昨日、食堂で同僚の方から、尋ねられました。
『江端さんに、怖いものなんてあるんですか』
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勿論、あります。
江端智一のホームページ
昨日、食堂で同僚の方から、尋ねられました。
『江端さんに、怖いものなんてあるんですか』
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勿論、あります。
私には嫌いなものが沢山あるのですが、その中でも、
「それは君の為になる/ならない」
というセリフは、その一つです。
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「『私』の為になる/ならない」ことが、一体アンタに何の関係があるのか、と問い返したいと思うのですよ。
私が私のやったことでえる「不利益」は、私が自分で判断して全力で選びとった純然たる「不利益」であり、私の貴重な財産ですからね。
他人にとやかく言われるものではありませんし、言われることは愉快ではないのです。
つまりは、「君のやる/やらないことは、私の不利益となる」ということですよね。分ってはいるんですが。
# でも、はっきりとそう言ってくれた方が、気持ちは良いんだけどなぁ。
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私がホームページやブログに記載していることは、凄く私に不利益を与えています。
法律違反を推奨したり、恥しいできごとを暴露したり、政治家を批判してみたり、自分の過去の思想を開示することは『私に、滅茶苦茶に不利益』です。
長く社会人をやっていると、それを実感します。
好きなこと好きなように言い回る奴は、必ず社会や世間一般から、ゆっくり、かつ、じっくりと、長期に渡って、有形または無形の形で、報復され続けます。
言いたいことを言わずに我慢している人の忍耐や努力を考えれば、概ね妥当な「報復」と思いますし、また、そういう忍耐や努力を続ける人が、社会的に報われることは、正しい社会のあり方だと思うのです。
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極めて稀ではありますが、私は、娘達に対して、怒号の如く叱ることがあります。
「娘たちの為になる/ならない」ことは明快であっても、それは問題ではなく、「誰か(私を含む)を不快にさせる行為が許されないこと」と言うことです。
私が絶対に許さないことは、『自分以外の誰かに不利益を与えている』ということだけでです。
娘達の不利益は、娘達の責任で娘達が負えば良いのです。
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我々は、
○『無知』と『貧困』は恐しく仲良しで、
○『貧困』が『暴力』の隣りに住んでいる、
という冷然たる現実を、7時のNHKのニュースを見るまでもなく知っています。
『愛』を慈しむのに『金銭』は十分条件ではないですが、必要条件であることも知っています。
また、『食事』を摂取することが保証されない人生で、筋の通った思考ができないことは、たった一食の食事を抜いただけで、誰もが簡単に理解できてしまいます。
一方、『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の中でも、人から尊敬され、敬愛される人は確かにいます。
しかし、そのような人は絶望的に少なく、そして、何より、多分私達の殆どが、『そういう選ばれし人』ではないのです。
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私は、娘の中学受験の願書にある「(保護者が)本校を志望した理由」の欄に、
『自衛力の為』
と書きました(本当)。
# 勿論、表現は変えていますが、嫁さんも賛成してくれました。
「『無知』-『貧困』-『暴力』の連鎖の、一番最初の『無知』を叩き潰すことで、『子供を守る』という親としての最低限の責務を果す為」という内容で、願書を記載しました。
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「勉強しなさい」という親の叱責は、
○「勉強をしないとアナタが不幸な目に会うよ」
ではなく、正直に記載すれば、
○「『勉強をしないこと』を看過したことで、アナタを不幸にしたという、ワタシの自責の念を負うのが嫌なのよ」
ということでしょう。
ですから、親は、子供が勉強してくれることを切々に望みます。
それは純然たる親のエゴでありますが、このエゴは、時々、子供にも役に立つこともありますから、親はエゴを強行するのです。
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ですから、子供であるアナタは、親の前では、
『一生懸命、勉強をしているフリをする』
という親孝行をしましょう。
勉強をさせていないという親の自責の念から、親の気持ちを楽にして上げれます。
勿論、勉強をしないことによる不利益は、自分自身に課して下さい。
不利益な人生を選ぶ自由は、アナタにあるのです。
私の昔の後僚に、
「宇宙から声が聞こえる」 → はい
