2025,江端さんの忘備録

私たちが人間の行動や振る舞いをモデル化する場合、大量のアンケートやインタビューが必要になることが多いです。
When modeling human behavior and actions, it often requires a large number of surveys and interviews.

で、多くの研究で、これを理由に人間の心理モデルの作成を断念するケースをよく見てきました。
And I’ve often seen many studies abandon the creation of psychological models of humans for this very reason.

でも、私思うんですよね。
But I think to myself.

―― 人間の心理を、自分の心理から導いても、さほど大きくは外れない
— If you derive human psychology from your own psychology, it won’t be that far off.

と。
That’s what I believe.

例えば、
For example,

=====

if 前回の食事から8時間以上経過した then 腹が減る
If more than 8 hours have passed since the last meal, then you get hungry

if 腹が減った then 食事を取る
If you are hungry, then you eat

=====

これって立派な心理モデル(というか生理モデル)なんですけど、こんなこと、アンケートで「裏取り」する必要あります?
This is already a fine psychological model (or rather, a physiological one). Do we really need a survey to “validate” something like this?

みんな難しく考え過ぎなんですよ。
People are overthinking this.

まず自分の主観をモデル化して、それをコンピュータで作ったエージェントに突っ込めば、それで人間心理の9割の実装は完成するんです。
If you start by modeling your own subjectivity and feed it into a computer agent, then 90% of human psychology is already implemented.

もちろん、このモデルのチューニングはアンケートやインタビューで補正すれば良いとは思いますが、心理モデルのルールの根幹がひっくり返るケースは、まずありません。
Of course, tuning this model through surveys or interviews is fine, but the core principles of a psychological model are almost never overturned.


『データない → できない → あきらめる』
“No data → Can’t do it → Give up.”

という話を聞く度に、「ものすごく潤沢なデータを持ったオブジェクトが“ここ”にあるじゃないか」と思うんです。
Every time I hear this, I think: “There’s already an incredibly rich data object right here.”

そのオブジェクトとは『私自身』です。
That object is “myself.”

私はこれまで私の心理モデルだけを使ってシミュレーションを山ほどやってきましたが、シミュレーション結果にケチをつけられたことは一度もありません。
I’ve run numerous simulations using only my own psychological model, and not once has anyone seriously criticized the results.

基礎モデルで良ければ、友達数人+家族+学校の先生で、10人くらいもあれば十分です。
For a basic model, just a few friends, some family, and maybe a teacher—around 10 people—are enough.

10人もいれば、世界中の人間の「だいたいのモデル化」はできますよ。
With 10 people, you can model “most of humanity” well enough.


私の大学での研究では、4000人のアンケート結果から4000人分の別人格を持つエージェントをコンピュータの中に生成して動かしました。
In my university research, I generated and ran 4,000 agents on a computer, each with a distinct personality, based on survey data collected from 4,000 individuals.

これはこれで良いのですが、400人でも40人でも、たとえ4人でもシミュレーションはできると思うんです。
This works well, but I believe a simulation could still be run with 400, 40, or even just 4 people.

―― 最初の一人として、まずは自分自身を作れ
— The first person to create should be yourself.

と言います。
That’s what I say.

Fuzzy推論は、ルール間に矛盾が生じていたとしても、メンバーシップ関数の重みを使って、ルール全体を俯瞰した推論をしてくれます。 ルール全体の並列処理ができる点では、Fuzzy推論は人間の心理を計算するのに非常に有効だと思います。 しかし、近年、Fuzzy推論を使う人間心理を現わす研究が見られないように思います。 これは私の誤認でしょうか?あるいは代替の推論方法があれば、それを教えて下さい

こっちにも記載していますが、いずれの方式も大量のアンケート等のデータを前提とするものばかりです。
As I also wrote here, nearly every approach assumes a massive amount of survey data.

『世界のルールは、自分一人で決める』
“The rules of the world can be decided by me alone.”

というものは、現在のところFuzzy推論、SOAR, ACT-Rくらいしかないようです。
As far as I know, only Fuzzy inference, SOAR, and ACT-R really embody this approach.

最初はそれで十分です。
At the beginning, that’s more than enough.

『データない → できない → あきらめる』
“No data → Can’t do it → Give up.”

という言い訳は、私には通用しません。
That excuse doesn’t work on me.

未分類

Fuzzy推論は、ルール間に矛盾が生じていたとしても、メンバーシップ関数の重みを使って、ルール全体を俯瞰した推論をしてくれます。
ルール全体の並列処理ができる点では、Fuzzy推論は人間の心理を計算するのに非常に有効だと思います。
しかし、近年、Fuzzy推論を使う人間心理を現わす研究が見られないように思います。
これは私の誤認でしょうか?あるいは代替の推論方法があれば、それを教えて下さい

短く言うと――「最近は“心理学そのもの”の主流では、Fuzzy単体は目立ちにくい」が実態です。ただし消えたわけではなく、感情認識・運転行動・医療や参加型調査(FCM)などでは現役+進化形(type-2、neuro-fuzzy)が使われています。深層学習やベイズ系・RL系の台頭で“心理プロセスの定量化”は別手法が主役になった、というのが全体像です。(サイエンスダイレクト)

いま使われている(または復権している)代替アプローチ

  • ベイズ階層認知モデリング:個人差を統計的に織り込み、理論パラメータの不確実性を一貫して推定。心理学の量的理論検証の“定番”。(PMC)
  • 強化学習(RL)/逆強化学習:価値学習・意思決定を説明し、社会・感情神経科学でも急増。深層RLも導入。(PMC)
  • 証拠蓄積モデル(DDMなど):選択と反応時間を同時に説明する意思決定プロセスモデル。(PMC)
  • 深層学習ベースの感情認識:音声・表情・生体信号の多モーダルで主流に。(サイエンスダイレクト)
  • Fuzzyの進化形:Type-2 FLS(ラベルの曖昧さまで表現)、Neuro-Fuzzy(学習可能なFuzzy層)。心理・行動の不確実性処理で価値が残る。(サイエンスダイレクト)
  • Fuzzy Cognitive Maps(FCM):人がもつ因果認識の可視化・合意形成に強く、医療や参加型研究で利用が続く。(PMC)

なぜ“見かけ上”減ったように見えるか

  • トップ心理学誌では、可搬な理論パラメータ・厳密な不確実性表現(ベイズ)やタスク適合の良い過程モデル(DDM)、データ駆動の高精度(深層学習/RL)が主流化。Fuzzyは工学・応用領域側に寄ったため、文献探索範囲によっては希薄に見えます。(PMC)

それでもFuzzy(含むType-2/Neuro-Fuzzy)を選ぶ場面

  • ルールの可読性が最優先(「もし~なら~」で説明責任が必要)。
  • 小規模データ+専門家知識を正面から使いたい。
  • 言語ラベル自体が曖昧(“やや不安”“少し怒り”など)で、ラベル不確実性まで扱いたい。(サイエンスダイレクト)

まとめ

誤認ではありません。心理学の中心トレンドはベイズ/RL/証拠蓄積/深層学習へ移っています。一方で、Fuzzyは「人の言語的ルールや合意形成を可視化したい」「曖昧さを説明可能に処理したい」場面で今も有効で、進化形(type-2・neuro-fuzzy・FCM)として残っています。(サイエンスダイレクト)

必要なら、あなたの対象データと目的(説明責任/予測精度/パラメトリック推論)に合わせて、最小実装の雛形(Fuzzy・ベイズ階層・DDM・RL)を並走比較できる実験設計をそのまま書き起こします。

私はマルチエージェントシミュレーションのエージェントの心理モデルにFuzzy推論を用いることが多いです(ラクですしね)。
これを別の手段に置き換える場合、どのような手法を取れば良いでしょうか。
具体例で説明頂ければ助かります。

なるほど、ご自身のMASにおける「心理モデル」をFuzzy推論から他方式に置き換えるケースですね。置き換え先は「(1)ルールベース性を残したいか」「(2)学習でパラメータを得たいか」「(3)人間心理をどう近似したいか」で選び分けると整理しやすいです。以下に具体例を示します。


1. ベイズ意思決定モデル

考え方: 「エージェントが環境から観測した情報を確率的に解釈し、行動を選択する」という枠組み。
具体例:

  • 住民エージェントが「バスを使うか徒歩にするか」を判断する場面で、Fuzzyなら「雨が強い AND 距離が長い → バス利用確率高」とルール化。
  • ベイズモデルにすると「事前に観測された統計(雨天時の利用確率、距離ごとの利用確率)」を尤度関数として組み込み、逐次的に更新。結果として「信頼区間付きの確率選択」が得られる。

特徴: Fuzzyより統計的厳密性が高く、結果に不確実性を明示できる。


2. 強化学習(RL)

考え方: 報酬最大化を目標に行動を学習する。心理を「経験から学習する適応」とみなす。
具体例:

  • 商店街を歩くエージェントが「コンビニに寄る/直進する」を学習。
  • Fuzzyなら「空腹度=高 AND 所持金=多 → 寄る」など。
  • RLなら「寄った場合に満腹になり満足度+5」「時間消費で−2」という報酬を定義し、試行錯誤から「空腹時に寄る」行動が自然に学習される。

特徴: 動的環境での適応が強み。心理というより「行動選択の学習過程」を再現。


3. 証拠蓄積モデル(ドリフト拡散モデル: DDM)

考え方: 「選択肢間の比較を徐々に進め、一定閾値に達したら決断する」心理モデル。
具体例:

  • エージェントが「バス停まで歩く/タクシーを呼ぶ」を迷う場面。
  • 内部で「コストに対する不満」や「快適さへの期待」といった証拠が少しずつ積み上がり、閾値を超えた時点で意思決定。
  • Fuzzyなら「距離が短いなら徒歩」と一発で決まるが、DDMでは「決断に時間がかかる」「迷いが生じる」といった現象も表現可能。

特徴: 反応時間や「迷い」をモデル化でき、人間らしさが増す。


4. Neuro-Fuzzy(ハイブリッド)

考え方: Fuzzyルールを残しつつ、パラメータ(メンバーシップ関数や重み)をニューラルネットで自動学習。
具体例:

  • エージェントの「不安度」の三角形メンバーシップを、調査データから最適化。
  • 手書きルールを残しつつ「心理ラベル」の曖昧さを学習で調整できる。

特徴: Fuzzyの直感性とデータ駆動の精度を両立。


まとめ

  • 説明責任を重視 → ベイズ推論
  • 行動適応を重視 → 強化学習
  • 人間らしい「迷い・決断過程」を重視 → 証拠蓄積モデル
  • Fuzzyの良さを残しつつ学習性も欲しい → Neuro-Fuzzy

上記の方式は、それなりの有意な数のデータが必要になると思います。
現実にはデータが全く存在しないという場合があります。
このような場合でも使えるものがありますか?

