2013,江端さんの忘備録

先日、同人誌関係の方へのインタビューを行っていた時のことです。

ノートにメモを取りながら、「どうにも、全体感が掴めんなぁ」と、頭を掻きながら、愚痴っていた時です。

『だったら、江端さん、コミケに参加したらいかがですか』

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コミックマーケット、通称「コミケ」。30年以上の歴史をもつ日本最大の同人誌即売会。

通常は、年2回、夏と冬に東京国際展示場(東京ビックサイト)全ホールを使って開催され、のべ入場者数約50万人という、おそらく世界最大規模のイベント。

断片知識として、「入場に6時間かかる」という話も聞いたことがあります。

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冗談ではない。

体力もないけど、ディズニーランドで20分待つのも嫌いな私が、素人のコンテンツ売買イベントなんぞに、参加できる訳がありません。

著作権問題が解決されていない作品の取引を見ているだけで、私は怒り出すかもしれない。

無用な紛争を起こすことが判っていて参加するなど、愚の骨頂です。

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『いえいえ、そうじゃないです、江端さん。出店の方です』

―― 出店? 私に漫画なんぞが描けると思っているのですか?

『いや、そうじゃなくて。コラムやエッセイを出せばいいじゃないですか。江端さんのブログを纏めて冊子にしてもいいと思いますよ』

―― え? コミケって、文章も出せるのですか?

『コミケの精神は、「ノンセクションの自己表現」です』

自慢されてしまったようです。

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うーん、そう来たか。これは、予想もしなかった展開です。

「初音ミクコンサート」の参加は娘に随伴を断わられましたが、消費者でなく、提供者としての参加というのは、ちょっと、そそられるものがあります。

同人誌関係は、法律からのアプローチしかしていないが、現場を踏むという想定はしていませんでした。

これは、なかなかコラム魂に火が付く話です。

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―― しかし

今迄、寄稿してきたコラムの内容を省みると、コミケ会場で、関係者から袋叩きにあうんじゃないか、という恐怖が、皆無という訳でもありません。

おそらくは一冊も売れないであろう、私のブログ印刷物を見ながら、ブースに座り続けるのは、相当な苦痛でもあろうと思われます。

そのブースで、一人、黙々と原稿を書いている自分が、簡単に想像できてしまいます。

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結論:うん、やっぱりダメだな。

あの時は「考えておく」と言いましたが、現時点で、その気はなくなりました。

しかし、これを読んだ編集担当者さんから『是非行って下さい』と言われたら、ちょっと困るな。

2013

そろそろ、夏の参議院選挙を踏まえて、街中での宣伝活動が活発になりつつあります。

単に連休中なので、そのような場面を見る機会が増えているだけかもしれませんが。

今回も色々考えて投票することになると思うのですが、財政に関する事項については、特に強い感心を持っています。

持っているのですが、各政党の財政政策が、全く良く分からんのです。

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例として、日本共産党を挙げてみます。

(あくまでも、一例として挙げるものです)

特に、歳入の政策の方を見てみましょう。

日本共産党の歳入ポリシーは基本的に5つ。

■所得税の最高税率を元に戻す

■証券優遇税制を20%に戻し、富裕層は30%以上に引き上げる

■相続税・贈与税の最高税率を元に戻す

■低い大企業への優遇税制を段階的に元に戻す

■大企業の過剰な利益留保を、雇用と中小企業など社会に還元し、家計・内需主導の経済成長路線に変更する

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確かに、この方法は「面白い」と思うのですよ。

新しい産業の創成とか、ベンチャーの保護とか、全ての内閣が取り組んできて、ほぼ100%失敗に終っている「新戦略」とか言う、眉唾(まゆつば)的なものでないところが良い。

むしろ、このような「古典的手法」による、財政対策というのは、私としては、非常に興味深いのです。

「絶望」の2文字でしか表現できない高齢者問題に対して、歳入を社会福祉等に回せるなら、どんな手段であっても構わないのです。

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簡単に言えば、日本共産党の財政(歳入)は、「大企業が溜め込んだ金を、家計に再分配する」という政策と思うのですが、「大企業が溜め込んでいる金」が「家計に再配分」できる程度にあるのか、という基本的な疑問があります。

