2013,江端さんの忘備録

クリス・アンダーソンの「MAKERS(メーカーズ)」を読んでいます。

「ロングテール」も、そして「フリー」を読んだ時にも、衝撃を受けましたが、この「メーカーズ」も、本当に刺激的です 。

そして、現在、私の目の前にある大きな希望です。

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クレイトン・クリステンセンの超著名な著書「イノベーションのジレンマ」が出版された当時、偉い人たちが、この本に、徹底的に洗脳されました。

そして、「『破壊的イノベーション』が創成できる」という、バカげた勘違いして、阿呆な運営方針を打ち出したころから、私は、ずっーーーと、ムカムカしています。

しかし、私に言わせれば、『破壊的イノベーション』を、「破壊的」に「破壊している」主体は、

■勘違いした、偉い人達と、

■勝負に出ない、我々エンジニアと、

■「出る杭」を「出た後」に評価する、その他の日本人

の3人だと思っています。

(この話は、いつか、纒めたいと思います。酷い長文になりそうなので、今回は控えます))

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「車輪を100回でも再発明してやる」と考えている私は、多分、エンジニアとしては、古くて、ロートルなのでしょう。

本当のところ私は、

■「他人の作った車輪と、私の作った車輪が、完璧に同じになるわけがないだろう」

■「車輪を自分で理解してからつくった荷車が、理解しないで作った荷車に負ける訳がないだろう」

と考えています(職場の幹部には、口が裂けても言えませんが)。

そして、

■「開発のモジュール化」とか「既設パッケージの活用」という言葉を使って、

■「コストダウン」「短納期」「グローバル展開」などと言いながら、

■エレガントにプレゼンしている私は、

この時間軸の私ではありません。

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「メーカーズ」は、この辺の、私のここ数年の蓄積していた鬱憤を晴らしてくれそうです。

はやく読了しなければ・・、と思いつつ、早く終わりたくなくて、一文一文丁寧に読んでいます。

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ただ、「メーカーズ」で黙示的に規定されている仮説(と私は思っている)

「人間であれば、すべて創造のプロセスに熱中する/興味がある」

は、ちょっと違うと思うのです。

なぜなら、滅茶苦茶身近に、でっかい反例があるからです。

私の嫁さんです。

彼女は、地球上のすべての製造物の「完成物」にのみ興味があります。

その製造「プロセス」には、髪の毛一本程の興味もありません。

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今、嫁さんから、娘の部屋に、(それなり品質の)本棚を作り込むことを依頼されているのですが、嫁さんのアクションは原則として2つしかありません。

「作って」という依頼と、制作後の「良い」「悪い」の評価です。

比して、私は、

「採寸し」「図面を描き」「強度を推定し」「材料を加工し」「壁をぶち抜き」「ビスを捩じ込み」「板を配置する」

という、この一連のプロセスを、『最大級の娯楽』として実施しています。

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これを、役割分担 ―― と呼ぶには、ちょっと不公平な気もしますが、まあ、上手くやっていますよ、私達夫婦は。