はい、その通りです。ベイズや強化学習などのデータ駆動型は「数がないと動かない」ことが多いですが、ゼロデータ環境でも扱える手法はいくつかあります。以下、具体例で整理します。


1. 専門家知識ベース方式

概要: 調査データがなくても、専門家の知識や直感を形式化して心理モデルに落とし込む。

  • : 「雨の日は人は出歩きにくい」「高齢者は長距離を避ける」などをルールとして書く。
  • Fuzzyルールがまさにこれに強い(理由:少数の言語的ルールで動かせる)。
  • 代替としては Fuzzy Cognitive Maps (FCM)。ノードを「不安」「コスト」「快適さ」にして、矢印で因果関係(強弱付き)を描く。専門家が因果の方向と強さを設定するだけで動く。

2. シナリオ・パラメトリック方式

概要: データがないなら「想定シナリオ」を直接パラメータ化してしまう。

  • : 「もし住民が保守的なら → 新しい交通手段は導入直後は20%しか利用しない」といった仮定を直接パラメータに。
  • ベイズモデルでも、事前分布を「強い仮定」として置けば動く(データゼロでもシミュレーションは可能)。

3. 認知アーキテクチャ方式

概要: 人間認知を一般化した理論(ACT-R、Soarなど)をMASに埋め込む。

  • : ACT-Rなら「ワーキングメモリに保持できる選択肢は3つまで」という心理学的制約をそのまま適用。
  • 実データがなくても「理論で得られた普遍的仮定」で動かせる。

4. ルール探索/進化的最適化

概要: ルールや閾値を遺伝的アルゴリズム(GA)や進化計算で「環境にフィットする」ように自動生成。

  • : 「乗合タクシー利用率が一定水準に達する」ことを目的関数にし、ルールの閾値を進化計算で探索。
  • 実データがなくても「期待するマクロ現象」さえ与えれば、個々の心理ルールを進化させられる。

まとめ

  • ゼロデータ環境でも使えるのは、
    • Fuzzy / FCM(知識ベース)
    • ベイズの事前分布固定(シナリオ駆動)
    • 認知アーキテクチャ(理論駆動)
    • 進化的最適化(望ましい集団挙動に合わせる)

江端さんのケースだと「住民調査のないシナリオ」も多いと思うのですが、そういう時は 専門家知識ベース(FuzzyやFCM)+シナリオパラメータ がいちばん実用的です。
質問ですが――MASで「心理ゼロデータ」を扱うとき、江端さんは 調査票なしの完全空白を埋めたいのか、それとも 部分的なインタビューや常識的知見を数値化したいのか、どちらに近いですか?

両方です。
私たちは自分の有する常識だけでも、かなりの部分の他人の振る舞いを代替できるはずです。
そういう意味では、調査票なしでエージェントの心理は作れると思いますが、補助的にインタビューやアンケートがあればさらに高度な心理モデルが作れるとは思います。
しかし、大抵のインタビューやアンケートの数は「しょぼい」です。
(1)自分の常識だけで心理モデルを作る場合と、
(2)前記(1)にショボいインタビューやアンケート結果を使う場合の
この2つの場合についてそれぞれについて論じて下さい。

承知しました。「常識だけで作る」場合と「常識+ショボい調査を補助的に使う」場合、それぞれでどう心理モデルを構築するかを整理します。


(1) 常識だけで心理モデルを作る場合

アプローチ

  • ルールベース/Fuzzyルール
    自分の知識・経験則を言語ルールとして直接落とし込む。
    例: 「雨の日 AND 高齢 → 外出確率低下」「若年 AND 夕方 → コンビニ立ち寄り確率増」
  • Fuzzy Cognitive Maps (FCM)
    「コスト」「快適さ」「不安」「時間制約」など心理要因をノード化し、それぞれを因果矢印でつなぐ。因果強度を自分の感覚で −1.0〜+1.0 の値に割り当てる。

メリット

  • データがゼロでもすぐ動かせる。
  • ルールや因果関係が明示的で「説明責任」が果たせる。

注意点

  • 主観が強く入るので「再現性」「他者からの納得性」が弱い。
  • シナリオごとに結果が変動しやすく、パラメータチューニングに時間がかかる。

(2) 常識+ショボいインタビューやアンケートを使う場合

アプローチ

  • ルールベースの初期設定を常識で作成 → パラメータ補正を調査で行う
    例: 常識で「高齢者は外出頻度が少ない」と設定 → アンケートで「70歳代でも散歩は毎日」という回答があれば、外出確率を+0.2補正。
  • ベイズ的な利用
    常識を「事前分布」として設定し、少数データを「尤度」で更新。サンプルが少なくても「常識ベース」から大きく逸脱しない推定が可能。
  • パラメータ重み付け
    調査数が少ない場合は「常識ルール: 70%」「調査データ: 30%」のように加重平均を取る。

メリット

  • 常識だけでは見落とす「局所的な行動傾向」を補足できる。
  • データが少なくても、常識とのハイブリッドで「妥当性」を維持しやすい。

注意点

  • サンプル数が少ない調査は「外れ値」に大きく振り回される。必ず常識と混ぜることが前提。
  • 「調査の声をどの程度信じるか」という重み付けを明示的にしておく必要がある。

まとめ

  • (1) 常識だけ → FuzzyルールやFCMで「ゼロデータでも即運用」可能。ただし主観の強さに留意。
  • (2) 常識+ショボい調査 → 常識を基盤にして、調査は補正パラメータとして扱う。ベイズ的更新や重み付けで「過信しない」仕組みを入れるのが鍵。

江端さんのケースだと、(1)をベースに動かしつつ、(2)を随時上乗せして精度を調整する「逐次改訂型モデル」が一番現実的だと思います。

ここで質問なのですが――江端さんのMASにおける「心理モデル」の役割は、住民行動の“確率分布を与えること” が中心ですか?それとも 個別エージェントの“性格をシナリオ的に描き出すこと” に近いですか?

Fuzzy Cognitive Maps (FCM)について教えて下さい。

Fuzzy Cognitive Maps(FCM)は、人間の頭の中の「因果関係の地図」を数値モデル化したものです。ファジィ理論とグラフ構造を組み合わせた手法で、心理や社会システムのように「曖昧で複雑な要因が相互作用する状況」を表現するのに向いています。


基本構造

  • ノード:概念や要因を表す(例:「不安」「コスト」「快適さ」「外出意欲」)。
  • エッジ(矢印):因果関係を表す。
    • 正の値:一方が増えると他方も増える(例:「快適さ↑ → 外出意欲↑」)。
    • 負の値:一方が増えると他方が減る(例:「不安↑ → 外出意欲↓」)。
  • 重み:因果の強さを -1.0〜+1.0 の範囲で表す。

動作の仕組み

  1. 初期状態として各ノードの値を設定(例:あるエージェントの「不安=0.6」「快適さ=0.3」など)。
  2. エッジの重みに従って、ノード間で値が伝播。
  3. 何ステップか繰り返すことで、全体の状態が収束したり、振動したり、シナリオごとに異なる挙動を示す。

具体例(MASに応用)

シナリオ:住民が「出かけるか家にとどまるか」を判断

  • ノード: 「天候」「不安」「コスト」「快適さ」「外出意欲」
  • エッジ例:
    • 天候(雨) → 不安(+0.7)
    • コスト(交通費高) → 外出意欲(-0.5)
    • 快適さ(娯楽の魅力) → 外出意欲(+0.8)
  • エージェントごとに「快適さ」や「不安」の初期値を変えると、多様な意思決定が自然に再現される。

利点

  • 直感的に作れる(紙に因果関係を書き出す感覚でモデル化)。
  • データゼロでも動く(重みは専門家の知識や常識で設定可能)。
  • シミュレーションに強い(ノード数十〜数百でも動かせる)。
  • 説明可能性が高い(なぜその行動になったか、因果経路が追える)。

注意点

  • 重みの設定が主観的になりやすい。
  • 結果の「定量的な正しさ」を保証するのは難しい(相対比較やシナリオ比較には強い)。
  • 安定性(収束・発散)が重みの選び方に大きく依存する。

まとめ

FCMは「心理を因果関係のネットワークとして表す」方法で、常識や小規模調査をそのまま数値モデルにできる点が強みです。Fuzzyルールよりも「要因間の相互作用」を表すのに向いており、MASに組み込むと「住民心理の連鎖的な変化」を再現できます。


江端さんのように MAS に心理モデルを入れる場合、「個人の心理ルールはFuzzy、集団的な因果構造はFCM」 といった使い分けも可能ですが、こちらにご関心ありますか?

