2013,江端さんの忘備録

昨日の続きです。

我が国の最高法規である憲法に、「矛盾」があり「ねじれ」がある、というお話をしました。

「矛盾」や「ねじれ」を、それを「ない」状態にしようとすることを、私は、正面から批判することはできません。

でもね ―― と、私は思うのですよ。

日本国憲法は、「我が国の最高法規」であると同時に、「人類の考えうる究極の理想論」でもあるのだ、とか、

あるいは、「日本国憲法第9条は『夢と魔法の国』の話である」とか、「日本国民の共通理念であり、信仰である」とか、

―― それじゃ、ダメですか?

夢だっていいじゃないか。

世界中から嘲笑されたっていいじゃないか

と。

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「今さら、それを言うか!」「卑怯だぞ!!」

これまで、ロジックや法律論で、色々なコラムを寄稿し、反論を封殺してきた江端が、その論旨展開はないだろう、という罵声が、パソコンの前までにも聞こえてきそうです。

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でも、やっぱり、私は「日本国憲法」は、やっぱり「念仏」や「聖書」や「コーラン」であって欲しいと思う。

例えば、新約聖書(の、マルコ福音書)に出てくる、あの超有名で、未だに私には訳が分からないフレーズ

『神よ、神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか(エリ、エリ、レマ、サバクタニ)』

を、

「このフレーズを残したままでは、新約聖書の解釈の一貫性を欠く」

「山ほどの解釈があって、面倒だ」

「うん、そうだな。今後は、聖書から、このフレーズは削除しよう」

というくらいの「乱暴さ」を感じるのです。

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「詭弁だ!法律と宗教を一緒くたにするとは、お前こそ乱暴にも程があるぞ!!」

という声も聞こえてきました。

うん、うん。分かっています。

もう少しだけ、我慢して聞いて下さい。

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私は、これまで、一人旅をしてきたアジアの国々で、太平洋戦争中の日本軍による非道行為に関して、うんざりする程、非難(正確には「お前は、日本軍が何をやってきたか知っているか?」という質問を)されてきたのです。

正直、『文句なら、当時の日本人に言ってくれよ』とは思いました。

でも、その国の人達は、無茶ぶりを承知の上で、旅の途中にあった日本人の若者に、どうしても「それ」を伝えたかったのだ、ということは、本当によく分かりました。

その想いが、あまりに、強く、切なく、悲しすぎて、私にそのような発言をすることを躊躇させました。

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私は、以下のように応えていました。

「私自身は『申し訳ない』とは言えません。私はそこにいなかったからです」

「でも、我が国は法治国家の最高法規である憲法で『いかなる形においても、絶対に戦争をしない』ことを明文化しています」

「日本人は、絶対に、この憲法を未来永劫守っていくはずです」

「日本人が、この憲法を守り続けることで、私達日本人の過去の反省と未来の誠意を、どうか信じて貰えないでしょうか」

―― と言ってしまったのですよ。

そう。かなり、たくさんのアジアの人たちに。

だって、私にとって、日本国憲法とは「神聖にして犯されざる法典」と信じ、そして、それを全く疑ったことがなかったからです。

その「法典」の内容を、削除・変更することを、我が国の国民が「支持する時代がくる」など、予想もできなかったのです。

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―― 私は、やっぱり「嘘つき」になるのかなぁ

と思うと、切ない気持になります。

(続く)

2013,江端さんの忘備録

新聞の編集部が舞台となっている、ある本を読んでいたのですが、

新人の買いた取材ルポを、上司が一読すると、その用紙をくしゃくしゃにして、ポイと投げるシーンが出てきます。

「ボツ! やりなおし!!」という上司に対して、

「あ、・・あの・・・どこが悪いんでしょうか」と尋ねる新人に、

「自分で考えろ。誰も教えてくれないぞ」といって、新人に大量の資料を手渡す上司が出てくる場面があります。

今の日本では、こういう「バカげた指導」を行っている職場は、残念ながら存在しているようです。

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こういうシーンが結構な数、見られるのですよ。特に、テレビ番組の、「寿司職人」「大工職人」などの、職人シリーズに多い。

