2013,江端さんの忘備録

現在、我が家では7台のパソコン(うち2台がサーバ)が稼動中です。

今どき、パソコンが2台以上というお家は普通にあると思い、これらをLAN(ローカルエリアネットワーク)で繋ぎたい、というニーズも十分あることと思います。

ということになると、配線が不要の「無線LAN」の使用が主流になっていると思います。

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しかしですね、無線LANは、時間や天候(温度や湿度)などで、簡単にスループットが変化し、YouTubeとかを使っている人はどは、イライラすることが多いと思います。

(「え、そんなことないよ」という人。そこで黙って静かにしていなさい)

家中に、有線LANのイーサネットを配線しましょう。

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このように考えると、すぐに「壁の中にどのように入れこむか」「業者に頼まなければならない」「コストが・・・」と考えてしまう人が多いと思いますが、その発想、間違っています。

窓の外を走らせれば良いのです。つまり、屋外配線です。

「壁に穴なんて・・・」という発想している時点で負けです。

フラットケーブルを使えば、サッシの窓枠で十分挟み込めます。頻繁に開閉しない窓であれば、ケーブルが痛むこともありません。

それに痛んだら、交換すれば良いだけのことです。

私はイーサネットケーブルを、雨樋(あまどい)の配管に、結束バンドで括りつけて、1階と2階をイーサネットケーブルで繋いでいます。IP監視カメラ用に庭にも走らせておりますが、かれこれ3年以上も問題ありません。
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スループットは安定しているし、原因不明の通信不良もない。pingで追跡すれば、断線箇所は直ちに特定できるし、面倒くさい暗号化も不要で、WEP,WAPのパスワードを忘れてえらい目にあうこともなく、セキュリティも万全。

有線LAN! 万歳!!

ちなみに、私、日本で一番速い電車の「無線LAN」に係わった技術者です。

まあ、それはさておき。

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リビングのパソコンに、私の愛用しているキーボード(ハッピーハッキングキーボード(HHK))を設置したのですが、本日、撤去させられました。

家族から、「使い難い」との不評の圧力に屈しました。

私は、外出先にHHKを持ち歩くこともあるくらいの愛用者で、私の「筆記具」といっても良いくらいです。

家族にとっては、CTRLやSHIFTキーの配置が異なる、漢字カナ変換のキーが異なる、など、そのクレームの理由は正当であるとは分っているのです。

しかし、二人の娘達には、いずれは、LinuxのCUI(コマンドラインユーザインターフェース)で、PerlやRubyで、バッチプログラムをさくさくと書いてしまるようなスキルを身につけて欲しい、と思うのは、

―― 娘を持つ全世界の父親の「共通の願い」

であると思います。

そうですよね。私、間違っていませんよね。

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父親にHHKを撤去させるなど、

「そんなことで、世界を震撼させる一人前のハッカーになれると思っているのか!」

と、今夜あたり、娘達を説教をしたいと思っています。

2013,江端さんの忘備録

私のパスワードは、長い間、「100年後の私を誰が知ろうか」を英語にして、その頭文字を取ったものでした。

「100年後の私を誰が知ろうか」の意味は、「だから、誰にどんな批評をされようとも、100年後には、私を含めて、その人達は一人残らず消えてなくなる」

―― だから、自分の行動基準に「人の目」を入れるのは止めよう。人の目を気にする生き方は止めよう。

という話を友人にしたことがあります。

しかし、彼は、「アホか」という目で、私を一瞥した後で

「その『100年間の評判』が大問題なんだろうが」と言いました。

私は、「あ、そういえば確かにそうか」と妙に納得したことを覚えています。

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昨日記載した、中島みゆきの「永久欠番」ですが、早速聞いてみました。

文部科学省さん。「慟哭」はいかがですか?