「個人の心理ルールはFuzzy、集団的な因果構造はFCM」という傾向があるのですか?

はい、研究の流れや実務応用の事例を見ると、実際にそのような棲み分けが見られます。理由を整理するとこうなります。


1. 個人レベルにFuzzyが向く理由

  • ルールの直接性
    個人の心理は「もし~なら~」の形で表現しやすい。Fuzzyルールは「疲労が高い AND 天気が悪い → 外出意欲が低い」といった単純ルールで十分機能する。
  • 説明のしやすさ
    エージェントごとに「なぜそう行動したか」を人間に説明可能。特にMASでは個体差を出すために有効。
  • データが少なくても動かせる
    常識的なルールだけで初期化できる。

2. 集団レベルにFCMが向く理由

  • 要因の連鎖と相互作用を表せる
    集団の心理や社会全体の傾向は「不安が増えると外出が減り、商店街の活気が落ち、さらに不安が増す」といった循環関係が支配的。これはルールベースより因果ネットワークで自然に表現できる。
  • 政策や介入の効果を見やすい
    「公共交通を改善 → 快適さ↑ → 外出意欲↑ → 経済活性化↑」のような因果連鎖を政策評価に使える。
  • 専門家・住民の知識を統合できる
    参加型ワークショップで「どの要因が効いているか」を住民と一緒に描ける。

3. 実際の応用傾向

  • 個人心理モデル = Fuzzyルール or Neuro-Fuzzy
    → エージェント単位で「曖昧な意思決定」を再現。
  • 集団モデル = FCM
    → 社会的ダイナミクスや政策効果を評価。特に医療・交通・地域計画の分野で利用。

まとめ

「個人=Fuzzy」「集団=FCM」は必ずしも絶対的なルールではありませんが、

  • 個の意思決定はルールがシンプルで説明的なFuzzy、
  • 群の相互作用や政策シナリオは因果構造を扱えるFCM、

という棲み分けはかなり自然で、研究・実務の現場でもそうした使い分けが見られます。


江端さんのMASに組み込む場合、エージェント心理をFuzzyで定義した上で、集団的影響(社会的雰囲気や地域全体の活気)をFCMで重ねる二層モデルが有効かと思います。

👉 江端さんがイメージされているMASは、**「個の集合が群を形づくる」方向ですか?それとも「集団的雰囲気が個にフィードバックする」**方向ですか?

Neuro-Fuzzyについて説明して下さい

Neuro-Fuzzy(ニューロ・ファジィ)は、ファジィ推論システム(Fuzzy Inference System, FIS)ニューラルネットワークの学習能力 を組み合わせたハイブリッド手法です。


基本の考え方

  • Fuzzy推論
    「もし〜なら〜」の形でルールを記述し、メンバーシップ関数で曖昧さを扱う。
    → 強み:人間にとって分かりやすく、説明可能。
    → 弱み:メンバーシップ関数やルールは人間が手作業で設計する必要がある。
  • ニューラルネットワーク
    データから自動でパラメータを学習する。
    → 強み:柔軟で学習能力が高い。
    → 弱み:内部がブラックボックスで、解釈性が低い。

Neuro-Fuzzyはこの両者を融合し、

  • ルール形式の「解釈可能性」を維持しつつ、
  • データから「自動調整・学習」を行う。

代表的な仕組み(例: ANFIS = Adaptive Neuro-Fuzzy Inference System)

  1. 入力層:数値データを受け取る。
  2. メンバーシップ層:ファジィ集合(例:「小さい」「大きい」)を表現。メンバーシップ関数の形状(幅や中心)がパラメータ化されている。
  3. ルール層:ファジィルール(例:「もし X が大きい AND Y が小さいなら Z は中くらい」)を表現。
  4. 出力層:ルールを統合して数値出力を計算。
  5. 学習:誤差逆伝播や最小二乗法で、メンバーシップ関数やルールのパラメータを更新。

応用例

  • 制御工学:空調制御や自動車のシフト制御(従来Fuzzy制御を使っていた分野に、学習機能を追加)。
  • 予測モデル:株価予測、交通需要予測。
  • 心理・行動モデリング:アンケートや小規模調査データを基に、メンバーシップ関数を調整し、人間らしい判断を再現。

MAS(マルチエージェントシミュレーション)への応用

  • 個人心理モデルにNeuro-Fuzzyを入れると、最初は「常識的なルール」で動かしつつ、
  • 実験やアンケート結果を使ってメンバーシップ関数やルール重みを学習させることが可能。
  • 例:
    • 初期ルール: 「疲労が高い → 外出意欲が低い」
    • 調査から「若年層は疲労に強い」ことが分かれば、Neuro-Fuzzyが自動的にそのメンバーシップ関数を調整。

メリットと注意点

  • メリット
    • 説明可能性(ルールが残る)
    • データからの学習(主観ルールを修正できる)
  • 注意点
    • 学習にはそれなりのデータが必要。
    • 複雑なルール構造になると可読性が下がる。

要するに、Neuro-Fuzzyは **「常識ベースの心理モデルを作った後、少数でも得られた調査データで自然にチューニングする」**のに向いています。

👉 江端さんのように「常識だけでもモデル化するが、ショボい調査も使いたい」ケースには最も適したアプローチの一つだと思います。

江端さんのMASの場合、心理モデルを **「そのまま固定」したいのか、「調査や結果に応じて少しずつ学習させたい」**のか、どちらに近いですか?

Neuro-Fuzzyをプログラムで理解したいです。
短いGo言語でサンプルを作成して頂けませんか?

以下は、Sugeno型(一次)ANFISの極小実装(2規則)です。
入力2変数

x,yx,y

。各規則はガウス型メンバーシップ(中心c・幅σ)×2、本体は一次回帰

fi=pix+qiy+rif_i=p_ix+q_iy+r_i


勾配を解析的に出して確率的勾配降下で学習させます(データは簡単な回帰:

sinx+cosy\sin x + \cos y

)。

package main

import (
	"fmt"
	"math"
	"math/rand"
	"time"
)

// ---- ガウスMF ----
type MF struct{ C, S float64 } // center, sigma
func (m MF) mu(x float64) float64 {
	// 0除算/NaN対策
	s := m.S
	if s < 1e-3 { s = 1e-3 }
	return math.Exp(-0.5 * math.Pow((x-m.C)/s, 2))
}
func (m MF) dmu_dC(x float64) float64 {
	mu := m.mu(x)
	s := m.S; if s < 1e-3 { s = 1e-3 }
	return mu * (x-m.C) / (s*s)
}
func (m MF) dmu_dS(x float64) float64 {
	mu := m.mu(x)
	s := m.S; if s < 1e-3 { s = 1e-3 }
	return mu * math.Pow(x-m.C, 2) / math.Pow(s, 3)
}

// ---- 規則 ----
type Rule struct {
	Ax, By MF            // x側, y側のMF
	P, Q, R float64      // Sugeno一次の係数
}

// ---- ANFIS(2規則) ----
type ANFIS struct {
	R [2]Rule
	lr float64
}

func NewANFIS() *ANFIS {
	return &ANFIS{
		R: [2]Rule{
			{Ax: MF{C: -1, S: 1}, By: MF{C: -1, S: 1}, P: 0.1, Q: 0.1, R: 0},
			{Ax: MF{C: +1, S: 1}, By: MF{C: +1, S: 1}, P: -0.1, Q: -0.1, R: 0},
		},
		lr: 0.01,
	}
}

// 前向き計算:出力と中間を返す
type forwardCache struct {
	mux [2]float64
	muy [2]float64
	w   [2]float64
	S   float64
	fi  [2]float64
	y   float64
	wbar [2]float64
}

func (a *ANFIS) forward(x, y float64) forwardCache {
	var c forwardCache
	for i := 0; i < 2; i++ {
		c.mux[i] = a.R[i].Ax.mu(x)
		c.muy[i] = a.R[i].By.mu(y)
		c.w[i] = c.mux[i] * c.muy[i]
		c.fi[i] = a.R[i].P*x + a.R[i].Q*y + a.R[i].R
		c.S += c.w[i]
	}
	if c.S < 1e-9 { c.S = 1e-9 }
	num := 0.0
	for i := 0; i < 2; i++ {
		c.wbar[i] = c.w[i] / c.S
		num += c.wbar[i] * c.fi[i]
	}
	c.y = num
	return c
}

// 1サンプルでのバックプロパゲーション
func (a *ANFIS) trainStep(x, y, t float64) float64 {
	c := a.forward(x, y)
	err := c.y - t

	// dL/dy = (y - t)
	dLdy := err

	// 1) consequent(P,Q,R)
	for i := 0; i < 2; i++ {
		a.R[i].P -= a.lr * dLdy * (c.wbar[i] * x)
		a.R[i].Q -= a.lr * dLdy * (c.wbar[i] * y)
		a.R[i].R -= a.lr * dLdy * (c.wbar[i] * 1.0)
	}

	// 2) premise(C,S): まず dy/dw_i
	// dy/dw_i = (f_i - y)/S
	for i := 0; i < 2; i++ {
		dy_dwi := (c.fi[i] - c.y) / c.S

		// w_i = mu_xi * mu_yi
		// dw/dC_Ax = dmu_x/dC * mu_y, dw/dS_Ax = dmu_x/dS * mu_y
		// 同様にBy側
		dmux_dC := a.R[i].Ax.dmu_dC(x)
		dmux_dS := a.R[i].Ax.dmu_dS(x)
		dmuy_dC := a.R[i].By.dmu_dC(y)
		dmuy_dS := a.R[i].By.dmu_dS(y)

		dw_dCx := dmux_dC * c.muy[i]
		dw_dSx := dmux_dS * c.muy[i]
		dw_dCy := c.mux[i] * dmuy_dC
		dw_dSy := c.mux[i] * dmuy_dS

