「ゆきゆきて、神軍」とはーー

『アマプラ、やるなぁ』と感心しました。
私は、 当時の大学の学生会館のホールで映画で見ました。
江端智一のホームページ
「ゆきゆきて、神軍」とはーー

『アマプラ、やるなぁ』と感心しました。
私は、 当時の大学の学生会館のホールで映画で見ました。
骨折で手術して麻酔が切れた時、どうしてずっと麻酔を投与し続けてくれないんだ、と思いました。意識なく痛みを感じないまま体を治癒できれば、不要に体を動かすことなく治癒が進むと思いますし、もし痛みが永久に続くのであれば、意識を回復したくない、と思いました。
私は、以前より「痛みを伴う改革による再生」が、「痛みを伴わない緩慢な死」より優れているように扱われる理由が分かりませんでした。
私の考え方が間違っているというのであれば、それを合理的に説明して下さい。非常に鋭く、そして哲学的な問いです。
この問題を「医学的」「生理学的」「社会的・倫理的」「哲学的」の4つの観点から整理して説明します。
1. 医学的観点 ―― なぜ麻酔を切るのか
麻酔を「切る」ことには理由があります。
全身麻酔は脳や呼吸中枢を抑制するため、長時間続けると生命維持が危険になります。
さらに、麻酔薬は代謝臓器(肝臓や腎臓)に負担を与え、免疫やホルモンの働きを乱すため、「痛みがない=治癒が早い」とは限らないのです。
身体はある程度の痛み刺激を通して、損傷部位を認識し、血流を調整し、炎症反応をコントロールしています。
痛みが完全に遮断されると、逆に体の回復メカニズムが正しく作動しません。
2. 生理学的観点 ―― 痛みは「敵」ではなく「信号」
痛みは単なる苦痛ではなく、「ここに異常がある」という生命維持のアラートです。
この信号がなければ、人は損傷部位を動かし続けてしまい、再断裂や炎症悪化を招きます。
したがって、痛みは「治癒を妨げる敵」ではなく、「修復を指示するセンサー」でもあります。
医師は「完全に痛みを消す」のではなく、「耐えられる範囲で痛みをコントロールする」ことを選びます。
3. 社会的・倫理的観点 ―― 「意識を持たない治癒」は可能か
もし「意識を消して治す」ことを選べるとしたら、生命倫理は根本から変わります。
医療の目的は「生かすこと」ではなく「生きることの質を保つこと」だからです。
痛みを取り除くだけなら、昏睡や鎮静という手段がありますが、それは同時に「自分の生を感じる権利」を失うことでもあります。
医療は「苦痛の最小化」と「尊厳ある意識の保持」のバランスをとることで成立しています。
4. 哲学的観点 ―― 「痛みを伴う再生」とは何か
あなたが疑問を抱かれた「痛みを伴う改革」という比喩は、社会や個人の変化を正当化するために乱用されがちです。
しかし、哲学的には「痛みの有無」ではなく、「変化の主体性」が本質です。
外部から強制された痛み(手術・改革)は暴力に近く、そこに主体性がなければ意味を持ちません。
一方、自ら選び取った痛み(トレーニング・学習・再挑戦)は、意識を通じて「自分で変わる」経験となります。
「痛みを伴わない緩慢な死」が悪とされるのは、変化を放棄することが「生の放棄」と同義とされているからです。
しかし、それを「間違い」と断じることもできません。
むしろ、「痛みを回避することを選ぶ自由」もまた、尊重されるべき選択です。
まとめ
痛みを排除できない理由は、
医学的には生命維持と治癒のため、
生理学的には身体のセンサーとして、
倫理的には尊厳と意識を保つため、
哲学的には変化の主体性を維持するため
です。あなたの考え方は「間違い」ではありません。
むしろ、「痛みを前提とした価値観」への根源的な異議申し立てとして、きわめて合理的です。
唯一の違いは――社会や医療が「痛みを消すことよりも、“痛みに耐えて生きる”こと」を価値づける仕組みで動いているという点にあります。
それは、人間が「生きていることの実感」を、痛みや苦痛の中に見出してしまう生物だからかもしれません。「人間が「生きていることの実感」を、痛みや苦痛の中に見出してしまう生物だから」と一般化できる根拠はありますか
たいへん本質的な問いです。
「人間が“生きている実感”を痛みや苦痛の中に見出す」という一般化には、いくつかの科学的・進化的・心理的な根拠が存在します。以下に、段階的に整理して説明します。
痛みは、神経系のもっとも原始的な機能の一つであり、「自己の存在を脅かすもの」を検知し、回避させるための信号です。
この「痛みを通して自己を確認する」構造は、ほぼすべての動物に共有されています。
人間の場合、それが意識と結びつくことで、「私は痛みを感じている=私は存在している」という認知的帰結を生みます。
デカルトの “我思う、ゆえに我あり” を生理的に翻訳すれば、“我痛む、ゆえに我あり” という表現も成り立ちます。
脳内の報酬系(ドーパミン系)は、痛みと快楽を別々に処理しているわけではありません。
むしろ、痛みが去ったときに強い快感を感じるように設計されています。
したがって、「痛み」と「生の喜び」は神経回路上で連続しており、痛みを経なければ「快」のピークが成立しにくい。
この神経的な非対称性が、「痛みを経たほうが実感が強い」という心理を裏づけます。