私は、上記のように「100年後」の概念には辿りついていたのですが、「100年前」という観念には届きませんでした。

さすがは、我が国が誇る歌姫です。

まあ、それはさておき。

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これまで、何度も書きましたが、私の信念は

「いつかどこかで、誰かが、私を、待っていない」

です。

「誰かがあなたを見ている」とか「誰かがあなたを愛している」とかいう歌が、嫌いなのです。

なぜか。

嘘だからです。

そんな「誰か」は、世界のどこにもいません。

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「永久欠番」は、「いつかどこかで、誰かが、私を、待っていない」を強く肯定しつつ、しかし、それでも、歌の最後のフレーズで、唯一の例外を提示しています。

多くの人は、この歌の最後のフレーズを、宗教的な救済と解しているようですが、私の解釈はちょっと違います。

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私は、「宇宙で、ただ一人、私だけは私を待っている」―― と、解釈したい。

分子のレベルで、自分の身体が土壌の中で分解し、

原子のレベルで、自分の精神が宇宙の熱量死の中で消え去ろうとも、

―― 時間と空間の行き尽く最後で、私は私を待っている

のである、と。

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時間と空間の、果ての、果ての、果てにおいても、

「自分に抱きしめて貰えるように」

そういう風に、私は私を生きたい、と思うのです。

2013,江端さんの忘備録

「中島みゆきの歌詞が、教科書に掲載されるらしいよ」と嫁さんから聞いたので、今、ちょっと調べたら、すでに著名な話のようでした。

私が嫁さんから聞いたのは「二隻の舟」だったと思うのですが、私が調べた範囲では、「永久欠番」が出てきました。

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嫁さん:「私だったら『時代』かな」

私:「何を言うか。彼女の歌だったら『シュガー』に決まっとろう」

嫁さん:「・・・『シュガー』。あの歌詞を、学校教科書に掲載するのは、ちょっと無理じゃない?」

私:「いや、今の若者に対して必要なメッセージは、『「唯一無二の夢」という硬直した考えから脱却せよ』だと思うぞ、私は」

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実際、「夢」というのは、複数に分散して、ポートフォリオを組んでおくべきなのです。

あたかも「一つの夢に固執して目指すということが最上の価値だ」などという「でたらめな価値観」を賞賛するから、若い人が苦しむことになる、と。

まあ、それはさておき。

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文部科学省の皆さんには、是非、次の曲の掲載の採用もご検討頂きたく。

「慟哭」 ―― 若者のストーカ化を防止する観点から

国語教師への教育指導要領には、

「振られたら、スッパリ諦めろ」

と教えるように記載して下さい。

2013

今度の寄稿コラムの為、長女の為に「ゴルゴ13」を購入しました。

ゴルゴ13とは、超一流のスナイパー(狙撃手)である国際的テロリストの活躍をベースとして、世界の国際的な政治・経済・宗教・宗教は勿論、軍事、最先端技術を分かりやすく解説する劇画漫画です(江端解釈)。

まあ、正直に言うと、私の国際問題に関する勉強のきっかけは、この「ゴルゴ13」から始まっていることが多いです。

例えば、メジャーな国際問題である「パレスチナ問題」の全体像を把握したければ、「ゴルゴ13」だけで十分でしょう。

もちろん、何もかも正確に記載されている訳ではありません(特に、コンピュータとネットワーク関連では、私でも誤記を指摘できる箇所もある)。

しかし、全体としては、驚異的な知識と学習がベースになければ、到底可能とは思えない程の、素晴しい作品です。

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ゴルゴ13は、自分の依頼を完遂する為に、それぞれの専門家(武器商人、コンピュータエンジニア等)に、色々な機材を発注するのですが、私に言わせると、

―― ゴルゴ13、その発注方法ではだめだ。

と突っ込みたくなることがあります。

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(例1)

技術者:「ということは、ネットワークに過負荷を与えて、通信を不能にするということですか?」

ゴルゴ13:「俺の質問だけに答えろ」

(例2)

武器商人:「あなたは、我が国の権力基盤の一端を破壊しようとしているのか」

ゴルゴ13:「余計な詮索はするな」

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これでは駄目ですね、ゴルゴ13。

背景、趣旨、目的、そして詳細な計画案、問題点、それらを開示することによって、より良い提案がされて、計画が具体化し、作戦の成功率が高まるというものです。

このような秘密主義が、プロジェクトを頓挫させることは、歴史を見るまでもなく明かなことです。

まあ、それでは、劇画漫画としてしては面白くないし、大体テロリストが他人に作戦を開示した段階で計画としてはアウト、ではありますけどね。

それはさておき。

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なぜ、私が「ゴルゴ13」を長女に買い与えたかは、あと2週間程で分かると思います。

2013,江端さんの忘備録

今、介護認定をペアで受けている両親の今後の対応や、実家のメンテナンス(電気、水道、ガス等のインフラ一般)の為に、年休とって帰省中です。

また、併せて、彼等の確定申告の処理も行っているのですが、

―― まったくもって、分からん

―― この複雑怪奇な制度は、一体なんだ?