それなりに楽しく。

2013,江端さんの忘備録

法律はその一文一句に至るまで、きちんとした理由付けがされていることを知ったのは、特許法の勉強を始めてからのことです。
■この法律のこの条文の趣旨は何か。
■そして、この法律のこの条文ができしまうと、誰の利益になり、誰の不利益になるか。
■さらに、この条文は、正義やロジックを含めた社会通念上、妥当と言えるか。そして、国際的な潮流とマッチしているか。
■これらを全体的に考慮すると、この条文制定することは「我が国の国民に利益がある」と言える。
という、論理付けが、全ての法律の、全ての条文の、全ての一句に至るまで、かっちり作られている ―― それを知った時に、
「まあ、なんとまあ、『法律を作る』ということは、大変な作業なのだろう」と、驚いたことを覚えています。
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例えば、「特許法第17条の2(補正)」を挙げてみるとこんな感じになります。
■特許出願を、出願後に補正、つまり「修正する」ことは、あとから別の発明を「追加」できることになるから、ダメ。
■でも、我が国の特許権は「早い者勝ち(先願主義)」を採用しているから、「全部ダメ」とすると、発明者が「かわいそう」すぎる。
■でも、「無制限」に、何回でも修正することを許すと、特許庁も「ダルい」し、権利内容が後からコロコロ変ると他の人にも迷惑がかかる。
■という訳で、本条では、補正できる「範囲」と「時期」をきっちり決めて、出願人も、特許庁も、他の人も、「ま、いいか」と言える範囲の補正だけ許すことにするよ。
という感じの理由づけが、ちゃんと記載されています。
この他、スポーツのルール、校則、社内規則、なんでも良いのですが、それらには、必ず、誰が見ても「なるほど、そういうことか」と納得できるだけの理由が必要なのです。
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今朝、嫁さんに車で駅まで送って貰った時のことです。娘(長女)の学校の前を通り直ぎるときに、嫁さんが言いました。
嫁さん:「お、手を繋いで、校門にかけこんでいるカップルだよ。珍しいなぁ」
実際に珍しいのです。
娘の通っている中学は、男子と女子の建屋が分離している共学なのです(正直、その制度趣旨が、私には、よー分からんのですが)。
私:「この学校って『男女交際禁止』の校則があったけ」
嫁さん:「ないよ」
私:「ま、そうだよね。今時、そんな・・」
嫁さん:「あ、でもね。娘(長女)の所属している演劇部は『部内恋愛禁止』なんだって」
私:「はぁ?なんじゃ、そりゃ? その理由は?」
嫁さん:「面倒くさいことになるから」
私:「・・・?」
嫁さん:「演劇部の中で、恋愛トラブル起こされたら、当事者は勿論、他の部員の演技にも影響が出て、『面倒くさいことになるから』だって」
私:「はあ、確かになぁ。運動部や他の文化部ならともかく、演劇部の活動において、人間関係のギクシャクは、演技に対して、決定的に致命的と言えるな」
嫁さん:「逆に、演劇部員以外との恋愛はどーでも良い、となっているらしいよ」
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こういう「恋愛禁止令」であれば、理系の法学初学のエンジニアでも、とても分かりやすくて、良いです。

2013,江端さんの忘備録

私が、リュックを背負って、アジアを歩き回っていた時のことです(「バックパッカー」と言われていました)。

バックパッカーの旅行者と一緒に、タイのバンコクを回っていた時、彼の仲間との待ち合わせに付きあったことがあります。

しかし、所定の時間になっても、その仲間は姿を現わしませんでした。このような旅では、よくあることでした。

しかし、その待ち合わせでは、確か「帰国フライトのチケット」の手渡しという重要な内容で、下手すると、彼は、帰国する手段を失うかもしれないという事態でした。

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私が驚いたのは、その後です。

「必ず何かのメッセージを残しているはずだ」と言いながら、彼はその周辺を探し出して、電柱から飛び出している針金に引っかかっている紙を見つけました。

「お、これだ、これだ」

その紙には、『落ち合う時間と場所の変更』を記載した手書きの文章が記載されていました。

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携帯電話もメールもない時代、ましてや海外における連絡手段が絶無であった時代において、

我々、海外一人旅の旅行者は、ほとんどこのような、―― 現代にあっては信じられないような原始的な方法で ―― 海外の旅を生き延びていたのです。

2013,江端さんの忘備録

海外で生活した人は、口を揃えて「日本の運行ダイヤの緻密さ、正確さ」を褒め称えます。

列車運行管理システムは、もとい、我が国が誇る、最高傑作の作品です。

その最高作品ですら、コントロールできないのだから、仕方がないのだ、

―― と、言い聞かせないと「切れそう」な自分を感じています。

なんで、30分の余裕を見て、なお、重要な会議に「遅着の連絡」を入れなければならないのだ。

なんで、私の出張の日の、その時間をピンポイントとして、人身事故が起きるのだ。

と。

私も、「自分だけに都合の悪いことが起っているという思い込みは、錯覚である」ということは、判っているのですが。

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文明国の所業にあるまじき非道であり、人権の観点からも許されざる行為であり、

人道上も、倫理上も、衛生上も、なにより、列車運行の安全上、大問題であることは分かっていますが ――

『人身事故で、バラバラになった遺体の破片を終日放置したまま、通常運転を強行する』

なんか、そういう現実と対峙したくなるなぁ、という想いを抑えられないことがあります。

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昔、ラジオ番組で聞いたことがあるのですが、高校生が、警察にお願いして、飛び込み自殺の現場写真を貸与して貰い、それを文化祭で展示したことがあったそうです。

