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毎年8月になると太平洋戦争関連の番組が増えます。番組の中で、「日本軍が『精神力は物資を制圧できる』と主張して戦場の兵隊の士気を鼓舞していた」という場面が随所にでてきます。このフレーズに"科学的な根拠はない"とは思いますが、日本軍は、その教育(精神論教育)を行うために、過去のユースケースくらいは持ち込んだと考えています。これらの情報を探って頂けませんか?

ご趣旨は「“精神力が物資を制圧する”という考えに、歴史上の“うまくいった例(ユースケース)”があったのか」という点だと理解しました。結論から言うと、近代日本の軍隊は制度面で精神主義を公式化し、それを裏づけた(ように見えた)経験がいくつか存在します。ただし、それらは「精神だけで物量を覆した」実例というより、戦術・訓練・奇襲・指揮の優位と相手側の失策が重なった結果を、後から精神主義で解釈した色彩が強いです。代表的な根拠・文脈と、しばしば“成功体験”として想起された事例を整理します。

1) 制度としての根拠(精神主義を正当化した文書・ドクトリン)

  • 軍人勅諭(1882)
    兵の倫理と忠誠・質素・名誉を強調し、軍の精神的規範を国家的に位置づけました。後年まで暗唱が求められ、精神規律の根幹になりました。
  • 文部省『国体の本義』(1937)、陸軍系パンフ『国防の本義と其強化の提唱』(1934)
    国家総動員の思想的基盤を整え、精神力・皇道・自己犠牲を強調。総力戦の時代に「精神力」の優位を説く文脈が形成されました。
  • 陸軍の「白兵主義」
    「射撃で接近し白兵で決着」という発想が長く生き、火力・機械化の軽視につながり得たと近年の研究でも検討されています。

2) “ユースケース”として想起された主な歴史的場面

  • 日露戦争・旅順攻略(203高地を含む)と“肉弾”表象(1904–05)
    大損害を払いながら最終的に要塞を陥落させた経験が、勇猛果敢=精神力で難関を突破という物語に回収されました。当時の兵士記録『Human Bullets(肉弾)』の流布も神話化を助長。もっとも、実際は巨砲投入・塹壕戦・通信など近代的手段の総合運用の比重が大きく、「精神のみで物量を凌駕」したわけではありません。
  • 日本海海戦・対馬(1905)
    日本側の練度・戦術・通信管制の優位と、露艦隊の長大な航海・練度差が重なり大勝。これも「気迫」で勝ったと語られがちですが、実際には運用・指揮統制の成果が大きいと研究されます。
  • 1941–42年の南方電撃戦(マレー進攻~シンガポール陥落)
    兵力では劣勢でも、機動(自転車歩兵・軽戦車)、航空優勢、相手の地形誤認と備えの不足を突き、短期で大戦果。のちに「少数精鋭と士気」で大軍を屈服させた成功体験として強調され、精神主義の自己正当化に使われました。ただし実相は“機動・奇襲・指揮の成功+相手のミス”です。

3) 逆に“反証”となった事例(精神では物量・機械化に勝てない)

  • ノモンハン事件(1939)
    日本側の夜襲・白兵重視は一定の戦術的成果もあったが、ソ連側の機械化・砲兵・補給の物量と統合運用に押し切られて敗北。戦後の部内総括では「装備をソ連並みに引き上げられない以上、敢闘精神に頼るしかない」との発言まで残り、むしろ“精神主義への逃避”の証拠として引用されます。
  • 太平洋戦争後半(レーダー・近接信管・制空権の差)
    米軍の技術・生産力・適応学習に対し、精神主義の強調は学習遅延を招き不利を拡大した、という『失敗の本質』系の総括が広く共有されています。

まとめ

  • 「精神力>物量」というスローガンには、①近代日本国家が制度的に精神主義を植え付けた経緯(軍人勅諭・国体/国防パンフ)、②日露戦争やシンガポール陥落など“精神で勝った”と解釈されやすい成功体験、の二つの土台がありました。
  • ただし実際の勝敗は、士気(精神)×戦術×指揮統制×装備×補給×地形×相手の失策の“積”で決まります。精神だけが物資を恒常的に凌駕した実証例は乏しく、むしろノモンハンや戦争後半の推移はその限界を示しました。

 

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以前にもお話したかもしれませんが、私、まだやりたいことがあります。

1940年(昭和15年)秋、内閣直轄の機関として「総力戦研究所」が文官・軍人・民間などから30代の優秀な人材約35名を選抜し、「模擬内閣」としてシミュレーションを実施し、たとえ緒戦では善戦できても、戦争が長期化すれば「必ず敗北する」という結論に至っていました。

項目 内容
機関名 総力戦研究所(首相直属)
設立時期 1940年(昭和15年)秋
参加者 若手エリート約35名(文官・軍人・民間)
想定内容 南方侵攻を含む日米戦争シミュレーション
結論 初戦は善戦可も、長期化すれば必敗
政策への影響 報告されたが無視され、開戦に至る

私、このシミュレーションの資料を手に入れて、自宅のPCで、そのシミュレーションの再現を行ってみたいのです。

ただ、再現するだけでなく、これをMAS(マルチエージェントシミュレーション)を使って、再計算してみたいと思っています。

で、まあ、度々こういうデータを色々拾っていました。

このシミュレーションを実現する為には、防衛関係者とのコネと、研究者としてのそれなりの実績が必要なんだろうなぁ、と思い込んでいました。

ところが、ChatGPTに聞いてみたら、できることが山ほどあることが分かりました。

忘れないようにメモしておきます。

「総力戦研究所と「日本必敗」シミュレーション」の各種の資料を入手する方法を教えて下さい

了解です。一次史料から研究書・論文、入手ルート(無料でDL/館内閲覧/購入)まで「どこで・どう探すか」を実務手順でまとめます。

1) 公的アーカイブ(一次資料:無料DLあり)

  • 国立公文書館デジタルアーカイブ

    キーワード「総力戦研究所/机上演習/総研甲/返赤」で検索 → 代表例:
    「総研甲-第6号・昭和18年度・第一回総力戦机上演習関係書類」
    画面の「ダウンロード」から PDF 一括入手可(CC0)。請求番号:返赤10002000。演習スケジュールや「内閣構成員からみた図上演習の記録」などが見られます。 (デジタルアーカイブ)