「バカヤロー、お前は俺の仕事の何を見てきたんだ!」

と怒鳴る先輩職人のシーンを見ると、私なんぞは、

―― バカはお前だ。なぜ、大切な仕事の内容ならば、それを体系だてて、順序よく、理解しやすいように説明してやらないんだ。

―― お前にプレゼン能力(説明能力)がないばかりに、新人が効率よく仕事の内容を取得できずにいるんだろうが、阿呆が。

―― 自分が、「寿司握っているだけ」「工具を使っているだけ」で、新人が育つなどという、そんな都合のいい話があるか、馬鹿野郎めが。

と思ってしまうのですよ。

「仕事は盗むものだ」と信じているこういう先輩や上司は、コスト意識がない上に、自分達の持っている技術を「上限」と信じている傲慢さが見て取れて、気分が悪いです。

自分の持っている技術を踏み台として、新人を、更なる高みを目指させるのが、メンター(指導者)というものではないでしょうか。

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ところが、こういうテレビ番組などで、こういう場面が頻出するところを見ると、我々日本人は、「仕事は盗むものだ」というストーリーが大好きなようです。

先輩に責められ、上司に叱責され、何度もやりなおしをさせられ、それでも、最後に成功して、「やればできるじゃないか」という先輩に「ありがとうございました!」と、涙ながら語る新人の台詞で終わる、というストーリーです。

―― 正直、うんざりです。こういう番組。

一人ならチャンネル替えてしまうのですが、食事の時に、家族全員で見ている時などは、つき合わなければならない時もあるのです(また、こういうことを指摘すると、家族の批判の目にも晒されますので、ガマンしています)

でも、どう考えたって、正解はこうでしょう?

(Step.1)先輩が後輩の良くない部分を指摘し、正しいやり方を口頭だけでなく図解や実際のやり方を示して、短時間で所定の技術を取得させる。

(Step.2)そんでもって、同じミスを2回した場合は、それを指摘し、改善がなければ、叱責する。それでも駄目なら辞めて貰う。技術を継承できない者は、不要であるから。

それだけのことですよね。

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ただ、このような構成の番組としたら、到底、視聴率は取れないだろうな、ということは、私にも分かります。

2013,未分類

最近、非常識な悪ふざけを、Twitter等のソーシャルメディアに投稿して、騒ぎになる事件が後を立たないようです。

かかる事件を置こす彼ら/彼女らは、共通して、以下に示す「5重の低能さ」を露呈していると考えます。

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(1)そのような所業しなれば、自己アピールができないという「低能さ」

(2)上記(1)を記録媒体に残すという「低能さ」

(3)上記(2)をネットワーク上に配布するという「低能さ」

(4)上記(3)の行為が社会的に認容されるという見込の甘さや、そのような自体によって発生する影響を推定できないという「低能さ」

(5)ニュース、新聞等のメディアを全く視聴していないという「低能さ」

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これは、「低能 of 低能s」、まさに「低能のエリート」「低能の帝王」といっても言いくらいの、低能さです。

これは、冗談でも皮肉でもなく、心底から敬意に値する「低能さ」だと私は思っているのです。

同じ「低能」であるなら、ここまで極めなければならない。

人間は、どうしても、ここまでの「低能さ」を発揮することは難しいと思うのです。

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それともう一つ、彼ら/彼女らの行為は、素晴しいことをしてくれています。

このような、ニュースになっている程度の規模を発生させている「低能者」は、私の計算する限り、100人には至っていないように思います。

この数は、本当に事件を発生された確定的にGivenな固定の人数であり、その人数以外には当て嵌まらないと言って良いでしょう。つまり、この100人以上の人間には、無関係であることが、はっきりしているからです。