と必ず応えることを信念としている者がいました。
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JMIの結果に腹を立てている各位皆さん。
どうでしょう。
他の質問はさておき、
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「宇宙から声が聞こえる」 → はい
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とするという、一つのレジスタンスをしてみませんか。
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実際に、私はGPS衛星からの信号、聞こえます。
上司には逆らえ、と言う本があり、
上司には従え、と言う本がある。
部下は威圧的に管理しろ、と言う本があり、
部下は寛容的に自由にさせろ、と言う本がある。
人生は自己を厳しく律しろ、と言う本があり、
人生は自分に優しく接しろ、と言う本がある。
成果を上げろ、と言う会社が、
定時時刻に帰宅しろ、ともいう。
無駄な資料を作るな、と言われ、
これでは内容が分からん、と叱責される。
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はっきりしていることは、
正しいやり方もあり、
間違ったやり方もあるが、
結局のところ、
『私のやり方』
しか、やりようがない、という事実です。
歴史上の尊敬できる人物に「坂本竜馬」か「織田信長」等を挙げた人に対して、どうしても、私は斜に構えてしまうという話は何度かしました。
では、「斜に構えない」ですむ回答はどういうものだろう、と考えてみました。
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『歴史上、尊敬できる人物は誰ですか』
『最近でも良いですか。70年前くらいの人なのですが』
『どうぞ』
『ベン・ブルース・ブレイクニー弁護士です』
『? どういう方なのですか』
『ブレークニー弁護士は、・・・』
自分だけの尊敬する歴史上の人物を持っている、というだけで、なんか知的な感じがしませんか。
# しないか。
知識をひけらかすという感じではなく、なんかこんなこと言うのは照れくさいけど、というシャイな感じで、少しだけ喋るのが良いかと思います。
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昔、三国志の登場人物や時代背景をベラベラベラベラと、こっちがウンザリしている顔を見せて、溜息をついてみせても、続けたやがった奴がいました。
カルトなゲーマであることが一目瞭然です。
偏見加えていいますが、こういう「会話のキャッチボール・レス」のしゃべり方をする男性には、彼女がいないことが多いように思えます。
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ブレークニー弁護士の勇気ある弁護(当時では自殺行為に近い爆弾発言だったろう)を知って、私は弁護士になるのを断念しました。
# 嘘です。弁護士はスコープにすら入っていませんでした。
小学生の頃、放課の時間になると外に追い出されていました。
真夏の炎天下、真冬の小雪の吹雪の中でも例外なしです。
そして、真冬の授業開始前に、マラソンと称して、校庭を10周も走らされた日々は、「小学生」という私の人生の貴重な時代を、決定的に暗黒の時代にしてくれました。
あのマラソンなる阿呆なイベントは、小学生の私を重度の鬱病にし、不必要に風邪などの病理を招いたことは、今となっては明白な事実です。
当時の教師達か、A県の教育委員会か、なんだか分からないけど、そういう組織か法人に、損害賠償請求(民709条)を請求したいものだ、と、ふと、今日思いました。
が、すでに時効が成立していました(20年)。
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それと、今でも、給食を食べ切れない児童を、居残りさせてまで食べさせる意義が、どこにあったのかを、私は知りたいのです。
どなたか、小学校の給食が食べられなくて、栄養不足で死亡した児童がいたら教えて頂けませんか。 私は確信を持って、一人もいないだろう、と断言できます。
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クラス全員が「逆上がり」ができることで、『全員達成!』を標榜し、逆上がりができない子供を追いつめる教育をしていたA県の小学校の教育は、「愚劣」を百万回称呼しても足りないくらいの愚劣教育の極みだと断言します。
戦時中の「隣り組制度」や、日本の隣に位置する独裁国も真っ青の全体主義教育を、当時の保護者はどうして看過できたのでしょうか。
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当時の小学校とは、私には、理不尽の集大成でした。
理不尽であることを学ばせることを目的としているのであれば、その意義は十分に果せていると思います。
A県は、私の出身地です。
私がA県から離れた理由は、A県の教育に起因しています。
いずれお話します。