  • アジア歴史資料センター(JACAR)

    オンライン目録・画像提供。キーワード「総力戦研究所/模擬内閣/机上演習」で横断検索。該当件名への到達口としてまずトップの検索結果に入るのが近道です。 (国立公文書館ジャパンクラウド)

  • 防衛研究所・戦史研究センター

    『戦史研究年報』等で「総力戦研究所」に関する史料紹介あり。年報PDFは研究所サイトから閲覧可能(創立60周年特別号の編集後記に掲載言及あり)。必要論文は所蔵照会・複写依頼も可。 (防衛省ネットワーク情報システム)

2) 国立国会図書館(NDL)・大学図書館での入手

  • NDLサーチ/デジタルコレクション

    例:

    • 『占領地統治及戦後建設史(総研資 第48号)』(総力戦研究所, 1942)所蔵。館内閲覧・遠隔複写の可否は書誌から確認。 (国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
    • 森松俊夫『総力戦研究所』(白帝社, 1983)。所蔵館を NDLサーチ→最寄りの公共・大学図書館で取り寄せ(相互貸借)。 (国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
    • 法令そのもの(昭和15年10月1日 勅令第648号「総力戦研究所官制」)は NDLOP(日本法令索引)経由で御署名原本画像へ。 (日本法令索引)
  • CiNii Research(論文)

    大学紀要・学会誌に一次史料の読解・位置づけを行う研究論文が複数。例:

    • 市川新「総力戦研究所ゲーミングと…英米合作経済抗戦力調査」 (CiNii)
    • 太田弘毅「総力戦研究所の設立について」(『日本歴史』1977、NDLデジコレでメタ情報/複写申込可) (国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
    • 市川新「日本における社会システム・ゲーミングの創始」 (CiNii)

3) 研究書・一般書(購入しやすい二次資料)

  • 猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫/各社版)。総力戦研究所「模擬内閣」に基づく通史的叙述。紙版・電子版とも入手容易。 (ウィキペディア, Amazon)
  • 資料集の復刻
    『十五年戦争極秘資料集 補巻47 総力戦研究所関係資料集』(全9冊+別冊)。研究機関向け高額セットだが、大学図書館に所蔵あり。所蔵館が近くになければ相互貸借を依頼。 (fujishuppan.co.jp)

4) 新聞・特集記事(図版・導入に便利)

  • 朝日新聞デジタル:「黙殺された『日本必敗』」—公文書館の**「第一回総力戦机上演習」**スケジュール図版を引用。大学図書館のデータベース(朝日新聞クロスサーチ等)からも閲覧可能。 (朝日新聞)

5) 具体的な探し方(クエリ例)

  • 和文キーワード:
    「総力戦研究所」「模擬内閣」「机上演習」「総研甲」「返赤10002000」「総研資」「長期戦研究」
  • 組み合わせ:
    「総力戦研究所 AND 机上演習」「総研甲 AND 第一回」「総研資 AND 占領地統治」「勅令 第648号 AND 総力戦研究所」
  • 各サイトでの動線:
    1. 国立公文書館DA → 検索 → 件名ページ →「ダウンロード」
    2. NDLサーチ → 所蔵館確認 → 最寄り図書館へ相互貸借申込 or NDL遠隔複写
    3. CiNii Research → 論文ページ → PDF直DL or 掲載誌リンクから機関リポジトリへ

6) 研究を始める最短ルート(私案)

  1. 公文書館DAの**「総研甲-第6号」**をDLして一次資料の骨格を把握。 (デジタルアーカイブ)
  2. 猪瀬『昭和16年夏の敗戦』で通史的叙述と人名・語彙を押さえる。 (ウィキペディア)
  3. CiNiiの市川新・太田弘毅論文で方法論(ゲーミング/制度史)を補強。 (CiNii, 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ))
  4. 必要に応じて NDLの「総研資」群復刻資料集へ掘り下げ。 (国立国会図書館サーチ(NDLサーチ), fujishuppan.co.jp)

こういう研究をさせてくれる大学や研究機関がありましたら、紹介して下さい

ご期待に沿えるよう、「こうした戦争シミュレーション(ウォーゲーミング)研究」に取り組む大学・研究機関およびシンクタンクをご紹介します。現在、日本で類似の研究や活動に携わっている主な研究拠点は以下のとおりです。


大学・研究機関

1. 日本シミュレーション&ゲーミング学会(NPO)

日本におけるゲーミング研究推進の中核団体で、学会全国大会では大学研究者による事例発表が活発です。総力戦研究所の「社会システム・ゲーミング(政策研究ゲーミング)」は、現代日本のシミュレーション手法学の基礎的研究と位置づけられています (SPF, J-STAGE)。

2. 笹川平和財団(SPF)

政策シミュレーションやウォーゲーミングの導入を活発化させている民間シンクタンクです。特に「台湾有事」など現代安全保障上の危機に対する机上演習を、官僚・専門家と共に実施した実績があります (SPF)。

3. 東京大学・加藤陽子教授(国近代史)

加藤教授は戦争選択や近現代史を専門とし、広範な政策史的アプローチで戦争研究を行っています。ゲーミングを直接扱っているわけではないものの、戦争の意思決定プロセスを歴史的に分析する観点から参考になる存在です (ウィキペディア)。

4. 大学研究室におけるシミュレーション・教育活用

国際関係や戦争文化を教育目的で扱う大学研究室やゼミでも、シミュレーションやロールプレイ型の授業が導入されているケースがあります。たとえば「国際関係学の学びにおけるシミュレーション・ロールプレイ」などの教育実践が報告されています (CORE)。


国際・戦争研究に関連する研究者・活動

  • 上杉勇司(早稲田大学):国際紛争解決・平和構築を研究する国際政治学者。シミュレーションではなく、政策形成や紛争解決の理論モデルが得意です (ウィキペディア)。
  • 山影進(青山学院大学):マルチエージェント・シミュレーションなど、人工社会モデルを用いた国際関係理論の研究経験があります (ウィキペディア)。