また、「溜め込んでいる金」は、研究開発投資に回されるのですが、そこを削るというのはもちろん良い考えですが、将来の発展を閉ざすもの事実です。

しかし、発展的成長を望まない財政政策は、それはそれで良いと思う。

原子力エネルギーは勿論、化石エネルギーを使わなくても、江戸時代の江戸(東京)は、当時世界最大都市として機能していた訳ですから、どうせなら、200年程退行した経済というのも、確かに「あり」だと思う。

その上、「鎖国」まで持ち込んだら完璧です。

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問題は、日本共産党が「数値」と「アルゴリズム」を提示してくれないことにあります。

自民党、民主党のような大きな政党は「数値」は出しています。しかし、「アルゴリズム」の方は、提示してくれません。

どんな政策でも良いので、その政策の内容とシミュレーション結果のアウトプットを示してくれれば、私はその政党の誠意を信じれる、と思うのです。

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そこで、提案です。

これは日本の技術者人口1000万人という広大な票田を独占し得る、非常に魅力的な提案です。

『政策シミュレーションのプログラムソースコードを、インターネットで開示する』

シミュレーションプログラムですから、あくまで仮説であり、また、都合の良いパラメータや、勝手な想定サブルーチンを突っ込んでも良いです。

例えば、「2017年4月、iPS細胞による医療産業における課税による収入」とか言う、現時点では発生していない歳入について、自分勝手な仮説のサブルーチンも詰み込んでもO.K.です。

とにかく、そのプログラムをコンパイル・ビルドして回すと、2020年までに、日本の税収(歳入)が、どのように変っていくかが、グラフで表示されるものであれば良いのです。

各政党は、各政党のホームーページで、自分のおかかえ技術者の得意とするプログラム言語で書かれた、シミュレーションプログラムを開示するだけで良いのです。

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この、各政党シミュレーションプログラムが開示する効果は凄いです。

まず、ソースコードを読むだけで、税率、歳入の根拠、人口比率、株価変動、など、各政党が何を考えているか、全部分かります。

マニュフェストなんぞという、かったるいものは読む必要がありません。

第一、マニュフェストは嘘くさい。

「あれ、その財源、そこで使ったら、さっきの政策の原資はどうなるの?」という疑問に全然答えていないと思うし。

コンピュータプログラムであれば、1+1=5などいうことは(悪意のコードでもない限り)発生しませんし。

なにしろ、各政党が、どのような未来を想定しているのかも、ソースコードから一発で解釈可能です。あまりに都合の良い想定は、公に批判されることになります

また、そのソースコードのパラメータを、ちょっとイジっただけで、何が発生するかも、その場で読みとれます。あっと言う間に、財政シナリオが崩れさる、ということも簡単に分かってしまいます。

ソースコードでは難しいというのであれば、エクセルのマクロ程度であっても良いと思います。

必要なのは、「目に見える歳入数値」です。

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私が欲しているのは、「カリスマのある政治家」でもなく「理念や理想を語る政治家」でもないのです。

そんな人間は、もう、いらんのです。役に立たないから。

客観的な数値を提示する、各政党の日本国歳入シミュレーションプログラムのソースコードと、その計算結果があれば十分です。

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ただ、ですね。私は、今でも不思議に思っているのです。

各政党は、相当数のエンジニアがいるはずで、その中には、シミュレーションプログラム程度を組めるプログラマも含まれているはずです(別に経済論に通じていなくても、まったく構わない)。

この程度のシミュレーションは、当然にやっている「ハズ」だと思うのです(それすらもやっていないで、財政を語るなど、詐欺だと思う)

では、なぜ各政党は、そのプログラムを開示しないのだろう、と

開示しない理由がある、とすれば、それは、自分達の主張している方法を、プログラムの計算結果では裏が取れなかった、と考えられます。

それはさておき。

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私は政治家の「人柄」などには、全く興味がないのです。

歳入を増やす方法とその方策を、「言葉」ではなく「数値」で示して欲しいだけなのです。

特に、日本共産党が、各政党の先頭を切って、これらのソースコードまたはエクセル表を開示してくれることを、心から期待しております。

学生のころから「あの党は、財政に関することは、徹頭徹尾、信用できない」という、私の偏見を、ソースコード(エクセルも可)で叩き壊して頂けることを、心の底から期待しています。