もちろん、極めて真面目な自殺問題に対する取り組みの一貫として、です。

「凄いことを企画する高校生がいるもんだなぁ」とびっくりしたので、よく覚えています。

もの凄い反響があったようで、良い意味での自殺への「幻想破壊」がされた、ということのようです。

でも、今同じことをして、同じような効果が得られるか 私には判断つきかねます。

そのようなコンテンツは比較的簡単に入手できるようになってしまったからです。

それでもなお、私は、世の中にある、現実を、文学でも、絵画でも、写真でもなく、五感のリアルで感じ取ることを、―― それが、心に酷い怪我をさせることになったとしても ―― 必要ではないか、と思っています。

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例えば、「死刑執行の立ち会い制度」などは、その運用に関しては、まず死刑囚の同意を絶対的条件として、何重ものチェックや審査を行ったとしても、国民に開示する制度を用意すべきではないかと考えます。

我が国の国民の多数が「是」としている制度なのですから、その制度の実施状況を、国民自身でチェックできないというのは、やっぱり変だと思うのです。

その結果で、死刑制度の「是」が強化されても、「非」に転換が図られても、それは、どちらでも良いと思うのです。

法律は国民の合意で成立されているものなのですから、その運用を国民はチェックする権利と義務があると思うのです。

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「そんな厳しい場面に対峙したくないし、そもそも、私には、そのような場面に係わることは一生ないはずだ」という方もいると思います。

それは、また、その通りだと思います。

私は、私達の全てが世の中の森羅万象に対峙して敢然と立つ必要があるとは、思っていません。

見たくないものは、目を瞑って通り過ぎる、で十分です。

ただ、現在の所、回避する可能性が絶無である「死」についてだけは、そろそろ直面する時代ではないかなぁ、とも思っています。

まあ、たまたま、今私が、そういう立場に立っているだけ、ということかもしれませんが。

2013,江端さんの忘備録

東京都議会選挙の結果は、どうでも良いのですが、その投票率を見て愕然としました。

"30%"に達していない。

このことをもって、「未来を放棄している」と非難するのは簡単ですが、有権者にも言い分はあります。

「お前たち(立候補者、各政党)の言っていることは、分からん」

起きている時間の大半を、政治的な活動をしている政治家たちと違って、有権者である私達は、日々仕事や育児、子どもの教育などで、毎日忙しいのです。

候補者が投票して欲しいのであれば、政治について考える時間が「一日5分以下」の我々に向けた「プレゼンテーション」を考えろ、ということです。

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この「プレゼンテーション」で一番効率的なやり方は、「経済効果」です。

「経済効果」は、「一日5分以下」どころか、「一日の時間のほぼ全部の時間」に対するアピールになるからです。

「経済効果」とは、詰るところ「金」です。

原発問題でも、高齢者福祉問題でも、少子化問題でも、若者の就労問題でも、全部「金額」に換算して計算すれば助かるのですけどね。

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そうなると、有権者側にも、金額に対するスケール感が必要になります。

これは「教育」が担当する範囲になります。

例えば、・・・

と書き出してから、ちょっと国家予算について、調べてみたのですが、これが良く分からんのです。

一般会計とか特別会計とか、ぐちゃぐちゃで、一度、自分で理解してみないと、とても、書けそうにありません(ので、また別の機会に)。

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前にも書きましたが、娘たちには、「国家に関する金であれば、とにかく、1億(人分)で割ってみろ」とは言っています。

■日本のGDPが、だいたい500兆円だから、国民一人あたりが稼いでいるとみなせるお金は、年間500万円

■日本の国債発行残高が、だいたい1000兆円だから、国民一人あたりの借金は1000万円

■「宇宙兄弟」で有名になった、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の3,390億円は、国民一人あたりの負担でいうと、年間3390円くらい、―― 映画館に年2回いく位の感じ。

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街頭演説は、「あなたの財布から○○円貰います」「でも△△の為に有効に使います」と、数値で語れ。