		// 連鎖律:dL/dparam = dL/dy * dy/dw * dw/dparam
		grad_Cx := dLdy * dy_dwi * dw_dCx
		grad_Sx := dLdy * dy_dwi * dw_dSx
		grad_Cy := dLdy * dy_dwi * dw_dCy
		grad_Sy := dLdy * dy_dwi * dw_dSy

		a.R[i].Ax.C -= a.lr * grad_Cx
		a.R[i].Ax.S -= a.lr * grad_Sx
		a.R[i].By.C -= a.lr * grad_Cy
		a.R[i].By.S -= a.lr * grad_Sy

		// σが縮みすぎないようにクランプ
		if a.R[i].Ax.S < 0.05 { a.R[i].Ax.S = 0.05 }
		if a.R[i].By.S < 0.05 { a.R[i].By.S = 0.05 }
	}

	return 0.5 * err * err // MSE/2
}

func main() {
	rand.Seed(time.Now().UnixNano())
	anfis := NewANFIS()

	// 学習データ:f(x,y)=sin(x)+cos(y) を [-2,2] グリッドから少量採取
	type sample struct{ x, y, t float64 }
	var data []sample
	for i := 0; i < 100; i++ {
		x := -2 + 4*rand.Float64()
		y := -2 + 4*rand.Float64()
		t := math.Sin(x) + math.Cos(y)
		data = append(data, sample{x, y, t})
	}

	// 学習ループ
	for epoch := 0; epoch < 200; epoch++ {
		sum := 0.0
		// 簡易SGD
		for _, s := range rand.Perm(len(data)) {
			d := data[s]
			sum += anfis.trainStep(d.x, d.y, d.t)
		}
		if (epoch+1)%40 == 0 {
			fmt.Printf("epoch %3d  loss=%.4f\n", epoch+1, sum/float64(len(data)))
		}
	}

	// テスト
	test := []sample{
		{0.5, -0.3, math.Sin(0.5)+math.Cos(-0.3)},
		{-1.2, 1.0, math.Sin(-1.2)+math.Cos(1.0)},
		{1.5, -1.5, math.Sin(1.5)+math.Cos(-1.5)},
	}
	fmt.Println("\n--- Predictions ---")
	for _, s := range test {
		yhat := anfis.forward(s.x, s.y).y
		fmt.Printf("x=%.2f y=%.2f  target=%.3f  pred=%.3f\n", s.x, s.y, s.t, yhat)
	}

	// 学習後のパラメータ確認(要点のみ)
	for i := 0; i < 2; i++ {
		r := anfis.R[i]
		fmt.Printf("\nRule %d: Ax(C=%.3f S=%.3f)  By(C=%.3f S=%.3f)  f=%.3fx + %.3fy + %.3f\n",
			i, r.Ax.C, r.Ax.S, r.By.C, r.By.S, r.P, r.Q, r.R)
	}
}

使い方

  1. go run main.go

  2. 学習の損失(loss)が徐々に下がり、最後にいくつかの点で target(真値)pred(予測) が近づく様子が出力されます。

  3. 規則ごとのメンバーシップ中心C・幅Sと**一次係数(P,Q,R)**が学習後に表示されます。

実装の要点

  • 規則数2の最小構成(増やすほど表現力↑)。

  • 解析的勾配:

    • consequentは

      y/pi=wˉix\partial y/\partial p_i = \bar w_i x

      等で直接更新。

    • premiseは

      y/wi=(fiy)/S\partial y/\partial w_i = (f_i - y)/S

      とガウスMFの微分を連鎖させて更新。

  • 数値安定のため

    SS

    σ\sigma

    を下限クランプ。

必要なら、

  • 規則数の増加、

  • 係数の正則化、

  • バッチ学習(最小二乗で consequent を解く)
    などに拡張できます。
    この骨格のまま**「常識で初期化 → ショボい調査で微調整」**という運用にも容易に適用可能です。

 

このプログラムが何をしているのか、何かの具体例で説明して頂けませんか

はい。ではこの Go版 Neuro-Fuzzy の最小サンプルが「実際に何をしているか」を、具体例に置き換えて説明します。


例:人の「満足度」を予測するモデル

「食事をした時の満足度」を、

  • x = 辛さの度合い
  • y = 価格の安さ
    から予測するイメージで考えて下さい。

ステップ 1. ルールを用意

最初に、人間の常識的ルールを2つだけ用意します。

  • ルール1:「辛さが弱くて、価格が安ければ → 満足度はある程度高い」
  • ルール2:「辛さが強くて、価格が高ければ → 満足度は低め」

これをプログラムでは 2規則のFuzzyルール として表しています。


ステップ 2. メンバーシップ関数

「辛さが弱い/強い」「価格が安い/高い」を、ガウス関数(山型の曲線)で表します。
最初は適当に中心Cや幅σを決めますが、学習で自動的に調整されます。


ステップ 3. 具体的なデータで学習

本サンプルでは「真のターゲット」を sin(x)+cos(y) という数式にしています。
つまり「辛さと価格から満足度がこう決まる」という「真実の法則」が裏にある、という設定です。

プログラムはこの関数を「教師データ」として100点ほどサンプリングし、Neuro-Fuzzyがその関数を近似するように学習します。


ステップ 4. 学習の仕組み

  • 各規則の線形モデル(p,q,r) は誤差逆伝播で更新。
  • メンバーシップ関数の中心Cや幅S も同じく誤差から勾配を計算して更新。
  • 繰り返すうちに「ルールの形」と「線形モデルのパラメータ」が調整され、
    「辛さと価格を見たら、このくらいの満足度だろう」と予測できるようになります。

ステップ 5. 結果の確認

学習後に、未知の入力(例: x=0.5, y=-0.3)を与えると、

  • ルール1とルール2の発火度合い(どのくらい当てはまるか)を計算し、
  • それぞれの線形モデルで予測した値を混ぜ合わせ、
  • 出力(pred)が真値(target = sin(0.5)+cos(-0.3))に近い値になります。

また、最終的な「ルールのメンバーシップ関数の中心・幅」や「一次係数」が表示され、どう調整されたかが見られます。


要するに

このプログラムは、

  • 最初は人間の常識的なFuzzyルール(2つだけ)から始め、
  • データを学習してルールの形とパラメータを自動調整し、
  • 最終的に「未知の入力でもそれらしい予測」ができるようにする、

という Neuro-Fuzzyの学習の仕組みを最小例で体験するコード です。


👉 江端さんのMAS心理モデルに置き換えるなら、
「最初は常識ルールでエージェントの心理を動かす → 少しある調査データでルールや閾値を自動調整」
という使い方と全く同じです。

ご希望なら、このサンプルを「心理モデル(例: 不安・快適さ・コスト → 外出意欲)」に置き換えた例コードも書けますが、興味ありますか?

sin(x)+cos(y) が、真のターゲットした場合、 x = 辛さの度合い y = 価格の安さ とした場合、どのように言語的に説明できますか。無理矢理でナンセンスでも構いませんので、力づくで説明して下さい

いいですね、力づくの言語化でいきます。
ターゲット

S=sin(x)+cos(y)S=\sin(x)+\cos(y)

を「満足度」と見なし、


  • xx

     

    :辛さの度合い(自分の“基準の辛さ”からのズレ)


  • yy

     

    :価格の“安さ”の度合い(自分の“納得価格”からのズレ)
    と解釈する。


言語的対応づけ(無理矢理版)

sin(x)\sin(x)

 

 

=「辛さレゾナンス」

  • 位相が合うと快楽が跳ね上がる
    xπ/2x\approx\pi/2

     

    (=「ちょうど良い〜やや強い辛さ」)で

    sin\sin

     

    は最大 → 「うお、今日の辛さドンピシャ!」。

  • 物足りない側は不満
    x<0x<0

     

    側で

    sin\sin

     

    はマイナス → 「辛さが死んでる、パンチがない」。

  • 行き過ぎると頭打ち:ピークを過ぎると(範囲内ではまだプラスだが)上がり幅が鈍る → 「辛いは辛いが“旨みの山”は通過した感」。

cos(y)\cos(y)

 

 

=「価格信頼の波」

  • 適正価格付近で安心感MAX
    y0y\approx0

     

    cos\cos

     

    は最大 → 「値段も納得、買ってよかった感」。

  • 安すぎる/高すぎるは疑心暗鬼
    y|y|

     

    が大きくなると

    cos\cos

     

    が下がり、やがてマイナスへ

    • 激安側:
      y+y\to +

       

      大きい → 「安すぎて逆に怖い。地雷か?」

    • 高値側:
      yy\to -

       

      大きい → 「これ、ぼったくりでは…?」
      → “単調なお得感”ではなく安心と不信が交互に現れるという“心理の波”を強引に表現。

合成

S=sin(x)+cos(y)S=\sin(x)+\cos(y)

 

 

=「舌の快楽波」+「値札の安心波」

  • 最高潮
    xπ/2x\approx\pi/2

     

    (辛さジャスト)かつ

    y0y\approx0

     

    (価格ジャスト)
    → 「辛さも値段も“ちょうどいい”の共鳴で満足度ドーン!」

  • 地雷気配
    xx\approx -

     

    (ぬる辛)かつ

    yy

     

    が大(激安)
    → 「物足りないのに安すぎて不安、満足度ガタ落ち」。

  • 罪悪感コース
    xx

     

    は良いのに

    y0y\ll0

     

    (高すぎ)
    → 「味は最高だが財布が痛い、幸せと後悔が相殺」。


ざっくり相図(範囲

[2,2][-2,2]

 

 

を想定)

  • ベスト帯:
    x1.57(π/2)x\approx1.57(\pi/2)

     

    y0y\approx0

     

  • ゼロ越え境界:辛さは
    x0x\approx0

     

    で中立/価格は

    y±1.57(±π/2)y\approx\pm1.57(\pm\pi/2)

     

    付近で“お得↔不安”を跨ぐ

  • マイナス帯:
    x0x\ll0

     

    (物足りない)や

    y|y|

     

    大(激安不信・高額後悔)


一言で

舌には“辛さ共鳴器”があり、財布には“信頼共鳴器”がある。
辛さが位相一致で鳴けば

sin(x)\sin(x)

が上がり、価格が納得の位相に入れば

cos(y)\cos(y)

が上がる。
この二つの“快・安”の波が同時に山を揃えると人は幸せ、どちらかが谷だと途端にモヤる――そんな“波の心理”を数式で無理矢理言語化した、という設定。

 

2025,江端さんの忘備録

芝村 裕吏さんの「関数電卓がすごい」を図書館から借りてきました。時折、摘み読みをしています。
I borrowed Yuuri Shibamura’s Kansu Dentaku ga Sugoi (“Scientific Calculators Are Amazing”) from the library. I occasionally dip into it.