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ここで、「制度」を批判するのは簡単です。

私も特許法、著作権法などを(独学ですが)勉強しているので、「公平と正義をギリギリまで担保する為には、法制度や手続が面倒くさくなる」ということは理解しているんですよ。

けどなぁ、この書類を、介護認定を貰っている人間が作成できるとは思えないんだよな。

これって、本当に公平と正義を担保しているんだろうか。

私には、そこに悪意がなくても、結果として「弱い奴から税金を取れ」というシステムとして完成しているように見えて仕方がないんですよ。

文句も出にくいし、早々にいなくなるだろうし。

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今の私は、

「確定申告を計算した結果、戻ってきた還付金を100%全額進呈する」

という条件で、アルバイトを雇う意思があります。

経済学部や商学部の学生さん、この話に一口乗りませんか。

私は、「要介護高齢者が不当に舐められている」と感じるこの不快感に対して、(いいがかりであるのは、百も承知の上で)、権力に対して一矢報いたいんですよ。

2013,江端さんの忘備録

電子メールを使って、特許法の説明をしていたことがあります。

■特許権が発生する為には、「特許出願」という要式行為が必要である(「方式主義」)。

■しかし著作権の場合は、このような行為を行うことなく権利が発生する(「無方式主義」)

という内容を簡単に判って貰う為に、以下のような文章を作成しました。

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(例2)

『結婚は、所定の要件を備えた当事者間の合意で成立する。YesかNoか』

答えは、Noです。

婚姻届けを提出するという手続を行い、登録されないと結婚は成立しません。

結婚とは、法律行為で、かつ、第三者対抗要件だからです。

ちなみに、「結婚」とは実体としての「愛情」やら「経済力」やらを全く規定しておらず、単なる手続としての法律行為のみです。

今更ですが、「愛」がなくても結婚は可能です。

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つまり「愛のない結婚」という言い方は、一般的にはネガティブなイメージがありますが、法律的にはあまり意味のあるフレーズではないのです。

「愛のある結婚」という言い方のほうが、珍しい。

いわば「愛のある特許出願」みたいな違和感です。

2013,江端さんの忘備録

JTの広告に面白いものがありましたので、 ご紹介します

後半のみ抜粋します

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今、私たちがマナー広告を

継続的に発信しているのは、

ルールを守らない

喫煙者が多いからではありません。

ルールはもちろん、マナーにも配慮している

喫煙者は、確実に増えています。*1

一部のルール違反者、あるいは

マナーの気配りが足りない喫煙者に、

今の自分の行動に気づいてほしい

と考えているからです。

もちろん、マナーだけで

すべてが解決できるとは思っていません。

しかし、私たちは、

一律的な全面禁煙には、反対します。

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と、ここで、このメッセージの文章が、唐突に突然終了するのです。

凄い違和感を感じます。

普通の文章であれば、「しかし、私たちは、一律的な全面禁煙には、反対します。なぜなら、・・・」と続くはずです。

小論文のテストであれば大きな減点対象ですし、論文ならリジェクトされかねない重大な瑕疵です。

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それにしてもですね、「一律的な全面禁煙」って、明らかに有効な根本的解決策ですよね。

これに反論できる人っていますか?

「一律的な全面禁煙には、反対します」と言う以上、この解決策に欠点があることをキチンと示さなければなりません。

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これは、米国で、本当にあった話なのですが、たばこ会社がちゃんと試算しているのです。

(Step.1)喫煙を認容する

(Step.2)→国民の寿命が短くなる

(Step.3)→高齢者対応の財源(年金)の大幅な削減が可能となる

(Step.4)→国家の財政が助かる

(これも、ハーバード熱血教室(回数失念)で見た内容です)

「働けなくなった人間は、さっさと死んで貰うことが、社会(の財源)に資する」というのは、勿論、―― 悪魔の論理ではあるのですが ―― 嘘ではありません。

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まあ、ここまで言わなくても、

「我々の雇用がなくなる」とか、・・・、うん、これも言わなくていいや。

ならば、どっかららデータを持ってきて、

「タバコがストレス社会における、一定の役割を担っている」

程度の理由は明示すべきでしょう。

私は、ここではタバコの是非については言っていません。

ただ、「いい大人が書いているんだから、ちゃんとした文章にしなさい」と言っているだけです。

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ところで、私がマナー広告の文面を作れ、といわれたらこう書きます。