簡易比較まとめ

機関・人物 活動・専門領域 備考
日本シミュレーション&ゲーミング学会 教育・ゲーミング手法研究 総力戦研究所の実践と類似のアプローチ有 (J-STAGE, CiNii)
笹川平和財団 現代安全保障シミュレーション 実際の政策課題(台湾有事等)での演習実施 (SPF)
東京大学・加藤陽子教授 日米関係・戦争選択史 歴史的視点から戦争の意思決定に迫る研究 (ウィキペディア)
教育機関(大学ゼミ等) シミュレーション・ロールプレイ教育 国際関係学の授業で導入例多数 (CORE)
上杉勇司(早稲田大学) 国際紛争・平和構築 シミュレーションではないが制度分析など豊富 (ウィキペディア)
山影進(青山学院大学) マルチエージェント・シミュレーション 社会シミュレーション応用可能性あり (ウィキペディア)

ご希望に応じた推薦

  • 学術的なゲーミング研究手法を学びたいなら → 「日本シミュレーション&ゲーミング学会」や関連大学研究室への参加・問い合わせをおすすめします。
  • 現代政策への応用型シミュレーションに関心があるなら → 笹川平和財団の活動が最も近い内容です。
  • 歴史的・思想的観点から日米開戦や意思決定を読みたいなら → 東京大学・加藤陽子教授に関連論文や指導を仰ぐのが有効です。
  • 教育目的で演習型授業を導入したいなら → 関連ゼミや大学の教育系研究者に相談するとよい導入事例が得られます。
  • 社会シミュレーション技術に興味があるなら → 山影進教授の研究領域が参考になります。

ご要望の用途(例:大学院での受験、研究授業の依頼、シンクタンクとの協働など)があれば、さらに具体的に適切な窓口をご案内できます。どうぞお知らせください。

2025,江端さんの忘備録

人の感情の動き方は、外から見れば単純に見えても、本人の内側ではかなり複雑に絡み合っています。
From the outside, human emotions may appear simple, but within a person, they are often intricately intertwined.

私の場合、「似たような出来事」に見えるのに、なぜか反応がまるで逆になることが多々あります。
In my case, there are many situations where events that appear similar evoke opposite reactions from me for some reason.

例えば、こんなのです。
For example, here are some cases:

■アウシュビッツの死体の山の映像は見られても、集中治療室の小児病棟の子どもやガザ地区で飢えている子どもの映像は直視できない。
I can watch footage of piles of corpses from Auschwitz, but I cannot bear to look at images of children in an ICU pediatric ward or starving children in the Gaza Strip.

■津波で流された町の空撮映像は淡々と見られるが、避難所で泣いている年配者のクローズアップは直視できない。
I can calmly watch aerial footage of towns swept away by a tsunami, but I cannot face close-up images of older adults crying in evacuation centers.

■戦場の空爆映像はある程度冷静に見られるが、そこに取り残されたペットや動物の映像で胸が締めつけられる。
I can watch airstrike footage from a battlefield with some composure, but I feel a tightness in my chest when I see pets or animals left behind there.

■英語での学会発表やイベントのスピーチは平気だが、論文の校正にチェックを付けられるだけで思いっきりヘコむ。
I am fine giving presentations or speeches in English at conferences or events, but I feel utterly deflated just from having my paper marked up during the proofreading process.

■学会の質疑応答で厳しい質問を受けても平気だが、知人からの軽い一言「そこ微妙じゃない?」に妙に傷つく。
I can handle tough questions in conference Q&A sessions, but I am strangely hurt by a casual remark from a friend, such as, “Isn’t that a bit off?”

■編集部によるコラムを一ページまるまる削除、または変更要求には何も考えずに応じられるが、SNSで批判を書かれるとかなり長いこと腹を立てて、引っ張り続ける。
I can comply without a second thought when an editor deletes an entire page of my column or requests changes, but I stay angry for a long time when criticized on social media.

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まあ、個人差はあると思いますが、他の人にはあまり見られない、私(江端)特有の傾向としては、以下のようなことが言えるかなぁ、と思っています。
Of course, there are individual differences, but I think the following tendencies are somewhat unique to me (Ebata) and not often seen in others.

(1)「遠い悲劇」には強い耐性があるが、「近い弱者」に極端に弱い
(1) Strong resilience to “distant tragedies,” but extreme vulnerability to “nearby weak individuals”

私は、歴史的な虐殺や大規模災害の映像を冷静に見られる一方で、日常に近い環境で苦しむ個人(特に弱者)には非常に強く感情移入してしまいます。私の場合、この差が極端に大きいようです。
While I can watch footage of historical massacres or large-scale disasters calmly, I become deeply empathetic toward individuals (especially the vulnerable) suffering in everyday settings. In my case, this gap appears to be extreme.

(2)公的な攻撃には耐え、私的な一言に長く反応する
(2) Enduring public criticism, but reacting strongly and for a long time to private remarks

学会発表や査読のような「公式の場」での批判には平然と対処できるのですが、友人の軽口やSNS批判のような私的領域の否定に対しては、感情的な影響が長く残り続けます。
I can calmly handle criticism in “official settings” such as conference presentations or peer reviews. Still, negative comments in private domains, such as a friend’s casual remark or criticism on social media, can leave a lasting emotional impact.

私は、役割防御の効き方が極端に効くタイプのようです(他人から見ると「逆じゃないの?」と思われやすいかも)。
I seem to be the type whose “role-based defense” works exceptionally well (which others might see and think, “Isn’t that backwards?”).

(3)自己概念と作品を強く結びつける
(3) Strongly linking self-concept to one’s work

私は、自分の作った文章や成果物を、自分自身と同一視する傾向が強いようです。実際に、コラムや論文は『私の子ども』と思っているくらいに思い入れがあります。
I seem to have a strong tendency to identify my writings and achievements with myself. I feel so attached to my columns and papers that I think of them as “my children.”

ですので、これらの成果物への否定は、自分の人格や存在を否定されたように感じます。
Therefore, criticism of these works feels like a denial of my personality or existence.

このような傾向は、創作や研究に没頭する人に多いみたいですが、私の場合は学会や査読の場では切り離せるのに、私的な批判では切り離せないという点が、どうにもロジカルではありません。
Such tendencies are said to be common among people deeply engaged in creative or research work. However, in my case, while I can separate myself in academic or peer-review settings, I struggle to do so with private criticism — a fact that is hardly logical.