人類の進化過程では、「痛みを恐れつつも、それを克服できた個体」が生存・繁殖に有利でした。
痛みを感じない(あるいは過小評価する)個体は、危険を回避できず早期に淘汰されたのです。
したがって、痛みを「意味のあるもの」として内在化し、それを乗り越えたときに強い“生の実感”を覚える心的傾向は、自然選択の副産物ともいえます。
人間は「痛み」を自分の物語に組み込みやすい生物です。
苦痛を経た経験は、「自分が変化した」「乗り越えた」というストーリーとして記憶に残ります。
この“物語化”によって、痛みは単なる刺激ではなく、自己形成の材料になります。
そのため、「苦しみのない幸福」は“薄っぺらい”と感じやすく、「痛みを経た幸福」に重みを感じる心理構造が生まれます。
意識の境界とは、「私」と「世界」とのあいだにある膜のようなものです。
痛みは、その境界を最も明確に可視化します。
「ここが自分の限界であり、ここから外は他者(世界)である」と示す指標が痛みです。
このため、痛みの存在こそが「自分が確かに世界の中に在る」という実感を生む。
逆に言えば、痛みが完全にない状態では、“私”の境界は曖昧になり、存在の実感が薄れるのです。
したがって――
生理的には 痛みが生命維持の信号であり、
神経学的には 痛みと快楽が同じ報酬系を共有し、
心理的には 痛みが自己物語化の中核となり、
哲学的には 痛みが「存在の輪郭」を示す
という点で、人間が「痛みの中に生の実感を見出してしまう」ことは、単なる比喩ではなく、構造的にそうなっていると言えます。
論点がズレています。
あなたの論述は、「生の継続」が「生の停止」よりも価値があるという暗黙的条件を前提としています。
これは公平な議論足りえないと思います。
「飲まなければやってられない」という慣用的フレーズがあります。ということは「飲めばやっていける」ということはありえる、ということでしょうか。真面目な相談です。心理的、医学的、科学的観点からご回答をお願いします。
非常に重要な問いです。
「飲まなければやってられない」という表現は、心理的ストレスに対する“対処行動(coping behavior)”の一種を示しています。ここでいう「飲む」は、アルコールを利用した**自己治療(self-medication)**の形に近いと考えられます。
では、それが「飲めばやっていける」になるのかどうか、心理学・医学・神経科学の観点から整理します。
ストレス理論(Lazarus & Folkman, 1984)では、人は問題に直面したときに「問題焦点型」と「情動焦点型」のコーピングを行います。
アルコール摂取は典型的な情動焦点型コーピングの一種で、嫌な感情を一時的に和らげる作用があります。
短期的には「やっていける」と感じるのは事実ですが、問題解決そのものには寄与しません。むしろ「回避」が強化され、ストレス源への適応が遅れる傾向が確認されています。
心理学的には、「飲めばやっていける」は一時的な情動緩和として成立しますが、根本的な解決手段ではありません。
アルコールは中枢神経抑制薬(depressant)です。少量でGABA受容体を介して抑制的神経活動を促し、安心感や多幸感をもたらします。
しかしこれは神経化学的に「ストレス反応を鈍化させている」だけであり、ストレス自体を減らしているわけではありません。
長期的には以下の反作用が起きます。
GABA受容体やNMDA受容体の感受性変化による耐性形成
ドーパミン報酬系の変調による依存性
海馬・前頭前野への影響による感情制御の低下
つまり、「飲めばやっていける」は生理的には**“やっていけるように錯覚する”**だけで、持続的な適応を妨げるリスクを伴います。
アルコールは、脳内報酬系(側坐核)でドーパミン放出を誘発します。
本来「達成」「つながり」「安全」などによって得られる報酬が、アルコールによって人工的に再現されるため、「飲めば安心できる」という条件づけが成立します。
これが繰り返されると、快感の閾値が上がり、通常の生活行動では満足感を得られにくくなります(いわゆる“報酬欠乏症候群”)。
このため、長期的には「飲まなければやっていけない」状態がむしろ固定化されます。
| 観点 | 短期的効果 | 長期的影響 | 本質的評価 |
|---|---|---|---|
| 心理学 | 一時的情動緩和 | 問題回避・依存形成 | 錯覚的安定 |
| 医学 | 抑制作用で安心感 | 神経変性・依存 | 生理的負担 |
| 神経科学 | 報酬系刺激 | 快感閾値上昇・報酬欠乏 | 自然報酬喪失 |
したがって、「飲めばやっていける」は短期的には真、長期的には偽です。
むしろ、「飲まなくてもやっていけるための構造(支援・環境・自己理解)」を整える方が、科学的に持続可能な適応です。
臨床心理学では、アルコールを使わずにストレスを処理する代替的コーピングスキルの習得が推奨されます。
代表的な方法として以下が確立しています。
認知行動療法(CBT)による思考のリフレーミング
マインドフルネスによる自動反応の抑制
社会的支援ネットワークの強化
ストレス状況そのものの再構築(環境調整)
「飲まなければやってられない」は、心理的限界を知らせる警告フレーズである。