政治に関しても、いつまでも、「1円、2円、3円、・・・たくさん」では、立候補者も有権者も、恥かしい。

2013

私は、基本的に言語以外のコミュニケーション(身振り、手振り)で、多くの国で何とかしてきました。

もちろん、ビジネスでは通用しませんが、旅行程度であれば、世界中どこでもなんとかしてみせる ―― という、漠然とした自信があります。

ですので、私は、言語に関しては「語彙」を重視する立場で、「発音」など本当にどうでもよいと思っていました。

しかし、先日のNHKのラジオ英会話番組で、私のこの考え方を根本から破壊しかねない事例が紹介されていました。

―― 英語のコミュニケーションの相手は、「人間」ではなく「機械」になる

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確かに、覚えがあります。

米国赴任中、電話をつかって予約をしようとしたとき、電話自動応答システムが対応してきて、色々と質問をしてきました。

『あんたは、何をしたいんだ。次の1~5の中から選べ』

と、まあ、この程度はよいのですが、

『どの空港から、どの空港へ、何日の何時の飛行機に乗りたいのか』

との、問いに対する自動音声システムは、ほぼ100%、

『ごめん。わかんない。もう一度言ってくれないかな(I am sorry, I don't understand what you said. Would you please try it again?) 』

と、の応答してくる。

で、同じ質問を三回された挙句、"Sorry, See you again" と言われて、一方的に電話を切られる。

そして、電話の受話器を持ちながら、呆然と立ちすくむ私がいる、と。

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相手は自動音声システムですから、身振り手振りが通じないのは当然として、聞き返し(Pardon?,Sorry?) や、「私は、あの有名な日本人なんだ(I am a Japanese, you know well)」が、通じない。

これは辛い。

これは、いわゆる私が主張してきた、「江端メソッド」を根底から破壊されかねないトレンドと言えましょう。

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私は、以前、寄稿コラムで、「日本の製造メーカーですら、日本語のマニュアルを作らなくなった」というお話をしました。

このような潮流が、自動音声システムにまで拡張しないと、誰が断定できるでしょうか。

コールセンタの無人化は、経費削減の観点から、絶対に止まりようがありません。これは、システムのエンジニアとして断言します。

そして、多言語対応なんぞ論外。対応言語を一元化したいと思うのは当然のことです。

TPP等によって、生保、医療、その他の分野のサービスが日本への流入してくることは確定でしょう。

日本語対応するが莫大な経費がかかる企業が勝つか、日本語対応しないが安価なサービスを提供できる企業が勝つか、今の段階では断言できません。

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我々には2つの道があります。

A:徹底的に英語の、特に発音に関する教育を徹底的に「破壊」して、機械とのコミュニケーションの芽を今のうちに手折る、という戦略。

B:機会とのコミュニケーションを前提に、発音を最重視する英語学習にシフトする戦略

私としては、どっちの対応も嫌です。

私の第三の戦略は、「C:このようなトレンドが、あと10年来ないことをひたすら祈り続ける」です。

2013,江端さんの忘備録

先日、同人誌関係の方へのインタビューを行っていた時のことです。

ノートにメモを取りながら、「どうにも、全体感が掴めんなぁ」と、頭を掻きながら、愚痴っていた時です。

『だったら、江端さん、コミケに参加したらいかがですか』

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コミックマーケット、通称「コミケ」。30年以上の歴史をもつ日本最大の同人誌即売会。

通常は、年2回、夏と冬に東京国際展示場(東京ビックサイト)全ホールを使って開催され、のべ入場者数約50万人という、おそらく世界最大規模のイベント。

断片知識として、「入場に6時間かかる」という話も聞いたことがあります。

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冗談ではない。

体力もないけど、ディズニーランドで20分待つのも嫌いな私が、素人のコンテンツ売買イベントなんぞに、参加できる訳がありません。

著作権問題が解決されていない作品の取引を見ているだけで、私は怒り出すかもしれない。

無用な紛争を起こすことが判っていて参加するなど、愚の骨頂です。

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『いえいえ、そうじゃないです、江端さん。出店の方です』

―― 出店? 私に漫画なんぞが描けると思っているのですか?

『いや、そうじゃなくて。コラムやエッセイを出せばいいじゃないですか。江端さんのブログを纏めて冊子にしてもいいと思いますよ』

―― え? コミケって、文章も出せるのですか?