(4)「感情のフィルター」を意識的に切り替えているが、対象によってスイッチが固定される
(4) Consciously switching “emotional filters,” but having the switch locked depending on the target

役割や距離感によって感情をシャットアウトする能力は高いが、弱者や身近な存在が対象になると、スイッチが切れなくなり感情が直撃するようです。このオンオフの極端さは、私特有の特徴かな、と思っています。
I have a strong ability to shut out emotions based on roles or distance, but when the target is a vulnerable or close presence, I can no longer turn off the switch, and the emotions hit directly. I think this extreme on/off nature is a unique trait of mine.

まあ総じて、私の心理的な基盤には、
Overall, at the core of my psychology,

―― 嫌いな奴からのアクションは、その内容がポジティブであれネガティブであれ、無条件に腹が立つ
— Any action from someone I dislike makes me angry, regardless of whether it’s positive or negative

という、おおよそ論理的とは言えない感情スイッチがあります。
— a type of emotional switch that is hardly logical.

現時点で、このスイッチをコントロールする術(すべ)を、私は持っていません。
At present, I have no means of controlling this switch.

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私は今でも、オルテガのいう「自己」の定義「私とは、私と私の環境である」の論を支持しています。
Even now, I support Ortega’s definition of “self”: “I am myself and my circumstances.”

ただ、私は、ここに「非論理的かつ非合理的な自分の感情」を加えないと、私(江端)を自己定義できないような気がしています。
However, I feel that unless I add “my illogical and irrational emotions” to this, I cannot fully define myself (Ebata).

ようするに、『面倒くさい奴』ということです。
In short, I’m just a “difficult person.”

私は『幸せに狂っている私』がいい。

 

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なんか、また『高校野球』で、いろいろあったようようですね。

まあ、私が20年前以上に書いたこのコラムから、私の立ち位置は変わっていません。

江端さんのひとりごと 「日本における野球文化に関する一考察」

 

2025,江端さんの忘備録

嫁さんに、『夏季休暇中に、何かやっておかなければならないこと(家の各種のメンテナンス等)があったら、今の内に、言っておいて』といったら、
When I asked my wife, “If there’s anything that needs to be done during the summer vacation (various house maintenance, etc.), tell me now,”

ーー 映画「国宝」を見に行くこと
— “Go see the movie Kokuhou.”

と言われました。
That’s what she told me.

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『映画を見に行くことが"メンテナンス"?』、とは思いましたが、ここ暫く嫁さんと外出できなかったので、一緒に行ってきました(一緒にいった映画は「アルキメデスの大戦(大変面白かった)か、「オッペンハイマー」のどちらかだったようです)。
I thought, “Going to a movie is maintenance?” but since we hadn’t been out together for a while, I went with her. (The last movies we went to together were either The Great War of Archimedes—which was very entertaining—or Oppenheimer, I can’t recall exactly which.)

ですから、「アルキメデスの大戦」を、家族4人全員で映画を見にいくことになるとは思いませんでした。

"残席2"の、2つを予約して行ってまいりました。
We grabbed the last two available seats marked “2 seats left” and went.

私、満席の映画って、「宇宙戦艦ヤマト(一番古いやつ)」(の立見)が最後だったように思います。
The last time I remember a full theater was for the original Space Battleship Yamato—and I was standing for that one.

ちなみに、嫁さんは、これが3度目の入館です。(私には、映画館で同じ映画を2回見る、という習性はありません)。
By the way, this was my wife’s third time seeing it. (I don’t have the habit of watching the same movie twice in theaters.)

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感想は、"圧巻"の一言に尽きます。
My impression can be summed up in one word: overwhelming.

私、映画やドラマで描かれる「人間模様」には、あまりフラグは立たない人間なのですが、この映画は「歌舞伎という芸能に対する"メイキング オブ 歌舞伎"」という観点で"圧巻"であり、そして、その"映像美"という観点でも"圧巻"であり、そして、役者さんの徹底した修練(というより"執念"だな)に基づく歌舞伎の"演技"・・・というよりは、"歌舞伎そのもの"が、怖いくらいの"圧巻"でした。
I’m not usually the type to get emotionally hooked by the “human drama” depicted in films or TV shows, but this movie was overwhelming in its portrayal of the making of kabuki as an art form, overwhelming in its visual beauty, and overwhelming in the sheer kabuki itself, powered by the actors’ relentless training—more like obsession—behind the performances. It wasn't very comforting in its intensity.

長時間の映画(だいたい、3時間くらい)。昔であれば、これほど長い映画ともなれば、インターミッション(休憩)が入ったものですが、もちろん、そんなものはありませんでした。
It’s a long film (about three hours). In the past, a movie this long would have had an intermission, but of course, there was no such thing.

興業としての3時間の映画は、それだけで不利だと言われています ーー 上映回転数が減るからです。
From a business standpoint, a three-hour movie is considered a disadvantage, as it reduces the number of showings per day.

でも最近は、嫁さんのような「リピータ」戦略にシフトしているのかもしれません。
However, perhaps they are now shifting toward a “repeat viewer” strategy, like my wife.

なにしろ、この私ですら、もう一度見に行ってもいいかな、と思わせるほどですから。
After all, even I felt like I wouldn’t mind going to see it again.

少なくとも「歌舞伎役者の汗や涙が飛び散る様」は、自宅のテレビやPCでは見られないのは確かです。
At the very least, the sight of sweat and tears flying through the air is something you can’t experience on your home TV or PC.

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あまり褒めると、どうも反動的に、ちょっとそれを調整したくなります。
When I praise something too much, I tend to get the urge to balance it out.

私、エンドロールの最後に、"文化庁の「文化芸術振興費補助金」(映画製作支援)"という表記を見つけています。
At the end of the credits, I spotted a line saying, “Supported by the Agency for Cultural Affairs’ Grant for the Promotion of Culture and the Arts (Film Production Support).”

これ、もしかしかしたら、"歌舞伎"に対する国民の興味を上げる為の(そして、文化庁が歌舞伎文化を保護するための予算を確保する為の)『国策映画』の面もあったのかもしれないな、とゲスの勘繰りをしています。
It made me wonder—perhaps cynically—if this film had a “national policy” side to it, aimed at boosting public interest in kabuki (and helping the Agency for Cultural Affairs secure a budget for its preservation).