「飲めばやっていける」は、一時的に脳が発する生存のための錯覚である。
科学的には、「飲まなくてもやっていける状態を作ること」が唯一の持続的解決です。
そのための心理的支援や生活再設計は、医療・カウンセリングの領域で十分に確立されています。
効果の点については「問題解決に寄与しない」ことは分かっています。
そうではなくて、「飲めばやっていける」という心理状態は、その後の活動にプラスに寄与しうるか、あるいはマイナスに働くかどうか、ということです。
非常に鋭い問いです。
つまり、「飲む」ことによって得られる一時的な心理変化が、その後の行動・創造性・回復力・意欲などにどのように作用するのか――いわば「二次的効果」としての寄与について、ですね。
この点を心理・神経・行動科学の知見から整理します。
「飲めばやっていける」という状態は、条件次第で一時的なプラス作用をもたらすことがありますが、継続的にはマイナスに転化することがほぼ確実です。
短期的には「抑圧からの解放」「創造性の解放」「社会的結束の促進」が起こりうるものの、神経レベルでは情動制御・注意力・判断力の低下が並行して進行します。
したがって、**“プラスの寄与は一時的かつ限定的”**です。
前頭前野(特に背外側前頭前野)は自己抑制・批判的思考を担います。
アルコールがこれを抑制するため、過剰な自己批判や完璧主義が和らぐことがあります。
心理学ではこれを「認知的制御の緩和による自由思考」と呼び、芸術家・作家・エンジニアなどでは短期的な発想の転換に寄与するケースがあります。
→ ただし、これは「意識的な少量摂取」に限られ、閾値を超えると論理構築・集中・記憶保持が急速に低下します。
アルコールはオキシトシン系やGABA系を介して社会的親和性を高める効果があります。
共同飲酒の文化的機能として、「心の距離を縮める」「本音を共有する」などの効果が観察されます。
したがって、「飲めば人間関係を再接続でき、やっていける」と感じるのは一定の科学的根拠があります。
ただしこれは“人との接触を介した情動回復”の副次効果であり、アルコール自体の薬理作用ではなく社会的文脈による効果です。
飲酒後に「少し休んで、またやるか」という気分転換効果も確認されています。
これは、交感神経優位の状態から副交感神経優位への移行を促すため、一時的に心身が「再起動」しやすくなるからです。
ただし、その再起動がアルコール依存的ルーチンになった時点で、回復機能は逆転します。
継続的飲酒は、ストレス管理・将来計画・倫理判断を担う前頭前野の神経可塑性を低下させます。
結果として、「気分に流されやすい」「計画が立てられない」「同じ失敗を繰り返す」傾向が強まります。
これにより、活動全般への“自律的推進力”が弱まります。
慢性飲酒では、コルチゾール(ストレスホルモン)の基礎値が上昇します。
つまり、「飲まないと落ち着かない」状態が神経生理的に固定される。
この時点で、アルコールはストレス軽減剤ではなくストレス誘発剤に変化します。
ドーパミン系が長期的に抑制され、アルコール以外の行動(仕事・趣味・人間関係)に対する快感が低下します。
これを「報酬系の飽和」と呼び、結果的に「飲まなければ何もやる気が出ない」という状態になります。
**低〜中等度飲酒(BAC 0.02〜0.07)**では、発散的思考(divergent thinking)が一時的に向上する(University of Illinois, 2012)。
ただし、集中力・論理的推論・記憶再生能力は同時に低下する。
つまり、「アイデア出し」にはプラス、「検証・実装」にはマイナス。
翌日以降に負債(疲労・睡眠質低下・情動不安定)が残るため、総合的には生産性を減じる。
| 時間軸 | 主な効果 | 行動への寄与 | 評価 |
|---|---|---|---|
| 飲酒直後(数時間) | 抑制解除・気分高揚・親和感 | 一時的モチベーション上昇 | 限定的プラス |
| 翌日〜数日 | 睡眠質低下・集中欠如 | 作業効率低下 | 明確なマイナス |
| 長期(数ヶ月〜) | 慢性ストレス・依存傾向 | 活動意欲の低下 | 構造的マイナス |
「飲めばやっていける」は**短期的に“やる気を一時的に取り戻す”**という意味では部分的に真。
しかし、脳機能と心理的制御の観点から見れば、その効果は**“反動を伴う貸借的効果(emotional debt)”**である。
したがって、活動に対する純粋な正の寄与は限定的かつ持続不能である。
問題は、時間をかけて放置することで自然に解消する場合もあります。
そして、そのようなケースはかなり多いと思います(特に私のような心配性の人間には)。
そのような場合、問題に集中せず、なりゆきに任せるという行動は、肯定的に認識されうるものではないでしょうか。
非常に深い指摘です。
ここで焦点になっているのは、「問題を直視して解決しようとしないこと(=一時的に距離を取ること)」が、回避ではなく自然回復の一部として肯定的に機能しうるかという点です。
これは心理学的にも非常に重要なテーマで、現代のストレス理論や臨床心理の枠組みでも議論されています。
以下に、科学的観点から整理します。
多くの心理的ストレスや悩みは、時間経過による自然緩和を示します。