我が国の15~22歳の人口は、ざっくり、960万人ほどいるのですが、その内の、100人というのは、

「10万人に1人」程度です。

これは統計的な観点から見た「母集団に対する歩留まり」から考えても、

―― 驚異的に小さい値です。

このような観点から見ると、「5重の低能さ」は、間違いなく個人の資質に起因するものと断定して良いでしょう。

このような「低能」さを、若い世代全体に一般化する人(マスコミや評論屋も含めて)は、若者に対して「失礼にも程がある」上に、その程度の計算もできない程、自分自身が「低能」であることを主張しているようにさえ見えます。

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私達の世代は「しらけ世代」「遊んでばかりいる大学生」と批難されていました。

しかし、私が知る限り「しらけ」つづけていて、続けられるような勉学ではなかったし、「遊んでばかり」いて、卒業できるほど大学のカリキュラムは甘くはなく、本当に、日々、勉学とのバトルでした(少くとも、私には余裕などなかった)。

ですから、無神経に、このような「一般化」を、マスコミや世間を、心底から

―― 「憎悪」していました。

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若い世代に対する、根拠のない不当な「一般化」は止めましょう。

「五重の低能者」は、その資質として「選ばれし低能者」であり、

世代とは全く無関係に、本質的に根本的に絶対的に「低能」なのです。

2013,江端さんの忘備録

電子メールを使って、特許法の説明をしていたことがあります。

■特許権が発生する為には、「特許出願」という要式行為が必要である(「方式主義」)。

■しかし著作権の場合は、このような行為を行うことなく権利が発生する(「無方式主義」)

という内容を簡単に判って貰う為に、以下のような文章を作成しました。

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(例2)

『結婚は、所定の要件を備えた当事者間の合意で成立する。YesかNoか』

答えは、Noです。

婚姻届けを提出するという手続を行い、登録されないと結婚は成立しません。

結婚とは、法律行為で、かつ、第三者対抗要件だからです。

ちなみに、「結婚」とは実体としての「愛情」やら「経済力」やらを全く規定しておらず、単なる手続としての法律行為のみです。

今更ですが、「愛」がなくても結婚は可能です。

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つまり「愛のない結婚」という言い方は、一般的にはネガティブなイメージがありますが、法律的にはあまり意味のあるフレーズではないのです。

「愛のある結婚」という言い方のほうが、珍しい。

いわば「愛のある特許出願」みたいな違和感です。

2013,江端さんの忘備録

法律はその一文一句に至るまで、きちんとした理由付けがされていることを知ったのは、特許法の勉強を始めてからのことです。
■この法律のこの条文の趣旨は何か。
■そして、この法律のこの条文ができしまうと、誰の利益になり、誰の不利益になるか。
■さらに、この条文は、正義やロジックを含めた社会通念上、妥当と言えるか。そして、国際的な潮流とマッチしているか。
■これらを全体的に考慮すると、この条文制定することは「我が国の国民に利益がある」と言える。
という、論理付けが、全ての法律の、全ての条文の、全ての一句に至るまで、かっちり作られている ―― それを知った時に、
「まあ、なんとまあ、『法律を作る』ということは、大変な作業なのだろう」と、驚いたことを覚えています。
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例えば、「特許法第17条の2(補正)」を挙げてみるとこんな感じになります。
■特許出願を、出願後に補正、つまり「修正する」ことは、あとから別の発明を「追加」できることになるから、ダメ。
■でも、我が国の特許権は「早い者勝ち(先願主義)」を採用しているから、「全部ダメ」とすると、発明者が「かわいそう」すぎる。
■でも、「無制限」に、何回でも修正することを許すと、特許庁も「ダルい」し、権利内容が後からコロコロ変ると他の人にも迷惑がかかる。
■という訳で、本条では、補正できる「範囲」と「時期」をきっちり決めて、出願人も、特許庁も、他の人も、「ま、いいか」と言える範囲の補正だけ許すことにするよ。
という感じの理由づけが、ちゃんと記載されています。
この他、スポーツのルール、校則、社内規則、なんでも良いのですが、それらには、必ず、誰が見ても「なるほど、そういうことか」と納得できるだけの理由が必要なのです。
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今朝、嫁さんに車で駅まで送って貰った時のことです。娘(長女)の学校の前を通り直ぎるときに、嫁さんが言いました。
嫁さん:「お、手を繋いで、校門にかけこんでいるカップルだよ。珍しいなぁ」
実際に珍しいのです。
娘の通っている中学は、男子と女子の建屋が分離している共学なのです(正直、その制度趣旨が、私には、よー分からんのですが)。
私:「この学校って『男女交際禁止』の校則があったけ」
嫁さん:「ないよ」
私:「ま、そうだよね。今時、そんな・・」
嫁さん:「あ、でもね。娘(長女)の所属している演劇部は『部内恋愛禁止』なんだって」
私:「はぁ?なんじゃ、そりゃ? その理由は?」
嫁さん:「面倒くさいことになるから」
私:「・・・?」
嫁さん:「演劇部の中で、恋愛トラブル起こされたら、当事者は勿論、他の部員の演技にも影響が出て、『面倒くさいことになるから』だって」
私:「はあ、確かになぁ。運動部や他の文化部ならともかく、演劇部の活動において、人間関係のギクシャクは、演技に対して、決定的に致命的と言えるな」
嫁さん:「逆に、演劇部員以外との恋愛はどーでも良い、となっているらしいよ」
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こういう「恋愛禁止令」であれば、理系の法学初学のエンジニアでも、とても分かりやすくて、良いです。