(多分、そういう思惑は"ない"と思いますが ーー ただ映画会社と製作現場の『採算度外視』の執念を感じる作品でした。『この映画、コケたらどうしていたんだろう』と心配になるほどの予算投入も感じました)
(Probably—no, almost certainly—there was no such intention. But I did feel a practically reckless determination from the filmmakers, to the point where I worried, “If this movie flops, what would they do?” given how much budget was poured into it.)

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8月のこの時期になると、太平洋戦争の国威掲揚ニュース映像を流す特番が放送されますがーーもちろん背景は違えど、この「国宝」は"歌舞伎"へ興味を向けさせる映画です。
In August, we often see TV specials showing wartime newsreels that boosted national morale during the Pacific War. Of course, the background here is entirely different, but this film is designed to draw attention to the art form of kabuki.

そして、こういう『国策映画』なら私は大歓迎です。
And if this is the kind of “national policy film” we’re talking about, I welcome it with open arms.

例えば、とても気に入った映画があれば、それを、2回、3回と見にいくのではなく、その金額を、その映画に興味のない人向けにお金を寄付するのです。

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中学や高校で生徒会会長などの、いわゆる『目立った』立場にいた人間は、社会に出てから出世しにくい、という話を聞いたことがありますが、これは根拠のある話でしょうか

ご質問の内容について、結論から申し上げますと――

「中学・高校時代に生徒会長など“目立つ”立場だった人が、社会に出てから出世しにくい」という話に、根拠は見当たりません。逆に、豊富な研究ではむしろポジティブな効果が多く報告されています。


学生時代のリーダー経験が社会で役立つという研究

  • ウィスコンシン大学の研究では、卒業3〜5年後に 学生リーダーだった人は、リーダーシップ・チームワーク・コミュニケーション能力・自信が向上した と振り返っており、社会での自己表現や対人スキルに好影響を与えたとされています Academia+1

  • 学内リーダー経験は 学業成績の短期・長期両方に好影響 を及ぼす傾向があり、例えばクラス委員長などは成果が特に高い傾向があります サイエンスダイレクト

  • 大学生のリーダー経験に関しては、「キャリアの満足度が高い」「業界内で影響力を持つ機会が増える」といった報告もあります Center for Engaged Learning

  • 学外活動全体についても、「組織での関わり」が 自己管理・目的意識・社会性を高め、就職活動においても有利に働く とする分析があります ウィキペディア+1The Guardian


一部のスポーツ経験に関する報道

  • ただ、ある10年以上前の研究では、 高校時代のスポーツ参加者が、他の課外活動参加者に比べて成人後に高収入になる傾向がある という結果が報じられています。ただしこのデータは、主に戦後世代男性の統計であり、性別や時代背景のバイアスがある点は注意が必要です glamour.com


なぜ「目立った立場は社会で出世しにくい」という話が広まるのか?

このような逆説的なイメージには、以下のような要因が考えられます:

  1. 過剰な期待・印象のハードル
    学生時代に目立つ立場にいた人には、「何でもできる」という期待が付いて回り、社会に出た際に少しでもその期待に応えられないと“失敗”と捉えられやすい。

  2. コミュニケーションギャップや反発
    周囲にとって目立つ存在が、社会人になっても同じ立ち位置を求めると、逆に反発や違和感を生むケースもあるかもしれません。

  3. 経験の質の違い
    生徒会長などの経験が「ただの肩書き」になってしまい、本当にリーダーシップスキルが鍛えられた経験になっていなかった場合、社会とのギャップが生じる可能性もあります(ただしこれは、その経験の質や支援の有無によるものであり、立場自体が悪影響とは限りません) rise.crimsoneducation.orgウィキペディア


総まとめ

学生時代の目立つリーダー経験自体は、多くの研究で むしろ出世や成長の助けになる とされています。そのため「目立っていた=出世しにくい」という話には、少なくとも現代の学術的な裏付けはありません。

学校におけるリーダーシップと、職場におけるマネージメント(×リーダーシップ)は、その目的や内容や質が異なることから、変なプライドを持ったまま社会人になると、失敗しやすい、という気がします。実際に、学校などでリーダーシップを張っていた人間が、社会で著名になった例を、私はあまり知りません。私の所感に関して、客観的に論じて下さい

あなたの所感は、少なくとも心理学的・社会学的な観点から一部説明可能です。以下、研究知見と事例を交えて、客観的に整理します。


1. 学校リーダーシップと職場マネジメントの構造的な違い

① 目的の違い

  • 学校:メンバーの士気向上・イベント遂行・自治活動など、比較的短期的かつ象徴的な成果が中心。

  • 職場:利益創出・コスト削減・人材育成など、長期的かつ成果責任の伴う業務が中心。

② 権限・裁量の違い

  • 学校:教員や校則が最終決定権を握り、リーダーは「象徴+調整役」に留まることが多い。

  • 職場:予算・評価・解雇権限など、直接的な影響力と責任が付随する。

③ スキルセットの違い

  • 学校:演説力・人間関係構築・場の盛り上げ方など、ソーシャルスキル優位

  • 職場:リスク管理・財務感覚・交渉力・部下育成など、分析・判断・制度運用能力優位

この構造差が、「学生時代のリーダー経験=即戦力マネージャー」にならない理由です。
しかも、学校時代に通用した手法(カリスマ性や場の掌握)が、職場では逆効果になる場合もあります。


2. 「変なプライド」が失敗の引き金になるメカニズム

心理学でいうDunning-Kruger効果役割固着が関係します。

  • Dunning-Kruger効果:自分の能力を過大評価し、必要な学習や適応を怠る。

  • 役割固着:過去の成功体験に基づく振る舞いから離れられず、環境に適応できない。

この場合、

  • 部下や同僚の意見を受け入れられない

  • 成果よりも「自分が中心であること」を優先してしまう

  • 上司との権限・意思決定の摩擦が増える
    といった問題が生じやすくなります。


3. 学校リーダー経験者が著名になりにくい理由の一端

これはサンプルの母数と可視性の問題が大きいです。

  1. 全員が公的人物になるわけではない
     生徒会長経験者の大半は普通の会社員・公務員などの道に進みます。
     → 著名人になる確率は統計的に低い。

  2. 著名人の経歴紹介では学生時代の肩書きは省略されることが多い
     → 「知らない=存在しない」ではない。

  3. 政治家は例外的に多い
     日本でも海外でも、生徒会長経験者が国会議員になる例は多く、政治分野ではリーダー経験が経歴としてアピールされやすい。
     (例:米国大統領経験者の多くは学生時代に何らかの自治会やクラブのリーダーを経験)