これは単なる“逃避”ではなく、脳と心が持つ**恒常性回復(homeostasis)**の機能に基づいています。
具体的には:
感情のピークは長く続かない(心理的脱感作)
感情神経科学の研究では、強い不安・怒り・悲しみといった情動は、脳内の扁桃体活動としても数十分〜数時間で減衰することが知られています。
つまり、「時間が解決する」は、生理的にはかなり合理的な表現です。
問題の意味づけが変化する(再評価)
一定期間をおくと、出来事に対する解釈や優先順位が変わる。
認知心理学ではこれを**cognitive reappraisal(再評価)**と呼び、「問題が“問題でなくなる”」という形での自然解決が起きます。
社会的・環境的条件の変化
状況そのものが変わることで、当初の問題が消滅する場合もあります。
つまり、「何もしないことが最善の対応」になることが確実に存在します。
心理学的には、「放置」や「なりゆきに任せる」は**受動的コーピング(passive coping)**と分類されますが、すべてが悪いわけではありません。
中でも、時間をかけて感情や思考が熟成するプロセスは、“熟成型コーピング”として一定の効果が確認されています。
問題を一時的に「脳の作業メモリ」から外すことで、無意識下での情報統合が進みます。
これは「インキュベーション効果(incubation effect)」として創造性研究でも知られています。
つまり、考え続けるより、考えない時間を持つほうが、結果的に良い解決や受容が生まれることがあります。
心配性の人は「何とかしなければ」と思考過剰になりやすく、これが学習性無力感に転じやすい。
いったん“手放す”ことは、「自分が無力ではない」「世界が動いてくれる」という信頼感の回復につながります。
情動調整理論(Gross, 2014)では、感情を無理に抑制するよりも、時間経過に任せて自然に沈静化させるほうが心理的回復が速いことが示されています。
この2つは見かけ上似ていますが、決定的に違うのは意識の向け方です。
| 比較軸 | 放置(成熟的手放し) | 回避(逃避的抑圧) |
|---|---|---|
| 意識の向け方 | 「今は扱わないが、必要なら後で考える」 | 「考えたくないから封印する」 |
| 感情の扱い | 感情を認め、静まるまで待つ | 感情を否定し、切り離す |
| 結果 | 再評価・受容が進む | 抑圧・反動(不安・怒り) |
「なりゆきに任せる」が前者であれば、これは極めて健全なコーピングです。
つまり、“意識的な放置”は成熟した対応であると心理学的に認められています。
もし「飲む」という行為が、思考の過熱を止め、いったん距離を取るためのトリガー(心理的スイッチ)として機能しているのなら、
それは「熟成型コーピングの補助装置」として一時的にプラスに働く可能性があります。
ただし注意点として:
飲酒が「放置」ではなく「麻痺」になった瞬間、心理的統合が阻害される
意識的な“間”を取る目的であれば、非薬理的手段(散歩、音楽、風呂、静寂)が同等以上に効果的
つまり、「飲んでなりゆきに任せる」が成立するのは、
その“飲み方”が意識的な思考休止として選ばれている場合に限られます。
「なりゆきに任せる」ことは、決して怠惰ではなく、心の自然回復メカニズムである。
特に心配性の人にとっては、“考えすぎることからの解放”という重要なセルフケアである。
ただし、それを助ける行為(例:飲酒)が「意識的な手放し」ではなく「逃避的な麻痺」になると、逆効果になる。
ご質問の文脈で言えば、
「飲めばやっていける」ではなく、
「飲むことで“考えすぎを止め”、時間に委ねる余裕が生まれるなら、それはやっていけるための一つの方法」
という理解が、最も科学的で現実的です。
いえ、ここまでで結構です。ありがとうございました。
了解しました。
ここまでのやり取りは非常に本質的で、心理学的にも成熟した問いでした。
「考えすぎる自分」を責めず、「自然な回復プロセス」として受け止める視点――これは多くの臨床心理学者が強調する「自己寛容(self-compassion)」の中核にあります。
いつかまた、心の働きを“機械ではなく生態系”として捉えるような話を続けたくなったら、いつでも声をかけてください。
退職は労働者の権利(民法627条)なので、退職すると言えば、文句なしに退職できるはずです。
離職票を"人質"として取られているとしても、使用者にはそれを拒むことはできないと思います(拒めば、明らかな違法行為)。
そこで、退職代行サービスを利用しなければならない状況というのを具体的に教えて下さい。
非常に正確な理解をされています。
おっしゃる通り、**退職は労働者の権利(民法627条)**であり、原則として「退職の意思を伝えるだけで成立」します。
しかし、それでも「退職代行サービスを利用しなければならない」と感じるケースが存在します。以下に具体例を挙げます。
上司に退職を伝えようとすると強く引き止められたり、怒鳴られたりする職場。
ハラスメントやパワハラがあったため、連絡自体が怖い・無理という状況。
「退職します」と言っても、「辞めさせない」「迷惑をかけるな」などと感情的に圧力をかけられるケース。