これ、私の担当している連載の内容とよく似ています。『日常を数字で理解しよう』という趣旨の本であると理解しました。
This book is quite similar to the series I am writing. I understood it as a book with the theme, “Let’s understand everyday life through numbers.”

『この方の著書は、(私(江端)には)基本的に"外れ"がない』のですが、なんとなく理由が分かってきました。物語の中に、"根拠のある定量化"がなされているからだと思います。
For me, Shibamura’s books are never a “miss,” and I think I now understand why. It is because they always contain “quantification with solid grounds” within the narrative.

「マージナルオペレーション」にしても、「富士学校まめたん研究分室」にしても、根拠のある金額や距離や時間が示されて、それが物語に"リアル"を与えているのだと思いました。
Whether it is a Marginal Operation or a Fuji School Mametan Research Annex, the presentation of justified figures, costs, distances, or times? Gives the story its sense of realism.

「マージナルオペレーション」の芝村裕吏さんの「富士学校まめたん研究分室」は、日本の全ての研究員必読の書です。

ただ、この本は、私には「アタリ」ですが、多くの日本人にとっては「ハズレ」か「どうでもいい」内容だと思うのです。
That said, while this book is a “hit” for me, I suspect that for many Japanese readers it would be a “miss” or “irrelevant.”

なぜ、そう思うか。
Why do I think so?

私の連載「数字で世界を回してみよう」も、正直、あまり『大衆ウケ』していない、と思うからです。
Because my own series “Let’s Run the World with Numbers” is, to be honest, not particularly popular with the general public.

多くの人は、計算しようとしません。計算が苦手だと決めつけて、計算する前に逃げてしまいます。
Most people avoid doing calculations. They assume they are bad at it and run away before even trying.

『知りたい』という欲望を、もう一段階上げて『定量化してみたい』に至る人は、残念ながらかなりの少数派と言えそうです。
Those who raise their curiosity one level further?from simply “wanting to know” to “wanting to quantify”?are, unfortunately, a very small minority.

私の場合、興味のあることの"定量化"にはパソコンを使いますが、関数電卓はポケットに入る手軽さです。
In my case, I use a computer to quantify the things I’m interested in, but a scientific calculator has the advantage of fitting easily in a pocket.

『文庫本を読むかわりに、関数電卓でサクっと計算ができる』というのは、私にはとても楽しいことのように思えますが ―― これを楽しいと思える人は、一体どれだけいるのか、と考えると、かなり難しいと思います。
To me, the idea of “doing quick calculations on a scientific calculator instead of reading a paperback” sounds delightful, but when I ask myself how many others would find that enjoyable, I realize the answer is: very few.

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東野圭吾さんの著書で映画にもなった『容疑者Xの献身』では、主人公が留置場に入った際、外部との接触もなくやることもない状況で、彼は「四色問題」を思索の題材に選びます。
In Keigo Higashino’s novel The Devotion of Suspect X, later made into a film ? The protagonist, while in a detention cell with no outside contact and nothing to do, chooses the “four-color problem” as the subject of his contemplation.

『任意の地図を四色だけで塗り分けられるか、という未解決問題をひたすら頭の中で追いかけ続ければ、たとえ一生この場から出られなくても退屈せずに過ごせる』と考えるシーンが出てきます。
There is a scene where he thinks: “If I keep chasing in my mind this unsolved problem, whether any map can be colored using only four colors? I could live here for the rest of my life without ever being bored.”

(*)ちなみに4色問題は、1976年にアッペルとハーケンによって証明済みですが、コンピュータによる証明であり、いわゆる紙と鉛筆による証明はされていません。そのため現在でも四色問題は“数学的に特異な証明例”とされています。
(*)Incidentally, the four-color problem was proven in 1976 by Appel and Haken, but their proof relied on computers; no traditional “paper-and-pencil” proof exists. For this reason, it is still regarded today as a mathematically unusual example of a proof.

この感覚、私にはよく分かるのです。
I can understand this feeling very well.

私の場合は「パソコンがあれば」となり、芝村 裕吏さんの場合は「関数電卓があれば」となるのでしょう。
For me, it would be “as long as I have a computer,” and for Yuuri Shibamura, it would be “as long as I have a scientific calculator.”

そういう観点では、数字や数学というのは、かなり高度な「娯楽」ですが、これを共有できる人間が恐しく少ない、というのも事実で ―― これはどうしようもありません。
From this perspective, numbers and mathematics are a relatively advanced form of “entertainment.” Yet the reality is that very few people can share in this enjoyment, and that cannot be helped.

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この本の最後の方に、戦国時代の「15万人を動員する戦(いくさ)」に関わる戦費の計算がされています。これだけを読んでも、「戦争はアホらしくてやってられない」ことが分かります。
Toward the end of this book, there is a calculation of the war expenses involved in mobilizing 150,000 soldiers during the Sengoku period. Just reading that makes it clear how absurd and unsustainable war really is.

逆に、戦争を経済活動のプラットフォームとして定着させてしまうと、戦争をしていないと国家運営が成り立たないことも分かってきます。
Conversely, once war is entrenched as a platform for economic activity, it becomes apparent that the state cannot function without being engaged in some form of conflict.

豊臣秀吉の朝鮮出兵などは、その典型例ですし、三国志などを読んでいると『戦費を内需拡大に回せばいいのに』と思います。赤壁の戦いなどで戦費計算すると気が遠くなるような金額になります。
Toyotomi Hideyoshi’s invasions of Korea are a classic example. And when reading Romance of the Three Kingdoms, I often think, “Why not channel those war expenses into domestic growth instead?” The cost of battles like Red Cliffs, if calculated, would amount to astronomical sums.

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そういう観点で言えば、日本国憲法の唱える"戦争放棄"の概念は、人道だけではなく、経済の観点からも優れていると言えます。
From this perspective, the Japanese Constitution’s principle of “renouncing war” is excellent not only from a humanitarian standpoint but also from an economic one.

まあ、日本は他国の戦争特需で経済発展してきた国ですが、そういう意味では、「自国は"戦争放棄"」で「他国の戦争には口出ししない」という姿勢は、なかなか狡猾な平和戦略とも言えるのではないか、と思うことがあります。
Of course, Japan itself developed economically through the war booms of other nations. In that sense, the stance of “renouncing war for ourselves” while “not interfering in others’ wars” could be seen as a rather cunning peace strategy.

『戦後80年、我が国日本が、平和憲法にもとづく理念に基づき、80年間という長期の平和を維持し続けてきた「真っ白な手」をしている』――そんな寝惚けた戯言を語るつもりはありません。

2025,江端さんの忘備録

企業に入ってから、RSA暗号を自分なりに理解した時は本当に驚いたものです。
When I joined a company and finally understood RSA encryption in my own way, I was genuinely astonished.

RSAが提唱されたのは1977年ですので、すでに半世紀が経過しようとしています。
RSA was proposed in 1977, so nearly half a century has already passed.

―― ドアを戸締りするのは誰でもできるが、ドアを開けることができるのはカードキーを持っている自分だけ
Anyone can lock a door, but only the person with the card key can open it.

と書くと、ホテルのオートロックのようなイメージで、大したことがないようにも思えますが、この暗号が世界の有り様を換えたのは、間違いありません。
Described this way, it may sound like a simple hotel auto-lock, nothing special; yet, there is no doubt that this encryption has transformed the very structure of the world.


もし、RSA暗号がなければ・・・
If RSA encryption had never existed...

■インターネット通販は成立せず、紙カタログが今も主流。玄関先に分厚い冊子が毎日積み上がっていたかも。
■ Online shopping would not exist; paper catalogs would still dominate, with thick booklets piling up at doorsteps every day.

■恋文は、当然紙を使ったラブレターが主流
■ Love letters would, of course, still be handwritten on paper.

■ネットバンキングが存在せず、給料日には銀行に人が殺到
■ Online banking would not exist, and banks would be flooded with people on payday.

■安全な通信を確保するため、“紙のワンタイムパッド”を郵送する世界が残存
■ To ensure secure communication, a world of mailing paper one-time pads would persist.

■アダルトサイトは成立せず、エロ本の自販機やレンタルビデオ店が、今も街角のインフラ
■ Adult websites would not exist; adult magazine vending machines and video rental shops would still be corner infrastructure.

■RSA暗号を飛び超えて、量子暗号が主流になっていたかも
■ Skipping over RSA, quantum cryptography might have become mainstream.

