方法には、予想もしなかった負の側面がボロボロと表われて、これを法制度やコモンセンスで、長い時間をかけて丹念に直していくしかなさそうです。

The new methods of political participation have revealed unexpected negative aspects, and it seems that the only way to fix them is to use legal systems and common sense carefully.

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ネットによって世界は変わる、という私の予想は当っていました。

My prediction that the world would change because of the internet was correct.

ただ、どう変わるかについては、完全に私の予想を裏切りました。

However, it completely defied my expectations as to how it would change.

わたし、大抵の問題は「技術」で解決できると信じてきて、実際にいくつかの問題を潰してきたこともあります。

I have always believed that most problems can be solved with technology, and I have solved several issues this way.

でも、もうそういう考え方自体がダメなんじゃないかな、と考えるようになってきています。

However, I'm starting to think that this way of thinking is no good.

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で、まあ。ここに至るわけです。

And so I have come to this point.

―― 世界がどうなろうが、私の知ったことか

"I don't care what happens in the world."

と。

イラスト

(↑コラムに飛びます)

未分類

アインシュタインは、天才論理物理学者であることに疑いはないのですが、それでも、私が知る限り2つミスっています。

宇宙定数項の導入と、量子力学の否定です。

ただ、この2つの否定が、次のステップの大ジャンプとなったことは事実であり、『ミス=悪いもの』とはならない良い事例になっています。

さて、私が待ちにまっていた、NHKの「NHKスペシャル 量子もつれ アインシュタイン 最後の謎」が放映されました。

ここ数日は、これに関する私のレビューで溢れるかと思います(で、多分PVは落ち込むことでしょう)。

ですので、行き成り、番外編から書いておきます。

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私も、量子コンピュータシリーズを執筆していて、その解説にめちゃくちゃ苦労した記憶があります。

特に、「量子もつれ」については、勉強→理解→発狂→感動→感涙 という経緯を経て、その説明用メタファに至るまで、かなり時間がかかりました。

NHKはこの番組で「だるまさんが転んだ」と、「ネジリン(量子の擬人化)と鬼(ネジリンの観測者)」というメタファを使っています。

これが良いかどうかは分かりませんが、私には、私の考えたメタファの方が分かりやすいです(当たり前だ)。

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「だるまさんが転んだ」という遊びは、典型的な遊戯ではありますが、静止が壊れれている状態を「鬼とプレーヤー」が合意しないと成立しない面倒なゲームであります。また観測時間を長くすれば、静止状態が崩れやすくなるのは当然です。

で、思ったのですが、

―― 「だるまさんが転んだ」スマホアプリ

というのを、だれか開発してみませんか?

スマホのカメラを使って、静止状態の許容距離やベクトル、そして、観測時間の上限設定をするコーディングをすれば良いです。

情報工学の大学の卒論あたりのテーマとしては、妥当と思うのです。

画像処理技術や、各種アルゴリズムはネットに落ちているものを拾って、組み合わ(インテグレーション)せれば良いでしょう。私なら、インテグレーションできただけで、卒業認定します。

で、そのアプリは、無償で開放する、と。

コンピュータの判断に因るのであれば、子どもたちも、納得し、かつ安心して、「だるまさんが転んだ」を楽しめるという訳です。

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嫁さんには、この話をしていません。嫌な顔をするのは分かっているからです。

これを読んでいる多くの方も、嫌な顔をしているでしょう。子どもには、こういう「鬼とプレーヤー」が合意する機会が必要だ、と思うからでしょう。

でも、もう、私、そういう人間関係に関する基本的な能力も、AIに丸投げしてもいいんじゃないかな、と思っているんです ―― かなり本気で。

サッカー、野球、バレー、ありとあらゆるスポーツも"AI+センサ(カメラ等)+コンピュータ"で片付けていいんじゃないですか?

公平性の担保も簡単で確実です。AIのソースコードと試合中のデータを全部公開すれば、それで足ります。

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私たち人間は、自力で「いじめ」の認定すらできないのは、もう十分に分かりました。

ならば、一度、全部AIに投げてみるのもありかと思っています。

多分問題は出てくると思いますが、やってみなければ、その問題が何なのかも分かりませんからね。

AIではダメだ、と分かれば、その時に、止めればいいんです。

AIは、人間と違って既得権益に囚われませんから(AIを提供する側の既得権益の問題はあるかもしれませんが)。

2024,江端さんの忘備録

嫁さんが、私と同じような症状(咳や熱)が出たようです。

My wife seems to have the same symptoms (cough and fever) as me.

嫁さんは急いでクリニックに行き、インフルエンザと診断され、薬を処方されて帰ってきました。今は寝こんでいます。

My wife rushed to the clinic, was diagnosed with the flu, and came home with a prescription for medication. She is now in bed.

私は、初期の症状から「インフルエンザではない」と思い込んでいたいのですが、インフルエンザだったのかもしれません。

I want to assume from the initial symptoms that it was not the flu, but it may have been the flu.

もしそうであったなら、私も「タミフル」などの処方して貰って、もう少しは軽い症状で回復できたかもしれません。

If that had been the case, I might have been able to get a prescription for “Tamiflu” or something similar and recover with a bit milder symptoms.