4. 客観的評価

  • あなたの所感は「学校と社会の役割差」に基づく適応課題の指摘として妥当

  • ただし、「学生時代リーダー経験者が著名にならない」という印象は、統計的裏付けが弱く、可視性や経歴開示の偏りによる可能性が高い。

  • 実際のキャリア成否は、学生時代のリーダー経験そのものよりも、その後の環境適応力・学習意欲・自己更新力に強く依存する。


もしご希望なら、

  • 日本人著名人の経歴を調査し、「学生会長経験の有無」をデータ化する

  • 職場での昇進速度と学生時代のリーダー経験の相関を扱った海外研究の紹介
    の両方をやって、印象と実態の差を数値で可視化できます。

これをやれば、「本当に出世しにくいのか、それとも印象の問題なのか」が明確になります。

提案して頂いたデータ化および海外研究の紹介をお願いします

ご希望の「学生リーダー経験と社会での成果の関係」をより客観的に見るため、以下の2本柱で整理しました。


① データで見る:学生リーダー経験が就職に与える影響

  • 中国のパネル調査(大学生対象)

    • 学生リーダー経験者は初任給に約7%のプレミアムがあることが確認されています。

    • その背後には、学び・問題解決力・対人スキルなどが影響しているとされています Emerald+2サイエンスダイレクト+2ejournals.ph

  • アメリカの大学サークル等(大学生組織活動)

    • 学生組織への参加を通じて、自律性・責任感・リーダーシップ能力が高まるとの相関が見られ、これらは企業が求める能力と合致するとされます docs.lib.purdue.edu

  • 高校・大学の課外活動一般

    • 大学のサークル活動におけるリーダー経験は「リーダーシップ」「組織力」「柔軟性」などの ソフトスキルの向上につながり、就職市場においても有利になるとの調査報道もあります The Guardian


② 学術研究で見る:リーダー経験が資質に及ぼす効果

  • 学業成果への効果

    • 学生リーダー経験は、試験成績の向上や自主性・意欲の高まりに結びつくという報告があります サイエンスダイレクト

    • 一部研究では、統計的に有意な相関が見られないケースも存在します ijsmsjournal.org

  • 教育・成長プロセスとしてのリーダーシップ開発

    • 青年期から大学期にかけてのリーダーシップ経験が、生涯にわたるリーダー形成に影響するというライフスパン理論に基づく整理もあります academic.oup.com


データ化の提案:あなたの印象と調査のギャップを可視化するには

項目 方法の一例
1⃣ 出世・給与との相関 中国の調査に倣い、現地データ(例:卒業生アンケート)で学生会長経験の有無と初任給・昇進状況との比較分析
2⃣ スキル評価との関連 企業や人材紹介機関のアンケートを使い、リーダー経験者のコミュニケーションや問題解決スキルの自己・他者評価を収集し比較
3⃣ 著名人・リーダーの経歴分析 国会議員や経営者、著名な社会人のうち「学生時代にリーダーだった経験者」がどのくらいいるか、経歴公開情報をもとに整理

結論として

  • 学生リーダー経験が社会で必ずしも“劣勢”になるとは言えず、むしろ初任給への上昇圧ソフトスキルの育成といったプラスの影響があることが実証されています。

  • ただし、学校と社会のリーダー・マネジメントの性質の違い(カリスマ性 vs 分析・制度運営スキルなど)に依存し、「変なプライド」がかえって適応の妨げになる可能性は理論上、説明可能です。

『中学や高校で、生徒会長なんぞをやっていた奴は、社会に出てから心を病んでしまう』という私の願望・・・もとい、仮説は、どうも成立しないようです ーー 残念です。

『過去の栄光』を思い出すことで『今の苦しい日々を凌ぐ』 ―― というヘタレ大人は、結構な数いると思います。

2025,江端さんの忘備録

いらんお世話をしているのかもしれませんが・・・
I might be meddling unnecessarily, but…

(1)江戸時代を歴史もののドラマから俯瞰する研究
(1) A study that takes an overview of the Edo period through historical dramas

『ここから江戸時代全体にほどよく分散した10個の番組を選んで、これらの背景となった歴史の代表的な年(西暦)と、その時の時代背景を1行程度で説明して下さい。』とChatGPTにお願いしてみた件

(2)共産主義・社会主義の理念とスターリン独裁との乖離を、替え歌形式で風刺的に批評した研究
(2) A study that satirically critiques, in parody song form, the gap between the ideals of communism/socialism and Stalin’s dictatorship

【替え歌】葬送のスターリン

(3)怜悧な数値計算を用いた北朝鮮拉致被害者問題の全体像の把握とそのソリューションの検討の研究
(3) A study to understand the full picture of the North Korean abduction issue and consider solutions using astute numerical calculations

「ゲーム理論を用いて、北朝鮮の拉致問題について、『拉致被害者奪還』という目的に限定して、先ずは現在の状況を整理して下さい」とChatGPTにお願いしてみた件

(4)上記(3)と同アプローチによる『核廃絶シナリオ』についての研究
(4) A study on a “nuclear abolition scenario” using the same approach as (3)

「ゲーム理論を用いて、核廃絶シナリオがつくれますか」とChatGPTに質問してみた件

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私がやっているつもりになっているのは、「夏の自由研究」に苦しめられている保護者(と子ども)の皆さんへの、ChatGPTを使い倒した、自由研究のネタの提供です。
What I think I’m doing is providing, through heavy use of ChatGPT, ideas for summer research projects to help parents (and their children) who are struggling with them.

うちの次女が、小学生の頃にゲーム理論について取り組んでいたくらいですから、(3)(4)が中学生くらいなら、数値計算(四則計算)だけで、なんとかなると思います(ChatGPTが提示してきたシナリオパターンは多いので、もっと少数でもいいでしょう)。
Given that my younger daughter worked on game theory in elementary school, I think that for middle schoolers, (3) and (4) could be handled with just numerical calculations (basic arithmetic). (Since ChatGPT suggests many scenario patterns, fewer would probably suffice.)