2013,江端さんの忘備録

初音ミクは、人の声を生成する楽器ですので、どのような歌でも歌わせることができます。

いかなる、思想、歴史、政治、体制、まったく制約はありません。

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今朝、久々に、「初音ミク」のことを思い出して、日記のネタを考えていました。

―― 「初音ミクの『君が代』」は当然にあるだろう。なにしろ、祝詞(のりと)まであったくらいなんだから。

―― しかし、「初音ミクの『インターナショナル』」はないだろう。

―― よし! 今日は、このネタで書こう。

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「インターナショナル」とは、

■社会主義者の歌の一つで、基本的には共産主義革命を目指す運動家によって良く歌われた歌です。

■労働組合運動の団結意識を高める際にも歌われました。

■1960年、70年安保闘争、学生運動でもよく歌われました。

■1917年から1944年の間、ソビエト連邦の国歌でもありました。

それは、まさに「革命歌」

―― 起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し ♪

―― 醒めよ我が同胞(はらから) 暁(あかつき)は来ぬ ♪

―― 暴虐の鎖 断つ日 旗は血に燃えて ♪

―― 海を隔てつ我等 腕(かいな)結びゆく ♪

―― いざ闘わん いざ 奮い立て いざ ♪

―― あぁ インターナショナル 我等がもの ♪

旋律も本当に美しく、多くの革命を目指す人達に愛されてきたというのも理解できます。

実は、私、一番だけなら「歌えます」

当時、もう学生運動の残滓だけが残っていた大学の自治寮で、先輩に教えて貰いました(つまり口伝です)

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「これを、初音ミクに歌わせてみよう! かなり評判になるにに違いない!!」

「今の日本の左翼勢力が、私にテロをかけるだけの力量は残っていないだろう」

てなことを考えながら、それでも、念の為、ネットで調べてました。

初音ミクの「インターナショナル」を見つけて、がっかりでしたが、一応、 聞いてみました。

それで ―― 「自我崩壊」を起こしそうになりました。

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私のもっていた「インターナショナル」のイメージはこちら

「初音ミク『インターナショナル』」はこちら

・・・もう、本当に、何がなんだか・・

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ちなみに、私、赤松健先生の「世界平和戦略」を本気で信じている一人です。