立花隆の「日本共産党の研究」という本を読んで以来、いつか自分でも別アプローチで「政党」を理解してみたいと思っていました。例えば、「数値で理解する日本共産党」とか、「自民党マニュフェストとシミュレーション結果」てな、技術書(連載でもいい)です。

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まあ、ともあれ、夏の参議院選挙、これらを実施してくれた政党には、間違いなく私の一票が入ります。

2013,江端さんの忘備録

昨日の日記「二刀流リモコン剣舞」をご覧頂いた読者の方から、メールを頂きました。

幼稚園児のお子さんが、リモコンを自由自在に操っているとのことです。

人間、自分の好きなことは、年齢や才能を越えてやるものだ、ということだということを、証明する事実の一つになるのでしょう。

ただ、この現象が真である、とするのは、ちょっと困るのです。

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命題「AならばB」の対偶は「BでないならAでない」である。つまり、命題「A ⇒ B」の対偶は「¬B⇒ ¬A」(¬A は命題 A の否定)となりますよね。

「好きなこと」は「できる」の対偶は、「できないこと」は「好きでない」となります。

これは困る。絶対的に困る。

例えば、私は「英語が好きでない」という訳ではなく、「英語ができないだけ」なのです。

英語は毎日楽しく聞いています。毎日、通勤途中の歩行の時間は、ビジネス英会話と、ABCニュースシャワーを聞いています。英語が分からなくても、内容は、十分に面白いです。

しかし、私が英語を楽しんでいることと、私の英語の能力との関係は、全く関係がないようです。

例えば、TOEICと私の関係は絶望的に悪いです。

前世で、TOEICと私は、魔王と勇者の関係にあったに違いありません。

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「好き」なんだけど「できない」ことって、世の中たくさんあります。

そのような、「好き」なんだけど「できない」ことは、かなり自分を苦しめます。

特に、優れた能力を持っている人が、易々と「好き」を「できる」につなげてしまうのを見ると、本当にやる気がなくなってしまいます。

例えば、嫁さんの友人で、絵が大好きで美術大学に入学した方がいるのですが、「美大に入ったら、絵を嫌いになってしまった」のだそうです。

自分の「上手い」のレベルを、思い知らされるのだそうです。相当な絶望と孤独に苛まされたとのことです。

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だからといって、他人との比較で、「好き」をやめてしまうのも、なんだかなー、とも思います。

なんとか「『好き』だけ」で行きたいものです。

ツイッターのコメントに、いちいち腹を立てることもなく、また、ツイッター数が少ないことに凹むこともなく、

■文章を書いていることが「好き」で、

■その文章を自分で読むことが「好き」で、

■それで、「なんて上手い文章なんだろう」と自分で自分を褒めるのが「好き」で、

そういう、他人の評価から数万光年離れた、内向きに自分の中だけに閉じた世界の中で、生きられるようになりたいのです。

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しかし、この「閉じた世界」は、そう簡単には構築できないのです。

私の場合、「私の、私による、私の為だけの文章(エッセイ・コラム)」というコンセプトに至るだけの為に、実に20年もかかっています。

そして、今の私が目指している最大の目標は、

「外向きに自分の作品を発表しつつ、内向きに完全に閉じた世界で安住する方法」

を確立することにあります。

2013,江端さんの忘備録

「まだ、会話できるコンピュータは作れないの」と、姉が文句をいい、

「ランドセルに入れっぱなしで6年間動き続けるGPSがないのですか」と先日インタビューした小学生の子どもを持つお母さんに文句を言われました。

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技術の世界の外の住人の方にとっては、いくら私が、

「ネットワークのエンジニアだ」

と言ったところで、まったく同じように見えるのだろうと思うのです。

「人工知能ソフトウェアのエンジニア」でもなく、「測位デバイスのエンジニア」でもない私に、私に上記のようなクレームを言われても、100年後でも、成果は出てこないでしょう。

私自身、そういうクレームを100回聞かさたところで、所詮は「他人事」です。

逆に、「まったくだ! どうして、そういうコンピュータやGPS受信機が作れないのだ!!」と文句を言う側に回ってしまいます。

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それでですね、この理屈を拡張すれば、いろいろな世の中の問題の原因について、