多分、SNSは成立しておらず、匿名投稿という概念すらなかったかもしれません。
Perhaps social networking services would never have emerged, and even the concept of anonymous posting might not exist.

こう考えると、『不便』より先に、『それはそれで、分かりやすくていいな』と思ってしまう自分がいます。
Thinking about it this way, I catch myself feeling not so much “that would be inconvenient” as “that would be simple and easy to understand.”


今、私は、情報漏洩やサイバーアタックを防ぐシステムの設計をしています。
Now, I design systems to prevent information leaks and cyberattacks.

こんなことは、すでに枯れた技術であるように思えるのですが、適用するシステムごとに面倒くさい要求がありまして、『暗号技術があれば、それでなんとかなる』という訳にはいかんのです。
This feels like a well-worn technology, but each system has its own troublesome requirements, so it’s never simply, “encryption alone will solve it.”

凄い技術は、それだけでは使えず、それを組み立てるプロセスが必要なのです。
Great technology cannot stand alone; it requires a process to assemble and integrate it.

これは『建材だけでは家は建たない』と同じ理屈です。
It is the same logic as: “Building materials alone cannot build a house.”

ただ、セキュリティ攻撃を想定したシステム設計は、正直「面倒くさい」です。
But honestly, designing systems under the assumption of security attacks is “annoyingly troublesome.”

面倒くさいですが、手を抜くことはできません。
It is troublesome, but corners cannot be cut.

サイバー攻撃は、攻撃者は安全なところからラクして攻撃できるからです。時間もタップリ使えますし、逮捕に至るケースはレアです(攻撃に対して、追跡は恐ろしく難しいのです)。
Because in cyberattacks, attackers can attack comfortably from safe locations, with plenty of time on their hands, and arrests are rare (tracing attacks is terrifyingly difficult).

そして多くの人はサイバー攻撃に対抗する手段を知りません。というか、基本的には対抗する手段は「ない」と言っても良いと思います。
And most people do not know how to counter cyberattacks?in fact, one could almost say there are fundamentally no countermeasures.

専守防衛(パスワードを定期的に換えるくらい)しか、やれることがありません。
At best, defensive measures such as regularly changing passwords are all that can be done.


「RSA暗号が発明されていなかった世界」と、「RSA暗号(の他にも各種の認証技術)のある今の世界」、どっちが良かったんだろう、と、ちょっと真面目に考えてみました。
I tried, somewhat seriously, to imagine: which would be better, “a world without RSA encryption ever invented” or “the world we live in, with RSA and other authentication technologies”?

(1)経済面
(1) Economic perspective

RSA暗号は電子商取引の基盤を与え、取引コストを劇的に削減した。
RSA provided the foundation for e-commerce, drastically reducing transaction costs.

2024年時点で世界のEC市場規模は6兆ドルを超えるが、これが成立し得たのは、公開鍵基盤によって「不特定多数との安全な取引」が可能になったからである。
As of 2024, the global e-commerce market exceeds six trillion dollars, made possible by public-key infrastructures enabling “secure transactions with an unspecified number.”

もしRSAがなかったなら、取引は依然として紙のカタログや郵便振替に依存し、物流と金融の摩擦が経済発展の速度を大きく制約しただろう。
Without RSA, commerce would still depend on paper catalogs and postal transfers, with friction in logistics and finance severely constraining economic growth.

(2)社会・政治面
(2) Social and political perspective

暗号技術の普及はGDPRや個人情報保護法といった制度の成立を後押しし、プライバシーを技術と制度の両面で守る構造を整えた。
The spread of encryption supported the formation of frameworks like GDPR and personal information protection laws, building systems that defend privacy both technologically and institutionally.

もしRSAが欠落していたなら、社会のプライバシー保護は制度的管理に依存し、国家による監視と統制が一層強まった可能性がある。
Without RSA, privacy protection would have depended solely on institutional control, which would likely have strengthened state surveillance and regulation.

RSAがもたらした匿名性は、民主主義を支える自由を拡張したとも言えるが、その一方でフェイクニュースの拡散や炎上の温床ともなった。
The anonymity enabled by RSA expanded the freedoms that support democracy, but also became fertile ground for the spread of fake news and online firestorms.

(3)国際安全保障面
(3) International security perspective

RSAとその派生技術は、軍事や外交の通信を標準的に暗号化し、比較的低コストかつ迅速に安全性を確保する手段を提供した。
RSA and its derivative technologies standardized the encryption of military and diplomatic communications, offering a relatively low-cost and rapid means of ensuring security.

RSAが存在しなければ、各国は物理チャネルや独自暗号に依存し続け、傍受リスクの高さから相互不信が長引き、冷戦後の国際秩序の安定は大きく遅れていた可能性がある。
Without RSA, nations would have remained dependent on physical channels and proprietary ciphers, which could have prolonged mutual distrust and delayed the stabilization of the post-Cold War international order.

(4)科学技術の発展面
(4) Scientific and technological development

RSAに依拠するPKIがインターネットの基盤を形作ったが、その一方でRSAへの依存は技術の選択肢を狭め、「RSAに縛られた40年」を生んだとも言える。
PKI based on RSA shaped the foundation of the internet, but dependency on RSA narrowed technological options, creating what could be called “forty years bound by RSA.”

もしRSAがなければ、量子暗号や秘密分散のような代替技術が20年早く普及し、技術史の進化は全く異なるタイムラインを描いたかもしれない。
Without RSA, alternative technologies like quantum cryptography or secret sharing might have gained widespread adoption twenty years earlier, and the trajectory of technological history could have been entirely different.

…って、書いたけど、正直なところ、私は世界がどうなろうが知ったことではありません。
…Having written all this, to be honest, I don’t really care what happens to the world.


ということで結論。
So here is my conclusion.

(5)(江端の)仕事への波及
(5) Implications for (Ebata’s) own work

RSA暗号がなければ、セキュアシステムの設計は「絶望」または「不可能」で終えることができた。これを「仕事がなくてラッキー」と見なせるか「仕事がなくて、どうしよう…」と見なせるかは、結局のところ、私には分からない。
Without RSA, secure system design would have ended as “hopeless” or “impossible.” Whether that should be seen as “lucky?no work to do” or “unlucky?no work to do” is ultimately impossible to know.

総じて、2つの世界を同時に生きられない私にとって、このような比較はあまり意味がない、ということに落ち着くと思います。
Ultimately, since I cannot live in both worlds simultaneously, I conclude that such comparisons hold little real significance.

2025,江端さんの忘備録

そして研究室の深夜というのは、とにかくお腹が減るものです。
And late at night in the laboratory, you always end up feeling hungry.

しかし、大学キャンパスの中には飲み物の自販機くらいしか稼働しておらず、大学正門は非常に遠かったりします。
However, within the university campus, only a few drink vending machines are operating, and the main gate is often very far away.

深夜の大学の研究室というのは、結構不便です。
In short, university laboratories at night are rather inconvenient places.

最近はセキュリティチェックが厳しくて、外出すると、オートロックで研究室に戻れないこともあります。
Recently, security checks have become stricter, and if you step outside through an auto-lock door, you may not be able to get back in.

(私は、朝早くに研究室に来て、オートロックで入れなかったことがあります)。
(I myself once came to the lab early in the morning and couldn’t get in because of the auto-lock.)


人間の体は、30年やそこらで変わるものでもない、と思っています。それ故、私の体験談はまだ有効であると考えています。
I believe that the human body does not change much over the span of thirty years or so. Therefore, I consider my own experiences still valid.

夜遅くまで、PCと闘い、データと格闘し、論文作成に頭が疲弊している学生たちに対して、大学の研究室を去る者が残していくものは、"色紙"でもなければ、"手紙"でもないです。
For students worn out from battling PCs, wrestling with data, and exhausting their minds on thesis writing late into the night, what departing lab members leave behind is neither a “farewell message board” nor a “letter.”

ここは「カップ麺」一択でしょう。
Here, the answer can only be “instant noodles.”

という訳で、大学のゼミ生の皆さんから卒業のお祝いのお菓子を頂いたので、そのお返しにカップ麺を38個、研究室宛に送付しました。
So, since I received celebratory sweets from the seminar students, I returned the favor by sending 38 cups of instant noodles to the lab.

30年以上前のゼミだったころを思い出したら、「お上品なお菓子」やら「賞味期限だけが長い乾き物」やらを貰っても、別段嬉しくなかったことを思い出しまして。
When I recalled my own seminar days over thirty years ago, I remembered how receiving “elegant sweets” or “dried snacks that only boasted long shelf lives” never really made me happy.


考えてみれば、カップ麺というのは世界中の被災地で配られる、最も即効性のある支援物資のひとつです。
Come to think of it, instant noodles are one of the most immediate relief supplies distributed in disaster areas around the world.

電気もガスも水道も不安定な状況でも、お湯さえあればすぐに栄養と温かさを得られる。
Even when electricity, gas, and water are unreliable, as long as there is hot water, one can quickly obtain nutrition and warmth.

まさに人類共通の「最後の防衛線」と言える存在でしょう。
It is, in every sense, humanity’s shared “last line of defense.”

そしてこれは、卒業を目前に控えた大学生にとっても同じことです。
And the same holds for university students standing on the brink of graduation.

論文の提出期限、実験のデータ整理、指導教員との面談――その全てに追い詰められた学生にとって、夜中の研究室で食べるカップ麺は、まさに「卒論という災害」からの緊急支援物資です。
For students cornered by thesis submission deadlines, data organization, and meetings with supervisors, instant noodles eaten late at night in the lab are nothing less than emergency relief supplies against the “disaster of the graduation thesis.”