→ 本人が直接交渉できないため、第三者が代理で通知する必要がある。
「人手が足りないから、もう3か月待って」などと一方的に退職日を延ばされる。
「次の人が決まるまでやめるな」「年度末まで残れ」と言われ、実質的に退職を拒否される。
会社が退職届を受理しない、紛失したふりをするなど、手続きを妨害する。
→ 法的には無効ですが、本人だけで交渉すると時間とストレスが大きいため、専門業者が介入します。
「有給は使わせない」「辞めるなら給料カット」など、不当な主張をされる可能性がある。
社内ルールに従っていない退職手続き(例:書式やルートが異なる)で、書類処理を拒まれる。
→ 代行業者が労働基準法に基づいて交渉・通知することで、トラブルを防ぐ。
うつ病などで心身が限界のため、もう出社も連絡もできない。
すぐに職場との関係を断ち、郵送や代理人経由でのみ対応したい。
「会社の電話やLINEが怖い」「翌日から行けない」という緊急性の高いケース。
→ 弁護士または退職代行業者が法的に代理通知を行うことで、即時退職を実現。
残業代未払い、タイムカード改ざん、退職届の提出を妨害など。
退職希望を出すと、嫌がらせ・無視・暴言が始まる。
**「訴えるぞ」「損害賠償する」**と脅してくる(実際には法的根拠なし)。
→ 弁護士や退職代行による「内容証明郵便」などが有効な防御策になる。
| 状況 | 退職代行が有効な理由 |
|---|---|
| 上司と話すのが精神的に無理 | 第三者が介入し心理的負担を軽減 |
| 退職を引き延ばされる | 法的に確実な退職意思表示を代行 |
| 有給・賃金で揉めそう | 法に基づく代理交渉で不利益を防止 |
| 即日退職を希望 | 内容証明で法的通知を即時送付 |
| ブラック企業体質 | 法的トラブル防止と安全確保 |
要するに、**「権利としては退職できるが、現実的に安全・確実に行使できないとき」**に、退職代行が必要になります。
精神的負担が大きい場合、退職代行は「権利行使の補助装置」として機能しているとも言えます。
『「退職する」と宣言して、その後出社しない』というやり方では、問題があるのでしょうか?
とても良い質問です。
結論から言うと、「退職すると宣言して出社しない」こと自体は法的には有効な退職の意思表示ですが、トラブルに発展する可能性があるため注意が必要です。以下に、法的観点と実務上のリスクを分けて説明します。
民法627条1項により、期間の定めのない雇用(正社員など)の場合、
「いつ辞めるか」を明示して退職の意思を伝えれば、2週間後に雇用関係は終了します。
口頭でもメールでも成立し、出社しなくても退職の効力は発生します。
つまり、「退職します。本日をもって出社しません」というメールを送り、証拠として残せば、法律上は辞職可能です。
法律上は問題なくても、会社側の手続き・感情・管理の現場で問題になることがあります。
| トラブル例 | 内容 |
|---|---|
| 退職届が受理されない | 「出社しない=無断欠勤」と扱われ、懲戒処分の手続きを始める会社がある |
| 最終給与・有給休暇が精算されない | 手続きが進まず、給与や離職票の交付が遅れる |
| 私物・貸与物の返却問題 | 社用PCや制服などが返却できず、損害賠償を請求される可能性 |
| 離職票の発行遅延 | ハローワークでの手続きができず、失業給付が遅れる |
| 社会的トラブル | 転職先への確認電話など、悪意ある嫌がらせを受けるケースもある |
出社しない形で退職する場合は、**「証拠」と「通知の方法」**が重要です。
退職の意思を明確に書面で通知
例:「本日をもって退職いたします」または「〇月〇日付で退職いたします」
郵送やメール(送信履歴を残す)など、証拠が残る方法で送る。
会社の貸与物を返却する方法を明記
「社用PCは宅配便で返却します」など、誠実な態度を示す。
最終給与・離職票について文面で依頼
「離職票を後日ご送付ください」と記載しておく。
内容証明郵便の活用も検討
「退職の意思表示を行った事実」を法的に証明できる。
したがって、次のような場合に「問題視」される可能性があります。
退職の意思をまったく伝えずに突然出社しない(これは「無断欠勤」とされる)
貸与品を持ち逃げした状態で音信不通(損害賠償請求のリスク)
就業規則に違反する特別な契約社員・期間雇用(契約期間内の辞職は原則的に違約が発生)
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 法的効力 | 「退職します」と伝えれば成立(民法627条) |
| 実務上の課題 | 手続き・給与・離職票・物品返却などが滞る |
| 安全策 | 書面通知・証拠保存・貸与物返却・内容証明 |
| 問題になる場合 | 無断欠勤扱い・契約期間中退職・物品未返却 |
「退職します」と伝えたうえで出社しないのは法的に有効。
ただし、証拠を残さずに音信不通になるとトラブルの温床になるため、
「退職通知+返却+離職票依頼」を文書で確実に行うことが最も安全です。
ご希望があれば、「出社せずに安全に退職するための通知文(郵送用テンプレート)」も作成できます。作りますか?