ヨーロッパのプロジェクトチームが出願した、欧州広域特許の調査報告書(サーチレポート)が届きました。
私はEUの広域発明については、知見がありませんので、黙々と、日本国特許法に準じて、特許要件の精査を行うだけです。
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でもね。
ドイツ語で記載されたサーチレポートを、私にどうしろと。
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何度も繰替えしますが、私の第二言語能力は、「英語」が限界です。
中国語の拒絶理由対応の時にも書きましたが、第三外国語によるレポートは、厳に送付を禁止します。
交通事故に巻き込まれて、ここ一月ばかり、鬱な状態にありました。
双方の主張が異なるので、紛争解決は長びきそうだということも、憂鬱の要因の一つでした。
私は、こういう不安定な状態が嫌いな性格です。『できるだけ早期に白黒付けたい』と願う方です。
振り返ってみると、時間で解決することができたようなことも、自分の手で事態を悪くしてしまったことも、不要に事件を拡大させて、結果的に解決を遅らせてしまったこともあるように思えます。
小心な小市民故の成せる業です。
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神さま。
私は、小市民として野心なく生きているのですから、面倒も最小限として下さい。
大きな面倒は、大きな野望や大きな幸福の人に持っていって下さい。
サッカーワールドカップを見るために、会社を定時で退社したことなどはありませんし、甲子園の高校野球の中継になれば、チャンネルを替えます。
大相撲の人気がどうなろうが全然興味ないし、もし廃止となっても何も感じないだろうことに、自信があります。
夏季オリンピックには、夜の23時くらいから始まる「ダイジェスト版」が、短い時間で、結果を知ることができて、効率的という理由で好きです。
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それなのに、冬季オリンピックについては、これほどに一喜一憂する自分が不思議です。
国籍不問で、凄い滑りや演技をする選手には感動してしまうし、日本の選手がメダルに届いた場合には、思わずシャドウガッツポーズが出てしまいます。
こんな自分を、自分が見たことがない。
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『歳をとった』というのが答えなのかもしれません。
しかし、それ以上に、
幼少の頃から、運動音痴を「運動会」という悪夢のイベントで晒され続け、または、チームプレイという名で弱者の排除を正当化する、悪夢の時間と
と、
なんの成果も求められることなく、たった一人で、大自然の雪原の中に解け込むことが許された、解放の時間
の差かな、と、思ったりしています。
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自分の経験した範囲内でしか、物事に興味を持てない人生は、寂しい人生なのだと思います。
自分と縁もゆかりもないプロ野球チームに、あれほど狂える人達を、私は全く理解できませんが、彼らはきっと私よりは幸せな人生を生きていると思います。
何年か前に、学会聴講でパリに行ったときのことです。
モンパルナス・タワーの最上階で、クロワッサンの朝食を食べて(貸切状態)、結構幸せな気分になりながら、モンパルナス地区を、てくてく歩きながら、ホテルに帰る途中、モンパルナス墓地に寄りました。
ボーヴォワールやサルトルの墓を見ておくのも、一興かと思いまして。
私はついぞ、彼等の著書を読むことはありませんでしたが。
学寮の管理人の叔母さんから『ボーヴォワールくらいは読んでおきなさい』と言われていたのですが、ボーヴォワールやサルトルについては、彼等が「事実婚」であった以上の知識はなく、現在に至っております。
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私は墓地の雰囲気は結構好きな方です。
結構寒い冬の午前でしたが、そこそこ人もいました。
しかし、歩いているうちに、モンパルナス墓地の人気のないエリアにさまよい込んでしまいました。
そこには、すでに管理が放棄され、何百年も放置されていたであろう巨大な墓の建造物がいくつも立ち並んでいました。その大きさたるや、私の部屋よりも大きなものでした。
その規模や作りから、当時、相当な財力を誇った貴族の所有していたであろうことが推認される墓でした。
しかし、100年単位で放置されて、崩れかけた巨大な石の建造物は、それゆえ、朽ち果てることもできず、その醜悪な態様のまま放置され続けていました。
子々孫々その栄華が果てしなく続くことを信じて、その建造物に埋葬されているであろう者達の想いは、安らかであるのか否か。
栄華の果ての没落に、その存在を自ら消し去ることもできない悲運に、「盛者必衰の理」が胸に去来しました。
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欧州の華やかな街の中で、平家物語に思い馳せるという、奇妙な時間に幻惑された一時でした。