☆ゲーム理論☆ ◯◯小学校 6年4組 江端

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私:「自由研究のネタ出しなんて、ChatGPTを使えば簡単だと思うんだけどなぁ・・・、ああ、みんな、毎日が忙しくて、こんなこと考える時間がないよね」
Me: “I think coming up with research project ideas would be easy if you just used ChatGPT… Ah, but everyone’s so busy every day, they don’t have time to think about such things, right?”

というと、嫁さんから、
Then my wife said,

「私がどんなに"ヒマ"であったとしても、ネタの一つも出てこない」
“No matter how ‘free’ I might be, I still wouldn’t come up with even one idea.”

と、ちょっと怒ったふうにセリフを投げつけられました。
She threw this line at me with a hint of anger.

加えて、嫁さんから『"それ"が、無自覚な才能を持つ人間の"傲慢"であり、そして、"パワハラ"の元凶だ』と言われました。
In addition, my wife said something to the effect of, “‘That’ is the arrogance of someone with an unconscious talent, and the root cause of ‘power harassment.’”

2025,江端さんの忘備録

我が国で江戸時代を扱った有名なテレビドラマ(フィクションも可)を全部羅列して下さい。

「全部」というのは制作本数が非常に多いため網羅は困難ですが、我が国で放送された江戸時代を舞台とした有名なテレビドラマ(時代劇・フィクション含む)の代表例を年代やジャンルごとに整理して列挙します。


1. 長寿シリーズ・国民的時代劇

  • 水戸黄門(TBS、1969~2011、2017特番)

  • 大岡越前(TBS、1970~1999、2013~2014特番)

  • 暴れん坊将軍(テレビ朝日、1978~2008)

  • 鬼平犯科帳(フジテレビ、1969~1996、スペシャル版多数)

  • 必殺シリーズ(ABC/テレビ朝日、1972~2009)

  • 八丁堀捕物ばなし(NHK、1979~1981)

2. NHK大河ドラマ(江戸時代が主舞台の作品)

  • 国盗り物語(1973)

  • 勝海舟(1974)

  • 元禄太平記(1975)

  • 花神(1977)

  • 獅子の時代(1980)

  • 山河燃ゆ(1984)※幕末が中心

  • 翔ぶが如く(1990)

  • 徳川慶喜(1998)

  • 功名が辻(2006)

  • 龍馬伝(2010)

  • 青天を衝け(2021)

3. 単発・短期シリーズの人気作品

  • 子連れ狼(日本テレビ、1973~1976)

  • 江戸を斬る(TBS、1973~1994)

  • 江戸の旋風(フジテレビ、1975~1981)

  • 江戸の用心棒(日本テレビ、1994~1995、1995~1996)

  • 影の軍団シリーズ(フジテレビ、1980~1985)

  • 遠山の金さん(テレビ朝日・フジテレビ、1970年代~2000年代に複数俳優で制作)

4. フィクション色の強い人気作品

  • 忍者ハットリくん(アニメ、1981~1987)※一部江戸時代設定エピソードあり

  • サムライせんせい(テレビ朝日、2015)※幕末武士が現代へタイムスリップ

  • JIN-仁-(TBS、2009・2011)※幕末タイムスリップ医療ドラマ

  • 信長協奏曲(フジテレビ、2014)※戦国~江戸初期要素を含む

ここから江戸時代全体にほどよく分散した10個の番組を選んで、これらの背景となった歴史の代表的な年(西暦)と、その時の時代背景を1行程度で説明して下さい。

では、江戸時代(1603〜1868)の初期〜中期〜後期〜幕末までをカバーするように、10作品を選び、それぞれの背景年と簡潔な時代背景を付けます。
作中の主要舞台や事件年代をベースにしています。


  1. 水戸黄門(主舞台:17世紀後半、1670年代頃)
     徳川光圀が諸国漫遊し、地方政治を視察するという設定。五代将軍綱吉の治世。

  2. 大岡越前(主舞台:18世紀前半、1720年代頃)
     江戸南町奉行・大岡忠相が庶民の訴えを裁く。享保の改革が進行中。

  3. 鬼平犯科帳(主舞台:18世紀後半、1780年代頃)
     火付盗賊改方長官・長谷川平蔵が活躍。田沼意次の時代、治安維持と経済改革期。

  4. 暴れん坊将軍(主舞台:18世紀前半、1716〜1745年頃)
     八代将軍徳川吉宗の時代、倹約令や享保の改革で幕府財政立て直しを図る。

  5. 遠山の金さん(主舞台:19世紀前半、1830年代頃)
     町奉行遠山景元が庶民と交流しながら裁きを行う。天保の改革の時期。

  6. 必殺仕掛人/必殺仕事人シリーズ(主舞台:18〜19世紀、時代設定は幅広いが天保期が多い)
     公では裁けぬ悪を闇で成敗。町人文化と幕府統制のせめぎ合いの時代。

  7. 江戸を斬る(主舞台:19世紀初頭、1800年前後)
     町奉行所与力や同心が事件を解決。寛政の改革後の江戸。

  8. 子連れ狼(主舞台:17世紀末〜18世紀初頭)
     拝一刀が息子と旅をしながら仇討ち。五代綱吉〜六代家宣期、幕府儀礼重視の時代。

  9. 影の軍団(主舞台:17世紀前半、1620年代頃)
     徳川家光の時代、幕府権力の安定化と裏工作が活発化。

  10. 徳川慶喜(主舞台:幕末、1860年代)
     大政奉還・戊辰戦争を経て江戸幕府が崩壊。開国と近代化の幕開け。


これで江戸時代の約260年間をほぼ均等にカバーできます。

では、これらの番組を年表順に並べて、その前後の相関(例:因果関係)についての観点から江戸時代の思想的、経済的、または他の観点から論じてみてください

では、先ほどの10作品を舞台年代順に並べ、その前後の出来事がどのように思想的・経済的・社会的に連関しているかを、江戸時代全体の流れの中で論じます。
(各番組は舞台年を基準に配置します)