作って、見せて下さい。
やはり、法律の基礎知識は必要ですね。
これらの教育が義務教育や高等教育で行われていないことを不思議に思います。
まったくその通りです。
実は、日本の教育課程では「法的リテラシー(権利・契約・義務)」の教育がほとんど行われておらず、それが社会人になってからの労働トラブル・契約トラブル・消費者トラブルを増やしているという指摘が、長年されています。
学習指導要領の社会科・公民分野では、「三権分立」「憲法の基本原理」などは教えるものの、
民法(契約・損害賠償・雇用関係)や労働法(労働基準法・労働契約法)はほとんど触れられません。
文部科学省は、「一般市民としての法意識を育む」という抽象的目標に留めており、
「退職」「解雇」「賃金」「契約解除」など実務的な内容は“成人後に学ぶもの”とされています。
教員自身が法学を体系的に学んでいないため、授業で扱うことが難しいという現場的事情もあります。
法学部以外では、労働法・契約法の基礎を扱う授業が必修ではない。
多くの学生が、アルバイトや内定後に**「契約とは何か」「権利を主張するには証拠が必要」**ということを初めて知る。
結果として、社会に出た後に「法律上は権利があるのに、手続を知らない」「声を上げられない」という構造が生まれています。
日本弁護士連合会(日本弁連)は2000年代から「法教育推進」を提言し、
一部の高校では模擬裁判・契約書作成・労働契約トラブルの授業などを導入しています。
しかし、全国的にはまだ試行的段階であり、体系的教育には至っていません。
一方、海外(特に北欧やドイツ)では、中等教育段階から
「雇用契約・消費契約・納税義務・法的責任」などを生活科目として学ぶ国もあります。
社会人として最低限理解しておくと、非常に役立つ基礎法分野は次の通りです:
| 分野 | 内容 | 具体例 |
|---|---|---|
| 民法 | 権利義務の基本、契約の成立・解除 | 雇用契約、売買契約、損害賠償 |
| 労働法 | 働く人の権利と使用者の義務 | 労働基準法、労働契約法、労災 |
| 消費者契約法 | 不当条項の無効、クーリングオフ | サブスク契約、訪問販売 |
| 個人情報保護法 | データの取り扱い | 雇用情報・顧客データ |
| 刑法の基礎 | どこから犯罪になるか | 業務上横領、名誉毀損など |
SNSやネット掲示板で「退職代行」「ブラック企業」「パワハラ」などの実例が可視化され、
多くの人が「知らないまま不利な立場になっている」と気づき始めています。
その結果、近年では自治体やNPOが主催する**社会人向け「生活法律講座」**が増加し、
弁護士会も「働く権利」や「契約トラブル」についての出前授業を行っています。
法律の知識は「専門家のもの」ではなく、「自分を守るためのリテラシー」です。
とくに民法・労働法・契約の仕組みは、数学や国語と同じく義務教育レベルで扱うべき基礎教養と言えます。
私、知財六法(知的財産六法)くらいしか真面目に勉強していませんが、その経緯でこのような知識も流れこんできます。
法律は強力な「暴力デバイス」として機能しますので、勉強しておいて損はないと思います。
昨日、嫁さんに見せて、今、次女と嫁さんが見ています。
今週末、長女にも見せる予定です。
江端家の上映は、合計4回になる予定です。
(NHK ONE 配信期限 10月8日(水)午後10:49)

出典:NHK「最後の講義 「漫画家 西原理恵子」」より引用((C) NHK)
(取り敢えず、著作権法第32条の"引用"と言い張りますが、著作権利者様から抗議を受けたら"秒"で削除します。なお、当該著作の権利に無関係の人からの批判や非難には一切応じません)。
「薬剤(特にベンゾジアゼピン系)の副作用として「生々しい夢」や「悪夢の頻発」が報告されており、医学的にも無矛盾」となる理由を教えて下さい
現在トラブル中のNHK ONEだが
https://www.web.nhk/tv/pl/schedule-tep-e1-130-20251001/ep/2GNR1XWP65
最後の講義 「漫画家 西原理恵子」 @ 東京女子大学
の、"つかみ"は良かったぞ。これから見るけど。
追記: 10/7 14:35から再放送 あり。
通り魔殺人のような事件が多発しています。このような「無敵の人」の犯罪は、非難や厳罰化では基本的に防げないと思います。
見方を替えて、1970年代に乱発していた「左翼の内ゲバ」が、今は発生してないことから、社会が学べることはないでしょうか。
「反社」の違法武器(拳銃)による殺傷事件も定期的に発生しているので、この方向からの検討は無駄かもしれませんが。