―― 「排便行為」が生きていく上で必要であるように、ある人にとっては「タバコを吸う」ことが必要である人がいます。

―― だからといって、私達は、だれしも、人前で「排便」をしながら会議をしたり、「排便」をしながらごはんを食べたり、「排便」をしながらお酒を飲んだりはしません。

―― あなたの「ウンコの匂い」を嗅がされる人の「苦痛」に想いを馳せましょう。

―― 「ウンコ」はトイレで、「タバコ」は分煙室で。

―― JT

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上記のキャンペーンメッセージ、自由に使って頂いて結構です。

2013,江端さんの忘備録

来週から、私は暫くの間、松葉杖で出社します。

説明が面倒くさいので、簡単に言うと、

「ベビーカーを追いかけて、肉離れをおこした」です。

世の中のお母さん達にお願いです。

「ベビーカーは、空車であっても、ちゃんと車輪をロックして下さい」

それともう一つ。

松葉杖って、結構体力使います。

あれは、脇で支えると、脇の方で肉離れをおこしかねません。

階段の登り降りでは、北アルプスを縦断した時の、山岳サークル(1年で辞めた けど)を思い出しました。

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以下、報告書より抜粋

========== ここから ==========

4.災害発生時の経緯

(1)報告者は、上記パチンコ屋前に並列する小児外科医院の前に停められていたベビーカーが、風に煽られて車道側に落ちていく状態を視認した。

(2)報告者は、瞬時に、そのベビーカーを停止させるべく走行(ダッシュ)を開始。直後、内耳から、左脚脹脛の裂割音(いわゆる「ブチッ」という音)を確認し、激痛で歩道上にうずくまるに至る。

(3)視認でベビーカーが無人であることを確認後、近くの電柱に掴まり、身体の自己チェックを行った。

5.災害発生後の経緯

(1)まず会社の同僚に負傷した旨の連絡を入れた後、片足歩行で、駅のタクシー乗り場に到着し、そのまま病院に行き、整形外科にて受診した。

(2)レントゲン等のチェックを経て、筋損傷(筋肉の損傷)(いわゆる「肉離れ)」と診断。自然治癒以外の治療方法はなく、全治2週間との診断を受けた。

(3)上記(2)の後、総務部、部長、課長への全員への連絡を完了。

(4)松葉杖を貸与され、病院から駅までは巡回バスを、駅から歩行にて会社に到着。その後、総務部から各種の手続(本速報、および通勤災害報告書他)の指示を受ける。

========== ここまで ==========

2013,江端さんの忘備録

いじめ対策として監視カメラを設置する、という話をすると、面白いくらい同じ反応(2つ)を聞けます。

(1)「プライバシーの侵害」

(2)「効果がない」

です。

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上記(1)の「プライバシーの侵害」って何でしょうか。

私は「生徒の家の部屋の中を撮影しろ」といっている訳ではないのです。

現在のイジメの問題の根幹は、誰もがその現場を目撃していながら、それが「イジメ」であるかどうかを認定する手段がなく、それを告発できるシステムがないことです。

この手段を提供するだけです。

「いじめ」と「プライバシー」 私には十分にトレードオフできると思えます。

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上記(2)の「効果がない」については、私もかなり調べましたが、誰もその実証実験の証拠を持っていないのです。

それは推測ばかりで、しかも理由が1つという貧弱さ。

「カメラの死角に入ったら効果がない→いじめがさらに陰湿化する」ばっかり。

3つ程、事実で反証します。

■イギリスでは、すでに4万7000台のカメラが学校内に設置されて、いじめ対策に一定の効果が認められています。

■私自身が、幼稚園に通っていた娘の問題(「いじめ」かどうかは認定できなかった)を聞いて、具体的なシステム構成図を伴う、自費による監視カメラの設置の提案を行っただけで、一気に問題が沈静化しました。

■監視カメラというのは今や、指の上の乗るくらいの小ささであり、しかも無線LANなどによって、どこでも、追加設置できます。「死角」を作らないシステムは、簡単に設計できます。

結論:物理的ないじめ対策に、監視カメラは効果があります。

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纒めると

「暴力」の行使が「即解雇」という、大人の当たり前のルールを、子供に適用して良いと思う。

■何を犠牲にしても、いじめを絶対に根絶する

■大人と同様に法律等を適用して、いじめの当事者を社会から追放する

という大人側のメッセージを、まだ伝え切れていない、と感じます。

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もちろん、このようなハード(仕組み)的なアプローチよりも、ソフト(教育等)的なアプローチが望ましいのは、言うまでもありません。