そのように考えると、『日本の理系学生を、社会に送り出しているものの一つには"カップ麺"がある』という仮説は、冗談のようでいて、確かな真実を含んでいるように思えます。
Seen in this light, the hypothesis that “one of the things sending Japanese science students out into society is instant noodles” may sound like a joke, but it carries a certain undeniable truth.

皆さんが、カップ麺をめぐって賑やかに奪い合う様子を、楽しく想像させていただきます。

未分類

交通と都市研究室 ゼミ生の皆様
To all seminar students of the Laboratory of Transportation and Urban Studies,

この度はお祝いを賜り、誠にありがとうございました。
Thank you very much for the kind celebration.

御礼として、本日、こちらの品をお送りいたしました(Amazonの表示では、9月26日から9月30日の間にお届け予定です)。
As a token of my gratitude, I have sent you this gift today (according to Amazon, it is scheduled to arrive between September 26 and September 30).

マルちゃん 日清食品 サッポロ一番 ヒガシフーズ カップ麺 ミニサイズ 決定版 38食セット
Maruchan, Nissin Foods, Sapporo Ichiban, Higashi Foods Cup Noodles Mini Size Ultimate Selection – 38-pack set

なお、「1人1個」ではなく「早い者勝ちで、いくつでも食べてよい」というルール(=ゼミ室に来ている人がより高い報酬を得られるルール)で消費してください。秋学期が始まる前にすべて食べ尽くされていても問題ありません。
Please consume them under the rule of “first come, first served, eat as many as you like,” rather than “one per person” (in other words, those who come to the seminar room will receive a greater reward). It is perfectly fine if they are all gone before the autumn semester begins.

皆さんが、カップ麺をめぐって賑やかに奪い合う様子を、楽しく想像させていただきます。
I will enjoy imagining all of you cheerfully scrambling over the cup noodles.

江端智一
Tomoichi Ebata

 

2025,江端さんの忘備録

Dr. Stone 23話のモールス信号は何を示していますか? とChatGPTに聞いてみたところ、
When I asked ChatGPT, "What does the Morse code in episode 23 of Dr. Stone mean?",

"Live(生きろ)"
"Live."

という回答がありました。
That was the response I received.

―― "Dr STONE"というアニメが面白い

で、聞き直してみたのですが、"LIVE"ではないことは確信できました。
Then I listened again, and I became certain that it was not "LIVE."

私には、3文字の繰り返しに聞こえました。
To me, it sounded like a repetition of three letters.

"W...H....Qかな?" "いやいや、CQは、ティーンエイジャの時にこれまで1万回も打ち続けてきた。'Q'ではない"
"Could it be W...H...Q?" "No, no, I’ve tapped CQ over ten thousand times since my teenage years. It’s not 'Q'."

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で、再度、ChatGPTに「Dr.Stoneシーズン4の23話です」として尋ね直してみたところ、
So I asked ChatGPT again, this time specifying, "It’s season 4, episode 23."

"WHY(なぜ?)"
The answer I got this time was, "WHY?"

という回答が返ってきました。
That was the response.

なぜ、ここにホワイマンのメッセージが出てくるのか不思議に思ったのですが ーー
I found it strange why Whyman’s message would appear here—

『作中の主人公スイカの視点で「なぜこんなことが起きたのか」、「なぜ自分はひとりぼっちで頑張ってきたのか」、あるいは人類石化・世界の状況そのものへの問いかけ、という意味を含んでいる』という考察がされているようです。
It seems there is an interpretation that, from the perspective of the protagonist Suika, it represents questions like "Why did this happen?", "Why did I have to struggle alone?", or even a broader inquiry into the petrification of humanity and the state of the world itself.

しかし、硝石やアルコールまでは何とかなると思う(硝石は16世紀の火縄銃の火薬の原料としてよく登場するし、アルコールは自作のビールやドブロクで私も何度も作ったことがある)のですが ーー
However, I think that producing nitric acid and alcohol would somehow be manageable (nitric acid often appears as a raw material for gunpowder in 16th-century matchlocks, and I myself have brewed beer and doburoku many times).

さすがに『硫酸の作成』は難しいのではないかと思いました(私でも作成アプローチを知らない)。
But when it comes to “sulfuric acid,” I felt it would be far more difficult (even though I have no idea of a practical approach to make it).

『ファンの考察としては、「スイカは火山性の硫黄の結晶や温泉周辺の硫黄類を採取し、そこから必要な酸類を得たのではないか」「硝石はグアノ由来で作った」などの推測が多く見られますが、これらは作中の断片的描写から読者が補完した解釈であり、公式に“その工程が完全に明言”されているわけではありません』だそうです。
As some fans have speculated, “Suika might have gathered volcanic sulfur crystals or sulfurous substances from hot spring areas to obtain the necessary acids,” or “she might have produced saltpeter from guano.” Yet these are interpretations supplemented by readers from fragmentary depictions in the story, and not official explanations of the process.

作品やキャラクターへの"愛"の感じられる考察です。
It is a kind of interpretation that conveys a real sense of love for the work and its characters.

結論:『スイカは、何とかした』のです。それでいいんです。
In conclusion: “Suika somehow made it happen.” And that is good enough.

特に「手書きのモールス信号を書き込んだ下敷き」は、定期考査で効果を発揮したものです。

 

2025,江端さんの忘備録

お昼のNHKニュースを見ていたら、本日から5年に一度の「国勢調査」が始まるそうです。
When I was watching the NHK noon news, I heard that the once-every-five-years “National Census” starts today.

人口の数や仕事のこと、家族の形などを集めて、国や自治体の計画に役立てるアンケートであり、答えるのは『国民の義務』であると憲法に記載されている、と聞きました。
It is a survey that gathers information about population, jobs, and family structures to be used in national and local government planning, and I heard that the Constitution says responding is “a duty of the people.”

よく調べてみたら、国勢調査は「憲法に明記」されているのではなく、「憲法の規定に基づいて制定された統計法によって、回答が義務づけられている」という仕組みになっているようです。
When I looked into it more carefully, I found that the census is not “explicitly written in the Constitution,” but rather that “based on constitutional provisions, the Statistics Act was enacted, which makes responding mandatory.”

憲法
Constitution
├─ 第41条:国会は国権の最高機関
├─ Article 41: The Diet is the highest organ of state power
├─ 第62条:国会の国政調査権
├─ Article 62: The Diet’s power to investigate government affairs
└─ 第73条:内閣の行政権 → 統計を整備する責任
└─ Article 73: Executive power of the Cabinet → responsibility to develop statistics

法律(統計法 第13条ほか)
Law (Statistics Act, Article 13, etc.)
└─ 国勢調査は基幹統計調査として規定
└─ The census is designated as a fundamental statistical survey

政令・告示(総務省)
Government orders/notifications (Ministry of Internal Affairs and Communications)
└─ 実施要綱で「日本に住むすべての人・世帯」が対象
└─ Guidelines specify that “all people and households living in Japan” are subject

国民
Citizens
└─ 回答は「法的義務」
└─ Responding is a “legal obligation”
(統計法 第61条に罰則規定あり)
(Penalties stipulated in Statistics Act Article 61)

『罰則?えらい、きっつい規定があるんだなぁ』と思い、こっちもちょっと読んでみました。
“Penalties? Wow, that sounds tough,” I thought, and decided to read it too.

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統計法(平成19年法律第53号)
Statistics Act (Act No. 53 of 2007)

第61条(罰則)
Article 61 (Penalties)
基幹統計調査又は一般統計調査に関し、次の各号のいずれかに該当する行為をした者は、50万円以下の罰金に処する。
A person who commits any of the following acts regarding a fundamental statistical survey or general statistical survey shall be punished by a fine of up to 500,000 yen.

虚偽の報告をした者

A person who makes a false report

正当な理由がないのに報告をしなかった者

A person who fails to report without cause

報告を拒んだ者

A person who refuses to report

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まあ、国勢調査に協力せずに、罰則を受けたという話は聞いたことがないので、多分これは「努力規定(*1)」という奴なんだろうなぁ、と思ったら、なんと「強制規定(*2)」でした。
Well, I’ve never heard of anyone actually being penalized for not cooperating with the census, so I thought this must be a “best-effort provision (*1).” But it turned out to be a “mandatory provision (*2).”

(*1)「努めなければならない」「努力するものとする」といった表現で書かれる。違反しても直接の罰則は通常ない。
(*1) Written as “shall endeavor to” or “should strive to.” Usually, there are no direct penalties for violations.

(*2)「~しなければならない」「~してはならない」といった表現で書かれる。違反すれば罰則や行政処分が伴う。
(*2) Written as “must” or “must not.” Accompanied by penalties or administrative sanctions if violated.


で、まあ、今日の日記のオチです。
And so, here’s the punch line of today’s diary.

私、政府の回し者ではありませんし、統計局の回し者でもありませんが、声を大にして言いたいです。
I am not a stooge of the government, nor of the Statistics Bureau, but I want to say this loudly.

『国勢調査への協力をよろしくお願いいたします』
“Please cooperate with the national census.”

「交通と都市研究室」の学徒の一人としても、また、交通や都市のサービスを提供する研究をする企業研究員としても、国勢調査や首都圏または地方のパーソントリップ調査のデータは、私たちの"命綱"といっても過言ではありません。
As a student in the “Transportation and Urban Studies Laboratory,” and as a corporate researcher working on transportation and urban services, census data and person-trip survey data in metropolitan and regional areas are nothing less than our lifeline.

まあ、政府の方がもっと真剣だと思います。
For the government, it’s even more serious.