私は、「最悪」を想定して動くべきでした。

I should have assumed the “worst” and moved on.

「インフルエンザ=38.5超の高熱が継続」という従来の定説は、忘れた方が良いでしょう。

We should forget the conventional theory that “influenza = persistent high fever over 38.5”.

以前私も、36度後半の熱で受診して「インフルエンザ」と言われて、びっくりしたことがありました。

I was once surprised to go to the doctor with a fever in the high 36s and be told I had the flu.

今後は、デフォルトで「インフルエンザ陽性」と診断され、運が良ければ「インフルエンザ陰性」になるくらいの気持ちで受診した方が良いと思います。

From now on, I think it would be better to go to the doctor's with the mindset that you will be diagnosed as “influenza positive” by default, and if you are lucky, you will be “influenza negative.”

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患病中は、もう、何もする気がなくなります。

During the illness, I no longer feel like doing anything.

仕事は勿論ですが、ブログの更新ですらどうでも良くなります。

Work, of course, becomes unimportant, and even updating the blog becomes unimportant.

そして、「別のクリニックを受診した方がいいんじゃないの」という嫁さんのアドバイスすら、もう耳に入ってきません。

And even my wife's advice, “Maybe you should see another clinic,” is no longer falling on deaf ears.

予約する作業が苦痛で、移動する労力を考えるだけで、悪寒がしてきます ―― で、私の場合、タミフルを処方される機会を失ったと言えます。

The process of making an appointment is painful, and just the thought of the effort of traveling gives me chills -- and in my case, I can say that I lost my chance to be prescribed Tamiflu.

「考える力」が完全停止、という状態になります。

The “ability to think” comes to a complete standstill.

それ故、患病中の患者にたいしては、「暴力」が必要となります。

Therefore, “violence” is necessary for patients who are suffering from the disease.

近くにいる人が、勝手に予約して、無理矢理患者をクリニックに連れていく、ということをしないといけません。

Someone nearby must make an appointment independently and force the patient to visit the clinic.

患者は最適な選択ができない状態だからです。

The patient is in no condition to make the best choice.

今の私が、世界で一番憎悪しているフレーズは、『死ぬ気になれば、何でもできる』です。

===== 引用ここから =====

===== Quote from here =====

「助ける」ためには、『物理的に助ける』しかありません。

The only way to "help" is to "physically help."

『気持ちに寄り添う』ことは、「助ける」ことにはなりません。

Being 'in touch with their feelings' does not mean 'helping.'

「ロープを持ってきて、引き上げる」ところまでやって、初めて「助けた」と言えるのです。

Only when you get to the point of "bringing the rope and pulling them up" can you say that you have "saved" him.

===== 引用ここまで =====

===== Quote here =====

問題は、患者の側に運よく、こういう人(伴侶、家族、友人)がいればいいのですが、これからの時代、こういう人間関係が「レアケース」になっていくことは、確定した未来です。

The problem is that while it would be nice if the patient were lucky enough to have such a person (spouse, family member, friend) on their side, it is a definite future that such relationships will become “rare cases” in the future.

少子高齢化、晩婚化、非婚化はもちろんですが、そうでなくても、長生きすれば、だれだって、最後には一人で逝くことになります。

Of course, with the declining birthrate and aging population, as well as the trend towards people marrying later and not getting married at all, even if this is not the case, if you live a long life, you will eventually pass away alone.

私は、これまで、『家族をセーフネットの道具として考えない』と明言してきました。

I have always made it clear that I do not consider family members as tools for the safety net.

私は、『その覚悟ができた者だけが、"親"と呼ばれる資質を有する』と思っています。

私も、自分の親を「踏み台」として生きてきましたので、自分がその例外になることなど、許されるべきではないと思っています。

I have also lived my life using my parents as a “stepping stone,” so I don't think I should be allowed to be an exception to the rule.

私は、「助けてくれる」という方向は期待していないのですが、その分、「苦痛回避の手段」の方向を充実させて欲しいです。

I don't expect "someone helps me” direction, but I would like it to be more of a “pain-avoidance” direction.

(↑クリックでコラムに飛びます)

(Click to go to the column)

この問題、まだ正面に出てきていないようです。まあ、誰しも、個人的に気がついた時には、手遅れになっているという事案ですが。

This problem doesn't seem to have come to the fore yet. When anyone notices it personally, it's already too late.

私は、増税も社会保障も軍事費も、もうどーでもいいし、正直に言えば、安楽死や尊厳死も期待していません。

I don't care about tax increases, social security, or military spending, and to be honest, I don't even expect euthanasia or death with dignity.

『苦痛を回避する薬の処方の自由化』 ―― これを公約としてくれる政党が出てきたら、個人献金であれ、裏金であれ、なんだって協力します。

'Liberalization of the prescription of painkillers' - If a political party comes forward with this as a campaign promise, I will support them in any way I can, whether through personal donations or under-the-table payments.