「政治家と官僚が悪い」

とか言っている人 ―― まあ一般人はともかくとして ――、テレビのコメンテータで、専門家を自称している人が、このような発言をしていると、

―― ああ、こいつは矯正不可能なほどの馬鹿なのだな

と思ってしまうのですよ。

まあ、賭けてもいいですけどね、その言葉、政治家や官僚の方の誰一人として届かないです。

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組織を批難されたって、組織の長は構成員の責任と言い、構成員は組織の長が悪いと言い、無限連鎖の責任転嫁をはかるでしょう。

私だって、そうしています。

会社の活動が批難されたって「業務命令だもん」で、簡単に自分を免責できます。だって、私、会社の歯車である、サラリーマンですから。

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例えば、批判というのはですね、

「経済産業省 資源エネルギー庁 長官のAさんと、次長のBさんの方針が悪く、その中でも、特にエネルギー政策担当参事官のCさんの出してくる政策案が、もう絶望的に酷い」

と、所属や管轄を明確に特定にして、個人を集中攻撃する段階になって、始めて、その発言が有効に機能しはじめます。

もっとも、その発言は、自分にダイレクトに戻ってくる訳でして、発言者には、それなりの覚悟も必要とされます。

例えば、私の著書への批判(ツイッター等)は、「私個人への攻撃」とみなしますし、その批判への反駁(ツイッター)は、「その批判をしてきた人への私からの反撃」と考えています。

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私がこれまで、バトルに持ち込むときは「その組織の名称」は使わず、「個人名」で攻撃をしかけて、たくさんの問題を炎上させてきました

そして、そのいくつかは、最悪の形で終結し、また別のいくつかは、私の望む形で終結させることができました。

それらの私の経験から言えることは、結局のところ、問題を早期に終結させ、最も効果があるのは「私闘」です。

2013,江端さんの忘備録

現在、我が家では7台のパソコン(うち2台がサーバ)が稼動中です。

今どき、パソコンが2台以上というお家は普通にあると思い、これらをLAN(ローカルエリアネットワーク)で繋ぎたい、というニーズも十分あることと思います。

ということになると、配線が不要の「無線LAN」の使用が主流になっていると思います。

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しかしですね、無線LANは、時間や天候(温度や湿度)などで、簡単にスループットが変化し、YouTubeとかを使っている人はどは、イライラすることが多いと思います。

(「え、そんなことないよ」という人。そこで黙って静かにしていなさい)

家中に、有線LANのイーサネットを配線しましょう。

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このように考えると、すぐに「壁の中にどのように入れこむか」「業者に頼まなければならない」「コストが・・・」と考えてしまう人が多いと思いますが、その発想、間違っています。

窓の外を走らせれば良いのです。つまり、屋外配線です。

「壁に穴なんて・・・」という発想している時点で負けです。

フラットケーブルを使えば、サッシの窓枠で十分挟み込めます。頻繁に開閉しない窓であれば、ケーブルが痛むこともありません。

それに痛んだら、交換すれば良いだけのことです。

私はイーサネットケーブルを、雨樋(あまどい)の配管に、結束バンドで括りつけて、1階と2階をイーサネットケーブルで繋いでいます。IP監視カメラ用に庭にも走らせておりますが、かれこれ3年以上も問題ありません。
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スループットは安定しているし、原因不明の通信不良もない。pingで追跡すれば、断線箇所は直ちに特定できるし、面倒くさい暗号化も不要で、WEP,WAPのパスワードを忘れてえらい目にあうこともなく、セキュリティも万全。

有線LAN! 万歳!!

ちなみに、私、日本で一番速い電車の「無線LAN」に係わった技術者です。

まあ、それはさておき。

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リビングのパソコンに、私の愛用しているキーボード(ハッピーハッキングキーボード(HHK))を設置したのですが、本日、撤去させられました。

家族から、「使い難い」との不評の圧力に屈しました。

私は、外出先にHHKを持ち歩くこともあるくらいの愛用者で、私の「筆記具」といっても良いくらいです。

家族にとっては、CTRLやSHIFTキーの配置が異なる、漢字カナ変換のキーが異なる、など、そのクレームの理由は正当であるとは分っているのです。

しかし、二人の娘達には、いずれは、LinuxのCUI(コマンドラインユーザインターフェース)で、PerlやRubyで、バッチプログラムをさくさくと書いてしまるようなスキルを身につけて欲しい、と思うのは、