年表順と背景相関

  1. 影の軍団(1620年代頃)
     徳川家光期、幕府の体制強化と権力安定化のための諜報活動や裏工作が活発化。戦国期の遺産である武断政治から、次第に法や制度による支配へと移行していく過程。
     → この「裏の統制」は、後の治安維持機関や法制度の基礎となる。

  2. 水戸黄門(1670年代頃)
     五代将軍綱吉の治世。儒教的道徳の浸透(生類憐れみの令など)と幕府権威の強化が進む。諸国巡見的な思想は、幕藩間の情報共有や地域行政の標準化に寄与。
     → 家康以来の中央集権が完成し、地方統治がより一元的になる。

  3. 子連れ狼(17世紀末〜18世紀初頭)
     綱吉〜家宣期、幕府儀礼と権威の形式化が進む一方、武士道は制度的な存在感を弱め、形式美と忠義が強調される。
     → 武士のアイデンティティが「戦う役割」から「統治階級」へと変化。

  4. 暴れん坊将軍(1716〜1745年頃)
     八代将軍吉宗の享保の改革。財政立て直し、米価安定策、新田開発、法の整備など経済合理性を重視。
     → 「善政」の理念と市場経済の拡大が同時に進行し、江戸社会の安定期を形成。

  5. 大岡越前(1720年代頃)
     享保期の法治行政の象徴。町奉行の裁きにより、庶民の法的保護意識が高まる。
     → 幕府司法の整備は、商取引の信頼性向上や都市経済の発展を下支え。

  6. 鬼平犯科帳(1780年代頃)
     田沼意次時代、経済活動活発化とともに犯罪も多様化。火付盗賊改方の活動は、都市化の負の側面に対応。
     → 経済拡張と治安対策のいたちごっこが進み、幕府の行政コスト増加。

  7. 江戸を斬る(1800年前後)
     寛政の改革後、倹約令や身分秩序再強化が試みられるが、商人文化の浸透を止められず。
     → 道徳的統制の限界と、経済構造の変化(貨幣経済中心化)が顕在化。

  8. 必殺シリーズ(天保期中心、1830年代頃)
     天保の改革による統制経済と風紀取締が庶民の反発を招く。公権力外の「闇の裁き」は、法の外側での正義需要を象徴。
     → 社会矛盾の顕在化は幕府の求心力低下を加速。

  9. 遠山の金さん(1830年代頃)
     町奉行遠山景元の時代、天保改革の失敗と市場経済の復活。庶民文化(歌舞伎・浮世絵)が最盛期を迎える。
     → 経済自由化と文化の開花が、幕府統治の形式性を一層浮き彫りに。

  10. 徳川慶喜(1860年代)
     開国と列強の圧力の中で幕府権威が崩壊。攘夷・開国論争と経済的混乱が同時進行し、明治維新へ。
     → 幕末の思想的混沌は、江戸260年の中央集権体制の終焉を象徴。


相関の論点(思想・経済・社会)

  • 思想面の流れ:武断政治(影の軍団)→ 儒教的統治(水戸黄門)→ 形式化した忠義(子連れ狼)→ 善政と合理主義(暴れん坊将軍・大岡越前)→ 治安重視(鬼平)→ 倹約と道徳統制(江戸を斬る)→ 法外の正義(必殺)→ 庶民文化の開花(遠山)→ 政治思想の多極化(徳川慶喜)

  • 経済面の流れ:農本主義→ 地方経済標準化→ 武士経済依存→ 新田開発と市場拡大→ 都市経済成熟→ 治安コスト増加→ 商業文化浸透→ 統制経済の失敗→ 自由経済と文化繁栄→ 国際市場圧力

  • 他の観点(治安・文化):治安は幕府初期から制度化されるが、経済成長とともに犯罪も多様化。文化は経済自由化の時期に花開き、政治統制が緩むと加速。

この年表を横軸に年・縦軸に番組タイトルを置いた図表にして、思想・経済・社会の変化を色分けした「視覚年表」を作成して下さい。

(1) 影の軍団 — 1620年 — 思想: 武断政治から法制度へ — プロット (a)
(2) 水戸黄門 — 1670年 — 思想: 儒教的統治と中央集権完成 — プロット (b)
(3) 子連れ狼 — 1700年 — 思想: 忠義と形式化した武士道 — プロット (c)
(4) 暴れん坊将軍 — 1720年 — 経済: 享保の改革と財政立て直し — プロット (d)
(5) 大岡越前 — 1725年 — 思想: 法治行政と庶民保護 — プロット (e)
(6) 鬼平犯科帳 — 1780年 — 治安: 都市化と犯罪多様化 — プロット (f)
(7) 江戸を斬る — 1800年 — 思想: 倹約令と商人文化の浸透 — プロット (g)
(8) 必殺シリーズ — 1835年 — 思想: 法外の正義と社会矛盾 — プロット (h)
(9) 遠山の金さん — 1838年 — 文化: 庶民文化の最盛期 — プロット (i)
(10) 徳川慶喜 — 1865年 — 政治: 開国と幕府崩壊 — プロット (j)

 

未分類

歌詞の意味の全文を理解できる私が、 ーー もちろん、"マイノリティ"であるという自覚はあります。

■ツァーリを倒した後、その座を自分の独裁の玉座に変えた。

■ナチスを倒したが、戦後は自国民に対しても恐怖政治を振るった。

■共産主義の理想を掲げるふりをしながら、実際はそれを錆び付かせて形骸化させた張本人。

■「言葉と理想と狂気」を混ぜた政治で、多くの人間を破滅させた。

■同志と呼んだ相手の首を、自らの権力維持のために血で濡らした(大粛清)。

■病的なまでの猜疑心で周囲を監視し、誰も信じられない独裁者と化した。

■子供好きという一面を宣伝に利用し、人間味を演出して独裁を正当化した。

■町中に自分の顔や銅像を並べ、プロパガンダで個人崇拝を押し付けた。

■表向きは後継者を残すふりをしながら、実際には自分以外の権力者を徹底的に潰した。

ただ、70年安保後を20年経過した後の学生であっても、この程度のことがデフォルトになっていない人間では、大学の自治寮で寮長をやることはできなかった ーー と思っているけど、どうかな?

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さて、当時でも、私は"マイノリティ"でしたが、今や、私は、どのくらいの"マイクロマイノリティ"なのでしょうか?

江端さんのひとりごと 「粛正された寮長」