『コミケの精神は、「ノンセクションの自己表現」です』

自慢されてしまったようです。

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うーん、そう来たか。これは、予想もしなかった展開です。

「初音ミクコンサート」の参加は娘に随伴を断わられましたが、消費者でなく、提供者としての参加というのは、ちょっと、そそられるものがあります。

同人誌関係は、法律からのアプローチしかしていないが、現場を踏むという想定はしていませんでした。

これは、なかなかコラム魂に火が付く話です。

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―― しかし

今迄、寄稿してきたコラムの内容を省みると、コミケ会場で、関係者から袋叩きにあうんじゃないか、という恐怖が、皆無という訳でもありません。

おそらくは一冊も売れないであろう、私のブログ印刷物を見ながら、ブースに座り続けるのは、相当な苦痛でもあろうと思われます。

そのブースで、一人、黙々と原稿を書いている自分が、簡単に想像できてしまいます。

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結論:うん、やっぱりダメだな。

あの時は「考えておく」と言いましたが、現時点で、その気はなくなりました。

しかし、これを読んだ編集担当者さんから『是非行って下さい』と言われたら、ちょっと困るな。

2013

そろそろ、夏の参議院選挙を踏まえて、街中での宣伝活動が活発になりつつあります。

単に連休中なので、そのような場面を見る機会が増えているだけかもしれませんが。

今回も色々考えて投票することになると思うのですが、財政に関する事項については、特に強い感心を持っています。

持っているのですが、各政党の財政政策が、全く良く分からんのです。

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例として、日本共産党を挙げてみます。

(あくまでも、一例として挙げるものです)

特に、歳入の政策の方を見てみましょう。

日本共産党の歳入ポリシーは基本的に5つ。

■所得税の最高税率を元に戻す

■証券優遇税制を20%に戻し、富裕層は30%以上に引き上げる

■相続税・贈与税の最高税率を元に戻す

■低い大企業への優遇税制を段階的に元に戻す

■大企業の過剰な利益留保を、雇用と中小企業など社会に還元し、家計・内需主導の経済成長路線に変更する

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確かに、この方法は「面白い」と思うのですよ。

新しい産業の創成とか、ベンチャーの保護とか、全ての内閣が取り組んできて、ほぼ100%失敗に終っている「新戦略」とか言う、眉唾(まゆつば)的なものでないところが良い。

むしろ、このような「古典的手法」による、財政対策というのは、私としては、非常に興味深いのです。

「絶望」の2文字でしか表現できない高齢者問題に対して、歳入を社会福祉等に回せるなら、どんな手段であっても構わないのです。

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簡単に言えば、日本共産党の財政(歳入)は、「大企業が溜め込んだ金を、家計に再分配する」という政策と思うのですが、「大企業が溜め込んでいる金」が「家計に再配分」できる程度にあるのか、という基本的な疑問があります。

また、「溜め込んでいる金」は、研究開発投資に回されるのですが、そこを削るというのはもちろん良い考えですが、将来の発展を閉ざすもの事実です。

しかし、発展的成長を望まない財政政策は、それはそれで良いと思う。

原子力エネルギーは勿論、化石エネルギーを使わなくても、江戸時代の江戸(東京)は、当時世界最大都市として機能していた訳ですから、どうせなら、200年程退行した経済というのも、確かに「あり」だと思う。

その上、「鎖国」まで持ち込んだら完璧です。

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問題は、日本共産党が「数値」と「アルゴリズム」を提示してくれないことにあります。

自民党、民主党のような大きな政党は「数値」は出しています。しかし、「アルゴリズム」の方は、提示してくれません。

どんな政策でも良いので、その政策の内容とシミュレーション結果のアウトプットを示してくれれば、私はその政党の誠意を信じれる、と思うのです。

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そこで、提案です。

これは日本の技術者人口1000万人という広大な票田を独占し得る、非常に魅力的な提案です。

『政策シミュレーションのプログラムソースコードを、インターネットで開示する』

シミュレーションプログラムですから、あくまで仮説であり、また、都合の良いパラメータや、勝手な想定サブルーチンを突っ込んでも良いです。

例えば、「2017年4月、iPS細胞による医療産業における課税による収入」とか言う、現時点では発生していない歳入について、自分勝手な仮説のサブルーチンも詰み込んでもO.K.です。

とにかく、そのプログラムをコンパイル・ビルドして回すと、2020年までに、日本の税収(歳入)が、どのように変っていくかが、グラフで表示されるものであれば良いのです。