―― 娘を持つ全世界の父親の「共通の願い」

であると思います。

そうですよね。私、間違っていませんよね。

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父親にHHKを撤去させるなど、

「そんなことで、世界を震撼させる一人前のハッカーになれると思っているのか!」

と、今夜あたり、娘達を説教をしたいと思っています。

2013,江端さんの忘備録

私のパスワードは、長い間、「100年後の私を誰が知ろうか」を英語にして、その頭文字を取ったものでした。

「100年後の私を誰が知ろうか」の意味は、「だから、誰にどんな批評をされようとも、100年後には、私を含めて、その人達は一人残らず消えてなくなる」

―― だから、自分の行動基準に「人の目」を入れるのは止めよう。人の目を気にする生き方は止めよう。

という話を友人にしたことがあります。

しかし、彼は、「アホか」という目で、私を一瞥した後で

「その『100年間の評判』が大問題なんだろうが」と言いました。

私は、「あ、そういえば確かにそうか」と妙に納得したことを覚えています。

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昨日記載した、中島みゆきの「永久欠番」ですが、早速聞いてみました。

文部科学省さん。「慟哭」はいかがですか?

私は、上記のように「100年後」の概念には辿りついていたのですが、「100年前」という観念には届きませんでした。

さすがは、我が国が誇る歌姫です。

まあ、それはさておき。

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これまで、何度も書きましたが、私の信念は

「いつかどこかで、誰かが、私を、待っていない」

です。

「誰かがあなたを見ている」とか「誰かがあなたを愛している」とかいう歌が、嫌いなのです。

なぜか。

嘘だからです。

そんな「誰か」は、世界のどこにもいません。

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「永久欠番」は、「いつかどこかで、誰かが、私を、待っていない」を強く肯定しつつ、しかし、それでも、歌の最後のフレーズで、唯一の例外を提示しています。

多くの人は、この歌の最後のフレーズを、宗教的な救済と解しているようですが、私の解釈はちょっと違います。

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私は、「宇宙で、ただ一人、私だけは私を待っている」―― と、解釈したい。

分子のレベルで、自分の身体が土壌の中で分解し、

原子のレベルで、自分の精神が宇宙の熱量死の中で消え去ろうとも、

―― 時間と空間の行き尽く最後で、私は私を待っている

のである、と。

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時間と空間の、果ての、果ての、果てにおいても、

「自分に抱きしめて貰えるように」

そういう風に、私は私を生きたい、と思うのです。

2013,江端さんの忘備録

「中島みゆきの歌詞が、教科書に掲載されるらしいよ」と嫁さんから聞いたので、今、ちょっと調べたら、すでに著名な話のようでした。

私が嫁さんから聞いたのは「二隻の舟」だったと思うのですが、私が調べた範囲では、「永久欠番」が出てきました。

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嫁さん:「私だったら『時代』かな」

私:「何を言うか。彼女の歌だったら『シュガー』に決まっとろう」

嫁さん:「・・・『シュガー』。あの歌詞を、学校教科書に掲載するのは、ちょっと無理じゃない?」

私:「いや、今の若者に対して必要なメッセージは、『「唯一無二の夢」という硬直した考えから脱却せよ』だと思うぞ、私は」

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実際、「夢」というのは、複数に分散して、ポートフォリオを組んでおくべきなのです。

あたかも「一つの夢に固執して目指すということが最上の価値だ」などという「でたらめな価値観」を賞賛するから、若い人が苦しむことになる、と。

まあ、それはさておき。

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文部科学省の皆さんには、是非、次の曲の掲載の採用もご検討頂きたく。

「慟哭」 ―― 若者のストーカ化を防止する観点から

国語教師への教育指導要領には、

「振られたら、スッパリ諦めろ」

と教えるように記載して下さい。

2013

今度の寄稿コラムの為、長女の為に「ゴルゴ13」を購入しました。

ゴルゴ13とは、超一流のスナイパー(狙撃手)である国際的テロリストの活躍をベースとして、世界の国際的な政治・経済・宗教・宗教は勿論、軍事、最先端技術を分かりやすく解説する劇画漫画です(江端解釈)。