政府は、これらの基礎資料がないと、まともな政策を立てられないだろうし、数字やデータが読めない頭の悪い政治家を黙らせることもできません。
Without these basic materials, the government cannot make proper policies, nor silence foolish politicians who cannot read numbers or data.

良かれ悪かれ、『数字(統計データ)は暴力装置』というのは事実です。政府や権力者は、この暴力装置を適正に使うことが期待されていますが ――
For better or worse, it is true that “numbers (statistical data) are instruments of power.” The government and those in authority are expected to use this instrument appropriately, but—

「二次関数は義務教育から削除しろ」と主張するたわけた作家夫婦や「女性は三角関数より花の名前でも覚えていればいい」と言ってしまう低能な県知事がいますので、心底心配です。
Some foolish novelists insist “quadratic functions should be removed from compulsory education,” and dim-witted governors who say “women should learn flower names rather than trigonometric functions,” which makes me genuinely worried.

想像力の欠如した、低能な人間

とりあえず、政府や政権の為ではなく、学問の徒としての私の為だけで良いので、ご協力のほど、よろしくお願い致します。
For the time being, not for the sake of the government or the administration, but just for me as a humble student of learning, I ask for your cooperation.


ただ、アンケートを作る側も、「もっと考えろ」と言いたい。
However, I also want to say to those who design the questionnaires: “Think more carefully.”

年収や、年齢や、配偶者や被保護者の有無を、答えさせられる側の心理的負担を、もう少し真剣に考えろ、と。
Think more seriously about the psychological burden imposed on respondents when they are forced to answer about income, age, spouse, or dependents.

お金でデータを買う、というのがてっとり早いのは分かるのですが、これをやると「間違いなくデータの分布に歪みが発生する」と思います。
I understand that buying data with money is the quickest method, but I believe this will inevitably distort the distribution of the data.

しかし、生成AIと日常会話するだけで、アンケート内容を収集できるようにするなど、テクノロジーの方でなんとかする方法がありそうな気がします。
However, I feel there is a belief in technological solutions, such as using generative AI to facilitate conversations and casually collect survey content.

今回の国勢調査には間に合わないとは思いますが、次回の国勢調査は、『10分ほど会話していたら、アンケートが終っていた』くらいの、AI国勢調査員による調査を期待していますよ ―― 総務省統計局の皆様。
This time’s census may be too soon, but for the next census, I hope for AI census-takers that can make it feel like “after about 10 minutes of chatting, the questionnaire was already done” — dear officials of the Statistics Bureau.

■ストレスチェックを受けるように強要されること自体がストレスである → Yes / No

2025,江端さんの忘備録

私が心配性であることは、これまでも何度もお話してきました。
I have mentioned many times before that I am a worrier by nature.

ですので、学位授与式においても「本当に学位が認定されているのか?」と、式の始まる直前まで心配していました(本当の話です)。
Therefore, even at the degree conferment ceremony, I kept worrying until just before it began, wondering, “Has my degree really been approved?” (That is the truth.)

■大丈夫だと思っていた論文が(再投稿の余地なく)リジェクトされる
■A paper I thought was safe gets rejected, with no chance for resubmission.

■予約していた新幹線や飛行機で、席が見つからない
■I cannot find my reserved seat on the Shinkansen or an airplane.

■ネットを使った予備審査の途中でリンクが切れて中断される
■An online lecture suddenly gets cut off when the link disconnects.

■認可される予定だった研究原資が、突然取り消される
■Research funding that was expected to be approved suddenly gets canceled.

社会人であれば、こうしたことは日常茶飯事であり、その積み重ねによって、私は年齢を重ねるごとにますます心配性になっていきました。
For a working adult, such things are everyday occurrences, and as they piled up, I found myself becoming more and more of a worrier with age.

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私がようやく安心できたのは、
The only times I finally felt reassured were:

(1) 私の名前が付いたタグがアカデミックガウンに付いているのを確認したとき
(1) When I saw the tag with my name attached to the academic gown.

(2) 私の名前のある成績証明書の封筒が机の上に置かれているのを見たとき
(2) When I noticed the envelope containing my transcript, with my name on it, was placed on the desk.

 

この二つの瞬間でした。そこでようやく「卒業できるんだ」と安堵しました。
At those two moments, I finally felt relieved, thinking, “So I really am going to graduate.”

嘘偽りなく、私は学位記を授与されるその瞬間まで、心配し続けていたのです。
Truthfully, I worried right up until the very moment I was handed my diploma.

以前も述べましたが、これほどの心配性で、自分を痛めつけてしまう自分自身に、正直腹を立てています。
As I have said before, I honestly get angry at myself for being such a worrier that I end up tormenting myself.

『私は、小心者で心配性で、考えうる準備をしておかないと不安で仕方がない』という性格なのです。私は、「私のこの性格で自分が苦しめられている」ことを、大変にがにがしく、また、はらだたしく思っています。

それはさておき。
That aside.

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本年度の春学期のゼミの歓迎パーティで、留学生の学友から、
At this year’s spring semester welcome party for the seminar, an international student friend asked me,

"When is your 'Final Defence'?"
“When is your ‘Final Defence’?”

と尋ねられ、私は思わずキョトンとしてしまいました。
I was momentarily dumbfounded.

「最終防衛? 戦争の予定は入っていないけどな」と思いながら話を続けていると、それが「最終審査(公聴会)」のことだと分かってきました。
Thinking, “Final defence? I don’t have any wars scheduled,” I continued the conversation, only to realize that it meant “the final examination (public defence).”

そういえば、審査のことをアカデミズムでは "Defence(防御)" と呼ぶのを思い出しました。
Then I recalled that in academia, examinations are often called a “defence.”

なぜそう呼ぶのかを ChatGPT に尋ねてみたところ、
When I asked ChatGPT why it is called that,

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博士候補者は、審査委員や他の学者たちの前で論文を公開し、質疑応答に応じて「自らの理論・データ・結論の正しさを守る」ことが求められました。
Doctoral candidates were required to present their dissertations before a panel of examiners and other scholars and “defend” the validity of their theories, data, and conclusions during questioning.

この伝統がそのまま英語圏に引き継がれています。
This tradition has been carried on directly in the English-speaking academic world.
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と言われました。

つまり "Final Defence" とは「博士号取得者にふさわしいかどうかを確認するための知的な戦いの場」であり、比喩ではなく、本当に「戦い」や「戦争」に近い意味合いだったのです。
In other words, the “Final Defence” is an intellectual battleground to determine whether one is truly worthy of a doctorate. It is not just a metaphor—it carries the sense of an actual battle or war.

アカデミズムというのは、やはりどこか怖い世界なのだなと、帰路の途中でゾクッとしたのを、今でも覚えています。
I remember shivering on my way home, realizing once again that academia is, in its own way, a rather frightening world.

『この春の大学のゼミ集まりで、"When is your 'final defence'?"と言われて、思わず"What?"と対応してしまいました』についてChatGPTに尋ねてみた件

 

2025,江端さんの忘備録

他の人が、どのような背景や理由で取得したのかは、知りませんし、興味もありません。
I neither know nor care what kind of background or reasons others had for obtaining it.

私は、自ら望んで挑戦し、(予想通り)酷い苦労を重ね、(予想通り)散々な目にも遭いながら、ようやくここに辿り着きました。
I chose this path on my own, faced terrible hardships as expected, went through countless ordeals as expected, and finally managed to arrive here.

そうでない人もいるでしょうが、今、私は声を大にして叫びたい。
Others may have had different journeys, but right now, I want to shout it out loud.

博士号取ったぞー!

"Finally got my Doctor of Engineering (Course-based Doctorate)!!!"


ここであれこれ(主に愚痴)を語ることもできますが、それを「ダラダラ」と公開するつもりはありません。
I could go on and on here (mostly with complaints), but I have no intention of dragging them out in public.

この三年間の出来事(と愚痴)を、ロジカルに整理し、時系列順に体系化してドキュメントとして残し、毎月の連載として発表するために、現在、編集部への「営業活動」をしています。
Instead, I am working to organize the events (and complaints) of these three years logically, arrange them chronologically, and preserve them as a document, which I plan to publish as a monthly series. For that purpose, I am currently "pitching" to the editorial department.

また、この連載に今後巻き込まれるであろう関係者の皆さんに対しても「仁義を通す」活動もすでに開始しています。
At the same time, I have already begun "paying my respects" to those who will likely get involved in this upcoming series.


私が学位を取得できたのは、会社の支援と理解、指導して頂いた先生と学生の皆さん、そして、家族(江端家)の圧倒的な支援があったからです。
I was able to obtain my degree thanks to the support and understanding of my company, the guidance of my professors and fellow students, and above all, the overwhelming support of my family (the Ebata household).

ですから――
Therefore—

■真冬のコートよりも厚い生地のアカデミックガウンを着せられたまま、冷房の効いた会場から酷暑の日差しのキャンパスへと連れ出され、
■Being led out from an air-conditioned hall into the blazing summer sun, still wearing an academic gown thicker than a winter coat,

■妻や長女の言うままのポーズで、200枚近い写真撮影に付き合わされた
■And being forced into nearly 200 photo shoots, striking whatever poses my wife and eldest daughter demanded,

などということは、些細なことです。
These were trivial matters.

家族へのささやかな恩返しとして、この程度のことは当然の務めだと思っています。
As a small token of gratitude to my family, I consider them only natural obligations.


もっとも、アカデミックガウンを着たシニア学生が、熱中症で救急車搬送されたりしたら――
That said, if a senior student wearing an academic gown were to be carried away by ambulance due to heatstroke—

『大学が学位を取り消すかもしれない』と頭の片隅で一瞬よぎったのも、また事実です。
It did briefly cross my mind that the university might revoke my degree, and that, too, is a fact.