各政党は、各政党のホームーページで、自分のおかかえ技術者の得意とするプログラム言語で書かれた、シミュレーションプログラムを開示するだけで良いのです。

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この、各政党シミュレーションプログラムが開示する効果は凄いです。

まず、ソースコードを読むだけで、税率、歳入の根拠、人口比率、株価変動、など、各政党が何を考えているか、全部分かります。

マニュフェストなんぞという、かったるいものは読む必要がありません。

第一、マニュフェストは嘘くさい。

「あれ、その財源、そこで使ったら、さっきの政策の原資はどうなるの?」という疑問に全然答えていないと思うし。

コンピュータプログラムであれば、1+1=5などいうことは(悪意のコードでもない限り)発生しませんし。

なにしろ、各政党が、どのような未来を想定しているのかも、ソースコードから一発で解釈可能です。あまりに都合の良い想定は、公に批判されることになります

また、そのソースコードのパラメータを、ちょっとイジっただけで、何が発生するかも、その場で読みとれます。あっと言う間に、財政シナリオが崩れさる、ということも簡単に分かってしまいます。

ソースコードでは難しいというのであれば、エクセルのマクロ程度であっても良いと思います。

必要なのは、「目に見える歳入数値」です。

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私が欲しているのは、「カリスマのある政治家」でもなく「理念や理想を語る政治家」でもないのです。

そんな人間は、もう、いらんのです。役に立たないから。

客観的な数値を提示する、各政党の日本国歳入シミュレーションプログラムのソースコードと、その計算結果があれば十分です。

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ただ、ですね。私は、今でも不思議に思っているのです。

各政党は、相当数のエンジニアがいるはずで、その中には、シミュレーションプログラム程度を組めるプログラマも含まれているはずです(別に経済論に通じていなくても、まったく構わない)。

この程度のシミュレーションは、当然にやっている「ハズ」だと思うのです(それすらもやっていないで、財政を語るなど、詐欺だと思う)

では、なぜ各政党は、そのプログラムを開示しないのだろう、と

開示しない理由がある、とすれば、それは、自分達の主張している方法を、プログラムの計算結果では裏が取れなかった、と考えられます。

それはさておき。

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私は政治家の「人柄」などには、全く興味がないのです。

歳入を増やす方法とその方策を、「言葉」ではなく「数値」で示して欲しいだけなのです。

特に、日本共産党が、各政党の先頭を切って、これらのソースコードまたはエクセル表を開示してくれることを、心から期待しております。

学生のころから「あの党は、財政に関することは、徹頭徹尾、信用できない」という、私の偏見を、ソースコード(エクセルも可)で叩き壊して頂けることを、心の底から期待しています。

立花隆の「日本共産党の研究」という本を読んで以来、いつか自分でも別アプローチで「政党」を理解してみたいと思っていました。例えば、「数値で理解する日本共産党」とか、「自民党マニュフェストとシミュレーション結果」てな、技術書(連載でもいい)です。

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まあ、ともあれ、夏の参議院選挙、これらを実施してくれた政党には、間違いなく私の一票が入ります。

2013,江端さんの忘備録

昨日の日記「二刀流リモコン剣舞」をご覧頂いた読者の方から、メールを頂きました。

幼稚園児のお子さんが、リモコンを自由自在に操っているとのことです。

人間、自分の好きなことは、年齢や才能を越えてやるものだ、ということだということを、証明する事実の一つになるのでしょう。

ただ、この現象が真である、とするのは、ちょっと困るのです。

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命題「AならばB」の対偶は「BでないならAでない」である。つまり、命題「A ⇒ B」の対偶は「¬B⇒ ¬A」(¬A は命題 A の否定)となりますよね。

「好きなこと」は「できる」の対偶は、「できないこと」は「好きでない」となります。

これは困る。絶対的に困る。

例えば、私は「英語が好きでない」という訳ではなく、「英語ができないだけ」なのです。

英語は毎日楽しく聞いています。毎日、通勤途中の歩行の時間は、ビジネス英会話と、ABCニュースシャワーを聞いています。英語が分からなくても、内容は、十分に面白いです。

しかし、私が英語を楽しんでいることと、私の英語の能力との関係は、全く関係がないようです。

例えば、TOEICと私の関係は絶望的に悪いです。

前世で、TOEICと私は、魔王と勇者の関係にあったに違いありません。

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「好き」なんだけど「できない」ことって、世の中たくさんあります。