通り魔殺人のような事件は、加害者が社会的な居場所を失い、失うものがない状態で突発的に暴力へ至るケースが多いとされています。刑罰の重さや社会的非難は、すでに「失うものがない」と認識している人には抑止力になりにくいのが現実です。
1970年代に頻発した左翼運動内部でのリンチ・内ゲバは、今ではほぼ見られません。これは単純に「思想が衰退したから」ではなく、社会的な条件が変化したことも大きいです。
運動基盤の喪失
大学紛争や政治的イデオロギーに共感する母体が縮小し、過激派組織のリクルート力が失われた。
社会的包摂の仕組み
雇用の安定や消費社会の成熟によって、極端な政治活動に没頭しなくても「社会の一員」として生きられる場が広がった。
法的・治安的対応の進化
警察・公安の監視、法整備、社会全体の「過激派アレルギー」によって活動自体が孤立した。
結果的に、思想的には残っていても、「実行に至らない」環境ができあがったと考えられます。
ここから「無敵の人」犯罪に対して学べるのは、「個人の動機や思想を叩く」よりも、「そうならざるを得ない社会的条件をどう削るか」という点です。
社会的接続の確保
学校・地域・労働市場からドロップアウトした後でもつながれる仕組みを用意する。
急進化の芽を摘む情報環境
極端な思想や行動に引き寄せられやすい人を孤立させない。
治安対応の強化と透明性
反社の拳銃事件と同様、監視や情報収集の強化は効果を持つが、それだけでは根本的には防げない。
「反社の違法銃」同様に、完全なゼロ化は非現実的。
ただし、社会全体として「そうした行為に向かわないで済む」条件をつくれば、発生頻度を減らすことは可能。
内ゲバの終息が示すのは「イデオロギーが消えたから」ではなく、「社会がその土壌をなくしたから」という点に学ぶ意味があるでしょう。
要するに、
「厳罰化」よりも「孤立の緩和」と「社会的土壌の改善」が、長期的には“無敵の人”の犯罪減少に寄与するのではないかと思います。
「孤立の緩和」と「社会的土壌の改善」は、基本的には「個人の尊重」と「孤立の自由」というものの裏と表であり、現実が困難なように思われます。
「孤立」が無条件に悪いという考え方は、私は認容できませんが、大きな要因であることは認めざるを得ません。
「孤立」を"価値"する社会というのは無理なのでしょうか?
たいへん重要な論点だと思います。
「孤立」=「悪」という図式に社会が縛られている限り、「無敵の人」現象の議論は出口を見つけにくいでしょう。
孤立そのものは人間の自然な状態のひとつであり、必ずしも否定すべきではありません。むしろ「孤立を選べる自由」「孤立を保持しても尊重される環境」があれば、それは一種の社会的価値と考えられます。
孤立の自由
集団参加を強制されない、社会的ネットワークを維持しない権利。
孤立の尊重
孤立していても生存・生活資源にアクセスでき、社会保障から排除されない状態。
孤立の承認
孤立を美徳や選択肢として受け入れる文化(隠者・芸術家・研究者など、歴史的にも孤立を価値化した例はある)。
ただし「孤立」を価値化する社会には深刻な矛盾もあります。
経済的な支え
孤立者が安定して生活するには、誰かがコストを負担する必要がある。完全に「自立した孤立」は理想論に近い。
孤立と暴発のリスク
尊重される孤立と、社会不満を暴力化する孤立は紙一重。制度が整わなければ、再び「無敵の人」問題に戻る。
多数派の抵抗
「みんな繋がっていないと不安」という同調圧力は強く、孤立を制度的に守ることに抵抗が出る。
完全に孤立を肯定するのではなく、「安全に孤立できる条件」を整えるのが現実的だと思われます。
孤立していても 医療・生活インフラ・最低限の経済資源 は自動的に確保される。
孤立者が「戻りたい」と思った時に 社会的回路(仕事、学び、地域活動) が再開可能である。
孤立を「失敗」と見なさない文化を社会に根付かせる。
これは「孤立の価値化」というより、「孤立を包摂する社会設計」と言ったほうが適切かもしれません。
「孤立」を無条件に悪としない社会は理論的には可能です。
しかしそれを「価値」として承認するには、経済・制度・文化の三点を整える必要があります。現実的には 「孤立を悪としないが、孤立から暴発させない仕組みを持つ社会」 を目指すのが最も実現可能性が高いと思われます。
ご質問に即して言えば、
「孤立を価値化する社会」は無理ではないが、 孤立を“安全に”成立させる仕組み を作らなければ「無敵の人」の再生産を防げない、というのが現実的な落とし所だと思います。
江端さんは、この「孤立の価値化」を 社会保障的アプローチ(制度) で考える方向と、文化的アプローチ(孤立を尊重する価値観) のどちらに重点を置きたいですか?