2013,江端さんの忘備録

私が、リュックを背負って、アジアを歩き回っていた時のことです(「バックパッカー」と言われていました)。

バックパッカーの旅行者と一緒に、タイのバンコクを回っていた時、彼の仲間との待ち合わせに付きあったことがあります。

しかし、所定の時間になっても、その仲間は姿を現わしませんでした。このような旅では、よくあることでした。

しかし、その待ち合わせでは、確か「帰国フライトのチケット」の手渡しという重要な内容で、下手すると、彼は、帰国する手段を失うかもしれないという事態でした。

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私が驚いたのは、その後です。

「必ず何かのメッセージを残しているはずだ」と言いながら、彼はその周辺を探し出して、電柱から飛び出している針金に引っかかっている紙を見つけました。

「お、これだ、これだ」

その紙には、『落ち合う時間と場所の変更』を記載した手書きの文章が記載されていました。

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携帯電話もメールもない時代、ましてや海外における連絡手段が絶無であった時代において、

我々、海外一人旅の旅行者は、ほとんどこのような、―― 現代にあっては信じられないような原始的な方法で ―― 海外の旅を生き延びていたのです。

2013

そろそろ、夏の参議院選挙を踏まえて、街中での宣伝活動が活発になりつつあります。

単に連休中なので、そのような場面を見る機会が増えているだけかもしれませんが。

今回も色々考えて投票することになると思うのですが、財政に関する事項については、特に強い感心を持っています。

持っているのですが、各政党の財政政策が、全く良く分からんのです。

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例として、日本共産党を挙げてみます。

(あくまでも、一例として挙げるものです)

特に、歳入の政策の方を見てみましょう。

日本共産党の歳入ポリシーは基本的に5つ。

■所得税の最高税率を元に戻す

■証券優遇税制を20%に戻し、富裕層は30%以上に引き上げる

■相続税・贈与税の最高税率を元に戻す

■低い大企業への優遇税制を段階的に元に戻す

■大企業の過剰な利益留保を、雇用と中小企業など社会に還元し、家計・内需主導の経済成長路線に変更する

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確かに、この方法は「面白い」と思うのですよ。

新しい産業の創成とか、ベンチャーの保護とか、全ての内閣が取り組んできて、ほぼ100%失敗に終っている「新戦略」とか言う、眉唾(まゆつば)的なものでないところが良い。

むしろ、このような「古典的手法」による、財政対策というのは、私としては、非常に興味深いのです。

「絶望」の2文字でしか表現できない高齢者問題に対して、歳入を社会福祉等に回せるなら、どんな手段であっても構わないのです。

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簡単に言えば、日本共産党の財政(歳入)は、「大企業が溜め込んだ金を、家計に再分配する」という政策と思うのですが、「大企業が溜め込んでいる金」が「家計に再配分」できる程度にあるのか、という基本的な疑問があります。

また、「溜め込んでいる金」は、研究開発投資に回されるのですが、そこを削るというのはもちろん良い考えですが、将来の発展を閉ざすもの事実です。

しかし、発展的成長を望まない財政政策は、それはそれで良いと思う。

原子力エネルギーは勿論、化石エネルギーを使わなくても、江戸時代の江戸(東京)は、当時世界最大都市として機能していた訳ですから、どうせなら、200年程退行した経済というのも、確かに「あり」だと思う。

その上、「鎖国」まで持ち込んだら完璧です。

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問題は、日本共産党が「数値」と「アルゴリズム」を提示してくれないことにあります。

自民党、民主党のような大きな政党は「数値」は出しています。しかし、「アルゴリズム」の方は、提示してくれません。

どんな政策でも良いので、その政策の内容とシミュレーション結果のアウトプットを示してくれれば、私はその政党の誠意を信じれる、と思うのです。

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そこで、提案です。

これは日本の技術者人口1000万人という広大な票田を独占し得る、非常に魅力的な提案です。

『政策シミュレーションのプログラムソースコードを、インターネットで開示する』

シミュレーションプログラムですから、あくまで仮説であり、また、都合の良いパラメータや、勝手な想定サブルーチンを突っ込んでも良いです。

例えば、「2017年4月、iPS細胞による医療産業における課税による収入」とか言う、現時点では発生していない歳入について、自分勝手な仮説のサブルーチンも詰み込んでもO.K.です。