『じゃあ、江端が新党を立ち上げろよ!』と言われるでしょう(当然です)が、これ、法制化するの、無茶苦茶難しいんですよ(検討済み)。

People will say, “Well, why don't you start a new political party, Ebata!” (which is only natural), but it isn't easy to make this a law (it's already been considered).

それに、私自身、私以外の人が、苦しむことについては、興味ありません。「自力救済」で十分です。

Besides, I have no interest in the suffering of others. 'Self-help' is enough for me.

とすれば、自由研究による、非合法薬物の製造ですね。

If so, it would be the production of illegal drugs as a free research project.

大学院の専攻間違えたかなぁ。

I wonder if I chose the wrong major for graduate school.

今から薬学を志して、間に合うだろうか?

Can I make it in time if I start studying pharmacy now?

あと、違法原材料の入手ルートを確保する方法も検討しなければなりません。

I also need to consider ways of securing routes for obtaining illegal raw materials.

色々考えることは多いのですが、考えるためには、患病できません。

There are many things to think about, but I can't think about them when I am sick.

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ラクして逝くためには、健康第一 ―― 本日の日記も、訳の分からん結論になりました(今さらですが)。

Health comes first in order to live a comfortable death. Today's diary also concluded that I don't understand (even though it's a bit late now).

2024,江端さんの忘備録

ここ数日間、「風邪で苦しい」のレポートを続けていて気がついたのですが、不思議な現象が見られることが分かりました。

Over the past few days, as I have continued to report on “suffering from a cold,” I have noticed a curious phenomenon.

『私のページのPV(ページビュー)と、ユニークユーザ(UU)数が、ここ数日、地味に増えている』

The number of page views (PV) and unique users (UU) on my page has increased steadily over the past few days.

私のページのPVやUUは、常に予測不能な動きをしますので、私は解析を諦めています(というか、解析が面倒くさい)が、ここ数日の内容は、基本的には、痛い、辛い、だるい、眠れない、薬が効かないの、『泣き事』のオンパレードです。

The PV and UU of my page always move unpredictably, so I have given up analyzing it (or rather, it is too much trouble to analyze), but the content of the last few days is a parade of 'crying things': pain, difficulty, tiredness, inability to sleep, and medicine not working.

―― こんな話が面白いか?

"Is such a story interesting?"

普段偉そうに語っている私が、天罰(風邪?)を受けて苦しんでいる様子は、そのギャップがいいのかなぁ、とか考えています。

I am usually a big talker but suffer from a cold. I wonder if the gap between the two is a good thing,

そもそも、人の不幸って、基本的に楽しいですよね。

To begin with, people's misfortune is fun.

もっとも不幸の内容に因りますが。

It depends on the nature of the misfortune.

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風邪は、その人の年齢や体力やその他の要因に関わるものではありますが、いわゆる普段健康な一般人であれば、ちゃんと対応(受診して、投薬して)さえしていれば、一般的には、期間限定で回復する、という条件付き不幸です。

The common cold is a conditional misfortune related to age, physical fitness, and other factors. Still, an ordinarily healthy average person will generally recover for a limited period if they are appropriately treated (seen by a doctor and medicated).

そういう意味では、江端の風邪は、「観察して楽しんでいい」くらいの「他人の不幸」といっても言いかもしれません。

In that sense, I might say that Ebata's cold is “someone else's misfortune” that we can “observe and enjoy.”

「今は、江端が、痛みで転がり回っているが、そのうち回復して、再び偉そうなことを言い始める」という担保のついた、「他人の不幸」という点です。

The point is that it is “someone else's misfortune” with the guarantee that “Ebata is rolling around in pain, but in time he will recover and start talking big again.”

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私も、「今日は朝まで眠れた」「今日は咳をしても激痛がなかった」「今日は声が出せるようになった」と、毎日、体調が回復していくのを確認するのが、とても嬉しい ―― しかし、同時にとても腹立たたしい。

I, too, am delighted to confirm that my health is improving every day, saying, “Today I slept until morning,” “Today I didn't have severe pain when I coughed,” “Today I can speak,” and so on—but at the same time, I am very annoyed.

こんな話、以前にもしていたような気がするなぁ。

I feel like I have talked about this before.

「結婚とは不幸になること」でいいんです。

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病気になる度に思い出すのは、この話です。

Every time I get sick, I remember this story.

江端さんのひとりごと「一本の骨」

===== 文章から引用 =====

===== Quote from here =====

世界を席巻しているある宗教では、命は神からの贈り物であり、人間にはその贈り物を最大限利用する責務があると説いています。

One religion that has swept the world teaches that life is a gift from God and that humans are responsible for making the best use of that gift.

笑わせるな。

Don't make me laugh.

贈り物なら、きちんと品質保証した物をよこせ。

If giving me a gift, give me something with proper quality assurance.

持ち主が苦痛に苦しむような品質の贈り物なら、最初からいらん。

If the gift is of such quality that the owner suffers pain, I don't want it in the first place.

===== 引用ここまで =====

===== Quote here =====

私は、病気になって、苦しんでいる時には、いつでも、この「役に立たない神」に対して、呪詛の言葉を吐き続けています。

Whenever I am sick and suffering, I keep spitting curses at this “useless God.”