ならば、いじめ問題は「統計値」として扱い、「前年度より自殺者が減少していれば、一定の成果があった」とする考え方にシフトすべきでしょう。

そして、今、この時間に、現実に苦しんでいて、助けなければならない子供達には、諦めて貰いましょう。

将来の明るい社会の為に「あなたの『犠牲』が必要なのです」と言って。

2013,江端さんの忘備録

あまりにも腹が立ったので、数日、この日記をリリースするのを差し止めていましたが、数日経過しても、私の気持には揺らぎがないことを確認したので、リリースします。

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教育現場において「体罰」に「効果」があるのはあたりまえです。

「銃を付きつけられたら、誰だって従う」という、この野蛮な理屈と同じであるからです。

私は、少くとも我が国は、

―― 「体罰」に「効果」はあるのは知っているが、それを「止めよう」と決めた国

であると思っていました。

例えば、クラウゼヴィッツを出すまでもなく「戦争は政治(外交)の延長である」のは自明です。

しかし、戦争が、どんなに優れた外交的効果が期待できたとしても、我が国は、

―― 決して戦争をしない、

―― 決して核兵器を持たない

と決めました。

本当に凄いことだと思います。

一方、

―― 我が国の教育現場は、「体罰」を絶対的な意味において封印した

この教育方針は、この「戦争放棄」の理念と並び立つ、我が国が誇る教育信条であると、私は、ずっと信じていました。

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「今まさに、自殺をしようとしている子供を力づくで止める為に、止むなく体罰を行使した」という、緊急避難的な状況での話なら、ともかく、だ。

高々「チームを強くする為」程度のことに、「体罰が有効だ」と、この教師は言ったそうですね。

多分、この教師は人気があって、生徒からも同僚からも信頼を得ていて、間違いなく人間として尊敬するに足ると思われている人間だろうとは思います。

なにせ「校長」から体罰を「看過」して貰っていた程の人間ですから。

だが、私は、そんなことはどうでもよいのです。

この教師は、「効果」として「体罰」をいう手段を行使した ―― この一点において、私はこの教師を絶対に許せない。

この教師は、信じられないくらい、無知で、低能で、下劣で、百万の罵声を浴びせても、まだ足りないくらいに、「最低な奴」と、私は決めつけます。

その程度の知性しかない人間が教師をやっているかと思うと、絶望的な気分になります。

『「体罰」以外のありとあらゆる手段を考えて、試して、実施して、それでも上手くいかなくて辛くて、悔しくて、そうして一人で泣く』 それが、教師だろう、と思うのです。

私は、この教師を含め、「体罰」に「効果」を求める全ての教師を、問答無用で、絶対に許しません。

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何度も書きましたが、私は、学生の頃、ギリギリまで迷い、最後の最後で「教職」を断念した人間です。

私は、自分のことを

『効率的な手段を求めて、簡単に「体罰」を行使するタイプの、狭量で卑怯な人間だ』

と自分自身で、よく判っていたからです。

だから私は、「教師」を選んだ奴には、絶対に優しく接しない。

教師という、この世で一番辛い職業を選んだのであれば、一番辛い道を歩け。

その覚悟がないなら、初めから教師なんか選択するな、馬鹿野郎めが。

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しかし、教師が生徒の全ての責任を負わされる、という今の状況は、絶対的な意味で、間違っていると思います。

「体罰」以外の方法を全て試みても、なお、思いの届かない子供もいます。

それは、もう、

―― 諦める

という選択をする時期に来ているのではないか、と思うのです。

 

それは、教師、子供、保護者、社会の全てを不幸にするものではありますが、「どっちもダメ」などと、外部の者が勝手に言うことは、甚しく卑怯であると思えるのです。

「体罰」を放棄する代償として「諦める」というのは、概ね、妥当な対価であると、私には思えます。

今回のケースに当て嵌めるのであれは、

「体罰を行使してまで強くしたチームの実力など、髪の毛程の価値もない」

で良いのです。

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金八先生や、GTOや、ごくせんは、どこにもいない。

どこにもいないからこそ、これらがドラマとして成立する。

そんなことは、もう誰もが知っていることです。