とにかく、そのプログラムをコンパイル・ビルドして回すと、2020年までに、日本の税収(歳入)が、どのように変っていくかが、グラフで表示されるものであれば良いのです。

各政党は、各政党のホームーページで、自分のおかかえ技術者の得意とするプログラム言語で書かれた、シミュレーションプログラムを開示するだけで良いのです。

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この、各政党シミュレーションプログラムが開示する効果は凄いです。

まず、ソースコードを読むだけで、税率、歳入の根拠、人口比率、株価変動、など、各政党が何を考えているか、全部分かります。

マニュフェストなんぞという、かったるいものは読む必要がありません。

第一、マニュフェストは嘘くさい。

「あれ、その財源、そこで使ったら、さっきの政策の原資はどうなるの?」という疑問に全然答えていないと思うし。

コンピュータプログラムであれば、1+1=5などいうことは(悪意のコードでもない限り)発生しませんし。

なにしろ、各政党が、どのような未来を想定しているのかも、ソースコードから一発で解釈可能です。あまりに都合の良い想定は、公に批判されることになります

また、そのソースコードのパラメータを、ちょっとイジっただけで、何が発生するかも、その場で読みとれます。あっと言う間に、財政シナリオが崩れさる、ということも簡単に分かってしまいます。

ソースコードでは難しいというのであれば、エクセルのマクロ程度であっても良いと思います。

必要なのは、「目に見える歳入数値」です。

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私が欲しているのは、「カリスマのある政治家」でもなく「理念や理想を語る政治家」でもないのです。

そんな人間は、もう、いらんのです。役に立たないから。

客観的な数値を提示する、各政党の日本国歳入シミュレーションプログラムのソースコードと、その計算結果があれば十分です。

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ただ、ですね。私は、今でも不思議に思っているのです。

各政党は、相当数のエンジニアがいるはずで、その中には、シミュレーションプログラム程度を組めるプログラマも含まれているはずです(別に経済論に通じていなくても、まったく構わない)。

この程度のシミュレーションは、当然にやっている「ハズ」だと思うのです(それすらもやっていないで、財政を語るなど、詐欺だと思う)

では、なぜ各政党は、そのプログラムを開示しないのだろう、と

開示しない理由がある、とすれば、それは、自分達の主張している方法を、プログラムの計算結果では裏が取れなかった、と考えられます。

それはさておき。

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私は政治家の「人柄」などには、全く興味がないのです。

歳入を増やす方法とその方策を、「言葉」ではなく「数値」で示して欲しいだけなのです。

特に、日本共産党が、各政党の先頭を切って、これらのソースコードまたはエクセル表を開示してくれることを、心から期待しております。

学生のころから「あの党は、財政に関することは、徹頭徹尾、信用できない」という、私の偏見を、ソースコード(エクセルも可)で叩き壊して頂けることを、心の底から期待しています。

立花隆の「日本共産党の研究」という本を読んで以来、いつか自分でも別アプローチで「政党」を理解してみたいと思っていました。例えば、「数値で理解する日本共産党」とか、「自民党マニュフェストとシミュレーション結果」てな、技術書(連載でもいい)です。

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まあ、ともあれ、夏の参議院選挙、これらを実施してくれた政党には、間違いなく私の一票が入ります。

2013

今度の寄稿コラムの為、長女の為に「ゴルゴ13」を購入しました。

ゴルゴ13とは、超一流のスナイパー(狙撃手)である国際的テロリストの活躍をベースとして、世界の国際的な政治・経済・宗教・宗教は勿論、軍事、最先端技術を分かりやすく解説する劇画漫画です(江端解釈)。