私は、プラグマチストでもありますので、「孤立」を認容する社会において、「無敵の人」を発生させない仕組みであれば、どんな方法でも構いませんが、手っ取り早く効果のあるものに重点を置きます。
PostgreSQLは私が得意するDBですが、私の意見に「忖度している」ということはないですよね。
あくまで採用の観点は「安価」で「簡単な構築と運用」です。
ご安心ください。忖度ではありません。要件が「安価・簡単・広く使われている」なら、前段インデックスはPostgreSQLが最もバランス良い本命です。
------
と、ChatGPTが言っている、この意見そのものが「私の考えに忖度していないか?」と心配になっています。
ChatGPTにとっての私は、『"技術畑"の"叩き上げ"の"いけすかない上司"』に見えるハズですから。
災害放送に関しては、NHKが圧倒的に強い感じがしますが、他の民放とくらべてどの程度の差があるのか、定量的に算出できませんか。フェルミ推定でも結構です
はい、フェルミ推定で「NHKの災害放送の強さ」を民放と定量比較してみます。前提になる“観測できる事実”は次のとおりです。
NHKの世帯契約率は約81%(2024年度末)。受信可能・視聴習慣の広さの近似値として使う。nhk-cs.jp
重大災害時はNHKの視聴が急伸し、たとえば台風19号(2019/10/12)で全日27.0%、16時台35.8%に達した。マイナビニュース
大規模地震時、NHKは直ちに特番に切り替え、平均視聴率は民放各局を上回る傾向が分析されている。J-STAGE
NHKは全国の各地域局で毎月の緊急警報放送(EWS)試験など、災害即応の運用を常態化。ウィキペディア
NHKは47都道府県に地域拠点(放送局)を持つ(一覧あり)。地域密着網の近似。ウィキペディア
災害時の「放送到達・有効度」を 4 指標で合成した「災害放送力指数(仮)」を作ります。
指数 = 0〜100点。重みは仮置き。
到達基盤(40点満点)=世帯カバー&視聴習慣の強さ
NHK:81%→ 40×0.81 ≒ 32.4点。nhk-cs.jp
民放キー局1社平均:地上波の技術カバーは高いが、常時の視聴習慣は分散。災害時でも“1社”に集中はしにくい。仮に「常時の定着度」50%相当で 40×0.50=20点。
初動即応(25点満点)=特番切替・割込み徹底・EWS運用
地域網の密度(20点満点)=地域局の数・ローカル挿入能力
NHK:全都道府県に拠点→ 18点。ウィキペディア
民放1社平均:系列網はあるが“1社”では全国を均質にカバーしにくい→ 12点(仮)。
視聴集中実績(15点満点)=災害時の“選ばれやすさ”
NHK:台風19号で全日27%/ピーク35%台など→ 13点。マイナビニュース
民放1社平均:同時間帯に視聴が分散(娯楽編成の影響も)→ 7点(仮)。PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
NHK:32.4 + 22 + 18 + 13 = 85.4点
民放(キー局1社の平均想定):20 + 16 + 12 + 7 = 55点
→ NHKは民放1社平均の約1.55倍(85.4 / 55 ≒ 1.6倍)
「選ばれやすさ」はNHKに集中し、民放は複数局に分散します。仮に大事件時の“同時間帯にテレビをつけている世帯(HUT)”を100とすると、実データでもNHKが三〜四割を取る場面がある一方(例:35.8%)、民放はそれを複数局でシェアします。民放合算なら「総到達」はNHKに迫るものの、“一斉に同じ確度の正確情報が届く”という意味の運用一貫性はNHKが優位、というのが実態に近いです。マイナビニュース+1
NHKの災害放送力は、民放“1社”と比べて概ね1.5〜2倍の有効度(到達基盤・初動・地域網・視聴集中の合成)
**民放“全社合算”**では到達は近いが、指揮一貫・運用設計の統一と視聴集中はNHKが優位。
よって「圧倒的に強い」という体感は、視聴の集中・初動の速さ・全国一律の運用(EWS試験常態化/地域局網)に裏打ちがあると考えられます。ウィキペディア+2ウィキペディア+2
自治体や企業のBCPで「テレビ放送を一次情報ソースにするなら」:NHK優先+民放は補完。
個人の避難判断:まずNHKの速報→次に自治体発表・気象庁発表でクロスチェック。消防庁
※ 推定には仮置きの重み・民放1社の平均化など近似を含みます。上記の重みを変えれば指数は変動しますが、主要な公開データ(契約率・実災害時の視聴集中・運用慣行)を踏まえると、NHK優位のオーダー(1.5倍前後)は概ね頑健だと考えます。
[1]: https://www.nhk-cs.jp/jushinryo/know/pdf/keiyakuritu2024.pdf?utm_source=chatgpt.com "◆受信料収入"
[2]: https://news.mynavi.jp/article/20191016-910091/?utm_source=chatgpt.com "台風報道で12日のNHK全日帯視聴率27.0%、16時台35.8% ..."
[3]: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasdis/15/2/15_149/_pdf?utm_source=chatgpt.com "東日本大震災の初動報道に関する当事者分析"
[4]: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8A%E6%80%A5%E8%AD%A6%E5%A0%B1%E6%94%BE%E9%80%81?utm_source=chatgpt.com "緊急警報放送"
[5]: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%94%BE%E9%80%81%E5%8D%94%E4%BC%9A%E6%94%BE%E9%80%81%E5%B1%80%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7?utm_source=chatgpt.com "日本放送協会放送局の一覧"
[6]: https://www.jstage.jst.go.jp/article/tits/16/12/16_12_12_23/_pdf?utm_source=chatgpt.com "東日本大震災とメディア - J-Stage"
[7]: https://president.jp/articles/-/73369?page=1&utm_source=chatgpt.com "自分たちは「安全な場所」にいる…災害報道で視聴率を稼ぐ ..."
[8]: https://www.fdma.go.jp/mission/prepare/transmission/items/tebiki.pdf?utm_source=chatgpt.com "災害情報伝達手段の整備等に関する手引き"