まあ、正直に言うと、私の国際問題に関する勉強のきっかけは、この「ゴルゴ13」から始まっていることが多いです。

例えば、メジャーな国際問題である「パレスチナ問題」の全体像を把握したければ、「ゴルゴ13」だけで十分でしょう。

もちろん、何もかも正確に記載されている訳ではありません(特に、コンピュータとネットワーク関連では、私でも誤記を指摘できる箇所もある)。

しかし、全体としては、驚異的な知識と学習がベースになければ、到底可能とは思えない程の、素晴しい作品です。

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ゴルゴ13は、自分の依頼を完遂する為に、それぞれの専門家(武器商人、コンピュータエンジニア等)に、色々な機材を発注するのですが、私に言わせると、

―― ゴルゴ13、その発注方法ではだめだ。

と突っ込みたくなることがあります。

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(例1)

技術者:「ということは、ネットワークに過負荷を与えて、通信を不能にするということですか?」

ゴルゴ13:「俺の質問だけに答えろ」

(例2)

武器商人:「あなたは、我が国の権力基盤の一端を破壊しようとしているのか」

ゴルゴ13:「余計な詮索はするな」

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これでは駄目ですね、ゴルゴ13。

背景、趣旨、目的、そして詳細な計画案、問題点、それらを開示することによって、より良い提案がされて、計画が具体化し、作戦の成功率が高まるというものです。

このような秘密主義が、プロジェクトを頓挫させることは、歴史を見るまでもなく明かなことです。

まあ、それでは、劇画漫画としてしては面白くないし、大体テロリストが他人に作戦を開示した段階で計画としてはアウト、ではありますけどね。

それはさておき。

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なぜ、私が「ゴルゴ13」を長女に買い与えたかは、あと2週間程で分かると思います。

2013,江端さんの忘備録

今、介護認定をペアで受けている両親の今後の対応や、実家のメンテナンス(電気、水道、ガス等のインフラ一般)の為に、年休とって帰省中です。

また、併せて、彼等の確定申告の処理も行っているのですが、

―― まったくもって、分からん

―― この複雑怪奇な制度は、一体なんだ?

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ここで、「制度」を批判するのは簡単です。

私も特許法、著作権法などを(独学ですが)勉強しているので、「公平と正義をギリギリまで担保する為には、法制度や手続が面倒くさくなる」ということは理解しているんですよ。

けどなぁ、この書類を、介護認定を貰っている人間が作成できるとは思えないんだよな。

これって、本当に公平と正義を担保しているんだろうか。

私には、そこに悪意がなくても、結果として「弱い奴から税金を取れ」というシステムとして完成しているように見えて仕方がないんですよ。

文句も出にくいし、早々にいなくなるだろうし。

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今の私は、

「確定申告を計算した結果、戻ってきた還付金を100%全額進呈する」

という条件で、アルバイトを雇う意思があります。

経済学部や商学部の学生さん、この話に一口乗りませんか。

私は、「要介護高齢者が不当に舐められている」と感じるこの不快感に対して、(いいがかりであるのは、百も承知の上で)、権力に対して一矢報いたいんですよ。

2013,江端さんの忘備録

電子メールを使って、特許法の説明をしていたことがあります。

■特許権が発生する為には、「特許出願」という要式行為が必要である(「方式主義」)。

■しかし著作権の場合は、このような行為を行うことなく権利が発生する(「無方式主義」)

という内容を簡単に判って貰う為に、以下のような文章を作成しました。

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(例2)

『結婚は、所定の要件を備えた当事者間の合意で成立する。YesかNoか』

答えは、Noです。

婚姻届けを提出するという手続を行い、登録されないと結婚は成立しません。

結婚とは、法律行為で、かつ、第三者対抗要件だからです。

ちなみに、「結婚」とは実体としての「愛情」やら「経済力」やらを全く規定しておらず、単なる手続としての法律行為のみです。

今更ですが、「愛」がなくても結婚は可能です。

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つまり「愛のない結婚」という言い方は、一般的にはネガティブなイメージがありますが、法律的にはあまり意味のあるフレーズではないのです。

「愛のある結婚」という言い方のほうが、珍しい。

いわば「愛のある特許出願」みたいな違和感です。