まあ、正直に言うと、私の国際問題に関する勉強のきっかけは、この「ゴルゴ13」から始まっていることが多いです。

例えば、メジャーな国際問題である「パレスチナ問題」の全体像を把握したければ、「ゴルゴ13」だけで十分でしょう。

もちろん、何もかも正確に記載されている訳ではありません(特に、コンピュータとネットワーク関連では、私でも誤記を指摘できる箇所もある)。

しかし、全体としては、驚異的な知識と学習がベースになければ、到底可能とは思えない程の、素晴しい作品です。

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ゴルゴ13は、自分の依頼を完遂する為に、それぞれの専門家(武器商人、コンピュータエンジニア等)に、色々な機材を発注するのですが、私に言わせると、

―― ゴルゴ13、その発注方法ではだめだ。

と突っ込みたくなることがあります。

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(例1)

技術者:「ということは、ネットワークに過負荷を与えて、通信を不能にするということですか?」

ゴルゴ13:「俺の質問だけに答えろ」

(例2)

武器商人:「あなたは、我が国の権力基盤の一端を破壊しようとしているのか」

ゴルゴ13:「余計な詮索はするな」

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これでは駄目ですね、ゴルゴ13。

背景、趣旨、目的、そして詳細な計画案、問題点、それらを開示することによって、より良い提案がされて、計画が具体化し、作戦の成功率が高まるというものです。

このような秘密主義が、プロジェクトを頓挫させることは、歴史を見るまでもなく明かなことです。

まあ、それでは、劇画漫画としてしては面白くないし、大体テロリストが他人に作戦を開示した段階で計画としてはアウト、ではありますけどね。

それはさておき。

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なぜ、私が「ゴルゴ13」を長女に買い与えたかは、あと2週間程で分かると思います。

2013,江端さんの忘備録

いじめ対策として監視カメラを設置する、という話をすると、面白いくらい同じ反応(2つ)を聞けます。

(1)「プライバシーの侵害」

(2)「効果がない」

です。

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上記(1)の「プライバシーの侵害」って何でしょうか。

私は「生徒の家の部屋の中を撮影しろ」といっている訳ではないのです。

現在のイジメの問題の根幹は、誰もがその現場を目撃していながら、それが「イジメ」であるかどうかを認定する手段がなく、それを告発できるシステムがないことです。

この手段を提供するだけです。

「いじめ」と「プライバシー」 私には十分にトレードオフできると思えます。

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上記(2)の「効果がない」については、私もかなり調べましたが、誰もその実証実験の証拠を持っていないのです。

それは推測ばかりで、しかも理由が1つという貧弱さ。

「カメラの死角に入ったら効果がない→いじめがさらに陰湿化する」ばっかり。

3つ程、事実で反証します。

■イギリスでは、すでに4万7000台のカメラが学校内に設置されて、いじめ対策に一定の効果が認められています。

■私自身が、幼稚園に通っていた娘の問題(「いじめ」かどうかは認定できなかった)を聞いて、具体的なシステム構成図を伴う、自費による監視カメラの設置の提案を行っただけで、一気に問題が沈静化しました。

■監視カメラというのは今や、指の上の乗るくらいの小ささであり、しかも無線LANなどによって、どこでも、追加設置できます。「死角」を作らないシステムは、簡単に設計できます。

結論:物理的ないじめ対策に、監視カメラは効果があります。

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纒めると

「暴力」の行使が「即解雇」という、大人の当たり前のルールを、子供に適用して良いと思う。

■何を犠牲にしても、いじめを絶対に根絶する

■大人と同様に法律等を適用して、いじめの当事者を社会から追放する

という大人側のメッセージを、まだ伝え切れていない、と感じます。

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もちろん、このようなハード(仕組み)的なアプローチよりも、ソフト(教育等)的なアプローチが望ましいのは、言うまでもありません。

ならば、いじめ問題は「統計値」として扱い、「前年度より自殺者が減少していれば、一定の成果があった」とする考え方にシフトすべきでしょう。

そして、今、この時間に、現実に苦しんでいて、助けなければならない子供達には、諦めて貰いましょう。

将来の明るい社会の為に「あなたの『犠牲』が必要なのです」と言って。