そのような、「好き」なんだけど「できない」ことは、かなり自分を苦しめます。

特に、優れた能力を持っている人が、易々と「好き」を「できる」につなげてしまうのを見ると、本当にやる気がなくなってしまいます。

例えば、嫁さんの友人で、絵が大好きで美術大学に入学した方がいるのですが、「美大に入ったら、絵を嫌いになってしまった」のだそうです。

自分の「上手い」のレベルを、思い知らされるのだそうです。相当な絶望と孤独に苛まされたとのことです。

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だからといって、他人との比較で、「好き」をやめてしまうのも、なんだかなー、とも思います。

なんとか「『好き』だけ」で行きたいものです。

ツイッターのコメントに、いちいち腹を立てることもなく、また、ツイッター数が少ないことに凹むこともなく、

■文章を書いていることが「好き」で、

■その文章を自分で読むことが「好き」で、

■それで、「なんて上手い文章なんだろう」と自分で自分を褒めるのが「好き」で、

そういう、他人の評価から数万光年離れた、内向きに自分の中だけに閉じた世界の中で、生きられるようになりたいのです。

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しかし、この「閉じた世界」は、そう簡単には構築できないのです。

私の場合、「私の、私による、私の為だけの文章(エッセイ・コラム)」というコンセプトに至るだけの為に、実に20年もかかっています。

そして、今の私が目指している最大の目標は、

「外向きに自分の作品を発表しつつ、内向きに完全に閉じた世界で安住する方法」

を確立することにあります。

2013,江端さんの忘備録

「まだ、会話できるコンピュータは作れないの」と、姉が文句をいい、

「ランドセルに入れっぱなしで6年間動き続けるGPSがないのですか」と先日インタビューした小学生の子どもを持つお母さんに文句を言われました。

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技術の世界の外の住人の方にとっては、いくら私が、

「ネットワークのエンジニアだ」

と言ったところで、まったく同じように見えるのだろうと思うのです。

「人工知能ソフトウェアのエンジニア」でもなく、「測位デバイスのエンジニア」でもない私に、私に上記のようなクレームを言われても、100年後でも、成果は出てこないでしょう。

私自身、そういうクレームを100回聞かさたところで、所詮は「他人事」です。

逆に、「まったくだ! どうして、そういうコンピュータやGPS受信機が作れないのだ!!」と文句を言う側に回ってしまいます。

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それでですね、この理屈を拡張すれば、いろいろな世の中の問題の原因について、

「政治家と官僚が悪い」

とか言っている人 ―― まあ一般人はともかくとして ――、テレビのコメンテータで、専門家を自称している人が、このような発言をしていると、

―― ああ、こいつは矯正不可能なほどの馬鹿なのだな

と思ってしまうのですよ。

まあ、賭けてもいいですけどね、その言葉、政治家や官僚の方の誰一人として届かないです。

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組織を批難されたって、組織の長は構成員の責任と言い、構成員は組織の長が悪いと言い、無限連鎖の責任転嫁をはかるでしょう。

私だって、そうしています。

会社の活動が批難されたって「業務命令だもん」で、簡単に自分を免責できます。だって、私、会社の歯車である、サラリーマンですから。

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例えば、批判というのはですね、

「経済産業省 資源エネルギー庁 長官のAさんと、次長のBさんの方針が悪く、その中でも、特にエネルギー政策担当参事官のCさんの出してくる政策案が、もう絶望的に酷い」

と、所属や管轄を明確に特定にして、個人を集中攻撃する段階になって、始めて、その発言が有効に機能しはじめます。

もっとも、その発言は、自分にダイレクトに戻ってくる訳でして、発言者には、それなりの覚悟も必要とされます。

例えば、私の著書への批判(ツイッター等)は、「私個人への攻撃」とみなしますし、その批判への反駁(ツイッター)は、「その批判をしてきた人への私からの反撃」と考えています。

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私がこれまで、バトルに持ち込むときは「その組織の名称」は使わず、「個人名」で攻撃をしかけて、たくさんの問題を炎上させてきました

そして、そのいくつかは、最悪の形で終結し、また別のいくつかは、私の望む形で終結させることができました。

それらの私の経験から言えることは、結局のところ、問題を早期に終結させ、最も効果があるのは「私闘」です。